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2012.09.30

温泉どうでしょう 第三夜(前編)

「第一夜」と「第二夜」で、母さんとあたしは、別府の名物「だんご汁」を食べ、別府の名湯「竹瓦温泉」の「砂湯」に入り、別府の名産「豊後アジ」を食べ、別府の名勝「地獄めぐり」を観光してきたワケだけど、ここまでの流れで、まだ登場してない「別府の名物」は何かと言えば、それは、美しい「海」そのものだった‥‥ってなワケで、「第三夜」の今回は、別府の「海」をタンノーするプランを立ててみた。

とは言っても、あたしも別府にきたのは初めてだから、「プラン」なんて呼べるほど立派なものじゃない。母さんのベッドに並んで寝転がって、ホテルでもらった観光地図と駅でもらってきたパンフをひろげて、「この辺はどう?」「こっちのほうが良さそうよ」なんて言いながら2人でテキトーに決めたのは、「とりあえず、海に面した『北浜温泉テルマス』ってとこに行ってみて、あとは海沿いを南下する路線バスがあるみたいだから、それに乗って『うみたまご』っていう水族館に行ってみようか?」っていう、激しくフランク・ザッパなものだった。

あたし的には、「母さんに砂湯を体験してもらって長生きしてもらいたい」と「母さんを地獄めぐりに連れてってあげたい」っていう二大目的をすでに達成してたから、あとは、母さんが「行ってみたい」っていう場所へ連れてってあげようと思ってた。でも、今、こうして文章に書いてて、ふと気づいたんだけど、「母さんに長生きしてもらいたい」と言いながら「母さんを地獄に連れてってあげたい」って、ある意味、ものすごく矛盾してるじゃん!‥‥って思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)


‥‥そんなワケで、あたしは、一、「あんまり長距離を歩いて母さんを疲れさせないこと」、二、「混雑しすぎてる場所やお店は避けること」、三、「複数の選択肢がある場合は必ず母さんに選んでもらうこと」っていう三箇条だけはキモに命じてたけど、あとは「何でもアリ」のお気楽旅行だったから、この雑すぎるプランの通り、「第三夜」をスタートさせた。

この日は、焼き立てのパンと挽き立てのコーヒーで大満足の朝食をすませてから、少しお部屋でのんびりして、10時すぎにホテルを出発した。海沿いにある温泉施設「北浜温泉テルマス」までは、「竹瓦温泉」と同様にホテルから歩いていけない距離でもないんだけど、歩くと20分くらいかかるビミョ~な距離なので、ここは迷わずにバスを使った。そしたら、アッと言う間に到着した。


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「テルマス」ってのは、漫画「テルマエ・ロマエ」でもオナジミの、ラテン語の「浴場」って意味の言葉だ。別府市内に古くからある市営温泉が100円から200円なのに対して、12年ほど前に造られた大型温泉施設「北浜温泉テルマス」は、最新の蒸し湯やミストサウナ、露天風呂や打たせ湯など、いろんな温泉が楽しめるそうで、おんなじ市営温泉なのに500円もする。

都会で銭湯に入るのと大して変わらない料金で、本物の温泉をいろいろと楽しめるんだから、普通に考えたらすごく安い。ただ、「ほとんどの温泉が100円か200円」ていう別府において、この500円は、「1皿100円の回転寿司屋で注文する1皿500円の金色の絵皿」みたいな感じの「中途半端な高い感」がある‥‥なんてゴタクを並べてるとまたまた長くなっちゃうのでサクサクと進むけど、別府の市営温泉界の金色の絵皿、「北浜温泉テルマス」に入ろうとしたら、母さんが「温泉はあとにしない?」って言い出した。

実は、ホテルを出る前にも言ってたんだけど、前日の夜、母さんは温泉に3回も入ってて、ちょっと湯疲れしてたのだ。「地獄めぐり」から帰ってきてから、母さんとあたしはお腹がペコペコだったので天ぷらそばを食べにいって、そのついでに「駅前高等温泉」に入りにいったのに、母さんてば、ホテルに戻ってからも、夜になってからホテルの大浴場に2回も入りにいっちゃったのだ。1回はあたしも一緒に入ったんだけど、さすがに2回目は入らなかった。


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で、朝になり、計画通りに「北浜温泉テルマス」の前まで来たものの、ここはいろんな温泉がある上に、200円でレンタル水着を借りて海を眺められる露天風呂に入るのがメインイベントだったから、湯疲れしちゃった母さんにはちょっとヘビーな内容だった。これが「水曜どうでしょう」なら、母さんにサイコロを振らせて、どうするか決めるとこなんだけど、そんなことしたら「親孝行」じゃなくなっちゃう。

そこで、「じゃあ、少しお散歩しようか?」ってことで、とりあえず、「北浜温泉テルマス」の脇の海岸に下りてみた。海岸の波打際には、いろんなゴミが打ち寄せられてて、お世辞にも「きれいな海岸」とは言えない状態だったけど、写メくらいはきれいに撮ろうと思い、何とかゴミが写らないアングルで撮影して見みた。


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この日は、雨が降りそうな重たい感じの曇りじゃなかったけど、お日さまがボンヤリする程度の軽い曇りで、空も海もそんなに青くは見えなかった。だけど、曇ってたお陰で、日焼けの心配が少なくなった上に、涼しい海風がとっても気持ち良かった。


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海岸の先に見えるのが、お猿さんでオナジミの高崎山だ。この写真だと、今にも雨が降り出しそうな空の色に見えるけど、これはあたしの古いケータイのカメラのせいで、実際は、薄い雲の隙間から薄いブルーの空が筋になって覗いてた。


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この海外沿いは「的ヶ浜公園」ていう公園になってたので、ここをお散歩してみることにした。


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公園の入り口の左手には、巨大な「生八つ橋」を丸めたみたいなアートなオブジェがあった。


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他にも、女神の像があったり、


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おちんちんを丸出しにした小便小僧みたいな子どもの像があったり、


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逆光でシルエットしか写ってないけど、「かるめん」ていうタイトルの踊り子の像があったりして、別府が温泉だけじゃなくて、芸術にも力を入れてる街だってことがよく分かる公園だった。


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海を見たり芸術を見たりしつつ歩いてくと、誰かがエサでもやってるのか、「ハト地獄」に遭遇した。昨日の「山地獄」には、野田首相と小泉元首相と森元首相と菅元首相がいたけど、鳩山元首相はこっちの公園にいたってワケだ。


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海岸に沿ったコンクリートの段に腰を下ろして、ペットボトルのお茶を飲みながら潮風を感じてるうちに、海の水を触ってみたくなったので、母さんを残して波打際まで行ってみたら、その様子を母さんに写メされてた(笑)


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公園の奥には、立派な万葉の歌碑があった。


 豊後国の白水郎の歌(万葉集巻十六)

 くれなゐに染めてしころも雨降りて匂ひはすともうつろはめやも


「豊後国」は「ぶんごのくに」じゃなくて「とよくにのみちのしり」って読む。あと、これは「白水郎」って名前の人が詠んだ歌じゃなくて、誰が詠んだか分からない「詠み人しらず」の歌だ。「白水郎」ってのは、この歌碑にも読み仮名が振ってあるのが薄っすらと見えると思うけど、「あま」って読む。

今では、海に潜ってサザエやアワビを採る女性のことを「海女(あま)」って呼ぶけど、かつては性別も漁法も関係なく、海で漁をして暮らしている人たちのことを「あま」と総称してた。つまり、この歌は、「豊後の国の漁師さんが詠んだ歌」ってことで、それが誰なのかまでは分からないってことだ。

万葉の時代、「あま」っていう言葉は、東日本でも西日本でも主に「海人」「海部」って表記してたんだけど、ここ、九州では、主に「白水郎」って表記してた。これは、中国の「白水」って場所に水に潜るのが上手な人たちが多かったことから付けられた表記で、こうしたことからも、九州の人たちが古くから中国と交流してたことがうかがえる。


しばらく歌碑を眺めていた母さんが、「万葉集には、柿本人麻呂の『くれなゐにころも染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき』のように、紅花で染めた衣を詠んだ句が多いけど、これらの歌の多くは『淡い恋心』じゃなくて『深い愛情』を詠っているのよね」って教えてくれた。

この歌碑の歌は、直訳すれば「紅に染めた衣は、雨に濡れて色が映えることはあっても、決して色褪せることはありません」て意味だけど、この衣を染めた「紅花」が「愛する人」ってワケだ。つまり、「あなたの色に染められてしまった私の心は、雨(障害)が降れば降るほど燃え上がるのです」的な?(笑)

ちなみに、大分県佐伯市の佐伯湾に浮かぶ大入島(おおにゅうじま)の北端に「万葉歌碑の岩」ってのがあって、この歌碑の歌が真っ赤な文字で刻まれてる。あたしは写真でしか見たことがないけど、いつか母さんと見にいけたらなって思ってる。


‥‥そんなワケで、歌碑の前でしばらく時空を超えた母さんとあたしは、また現実世界に戻ってお散歩を続けた。公園からも見えてたけど、公園から大通りに出ると、目の前の「別府タワー」が、より大きく見えた。


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別府における「別府タワー」は、たぶん、東京における「東京タワー」とおんなじで、地元の人はほとんど上ったりしないんだと思う。だけど、母さんとあたしは観光客だから、ここは「とりあえず上っておこう」ってことで、レトロな券売機で200円の展望券を買ってエレベーターに乗った。


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塔の外観は古くてあちこちが傷んでる感じなのに、エレベーターだけはそこそこ新しくて、わずか100メートルの高さの展望台には、アッと言う間に到着しちゃった。エレベーターの扉が開くと、目の前に、「受付」兼「売店」兼「食堂」兼「案内」的なおばさんがいたので、券売機で買った展望券を渡した。


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展望台の内側の壁には、この別府タワーが建てられた当時のモノクロ写真とかが展示してあって、こういう観光施設にありがちな記念のお土産が目白押しで、ある意味、期待を裏切らない世界が広がってた。特に、赤と白のチェックのビニールのテーブルクロスには、「今どき」感を超越したノスタルジーが満載で、あたしは、子どものころにいった江の島とかの海の家を思い出した。


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別府タワーの展望台は、ゆっくり歩いても30秒、走れば5秒で一周できるほど狭くて、何よりもビビッたのが、あちこちの窓ガラスにヒビが入ってたことだった。さすがに、完全に割れて穴が開いてる窓ガラスは無かったけど、映画「わらの犬」のダスティン・ホフマンの眼鏡をホーフツとさせるような窓ガラスの数々に、あたしは、「絶対にこれは、予算が無いんじゃなくて、レトロ感を演出するために、わざと直さないでいるに違いない!」と確信したほどだ(笑)


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それでも、高さ100メートルの展望台から眺める景色は素晴らしくて、海の向こうには四国がぼんやりと見えた。でも、残念ながら、さっきの「的ヶ浜公園」での「かるめん」の像とおんなじで、逆光になっちゃってケータイのカメラじゃ写らなかった。


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今、お散歩してきた「的ヶ浜公園」は、こんもりした小さな森みたいに見えた。


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これが、別府タワーのマスコット、「別府三太郎」だ。こういうマスコットって、ふつうは可愛い子どもか動物なのに、これは「おっさん」だ。それも、エレベーターやポスターに描かれてる絵を見ると、大半は酔っばらってフラフラになってる。展望台にあった等身大のパネルなんて、酔っぱらって横に寝てた。この辺の感覚も、ある意味、レトロなんだと思った。

この「三太郎」って名前は、この別府タワーを設計した建築構造学者の「塔博士」こと内藤多仲(たちゅう)博士が建てた「3番目の塔」だから「三太郎」だそうだ。ちなみに、内藤博士が建てたのは、「名古屋テレビ塔(1954年)」「2代目の通天閣(1956年)」「別府タワー(1956年)」「さっぽろテレビ塔(1957年)」「東京タワー(1958年)」「博多ポートタワー(1963年)」で、この6つが「内藤博士のタワー六兄弟」って呼ばれてるそうだ。内藤博士は、他にもいろいろな有名な建築の構造を手掛けてて、今は無くなっちゃったけど、東京の千住にあった「おばけ煙突」で有名だった「千住火力発電所」も内藤博士の手によるものだ。


‥‥そんなワケで、母さんは、この別府タワーでも、「第一夜」で別府の街を散策した時のように、「懐かしいわ」って言葉を繰り返してた。初めてきたのに懐かしさを感じるってことは、この別府って街に、日本人の原風景があるのかもしれない‥‥なんてことも思いながら、別府タワーを下りた母さんとあたしは、次なる目的地へと向かうために、目の前のバス停で「大分駅行き」のバスを待った今日この頃なのだ♪


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2012.09.29

温泉どうでしょう 第二夜(後編)

「第一夜」の後編では美味しいものを食べ、「第二夜」の前編では温泉をタンノーし、このまま「美味しいもの」「温泉」「美味しいもの」「温泉」‥‥って続いてったら、何の芸もない芸能人のブログみたいになっちゃうことウケアイだ。だけど、そこはまだブログなんてものが存在しなかった時代からWEB日記を書き続けてきたあたしってワケで、今回の「第二夜」の後編は、ちょっと毛色を変えて、別府の温泉のルーツを探る旅、「地獄めぐり」に出発だ!

8つの地獄をめぐる「地獄めぐり」は、別府の観光の目玉みたいなものだから、今回の旅行では、どうしても母さんを連れてってあげたい場所のひとつだった。もちろん、あたしも見てみたかったけど、今回の旅行は、あくまでも「親孝行」が目的だから、何よりも重要なのは「母さんが楽しんでくれること」であって、楽しんでる母さんの顔を見ることがあたしの楽しみってワケだ。

だから、別府にきた観光客が一度は体験する「地獄めぐり」を、あたしはどうしても母さんに体験させてあげたいと思ってた。ただ、別府駅からはちょっと場所が遠いのと、8つの地獄のうち6つは1ヶ所に集中してるんだけど、残り2つは少し離れた場所にある。そのため、最初は「安いレンタカーでも借りて回ろうかな?」って思ってたんだけど、ネットで調べたら、別府駅前から「地獄めぐり」の観光バスが出てることが分かった。

熊八おじさんが創業した「亀の井バス」が行なってる「地獄めぐり」は、1日に3便、別府駅前の出発時間は、8時45分、11時45分、14時40分だった。だいたい2時間半ほどの行程で、大人は1人3600円。ちょっと高く感じるかもしれないけど、これには「地獄めぐり」の入場料2000円も含まれてるので、実質1600円ほどで、すべての移動だけじゃなくてガイドさんの案内までついてるのだ。別府の温泉をとことん楽しむ「温泉どうでしょう」としては、これはまさに「渡りに舟」だと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、朝イチで「竹瓦温泉」の「砂湯」で海ガメの産卵を炸裂させて大笑いした母さんとあたしは、のんびりと歩いてホテルまで戻ってきて、軽く朝ごはんを食べてからベッドに横になり、お部屋のテレビで大分県のローカルな朝ワイドを観て体を休めた。「地獄めぐり」の観光バスは、電話で確認してみると、別府駅の構内の観光案内所でチケットが買えるそうで、この日は平日で空いてるので、予約しなくても出発時間の10分くらい前に行けば乗れるとのこと。そこで、あたしは、11時45分の便に乗ることにした。

11時半にホテルを出て、駅の観光案内所で2人ぶんのチケットを買い、指定のバス停に向かうと、路線バスとは明らかにグレードの違うカッコイイ観光バスが停まってて、「地獄めぐり」って書いてあった。バスのボディーにも大きな「地獄めぐり」の絵と文字がラッピングしてあったから、これは「地獄めぐり」の専用バスってワケだ。

乗車口に近づいてくと、美人のバスガイドさんが降りてきて、「45分になったら出発しますので、お好きな席でお待ちください」って言って、鬼の絵が描いてある縦長のチケットの下の部分をちぎって返してくれた。「こちらの半券がそれぞれの地獄に入る時のチケットになりますので、なくさないようにお願いします」とのことだった。あまりにもサラッと言ったので、あたしもサラッと聞き流しちゃったけど、あとから反芻してみたら、「地獄に入る時のチケット」って、ナニゲに恐ろしい(笑)

バスに乗り込むと、電話で聞いた通り、平日なので十数人ほどのお客さんしかいなくて、座席はガラガラだった。母さんとあたしが真ん中くらいの席に座ると、5分もしないうちに出発の時間になり、バスは静かに動き出した。一度、海沿いの道に下りてから、今度は山に向かって上ってく。美人のガイドさんは、油屋熊八がこの亀の井バスの創業者だってことや、日本で初めて女性のバスガイドさんを採用したことなどを説明してから、当時、昭和の初めころには、女性のガイドさんが「七五調」で案内をしてたことを紹介して、実際に一節、披露してくれた。


「ここは名高き流川~~~情けも厚き湯の街の~~~メインストリートの繁華街~~~夜は不夜城でございます~~~」


当時のバスにはマイクが無かったので、後ろの席のお客さんにもよく聞こえるようにと考えられたものらしい。YOU TUBEに当時の音源があったので、興味のある人は聴いてみてほしい。

【別府の地獄めぐり/少女車掌の七五調案内】
http://www.youtube.com/watch?v=NslAcEnfKiM


‥‥そんなワケで、バスがくねくねと山道を上ってくと、カーブするたびに、雲を乗せた由布岳が見えたり、眼下に広がる別府湾が見えたりして、素晴らしい景色の連続だった。でも、その素晴らしい景色を写メしようとしても、シャッターを押して一拍してから写るあたしのケータイには、電柱や民家しか写らなかった(笑)

バスは30分ほどで、一遍上人が拓いたと言われてる鉄輪(かんなわ)温泉がある鉄輪地区に到着した。ここに、8つの地獄のうちの6つがあるので、さっそく紹介していこう。


【海地獄】


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「地獄めぐり」の最初の地獄は「海地獄」、ガイドさんのあとをみんなでゾロゾロと着いていき、入口でチケットの半券を見せて中に入ると、最初に目に飛び込んできたのが、右手に広がる美しい蓮(はす)の池だった。


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普通の蓮の先には、子どもが乗ったりすることでもオナジミの「オオオニバス」も群生してて、今の時期はまだ小ぶりだったけど、キレイなお花が咲いてた。池の傍には、子どもが乗ってる写真がたくさん飾られてた。


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売店がある通路をくぐって先へ出ると、いよいよ「海地獄」だ。


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とても自然の色とは思えない、まるでクールバスクリンか何かを入れたみたいに美しい水色の池から、まるでドライアイスの塊を投げ込んだみたいに真っ白な湯気がモクモクと立ち上ってて、とっても幻想的だった。この水色は硫酸鉄によるもので、1200年前の鶴見岳の爆発で誕生した温泉だそうだ。


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竹竿の先に吊るしたカゴが沈めてあるのは、お約束の温泉たまごだった。見た目は涼しげに見える水色だけど、茹でたまごができるくらいだから、湯温は98度もあって、中に落っこちたらシャレにならない。


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ガイドさんの案内を聞きながら「海地獄」を一周したんだけど、地獄の大きさは思ったよりも小さかった。この「海地獄」は、敷地全体が東京の住宅街にある小さめの公園ほどの大きさだったので、サクサクと見学すれば5分ほどで回れる広さだった。


【鬼石坊主地獄】

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「海地獄」を出て、右手の石段を上ってくと、2つめの「鬼石坊主地獄」だ。ここは、セメントみたいな色で粘度のあるドロドロした池に温泉が湧いてるので、ボコッ‥‥ボコッ‥‥と噴き出す水面が半球状にふくらんで、それが「坊主の頭」みたいに見えることから名づけられたそうだ。シッカリとした金属の手すりに囲まれた小さな池がいくつもあって、どこも、ボコッ‥‥ボコッ‥‥って湧いてた。


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ここも、そんなに熱そうには見えないけど、湯温は99度もある。泥状だから、もしも飛び散って体に掛かったら、普通のお湯よりも絶対に熱いと思った。この泥を冷まして適温にしてから顔に塗れば、きっとバツグンの美顔効果があると思った。母さんは、このボコッ‥‥ボコッ‥‥が気に入ったみたいで、あちこちの池を真剣に観察してた。


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ここには、「鬼の高鼾(たかいびき)」と名づけられた、岩の間から100度もある蒸気が噴き出してるとこもあって、この真下にマグマがあるのかと思ったら、ちょっと怖くなった。


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【山地獄】

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最初の「海地獄」と2つめの「鬼石坊主地獄」は隣り同士だったけど、3つめの「山地獄」は、駐車場の反対側が入口だった。それでも、歩いて30秒ほどなので、ほとんど距離はない。ここは、お湯が湧いて池になってる他の地獄とは違って、山肌の岩と岩の間から湯気が噴き出してる地獄で、さっきの「鬼の高鼾」を巨大化したみたいな感じだった。でも、この「山地獄」の売り物は、地獄よりも、地獄の暖かさを利用して飼育されてる数々の動物が見られる「ミニ動物園」だった。


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野田首相にソックリなカバさんがいたり、


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小泉元首相にソックリなマントヒヒさんがいたり、


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森元首相にソックリなゾウさんがいたり、


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他にも、フラミンゴ、コクチョウ、クジャク、ニホンザル、ラマなんかがいて、「ミニ動物園」はなかなかの顔ぶれだった。ラマは菅元首相にソックリだったから写メを撮りたかったんだけど、ガイドさんが「このラマは機嫌が悪いと前を通る人にツバを吐きかけるので気をつけてくださいね」って言うので、あたしは恐くて近づけなかった。

あと、クジャクは子どもが生まれたばかりで、お母さんにくっついて歩いてる子どもにも、頭の上にバカ殿のチョンマゲみたいな小さな飾りの毛が立ってて、ものすごく可愛かった。これは、写メを撮ったんだけど、距離が遠くてどこに子どもがいるのか分からないので、残念ながら紹介できない。


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ひと通り動物たちを見て、熱帯の植物が並ぶ通路を抜けると出口だった。ここはメインが「ミニ動物園」なので、「山地獄」というよりは「動物地獄」って感じだったけど、あたし的には「猫地獄」だった。


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この「地獄めぐり」は少し標高の高いとこにあるので、別府の街よりも気温が低いんだけど、温泉の効果で地面が暖かいから、近所の猫たちが集まってきて岩盤浴を楽しんでたのだ。


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【かまど地獄】

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続いての「かまど地獄」は、竃門八幡宮(かまどはちまんぐう)の大祭で、ここの噴気を使って炊いたごはんを神前に供える習わしがあるため、この名がつけられた地獄だ。ここが一番、内容がてんこ盛りで、敷地も広いし、いろんな体験ができた。


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ここにはたくさんの池があって、お湯のいろもそれぞれ違うので、「地獄の一丁目」から「地獄の六丁目」までの立札が立てられてて、順番に回れるようになってた。最初の「地獄の一丁目」は、ガイドさん曰く「血の池地獄よりも赤いです」とのこと。あたしのケータイの写メじゃ分かりにくいけど、実際に見ると、レンガみたいな朱色をしてた。


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この写真は「地獄の三丁目」だけど、最初の「海地獄」みたいな水色だった。


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順路の左手には、「飲める温泉」があった。そのままだと熱すぎるので、やかんに用意されてる「冷やしてある温泉水」を混ぜて適温にしてから飲むんだけど、ほんのりと塩味がして意外と美味しかった。


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「飲める温泉」の隣りには「ラベンダーの香り」を嗅ぐことができる温泉があって、その隣りには「のど・肌の湯」があった。壁の穴から勢いよく湯気が出てて、それを口で吸ったり、お肌に当てたりする。あたしは躊躇なく、湯気の中に顔をつっこんだ。


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「飲める温泉」の少し先には左右に小屋があって、右手のほうは「足湯」になってた。ここには、普通の「足湯」の他に、小石が敷き詰めてある「足の裏のツボに効く足湯」と、砂の中に足を埋める「砂蒸し足湯」があったんだけど、まだ8つの地獄のうちの4つめなので、時間の限られたバスツアーでは、残念ながら、ここで「足湯」に浸かってる時間はなかった。


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「足湯」の先の左手にある「地獄の四丁目」は、ドロドロした感じの池だったんだけど、ここで、ガイドさんの紹介で、オレンジ色のTシャツに短パンのファンキーなおじさんが登場した。たしか「本田さん」というおじさんで(間違ってたらごめんなさい)、ここで面白い実験を見せてくれるという。おじさんは、おもむろにタバコに火をつけて、池の柵の間から水面に向かってタバコの煙を勢いよく吹いた。すると、池の水面から白い煙が立ち上った。


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これは、タバコの煙の粒子を核として、そこに温泉の水蒸気がくっついて目に見える状態になるもので、「化学的変化」じゃなくて「物理的変化」だそうだ。そんな難しいこと言われてもあたしには分かんないけど、簡単に言うと、空の雲ができる原理とおんなじだそうだ。


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おじさんは、大きな池でモクモクと白煙が上がってる場所でも実験を見せてくれた。この写真の湯気は、先のほうが薄い色で、下のほうが真っ白だけど、最初はぜんぶが薄い色だった。おじさんがタバコの煙を吹きつけたら、真っ白に変化したのだ。


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おじさんのTシャツの背中には、「地獄の案内人」の文字が!


【鬼山地獄】

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「かまど地獄」を出て、道路を渡ったとこにあるのが「鬼山地獄」、別名「ワニ地獄」と呼ばれてて、温泉の暖かさを利用して100匹を超えるワニが飼育されてる。


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門番の赤鬼に登ろうとする人がいるのか、


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こんな立札が立てられてた。


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順路の右も左もぜんぶワニの檻で、中にいるは当然のことながらぜんぶワニ。シャムワニ、イリエワニ、メガネカイマンの3種類のワニがいるそうだけど、あたしには区別がつかなかった。


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とにかく、どのワニもまったく動かず、まるで剥製かリアルな模型みたいだった。他のワニのシッポにアゴを乗せてるワニも、あくびをしてるみたいに口を開けてるワニも、みんなそのままの形でフリーズしてて、まるでDIOが「ザ・ワールド」で時間を止めたみたいになってた。母さんは、「このワニたち、ホントに生きてんのかね?」って不思議がってた。


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ここでは、「毎日が地獄です」って書かれたTシャツとうちわをお土産に売ってた(笑)


【白池地獄】

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「鬼山地獄」を出て、坂を少し下った右手に、ここでのラスト、「白池(しらいけ)地獄」の入り口があった。


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ここでは、温泉の暖かさを利用して、ピラニアやピラルクなど、熱帯の淡水魚を飼育してた。


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「人食魚」だの「世界最大の淡水魚」だのという仰々しい看板のワリには、ずいぶんと小ぶりなピラニアやピラルクを見て、通路を抜けると「白池地獄」の登場だ。


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「白池地獄」は、最初の「海地獄」に負けず劣らずの美しさで、見た目も涼しげだったので、やっぱり100度近くもあるようには見えなかった。これで、前半の6地獄を見終わり、いったん駐車場に戻り、バスに乗って5分ほど移動して、残り2つの地獄へと向かった。


【血の池地獄】

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この「血の池地獄」が、言うなれば「地獄めぐり」の花形ってワケで、敷地も広いしキレイに整備されてた。だけど、池の色は、ガイドさんが言ってた通り、それほど赤くはなかった。昔はもっと真っ赤だったそうだけど、年々色が薄くなってきたそうだ。何よりも意外だったのは、涼しげに見えた「海地獄」や「白池地獄」が100度近かったのに対して、一番熱そうに見える、この「血の池地獄」が、8つの地獄の中でもっとも低温で、78度しかないってことだった。


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今までの地獄は、ガイドさんが案内してくれたけど、ここでは売店のおばさんが名調子で説明してくれた。


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この売店では、「血の池地獄」の泥から作ったキズ薬を売ってて、壁には効能が書いてあった。それにしても、「田虫」「水虫」「しらくも」「がんがさ」‥‥って、なかなかヘビーな顔ぶれだ(笑)


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売店の左手の階段の横には、最初に爆発して温泉が噴き出した位置が示してあった。


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池に沿って少し戻ると、高濱虚子(きょし)の立派な句碑があった。


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 自ら早紅葉したる池畔かな  虚子


念のために書いとくと、これは「おのずから さもみじしたる ちはんかな」って読むんだけど、う~ん、天下の虚子にこんなこと言っちゃ悪いけど、酷い句だね、これ。虚子が「血の池地獄」を訪れた大正時代には、池の色は今よりも遥かに赤かったとは思うけど、それにしても、「池が赤いせいで、池の周りの植物たちが、ひと足早く紅葉になった」って、あまりにもヘッポコな主観と擬人化だよな。弟子たちには「客観写生を勉強しろ」と言いながら、自分はこんな酷い句を詠んでたなんて、ちょっとガッカリ。

で、天下の虚子にイチャモンをつけてから正面に回ると、母さんが「足湯」を発見!ここでは、しばらく自由時間があったので、母さんとあたしは、さっそく靴を脱いで「足湯」に足を入れてみた。


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少し歩いたあとだったので、「足湯」はとっても気持ちが良かった。ちなみに、この「足湯」の前には、こんな看板が立ってた。「血の池地獄」だけに「出血大サービス」だって(笑)


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「足湯」から「血の池地獄」の全景が見えた。


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「足湯」の先にはドリンクの自販機が2台ならんでたんだけど、トラのパンツを穿いた赤鬼と青鬼のカラーリングになってて、観光地なのに良心的で、基本的には定価で、サービス品は100円になってた。


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でも、併設された大きなお土産屋さんは、ちっちゃなリラックマが赤鬼のお面をつけただけで840円というワイルドな値段だった(笑)


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【龍巻地獄】

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集合時間に出口にいくと、ガイドさんが待っててくれて、全員そろったとこで、ちょっと先にある最後の「龍巻地獄」へと向かった。ここは「間欠泉」で、30分から40分に1回、約7分ほど噴き出す。そのため、ガイドさんは担当者に電話して「次の噴き出す時間」を聞き、それに合わせて「血の池地獄」での自由時間を設定してくれる。

あたしたちが中へ入ると、「龍巻地獄」を取り巻くように作られた階段状の客席は8割方が埋まってて、あたしたちは奥の石段のほうへ行って腰かけた。


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すると、5分もしないで温泉が噴き出して、客席のあちこちから「おおっ!」とか「ああっ!」とかの歓声が上がって、みんないっせいにカメラやケータイで撮影を始めた。


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ガイドさんの説明によると、この「龍巻地獄」も、「血の池地獄」の色とおんなじで、昔はもの凄い勢いで高く噴き上がってたんだけど、年々パワーが衰えてきたらしい。今は安全のために屋根を作って、最初から高く噴き上がらないようにしてるんだけど、それでも、かつてのパワーは無くなったそうだ。


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‥‥そんなワケで、「地獄めぐり」をタップリとタンノーした母さんとあたしは、帰りのバスからの景色も楽しみつつ、時間通りの午後3時前に、別府駅前に戻ってきた。母さんは、行く先々でメモ帳をひらいて何か書きこんでたので、ずいぶんたくさんの短歌が詠めたみたいだった。「亀の井バス」の「地獄めぐり」はホントに素晴らしいので、機会があれば、ぜひ一度は体験してみてほしい‥‥ってなワケで、母さんとあたしは、お昼ごはんを食べてなかったので、しばらくホテルで休憩してから、ちょっと早めの晩ごはんに出かけた。そして、また別の温泉にも入ったんだけど、とてもそこまでは書ききれないので、これにて「第二夜」は閉幕~って感じの今日この頃なのだ♪


次回の「第三夜」は、今回以上に内容が盛りだくさんです♪こうご期待!


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2012.09.27

温泉どうでしょう 第二夜(前編)

前回までの「第一夜」は、別府に到着した日の半日の出来事、それも「街の散策」なんていうプロローグ的な内容だったから、今回の「第二夜」からが、ホントの意味での「温泉どうでしょう」のスタートってことになる。で、まずは別府の温泉のことをザックリと説明しとくと、別府には「別府八湯」って呼ばれてる8つの温泉がある。駅前の「手湯」のとこにも、この「別府八湯」の小さな幕が飾ってあるけど、「別府温泉」「鉄輪(かんなわ)温泉」「明礬(みょうばん)温泉」「柴石(しばせき)温泉」「亀川温泉」「浜脇温泉」「堀田温泉」「観海寺(かんかいじ)温泉」が「別府八湯」だ。

だから、温泉マニアの人たちは、湯疲れにも負けず、湯あたりにも負けず、原発再稼働にも負けず、消費税増税にも負けず、オスプレイ配備にも負けず、安倍晋三の再選デキレースにも負けず、スタンプ帳を持って「別府八湯」をまわったりするんだけど、あたしには無理だし、ましてや母さんにそんなことはさせられない。だいたいからして、疲れを取るのが温泉のレーゾンデートルなのに、その温泉で疲れちゃったら本末転倒だ。だから、あたしは、この別府駅の近くで、「ここぞ!」と思った温泉にピンポイントで入ろうと思ってた。

それが、「第一夜」で下見をした「竹瓦(たけがわら)温泉」だ。「竹瓦温泉」は、別府駅から歩いていける距離なので、「別府八湯」で言えば最初の「別府温泉」になり、「駅前高等温泉」ともおんなじグループになる。だから、少しでも多くの種類の温泉に入りたい人は、少し離れた場所にある他の温泉にいったほうがいい。

だけど、あたしの場合は、どうしても「竹瓦温泉」に入りたい理由があった。それは、「竹瓦温泉」には、お湯じゃなくて砂に埋まって体を温める「砂湯」があるからだ。「砂風呂」と言えば、「水曜どうでしょう」の5回目の「サイコロの旅」で大泉洋とミスターが入り、「西日本横断ブログ旅」で早希ちゃんが入った鹿児島県の指宿(いぶすき)が有名だけど、ここ、別府でも、海岸の砂が温泉で温かくなってる場所がたくさんあって、かつては海沿いにたくさんの「砂湯」があったそうだ。

今でも何ヶ所か残ってるんだけど、あたしは、海岸の砂浜に埋まる「砂湯」じゃなくて、この歴史ある建物の「竹瓦温泉」の「砂湯」に母さんを入れてあげたかったし、あたしも入ってみたかった。ただ、いろいろと情報を集めてみると、「竹瓦温泉」は人気がありすぎて、連日、多くのお客がくるため、遅い時間になるとお湯が汚れてきたりするそうなので、行くなら「平日の早い時間」ていうのが温泉マニアの間では常識になってた。そこで、「温泉どうでしょう」の「第二夜」は、朝から「竹瓦温泉」の「砂湯」に浸かりに‥‥じゃなくて、埋まりにいくことになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「第一夜」で「竹瓦温泉」に下見に行った時に営業時間を調べてきたんだけど、普通の温泉が朝6時半からで、「砂湯」が朝8時からだった。料金は、普通の温泉が100円で、「砂湯」が1000円だ。それも、普通の温泉はどんなに長く入ってても100円だけど、「砂湯」は10分間で1000円なのだ。これを聞いただけでも、「砂湯」の効能はすごい効き目がありそうな感じだし、母さんに体験してもらえば、きっと寿命が延びて長生きしてくれるハズだ。

で、朝の8時ちょっと前、母さんとあたしは、別府駅前のバス停にいた。「竹瓦温泉」まで、歩いてくと20分くらい掛かるんだけど、バスに乗ると140円でアッと言う間に到着する。100円の温泉に入るのに140円払ってバスに乗るのは考えものだけど、1000円の「砂湯」なら140円のバス賃くらい屁のカッパだ。この辺があたしの金銭感覚の変なとこなんだけど、とにかく、母さんとあたしは、バスに乗って、8時すぎに「竹瓦温泉」に到着した。


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中に入り、右手の受付のおばさんに、「おはようございます。砂湯に入りたいんですけど」って言うと、笑顔で「お2人ですね?」って言って、2人ぶんの2000円を払うと、浴衣を2着と小さな切符みたいな「砂かけ券」を渡してくれた。そして、「呼ばれるまでイスに掛けてお待ちください」って言われたんだけど、あまりにもレトロな待合所&休憩所が素敵すぎるので、母さんとあたしはウロウロと見学してた。

「竹瓦温泉」は、入口を入って右手の手前が男湯、右手の奥が女湯で、左手が「砂湯」になってた。真ん中の柱にはレトロな柱時計が掛かってて、左手の奥には小上がりがあって、畳の上で休憩できるようになってた。


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右手の男湯と女湯の間には、かつて温泉を掘った時の道具や写真などが展示されてて、実際の温泉としてだけじゃなく、博物館的な意味合いでも貴重な施設だってことが分かった。


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左手の「砂湯」は、右が「女湯」、左が「男湯」で、「駅前高等温泉」とおんなじに、半地下に下りたとこに造られてた。


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「砂湯」の入り口の前には、注意書きのパネルがあった。「お酒を飲んでる人」や「高血圧の人」、女性は「生理中の人」や「妊娠中の人」はNGだって書いてあった。この注意書きを見ただけでも「砂湯」の底知れぬパワーがヒシヒシと伝わってきて、母さんとあたしはその場に仁王立ちしたまま武者震いをした(嘘)


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注意書きの隣りには、「砂湯」の入り方の手順を書いたパネルもあった。


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‥‥そんなワケで、5分ほどすると、中から「砂かけおばさん」が声を掛けてくれたので、あたしは「子泣きじじい」はいないのかと辺りを見回してみたんだけど、ここは鳥取県の米子じゃないので、どこにも見当たらなかった。ワクワクしながら中へ入っていくと、脱衣所には大きめのコインロッカーがあって、何段か下りたとこに「あがり湯」の湯船があって、その横の壁にはシャワーがあった。「砂かけおばさん」が、「浴衣に着替えて、タオルと券だけ持って中に入ってください」って指示してくれたので、母さんとあたしは急いで着替えたんだけど、これ、浴衣じゃないじゃん!

受付でも「浴衣」って言われて渡されて、ここでも「浴衣」って言われたけど、たたんであった「浴衣」を広げてみたら、これはどう見ても「裾の長い甚平」だった。ま、そんなこたーどうでもいいんだけど、とにかく、中に入ってビックル一気飲みしちゃったのは、女湯と男湯が広い室内に並んでて、何の壁も柵もなかったのだ!

まあ、裸で入るワケじゃないので、大騒ぎするようなことでもないんだけど、のれんも「女湯」「男湯」って分かれてたし、脱衣所も別々だったので、てっきり中も分かれてると思ったら、ひとつの空間だったから驚いちゃった。ようするに、15メートル四方くらいの砂場が左右に2つ並んでて、向かって右が女湯、左が男湯ってワケで、2人の「砂かけおばさん」が、女湯と男湯の両方を受け持ってるってワケだ。


‥‥そんなワケで、女湯のほうには、2人ぶんの寝る場所が浅く掘ってあって、頭の位置に木のマクラが置いてあった。母さんとあたしは、タオルとコインロッカーの鍵を渡された小さなカゴに入れてから、指示通りに、その場所に仰向けに寝た。砂は濡れてて、すでに背中が温かい。この日は、あたしたちが「一番風呂」だったみたいで、2人の「砂かけおばさん」が、鍬(くわ)みたいなやつで足のほうからザクザクと砂を掛けてくれた。

さすがは、この道ウン十年のプロ、慣れた鍬さばきで砂を掛けてくれて、母さんとあたしはジョジョに奇妙に砂に埋まってく。最後に首の下の左右に砂を押し込んで、砂でマクラを作り、最初の木のマクラを抜き取った。濡れた砂は意外と堅くて、ちゃんとマクラの役目を果たしてる。首の後ろが温まって、すごく気持ちがいい。

だけど、生まれて初めて「砂湯」を体験した感想としては、ハッキリ言わせてもらうけど、何よりも一番に言いたいことは、「砂が重い!」ってことだ。たしかに、全身がポカポカと温まって気持ちがいいし、お湯の温泉とはまったく違う独特の感覚は絶対に体験したほうがいいと思うけど、あたしは、濡れた砂がこんなに重いとは思わなかった。足とかは、砂の重さがマッサージ効果にもなってて、すごく気持ちいいんだけど、問題なのはお腹と胸だ。正直、砂が重たくて息をするのも苦しいくらいだった。

首を横に向けられないから、声だけで母さんに様子を聞くと、母さんはノンキな声で「気持ちいいねえ~」って答えたから、特に苦しくはないみたいだった。「砂が重くて苦しいのって、あたしだけなのかな?」なんて思ってると、しばらくして男湯の脱衣所のほうから男性の声が聞こえてきて、会話の感じや「砂かけおばさん」とのやりとりの感じから、たぶん2人組だと思うんだけど、ガラガラと戸を開けて中に入ってきた。あたしは思いっきり気になったんだけど、首が動かせないから見ることができない。


‥‥そんなワケで、最初は「たった10分間」て思ってたのに、実際に砂に埋められてみると、この10分間は果てしなく長い。その上、自力じゃ脱出できないかもしれないと思うと、検査でMRIに入った時とおんなじ「閉所恐怖症」の雰囲気になってきて、だんだん恐くなってきた。

「どうしても辛くなったら言ってくださいね」って言われてたから、イザとなれば途中で「もう出ま~す!」って言えば済む話なんだけど、「1000円も払ったのに途中で出るのはもったいない」っていうあたし的な金銭感覚がここでも炸裂しちゃって、「重い&恐い」と「もったいない」とのハザマで揺れ動く乙女心‥‥なんてことも言ってみたりして(笑)

そして、「そろそろ限界かな?」って気持ちと、「そろそろ10分たつかな?」って気持ちとか葛藤を始めたころ、母さんがボソッと言った。


「あのさあ‥‥」

「なあに?母さん」

「こうして砂に埋まってるとさ」

「うん」

「なんか、海ガメの気持ちが分かるような気がしてきたよ」


あたしは、一瞬、母さんが何を言ってるのか分からなかったんだけど、海ガメの産卵のシーンが頭に浮かび、その海ガメの顔が母さんの顔に変わったとたんに、ププッと噴き出しちゃった。一度噴き出すと、完全に笑いのスイッチがオンになっちゃって、あたしは笑いが止まらなくなる。だけど、ここで問題なのが、お腹の上の重たい砂だ。

笑うとお腹の上の砂が動き、重さが倍増する。熱いお風呂でもジッとしてれば入ってられるけど、誰かがお湯を掻き混ぜたりしてお湯が動くと、熱さが倍増して耐えられなくなる。アレとおんなじ理屈で、今まではひたすらジッとしてたから砂の重さにもギリギリで耐えられてたのに、笑いが止まらなくなってお腹が上下に動き出したら、砂の重さが倍増した。マジで息ができないくらい苦しいのに、だけども笑いは止まらない。母さん、何で「海ガメ」なんて言うんだよ~!


‥‥そんなワケで、泣きながら笑ってるあたしのとこに「砂かけおばさん」がきて、「時間になりましたよ」って声を掛けてくれた。そして、「最初はヒザを立てて」「次に両手を上げて」「胸とお腹の上の砂を両手で払って」「ゆっくりと体を立てて」‥‥ってふうに、砂からの出方を指示してくれて、その通りにしたら、あれほど重たかった砂なのに、驚くほど簡単に脱出することができた。

無事に脱出した砂まみれの母さんとあたしは、さっきの脱衣所の専用カゴに砂まみれの浴衣を脱いで入れて、シャワーで全身の砂を流した。それから、あがり湯を汲んで体を流して、ようやくホッとした。なんか、全身に巻きついてた昆布をすべて断ち切ったような解放感と、とてつもない大仕事を成し遂げたような達成感とが入り混じり、素直に「やっぱ温泉はお湯のほうがいいな」って思えた。だけど、母さんは、「なんだか全身の疲れが取れて、肩や腰がラクになったよ。ありがとうね」って言ってくれたので、あたしはとっても嬉しかった。

ちなみに、あとから受付のおばさんに聞いて知ったんだけど、この「竹瓦温泉」の「砂湯」は、海岸の「砂湯」みたいに天然じゃなくて、敷きつめた砂に温泉のお湯をタップリと掛けて、それが染み込んだとこでお客さんを呼んで寝かせて砂を掛けるそうだ。だから、天然のよりも水分を含んでるみたいで、そのせいで重かったのかもしれない。

あと、ここの普通の温泉は、男湯と女湯とで泉質が違うそうだ。男湯は「炭酸水素塩化物泉」で、リウマチ、神経痛、胃腸病などに効果があり、女湯は「鉄・炭酸水素塩泉」で、神経痛、婦人病、貧血などに効果があるそうだ。これが100円で入れるんだから、もう、言うことはないほどワンダホーな温泉天国だ。


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‥‥そんなワケで、日本全国には数えきれないほどの温泉があって、お湯の色も成分も様々だから、温泉の種類っていっぱいあるように思えるけど、実際には、大きく分けると11種類しかないそうだ。これは、日本だけの話じゃなくて、世界中で温泉は11種類しかないそうだ。温泉の中には、効能がほとんど期待できない薄い温泉もあれば、人工的に成分を加えたりブレンドしたりした「人工泉」てのもあるから、そういうのまで入れると種類が多くなっちゃうけど、人間が手を加えてない温泉、地球上で自然に湧いてる温泉でちゃんと効能があるのは、すべて、この11種類のうちのどれかってことになる。そして、この11種類のうち、「放射能泉」以外の10種類の温泉があるのが、ここ、別府なんだそうだ。あたし的には、「放射能泉」はあんまり入りたくないから、それ以外がぜんぶそろってる別府は、あまりにもパーフェクトな「湯の街」であり、「温泉どうでしょう」の舞台としても最適だと思う今日この頃、「第二夜」は、砂まみれの海ガメのように後編へと続く♪(笑)


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2012.09.26

温泉どうでしょう 第一夜(後編)

‥‥そんなワケで、「温泉どうでしょう」の「第一夜」の後編が始まったワケだけど、今回のブログは「水曜どうでしょう」にならって書いてくと言いながら、ぜんぜん「水曜どうでしょう」のノリが見当たらない。だけど、「竹瓦温泉」のレトロな建物を肉眼で確認した母さんとあたしは、来た時とは違う路地を通ってホテルのほうに向かって歩いてる時に、ついに!とうとう!AT LAST!ある居酒屋さんの前で、こんなポスターに遭遇しちゃったのだ!


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ビミョ~な大きさの大泉洋を見つけたあたしは、これだけじゃ弱いと思いつつ、他にも何か「水曜どうでしょう」に関係したモノがないか、キョロキョロしながら散策を続けた。そして、巨大な天狗と遭遇して、「ナマハゲかダルマだったら良かったのに‥‥」って思ったり、


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ツンデレ顔の白猫さんと遭遇して、「トラだったら良かったのに‥‥」って思ったりして、


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だんだん「親孝行」から脱線し始めたその時、とうとう、こんな食堂を見つけちゃった!


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知ってる人は知ってる通り、HTBの「水曜どうでしょう」は、番組の看板の大泉洋と、それを支えるパートナーのミスターこと鈴井貴之のコンビが「表側の主役」で、2人に「ドS」な指示を出し続けるディレクターの藤村忠寿と、カメラマンの嬉野(うれしの)雅道が「裏の主役」だ。この4人が「どうでしょう班」てワケで、「うれしや」っていう食堂を見つけたあたしは、大泉洋の「嬉野く~ん!」っていう声が聞こえたような気がした。

あまりにも無理があるコジツケだけど、あたしが「うれしや」を発見した時に撮った写メは曇ってて看板の文字が読みずらかったので、この写真はわざわざ次の日の朝に撮り直してきたものだ。だから、無理があるコジツケの上に、しょ~もない小ネタだけど、紹介しないとあたしの気が済まない(笑)


だけど、さすがは大分県、このまま大人しく終わらせてはくれなかった。大分県は、こともあろうに、北海道を代表するスーパースターの大泉洋に対して、いや、北海道そのものに対して、まるでケンカを売ってるようなポスターまで作ってたのだ!


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おいおいおいおいおーーーーい!「大分でつくっています!サッポロビール」って、松田優作じゃなくても「なんじゃこりゃ~!」って感じだ。そりゃあ、サッポロビールの工場は全国に何ヶ所もあって、それぞれの工場で作られたビールがそのエリアで売られてるんだろうけど、ここまでハッキリと宣言されちゃった日にゃあ、もはや「サッポロビール」ってブランド名の完全否定でしかない。これじゃあ、「青森でつくっています!長崎カステラ」って言ってるようなもんだ。そして、さらには、こんな貼り紙まで発見しちゃった!


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「東京下町の味」と言っておきながら、間髪いれずに「別府ホッピー」と言う大技が炸裂してる! まあ、こっちは、「カボス入り」ってことで、一応は別府のオリジナルなホッピーなんだろうけど、それにしても、大分県の攻撃力の高さを目の当たりにしたあたしは、今夜の酒宴が楽しみになってきた♪


‥‥そんなワケで、ホテルにチェックインしてお部屋に入ると、思ってたよりもずっと広くて、ゴージャスで、素晴らしいお部屋だった。せっかくの旅行なので、今回は普通のツインより値段の高いデラックス・ツインにしようと思ったら、ちょうどナントカキャンペーンとかで、普通のツインの料金でデラックス・ツインに泊まることができたのだ。東京だと2~3万円の感じのお部屋が、ナナナナナント!1万円以下!

母さんは、お部屋のお風呂のお湯も温泉だってとこに興味津々で、荷ほどきする前にお風呂を見にいき、ドド~ッてお湯を出し始めた。少し溜まったお湯を見てみると、バスタブの色のせいなのか、薄い黄色に見えた。母さんは、「ちょっと浸かってみるわ!」って言ってお風呂に入ったので、あたしは、母さんとあたしのシワになったら困るお洋服を出して、ハンガーに吊るした。

母さんがお風呂に浸かってる間、あたしはノートPCを出して、お部屋のLANケーブルに接続して、まずはradikoをひらいてみた。これは、どこにいっても真っ先にやってみる実験なんだけど、大分県の別府も福岡県の小倉とおんなじで、地元エリアのローカル放送が選局できた。そして、LANケーブルを抜き、あたしの自前のドコモXiでアクセスしてみると、いつものように東京のラジオを聴くことができた。

別府で聴くTOKYO FMの「シナプス」は、まさに「別府ホッピー」って感じで、初めてきた街なのに懐かしい気分になった。そう言えば、さっき別府の街を散策してる時、母さんが「区画整理される前の東京みたいに細い路地が多いから、初めてきた街なのに懐かしい気持ちになるわね」って言ってたのを思い出した。大泉洋と同じく北海道出身のやまちゃんが、東京のFM局でしゃべってるのを、九州で聴いてるあたし。日本列島が手のひらに乗るくらいのミニサイズに縮んじゃったみたいな錯覚が起こる。

「シナプス」はラスト5分くらいだったんだけど、番組が終わったと同時に、バスルームから母さんの「すごくいいお湯よ~!」って声が聴こえてきた。あたしが覗きにいくと、母さんは、浅いバスタブの中でヒザを立てて仰向けになり、器用に肩まで浸かってた。そのカッコが可愛くて、おかしくて、あたしは大笑いしちゃった(笑)


「母さん、そのお湯は温泉て言っても『温泉のお湯割り』だよ。大浴場のほうは『源泉かけ流し』だし、そんなヘンテコなカッコをしなくても手足を伸ばしてゆったりと浸かれるから、大浴場へいってみようよ。あたしもメーク落としたいし」


母さんとあたしは、久しぶりにテレビを観てしばらく休憩してから、浴衣に着替えて、お風呂セットを持って、大浴場へいってみた。あたしたちが泊ったホテルの大浴場は、「展望風呂」じゃなかったけど、すごく豪華な感じで、女性用のアメニティーもクレンジングまで充実してた。脱衣所も清潔で、時間が早かったせいなのか、これまた貸切状態だった。

だけど、あんまり温泉にばかり浸かってると、湯疲れしちゃうし湯あたりしちゃうので、今回はメークだけ落として、軽く10分ほど浸かっただけで上がることにした。ホテルの大浴場なら何度でも入れるし、初日からガツガツと全力で浸かりまくることもない。それでも、3時間ほど前の「駅前高等温泉」の時から、メークを落として顔面に温泉成分を染み込ませたかったあたし的には、これでもか!これでもか!っていうほど、「足湯」でもなく、「手湯」でもなく、待ちに待った「顔湯」をタンノーすることができた(笑)


‥‥そんなワケで、そろそろお腹も空いてきたので、「初日の夜は美味しいものを豪華に食べまくる作戦」を決行することにした。久しぶりに、ちょっとオシャレなお洋服に着替えて、さっき落としたばかりなのにまたフルメークして、母さんにもチャチャッとメークして、バッグからヒールの高いサンダルを出して準備完了。でも、あたしが大きなお花の柄のワンピなのに、母さんも小花柄のツーピースで、ナニゲに「花柄母娘」になっちゃったので、これはヤバイと思い、母さんにはベージュのジャケット、あたしは黒のショート丈のカーデを羽織って、花柄のイメージを少しお湯割りにした(笑)

あたしたちが向かったのは、散策した時に目をつけといた「さかなや道場」だ。駅前通りの坂を少し下ったとこにあるので場所も近いし、何よりも「豊後(ぶんご)アジ」の看板が魅力的だった。「さかなや道場」は全国にあるけど、それぞれのお店がそれぞれの地域の特産品をメニューにしてて、ここ、別府店は、「豊後アジ」がオススメになってる。

ホントは、「関アジ」や「関サバ」が食べたかったんだけど、前もって調べてみたら、「関アジ」が1匹4500円から6000円、「関サバ」に至っては1匹が6000から8000円、とてもじゃないけど手が出ない。「関サバ」はすごく大きいので、1匹で2人がお腹いっぱいになりそうだけど、それでも、まさか2人で「関サバ」を1匹だけ注文するワケにもいかないだろうから、アレもコレもと注文してるうちに、あたしのお財布3号機が水素爆発を起こしちゃう。で、今回は、「身分相応の贅沢」ってワケで、庶民的なチェーン店の居酒屋さんで、食べたいものを食べたいだけ食べるっていう作戦にしてみたワケだ。

初めて入った「さかなや道場」は、なかなか清潔感のあるお店で、店員さんはみんな元気で気持ちが良かった。「とりあえずビール」って言うのはビールに失礼なので、あたしは「瓶ビールをください」って注文した。だいたいからして、ビールどころか発泡酒だってふだんは高くて飲めないあたしなのに、こんな時ばかり「とりあえずビール」だなんて言ったらバチが当たっちゃう。

銘柄も聞かずに注文したら、瓶ビールは「一番搾り」が運ばれてきた。母さんとビールで乾杯して、1杯目は一気に飲み干し、2杯目を飲みながら2人でメニューを見る。とにかく「豊後アジ」は必須だし、貼り紙にも「早い者勝ち」って書いてあったから、まずは「豊後アジ」を注文した。それから、母さんは大分名物の「カボスサワー」、あたしは大分の麦焼酎「酵醸麦(じゅんじょうむぎ)」をロックで注文した。あとは写真と一緒に説明してく。


母さんが注文した「カボスサワー」は、半分に切ったカボスがついてて、自分で搾って入れるようになってた。


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あたしが注文した「酵醸麦」は、麦焼酎ならではのクセのなさで、クイクイと飲めた。


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待ちに待った「豊後アジ」は、20センチ弱の小ぶりのアジだったけど、普通は柔らかいはずのお腹のほうの身も、スズキの洗いくらいの歯応えがあって、アジとは思えない食感だった。決して「ものすごく美味しい」とまでは言えなかったけど、これが680円で食べられたのは「まあまあ」って感じだった。


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「豊後アジ」の顔は、銀色じゃなくて金色だった。金色ってことは、あんまり回遊しない「地のアジ」なのかも?


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お刺身の3点盛りは、「カンパチ」と「マダイ」と「メバチマグロ」だった。カンパチは九州のもので、マダイは九州のものだけど養殖モノで、メバチマグロは外洋のもの。これは、どれもバツグンに美味しかった。これで880円は安い。


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母さんが「焼きガキ」を食べたいと言って注文したんだけど、これはイマイチだったみたいだ。母さん曰く、「焼きすぎで焦げてて苦いよ、これ」とのこと。せっかくの広島のカキがもったいない。


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母さんもあたしも「バッテラ寿司」が大好物なので、その流れから「シメサバ」を注文。これが大当たりで、今まで食べたシメサバの中でも、イチニを争うほど美味しかった。「関サバ」じゃないけど大分県産のサバだそうだ。サバ自体も素晴らしいサバだったし、シメ方も素晴らしかった。母さんは美味しくて感動して目を閉じて味わってた。たしか500円くらいだった。


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これは「マグロのなめろう」だ。あたしは、ふだんはマグロは食べないんだけど、今回は久しぶりの旅行なので、特別に食べることにした。だからお刺身の3点盛りも注文したんだけど、この「マグロのなめろう」も美味しかった。お味噌と薬味の加減が絶妙で、上に掛かってる金ゴマの香りも良くて、母さんは、「これは日本酒だね」なんて言って、メニューのドリンクのページをひらいた。


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あたしは「酵醸麦」のロックが気に入ったのでおかわりしてたんだけど、母さんは「蔵しぼり生」っていう京都のお酒をデキャンタで注文した。デキャンタって言っても、大きめのガラスの徳利で、お猪口もおそろいのガラス器だった。あたしも味見させてもらったけど、サラッとしてて飲みやすいお酒で、よく冷やしてあったので美味しかった。


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他にも、お新香やサラダ、仕上げにジャコ入りの焼きおにぎりなんかも食べたんだけど、ぜんぶ写メを撮ってるとせっかくの食事が楽しめないから、その辺のメニューは写メをスルーした。母さんもあたしもお腹がいっぱいになり、いい調子に酔い、大満足だった。お会計は6000円弱くらいだったけど、駅に置いてあった「るるぶ大分」のフリーペーパーについてたクーポン券を使ったら1割引きになって、5000円ちょいだった。「関アジ」の1匹ぶんの金額で、これほど食べたり飲んだりできたんだから、これぞ「身分相応の贅沢」だろう。


‥‥そんなワケで、「温泉どうでしょう」の「第一夜」は、母さんもあたしも大満足のまま終わることができた。明日からはハードな「親孝行プラン」が目白押しなので、今夜はもう一度だけホテルの大浴場に浸かってから、お部屋で母娘水いらずでのんびりしようと思う‥‥って、「親孝行」なのに「ハード」って何だよ?‥‥って感じの今日この頃なのだ!(笑)


次回の「第二夜」からは、いよいよ怒涛の展開の火ぶたが切って落とされる‥‥かも? こうご期待♪


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2012.09.25

温泉どうでしょう 第一夜(前編)

さ~て、満を持してスタートした「温泉どうでしょう」の第一夜だけど、いつものようにお家を出るとこから書き始めると、目的地に到着するまでに軽く5000文字を超えちゃうから、今回は目的地に到着したとこから書いてこうと思う‥‥ってなワケで、9月下旬の某日の午後1時、母さんとあたしは、大分県の別府駅に降り立った。

 

ザックリと説明しとくと、小倉駅までは新幹線を使うとお金がもったいないので山陽本線でのんびりと行き、小倉駅から別府駅までは「ソニック号」っていう青くてカッコよくてゴージャスな特急電車を使った。だけど、電車のことまで書き始めるとキリがなくなっちゃうので、「ソニック号」のことは、いつか別の機会に書くことにして、今回は、とにかく別府駅に降り立ったとこからスタートする。

 

 

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で、生まれて初めて別府駅に降り立った母さんとあたしを待ち受けてたのは、両手を高く上げてマントをたなびかせた変なおじさんの銅像だった。マントの裾にはちっちゃな子どもがつかまってて、ちっちゃな子どもにはちっちゃなオチンチンもついてて、「子どもを愛したピカピカおじさん、油屋熊八の像」って書いてあった。

 

 

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「はは~ん、これが別府を有名にした油屋熊八おじさんかあ~」ってなワケで、これまだザックリと説明しとくと、まだ別府が有名じゃなかった時代に、別府を観光地にしようと尽力したおじさんで、別府港に桟橋を造る運動をしたり、別府に観光バスを走らせて日本で最初の女性のバスガイドさんを乗せたりしたそうだ。像の台の後ろには、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」っていう熊八おじさんの言葉が彫られてた。そして、その後ろには「手湯」ってのがあったので、せっかくだから手を入れてみることにした。

 

 

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「足湯」は知ってたけど「手湯」ってのは初めてだ。でも、岩のオブジェからお湯がゴボゴボと噴き出してたから、ものすごく熱いんじゃないかとビビリながら手を入れたのに、あまりにもぬるかったもんだから、母さんと2人で同時に「えっ?」って声を出して顔を見合わせちゃった(笑)

 

 

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‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、まずは予約しといたホテルに向かった。別府には、駅の周辺に大きなビジネスホテルがいくつもある。ツインは1泊7000円~1万2000円ほど、シングルなら3500円から6000円ほどで、簡単な朝ごはんがついてるとこもある。日本を代表する温泉地だけのことはあって、お部屋のユニットバスのお湯も温泉だし、大きなホテルはどこも最上階が展望風呂になってる。そこで、あたしは、豪華な晩ごはんのついた豪華な宿に何万円も払って1泊だけするよりも、リーズナブルなビジネスホテルを拠点にして、数日をかけてゆっくりと別府の街を堪能する作戦をとったってスンポーだ。

 

駅から歩いてすぐのホテルは、エントランスもロビーもキレイで、フロントのお姉さんも美人で感じが良くて、街を散策したいと言ったら街の案内図をくれて、オススメのポイントも教えてくれた。チェックインの時間まで荷物を預かってくれると言うので、身軽になった母さんとあたしは、さっそく別府の街へと繰り出した。でも、「別府に着いたら何か食べよう」って言って駅弁をガマンしてたので、2人ともお腹がペコペコ、このままじゃ散策なんかできそうもないので、まずは駅の並びにあった「豊後(ぶんご)茶屋」っていう和食のお店に入ってみた。

 

 

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別府の名物はいろいろあるけど、そこら中で名前を見かけるのが「とり天」と「だんご汁」だ。このお店も、この2つを看板メニューにしてて、両方が楽しめるセットメニューもあった。だけど、「とり天」は鶏肉の天ぷらなので、母さんもあたしも食べられないし、「だんご汁」のほうも、だんごがイワシのつみれとかならOKだけど、鶏肉や豚肉の挽肉のだんごだったりしたら2人とも食べられない。

 

それで、お店のお姉さんに「だんご汁のだんごって何の肉ですか?」って聞いてみたら、「だんご汁のだんごは肉じゃなくてうどん粉を練ったものです。だんご汁は野菜だけで肉類は入ってません」とのこと。そこで、だんご汁を2つ注文しようと思ったんだけど、2人ともお腹がペコペコだったので、足りなかったら困ると思い、1つは「だんご汁定食」にしてみた。これだと、だんご汁に白身フライが2個とご飯がついてるので、2人で分けて食べることができる。ちなみに、「だんご汁」は580円、「だんご汁定食」は800円だった。

 

 

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だけど、運ばれてきた「だんご汁」は、カツ丼のドンブリよりも大きくてラーメンのドンブリよりも深い巨大なドンブリにナミナミと入ってて、見た目は「巨大なお味噌汁」だった。その上、お箸を入れてみると、全容量の70%くらいが「具」で占められてる「巨大で具だくさんなお味噌汁」だってことが分かった。でも、最初のひと口で、「こんなにたくさん食べられるかな?」っていう不安は吹き飛んだ。これまたザックリと言っちゃうけど、生まれて初めて食べた「だんご汁」は、とにかくサイコーに美味しかったのだ!

 

分かりやすく言えば、「豚肉の入ってない豚汁」って感じで、ショウガを効かせた白味噌仕立てのお汁に、ダイコン、ニンジン、サトイモ、ゴボウあたりの定番のお野菜がタップリと入ってる。だけど、カンジンの「だんご」が入ってない。お店のお姉さんは「うどん粉を練ったもの」って言ってたから、あたしは「弾力のある白玉」みたいなお団子を想像してたのに、あたしがお団子だと思ってお箸でつまみ上げたものは、食べて確認するまでもなくサトイモだった。

 

そして、その代わりに、太くて短いきしめんのような、ほうとうのような、ラザニアのような、長いオーバル型のお餅みたいなものがドンブリ遺跡の底のほうから発掘された。食べてみると、練ったうどん粉独特のモッチリした歯応え!もしかして、こ、こ、こ、こ、これが「だんご」なのか~!?

 

 

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生まれて初めて別府にきて、わずか2時間ほどで「だんご汁のだんごはだんごじゃない」っていう「大分県の七不思議」のうちの1つを体験しちゃったあたしだけど、ここで母さんが、「だんご」をお箸でつまみ上げたまま、あまりにも鋭いことをボソッとつぶやいた。

 

 

「このだんごって、かき餅みたいに角が丸くなってるから、もともとは平たくて大きな鏡餅みたいな形のおだんごに生地をまとめたものを、包丁で薄く切ったものみたいね」

 

 

あたしは、母さんの洞察力に目からウロコが落ちた。さすがは迷探偵キッコママだ。これは、ネットで調べたワケでもないし、お店の人に聞いたワケでもないけど、たぶん、母さんの推理が正解なんだろう。ようするに、「だんご汁」のだんごは、だんごだったのだ!だけど、そのまま入れたら食べにくいから、だんごを薄く切ってから入れてたのだ!つまり、今はだんごじゃないけど、もともとはだんごだったワケで、正確に言えば「元だんご汁」ってことだったのだ!

 

ちなみに、これはあとから分かったことだけど、この平たくて長い「だんご」を茹でてから冷水で冷やして、きな粉とお砂糖をかけたおやつが大分名物「やせうま」だった。「だんご汁」のだんごも「やせうま」も、お店によって形は様々で、あたしたちが食べた「豊後茶屋」のは10センチくらいのオーバル型だったけど、お土産の「だんご汁」は、きしめんみたいにもっと細かった。

 

 

‥‥そんなワケで、お腹がいっぱいになった母さんとあたしは、とりあえず、ホテルでもらった観光地図を見ながら駅前の大通りを海のほうへ向かって下っていったワケだけど、散策を初めてわずか1分で、噂の「駅前高等温泉」を発見しちゃった。大分県を席巻してる「COCO!」っていうコンビニと、ウンザリするほどAKB48のノボリをはためかせたパチンコ屋さんを過ぎたら、突如、「駅前高等温泉」のレトロな建物が現われたのだ。「だんご汁」に「だんご」は入ってなかったけど、「駅前高等温泉」は「駅前」の名にふさわしい場所にあったってワケだ。

 

 

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母さんとあたしは、さっそく入ってみることにした。そのつもりで、お風呂セットを持ってきてたからだ。別府の「駅前高等温泉」は、温泉マニアの人たちにはとっても有名だけど、そうじゃない人たちには知られてないと思うので、あたしなりに微調整しながら説明してみると、とにかく、ものすごく紛らわしい温泉だ。まず、入口のガラス戸の左右に「ぬる湯」と「あつ湯」って書いてあって分かれてるんだけど、これは、「ぬるいお湯」と「熱いお湯」って意味じゃないのだ。

 

 

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知らなかった人は「はあ?」って思うだろうけど、分かりやすく説明すると、かつては温泉の効能の高いお湯を「高等湯」、効能の低いお湯を「並湯」って呼んでて、「高等湯」は300円、「並湯」は100円だったそうだ。それが、今はどっちも200円に統一されて、「高等湯」は「ぬる湯」に、「並湯」は「あつ湯」に、それぞれ名前を変えたそうだ。で、ここまでの説明を聞くと、温泉の効能が高い「高等湯」のほうが温度がぬるいように思うだろうけど、「ぬる湯」にも「熱めの湯船」と「ぬるめの湯船」とがある。だから、正直に言うと、あたしにゃワケが分かんない(笑)

 

とにかく、母さんとあたしは、200円ずつ払って「ぬる湯」に入ってみた。いや、正確に言うと、入ってすぐの100円のコインロッカーにバッグを入れたので、2人で合計500円だ。それにしても、100円と300円でも「せっかく来たんだから高等湯」って思って300円のほうに入るに決まってんだから、どっちも200円なら、どう考えたって「高等湯」、現在の「ぬる湯」のほうに入るに決まってる。たとえば、「ぬる湯」が名前の通りにぬるいお風呂なら、どうしても熱いお風呂に入りたい人は「あつ湯」のほうに入るだろう。だけど、「ぬる湯」ってのはお湯の温度のことじゃなくて‥‥って、ああ、またクドクドと書き始めちゃったよ、あたしってば!これやってるから無駄に長くなっちゃうんだよね(笑)

 

 

‥‥そんなワケで、脱衣所から奥へ進むと‥‥って言っても、ドアがあって孤立してる一般的な脱衣所じゃなくて、そのまま浴場のほうへと続いてる一角が脱衣スペースになってるんだけど、そこで服を脱いでそのまま奥へ進むと、すぐに下へ降りる階段があって、少しだけ降りた半地下みたいなスペースが浴場になってた。カマボコを半分にしたみたいな形の湯船‥‥って、こんなんじゃ分かんないかな? とにかく、何とも言えないレトロな雰囲気で、それも、日本的なレトロじゃなくて、建物の外観からも想像できるように、大正ロマンみたいな洋風のレトロで、とっても不思議な雰囲気だった。

 

カマボコを半分にした形の湯船は、約42度の熱めのお湯、そして、降りてきた階段の下に秘密基地みたいに造られてるほうの湯船は、約40度のお湯で少しぬるめ。母さんとあたしは、体をザッと流してから、まずは熱めの湯船に入ってみた。熱めと言っても、普通に入っていられる程度の熱さで、お湯は、ほぼ透明で、見た目は普通の銭湯のお湯みたいだったけど、湯船の縁や内壁に黒っぽい鍾乳石チックなモノが付着してて、いかにも成分の濃い「高等湯」って感じがした。

 

そんなに熱くはないのに、温泉の効果なのか、すぐに顔がカッカしてきちゃったので、あたしは5分ほどでいったん上がり、ぬるめの湯船のほうに入ってみた。この時点では、髪はまとめてたけど、まだフルメークしたままだったので、顔に汗をかいたら収拾がつかなくなる。これから別府の街を散策する予定だから、ここでメークを落としちゃうとスーパーメンドクサイヤ人に変身しちゃう。

 

でも、ぬるめのお湯は最高だった。たった2度の差でも、ずいぶんと温度が低く感じる上に、こっちは贅沢にも檜風呂だった。しばらく浸かってたけど、顔はカッカしてこなかった。それで、あたしは、貸切状態だったのと、階段の下の洞窟みたいな場所だったので、お湯の中で仰向けになったまま、両手両足を思いっきり広げて「大の字」になり、両手をひらひらとお湯の中で泳がせてみた。そうこうしてるうちに、母さんもこっちの湯船に入ってきてあたしの隣りで両手をひらひらと泳がせ始めた。

 

母さんが「お肌がツルツルになったわよ」って言うので、「こんな短時間で?」って思いながら自分の腕を触ってみたら、乾燥気味で少しカサカサしてたヒジとかがツルツルになってたので驚いた。結局、途中で一度上がり、またぬるめのほうに入り、合計で40分くらい浸かってた。ずっと貸切状態だったので出るキッカケを失ってたんだけど、おばさん4人のグループが入ってきたのをキッカケにして、母さんとあたしは出ることにした。

 

ちなみに、この「駅前高等温泉」は、建物の上階が宿泊施設になってて、個室なら1人2500円で素泊まりできるし、大広間で他のお客さんとの相部屋なら1人1500円で素泊まりできる。それから、お風呂上りに休憩したい人は、2時間1000円で休憩できる。

 

 

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‥‥そんなワケで、夜になってから撮った「駅前高等温泉の上のお月さま」の写真もアップしつつ、この日のお天気は、あいにくの曇りだったんだけど、タップリと温泉に浸かってから外に出ると、ちょうどいい気持ちよさだった。いろんなお店を見ながら、ゆるやかな坂を下っていくと、ひとつめの信号のとこの路地にいろんなお店が並んでて、そのまま直進すると、次の路地はアーケード街になってた。ホテルでもらった観光地図は縮尺が大きすぎて分からなかったけど、どうやら別府の街は、この駅前のメインの大通りから横に伸びてる路地やアーケード街にお店が集中してるみたいだ。

 

 

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そこで、あたしは、このアーケード街に入ってみた。観光客向けのお土産屋さんとか食べ物屋さんとかばかりじゃなくて、大半は地元の人たちのためのお店みたいな感じだった。そして、このアーケード街から左右に伸びてる細い路地にもスナックとか居酒屋さんとかが並んでたりして、人が1人やっと通れるほどの路地にまでお店があった。

 

外壁に昔のホーロー看板を飾って昭和風味に演出してるラーメン屋さんとか、まんまレトロなオモチャとかを扱ってる「何でも鑑定団」的なお店とか、こだわりの焼き鳥屋さんとか、ヤタラと派手なショーパブとか、手作り感マンマンの軽食屋さんとか、いろんなお店が並んでて、眺めながら歩いてるだけでも楽しかった。パチンコ屋さんもけっこう多いし、小さなポルノ映画館の隣りにビリヤードとダーツのお店があったりして、つげ義春の温泉紀行をホーフツとさせるような一角もあった。

 

 

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別府は、韓国と中国からの観光客が多いので、駅やバス停の案内板だけじゃなくて、こうした一般のお店にも、たいていは韓国語と中国語の説明が書いてあった。実際、韓国語で話しながら歩いてる若いカップルや、中国語で話しながらお土産屋さんを覗いてるおじさん、おばさんたちと何度もすれ違った。湯の街、別府は、竹島問題や尖閣問題とは無縁みたいな平和さだった。ホントの「ナショナリズム」ってものは「相手の国の事情も思いやる心」なのに、こんな子どもでも分かることすら分からずにトンチンカンな屁理屈を展開してる石原慎太郎みたいな「百害あって一利なし」のバカはほっといて、「同じ釜の飯を食ったもの同士」ならぬ「同じ別府の湯に浸かったもの同士」、過去のことは源泉かけ流しのお湯でザバッと流して、もっと仲良くしていきたいもんだ。

 

 

‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、アーケード街を途中で左に折れ、しばらく進んで右に折れ、またしばらく進んで左に折れ‥‥ってふうにジグザグに進んでいったら、「竹瓦小路」っていう路地に出た。「竹瓦(たけがわら)温泉」は今回の旅行のメインの温泉でもあるので、この路地を進めば到着すると思って、とりあえず視察に行ってみることにした。だけど、これが、今までの路地とは一線を画したアダルトな路地で、並んでるお店の大半が怪しげな飲み屋さんか風俗店だった。

 

 

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それでも、まだ昼間なので、ほとんどのお店は閉まってるみたいで、気にせず路地を進んでくと、突き当たった左手に、写真で見たのとおんなじ、まるで神社みたいに立派で年期の入ってる「竹瓦温泉」がドドーンと現われた。

 

 

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木造の壁や窓枠の年期の入り方は廃校になった山の小学校みたいで、でも、何重にも重なった立派な瓦屋根は神社みたいで、何とも言えない風情がある。入口の脇に古い郵便ポストが立ってるから、入り口だけを見ると古い駅舎みたいにも見える。

 

 

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右手のほうに回ってみると、窓の向こうに裸のおじさんの上半身が丸見えで、どうやら右手は男湯みたいだった。そして、ものすごく味わいのある建物なのに、細い路地の向いも並びもぜんぶ風俗店で、エロい女の子のイラストと巨大な「モーニング娘」だの「ニャンニャン娘」だのっていう看板がアピールしてる上に、まだ昼間の3時ころだっていうのに、どのお店の前にも客引きのおじさんが立ってて、男性の観光客が通るたびに声をかけてた。

 

 

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この「竹瓦温泉」の建物の隣りが風俗店で、その隣りも風俗店で、その隣りも風俗店で、その隣りが小さな神社だったので、あたしは、何だか時空の捻じれた世界に迷い込んじゃったみたいな不思議な気分になった‥‥ってなワケで、ホントは、この日のことをぜんぶ「第一夜」として書こうと思ってたんだけど、あまりにも長くなりそうなので、今回は「第一夜」の「前編」てことにして、この続きは次回、書くことにする。とにかく、今は、世界一大切な母さんに楽しんでもらうことが最優先で、幸せそうな母さんの顔を見ることがあたしの幸せだから、ブログはホントは帰ってから書くべきなんだけど、いちいちメモしてないから、書ける時に書いとかないと忘れちゃう‥‥ってなワケで、母さんとあたしの「温泉どうでしょう」の「第一夜」は、後編へと続く♪

 

 

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2012.09.23

温泉どうでしょう 前夜

9月17日(月)の石川喬司先生のお誕生日に開催された中山競馬のメインレース、「セントライト記念」は、残念ながらあたしの予想したラニカイツヨシは5着入選で、あたしの買ってたラニカイツヨシからの馬単5点は全滅だったし、その前に予想してた「8-8」の枠連も当たらなかった。結果は人気通りの1、2、3着で、3連単の配当が800円なんていうガチガチのレースだった。

 

レース後に、人気通りに1着になった「フェノーメノ」がポルトガル語で「超常現象」だって意味だと知り、すぐに石川先生のSF小説、超能力を使う少年が主人公の『魔法つかいの夏』が頭に浮かんだ時には後の祭りだったけど、配当が低すぎたからぜんぜん悔しくなかった。やっぱ、競馬の魅力の1つである「ギャンブルとしての魅力」ってのは、100円が何万円、何十万円、何百万円、果てはWIN5で100円が2億円になるような「一攫千金」なワケで、当たっても配当が低ければ喜びはイマイチだし、たまに高配当の当たりが出れば喜びもヒトシオになる。

 

今年の春、3月24日(土)に開催された中山競馬のメインレース「日経賞」では、あたしの応援してたネコパンチが大逃げをカマシて、江田照男騎手の作戦通りにミゴトに1着になった。この時のことは、当日のブログ、「やったぜ!ネコパンチ!」に詳しく書いてるけど、あたしの買ってた8→7の馬単は16万9940円になり、7-8の馬連は4万8480円になり、両方合わせて200円が21万8420円になった。もちろん、他の組み合わせも買ってたから、「200円が」ってのは正確じゃないけど、それでも、馬単3点、馬連3点、合計600円での勝負だったから、まさしく「これぞ競馬の醍醐味!」って感じの配当だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、ライフワークが「親孝行」のあたしとしては、このネコパンチの配当金で母さんを温泉旅行に連れてこうと思い立ったんだけど、当時は、やっと住む場所が決まってホッとしたとこだったので、なかなか旅行するような気分にはならなかった。去年の暮れにも、適当に買った3連複が的中して、100円が2万円以上になった時、母さんを温泉旅行に連れていきたいって思ったんだけど、その時に住んでた家が「来年の2月いっぱいまで」って約束で借りてたから、とても旅行に行く気分にはなれなかった。

 

それに、いくら都会と比べてお金の掛からない田舎生活とは言え、本職がほとんどできずに、内職やアルバイトやわずかな貯金を切り崩して生活してる状況なので、本来なら、こうしたタナボタ的な競馬の配当金は、イザという時のためにキープしておきたかった。でも、今年の1月に車を売ったお金が振り込まれたこともあったし、ここの家賃もある程度まとめて先払いしてるので、少しずつ精神的な余裕もできてきた。そして、配当金をぜんぶマルッと使い切るワケには行かないけど、母さんと2人で10万円くらいの予算なら、何とか捻出できる感じになってた。

 

だけど、そうこうしてるうちに夏になり、温泉どころかプールに浸かりたいような日々が続き、9月に入っても残暑が続いてたので、母さんとは「もう少し過ごしやすい気候になったら温泉に行こうね」って話してた。で、「暑さ寒さも彼岸まで」って言葉の通り、9月の中旬を過ぎたら、母さんと温泉旅行に行くにはピッタリのシーズンが到来したってワケだ。

 

そこで、あたしは、母さんと2人の家族会議を行ない、9月下旬の温泉旅行を計画した。母さんと広くて気持ちいい温泉に好きなだけ浸かり、安全で美味しい海の幸と山の幸をタップリと味わい、まだ観たことがなかった名勝を堪能する。これぞ「親孝行」だし、ついでに「自分へのベホイミ」でもある。ちなみに「自分へのベホイミ」ってのは、前にも書いたけど、「自分へのご褒美」って言葉が嫌いなあたしが考えた同義語だ。

 

 

‥‥そんなワケで、今回は、何年ぶりかの母娘水入らずの温泉旅行ってことで、内容も盛りだくさんになる予定なので、何回かに分けて書いてこうと思う。実際、一度じゃ書ききれないと思うんだけど、それだけじゃなくて、今回はケータイで撮影した画像もいろいろと紹介していきたいので、最近、ナニゲに人気が再燃してるHTBの「水曜どうでしょう」のマネをして、「第一夜」「第二夜」「第三夜」‥‥ってふうに書いてくつもりだ。「水曜どうでしょう」に関しては、あたしの説明なんか必要ないくらいメジャーな番組なので、知らなかった人は各自ググッてください‥‥ってなワケで、「どこの温泉に行くのか?」ってことについても、「水曜どうでしょう」に倣って、次回の「第一夜」の冒頭になるまで、誰にも教えないことにしとこうと思う今日この頃なのだ(笑)

 

 

それでは皆さん、次回からの「温泉どうでしょう」をお楽しみに♪

 

 

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2012.09.15

9・17作戦を遂行せよ!

ちょっと早いけど、石川先生、お誕生日おめでとうございま~す♪

‥‥ってなワケで、9月17日は、あたしが勝手に「競馬の師匠」と決めてリスペクトしちゃってる石川喬司先生のお誕生日だ。石川先生は、昭和5年(1930年)9月17日の馬れ‥‥じゃなくて、生まれなので、今年のお誕生日で82歳になる。82歳と言えば、石川先生には申し訳ないけど、世間一般では「敬老」の対象になる年齢なワケで、今年の石川先生のお誕生日は、偶然にも「敬老の日」と重なっちゃった。

「敬老の日」って、平成14年(2002年)までは「9月15日」って決まってたんだけど、その後は「ハッピーマンデー法」によって「9月の第3月曜日」ってことになったため、毎年、日付けがビミョ~に変わるようになった。それで、今年は来週の月曜日の9月17日が「敬老の日」になったんだけど、ふだんは土曜日と日曜日だけのJRAの競馬も、今回は月曜日まで3日間、連続で開催されて、石川先生のお誕生日の9月17日には、中山競馬場でGⅡの「セントライト記念」が行なわれることになった。

9月17日が土曜日や日曜日に当たったのなら、「石川先生のお誕生日に競馬が開催される」っていうよりも、「競馬が開催される週末に石川先生のお誕生日が重なった」っていうフレーバーのほうが強くなるから、そんなに「特別」って感じはしない。だけど、石川先生のお誕生日は月曜日なのに、祝日のほうが「9月の第3月曜日」に変わり、それによって競馬が開催されることになったってのは、ものすごく「特別」な感じがする。

実際、「敬老の日」が「9月の第3月曜日」に変わった2003年から今年までの間で、石川先生のお誕生日の9月17日に「セントライト記念」が開催されたのは2006年の1回だけで、それも、この年は9月17日がたまたま日曜日だったのだ。つまり、「競馬が開催される週末に石川先生のお誕生日が重なった」っていうフレーバーなワケで、お誕生日が月曜日になったのに「ハッピーマンデー法」によって祭日になり、そのために「セントライト記念」が開催されるってのは、今年が初めてな今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、8月はザックリと日記をお休みしちゃった上に、9月も半ばになっての久しぶりの日記なのに、「おいおい!また競馬の話題かよ!」なんて思ってる人も多いと思うけど、実は、この1ヶ月、この「きっこのブログ」以外での執筆作業がマウンテンで、特に8月の中旬から9月の頭にかけては、毎日1万文字くらいの長文を書き続けてたのだ。それで、ようやくブログに取り掛かれる時間ができたってワケで、最初は精神的に負担の掛からない競馬の話題から復帰させてもらおうと思ったってワケだ。

もちろん、そんなユルユルの理由だけじゃなくて、全国50人くらいの「きっこ予想」のファンの皆さまのために、どうしても伝えたいことがあったので、今日の日記を書き始めたのがホントの理由だ。それは、マクラからも分かるように、来週の月曜日、石川先生のお誕生日の9月17日に開催される「セントライト記念」に関することなのだ。

あたしは、石川先生のお誕生日の9月17日に競馬が開催される、それも、中山競馬場でGⅡが開催される‥‥ってことを知った瞬間に、石川先生の数々の競馬小説の中の『女か馬か』を思い出した。この作品は、あたしが生まれる1年前の1971年の秋に、石川先生が「東京スポーツ」系列のスポーツ紙に連載していたもので、実際に開催された重賞レースを題材にして書かれてる。ストーリーは創作だけど、その小説内で行なわれる競馬は実際のレースに沿った内容で、石川先生はこうした作品を「同時進行小説」と呼んでる。

で、あたしが思い出したのは、あるギャンブルで1000万円以上の借金を背負わされちゃった主人公の啓介が、その借金を競馬で稼いで返そうと思い、秋の「毎日王冠」に100万円以上の全財産を突っ込むっていうクダリだ。この年の「毎日王冠」は9月12日に開催されたので、啓介はこれを「9・12作戦」と名付けて挑むんだけど、ミゴトに予想が的中して、1500万円もの大金を手にする。そして、啓介は、借金を全額返した上に、500万円も手元に残るっていう夢のようなストーリーだ。もちろん、これは、石川先生の創作だからこそ「夢のようなストーリー」なんだけど、あたしは、石川先生のお誕生日に開催される重賞レースの「セントライト記念」が、もしかすると「9・17作戦」で的中するんじゃないかと思ったのだ。

何でかっていうと、「毎日王冠」も「セントライト記念」もGⅡであること、そして、現在の「毎日王冠」は10月の頭に東京競馬場で開催されてるけど、1971年には現在の「セントライト記念」とおんなじで、9月の中旬に中山競馬場で開催されてたからだ。距離も、現在の「毎日王冠」は芝1800だけど、1971年は芝2000で、現在の「セントライト記念」の芝2200に近かった。ここまでシンクロしてくると、「何かある!」と思っちゃうのも当然の流れだ。


‥‥そんなワケで、石川先生の『女か馬か』の中の話では、啓介は不思議な暗号文を手に入れる。その暗号文は、すべてカタカナで書かれてて、相棒のチャコと2人で解読を試みる。そして、その意味不明なカタカナの羅列を3文字おきに読むと「マイニチオウカン、アリガトウ」という言葉が現われることを発見する。ここから啓介は、「アリガトウ」は「サンキュー」だから、次の「毎日王冠」は3番と9番の馬がくると予想する。

当時は、単勝、複勝、枠連の3種類の馬券しかなかったから、9頭立てだったこの年の「毎日王冠」では、3番と9番の1、2着は枠連で「3-8」になる。そして、「3-8」のオッズを見ると9倍弱だったので、啓介は、1000万円以上の借金を返すために100万円以上を突っ込む‥‥っていう流れだ。小説に書かれてるレース内容は、実際のレース内容の通りなので、1971年9月12日に行われた「毎日王冠」の通り、1番人気だった7枠7番のスピーデーワンダーは3着に敗れ、8枠9番のトキノシンオーが1着になり、3枠3番のニットライトが2着になり、啓介の「3-8」は大当たり。啓介は大金を手にして、借金もキレイに返済できた。めでたし、めでたし‥‥って、この後も石川先生ならではの展開があるんだけど、それは置いといて、念のために実際のレース結果を書いておく。


1971年9月12日
第22回「毎日王冠」中山競馬場/芝2000(不良)

1着 9番 トキノシンオー/小島太 (2番人気)
2着 3番 ニットライト/嶋田功 (4番人気)
3着 7番 スピーデーワンダー/岡部幸雄 (1番人気)
4着 4番 セントポール/津田昭 (3番人気)
5着 5番 ハツイチオー/谷原義明 (7番人気)
6着 1番 サキノオー/加賀武見 (5番人気)
7着 6番 オウジャ/古賀正俊 (6番人気)
8着 2番 キヨズイセン/徳吉一己 (9番人気)
9着 8番 イズミカブト/作田誠二 (8番人気)


‥‥そんなワケで、何でわざわざそれぞれの馬が何番人気だったのかまで書いたのかっていうと、ここにスーパーミラクルな秘密を発見したからだ。1着になったトキノシンオーは2番人気、2着になったニットライトは4番人気だったワケだけど、もしも1番人気が1着、2番人気が2着、3番人気が3着‥‥ってふうに、人気の順の通りに入着してたとしたら、トキノシンオーは2着、ニットライトは4着だったことになる。で、その2着と4着のところを見てみると、実際の結果は、2着がニットライト、4着がセントポールだ。そして、この2頭の名前、ニットライトの「ライト」とセントポールの「セント」を足すと、そう!「セントライト」になるのだ!これはもう「何かある!」のは間違いないだろう!

で、今回の「セントライト記念」だけど、このレースの名前は、1940年代に活躍して日本初のクラシック三冠馬になった名馬、セントライトから付けられた。セントライトは、現役引退後も種牡馬として働いて、オーエンス、オーライト、セントオーという3頭もの八大競走優勝馬、今でいうGⅠ馬を輩出した。この3頭のうち、オーライトとセントオーの名前を足して2で割っても「セントライト」になる。まあ、これは父親の名前の一部を子どもに付けたんだから不思議じゃないけど、1971年の「毎日王冠」を走ったニットライトとセントポールは、セントライトとは関係ない血統だ。

こんな流れから、あたしは、石川先生が『女か馬か』で取り上げた1971年の「毎日王冠」が、今回の「セントライト記念」に呼応してるように感じて仕方がない。石川先生が考えた「9・12作戦」が、40年以上もの月日を経て、石川先生のお誕生日である「9・17作戦」へと繋がっているような気がして仕方がない。


‥‥そんなワケで、『女か馬か』の啓介は、「マイニチオウカン、アリガトウ」っていうキーワードから、「アリガトウ」は「サンキュー」だから3番と9番の馬がくると予想して的中させた。だから、これとおんなじ方式で考えてみると、「セントライト記念」が開催される9月17日は石川先生のお誕生日なんだから、ここはやっぱり「アリガトウ」じゃなくて「オメデトウ」になる。「アリガトウ」が「サンキュー」なら、「オメデトウ」は「コングラッチュレーション」だ。

でも、「サンキュー」は3番と9番になるけど、「コングラッチュレーション」は数字にならない。こんな長い言葉を無理やり数字にしたら、頭がコンガラガッチュレーションになっちゃう(笑)‥‥なんてオヤジギャグの冷風で少し脳みそを冷やしてみると、ここは「コングラッチュレーション」じゃなくて「ハッピーバースデー」なんじゃないかって思えてきた。「ハッピーバースデー」なら、ちょっと強引に、「ハッピー」の「ハ」が8、「バースデー」の「バ」も8で、「8-8」のゾロ目が見えてくる。「9・12作戦」は枠連を的中させたんだから、「9・17作戦」も枠連の可能性が強い。

「セントライト記念」は「菊花賞」のトライアルレースで、毎年17~18頭も出走するため、8枠には3頭入ることが多い。つまり、2頭しかいない1枠から6枠までのゾロ目よりも、8枠のゾロ目は数学的にも的中する確率が高くなる。さらに言えば、「8-8」の枠連のゾロ目じゃなくて、8枠の3頭の馬連をぜんぶ買っても3通りで300円だし、馬単をぜんぶ買っても6通りで600円だ。40年以上前の「9・12作戦」の時には枠連を買うしかなかったけど、今ならこうした買い方で、さらなる高配当を狙うことも可能だ。


‥‥そんなワケで、あたしは、JRAのホームページで、今回の「セントライト記念」の顔ぶれを見てみることにした。13日の木曜日だったので、まだ枠順は決まってないけど、出走馬だけは決まってると思ったからだ。そしたら、JRAのホームページのトップニュースに、こんな見出しがあった。


『12.09.13 アパパネ号が故障』


驚いて、その見出しをクリックすると、アパパネの引退を伝える悲しいお知らせがあった。


「2010年に牝馬三冠を達成するなどGI 5勝を挙げているアパパネ号(牝5歳 美浦・国枝 栄厩舎)は、右前浅屈腱炎を発症していることが判明しましたのでお知らせいたします。なお、同馬は競走馬登録を抹消し、繁殖牝馬となる予定です。」


レーヴディソールの引退も悲しかったけど、五冠牝馬アパパネの引退は悲しいだけじゃなくて残念すぎる。でも、牡馬と違って牝馬の場合は、引退後は1年に1頭しか子どもを作ることができないので、優秀な牝馬の場合は、ケガの治療に何ヶ月もかけるよりも、引退させて1頭でも多く子孫を残す道を選択するのが一般的だ。あたしは、これまでのアパパネのレースを思い出して、しばらくボーッとしてから、気持ちを切り替えて「セントライト記念」の出馬表を見てみた。


「セントライト記念」
アーデント
アートサハラ
エキストラエンド
エタンダール
カナロア
クリールカイザー
コスモワイルド
サンレイレーザー
スカイディグニティ
ソルレヴァンテ
ダノンジェラート
ニューダイナスティ
フェノーメノ
フジマサエンペラー
ベストディール
ボーイフレンド
ラニカイツヨシ


この50音順に並んだ17頭を見てみると、ナナナナナント!ディープインパクトの子どもばっかりだ!アーデント、エキストラエンド、エタンダール、カナロア、ダノンジェラート、ニューダイナスティ、ベストディールと、17頭のうち7頭もディープインパクトの子どもが勢ぞろいしてる!まるで「ディープ産駒祭り」じゃないか!ナニゲに「打倒ディープ産駒」で馬券を買ってるあたしとしては、これはなかなかキビシー顔ぶれだ。

とにかく、今年はこの17頭なので、7枠までは2頭だけど、8枠だけが3頭になる。それで、あたしは、「ホントに8-8の枠連が来ちゃうかもね」なんて思いつつ、1頭ずつジックリと見ていくと、最後の1頭の名前が目にとまった。


「ラニカイツヨシ」


「ラニカイ」ってのは、ハワイのオアフ島にある数々の美しいビーチの中でも、もっとも美しいと言われてるビーチの名前だ。ハワイ語で、「ラニ」は「天国」、「カイ」は「海」、「天国の海」って名前が表わしてる通り、真っ白な砂浜の向こうに広がる真っ青な海は、この世のものとは思えないほど美しいそうだ。

あたしは、この馬の名前に目がとまった瞬間、さっきのアパパネの引退のお知らせがオーバーラップした。そう、アパパネもハワイの言葉、ハワイに生息する赤い小鳥の名前だ。あたしは、アパパネが去っていく代わりに、このラニカイツヨシがやってくるような気が、漠然とした。

それで、このラニカイツヨシのことをチェキしてみたら、ナナナナナント!騎乗するのが「佐藤哲三」だって書いてある!2010年6月28日のブログ、「クイナが来たりて戸を叩く」でも取り上げてるけど、佐藤哲三騎手は、石川先生と同じ「9月17日生まれ」なのだ!


石川喬司先生 1930年9月17日生まれ

佐藤哲三騎手 1970年9月17日生まれ

さらには、

ラニカイツヨシ 2009年3月17日生まれ


‥‥そんなワケで、このブログを書いてる14日の時点では、まだ「セントライト記念」の枠順は発表されてないけど、これほどのシンクロ率が炸裂すれば、どう見ても勝つのはラニカイツヨシだろう。普通に考えたら、7頭もいるディープ産駒軍団を蹴散らしての1着なんて至難の業だと思うけど、ここまで「偶然の連鎖」が続いたんだから、これはどう見たって「9・17作戦」の発動だろう‥‥なんて思ってるうちに15日になり、「セントライト記念」の枠順が発表された!


「セントライト記念」(GⅡ)
3歳オープン 芝2200

1枠1番 ベストディール/内田博幸
1枠2番 スカイディグニティ/四位洋文
2枠3番 カナロア/浜中俊
2枠4番 フジマサエンペラー/柴田善臣
3枠5番 ニューダイナスティ/岩田康誠
3枠6番 エキストラエンド/田辺裕信
4枠7番 クリールカイザー/吉田豊
4枠8番 エタンダール/松岡正海
5枠9番 アートサハラ/今野忠成
5枠10番 ソルレヴァンテ/後藤浩輝
6枠11番 ボーイフレンド/藤田伸二
6枠12番 フェノーメノ/蛯名正義
7枠13番 サンレイレーザー/N.ピンナ
7枠14番 ラニカイツヨシ/佐藤哲三
8枠15番 ダノンジェラート/三浦皇成
8枠16番 コスモワイルド/柴田大知
8枠17番 アーデント/北村宏司


うわ~!ビミョ~だな~!ラニカイツヨシが8枠なら言うことなかったのに、8枠の隣りの7枠14番!その代わりに8枠には、今回のディープ産駒軍団の中で唯一の芦毛、アーデントがいる上に、石川先生のお誕生日の「17番」を引いてる!これ、ラニカイツヨシが出てなければ、間違いなくアーデントから買ってるパターンだ!

さらには、ラニカイツヨシの「7枠14番」てのが、ナニゲに「無いよ(714)」って言ってるように見えてくる。でも、逆から見れば「良いな(417)」になるし、石川先生のお誕生日の「17」も入ってる。とにかく、あまりにもビミョ~すぎるけど、ここはやっぱり、石川先生とおんなじお誕生日の佐藤哲三騎手のシンクロ率と、アパパネとおんなじハワイ絡みのラニカイツヨシのシンクロ率に期待して、この馬からの馬単で勝負したいと思う。


‥‥そんなワケで、このブログを書いてる15日の時点でのあたしは、とりあえず、ラニカイツヨシからの馬単を何点かと、余裕があれば最初の思いつきの「8-8」の枠連も買おうと思ってるんだけど、その前に乗り越えなきゃならない山が2つもある。それは、今日の競馬と明日の競馬だ。あたしの競馬の予算は週に2500円なので、土、日、月曜日と3日間も開催される今回は、よほどうまいこと賭けてかないと、月曜日の朝には「資金ゼロ」なんてこともアリエールなのだ‥‥ってなワケで、そろそろ土曜日のお昼になるので、今日のメインレースの予想を開始しようと思う今日この頃なのだ♪ ヒヒ~ン!(笑)


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