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2012.09.30

温泉どうでしょう 第三夜(前編)

「第一夜」と「第二夜」で、母さんとあたしは、別府の名物「だんご汁」を食べ、別府の名湯「竹瓦温泉」の「砂湯」に入り、別府の名産「豊後アジ」を食べ、別府の名勝「地獄めぐり」を観光してきたワケだけど、ここまでの流れで、まだ登場してない「別府の名物」は何かと言えば、それは、美しい「海」そのものだった‥‥ってなワケで、「第三夜」の今回は、別府の「海」をタンノーするプランを立ててみた。

とは言っても、あたしも別府にきたのは初めてだから、「プラン」なんて呼べるほど立派なものじゃない。母さんのベッドに並んで寝転がって、ホテルでもらった観光地図と駅でもらってきたパンフをひろげて、「この辺はどう?」「こっちのほうが良さそうよ」なんて言いながら2人でテキトーに決めたのは、「とりあえず、海に面した『北浜温泉テルマス』ってとこに行ってみて、あとは海沿いを南下する路線バスがあるみたいだから、それに乗って『うみたまご』っていう水族館に行ってみようか?」っていう、激しくフランク・ザッパなものだった。

あたし的には、「母さんに砂湯を体験してもらって長生きしてもらいたい」と「母さんを地獄めぐりに連れてってあげたい」っていう二大目的をすでに達成してたから、あとは、母さんが「行ってみたい」っていう場所へ連れてってあげようと思ってた。でも、今、こうして文章に書いてて、ふと気づいたんだけど、「母さんに長生きしてもらいたい」と言いながら「母さんを地獄に連れてってあげたい」って、ある意味、ものすごく矛盾してるじゃん!‥‥って思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)


‥‥そんなワケで、あたしは、一、「あんまり長距離を歩いて母さんを疲れさせないこと」、二、「混雑しすぎてる場所やお店は避けること」、三、「複数の選択肢がある場合は必ず母さんに選んでもらうこと」っていう三箇条だけはキモに命じてたけど、あとは「何でもアリ」のお気楽旅行だったから、この雑すぎるプランの通り、「第三夜」をスタートさせた。

この日は、焼き立てのパンと挽き立てのコーヒーで大満足の朝食をすませてから、少しお部屋でのんびりして、10時すぎにホテルを出発した。海沿いにある温泉施設「北浜温泉テルマス」までは、「竹瓦温泉」と同様にホテルから歩いていけない距離でもないんだけど、歩くと20分くらいかかるビミョ~な距離なので、ここは迷わずにバスを使った。そしたら、アッと言う間に到着した。


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「テルマス」ってのは、漫画「テルマエ・ロマエ」でもオナジミの、ラテン語の「浴場」って意味の言葉だ。別府市内に古くからある市営温泉が100円から200円なのに対して、12年ほど前に造られた大型温泉施設「北浜温泉テルマス」は、最新の蒸し湯やミストサウナ、露天風呂や打たせ湯など、いろんな温泉が楽しめるそうで、おんなじ市営温泉なのに500円もする。

都会で銭湯に入るのと大して変わらない料金で、本物の温泉をいろいろと楽しめるんだから、普通に考えたらすごく安い。ただ、「ほとんどの温泉が100円か200円」ていう別府において、この500円は、「1皿100円の回転寿司屋で注文する1皿500円の金色の絵皿」みたいな感じの「中途半端な高い感」がある‥‥なんてゴタクを並べてるとまたまた長くなっちゃうのでサクサクと進むけど、別府の市営温泉界の金色の絵皿、「北浜温泉テルマス」に入ろうとしたら、母さんが「温泉はあとにしない?」って言い出した。

実は、ホテルを出る前にも言ってたんだけど、前日の夜、母さんは温泉に3回も入ってて、ちょっと湯疲れしてたのだ。「地獄めぐり」から帰ってきてから、母さんとあたしはお腹がペコペコだったので天ぷらそばを食べにいって、そのついでに「駅前高等温泉」に入りにいったのに、母さんてば、ホテルに戻ってからも、夜になってからホテルの大浴場に2回も入りにいっちゃったのだ。1回はあたしも一緒に入ったんだけど、さすがに2回目は入らなかった。


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で、朝になり、計画通りに「北浜温泉テルマス」の前まで来たものの、ここはいろんな温泉がある上に、200円でレンタル水着を借りて海を眺められる露天風呂に入るのがメインイベントだったから、湯疲れしちゃった母さんにはちょっとヘビーな内容だった。これが「水曜どうでしょう」なら、母さんにサイコロを振らせて、どうするか決めるとこなんだけど、そんなことしたら「親孝行」じゃなくなっちゃう。

そこで、「じゃあ、少しお散歩しようか?」ってことで、とりあえず、「北浜温泉テルマス」の脇の海岸に下りてみた。海岸の波打際には、いろんなゴミが打ち寄せられてて、お世辞にも「きれいな海岸」とは言えない状態だったけど、写メくらいはきれいに撮ろうと思い、何とかゴミが写らないアングルで撮影して見みた。


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この日は、雨が降りそうな重たい感じの曇りじゃなかったけど、お日さまがボンヤリする程度の軽い曇りで、空も海もそんなに青くは見えなかった。だけど、曇ってたお陰で、日焼けの心配が少なくなった上に、涼しい海風がとっても気持ち良かった。


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海岸の先に見えるのが、お猿さんでオナジミの高崎山だ。この写真だと、今にも雨が降り出しそうな空の色に見えるけど、これはあたしの古いケータイのカメラのせいで、実際は、薄い雲の隙間から薄いブルーの空が筋になって覗いてた。


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この海外沿いは「的ヶ浜公園」ていう公園になってたので、ここをお散歩してみることにした。


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公園の入り口の左手には、巨大な「生八つ橋」を丸めたみたいなアートなオブジェがあった。


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他にも、女神の像があったり、


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おちんちんを丸出しにした小便小僧みたいな子どもの像があったり、


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逆光でシルエットしか写ってないけど、「かるめん」ていうタイトルの踊り子の像があったりして、別府が温泉だけじゃなくて、芸術にも力を入れてる街だってことがよく分かる公園だった。


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海を見たり芸術を見たりしつつ歩いてくと、誰かがエサでもやってるのか、「ハト地獄」に遭遇した。昨日の「山地獄」には、野田首相と小泉元首相と森元首相と菅元首相がいたけど、鳩山元首相はこっちの公園にいたってワケだ。


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海岸に沿ったコンクリートの段に腰を下ろして、ペットボトルのお茶を飲みながら潮風を感じてるうちに、海の水を触ってみたくなったので、母さんを残して波打際まで行ってみたら、その様子を母さんに写メされてた(笑)


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公園の奥には、立派な万葉の歌碑があった。


 豊後国の白水郎の歌(万葉集巻十六)

 くれなゐに染めてしころも雨降りて匂ひはすともうつろはめやも


「豊後国」は「ぶんごのくに」じゃなくて「とよくにのみちのしり」って読む。あと、これは「白水郎」って名前の人が詠んだ歌じゃなくて、誰が詠んだか分からない「詠み人しらず」の歌だ。「白水郎」ってのは、この歌碑にも読み仮名が振ってあるのが薄っすらと見えると思うけど、「あま」って読む。

今では、海に潜ってサザエやアワビを採る女性のことを「海女(あま)」って呼ぶけど、かつては性別も漁法も関係なく、海で漁をして暮らしている人たちのことを「あま」と総称してた。つまり、この歌は、「豊後の国の漁師さんが詠んだ歌」ってことで、それが誰なのかまでは分からないってことだ。

万葉の時代、「あま」っていう言葉は、東日本でも西日本でも主に「海人」「海部」って表記してたんだけど、ここ、九州では、主に「白水郎」って表記してた。これは、中国の「白水」って場所に水に潜るのが上手な人たちが多かったことから付けられた表記で、こうしたことからも、九州の人たちが古くから中国と交流してたことがうかがえる。


しばらく歌碑を眺めていた母さんが、「万葉集には、柿本人麻呂の『くれなゐにころも染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき』のように、紅花で染めた衣を詠んだ句が多いけど、これらの歌の多くは『淡い恋心』じゃなくて『深い愛情』を詠っているのよね」って教えてくれた。

この歌碑の歌は、直訳すれば「紅に染めた衣は、雨に濡れて色が映えることはあっても、決して色褪せることはありません」て意味だけど、この衣を染めた「紅花」が「愛する人」ってワケだ。つまり、「あなたの色に染められてしまった私の心は、雨(障害)が降れば降るほど燃え上がるのです」的な?(笑)

ちなみに、大分県佐伯市の佐伯湾に浮かぶ大入島(おおにゅうじま)の北端に「万葉歌碑の岩」ってのがあって、この歌碑の歌が真っ赤な文字で刻まれてる。あたしは写真でしか見たことがないけど、いつか母さんと見にいけたらなって思ってる。


‥‥そんなワケで、歌碑の前でしばらく時空を超えた母さんとあたしは、また現実世界に戻ってお散歩を続けた。公園からも見えてたけど、公園から大通りに出ると、目の前の「別府タワー」が、より大きく見えた。


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別府における「別府タワー」は、たぶん、東京における「東京タワー」とおんなじで、地元の人はほとんど上ったりしないんだと思う。だけど、母さんとあたしは観光客だから、ここは「とりあえず上っておこう」ってことで、レトロな券売機で200円の展望券を買ってエレベーターに乗った。


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塔の外観は古くてあちこちが傷んでる感じなのに、エレベーターだけはそこそこ新しくて、わずか100メートルの高さの展望台には、アッと言う間に到着しちゃった。エレベーターの扉が開くと、目の前に、「受付」兼「売店」兼「食堂」兼「案内」的なおばさんがいたので、券売機で買った展望券を渡した。


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展望台の内側の壁には、この別府タワーが建てられた当時のモノクロ写真とかが展示してあって、こういう観光施設にありがちな記念のお土産が目白押しで、ある意味、期待を裏切らない世界が広がってた。特に、赤と白のチェックのビニールのテーブルクロスには、「今どき」感を超越したノスタルジーが満載で、あたしは、子どものころにいった江の島とかの海の家を思い出した。


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別府タワーの展望台は、ゆっくり歩いても30秒、走れば5秒で一周できるほど狭くて、何よりもビビッたのが、あちこちの窓ガラスにヒビが入ってたことだった。さすがに、完全に割れて穴が開いてる窓ガラスは無かったけど、映画「わらの犬」のダスティン・ホフマンの眼鏡をホーフツとさせるような窓ガラスの数々に、あたしは、「絶対にこれは、予算が無いんじゃなくて、レトロ感を演出するために、わざと直さないでいるに違いない!」と確信したほどだ(笑)


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それでも、高さ100メートルの展望台から眺める景色は素晴らしくて、海の向こうには四国がぼんやりと見えた。でも、残念ながら、さっきの「的ヶ浜公園」での「かるめん」の像とおんなじで、逆光になっちゃってケータイのカメラじゃ写らなかった。


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今、お散歩してきた「的ヶ浜公園」は、こんもりした小さな森みたいに見えた。


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これが、別府タワーのマスコット、「別府三太郎」だ。こういうマスコットって、ふつうは可愛い子どもか動物なのに、これは「おっさん」だ。それも、エレベーターやポスターに描かれてる絵を見ると、大半は酔っばらってフラフラになってる。展望台にあった等身大のパネルなんて、酔っぱらって横に寝てた。この辺の感覚も、ある意味、レトロなんだと思った。

この「三太郎」って名前は、この別府タワーを設計した建築構造学者の「塔博士」こと内藤多仲(たちゅう)博士が建てた「3番目の塔」だから「三太郎」だそうだ。ちなみに、内藤博士が建てたのは、「名古屋テレビ塔(1954年)」「2代目の通天閣(1956年)」「別府タワー(1956年)」「さっぽろテレビ塔(1957年)」「東京タワー(1958年)」「博多ポートタワー(1963年)」で、この6つが「内藤博士のタワー六兄弟」って呼ばれてるそうだ。内藤博士は、他にもいろいろな有名な建築の構造を手掛けてて、今は無くなっちゃったけど、東京の千住にあった「おばけ煙突」で有名だった「千住火力発電所」も内藤博士の手によるものだ。


‥‥そんなワケで、母さんは、この別府タワーでも、「第一夜」で別府の街を散策した時のように、「懐かしいわ」って言葉を繰り返してた。初めてきたのに懐かしさを感じるってことは、この別府って街に、日本人の原風景があるのかもしれない‥‥なんてことも思いながら、別府タワーを下りた母さんとあたしは、次なる目的地へと向かうために、目の前のバス停で「大分駅行き」のバスを待った今日この頃なのだ♪


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