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2013.01.26

号泣のススメ

去年の12月に、井上荒野さんの『雉猫心中』を読んだので、その流れから、手元にあった井上荒野さんの作品、『ベーコン』か『切羽へ』を読み直してみようと思った。『雉猫心中』に登場するキジ猫は「ヨベル」って名前なので、おんなじ名前の猫が登場する作品が収められてる『ベーコン』を読み直そうかとも思ったんだけど、長編をゆっくり読みたかったのと、『雉猫心中』の主人公の片割れの男性が九州のほうの島の出身だったので、九州の島を舞台にした『切羽へ』のほうを読み直した。

『切羽へ』は直木賞受賞作なので、読んだ人も多いと思うけど、これは、文中に多用されてる方言から、九州は長崎県周辺の島だということが分かる。そして、この島が「かつて炭鉱で栄えた島」だということから、井上荒野さんのお父さんの井上光晴さんが少年時代の何年間かを過ごした島、長崎県の崎戸島をモデルにしてると推測できる。これから読む人もいるかもしれないので、内容については触れないけど、井上荒野さんの作品の中では、ワリとスッキリしてホッとする読後感の作品で、あたしはとっても好きだ。

で、『切羽へ』を読み終わったあたしは、長編小説を2作も続けて読んだので、ちょっと気分を変えるために、次は軽いエッセイを読むことにした。大好きな赤瀬川原平さんの『東京随筆』だ。これも、去年、『雉猫心中』と一緒にBOOK OFFで買って来たんだけど、1編が1ページ程度の短いエッセイ集で、いつでも気軽に読めそうなので、後の楽しみに取っておいた。

この『東京随筆』は、赤瀬川原平さんが「毎日新聞」の夕刊に連載してた「散歩の言い訳」っていうお散歩エッセイをマトメたものた。「毎日新聞」では、毎回、赤瀬川原平さんがその時の気分で東京のどこかをお散歩して、それに同行記者が撮った写真や地図を添えて連載してたんだけど、一冊の本にマトメるにあたって、写真も地図も割愛して文章だけになった。そのため、分かりやすくする意味で、連載の順番は無視して、おんなじエリアなどのカテゴリー別に編集されてて、とっても読みやすい。

赤瀬川原平さんの独特の視点と感性で切り取られた東京のあちこちの景は、あたしも良く知ってる場所なのに「こんな見方もあったのか!」と気づかせてくれる。そして、何よりも感動したのが、赤瀬川原平さんの「老人力」だ。赤瀬川原平さんが『老人力』を書いたのは、今から15年ほど前、まだ還暦を迎えたころだったけど、この『東京随筆』は、それから10年以上も経ってから書かれてるので、赤瀬川原平さんは70歳を超えてることになる。

赤瀬川原平さんは、還暦当初ですら「もの忘れが酷くなった」と言って『老人力』を書いたのだから、この『東京随筆』では、その「老人力」に磨きが掛かり、すでに芸術の域にまで達してる。たとえば、上野動物園の回には、こんな一節がある。


「ぼくはだいぶ歳をとってからだが、動物園で駱駝(らくだ)を見て感動した。ぼさぼさの巨体で、涎(よだれ)を垂らしながら、ふわーっと揺れながら立って生きている。凄い。」


この感覚、この感性は、まさに「老人力」によるものだ。俳句では、美しく咲き誇る花だけでなく、枯れてゆく様子にも「美」を見出すんだけど、この「枯れの美しさ」、「枯れのパワー」こそが、あたしは「老人力」じゃないかと思ってる。この『東京随筆』には、こうした感覚での視点や表現が満載なのだ。そして、赤瀬川原平ワールドをタップリと楽しませていただき、最後に「後書き」を読み終わった時、「2011年2月25日」という日付が目に入った。そうか、赤瀬川原平さんが、この後書きを書いた2週間後に、あの東日本大震災が起こったのか‥‥なんてことを思い、ちょっと複雑な心境になった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、まだアラフォーなので、「老人力」とはホド遠い。記憶力も問題ないし、視力もバッチリだし、何よりもお肌の張りも変化ないし‥‥って言いたいとこなんだけど、実際には、お台所まで行って冷蔵庫のドアを開けた瞬間に何を取りに来たのか忘れちゃったり、PCの画面の文字を大きくしないと読みずらかったり、ファンデのノリがイマイチだったりして来て、ナニゲに不安が脳裏をよぎる。

だけど、考えてみれば、冷蔵庫のドアを開けた瞬間に何を取りに来たのか忘れちゃうのは、今に始まったことじゃない。若いころどころか、子どものころにも覚えがある。PCは画面の小さいノートPCに換えたから文字が読みずらいのは当然だし、ファンデのノリがイマイチなのも寝不足の時は当然だ。だから、これらは「老人力」じゃなくて、あたしがもともと持ってた「きっこ力」だ(笑)

でも、こんなあたしにも、1つだけ思い当たるフシがある。それは、アラフォーに突入してから、ヤタラと涙腺がゆるくなって来たように感じるのだ。あたしは、もともと涙もろいとこがあって、小説や映画、漫画やアニメ、ドキュメンタリーなどでポロポロと泣いちゃうことが多かったんだけど、これが、アラフォーに突入してから、さらに輪を掛けて激しくなって来た。よく、「年を取ると涙もろくなる」って言うけど、これはホントっぽい。

あたしは、一昨年の7月末にテレビが地デジになって映らなくなってから、ずっとテレビのない生活をしてるから、今は、観たいテレビ番組は、知り合いに録画してもらったものをPCで観たり、インターネットの無料配信を利用してる。あたしの観たい番組は、「ロケみつ」の他はぜんぶアニメなんだけど、だいたいは週の頭の月曜日か火曜日に、前の週に放送されたぶんを数日遅れで観てる。

で、何週間か前のこと、「ロケみつ」と「宇宙兄弟」と「スマイルプリキュア!」をマトメて観たんだけど、「ロケみつ」の早希ちゃんのブログ旅で早希ちゃんがいじらしくて泣いて、「宇宙兄弟」でムッタの合格が決まって感動して泣いて、「スマイルプリキュア!」でみゆきの優しさに感動して泣いちゃった。こないだから「ちはやふる」の続編の「ちはやふる2」が始まったんだけど、これまた初回から千早のカルタを愛する思いに感動して泣きっぱなし。

もちろん、これらは、観てる人たちが感動するように作られてるんだから、感動しても別に変じゃない。だけど、過去の自分の「感動レベル」と比較してみると、ちょっとウルウルするレベルであって、ティッシュの箱を抱えるほどポロポロと泣くほどのレベルじゃない。それなのに、あたしの涙腺のダムはいともたやすく決壊して、ポロポロと涙が止まらなくなっちゃう。


‥‥そんなワケで、あたしは、ヤタラと涙もろくなった自分に「老い」を感じてるんだけど、赤瀬川原平さんの『老人力』は、「もの忘れ」や「視力の低下」や「体力の低下」などのネガティブな変化をポジティブに受け入れることが命題だ。だから、あたしも、この「ヤタラと涙もろくなった」ってことをポジティブに受け入れて、自分自身のために生かそうと考えた。それが、「ストレスの発散」だ。

あたしは、悲しくて泣くのや悔しくて泣くのは大嫌いだけど、感動して泣くのや切なくて泣くのは大好きだ。だから昔から、月に1回くらい、児島玲子ちゃんのDVDを観たり、劇場版『ちびまる子ちゃん』を観たりして、思いっきり号泣して来た。そうすると、次の日には気分がリフレッシュして、気持ち良く元気にお仕事に行くことができた。

あたしにとって、感動して号泣することは、何よりのストレス発散だ。だから、歳を重ねたことによって、若いころよりも「ヤタラと涙もろくなった」っていう感性の変化を、この「ストレス発散」のために有効利用すれば、それこそ「老人力」になりうるってワケだ。

で、これは「老人力」の実験とは関係なしに、お正月から大好きなアニメ『十二国記』を少しずつ観て来たんだけど、何日か前に、前半の最後の一番感動する39話、陽子が麒麟に転変した景麒に乗って、自国の軍隊を鎮めるシーンで、あたしは、これまでにないほど感動して号泣しちゃった。今までも、このシーンになると号泣してたんだけど、今回はアニメが終わったあとも涙が止まらなくて、ずっと泣き続けてた。そして、次の日の朝、ものすごくスッキリした気分で目が覚めた。


‥‥そんなワケで、今日は本のことを書いてるので、アニメの話は置いといて、あたしの「読むと必ず泣いちゃう小説」をいくつか紹介しようと思う。これは前にも紹介したけど、あたしの琴線に触れまくりなのは、角田光代さんの『対岸の彼女』で、これは「感動の涙」じゃなくて「切なさの涙」が止らなくなる。胸を締め付けられるほどの切なさで、読み終わるまでに何度も何度も号泣しちゃう。

それから、川上弘美さんの『センセイの鞄』、これは「号泣」はしないけど、切なくて温かくてホロリホロリと涙がこぼれる。だから、ストレス発散には向かないけど、胸にジーンと残る良質の読後感で幸せな気分になれる。

「号泣」と言えば、これらは有名だから読んだことがある人も多いと思うけど、藤沢周平さんの『蝉しぐれ』や、三浦綾子さんの『塩狩峠』は絶対に外せない。どちらも名作中の名作だから、「泣く」「泣かない」に関わらず誰もが感動すると思うし、何よりも作品として素晴らしい。あたしは、まだ「老人力」が身についてない時に読んで号泣したから、今、読み直したら大変なことになりそうだ。


‥‥そんなワケで、号泣することでストレスを発散してるあたしって変な人なのかな?‥‥って思ってたんだけど、インターネットで調べてみたら、『週末号泣のススメ』や『号泣力 心の荷物をすっとおろす』なんて本も見つかったし、「究極のストレス解消法は号泣すること」なんて記事も見つかったし、「号泣セミナー」なんてのも見つかった。だから、あたしの方法は特別なものじゃなくて、実際にあたしとおんなじに号泣することでストレスを発散してる人もたくさんいるみたいだ。だから、まだ試したことがない人は、ぜひ一度、思いっきり号泣してみてほしいと思った今日この頃なのだ♪


  

  


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