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2012.06.25

百代の過客しんがりにネコパンチ

今日のブログは競馬のことからスタートするけど、競馬に絡めて子どものころの思い出とか俳句のこととかいろいろと綴ってるので、よかったら競馬に興味のない人も読んでみてちゃぶだい♪‥‥ってなワケで、昨日の阪神の「宝塚記念」で今年前半のGⅠは最後になり、9月下旬の中山の「スプリンターズS」まで3ヶ月ほどGⅠがない。だから、昨日の「宝塚記念」はどうしても的中させたかったんだけど、あたしの応援してるネコパンチが見せ場を作ってくれたのは3コーナーまでで、最後には力尽きて最下位に沈み、16頭中16着という、ある意味、1着とおんなじくらい貴重な記録を作ってくれた。

いつもなら、1コーナーを1番手で通過→2コーナーを1番手で通過→3コーナーを1番手で通過→4コーナーを1番手で通過→最後の直線でドヤドヤと差されてゴール板を5番手で通過‥‥ってのがネコパンチなんだけど、今回は強豪ぞろいで、江田照男ジョッキーもイチかバチかの高速逃げまくりを仕掛けたもんだから、4コーナーまでスタミナが持たなかったみたいだ。「あしたのジョー」的に言えば「真っ白に燃え尽きたぜ」ってワケで、ホエールキャプチャは「芦毛なのに紅一点」だったけど、ネコパンチは「黒鹿毛なのに真っ白に燃え尽きたぜ」ってワケで、ここまでがんばってくれたら負けて悔いなし!ありがとうネコパンチ!‥‥って感じの今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ネコパンチからの馬単を5点と、オルフェーヴル→エイシンフラッシュ→トゥザグローリーという3連単を1点、合計600円で「宝塚記念」を楽しんだ。オルフェーヴルが勝つことは最初から分ってたから、夢を見るための馬単5点と、現実路線での3連単てワケだ。で、なんでオルフェーヴルが勝つってことが分かってたのかって言うと、例によって例のごとく、その秘密はレース直前の石川喬司先生とのメールの中にあった。

6月17日の「父の日」に、あたしは、競馬の師匠である石川喬司先生にお馬さんのカードを贈った。そしたら石川先生は、お返しにと寺山修司さんの『パドックで幻の父を待つ男』という短編の競馬エッセイを送ってくださった。母親と2人で暮らしている男が、ある日、競馬場のパドックで、自分が子どものころに蒸発してしまった父と再会する。でも、こちらからは自分の父であることが分かるのに、相手は成長して立派な大人になっている自分を息子だとは気づかない‥‥っていうストーリーなんだけど、これを読んで、あたしは、自分がちっちゃかった時に、父さんに連れられて行った渋谷の場外馬券売り場のことを思い出した。

東急本店の右手の道をずっと入って行った神山町ってとこに住んでたあたしは、父さんに手を引かれて渋谷駅まで歩き、駅の反対側に出て、今度は渋谷警察の前をずっと歩き、場外馬券売り場までの長い道のりを何度か往復した。おばあちゃんに手を引かれて、駅の反対側の映画館のビルの屋上にあるプラネタリウムに行く時も、駅まではおんなじ道を通ったから、特に駅までの道沿いにあったお店は今でもボンヤリと覚えてる。

で、長いこと忘れてたんだけど、石川先生が送ってくださった寺山修司さんのエッセイを読んだら、今の「109」のある場所‥‥って言うか、正確に言うと今の「ヤマダ電機」がある場所なんだけど、そこにあった不思議なお店のことを思い出した。そこには「美美薬局」っていう薬屋さんがあって、その2階が何かのお店になってたんだけど、窓に大きく「有」「馬」「記」「念」て書いてあった。

あたしは、まだ小学校に上がる前か、小学校に上がったばかりか、それくらいの年だったから、当然、「有馬記念」なんて漢字は読めなかった。だけど、父さんの競馬新聞で「馬」っていう漢字だけは覚えてたから、初めてそのお店の文字を見つけた時、あたしは、手を引く父さんに「あそこにお父さんの好きな『馬』って字が書いてあるよ!」って報告した。

父さんはニコニコ笑って、あれはナンダカンダと説明してくれた。たぶん、「あれは『有馬記念』と言って1年を締めくくる大きなレースの名前なんだよ」とかって言ったんだと思うけど、何を言ったかなんてぜんぜん覚えてない。何しろ、父さんに「馬」の字を報告したことさえ、今までずっと忘れてたくらいだから。

そして、父さんとそのお店の前を通るたびに2階の窓を指さして「馬!」「馬!」って言ってたあたしは、これも記憶が曖昧なんだけど、一度だけ、そのお店に連れてってもらったような気がしてる。父さんがビールを飲んでて、あたしは大きなグラスでオレンジジュースを飲んでる記憶なんだけど、もしかしたら近くの別の喫茶店かもしれない。

そんなこんなで、あたしは、石川先生にお返事を書いた。先生が送ってくださった寺山修司さんのエッセイを読んで、ずっと忘れていた記憶が蘇りました。渋谷の「有馬記念」というバーのような喫茶店のようなお店のことです‥‥ってことを書き、父さんに「馬」の字を報告したクダリを書き添えた。そしたら、すぐに先生から「偶然の連鎖」という件名の返信が届いたので、その一部を抜粋する。


偶然ですが、渋谷の有馬記念の経営者は物故していますが、その未亡人・Fさんが「お洒落して競馬を楽しむレディの集まり」という会を作り、その会合でスピーチしたのがきっかけで顧問になっています。
和装したご婦人たちがズラリと背中を見せて馬券発売機に並んでいる写真をJRAの会長に見せて以来、オークスなどには観戦室を利用できるようになっています。


‥‥とのこと。奥様は馬主でもあり、競馬会では有名な女性なんだけど、念のためにお名前の部分だけイニシャルに変更させていただいた‥‥ってなワケで、驚いていろいろとググッてみたら、ホントにお着物やドレスで上品にオシャレしたセレブたちが、東京競馬場のVIPルームでオークスを観戦してるブログ記事が何件かヒットした。その中の1つのエントリーによると、Fさんは「愛馬をオークスに出走させ、女性陣みんなで華やかに着飾ってパドックに立つのが夢」って書いてあった。なんてステキな夢なんだろう!あたしもがんばって、せめて「一口馬主」を目指そうと思った(笑)


‥‥そんなワケで、今回の「宝塚記念」の直前に石川先生とやりとりしたメールは、渋谷にあった「有馬記念」というお店が鍵になって先生とシンクロすることができた。あたし自身、30年以上も忘れてた記憶が蘇ったワケだし、これは絶対に「宝塚記念」と「有馬記念」とがシンクロしてるに違いない‥‥ってなワケで、あたしは、前回の「有馬記念」を制したオルフェーヴルが、今回の「宝塚記念」も制するって理解したワケだ。

だけど、ここまで分かってたのに、あたしはオルフェーヴルからは買わなかった。ナゼって、そりゃあもちろん的中しても配当が低いからだ。オルフェーヴルが勝つってことは、先行馬たちが差されるってことで、これほどの顔ぶれなら、2着も3着も強くて人気のある差し馬が入着する可能性が高い。そうなると、オルフェーヴルからの馬単を買っても配当は期待できないし、的中しても大して嬉しくない。

そこで、あたしは、石川先生の言うところの「心理的配当」を選択した。ネコパンチからの馬単を買っておけば、少なくとも3コーナーまで、展開次第では4コーナーまでドキドキワクワクできるし、ミラクルが起これば万馬券が的中だ。あたしの場合、もともとが「的中しそうな馬券」よりも「的中したら大変なことになる馬券」を買うタイプだから、こうした買い方のほうが楽しく観戦することができる。

だけど、先生とのメールのやりとりで浮上した「勝ち馬サイン」を見逃すのも悔しい。そこで、あたしが選択したのが、前回の「有馬記念」とまったくおんなじ組み合わせ、オルフェーヴル→エイシンフラッシュ→トゥザグローリーという3連単を買い足しておくことだった。これなら100円だけの出費で済むし、もしも的中したら「金銭的配当」だけでなく「心理的配当」も得ることができる。逆に、この馬券を買わずにこの組み合わせが来ちゃったら、悔やんでも悔やみきれない。これが、今回、あたしが買った馬券の秘密だ。


‥‥そんなワケで、「宝塚記念」の結果は、皆さんご存知の通り、1着が1番人気のオルフェーヴル、2着が2番人気のルーラーシップ、3着が6番人気のショウナンマイティ‥‥っていう、ある意味、あたしの予想通りの結果になり、あたしはと言えば、これまた予想通りに、3コーナーまではドキドキワクワクすることができた。そして、応援してたネコパンチは、ハレの舞台で全力疾走して真っ白に燃え尽きて「最下位」、別の言い方をすれば「ビリ」、さらに別の言い方をすれば「シンガリ」ってワケで、あたしは、すぐにこの俳句が頭に浮かんだ。


 百代の過客しんがりに猫の子も  楸邨


これは、猫が大好きだった俳人、加藤楸邨(しゅうそん)の有名な句なんだけど、残念なことに、俳句をやってない人は、ほとんどの人がこの句を正しく読むことができない。たいていは「百代の過客」を「ひゃくだいのかきゃく」と読んでしまう。これは、正しくは「はくたいのかかく」と読む。俳句をやってる人なら、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭でオナジミだろう。


 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」


もちろんコレも「つきひは『はくたいのかかく』にして、いきかうとしもまた、たびびとなり」と読む。で、問題の「百代の過客」だけど、「百代」ってのは「百代先まで」が転じて「とても長い期間」、これがまた転じて「永遠」という意味で、「過客」ってのは「通り過ぎて行く客人」、つまり「旅人」という意味。だから、芭蕉の序文は、「月日というものは私の前を次々と通り過ぎて行く永遠の旅人のようなもの、来ては去って行く年というものもまた同じ旅人のようなもの」って感じの意味になる。

ようするに楸邨は、この芭蕉の序文を踏まえた上で「猫の子」の句を詠んだワケだけど、実は芭蕉も、中国の唐の時代の詩人、李白の詩を踏まえて、この序文を書いてる。ちなみに、「楸邨」「芭蕉」と書いて「李白」と来ると、「楸邨」が「加藤楸邨」で「芭蕉」が「松尾芭蕉」だから、「李白」も「田中李白」みたいに何かの苗字がありそうに思うかもしれないけど、「李白」は名前じゃない。「李」が名字で「白」が名前なのだ‥‥っていうプチ情報も織り込みつつ先へ進むけど、この李白に『春夜宴桃李園序』っていう詩がある。日本語だと「春の夜、桃李園(とうりえん)に宴(えん)するの序」って読む。


 『春夜宴桃李園序』

 夫天地者萬物之逆旅 (それてんちはばんぶつのげきりょにして)
 光陰者百代之過客 (こういんはひゃくだいのかかくなり)
 而浮生若夢 (しこうしてふせいはゆめのごとし)
 爲歡幾何 (かんをなすこといくばくぞ)
 (以下略)


意味がチンプンカンプンな人でも、1箇所だけ気づいたことがあると思う。そう、「百代之過客」を「ひゃくだいのかかく」って読んでる点だ。ようするに、もともとの李白の詩では「ひゃくだいのかかく」だったんだけど、言葉の美しさを追求する芭蕉が「だ」という濁音を嫌い、おんなじ漢字でも「はくたいのかかく」という透明感のある読みに変えたってワケだ。だから、その芭蕉の序文を踏まえて詠まれた楸邨の句も、芭蕉とおんなじに「はくたいのかかく」と読むのがスジってことになる。

で、もともとの李白の詩だけど、これは、ザックリ言うと、「この世のすべてのものは仮の宿であり、月日というものは永遠の旅人である。人生とは夢のようなもので、楽しいことなどたいしてない」って感じの意味だ。この部分だけだと、ナニゲに投げやりっぽく聞こえちゃうだろうけど、この先もずっと続いてて、自分の弟子たちを集めて酒宴を楽しんでる様子を詠い、人生を謳歌する喜びを表現してる。

つまり、李白は、「この世のすべてのものは仮の宿であり、月日というものは永遠の旅人である。人生とは夢のようなもので、楽しいことなどたいしてない」、だから、「大いに楽しまなくちゃね」ってことを言ってるのだ。そして、この李白の詩を踏まえて書かれた芭蕉の序文、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は、次のように続いてる。


 「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」


前半はさっき説明したけど、後半は「舟の上で生涯を過ごす船頭や、馬の轡(くつわ)を引きながら年老いて行く馬子などは、毎日が旅をしているようなものであり、旅そのものが家のようなものである」って感じの意味だ。だから、ザックリと言っちゃえば、「月日は永遠の旅人のように過ぎ去って行くのだから」っていう前提から、李白は「だから人生を謳歌しなくちゃね」って結論を引き出してるけど、芭蕉は「月日も旅人なら人生もまた旅である」っていう結論だ。

これぞ、自分の人生そのものを旅とした漂白の旅人、芭蕉ならではの解釈だけど、この芭蕉の序文を踏まえた楸邨の句も、おんなじように深い。楸邨は、俳人として自らが俳句を詠むだけでなく、国文学者として長年、芭蕉の研究も続けてきて、芭蕉に関する研究書も書いてるし、芭蕉の研究で「紫綬褒章」や「勲三等瑞宝章」を叙勲してるほどの芭蕉マニアだ。そんな楸邨が、芭蕉の代表的な『おくのほそ道』の序文を踏まえて詠んだ句なんだから、そこにはディープでインパクトな意味がある。


 百代の過客しんがりに猫の子も  楸邨


季語は「猫の子」で晩春になる。猫は2月から3月にかけての早春に発情期を迎えて、約2ヶ月で子どもを産む。だから、発情期を迎えた猫を指す「恋の猫」「猫の恋」って季語は初春で、生まれた「子猫」「猫の子」って季語は晩春になる。フランク・ザッパに言えば、どっちも春の季語なんだけど、立春を過ぎたばかりの寒々しい初春と、夏の到来を目前にした晩春では、そのイメージは大きく違ってくる。で、楸邨の句だけど、芭蕉の序文を踏まえてるってことは、キーワードはもちろん「人生は旅」ってことになる。

句の意味は、「つい、この前、立春を迎えたと思ったら、あっと言う間に桜が咲き、桜が散り、山の木々が青々としてきて、春も終わりを迎えようとしている。あれほどやかましく鳴いていた恋の猫たちが静かになったと思ったら、もう子猫が生まれたようだ。私の家の庭を通り過ぎて行く月日という旅人を眺めていたら、そのしんがりに生まれたばかりの子猫の姿が見えた」という感じ。

そして、芭蕉の序文を踏まえた句の鑑賞としては、「月日という永遠の旅人のあとをついて行く子猫もまた、これから人生の荒海へと旅立つ小さな旅人なのだ。いつどこで果てるとも知れぬ一度きりの旅が、今、始まったところなのだ」という感じだ。もちろん、これはあたしの鑑賞だから、あたしと感性の違う人が別の鑑賞をしても間違いじゃない。俳句は、読み手の数だけ鑑賞がある。


‥‥そんなワケで、あたしは、力尽きて最下位に沈み、最後にポツンと離れてゴールに向かってるネコパンチを見て、この楸邨の句が頭に浮かんだワケだけど、逆に1着でゴール板を駆け抜けたオルフェーヴルや2着のルーラーシップ、3着のショウナンマイティたち上位馬を見て、この競走馬たちこそが「百代の過客」なんじゃないかと思った。ゴール板を一瞬で駆け抜けて行く競走馬たちは、この世という仮の宿に遣わされた「旅人」なんじゃないか?

わずか2歳でデビューして、5年間ほどレースをして、引退して行く競走馬たち。中には10歳を過ぎても現役でがんばってる馬もマレにいるけど、反対にデビューしたばかりで故障してしまい、引退や安楽死になる馬もいる。現役時代に好成績を残せれば、引退後も繁殖馬としての保障された生活が待ってるけど、レース中や調教中の故障で、儚く旅を終える競走馬も多い。だけど、長くても、短くても、楽しくても、辛くても、すべては一度きりの「旅」なのだ。

西暦だけで言うと、李白は700年代前半の詩人で、芭蕉は1600年代後半の俳諧師で、楸邨は1900年代の俳人だ。つまり、李白の詩を1000年近く後の芭蕉が踏まえて序文を書き、その芭蕉の序文を300年近く後の楸邨が踏まえて俳句を詠んだってことになる。この繋がりを「百代の過客」と見るならば、多くの競馬ファンの瞼に思い出を焼きつけた名馬たちの子どもが活躍し、またその子どもが活躍している競馬の世界も、主役である競走馬が「百代の過客」ということになる。


‥‥そんなワケで、ディープインパクトの子どもたちが大量にデビューして、優秀な馬と期待ハズレな馬が振り分けられてる昨今だけど、今年はネコパンチの半弟のネコタイショウと、血縁はないけど馬主さんがおんなじネコイッチョクセンがデビューした。ネコタイショウはデビュー戦の途中で走るのをやめちゃったけど、幸いにも大きな故障じゃなかったからすぐに復帰できそうだし、ネコイッチョクセンはデビュー戦で4着に入賞した。東京シティー競馬には「ネコグンダン」「ネコダイスキ」「ネコセンプー」っていう馬がいるから、JRAでも「ネコ軍団」を作り、ネコパンチにはリーダーとして、ますますがんばってほしいと思う今日この頃なのだ!


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