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2013.01.15

昭和の切なさ、平成の悲しさ

しばらく前に、面白い‥‥っていうか、ちょっと興味を引くツイートを目にした。小学生の息子さんを持つお母さんのツイートなんだけど、息子さんは生まれた時から自宅にパソコンがある環境の今どきの子どもだから、小学生だけど普通にパソコンが使える。で、ある日のこと、その息子さんが、パソコンの画面の「保存」のアイコンを指差して、「このマークって何の絵なの?」ってお母さんに聞いたそうだ。

それで、お母さんが「それはフロッピーディスクの絵に決まってるじゃない」って答えたら、「フロッピーディスクって何?」って聞かれ、ここで初めてお母さんは、「そうか、今の子どもはフロッピーディスクを知らないのか」って気づいた‥‥っていう内容のツイートだった。

この子の場合は、フロッピーディスクってものの存在自体を知らなかったワケだけど、たとえば、「フロッピーディスクって名前は聞いたことがあるけど実物は見たことがない」とか「存在は知ってるけど使ったことはない」っていう人まで入れると、全国のパソコンユーザーのうち、フロッピーディスクに触れたことがない人は、そうとうの割合になると思う。

で、ここで問題なのは、このアイコンの絵の意味だ。フロッピーディスクの時代を過ごしてきたあたしたちの世代なら、この絵を見ただけで「保存」だってことが分かる。だけど、フロッピーディスクを知らない人たち、名前くらいは耳にしたことがあっても実物を見たことのない人たちにとっては、「このマークって何?」ってことになっちゃうワケだ。

まあ、それでもこれが「保存」を意味するアイコンだってことは間接的に理解できるだろうけど、そうなると、アイコンの絵の意味が消滅しちゃう。アイコンの絵ってのは道路標識みたいなもんで、横断歩道を人が渡ってる絵が描いてあれば「この先に横断歩道がある」ってふうに、文字が読めない人にも簡単に伝わらなければ意味がない。日本語が読めない外国人が日本に来ても、日本の道路標識の大半を理解することができるように、こうしたマークには言語を超えた意味がある今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今は小学生でも普通にケータイを持ってたりパソコンを使ったりしてるけど、あたしの小学生時代には、当然、そんなもんはなかった。つーか、あたしが初めてケータイを持ったのは社会人になってからで、小学生どころか、中学、高校、専門学校と、ケータイなんかなかった。ちょっと進んでる子が、ポケベルを使ってたくらいだ。

で、フロッピーディスクを知らない今どきの小学生は、たぶん、ポケベルも知らないだろう。ポケベルってのは「ポケットベル」の略で、小型の受信機みたいなもの。もともとは外回りをするサラリーマンとかが持ち歩いてて、会社がその人を呼び出す時に使ってたんだけど、安いポケベルが出始めると、一般の人から女子高生までがプライベートで持つようになった。

ちょうど20年前の1993年には、秋元康が『ポケベルが鳴らなくて』っていうトレンディードラマを企画して、ドラマだけじゃなく国武万里が歌った同名の主題歌もヒットした。だけど、今どきの子たちがこの歌を聴けば「ポケベルって何だよ?新種のポケモンかよ?」なんて言いそうだし、このドラマを観たら「何でケータイで連絡しないの?」って思うことウケアイだ。


‥‥そんなワケで、「歌謡曲」は「流行歌」ともいうけど、これは、その歌自体が「一時的に流行する」って意味だけじゃなくて、「世の中の流行を反映した歌」って意味もあると思う。だから、「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて言われてるんだと思うけど、この『ポケベルが鳴らなくて』のように、10年後、20年後には、歌詞に出てくる言葉の意味が理解されなくなっちゃうものも多い。

たとえば、フィンガー5の『恋のダイヤル6700』の「指の震えをおさえつつ、僕はダイヤル回したよ」とか、チェッカーズの『涙のリクエスト』の「ダイヤル回す、あの娘に伝えて、まだ好きだよと」とかの「ダイヤルを回す」ってことが、すでに今の子たちには理解されなくなってきてる。このあたしですら、ダイヤル式の電話機なんてちっちゃいころに使った記憶があるくらいで、人生の大半はプッシュ式の電話機を使ってきたんだから、あたしより10歳くらい下の人たちは、ダイヤル式の電話機なんて見たこともないだろう。

あたしが高校生の時に夢中になってたプリンセス・プリンセスが、16年ぶりに再結成して、去年の暮れの『NHK紅白歌合戦』でヒット曲の『Diamonds』を熱唱したそうだけど、この歌には「ブラウン管じゃわからない景色が見たい」って歌詞が出てくる。今回、初めてこの歌を聴いた小学生や中学生の中には、この「ブラウン管」が何のことなのか分からなかった子もいただろう。

ブルーハーツの『青空』って曲にも「ブラウン管の向こう側」って歌詞が出てくるし、他にも「ブラウン管」て単語を使ってる歌は多い。だけど、ずいぶん前からブラウン管を使ってるテレビやモニターは製造されなくなり、今やリサイクルショップでもブラウン管のテレビは見かけなくなった。だから、これらの歌に出てくる「ブラウン管」が「テレビ」を表わす言い回しだってことが分からない子どもがいるのは当然だし、今の子どもたちが大人になったころには、日本人の大半が理解できなくなってるかもしれない。


‥‥そんなワケで、こうした言葉が歌の歌詞に多用されてるのは、それぞれの作詞者にそれぞれの考えがあってのことだとは思うけど、ザックリと言っちゃえば、オシャレだしカッコイイからだ。「電話を掛ける」と言うよりも「ダイヤルを回す」と言ったほうがオシャレだし、「テレビ」と言うよりも「ブラウン管」て言ったほうがカッコイイからだ。

でも、これは、あくまでも「当時の感覚」であって、今じゃ逆に「ダサい」って感じる人もいるだろう。あたしの場合は、「ダサい」というよりは「昭和の懐かしさ」を感じる。「カルティエ」のことを「カルチェ」、「ロレックス」のことを「ローレックス」って言ってた昭和の懐かしさ、それが「ダイヤル」や「ブラウン管」にはある。そして、これは、あくまでも「当時を知ってる人たちの感覚」であって、当時を知らない今の子たちには、単に「意味の分からない表現」でしかない。つまり、パソコンの「保存」のアイコンにフロッピーディスクの絵が描いてあることとおんなじってワケだ。

チェッカーズの『涙のリクエスト』の「ダイヤル回す、あの娘に伝えて、まだ好きだよと」の前の部分は「最後のコインに祈りを込めてミッドナイトDJ」だけど、ケータイが主流で公衆電話を使う人をメッタに見かけなくなった昨今、もっと時代が進んで公衆電話もカード式のみになれば、この「最後のコインに祈りを込めてミッドナイトDJ」が「公衆電話からラジオに電リクしてる」って意味だと分からない子も出てくるだろう。それ以前に、すでに「電リク」って言葉も死語っぽいけど‥‥。

そして、「ダイヤル回す、あの娘に伝えて、まだ好きだよと」の後の部分は「トランジスタのヴォリーム上げて初めて2人」だけど、これも分からない子がいると思う。RCサクセションの『トランジスタ・ラジオ』みたいに、ちゃんと「ラジオ」まで言ってれば、実物を見たことがなくても「昔のラジオのことなんだろうな」って想像できるだろうけど、これを「トランジスタ」に略しちゃったら、今どきの子には分からなくなる。


‥‥そんなワケで、チェッカーズの『涙のリクエスト』は、ヒットメーカーの売野雅勇さんの作詞だけど、とっても切ない内容だ。他の男を好きになって自分のもとを去ってしまった元カノに対して、「俺は今でも愛してる!」って気持ちを綴ってる。そして、自分の思いを元カノに伝える方法ってのが、仲が良かった時に一緒に聴いてたラジオ番組に、公衆電話から最後の10円玉でリクエストして、2人の思い出の曲を掛けてもらうってワケで、考えただけでも気が遠くなる。

だって、まずはリクエストが採用されなきゃダメなワケで、リクエストが採用されたってカンジンの元カノがその番組を聴いてなきゃダメなワケで、この2つの難関をクリアして、ようやく「伝える」っていう入口に到達できるのだ。その上、この曲を聴いた元カノが「やっぱり前のカレシのほうが良かったな」って思わなきゃダメなんだから、気が遠くなるほどの道のりだし、あまりの成功率の低さに切なくなっちゃう。だけど、この切ない「過程」が最高なのだ。

今なら、ケータイやメールからツイッターやフェイスブックまで、元カノに連絡する方法はいくらでもあるから、もしも、この歌の主人公とおんなじように「元カノに思い出の曲を聴かせてヨリを戻したい」って考えに至ったとしても、メールやSNSで曲を送るってことができる。それに、選択肢がたくさんある今どきの若者なら、こんな遠回りなことなどせず、ソッコーで電話かケータイで「俺とやり直さない?」なんて言いそうだ。

だけど、インターネットどころかケータイもポケベルもなかった当時、相手に自分の気持ちを伝えるための選択肢は、「直接会って話す」と「手紙を書く」と「自宅に電話をする」しかなかった。そして、「自宅に電話する」を選択しても、たいていの場合、電話に出るのは相手の親なワケで、別れた元カノには取り次いでもらえない。そこで、この歌の主人公が考えたのが、いつも2人で聴いてたラジオ番組に、2人の思い出の曲をリクエストするっていう方法だったのだ。

なんて切ないんだろう。なんて純粋なんだろう。深夜だろうと早朝だろうと自分の好きな時に電話でもメールでもできる現代とは違い、インターネットもケータイもなかった時代だからこその、切なさであり純粋さだと思う。そして、この歌の2番では、もしも自分のリクエストした曲をラジオで聴いて、また自分とやり直してもいいって思ったら、お前もおんなじ曲をリクエストしてくれ。そしたら、お前を迎えに行くぜ‥‥って歌ってる。

なんて切ないんだろう。なんて純粋なんだろう。内容はぜんぜん違うけど、『ハイティーン・ブギ』なんかともオーバーラップする時代背景があるから、心の奥から切なさが溢れてくる。あたしは、この焦燥感を伴なった切ない感覚が大好きなんだけど、インターネットやケータイが普及して世の中が便利になったことで、こうした感覚が希薄になってきたように感じてる。


‥‥そんなワケで、インターネットやケータイがなかった時代を知ってるあたしは、今の世の中を「便利になったな」とは思ってるけど、インターネットやケータイがなかった時代に「不便だな」と思って暮らしてたワケじゃない。当時は、それが当たり前だったから、当たり前だと思って暮らしてた。そして、当たり前だと思って暮らしてたから、その中でいろんな工夫をしてた。

たとえば、電話は自宅にしかなかったから、夜の遅い時間に友達と電話でやりとりする時は、最初にベルを2回鳴らして切り、その30秒後に掛ける。そうすると、親が出ずに本人が出る。最初の2回のベルで、あたしからだって分かった友達が、電話を自分の部屋まで引っ張ってくからだ。

ポケベルの時代には、番号の羅列でメッセージを伝える方法も流行したし、ケータイの初期の時代には、メールの文字数でパケ代が跳ね上がったから、暗号めいた略語が流行した。これらの時代を過ごしてきたあたしたちの世代の多くは、それぞれ時代の通信手段を、それぞれの状況に合わせて工夫してきた。だから、一度も「不便だな」なんて感じたことはなかったし、それどころか、こうした「過程」を楽しんでた。

だけど、生まれた時から自宅や学校にパソコンがあり、小学生のうちからケータイや端末を持ち、どこからでも通信できる今どきの子どもたちが、もしも20年前にタイプスリップしたら、絶対に「不便だな」って思うハズだ。これは単に比較の問題だけど、あたしだって、生まれた時から電気も水道があったから、急に江戸時代にタイムスリップして、ローソクを灯りにしたり井戸水を汲みに行く生活になったら「不便だな」って思うだろう。

だから、あたしは、インターネットやケータイがなかった時代を知らない今どきの子どもたちを批判するつもりはない。でも、世の中が便利になったことで、『涙のリクエスト』の世界観を理解できない子どもが増えたりするのは寂しいことだし、何よりも、「過程」を省略して「結果」を早く手に入れたいと思う子どもが増えてしまうことを危惧してる。

欲しいものがすぐに手に入らないとキレる。したいことがすぐにできないとキレる。ネット上には、こんな子どもや若者が増えてきた。ネット上で見つけた「誰かが描いた絵」を自分のアイコンなどに使用したいのなら、まずは作者に使用許可をいただくのが最低限のマナーなのに、この手間を嫌って無断使用する。そして、作者にバレで警告されると逆ギレする。たかがアプリのゲームにムキになって、親のカードで何万円も課金する。そして、親にバレると逆ギレする。一概には言えないけど、こんな子どもや若者が増えてきたのは、自分の好きな時に電話やメールができるのが当たり前という便利な時代に生まれたことが一因のような気がしてる。


‥‥そんなワケで、ケータイの自動変換が発達、普及したことで、漢字が書けない人が増加したみたいに、世の中が便利になったことによる弊害ってのはいろいろあるけど、その中であたしがもっとも心配してるのが、「結果」ばかりを重視して「過程」を疎かにする人が増え、「過程」を楽しんだり味わったりする人が減ってしまうことだ。自分の好きな音楽を聴くために、まずは美味しいコーヒーを淹れて、ステレオの電源を入れて、ターンテーブルにレコードをセットして、スイッチを入れてからソファーに腰掛ける。これが、自販機で缶コーヒーを買ってiPodをオンにするだけになっちゃうと、聴こえてくる曲はおんなじでも、味わいはまったく違ってくる。そして、こうした「過程」が世の中から不要なものと見なされるようになってしまった時、日本古来の「切なさ」という美しい感覚が、単なる「悲しさ」の1つになってしまうと感じた今日この頃なのだ。


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