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2012.06.02

富士山が噴火する日

5年くらい前だったかな?当時のNHK教育テレビ、今で言うEテレの「高校講座・地学」の伊藤孝先生から、「ハワイは毎年数センチずつ日本に近づいている。これはハワイの乗っている太平洋プレートが北西の方向へ移動しているからだ」というお話を聞いた。「ひょっこりひょうたん島じゃあるまいし、島が動いてるなんて!」って、あたしは驚いたんだけど、これは、現在のハワイの地図を見れば一目瞭然の事実なのだ。

ハワイって、有名なのは、ハワイ島、マウイ島、オアフ島くらいだけど、他にもたくさんの島があって、ぜんぶで19の島と環礁で構成されてるので、正確には「ハワイ諸島」ってことになる。で、この19の島と環礁を地図で見ると、南東から西北に向かって、ミゴトなまでに一直線に並んでるのだ。これは、ハワイ諸島が、マントルから噴き出したマグマによって作られたことを表わしてる。

ものすごくフランク・ザッパに説明すると、海底にはホットスポットと呼ばれてる「マグマの噴き出しやすい場所」があって、そこから大量のマグマが噴き出して、海水で冷めて固まりながら火山ができ、どんどん噴火して1つの島が誕生した。しばらくして噴火はおさまったけど、ホットスポットの位置は変わらないのに太平洋プレートは北西の方角へ1年に数センチずつ移動してるから、気が遠くなるほどの長~~~~い年月を経て、誕生した島は最初の場所からずいぶん北西に移動しちゃった。

だけど、ホットスポットの位置は変わらないから、そこから次の噴火が起こって2つめの島が誕生すると、最初にできた島と次にできた島とが仲良く並ぶことになる。そして、また気が遠くなるほどの長~~~~い年月を経て、2つめの島がずいぶん北西に移動したころに、またまた次の噴火が起こって3つめの島が誕生し‥‥ってことが繰り返されてったワケだ。こうして、長い長い年月をかけて19の島と環礁が一列に作られたワケだけど、最初の島が誕生してから一番新しい島が誕生するまでにものすごい時間差があるから、最初に誕生した島が最も波の浸食を受けることになる。そのため、一列に並んだハワイ諸島は、誕生が古い北西の島ほど小さくて、誕生が新しい南東の島ほど大きくて、まるでカルガモの親子のように並んでるってワケだ。

で、少しずつ日本に近づいてきてるハワイだけど、いったい、いつごろ日本に到着するのかって言えば、ハワイから日本までの距離が約6000キロで、太平洋プレートの移動速度が100万年で50キロ前後って言われてるから、割り算をすれば「約1億2000万年後」ってことになる。でも、正確に言えば、ハワイは日本に到着する手前で、海へと沈んでく。日本が乗ってるユーラシアプレートよりも密度が高くて重たい太平洋プレートは、ユーラシアプレートの下へともぐり込むように沈んでく今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「日本」のことをずっと「ニポン」て書いてきたあたしだけど、最近は読者層もビミョ~に変わってきたし、新しい読者にいちいち説明するのもメンドクサイヤ人になってきたから、特別な場合を除いて、普通に「日本」て書くことにした。で、とっても面白いハワイ誕生の話だけど、これとよく似た話が、ナナナナナント! ニポンにもあったのだ!‥‥って、さっそく「ニポン」て書いちゃったけど、「驚きを表わす」っていう特別な場合なので許してほしい。

皆さん、ご存知の通り、この日本も火山の多い国で、火山の噴火によって作られた地形や変形した地形も多い。日本一の富士山だってレッキとした火山で、もともとは今よりも小さな小御岳(こみたけ)っていう火山だった。で、今から10万年くらい前に、この小御岳とお隣りの愛鷹山(あしたかやま)との間の大地から大噴火が起こり、これが今の富士山の原型の「古富士火山」になったのだ。

富士五湖にしても、もともとは富士二湖だった。古富士火山の北側に「古せの湖(せのうみ)」っていう巨大な湖があって、東側には「宇津湖(うつこ)」っていう2まわりくらい小さい湖があった。そんなある日のこと‥‥って言っても、今から1万年くらい前だけど、古富士火山の山頂から新富士火山の噴火が始まった。この噴火で、それまで3000メートルくらいだった富士山は現在の3776メートルにまで大きくなり、周囲に流れた溶岩流は、2つの湖にも流れ込んだ。これによって、巨大な「古せの湖」は4つに分かれて、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖ができあがった。「宇津湖」は2つに分かれて、山中湖と忍野ができあがった。

細かいことを言えば、一気に富士五湖ができあがったんじゃなくて、長い年月をかけてのアレコレがあるんだけど、そこまで説明してると長くなっちゃうから、ここではザックリした把握で先へ進もうと思う‥‥ってなワケで、ここまでに書いてきたことは、誰かがタイムマシンに乗って10万年前とか1万年前とかに行って見てきた話じゃない。伊藤孝先生みたいな専門の研究者が、地層とか溶岩流の跡とかを調べて導き出した推測だ。もちろん、ほぼ正解だと言えるほど精度の高い推測だから、「現実に起こったこと」として認識しといて間違いない。

ようするに、10万年前には富士山は存在しなかったワケで、10万年前から1万年前までの間に数々の噴火が繰り返されて、そして、今の富士山ができあがったってワケだ。もちろん、これは富士山だけの話じゃなくて、日本は火山列島なんだから、これとおんなじようなことは日本のあちこちで起こってきた。だから、あたしは、最低でも10万年は監視が必要な「使用済み核燃料の地層処分」に大反対してる。いつ噴火するか分からない火山だらけの国に深い穴を掘って大量の使用済み核燃料を埋めちゃうなんて、まるで自分の家の庭に地雷を埋めるような話だからだ。


‥‥そんなワケで、使用済み核燃料の話を始めちゃうと大幅にダッフンしちゃうから、サクッと元の話の車線を戻すけど、実際の富士山の誕生について軽く説明した上で突入しちゃうのは、やっぱりあたしの大好きな妄想の世界だ。現実の富士山の話から非現実の富士山の話へとパンサーチェンジしちゃう。あ、「パンサーチェンジ」ってのは「豹変」のことね(笑)‥‥ってなワケで、こないだもチョコっと書いたけど、日本には八百万(やおよろず)の神様がいるから、日本一の富士山には、当然、神様の中でもトップクラスの神様、神様オブ神様がいる。

日本の八百万の神様の中には、手のひらに乗るほどの小さな神様もいるけど、「ギリシャ神話」の巨神たちに負けないほど巨大な神様もいる。そうした大きな神様の中でも、日本一の富士山をツカサドッてる神様は、特に大きかった。ハッキリと「身長何百メートル、体重何万トン」なんて円谷プロの「怪獣図鑑」みたいには伝えられてないけど、神話の内容から感じられる雰囲気からすると、少なくとも東京スカイツリーとおんなじくらいか、それ以上はあったと思う。

だから、ここから先の話は、3776メートルの富士山に対して、身長が600~800メートルくらいある神様を想像しながら読んでほしい。で、富士山の神様ってことは、「山の神」であり「火の神」でもあるワケだから、その能力は絶大だ。そして、太古からいる神様だから、その主な仕事は「国造り」だ。神様による「国造り」の方法はいろいろあるけど、「火の神」である富士山の神様の場合は「国焼き」という方法を使う。


‥‥そんなワケで、ある日のこと、峰不二子から‥‥じゃなくて、富士山の峰から東の海を眺めていた神様は、太陽にキラキラと輝く海の美しさに心を奪われ、「この美しい海に新しい国を焼き出したら豊かで素晴らしい国になるだろう」って考えた。「国を焼き出す」ってのは、「火の神」による国造り、「国焼き」のことだ。

そして、神様は、片方の腕を海に入れると、海底を掴んでグイグイと引き上げた。海底は大きな山のように盛り上がり、海面に頭を出すと、そこから噴火を始めた。噴煙は空高く舞い上がり、真っ赤な溶岩が大量に噴き出し続けた。海に流れ込んだ溶岩は、ものすごい音と真っ白な水蒸気をあげながら固まっていった。とめどなく流れ出る溶岩は、沖へ沖へと陸地を作っていき、三日三晩が過ぎたころ、海へ突き出た大きな国が誕生した。「海より出づる国」、神様はこの国を「出づ(伊豆)の国」と名づけた。

国造りを終えた神様は、火口から噴き出していた火をフッと吹き消した。神様の息で流れた筋が天城山脈になり、火口には雨水が溜まって八丁の池が生まれた。この時、神様の息が強すぎたのか、小さな火種が1つ、東のほうへ飛んでいった。火種は海に落ち、それがまた火山になり、どんどん溶岩を噴き出し、島が誕生した。これが「伊豆大島」だ。

そして、「火の神」によって造られた「伊豆の国」は、地中に燃え盛る炎を宿していたので、熱海、熱川、伊東、湯河原、湯ヶ島などを始め、いたるところから温泉の湯が湧き出した‥‥ってなワケで、これが伊豆に伝わる神話の1つ、『伊豆の国焼き』っていうお話だ。ようするに、どうやって伊豆の国ができたのかっていうお話だけど、実際に富士山が誕生したのは1万年くらい前なんだから、この神話を実際にあったことだと仮定すると、1万年前よりもアトってことになる。

ま、人類の祖先が誕生したのが500万年くらい前だし、原人が言葉を話したり道具や火を使い始めたのが50万年くらい前だし、現代人とおんなじホモ・サピエンスが誕生したのだって30万年くらい前なんだから、こうした「人類誕生」や「人類の進化の歴史」と照らし合わせてみると、神様が国を作ったのが1万年前ってのは、ちょっと最近すぎる感じもする。でも、日本自体はとっくの昔にできてたワケで、今回のお話は「伊豆の国」、つまり、今で言う「伊豆半島」の誕生なんだから、日本を1軒のお家だとしたら、母屋の脇にプレハブの子ども部屋を建て増ししたようなもので、そう考えれば1万年前でも「ま、いっか!」って雰囲気になってくる。


‥‥そんなワケで、海底を掴んで持ち上げて、そこから噴き出した溶岩で伊豆半島を造っちゃったっていう、激しく豪快な話、今どきの言い方をすれば、激しくワイルドな話なワケだけど、実は、この神話には、まだ続きがあるのだ。ある日のこと、神様が富士山の峰から伊豆の国を眺めて、自分が焼き出した国の美しさにホレボレしていると、遠く沖のほうから伊豆の国に向かって進んでくる大男の姿が目に入った。大男は胸から上を海の上に出し、ゆっくりと歩いて近づいてくる。そして、とうとう伊豆の国の先端の浜辺に上陸すると、天にも届きそうなほど両腕を高く上げて、気持ちよさそうに伸びをした。その様子をずっと見ていた神様は、富士山の頂に仁王立ちして、その大男に声をかけた。


「おおい原発、再稼働反対~~!!」


‥‥じゃなくて、


「おおい!お前は何者じゃ~!?」


突然の声に驚いた大男は、辺りをキョロキョロと見回して、遠くに見える美しい山の頂に立つ神様を見つけると、こう返事をした。


「私は天竺(てんじく)を追われた者です。流れ流れてこの地に辿り着きました!私はとても長い旅を続けてきましたが、あなたが今お立ちになっている山ほど美しい山を見たことがありません!どうかあなたのおそばに、私が永住できる土地をお与えください!」


そう言って、大男は富士山の方角に向かって深々と頭を下げた。これを見た神様は、一瞬でこの大男の心が美しく澄んでいることを見抜いた。


「よろしい!それでは、今お前が立っている伊豆の国に住まうがよい!しかし大男のお前には少し狭かろう。その時は私の土を分けてやるから、これを使って海に島を焼き出すといい!」


神様の言葉を聞いて、大男はとても喜んだ。そして、さっそく伊豆の国を歩いてみたところ、瑞々しい木々をたたえた山々を縫うようにして清い川が流れ、その川は銀色の飛沫をあげて滝になり、最後には雄大な流れとなって光輝く海へと広がっていた。美しく豊かな土地に大男は感謝したが、やはり、体の大きな自分には少々狭く感じた。

そこで大男は、神様の言葉に甘えて島を造ることに決め、まずは手伝ってくれそうな仲間を探すことにした。伊豆の国をグルリと一周歩いてみると、小さな入江に1人の翁(おきな)と3人の若者がいたので、大男は話しかけてみた。翁は320歳で、百済(くだら)から流れてきたという。3人の若者は翁の子どもたちで、若宮(わかみや)、剣の宮(つるぎのみや)という2人の立派な息子と、見目(みめ)という美しい娘だった。大男の話を翁は快諾、こうして天竺からきた大男と百済からきた親子による島造りが始まった。


‥‥そんなワケで、若宮と剣の宮は、もっこを担いで富士山の神様のところに土をもらいにいった。「もっこ」と言うのは、縄や植物の蔓などで編んだ粗いネット状のものに重たい荷を乗せて、それを棒の真ん中に吊るし、棒の前後を2人で担いで運ぶ昔の運搬具のことだ。あたしの苦しい説明で分からなかった人は、こちらのイラストを見てもらえば一発で分かると思う。

で、もっこを担いできた2人の若者に、神様は「あそこの土を持っていけ」と言って、富士山の斜面が一箇所だけずんぐりと盛り上がっている部分を指さした。若宮と剣の宮は、神様にお礼を言い、そこの土を鍬(くわ)で浚ってもっこに積んだ。もちろん、一度では運べないので、何日も何日も往復し、富士山の土を運び続けた。ようやく運び終えた時には、ずんぐりと盛り上がっていた場所は平らになり、富士山の姿はさらに美しくなった。土が削られた場所には鍬の跡が残ったが、それが宝永山になった。2人が土を運んでいる途中で、もっこから小さな土の塊が2つこぼれ、それが箱根の双子山(二子山)になった。

一方、大男と見目は、2人が運んできた土を海へ投げ込み、伊豆大島の火山の火を借りて国焼きを続けていた。一昼夜でできた小さな島は、最初の島なので「初島」と名づけた。次に、神々が集まって国焼きの相談をした島を「神集島(こうずじま)」と名づけた。これが後の「神津島」だ。そして、若宮、剣の宮、見目、3人の自宅を建てた島を「三宅島」と名づけ、御蔵(みくら)を建てた島を「御蔵島」と名づけた。

遠い沖に焼き出した島を「沖ノ島」と名づけ、これが今の「八丈島」になった。それから、余った土で造った小さな島を「小島」と名づけ、大男の鼻の形に似せて造った島を「王鼻島(おうごじま)」と名づけた。これが今の「大野原島」だ。翁の考えで塩を焼いて造った島は、新しいので「新島(にいじま)」と名づけた。そして、最後の10番目に焼き出した島を「十島(としま)」と名づけ、これが今の「利島(としま)」になった。こうして、大男たちの国焼きは終わった。若宮、剣の宮、見目の3人は、後に伊豆の白浜に祀られた「三島明神」となり、三島大社と区別するために、今では「白浜明神」と呼ばれている。


‥‥そんなワケで、これが、伊豆に伝わる『伊豆の国焼き』っていう神話なんだけど、作り話とは言え、注目すべきポイントが2つある。1つは、若宮と剣の宮が土を浚った跡が宝永山になった‥‥っていうクダリだ。富士山最大の側火山である宝永山は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生したから「宝永山」と名づけられた。つまり、この歴史的事実と照らし合わせると、この神話は、わずか300年ほど前の出来事になっちゃうワケで、そうなると、伊豆や伊豆の島々では、すでに多くの人々が生活してたワケで、ツジツマが合わなくなっちゃう。

だけど、もう1つの注目すべきポイント、2人の担いだもっこからこぼれ落ちた土の塊が箱根の双子山(二子山)になった‥‥っていうクダリを歴史的事実と照らし合わせると、もっと大変なことになっちゃう。何故かと言えば、二子山を始めとした箱根の山々が誕生したのは、今から4万年くらい前のことだからだ。最初に書いたように、今の富士山ができたのは今から1万年くらい前なんだから、4万年くらい前には今の富士山は存在してない。4万年くらい前にあったのは、10万年くらい前にできた古富士火山だ。

つまり、2人の担いだもっこからこぼれ落ちた土の塊が箱根の双子山(二子山)になった‥‥っていうクダリに沿って『伊豆の国焼き』を検証すると、神様が立ってたのは古富士火山だったワケで、そうなると、さすがに大男も「なんと美しい山だ!ぜひこの地で暮らしたい」なんて思わなかっただろう。だって、古富士火山て、高さこそ3000メートルくらいはあったけど、姿かたちは今の富士山とは似ても似つかない、ギザギザでブカッコーな山だったからだ。

このギザギザでブカッコーな古富士火山の山頂から新たな噴火が始まり、新たな溶岩や火山灰によって今の富士山の原型ができたのが1万年くらい前のことなんだから、『伊豆の国焼き』は、これより後じゃないとツジツマが合わなくなる。ま、今の富士山がいつできたのかとか、箱根の二子山がいつできたのかとか、そんなことが科学的に解明される遥か昔に『伊豆の国焼き』っていう神話が作られて、人から人へと口頭で伝えられてきた‥‥って思えば、こんな検証は無意味になる。

だいたいからして、実際に山が誕生した時期がどーのこーのと言うのなら‥‥って、どーのこーの言ったのはあたしなんだけど、ま、それは置いといて、もっと根本的なこととして、身長が何百メートルもある神様だの、海底を引っ張り上げて火山になっただの、噴火を吹き消したら山脈ができただの、320歳の翁だの、最初から最後までツッコミどころのカーニバルだ。これらの点をすべてスルーしておきながら、富士山が誕生した時期にツッコミを入れるのは「木を見て森を見ず」だ。ちょっと違うか?(笑)


‥‥そんなワケで、日本各地には、こうした「国造り」の神話がたくさん残されてる。まだ電気もなかった時代に、その土地で暮らす人たちの中から神話が生まれ、お年寄りから若者へ、親から子へと、何代も何代も語り継がれてきたのだ。土地土地に残る神話の数々は、昔の人たちからの贈り物であり、さらなる未来へと伝えていくべき日本の貴重な文化だ。だけど、あたしたちが実際にやってることと言えば、日本各地に原発を林立させ、大事故を起こし、ご先祖様たちから受け継いできた大切な故郷を放射能で汚染し、未来の人たちには神話の代わりに大量の使用済み核燃料を押し付けるという、まるで正反対のデタラメだ。こんなことばかりしていたら、心の広い富士山の神様だって終いには堪忍袋の緒が切れて、宝永大噴火を超える平成大噴火を起こしちゃうかもしれないと思う今日この頃なのだ。


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