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2013.03.20

迷探偵キッコナンの憂鬱

あたしは、好きな本は何度も読み返すタイプなんだけど、さすがに読み終えたトタンに読み返すことはない。たとえば、Aという作家の本を読み終えたら、次は別のBという作家の本を読み、次はまた別のCという作家の本を読み‥‥ってふうに数ヶ月が過ぎて、たまたま最初のAという作家の別の作品を読んだ時なんかに、その内容から触発されて、おんなじ作家の数ヶ月前に読んだ作品を読み返してみたくなる。で、読み返す。そうすると、数ヶ月前に読んだ時には気づかなかったことに気づいたり、数ヶ月前に読んだ時とは違った感触を得ることができたりする。

あたしの大好きな作家の1人である加納朋子さんの作品の中では、あたしは『ささらさや』と『てるてるあした』が特に大好きなんだけど、『ささらさや』は2001年、『てるてるあした』は2005年の作品だから、普通はこの順番で読むし、あたしも最初はこの順番で読んだ。だけど、二度目か三度目に『てるてるあした』を読み返した時、どうしても『ささらさや』も読みたくなったので、続けて読んだ。そしたら、すごく自然な流れが感じられて、発刊順に読むよりも感動することができた。だから、それからは、必ずこの順番で読むことにしてる。

まあ、この2作はおんなじ作家の作品だし、おんなじ町を舞台にした姉妹作品だから、発刊順でも逆でも、続けて読めば2倍楽しめるのは当然だ。だけど、あたしの「読み返し方式」の読書から生まれたのは、この「逆読み」だけじゃない。ある作家のある作品を読み終えた時、数ヶ月前に読んだおんなじ作家の作品を読み返したくなるんじゃなくて、たまに別の作家の作品を読み返したくなることがある。そうして生まれたのが「コラボ読書」という楽しみ方だ。違う作家の作品でも、おんなじテーマのものや似たようなシチュエーションのもの、ストーリーに関連性が感じられるものや主人公のイメージが重なるようなもの、こうした2冊を続けて読む「コラボ読書」によって、A+B=Cの世界が生まれることもある今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしの楽しんでる「コラボ読書」を具体的に説明すると、たとえば、小松左京さんの『日本沈没』と筒井康隆さんの『日本以外全部沈没』、この2冊を続けて読めば『世界中沈没』になっちゃって面白いんだけど、これは「コラボ読書」とは呼べない。筒井康隆さんの『日本以外全部沈没』は、小松左京さんの『日本沈没』が大ヒットしたという前提で書かれたパロディーなんだから、最初から『日本沈没』を読んだ人が対象になってる。つまり、2冊を続けて読めば2倍楽しめるけど、それは筒井康隆さんの想定した範囲内の楽しさであり、読者は筒井康隆さんの手のひらの上で遊ばされてるってだけのことなのだ。

A+B=Cの世界が生まれる「コラボ読書」ってのは、筒井康隆さんの作品なら『虚人たち』を、夢野久作さんの『ドグラ・マグラ』と合わせて読む。順序としては、まず『ドグラ・マグラ』を読んで自分の周りの世界を狂人の解放治療の場に変えておき、そこに『虚人たち』の句点だけで読点のない不思議な時間感覚を連結させる。こうして読むと、『ドグラ・マグラ』を読んでも理解できなかったことや、『虚人たち』を読んでも把握できなかったことが、相乗効果によって氷解され、AでもBでもないCの世界が見えてくる。

あたしは、こんなふうに読書を楽しんでるんだけど、最近発見した「コラボ読書」のヒットは、角田光代さんの『トリップ』と朱川湊人さんの『かたみ歌』だ。この2冊に共通してるのは、どちらも「とある商店街」を舞台にしてるってことと、主人公が次々と入れ替わる短編の連続で構成されてるってこと。角田光代さんの『トリップ』は、時代は現代、場所は東京のベッドタウンにあるパッとしない商店街、朱川湊人さんの『かたみ歌』は、時代は昭和40年代の半ば、場所は東京の下町にあるアーケード商店街、だから、時系列で考えれば『かたみ歌』のほうから読むべきなんだけど、この2作のコラボを楽しむためには、順序は逆のほうがいい。

何でかって言うと、角田光代さんの『トリップ』が現実に十分起こりうるストーリーの連続であるのに対して、『かたみ歌』は朱川湊人さんならではの郷愁をまとった不思議な出来事の連続だからだ。先に『トリップ』を読んで、自分も「とある商店街」を利用している1人になっておき、それから『かたみ歌』を読んで数十年前を回想する‥‥って流れのほうが、双方の作品の味わいが何倍にもなり、A+B=Cどころか、DにもEにも発展していく。

ちなみに、これは偶然なんだけど、2004年下半期の第132回直木賞は角田光代さんが『対岸の彼女』で受賞してて、その次の2005年上半期の第133回直木賞は朱川湊人さんが『花まんま』で受賞してる。両方とも何度も何度も読んでる大好きな作品だけど、残念なことに、この2冊での「コラボ読書」は成立しない。


‥‥そんなワケで、これから読む人もいるかもしれないので、なるべくネタバレにならないように書いてくけど、朱川湊人さんの『かたみ歌』は、推理小説じゃなくてホラー小説だから、何らかの事件や不思議な出来事が起こっても、推理小説のように最後にキレイサッパリと解明されるワケじゃない。どこかに消えてしまった少年は消えたまま、謎の光る玉の正体も分からぬまま、「もしかしたらこうなんじゃないか?」っていう確証のない推測の中、物語はエンディングを迎える。

ただ、不思議な出来事の発生に至るツジツマは合うように書かれてるから、読後に残尿感はない。逆に、昭和30~40年代を飾った数々の流行歌の他に、「エイトマン」や「忍者部隊月光」、「ザ・タイガース」や「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」、「手塚治虫」や「石森章太郎(石ノ森章太郎)」、「岡林信康」や「吉田拓郎」などの固有名詞によって、この時代を知る人たちには、何とも言えない郷愁や憧憬の余韻を残してくれる。

あたしは、ちょうどこの小説の舞台になってる時代に生まれたから、リアルタイムでの流行歌やアニメの記憶はほとんどないけど、大人になってから「自分の生まれた時代の大衆文化」に興味を持っていろいろと調べたりしたから、ここに登場する固有名詞はすべて分かった。だから、あたしよりひと回り上の人、50代の人だったら、リアルタイムで体験してる世界で、あたしの何倍もジンワリと楽しめると思う。


‥‥そんなワケで、いよいよ本題に入るけど、朱川湊人さんの『かたみ歌』を読んで、あたしにはどうしても解けない謎が1つだけ残った。それは、短編全話に登場する「影の主人公」である古本屋のご主人の吸うタバコについての謎だ。古本屋の名前やご主人の名前も、ある意味、ネタバレ要素があるので、ここでは伏せるけど、このご主人は高齢の気難しそうな外見の男性で、芥川龍之介に似てる。でも、話すと気さくな人物で、やたらとタバコを吸うヘビースモーカーだ。で、1話目の「紫陽花のころ」の主人公、この町に引っ越してきたばかりの小説家志望の男が、この古本屋に何度か通って顔なじみになると、こんな一節が登場する。


「そう言いながら店主はセブンスターを一本くわえ、私にも一本勧めてくれた。」


4話目の「おんなごころ」には、こんな描写が登場する。


「古本屋の主人はベンチに腰を降ろしたまま、セブンスターに火をつけた。」


そして、極めつけは5話目の「ひかる猫」での、次の一節だ。


「すべての家財道具を始末し、マンガを描く道具だけが入ったカバンの中から、私はセブンスターを三つ取り出して、ご主人に手渡しました。」


これは、この町の安アパートに住んでマンガ家を目指していた青年が、故郷の両親との「三年がんばっても芽が出なければ田舎に帰って就職する」という約束を守って、田舎に帰るシーンだ。お世話になった古本屋のご主人に、お礼としてセブンスターを3個、渡している。そして、最終話の「枯葉の天使」では、ずっと伏せられてきたご主人の名前が明らかになり、次のように書かれている。


「●●はいつもの場所に座って、灰皿を引き寄せた。セブンスターを一本つけて深々と吸い込み、数秒溜めて勢いよく吐き出す。」


名前を書くとネタバレ風味になっちゃうので、ここでは伏せたけど、ここまで繰り返し書いてあれば、このご主人は「セブンスターを好む愛煙家」ってことになるだろう。他の話では、タバコの銘柄までは書かれてないけど、2話目の「夏の落とし文」では「主人がくわえ煙草で店の奥から出てきた。」、6話目の「朱鷺色の兆」では「いつも煙草ばかり吸っていて、とっつきにくそうなタイプに見えるけど、話してみれば、なかなか気のいい人だったよ。」など、ヘビースモーカーであることが描かれてる。

ただ単に「ヘビースモーカーだ」ってことを印象づけるだけじゃなく、わざわざ「セブンスター」という銘柄を何度も登場させてるのは、タバコの銘柄を特定することでストーリーにリアリティーを持たせる‥‥ってよりも、タバコの銘柄をキャラクターのイメージの1つにするってケースだ。有名なとこでは、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』や『さらば愛しき女よ』から『長いお別れ』へと至るハードボイルドの名作に登場する私立探偵、フィリップ・マーロウがいつもくわえてる「キャメル」だ。ハンフリー・ボガートがフィリップ・マーロウを演じた『大いなる眠り』は、日本では『三つ数えろ』という邦題で公開されたけど、スクリーンの中のハンフリー・ボガートはタバコばかり吸ってるし、実際のハンフリー・ボガートもヘビースモーカーだった。

だから、余談になるけど、映画『イージーライダー』の中で、マリファナのジョイント(手巻きタバコ)を回してるシーンで流れる The Fraternity of Man の『Don't Bogart Me』って曲では、「Don't bogart that joint, my friend.Pass it over to me.(ハンフリー・ボガートみたいに独り占めしないで、こっちにもマリファナのジョイントを回してくれよ)」なんて歌詞が繰り返されてる。これは、ハンフリー・ボガートが必要以上に時間を掛けてタバコを吸うことから生まれた言い回しで、タバコやマリファナだけじゃなくて、食べ物でも飲み物でも何にでも使われる。


‥‥そんなワケで、話はクルリンパと元に戻るけど、作者の朱川湊人さんが、この古本屋のご主人をヘビースモーカーにしたことや、セブンスターという強い銘柄を好みにさせたのは、タバコという嗜好品が男のカッコ良さを表現するための小道具の1つだった古き佳き時代への回帰、さらには、フィリップ・マーロウへのオマージュが背景にあったのかもしれない。もちろん、何よりも大きい理由は、昭和40年代という時代背景に合致させるための演出なんだろうけど、あたしは、それ以上のものを感じた。だから、余計に謎なのだ。何がって、3話目の「栞の恋」に登場する、次の一節がだ。


「主人は近くにあったハイライトの箱を取ると、一本くわえて火をつけながら言った。」


全7話から成る『かたみ歌』の中で、たった1ヶ所だけ、否、たった1本だけ、古本屋のご主人はハイライトを吸ってるのだ。そして、その理由はどこにも書かれていない。たとえば、自分のセブンスターを切らしてしまい、たまたま友人が忘れていったハイライトがあったので、それを間に合わせに吸った‥‥とか、何らかの理由が書かれていれば何も問題ないし、この一節が何かの伏線になってて、最終話でツジツマが合うとかなら言うことなしなんだけど、どうしてハイライトを吸ったのかは最後まで謎のままなのだ。

そこで、あたしは、この謎を解くために、ヒサビサにあの人を呼び出してみることにした。そう!頭脳は子供でもベッドでは大人!迷探偵キッコナン!‥‥てなワケで、キッコナンはさっそく『かたみ歌』を読み始めた。そして、数時間後、読み終えたキッコナンは、開口一番にこう言った。


「分かったわ!」

「ええっ?」

「確かに、きっこの言う通り、どの話でもセブンスターを吸ってるご主人が、3話だけはハイライトを吸ってるわね」

「でしょ?」

「だけど、3話の内容を考えれば、これは作者が仕組んだ『ちょっとした遊び心』だってことが分かるはずよ」

「どういうこと?」

「3話の主人公は商店街の酒屋の娘さんだけど、その娘さんが古本屋の棚にある一冊の専門書を使って、ある男性と手紙のやりとりをするって話よね?」

「うん!」

「酒屋の娘さんが、ひと言だけメッセージを書いたメモをその本に挟んでおき、数日後にまた古本屋さんに行ってその本をひらくと、ある男性からの返信が挟んである。こうして、2人は手紙のやりとりを続けていく」

「うんうん!」

「だけど、とっても不思議で、とっても悲しい結末が待ってる」

「うんうんうん!」

「つまり、この数奇なストーリーは、酒屋の娘さんが古本屋の棚の一冊の専門書をひらくことから始まったわけよね?」

「うんうんうんうん!」

「で、ご主人がハイライトを吸うシーンの一節には、何て書いてあった?」

「え~と、『主人は近くにあったハイライトの箱を取ると、一本くわえて火をつけながら言った』って書いてあるわ」

「セブンスターの描写との違いが分かる?」

「ええっ?」

「セブンスターの描写は、どれも『セブンスターを一本くわえ』とか『セブンスターに火をつけた』とか『セブンスターを三つ取り出して』とかで、1つも『セブンスターの箱』って表現は使ってないでしょ?だけど、ハイライトは『ハイライトの箱を取ると』って言ってるの」

「そう言われてみれば、その通りだわ。だけど、それが一体‥‥」

「ハイライトのくだりは、『主人は近くにあったハイライトを一本くわえて火をつけながら言った』でも通じるのに、それをわざわざ『主人は近くにあったハイライトの箱を取ると、一本くわえて火をつけながら言った』と書いてる。つまり、ハイライトの謎は、この『箱』にあるのよ!」

「どういうこと?」

「ハイライトの箱には何て書いてある?」

「そりゃあ、ハイライトって書いてあるでしょ?」

「そうだけど、正確には、カタカナじゃなくて英語で『hi-lite』って書いてあるのよ」

「うん!」

「そして、この『hi-lite』っていう文字を半分くらいローマ字読みすると『ひらいて』って読めない?」

「ええっ?」

「つまり、古本屋の棚にある専門書を『ひらいて』って意味なのよ!作者の朱川湊人さんは、ちょっとした遊び心で、この話だけセブンスターをハイライトに変えたってわけ!」

「う、う~ん‥‥何か無理があるような‥‥キッコナン、もしかして推理力が鈍ったんじゃない?」

「そんなこと言ったって、他に何も理由が見つかんないんだも~ん!この業界、タフでなければ生きて行けないし、優しくなれなくては生きている資格がないのよ!」

「はあ?」


‥‥そんなワケで、サスガの迷探偵キッコナンも、久しぶりすぎて勘が鈍っちゃったのか、推理のほうはイマイチだったけど、最後の捨てゼリフだけはフィリップ・マーロウ風味に決めてくれた‥‥てなワケで、あたしが密かに楽しんでる「コラボ読書」だけど、今回ご紹介した角田光代さんの『トリップ』と朱川湊人さんの『かたみ歌』との「コラボ読書」は、初めての人でもケッコー楽しめると思う。何でかって言うと、『トリップ』の全10話の8話目までは現実的な現代のストーリーなのに、9話目で突然、郷愁をまとった不思議な出来事が起こり、最後の10話で大きく飛躍して、まるで昭和30年代か40年代にタイムスリップしたかのような世界へと誘ってくれるからだ。ここから『かたみ歌』の世界へ流れ込むと、言葉じゃ説明できないような感覚に包まれることウケアイな今日この頃なのだ♪


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