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2013.06.30

桃屋にまつわるエトセトラ

3.11をキッカケに、あたしは母さんと一緒に暮らすようになったけど、今は本職が開店休業状態で、内職や短時間のバイトで食いつないでるから、ほとんどお家にいて、ほとんど母さんと過ごしてる。もちろん、それぞれのペースでそれぞれの生活をしてるから、朝から晩までずって顔を合わせてるワケじゃないけど、朝、昼、晩の食事は、ほとんど一緒に食べてる。

テレビもないし、ラジオもないし、まるで吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』みたいな生活だけど、今は便利なインターネットがあるから、radikoを使ってAMやFMのラジオを聴くことができるし、映画やアニメを観ることもできるし、音楽を楽しむこともできる。だから、今は、母さんとの食事の時間には、たいていラジオが流れてるんだけど、これってホントに素晴らしいことだと思う。

食事をする時にテレビをつけてると、自然と視線はテレビに向いちゃうから、家族との会話もなくなるし、何よりも食べてるお料理をちゃんと見なくなる。家族で食卓を囲んでるのに、お互いの顔も見ず、お箸でつまむ時だけお料理に目をやり、パクッと口に入れた時には、もう視線はテレビの画面に戻ってる。これじゃあせっかくのお料理の味も半減だ。

その点、ラジオなら、視線は自分の食べてるお料理と、テーブルを囲んでる家族の顔に向く。ちゃんとお料理を見ながら食べて、ちゃんとお互いの顔を見て会話をすることができる。だから、お料理を視覚的にも味わうことができるし、家族との会話にも心がこもり、相手の表情から言葉以上の機微を読み取ることができる。

あたしの場合は、ほとんどの家具を捨ててきたので、今は貰い物の電気コタツをちゃぶ台にしてるんだけど、食事の時間はラジオを聴きつつ、並べたお料理を視覚的にも味わいつつ、向かいに座ってる母さんの顔を見つつ、いろんなことを話しながら食事を楽しんでる。話しながらと言っても、食べ物が口の中に入ってる時まで話してるワケじゃないから、食事の時間の半分くらいは、母さんもあたしもラジオに耳を傾けてる。パーソナリティーが面白い話をすれば二人で一緒に笑い、懐かしい音楽が流れれば二人で一緒に懐かしんでる。

ちなみに、あたしのパソコンは、東京にいた時に契約したドコモを使ってインターネットにつないでるから、日本全国どこへ行っても東京が基地局になる。日本全国どこからアクセスしても東京からアクセスしてることになり、radikoをつければ東京のラジオしか聴くことができない。愛媛の松山に行った時も、大分の別府に行った時も、ビジネスホテルの部屋の回線につなげると、その地方のラジオを聴くことができたんだけど、自前のドコモにつなぐと東京のラジオしか聴けなくなる。

だから今は、AMは「TBS」「文化放送」「ニッポン放送」「ラジオ日本」、FMは「TOKYO FM」「NACK5」「bayfm」「J-WAVE」「Fm yokohama」「interfm」、あとは「ラジオNIKKEI」の第1と第2と「放送大学」しか聴くことができない。ま、これだけ聴ければ十分だし、他にもアプリを利用して全国の主なFMを聴くことができるので、特に困ることはない。それよりも、東京のラジオは、東京へのホームシックを癒すのに役立ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、3.11以来、ずっと母さんと一緒に過ごしてて、いつも一緒に食事をしてるのに、よくもまあ話題が尽きないもんだと自分でも感心しちゃうくらい、食事のたびによくおしゃべりをしてる。特に、去年の秋に別府へ旅行してからは、温泉の効果で母さんの脳みそが活性化しちゃったのか、母さんはもちろんあたしも忘れてた昔のことを次々と思い出すみたいで、どうでもいい話から面白い話までいろいろと飛び出してくる。

食事をしながらだから、その大半は「今、食べてるもの」がキッカケになって、ずっと忘れてたことを思い出すみたいだ。たとえば、アジのひらきをおかずに晩ごはんを食べてると、「そう言えば、きみこが幼稚園の時、アジの骨を喉に刺して大騒ぎしたことがあったわよね」なんて言い出す。もちろん、あたしはそんなこと覚えてないし、母さんだってずっと忘れてたんだろうけど、こうして毎日、顔を合わせておしゃべりしながら食事をするようになったことで、頻繁に思い出すようになったみたいだ。

で、昨日のこと、お味噌汁とお漬物だけで簡単に朝ごはんを済ませようと思ったんだけど、母さんが冷蔵庫から桃屋の『江戸むらさき』の「唐がらしのり」を持ってきたので、あたしもご飯の上に乗せて食べた。そしたら、しばらくして母さんが、「きみこは子どものころ、『ごはんですよ!』が大好物だったわよね」って言ったので、あたしもジョジョに奇妙に記憶が蘇ってきた。


「そうそう、卵かけご飯の時も、お醤油の代わりに『ごはんですよ!』を混ぜて食べるのが好きだったな」

「遠足や運動会の時のおにぎりも、必ず1個は『ごはんですよ!』にしないと文句を言ってたのよ」

「そうだっけ?」

「朝ごはんがパンの時も、トーストに『ごはんですよ!』を塗って食べてたわよ」

「それで、これじゃあ『ごパンですよ!』になっちゃうよね!って言って笑ってたね!」

「パンだけならいいけど、きみこは画用紙にまで『ごはんですよ!』を塗ったのよ」

「はあ?」‥‥ってなワケで、あたしにはまったく身に覚えがなかった。どんなに『ごはんですよ!』が好きだったからって、いくら何でも画用紙に塗るワケないし、塗ったとしてもヤギじゃないんだから食べられない。それで、どんなことなのか母さんに聞いてみたら、母さんの話を聞くうちに、あたしは「ハッ!」と思い出した。そうだ!あたしは画用紙に『ごはんですよ!』を塗って、ものすごく叱られて、押し入れに入れられてずっと泣いてたことがあったんだ!

会話形式で書いてくと無駄に長くなっちゃうので、母さんの話とあたしが思い出したことを総合して普通に書いてくけど、これは、あたしが4歳か5歳の時のことだ。あたしは、物心ついたころから桃屋の『江戸むらさき』や『ごはんですよ!』が大好物だったんだけど、この時まで『江戸むらさき』や『ごはんですよ!』が何なのか分からないまま、「ご飯に乗せると美味しいもの」「おにぎりに入ってると美味しいもの」としか認識してなかった。ようするに、大好物なのに「海苔の佃煮」だってことを知らなかったのだ。

で、この時あたしは、初めて母さんから「海苔の佃煮」だってことを教えられた。「佃煮」って言葉は難しいから使わなかったと思うけど、「海苔が原料」だってこと、「海苔をコトコトと煮て作る」ってことを教えられたんだと思う。朝ごはんの時だったのか晩ごはんの時だったのかは母さんも覚えてなかったけど、ご飯に大好物の『ごはんですよ!』を乗せて食べながら、母さんの話を聞いて、4歳か5歳のあたしは「へえ~!」って思ったんだと思う。


‥‥そんなワケで、大好物の『ごはんですよ!』が海苔を煮たものだってことを知ったあたしは、とんでもないことを思いついちゃったのだ。このままご飯に乗せただけでメッチャ美味しいし、パンに塗ってもメッチャ美味しいんだから、『ごはんですよ!』が一枚の大きな海苔になったら、きっと天にものぼるほど美味しいハズだ。そう思ったあたしは、『ごはんですよ!』を元の海苔の形に戻すために、お絵かき用のスケッチブックを持ってきて、何も描いてないないきれいな画用紙にスプーンで『ごはんですよ!』を塗り始めちゃった。

ある程度の年齢になってからなら、「海苔が原料」と聞けば「海苔という海藻が原料」って理解しただろうけど、まだちっちゃかったあたしは、四角い焼き海苔を原料にして『ごはんですよ!』が作られてると思ったのだ。四角い焼き海苔を適当に切ってお鍋に入れて、コトコトと煮て味付けをしてるんだと思ったから、画用紙に薄く塗って乾かせば、元に形に戻ると思ったみたいだ。あたしは、味付け海苔も大好きだったから、『ごはんですよ!』を画用紙に薄く塗って乾かせば、ものすごく美味しい味付け海苔ができると思ったみたいだ。

ものすごく美味しい味付け海苔ができれば、きっと母さんも喜んでくれると思ったあたしは、母さんをビックリさせるために、画用紙に『ごはんですよ!』を塗ったスケッチブックをお部屋のどこかに隠した。どれくらいで乾くか分からなかったけど、チョコチョコと様子を見て、乾いて立派な味付け海苔が完成したら、得意な顔をして母さんに渡す。母さんは驚いて、あたしのことを褒めてくれる。たぶんあたしは、そう思ったんだと思う。

だけど、結果は正反対だった。朝、新しい『ごはんですよ!』を開けたばかりなのに、その日の夜には瓶がカラッポになってたもんだから、母さんはあたしを問い詰めた。母さんは、あたしがぜんぶ食べちゃったと思ったのだ。もちろん、こんなに味の濃いものを一度に一瓶も食べたら体に良くないから、母さんはあたしの体を心配して問い詰めたのだ。

あたしはビックリして、「食べてない」と言いながら、隠してたスケッチブックを取ってきて母さんに見せた。画用紙は『ごはんですよ!』の水分を吸って波打ってて、その下の画用紙にも、その下の画用紙にも染みが広がってた。あたしが食べ物をおもちゃにして遊んでたと思った母さんは、カンカンに怒った。母さんはふだんから、あたしが食べ物を残したり食べ物を粗末にすると、目を吊り上げて怒る人だった。

あたしは、決して食べ物をおもちゃにしたわけじゃない、食べ物を粗末にしたわけじゃない、美味しい味付け海苔を作って母さんにも喜んでもらおうと思っただけだ‥‥って説明したかったんだけど、ちっちゃかったあたしには、この状況下でそんなことを説明するなんて無理だった。あたしにできることは、ただワンワンと泣き続けることだけだった。泣き続けるあたしは、母さんに押し入れに入れられて、しばらく許してもらえなかった。


‥‥そんなワケで、これほどの大事件なのに、あたしは30年以上も忘れてたワケだし、母さんもどれくらいかは分からないけど長いこと忘れてたワケだ。それなのに、昨日、『江戸むらさき』の「唐がらしのり」を食べたことがキッカケで、『ごはんですよ!』に関する子どもの時のことをいろいろと話してるうちに、母さんが思い出し、あたしも思い出し、二人で笑い合うことができたってワケだ。そして、あたしは、とっても大事なことも思い出した。それは、母さんに叱られて押し入れに入れられてワンワン泣いた次の日の夜、冷蔵庫の中に新しい『ごはんですよ!』が入ってたことだ。『ごはんですよ!』が大好きだったあたしのために、母さんがすぐに買ってきてくれたのだ。だから、あたしは、この事件がトラウマにならずに、すぐにケロッと忘れることができたんだと思う。そして、35年も経ってから、あらためて母さんに「ありがとう!」って言ってみた今日この頃なのだ♪


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2013.06.24

東京都議選の分析と雑感

昨日の日曜日は、阪神競馬場ではGⅠレースの「宝塚記念」が開催され、東京では「東京都議選」が行なわれた。「宝塚記念」は、あたしの予想通り、芦毛最強のゴールドシップが格の違いを見せて快勝し、ゴールドシップから上位人気3頭を外してダノンバラード、シルポート、ナカヤマナイトへの馬単3点を買ってたあたしは、ミゴトに的中して6180円の配当をGET MY LOVE!した。「東京都議選」のほうも、あたしの予想通り‥‥って言うか、大方の予想通り、民主党が惨敗して自民党が議席を取り戻し、自公による過半数が確定した。

ま、これは選挙をするまでもなく分かってたことだけど、何よりも驚いたのが、日本共産党の大躍進だ。自民党が39から59へと議席を戻したのも、公明党が23の議席をキープしたのも、民主党が43から15へと大敗したのも、ほとんどの人が想像してた通りだろうけど、まさか日本共産党が8から17へと大幅に議席数を増やし、民主党を追い抜いて野党第1党へと躍り出るなんて、さすがに予想した人は少なかったと思う。これで日本共産党は、東京都では名実ともに「確かな野党」になっちゃったのだ。

他には、みんなの党が1から7へと、これまた躍進し、生活者ネットワークも2から3へと議席を増やした。一方、橋下徹共同代表が「選挙に負けたら責任を取って共同代表を辞任する」と宣言して背水の陣を敷いた日本維新の会は3から2へと議席を減らし、無所属は6から1になった。民主党が議席を28減らし、自民党が20増やし、日本共産党が9増やしたんだから、この3党だけで考えれば、前回、民主党に投票した有権者のうち、3分の2が自民党へ戻り、3分の1が日本共産党へ移ったことになる。もちろん、そんなに簡単な話じゃないと思うけど、この日本共産党の大躍進が何を意味するのか、あたしなりに分析してみた。

今回の都議選の結果を受けて、自民党の安倍晋三総裁は「わたくしの半年間の政権の実績に一定の評価をいただいた結果だと思います」って自画自賛してたけど、あたしはそうは思わない。中には、そういう奇特な人も多少はいたかもしれないけど、自民党に投票した有権者の大半は、昨年末の衆院選と同じく、「民主党にはコリゴリ」という人たちによる「民主党だけは絶対に嫌だけど今まで投票したことのない小さな政党も不安だから自民党に投票する」という「消去法の投票」「後ろ向きの投票」だったと思う。

そして、アベノミクスによる値上げラッシュでホントに生活に困窮してる人たち、安倍自民党の原発推進政策に本気で怒ってる人たちの票が、日本共産党の議席数を押し上げたんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、安倍自民党の政策が東京都民に支持されてないと思う第一の理由は、今回の都議選の投票率の低さだ。今回の都議選の有権者の総数は1058万9228人で、このうち投票したのは460万6599人、投票しなかったのは598万2629人、投票率は43.50%で、前回の54.49%より11ポイントも低かった。これは「過去2番目の低さ」だそうで、自分の住んでる東京都の政治、自分の生活に密着した政治なのに、「そんなことどうでもいい」と思ってる有権者が600万人近くもいたことになる。

ホントに安倍自民党の政策が評価されてて、マスコミが連呼するようにアベノミクスが期待されてるなら、選挙はもっと熱狂的になり、投票率だって大幅に上がるハズだ。だけど、現実はこのシラケぶり。47都道府県の中で最も人口が少ないのは、約59万人の鳥取県だ。つまり、この600万人てのは、鳥取県の全人口の10倍に当たる。それだけの数の人たちが、自分の住んでる東京都の政治に無関心なのだ。

ちなみに、今回の都議選の投票率が最低だったのは港区の32.52%、最高だったのは伊豆七島の利島村の86.33%だった。すべての市区町村を書くと大変なので、東京23区だけを投票率の低い順に並べてみる。


港区 32.52%
渋谷区 35.66%
中央区 40.81%
目黒区 41.03%
新宿区 42.23%
江戸川区 42.26%
豊島区 42.32%
台東区 42.52%
千代田区 42.63%
品川区 42.72%
杉並区 43.03%
中野区 43.10%
板橋区 43.80%
世田谷区 43.95%
葛飾区 44.25%
大田区 44.50%
足立区 44.78%
練馬区 45.28%
墨田区 45.32%
荒川区 46.17%
文京区 46.22%
江東区 46.82%
北区 48.89%


東京23区の名前を並べられてもピンと来ない人たちには申し訳ないけど、東京生まれ東京育ちで、母さんが東京の下町出身、父さんが東京の山の手出身のあたしは、この一覧をパッと見ただけで、「ある傾向」が分かる。それは、地価が高くお金持ちがたくさん住んでる区の投票率が低く、地価が安く庶民が多く住んでる区の投票率が高いってことだ。

世田谷区には成城学園や岡本、大田区には田園調布などの高級住宅街があるけど、それは広いの区のほんの一角のことで、それ以外の場所には何倍もの庶民が住んでるから、世田谷区や大田区は平均してちょうど真ん中くらいの投票率になったんだと思う。

中には、江戸川区のように、庶民の多い下町なのに上位にランクインしてる区もあるけど、数字だけで見れば42%台は密集してるので、順位はそれほど重要じゃないと思う。それよりも、このランキングを大きく3つに分けて、42%未満を「低」、42%~44%台を「中」、45%以上を「高」としてみると、あたしの指摘が顕著になると思う。特に、港区と渋谷区の低さと、北区を筆頭にした庶民が多く住んでる区の高さだ。おんなじ東京23区なのに、最低と最高で16ポイント以上も差があるんだから、これは「住んでる人たちの政治に対する意識の差」が数字になって表われたものだと思う。

もちろん、港区の億ションに住んでてもちゃんと投票に行った人もいるだろうし、北区の家賃3万円のアパートに住んでても投票に行かずに昼寝をしてた人もいるだろうから、あたしは、この数字を持って、港区や渋谷区の有権者を批判するつもりは毛頭ない。つーか、それ以前に、23区すべてが50%以下だってことに呆れ果ててる。この数字は、日本の首都である東京都の中心の23区の有権者の半数以上が「政治に無関心」ということだからだ。

だけど、ここで問題になるのは、「政治に無関心な人たち」じゃない。「政治に無関心な人たち」は、今回だけじゃなく、前回も前々回も投票には行かなかっただろうから、そんな人たちはどうでもいい。ここで問題になるのは、前回は投票に行ったのに今回は行かなかった人たちだ。つまり、前回の投票率54.49%から、今回の投票率43.50%を引いた「11ポイント」の人たちだ。

中には、前回はまだ未成年で選挙権がなく、今回初めて選挙権を得た人もいるだろうし、前回は投票できたけど、今回は他府県へ引っ越してたり、もう亡くなってしまった人もいるだろう。でも、そうした特殊な例は極めてわずかであり、この「11ポイント」の大半は、あたしは「もう政治に期待するのをやめた人たち」だと考えてる。これは、「期待していた民主党に裏切られてガッカリした人たち」であると同時に「現在の安倍自民党にも何も期待していない人たち」だ。


‥‥そんなワケで、自民党の安倍晋三総裁は「わたくしの半年間の政権の実績に一定の評価をいただいた結果だと思います」って自画自賛してたけど、この恥ずかしくなるほど低い投票率が表わしているのは、あたしは、有権者の「政治に対する期待感のなさ」だと分析してる。これは、議席数を大きく減らした民主党は当然として、議席を取り戻して調子に乗ってる安倍自民党に対しても同様なのだ。多くの有権者がホントに安倍政権に期待してるのなら、投票率が上がることはあっても、ここまで下がることなどアリエナイザーだからだ。今回の投票率と自民党の得票率から計算すると、安倍自民党を支持して一票を投じたのは、東京都の全有権者のわずか15%にしか過ぎない。そして、アベノミクスに苦しめられている庶民たちの怒りと不満が、共産党の大躍進に反映されたんだと思う。だから、安倍自民党が調子に乗って原発推進だTPPだ改憲だとやりたい放題を続けていたら、来月の参院選では日本共産党が台風の眼となって、きっと大きなシッペ返しを食らうことになると思ってる今日この頃なのだ。


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2013.06.18

本歌どりの世界/後編

‥‥そんなワケで、昨日からの続きだけど、『小倉百人一首』に収められてる歌の中には、誰かの歌を下敷きにして詠まれた「本歌どり」の歌が何首かある。今日の「後編」では、それらの歌を紹介していこうと思うんだけど、解説してく上で分かりやすくするために、歌に振られてる番号も添えていく。だから、『小倉百人一首』のことがイマイチ分からない人は、以下のリンク先の一覧を必要に応じてチョコチョコと見ながら読んでほしい。


『小倉百人一首の一覧』
http://www.diana.dti.ne.jp/~fujikura/List/List.html


で、最初に紹介する「本歌どり」は、42番の清原元輔(きよはらのもとすけ)の歌だ。


 契(ちぎ)りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは  清原元輔


「小高い丘になっている末の松山を海の波が絶対に越えないように、私へのあなたの思いも絶対に変わらないと涙で袖を濡らしながら約束したのに‥‥」っていう、心変わりしてしまった恋人に対する恨みの歌だ。そして、この歌の元になってるのは、『古今和歌集』に収められてる「よみ人知らず」の次の歌だ。


 きみをゝきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ  よみ人知らず


「もしもあなたをさしおいて私が誰かに浮気心を持ったとしたら、末の松山を波が越えてしまうでしょう」って意味だ。つまり、「末の松山を海の波が越えることなどありえない」→「私があなたを裏切って他の人を好きになることなどありえない」っていう論法で、相手に対する自分の深い思いを表現してるワケだ。

だけど、この歌を踏まえた清原元輔の歌は、いきなり冒頭から「契りきな(約束したのに)」と始まってる。つまり、清原元輔の歌は、本歌あっての歌ってワケで、清原元輔の歌を読んだ人たちは、みんな『古今和歌集』に収められてる「よみ人知らず」の有名な歌を頭に浮かべて、この2首をセットにして味わうことになる。あれほど強く約束したのに、どうしてあなたは私を裏切ったの?このミゴトな大転換は、『小倉百人一首』に選ばれてしかりだろう。

ちなみに、この歌を詠んだ清原元輔は、62番の「夜をこめて」を詠んだ清少納言のお父さんで、36番の「夏の夜は」を詠んだ清原深養父(ふかやぶ)の孫だ。つまり、36番の清原深養父から見れば、62番の清少納言は「ひ孫」にあたるワケで、ずいぶん長い年月に渡った中から『小倉百人一首』がセレクトされてることが分かると思う。

『小倉百人一首』は、1番の歌から100番の歌までが、ほぼ年代順に並んでる。分かりやすく西暦で言うと、1番の天智天皇が626年、100番の順徳院が1242年なので、約600年の年月の中で詠まれた数えきれないほどの歌の中から、1人1首ずつ、合計100首の優秀な歌が選ばれている。つまり、ここに選ばれなかった歌人の数は膨大なワケで、そう考えると、36番の清原深養父と、その孫の42番の清原元輔と、その娘の62番の清少納言は、和歌に関しては超エリートの家系ってことになる。

比較するのはおかしいかもしれないけど、今の日本の文学でもっとも「商業的な影響力」のある「芥川賞」と「直木賞」は、1年に前期と後期の2回の選考があり、場合によっては1つの賞を2人の作家が受賞することもある。つまり、2つの賞を合わせると、最大で1年に8人の受賞者が誕生する。逆に「該当作なし」の回もあるので、平均して1回の受賞者を1人としても、年間に4人の受賞者が誕生する。これが600年続いたら、受賞者は2400人だ。

一方、『小倉百人一首』の方は、600年で100人だ。だから、確率だけで言えば、『小倉百人一首』に自分の歌が選ばれるってことは、「芥川賞」や「直木賞」を受賞することの24倍も狭き門だったことになる。そう思って『小倉百人一首』を鑑賞すると、それぞれの歌の世界がうんと広がって、何倍も深く味わえるようになってくる‥‥ってなワケで、寄り道はこのくらいにして、お次は90番の殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌だ。


 見せばやな雄島(おしま)の海人(あま)の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず  殷富門院大輔


「清原元輔」なんていうジャイアンツにいそうな名前の歌人の次に、「大輔」なんていう、これまたプロ野球選手にアリガチな名前の歌人が登場しちゃったけど、これは「だいすけ」じゃなくて「大輔(たいふ)」という役職名で、この人は女性だ。「殷富門院(いんぷもんいん)」が院号だから、「殷富門院大輔」というのは「ベローネ学院の副院長」みたいな感じで、名前じゃない。

で、この歌だけど、「あなたにお見せしたいです。松島湾の雄島の漁師の袖でさえ毎日どんなに濡れても色は変わらないのに、あなたにお会いしたくて泣き続けている私の袖はすっかり色が変わってしまいました」って意味だ。前に何度か解説したことがあったと思うけど、和歌で「袖を濡らす」というのは「愛しい人のことを思って泣く」という意味だから、大量に濡れてたり長時間濡れてたりすれば、それだけ「思い」が深いってことになる。

この歌では、「毎日、波をかぶって海水に濡れている漁師の袖でさえ変色しないのに」っていう前フリをした上で、「それなのに私の袖は泣き過ぎて変色してしまいました」って言ってる。これは、「海の波よりも激しく泣き続けている」って意味じゃなくて、「漁師の袖でさえ変色しないのだから、普通の涙で袖が変色するはずがない」っていう意味なのだ。つまり、「泣いて泣いて泣き続けて、とうとう血の涙が流れるようになってしまいました。私の袖は血の涙を拭いたために赤く染まってしまいました」って言ってるのだ。何という激しさ!何という情念!何という誇張!(笑)‥‥ってワケで、この歌の本歌は、次の歌だ。


 松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか  源重之


この歌の「あさり」と言うのは、文化放送の加納あさりアナのことじゃなくて、貝の「あさり」のことでもなくて、「漁(あさ)り」、つまり、漁師が漁をすることだ。だから、「松島湾の雄島の磯で漁をしている漁師の袖くらいだろう。涙で濡れている私の袖と同じように濡れているのは」っていう意味になる。何もなくて、この歌だけを鑑賞すれば、これはこれで愛しい人への深い思いを詠ってる秀歌だと思う。

だけど、この歌を踏まえて詠まれた殷富門院大輔の歌は、完全に本歌を超えている。だって、本歌は「漁師の袖と同じくらい涙で濡れている」って言ってるだけだけど、「本歌どり」のほうは「流血」までして「漁師の袖の濡れ具合」を超えちゃってるからだ‥‥ってなワケで、お次は91番の後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)、ザックリ言ちゃえば藤原良経(よしつね)の歌なんだけど、こんな長ったらしい名前にしやがって!っていう「苦情(九条)」は受け付けない(笑)


 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む  後京極摂政前太政大臣


これも今までに何度か解説したことがあったと思うけど、昔は「コオロギ」のことを「キリギリス」、「キリギリス」のことを「コオロギ」って呼んでた。だから、昔の和歌にこのどちらかの名前が出てきたら、もう一方のことだと解釈する。「こおろぎの鳴き続ける寒い霜の夜だというのに、私はひとりぼっちで筵(むしろ)に衣の片袖を敷いて寝ています」っていう孤独な歌だ。そして、この歌には、2首の本歌がある。


 あしびきの山鳥のをのしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む  柿本人麻呂


 さむしろに衣かたしきこよひもや我をまつらんうぢのはし姫  よみ人知らず


ここでポイントになるのは、最初に挙げた柿本人麻呂の歌だ。下のよみ人知らずの歌は『古今和歌集』に収められてる歌だけど、柿本人麻呂の歌は、知ってる人は知ってるように、『小倉百人一首』の3番に収められてる歌だ。つまり、『小倉百人一首』の3番と91番は、「本歌」と「本歌どり」の関係なのだ。

で、柿本人麻呂の歌は「長く垂れた山鳥の尾のように長い長い秋の夜を私はひとりぼっちで寝るのでしょうか」、よみ人知らずの歌は「宇治の橋姫は今宵も筵に衣の片袖を敷いて、ひとりぼっちで私がくるのを待っていることでしょう」って意味だ。どちらも、恋人に会えない寂しさを詠った歌だけど、柿本人麻呂が「自分の寂しさ」を詠んでいるの対して、よみ人知らずのほうは「相手の寂しさ」を詠むことで「自分の寂しさ」を表現してる。つまり、テーマは同じでも視点が逆だということだ。

そして、こうして並べてみると、藤原良経の「本歌どり」の歌は、この2首の良い部分を引き継ぎつつも、まったく新しい世界を生み出してることが分かる。それは、「きりぎりす」による「音」と、「霜夜」による「気温」だ。本歌の2首には、「音」がなく、「寂しさ」は感じても「具体的な寒さ」は感じない。でも、藤原良経の歌を読むと、暗闇を包み込むコオロギの声が聞こえてきて、身体が芯から冷える霜夜の寒さが感じられてくる。本歌を詠んだ2人には申し訳ないけど、完全に本歌を超えている‥‥ってなワケで、続いては92番は女性、二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌だ。


 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし  二条院讃岐


「潮干(しおひ)」は「潮干狩り」の「潮干」、つまり、海の潮が引いた状態のことなので、「潮が引いた時でも海面に現われない沖の海中の石のように、人は知らないでしょうが、私の袖は涙に濡れて乾く間もないのです」っていう、まことに女性らしい歌だけど、この歌の本歌も女性の歌、和泉式部(いずみしきぶ)の歌だ。


 わが袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし  和泉式部


「私の袖は水底に沈んだ石なのでしょうか。人に知られることもなく乾く間もないのですから」と詠ってるこの歌は、愛しい人に対する深い思いを表現してる。さっき説明したように、和歌で「袖を濡らす」というのは「愛しい人のことを思って泣く」という意味だから、この和泉式部の本歌も「水中に没した石」を比喩に使って、深い思いを表現してる。


でも、この歌を一蹴しちゃったのが、二条院讃岐のミゴトな「本歌どり」だ。和泉式部の歌でも、愛しい人に対する女性の切ない気持ちは十分に表現されてるように感じるんだけど、二条院讃岐に言わせれば、「そんなものは潮が引けば海の上に顔を出す干潟の石のようなものでしょ?今は『袖が乾く間がない』なんて言ってるけど、潮が引いて新しい恋人ができたら、あなたの袖なんてすぐに乾いちゃうわよ。それに比べて私の思いがどれほど深いか。潮が引いても決して海の上には顔を出さず、決して乾くことのない、沖の深い海の底に沈んでいる石のように、私の袖は濡れ続けてるのよ」ってことになる。

昨日の「前編」で、あたしは、「本歌どり」のポイントは「大転換」だって書いたけど、90番の殷富門院大輔の「血の涙」の歌や、この92番の二条院讃岐の「水中の石」の歌は、本歌とまったくおんなじテーマ、おんなじ方向、おんなじ視点で、本歌を踏み台にして大成功してるケースだ。愛を誓い合った本歌に対して、浮気をさせて2人の仲を裂いてしまう本歌どりを詠む男性も「おいおい!」だけど、愛しい人を思って泣き続ける本歌に対して、「あんたの思いなんて大したことないわよ!」っていう本歌どりを詠んじゃう女性は、男性以上に「おいおい!」だし、ある意味、無敵だと思う(笑)‥‥ってなワケで、お次は93番の鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)の歌なんだけど、ここまでくれば気づいたと思う。そう、『小倉百人一首』では、単なる偶然なんだけど、90番、91番、92番、93番と、4首続けて「本歌どり」の歌が並んでるのだ。


 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手(つなで)かなしも  鎌倉右大臣


「綱手」というのは、舟の舳先(へさき)に結んであるロープのことで、このロープを引いて舟を陸地に寄せたり、岸に沿って移動させたりするものだ。「かなし」という形容詞の終止形は、今で言う「悲しい」じゃなくて、「愛しく思う」とか「切なく思う」とか「心に響く」とか「趣(おもむき)を感じる」とかって意味で、それに詠嘆の終助詞の「も」をプラスして感慨の深さを大きくしてる。

「渚を漕いでいる小舟の漁師が舳先の綱を引いている姿には何とも言えない趣がありますね。こうした平和な日常がずっと続きますように、世の中はいつまでも変わらないでいてほしいと思います」という、漁師の何気ない日常の風景を詠んでいる歌だ。今まで紹介してきた「激しい恋の歌」と比べると、何となく気が抜けちゃうような歌なんだけど、これも「本歌どり」の歌なのだ。そして、この歌も、91番の後京極摂政前太政大臣の「きりぎりす」の句とおんなじで、本歌が2首ある。


 河の上(え)のゆつ岩群(いわむら)に草むさず常にもがもな常処女(とこおとめ)にて  吹黄刀自


 陸奥(みちのく)はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも  よみ人知らず


上の歌は『万葉集』に収められてるもので、皇女に仕えていた女官の吹黄刀自(ふふきのとじ)が、皇女の気持ちを代弁して詠んだ歌だと言われてる。ちなみに、「吹黄刀自」の「黄」はホントは「草かんむりに欠」という字なんだけど、今の漢字にはないので代わりに「黄」の字を使ってる。「川面に顔を出した岩々に草が茂らずいつまでも変わらないように、私も永遠に乙女のままでいたいものです」という意味で、鎌倉右大臣はこの歌から「常にもがもな」というフレーズだけを借用してる。リトル難しい解説をすると、「常に」は「常なり」という形容動詞の連用形で「永遠に変わらない」という意味、「もがも」は「願望」の終助詞、「な」は詠嘆の終助詞なので、「いつまでも変わらないでほしい」という願望を詠嘆で深めた意味になる。

下の歌は『古今和歌集』に収められているよみ人知らずの歌で、「みちのくはどこを訪ねても趣がありますが、とりわけ塩釜の浦を漕ぐ舟が舳先の綱を引いている姿には何とも言えない趣がありますね」という意味だ。つまり、鎌倉右大臣は、こちらのよみ人知らずの歌をメインの本歌にして、そこに吹黄刀自の歌から「常にもがもな」という言い回しだけを拝借して合体ロボさせたってことになる。だから、この実朝の歌の場合は、この2首をそろって本歌と呼ぶよりも、本歌はあくまでも「陸奥は」のほうで、吹黄刀自の「河の上の」はオマケ的に扱うべきだと思う。

でも、メインの本歌の「陸奥は」の歌と、これを「本歌どり」した鎌倉右大臣の歌を並べてみると、これといった「大転換」もないみたいだし、いったいどこが良くなっているのか?‥‥イマイチ、分からない人もいると思う。


 陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも  よみ人知らず


 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも  鎌倉右大臣


どちらの歌も、小舟の人の動作はおんなじだし、それを見て「かなしも」という表現で感慨を表現してる点もおんなじだ。違うのは、本歌が陸奥の中でも特に「塩釜」という土地への特別な思いを詠っているのに対して、「本歌どり」のほうは具体的な地名は挙げずに、広い世の中の全般のことを詠ってる。だから、あたしがやってる客観写生俳句の観点から言えば、具体性があって景が映像として見えてくる本歌のほうが優れてて、漠然としていてボンヤリした景しか見えてこない「本歌どり」のほうはイマイチってことになる。

だけど、これは、あくまでも客観写生俳句の観点での話であって、和歌の世界はまったく違う。この「本歌どり」の歌を詠んだ鎌倉右大臣とは、ようするに、源実朝(みなもとのさねとも)のことだ。「いい箱つくろう鎌倉幕府」でオナジミの鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、北条政子の息子だ。8歳の時にお父さんの頼朝が亡くなり、家督はお兄さんの頼家が継いだんだけど、所詮は子ども、実権を母方の北条一族に奪われてしまう。そこで、お兄さんの頼家は、お父さんの部下だった人たちと北条氏打倒を企てるんだけど、失敗して遠く離れた伊豆に幽閉されてしまい、翌年、わずか13歳で暗殺されてしまう。

一方、弟の実朝は、お兄さんの頼家が幽閉された時点で、その代わりとして、わずか12歳で鎌倉幕府の三代征夷大将軍に据えられた。もちろん、実権は母方の北条一族が握っているのだから、実朝は単なる「お飾り」だ。ようするに、今の北朝鮮みたいなもんだ。

だけど、いくら「お飾り」とは言え、こんな子どもに一国のトップの重責はたいへんなストレスだっただろう。安倍晋三みたいに「お腹が痛くなった」なんて言って丸投げすることもできない。そこで、賢かった実朝は、勉強し始めた和歌に没頭することによって、重責からの束の間の逃避行を楽しむようになった。和歌の世界は、実朝にとって、自分が自分に戻れる唯一の場所だったのかもしれない。

そんな実朝に和歌の手ほどきをしたのが、『新古今和歌集』などの選者であり、後に『小倉百人一首』の選者もつとめる藤原定家だった。定家は「本歌どり」などの和歌の技法についての解説書も書いてるほどの歌人だったから、この93番の実朝の歌は、定家から手ほどきを受けた技法で詠んだことになる。そして、その歌を『小倉百人一首』に収めたのも定家だったってワケだ。しかし、わずか12歳で征夷大将軍という重責を背負わされた実朝は、皆さんご存知のように、28歳の時、お正月に鎌倉の鶴岡八幡宮での式典にいき、甥の公暁(くぎょう)に暗殺され、首を切り落とされてしまう。あまりにも短く、あまりにも悲しい生涯だ。

こうした実朝のバックボーンを踏まえた上で、この93番の「本歌どり」の歌を鑑賞すると、先ほどまでとはまったく別の世界が見えてくる。本歌は、確かに具体的な地名を挙げて人々の生活を切り取っている秀歌だけど、その本歌を下敷きにして詠まれた実朝の歌には、自分の意思とは裏腹に若くして一国のトップという重責を背負わされた者にしか分からない視点が感じられてくる。吹黄刀自の歌の「常にもがもな」という表現を拝借してまで詠った「世の中は常にもがもな」というフレーズには、血のつながった者同士での権力闘争、復讐という負の連鎖の渦中に置かれてしまった実朝だからこその「こうした平和な日常がずっと続きますように、世の中はいつまでも変わらないでいてほしいと思います」という心からの思いが満ちあふれている。

ちなみに、正岡子規は、『歌よみに与ふる書』の中で、名だたる歌人たちのことをカタッパシからボロクソに批判してるけど、「実朝という人は三十歳にも足らずに、いざこれからという時にあえなき最期を遂げてしまい誠に残念だ。あと十年生きていたら、どれほど多くの名歌を残していただろうか」と書いて絶賛してる。


‥‥そんなワケで、600年以上に渡って詠まれてきた数えきれないほどの歌の中から、わずか100首だけを選んだ『小倉百人一首』なのに、その中にこんなに「本歌どり」の歌が入ってるってことは、当時は「本歌どり」も立派な歌として認められてたってワケだ。だけど、巷に「本歌どり」が流行すると、単なる「パロディー」や「パクリ」のような歌、本歌の本意をまったく汲んでいない歌など、レベルの低いものが氾濫するようになり、いつしか「本歌どり」は廃れていった。それを復活させたのが、芭蕉の時代の「俳諧」なんだけど、今度は芭蕉自身が「本歌どり」には芸術性を見出せなくなり、もっと高いところへいってしまった。だから、現代では、短歌でも俳句でも「本歌どり」はあんまり高くは評価されない風潮がある。だけど、あたしは日本人として、この歴史ある素晴らしい技法を途絶えさせたくないから、これからは積極的に「本歌どり」の俳句も詠んでいこうと思った今日この頃なのだ。


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2013.06.17

本歌どりの世界/前編

俳句に興味がない人でも「松尾芭蕉」という名前くらいは聞いたことがあると思うし、「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」や「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」や「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」や「五月雨をあつめて早し最上川.」や「荒海や佐渡によこたふ天の河」など、芭蕉の代表句を並べれば、このうちの1句か2句くらいは耳にしたことがあると思う。

だけど、いろんな場所で「有名な俳句」として紹介されてるこれらの作品は、厳密に言うと「俳句」じゃない。「俳句」という詩形を作ったのは芭蕉より200年も後の明治時代の正岡子規であって、芭蕉の活躍してた江戸時代の前期には「俳句」なんてものは存在してなかった。芭蕉がやってたのは「俳句」の前身の「俳諧(はいかい)」であり、芭蕉は「俳人」ではなく「俳諧師」だ。

こうしたバックボーンを無視して純粋に作品だけを鑑賞すれば、これらは「俳句という詩形が存在しなかった時代に詠まれた俳句」と言うより他に説明のしようがないんだけど、とにかく、まだ「俳句」という詩形が誕生する200年も前の作品なんだから、これらの句を詠んだ芭蕉本人だって、これらの作品を「俳句」とは思ってなかった。作者が「俳句」と思ってないものを、後世の人間が勝手に「俳句」だなんて決めつけることはできない。

「俳句」を知らない現代人の多くは、「俳句」を古臭くて堅苦しくて難しいものだと思ってる。立派な掛け軸か何かに、読めないような文字で書いてあって、床の間とかに飾られてるものだと思ってる。でも、これは大きな間違いで、「俳句」の前身の「俳諧」ってのは、今で言う少年ジャンプや深夜のアニメ、AKB48やジャニタレみたいなモノだった。ようするに、「庶民の娯楽」だったワケだ。

「俳句」の前身の「俳諧」は、ザックリ言っちゃえば「パロディー」の世界だった。これは、芭蕉の初期の作品を見ればよく分かる。芭蕉は、寛文2年(1662年)、19歳の時に、伊賀の国のお武家さん、藤堂新七郎良清の息子の「良忠」に仕えることになる。良忠は芭蕉の2歳年上で、「蝉吟(せんぎん)」という俳号で俳諧を勉強してた。で、芭蕉も薦められて俳諧を始めることになり、良忠の先生である京都の北村季吟(きぎん)を師事することになる。そんな芭蕉が、季吟を師事して1年目の20歳の時に詠んだのが、次の句だ。


 月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿  宗房


芭蕉が「芭蕉」を名乗るのは、ずっと後のことで、俳諧を始めた当初は、本名の「宗房」を俳号にしてた。で、この句だけど、宿の前に立つ客引きが旅人に向かって「夜道を明るく照らすお月さまが道しるべですよ。さあ、こちらのお宿へお入りください」と話しかけてるっていう内容だ。なんだか岡本おさみが吉田拓郎に書いた「旅の宿」みたいだけど、この句には元ネタがある。

それは、当時の庶民なら誰もが知ってた謡曲『鞍馬天狗』の一節だ。電気もラジオもテレビもない時代だから、庶民の楽しみは「能」や「歌舞伎」などのお芝居を観に行くことで、『鞍馬天狗』は人気の演目の1つだった。これは、牛若丸がまだ沙那王と呼ばれてた幼年時代に、平家を倒して源氏を再興させるために鞍馬山の大天狗から武術を習うっていうストーリーだ。で、この『鞍馬天狗』の中に出てくるのが、次の一節だ。


「夕を残す花のあたり、鐘は聞えて夜ぞ遅き、奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給へや」


日が暮れて薄暗くなってきた山道ですが、薄暗くなっても目につく満開の桜の花を道しるべにして、こちらへお入りください‥‥って言ってるワケだけど、芭蕉の句は、当時の人たちの多くが知ってたこのフレーズを元ネタにして、詠まれてる。だから、芭蕉の句を目にした人は、誰もが「ハハ~ン、鞍馬天狗のパロディーだな」って思ったワケだ。

だけど、これは、今で言う「パロディー」とは違って、俳諧特有のいろんな小技が使われてる。パッと見ただけだと、ただ単に「道しるべ」である「桜の花」を「お月さま」に変えただけみたいに見えるだろうけど、春を代表する季題での「桜」を、秋を代表する季題の「月」に変えたこと自体に、まず、第一の趣向がある。

そして、芭蕉の句では「こなたへ入らせ」としか言ってないけど、元ネタでは「こなたへ入らせ給へや」と言ってる。ここがこの句の最大のポイントで、「給(たま)へ」は「給(た)べ」とも言うことから、この「たべ」が「旅」に掛かってるのだ。つまり、「こなたへ入らせ」をそのまま流用しただけじゃなくて、「こなたへ入らせ旅」までが元ネタを踏まえてるってワケだ。

謡曲「鞍馬天狗」を知らず、俳諧の小技や楽しみ方を知らない現代人には、こうして無粋な説明をしないと理解してもらえないことでも、当時の人たちなら、誰もが一読で「ハハ~ン」って理解して、感心して、「うまい!山田く~ん!座布団持ってきて~!」ってことになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、誰もが知ってる有名な謡曲や和歌なんかを元ネタにして、それをひと捻りして人々を感心させる句を詠むのが、芭蕉が最初に出会った「貞門(ていもん)派」の俳諧で、これが当時の主流だった。だけど、何年も俳諧を続けてるうちに、芭蕉はこうした小手先の作品を詠むことに疑問を感じるようになっていく。そして、最初に挙げたような「侘び」や「寂び」を内蔵した芸術的な句を詠むようになっていくんだけど、俳諧を始めたころの芭蕉はと言えば、さっきの句からも分かるように、今で言う「替え歌の名人」だった。


 うかれける人や初瀬の山桜  宗房


これは、芭蕉が24歳の時に詠んだ句だけど、和歌が好きな人、『小倉百人一首』が好きな人、『ちはやふる』を観てる人なら、みんな「ハハ~ン」って思っただろう。そう、この句の元ネタは、『小倉百人一首』にも収められてる次の歌だ。


 うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを  源俊頼朝臣


この歌は、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者をつとめた藤原定家の祖父、藤原俊忠のお屋敷でひらかれた歌会で、源俊頼(みなもとのとしより)が詠んだもので、この時のお題は「祈れども逢はざる恋」だった。つまり、神様や仏様に祈願したのに成就しなかった悲しい恋について歌を詠んだワケだ。

リトル専門的なことを書くと、この歌の「うかりける」は「憂かりける」、「思い通りにならなくて心が苦しい」という意味の「憂(う)し」の連用形に、過去の助動詞「けり」の連体形を接続したものなので、「うかりける人」ってのは「思い通りにならなくて私の心を苦しくしている人」、ザックリ言っちゃえば「冷たいあの人」って感じだ。「初瀬」は、奈良県桜井市初瀬(はせ)のことで、昔は「はつせ」と読んだ。だから、歌全体の意味は、次のようになる。


「私に冷たいあの人と恋仲になりたいと初瀬の長谷寺の観音様にお祈りしたのに、あの人の態度はますます冷たくなるばかり。私は『初瀬の山から吹き下ろす風のように、もっと冷たくなれ』なんて祈っていないのに‥‥」


この歌のどこに「長谷寺」なんて書いてあるの?どこに「観音様」なんて書いてあるの?‥‥って言うのは野暮だ。「初瀬」と言えば「長谷寺」、「長谷寺」と言えば「観音様」、この辺は「言わなくても分かること」であり、逆に、「言わなくても分かることをわざわざ言ったら野暮」になる。

ちなみに、『ちはやふる』的に言うと、この歌は「二枚札」だ。『小倉百人一首』の100枚の札の中で、おんなじ音で始まる歌が他になくて、最初の1音で取れる札を「一枚札」と呼ぶんだけど、これはぜんぶで7枚ある。「むらさめの」「すみのえの」「めぐりあひて」「ふくからに」「さびしさに」「ほととぎす」「せをはやみ」の7枚なので、頭の一字を並べて「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」と覚える。この7枚は、おんなじ音で始まる歌は他にないから、「むらさめの~」と読み上げられる最初の「む」で、ソッコーで「きりたちのぼるあきのゆうぐれ」の札をパシッと取ることができる。

そして、おんなじ音で始まる歌が2首あるのが「二枚札」だ。「二枚札」は5組、「うらみわび」と「うかりける」、「つくばねの」と「つきみれば」、「しらつゆに」と「しのぶれど」、「もろともに」と「ももしきや」、「ゆうされば」と「ゆらのとを」、これも頭の一字を並べて「う・つ・し・も・ゆ」と覚える。これらの歌は、最初の1音で札を取るとお手付きになる可能性があるから、「うら」か「うか」か、2音目まで聞かないと手が出せない。でも、どちらか1枚が読まれたあとには、残った1枚は「一枚札」とおんなじ状態になるから、今度は最初の1音で札を取れるようになる。


‥‥そんなワケで、母さんもあたしも『小倉百人一首』が大好きで、みんな知ってる「坊主めくり」、100枚の札をぜんぶ散らしてみんなで取る「散らし」、下の句を詠んで上の句を取る「逆さまかるた」など、子どものころからよく遊んでた。だから、母さんもあたしも「競技かるた」はやったことがないけど、普通の「かるた取り」ならまあまあ得意だし、上の句を詠まれればすぐに下の句が分かる。だけど、アニメの『ちはやふる』を観れば分かるように、「競技かるた」の世界は尋常じゃないスピードが要求されるから、母さんやあたしみたいに歌の内容を味わってる余裕なんてない。

最初の「う」の音を聞いた瞬間に「うらみわび」と「うかりける」の2枚の札に照準を合わせ、2音目の「か」が聞こえた瞬間に「はげしかれとはいのらぬものを」の札をパシッと取らなきゃならない。さらに言えば、2音目の「か」が聞こえてからじゃ遅いワケで、「か」が聞こえる前の「う」から「か」へと流れる「何か」を感じ取って札を取る‥‥らしい‥‥「ちはやふる」によれば。

「競技かるた」は、歌の意味よりもスピードが命だから、初心者は、まずは上の句の最初の音と下の句の最初の音を語呂合わせで覚えることから始める。今回の源俊頼の歌なら「二枚札」だから、上の句は「う」だけじゃなくて「うか」までを聞かなきゃならない。そして、場に並んでる下の句の札に書いてあるのは「はげしかれとはいのらぬものを」だから、「うか」に対して「はげ」ってワケで、これを「うっかりハゲ」って覚える(笑)


‥‥そんなワケで、ちょっと「ちはやふる」の世界に脱線しちゃったけど、ここで芭蕉の句の話にクルリンパと戻るので、分かりやすいように、元ネタになった源俊頼の歌と芭蕉の句を並べてみる。


 うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを  源俊頼朝臣

 うかれける人や初瀬の山桜  宗房


こうして並べてみると分かりやすいけど、最初に紹介した「月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿」が、「こなたへ入らせ」だけじゃなくて「こなたへ入らせ旅」までを元ネタにカケてあったように、こちらも、「初瀬」までだけじゃなくて「初瀬の山」までカケてあることが分かる。だけど、この句の場合は、最大のポイントは「うかれける」だ。

源俊頼の歌は「憂かりける」だけど、芭蕉は「浮かれける」、お花見に繰り出して浮かれてる人々を詠んでいる。「月ぞしるべ」の句では、元ネタの「春」を対照的な「秋」へと大転換させたけど、この句では「つらくて苦しい景」を「楽しくて賑やかな景」へと大転換させてる。こうした有名な先人の詩や歌を元ネタにして詠む「本歌どり」の場合は、「元ネタが何であるか誰にでもすぐに分かるように詠む」ってことは大前提だけど、その上で、「句の背景や意味などを大転換させる」ってことが重要になる。秋の悲しい失恋の和歌を元ネタにして、秋の悲しい失恋の句を詠んだら、それは「本歌どり」じゃなくて「パクリ」になっちゃうからだ。


‥‥そんなワケで、『小倉百人一首』にも収められてる有名な歌を「本歌どり」したのが芭蕉の句だけど、そんな『小倉百人一首』の中にも、人の歌を元にして詠まれてる「本歌どり」の歌が何首もある‥‥ってなワケで、ここからは『小倉百人一首』の中の「本歌どり」の歌の数々を紹介していきたいんだど、そうするとあまりにも長くなっちゃうので、今日はここまで。続きは「後編」をお楽しみに!‥‥なんて感じの今日この頃なのだ♪


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2013.06.13

推敲の日々、添削の週末

ツイッターは文字数の制限が140文字までだけど、いちいち文字数を数えながら文章を考えてる人なんていないと思う。たいていの人は、つぶやきたいことをそのまま入力して、それが140以内だったらそのまま送信するし、140文字を超えてたら文章の一部を削ったりして、140文字に収まるように修正してから送信してると思う。

あたしの場合はノートPCでアクセスしてるから、140文字を超える恐れがある長めのつぶやきの場合は、まず、ワードパッドに目分量で「だいたい140文字くらい」の文章を書く。そして、それをツイッターの投稿フォームにコピペする。白い字で「12」って表示されれば「あと12文字は余裕がありますよ」ってことだし、赤い字で「-8」って表示されれば「8文字オーバーしてますよ」ってことだから、白い文字が表示されたらそのまま送信するし、赤い文字の場合はオーバーしてるぶんの文字数を削る。

ま、オーバーするって言っても、「だいたい140文字くらい」を目指して書いてるから、たいていの場合は「1~5文字」くらいなので、「読点」を省略したり「あたし」を「私」に変えるくらいで何とかなる。だけど、たまに10文字以上もオーバーしてた場合には、本格的に文章を直さなきゃならなくなる。

「東京電力の福島第一原子力発電所」は15文字だけど、これを「福島第一原発」に直せば9文字も少なくできる。「1キログラムあたり100ベクレルの放射性セシウム137」は27文字だけど、これを「100Bq/kgのセシウム」に直せば14文字も少なくできる。

ただ、140文字を超えそうな長めの文章の場合は、最初から「東京電力の福島第一原子力発電所」だの「1キログラムあたり100ベクレルの放射性セシウム137」だの、こんな長い表現は使ってないから、なかなか削る場所が見つからない。変な部分を削ったら意味が伝わらなくなっちゃうから、おんなじ意味で文字数の少ない単語を探したり、重複してる表現を1つにマトメたりと、いろいろと工夫する。

たとえば、「Aを食べることもあるし、Bを食べることもある」っていう文章なら、「食べることもある」って部分が重複してるから、「AやBを食べることもある」に直す。「A×2+B×2=」っていう数式を「(A+B)×2=」に直すような感じだ。

ツイッターには、140文字を超える長い文章もつぶやくことができる「ツイット・ロンガー」っていう無料アプリもあるし、「長文をいくつかに分割して番号を振って連続してつぶやく」って方法もある。だから、140文字を超えても一字一句を正確に伝えなきゃならない必要がある場合は、あたしはこれらの方法を取ってるけど、ふだんのくだらないつぶやきの場合は、できる限り140文字以内にキレイに収めて一発で決めたいと思ってる。

あたしは俳句が好きで、文章で説明したら30音にも50音にもなっちゃうような風景や出来事を、削って削って削りまくって17音にマトメるってことを25年以上も続けてきたから、「文章の無駄を省く」「言わなくても分かることを削る」って作業が得意だし、自分の発見を17音に仕上げてく過程は、なんかパズルをやってるみたいで楽しく感じる。Aの言葉とBの言葉、どっちを使ったほうが雰囲気が伝わるかな?ここは漢字表記と平仮名表記、どっちが気持ちがが伝わるかな?こんなことを考えるのが楽しくて仕方ない。

だから、あたしは、ツイッターも俳句とおんなじで、思いついたことを思いついたままに書いたら200文字や300文字になっちゃうような複雑な内容を、要点を絞り、無駄を省き、言葉を選び、表現を工夫して、140文字以内にキレイに収めて明快に伝えるってことに面白さを感じてる。ツイッターの場合は、何人にRTされたかという数字で、そのツイートがどれくらい支持されたかがある程度は分かるから、140文字以内に収めるために苦労したツイートがたくさんRTされると、テストでいい点数をとったみたいな嬉しい気持ちになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今から1200年くらい前の800年ころのこと、日本で言えば平安時代の初めころだけど、中国の「唐(とう)」の時代に、賈島(かとう)っていう詩人がいた。これは、いかりや長介が「おい!加藤!志村!」って言う場合の「加藤」とは違って、「賈(か)」が苗字で「島(とう)」が名前だ。

で、今から1200年くらい前のある日のことだけど、この賈島は、今で言う「官僚」になるための「科挙(かきょ)」っていう登用試験を受けるために、都の長安(ちょうあん)へ出てきてた。この「科挙」っていう登用試験は激しく難しくて、5歳くらいから、この試験を目指して勉強を始めて、20歳を過ぎるころまで、ずーーーーーーっと勉強した全国各地のエリートたちが受験するんだけど、合格率はわずか1%!その上、この試験は3年に1回しか行なわれないから、不合格になれば、次のチャンスは3年後まで巡ってこない。

ま、これは本題と関係ないから置いとくけど、とにかく、この「科挙」を受験するために長安へ出てきてた賈島は、吉田照美さんに乗りながら‥‥じゃなくて、ロバに乗りながら詩を考えてた。難しい試験を受けにきたってのに、ついつい詩なんか考えちゃうとこが「詩人の性」ってワケだ。それで、ロバに揺られてた賈島は、「鳥は宿る池中(ちちゅう)の樹、僧は推(お)す月下の門」ていう一節を思いつく。賈島は僧侶の経験もあったので、自分の僧侶時代を思い起こして詠んだのかもしれない。

でも、なかなかいいフレーズを思いついたと喜んだのもトコノマ、「僧は推す月下の門」「僧は推す月下の門」「僧は推す月下の門」‥‥って繰り返してるうちに、どうもイマイチしっくりこないことに気づく。そこで、他の表現も考えてみた賈島は、今度は「僧は敲(たた)く月下の門」ていうフレーズを思いつく。「推す」のほうがいいか、「敲く」のほうがいいか、賈島は目の前に「月下の門」を思い浮かべ、それを手で推してみたり敲いてみたりした。

ロバに揺られながら賈島が詩作に没頭してると、正面から政府の高官である韓愈(かんゆ)の一行が、立派な馬に乗ってやってきた。日本でもそうだったように、自分より身分の高い者がやってきた場合には、身分の低いほうは端によけて道を譲らなきゃならない。それなのに、賈島は、詩作に夢中になっていたため、前を見ていなかった。そして、賈島のロバは韓愈の馬とぶつかってしまった。

ハッと目が覚めた賈島は、自分が起こしてしまったコトの重大さに真っ青になり、すぐにロバから飛び降りてペコペコと謝った。だけど、唐から宋の時代にかけての優れた8人の文人を指す「唐宋八大家(とうそうはちたいか)」の1人にも数えられるほどの人物、韓愈だったから、頭ごなしに怒ったりはせず、やさしい口調で話しかけてきた。


「私は長安の知事の韓愈と申す者ですが、あなたはどうして私にぶつかったのですか?その理由を説明しなさい」

「韓愈さま、本当に申し訳ありませんでした!私は詩人なのですが、今、『鳥は宿る池中の樹、僧は推す月下の門』という一節を思いついたのです。しかし、『推す』よりも『敲く』にしたほうが良いのではないか、どちらにすべきか、夢中になって考えながらロバに乗っていたため、うっかりと韓愈さまの馬にぶつかってしまったのです。どうか私の非礼をお許しください!」

「そうでしたか。詩人が詩で悩むのはよくあること、私も詩人だからよく分かります。幸いにお互いケガもないようなので、気にすることはありません。それよりも、その詩は『推す』ではなく『敲く』にしたほうが良いでしょう」

「韓愈さま、ありがとうございます!」


身分に違いはあれど、ここは詩を愛する者同士、すぐに意気投合して、2人は馬とロバを並べて歩き、詩について語り合ったとさ。めでたし、めでたし‥‥ってなワケで、賈島は韓愈のアドバイスによって、こんなにワンダホーな詩を完成させることができたのだ。


「題李凝幽居」 賈島

閑居少鄰竝
草径入荒園
鳥宿池中樹
僧敲月下門
過橋分野色
移石動雲根
暫去還来此
幽期不負言


このままじゃ安倍晋三や麻生太郎でなくても読めない人が多いと思うので、安倍晋三が国会で棒読みしてる官僚の作文のように「振り仮名」や「送り仮名」を振ると次のようになる。


「李凝(りぎょう)の幽居(ゆうきょ)に題(だい)す」 賈島

閑居(かんきょ)鄰竝(りんぺい)少なく
草径(そうけい)荒園(こうえん)に入(い)る
鳥は宿る池中(ちちゅう)の樹(き)
僧は敲く月下の門
橋を過ぎて野色(やしょく)を分かち
石を移して雲根(うんこん)を動かす
暫く去って還(ま)た此(ここ)に来たる
幽期(ゆうき)言(げん)に負(そむ)かず


これでフランク・ザッパな意味は分かったと思うけど、ザックリと書いとくと、次のような意味になる。


「隣家もほとんどない閑散とした場所に、李凝が世俗を離れて静かに暮らしている幽居がありました。草の小径を進んで荒れた庭に入ると、池の端には鳥が眠る木がありました。僧侶は月明かりの下、来訪を報せるために門を叩きました。橋を渡ると、一面に野の色が広がっていました。大きな石を動かせば、そこから雲が湧き立つのではないかと思われるほどです。今夜はこれで帰りますが、また伺わせていただきます。この約束は必ず守ります」


‥‥そんなワケで、「きっこのブログ」の賢明なる読者諸兄は、もうとっくに気づいてると思うけど、賈島がこの詩を作る過程で、「月下の門」を「推す」にするか「敲く」にするか、ロバの背で悩んだことから生まれたのが、そう、「推敲(すいこう)」っていう言葉だ。詩や文章を少しでも良くするために、言葉を入れ替えたり表現を変更したり、アレコレと工夫することだ。

一方、悩んでいた賈島に対して、「『推す』ではなく『敲く』にしたほうが良いでしょう」と言った韓愈のアドバイスは、「推敲」じゃなくて「添削(てんさく)」に当たる。「月下の門」を「推す」にするか「敲く」にするかで悩むのが「推敲」なら、語句を「添え」たり「削っ」たりして直すのが「添削」だ。最大の違いは、作者が自分の作品に対して自分で行なうのが「推敲」で、作者が自分の作品を自分よりも上級者に見てもらってアドバイスを乞うことが「添削」だ。

あたしは俳人なので、「添削」と言えば真っ先に「俳句の添削」を思い浮かべるけど、今どきの子どもだったら「進研ゼミ」の赤ペン先生とかを思い浮かべるかもしれない。生徒が提出した解答用紙に「○」と「×」だけ付けていって点数を書き込むのは「採点」だけど、赤ペン先生みたいに「ここはこうしなさい」というアドバイスまで添えてあるのは「添削」になる。

新聞や雑誌や書籍などの場合は、記者や作者が書いた文章をチェックして、誤字脱字や句読点の間違いなどを直すことを「校正」と言うけど、ここでは文章の内容にまでは踏み込まない。あくまでも、表記の間違いを直すだけだ。一方、内容にまで踏み込んで直すのは「校閲(こうえつ)」だ。たとえば、誰かの原稿に「鎌倉幕府が誕生した1192年は」と書いてあれば、これを「1185年」に直す。これが「校閲」で、赤ペンで指摘した原稿を作者に確認してもらい、作者が了解したら修正する。

だから、「校正」と「校閲」ってのは、テストでの「採点」と「添削」の関係に似てるんだけど、これらすべてに共通してるのは、「校正」も「校閲」も「採点」も「添削」も「誰かにやってもらう」って点だ。もちろん、自分の書いた原稿の誤字脱字を自分でチェックすることも「校正」と呼べるかもしれないし、自分で解いたドリルの採点を自分でする「自己採点」なんていう例外もあるけど、基本的には「誰かにやってもらう」のが一般的だ。そして、唯一、自分でやらなきゃならないのが、1200年前に賈島も悩んだ「推敲」ってワケだ。

「校正」や「採点」の場合は、何が間違いで何が正解だっていう正誤がハッキリしてるから、「見落とし」にさえ気をつければ、自分でやっても問題はない。だけど、「推敲」の場合は正誤がハッキリしてないから悩んじゃう。賈島が「推す」にするか「敲く」にするかで悩んだのも、一方が「正」で一方が「誤」ってワケじゃないからだ。この時、偶然に出会ったのが韓愈だったから「敲く」を薦められたけど、もしも別の感性の詩人と出会ってたら逆に「推す」を薦められてた可能性だってある。

詩でも俳句でも絵画でも音楽でも映像でも、これらが「自己満足」で終わってしまうか、それとも「自己表現」になるかは、この「推敲」によるところが大きい。だから、あたしは、ツイッターでも、「自己満足でいい」と思ったことに関しては、ロクに推敲なんかしないでテキトーにつぶやいてる。でも、「これは重要なことだから1人でも多くの人に伝えたい」と思ったことに関しては、たとえ最初から140文字以内に収まってたとしても、すぐにそのまま送信したりせずに、自分が「読む側」になったと仮定して、客観的な視点から言葉や表現をいろいろと入れ替えてみたりして、より伝わるように推敲してる。


‥‥そんなワケで、自分の俳句やツイートに対する「推敲」は日常的に行なってるあたしだけど、実は、無意識のうちに「添削」もヒンパンに行なってたことに気づいたのだ。「添削」が何かと言えば、「進研ゼミ」の赤ペン先生がやってることが「添削」だ。NHKの俳句や短歌の番組で、投稿されてきた作品を担当の先生が「ここはこうしたほうが良いですね」と赤マジックで直してくれるのが「添削」だ。子どもころのお習字で、先生が朱色の墨で直してくれた経験のある人も多いと思うけど、あれも「添削」だ。つまり、対象が変われども「添削」に共通してるのは「赤い文字」ってワケで、週末になると渋谷や新宿の場外馬券売り場に集まって赤鉛筆を握りしめて競馬新聞とにらめっこしてる人たちも、実は「添削」をしてたのだ!そう、競馬の予想とは、良い馬に「○」を付けてダメな馬に「×」を付けるだけの「採点」ではなく、レース全体を脳内で組み立ててシミュレーションする「添削」だったのだ!‥‥ってなワケで、今週の週末も、あたしは、JRAの馬たちの「添削」に励もうと思った今日この頃なのだ!ヒヒ~ン!(笑)


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2013.06.11

アベノミクスという裸の王様

経済音痴の安倍晋三が財務官僚の言いなりになって日銀総裁の首を「白」から「黒」へとスゲ替えて強行した経済政策、通称「アベノミクス」によって、円安が一気に進行した。ガソリンや灯油、食用油やパルプ、小麦粉や大豆を始めとした日本が輸入に頼ってる原料はことごとく高騰して、あたしたち庶民の生活は大打撃を受けてる。

それなのに、やれ「株価が上がった」、やれ「為替がどうたら」と、地に足の着いていない「虚」の金融経済の世界だけは浮足立ってる。自分は何もしなくても、これまで粗大ゴミみたいだった二束三文の株券が何百万円にも何千万円にもなったのだから、そりゃあ浮足立つだろう。

だけど、浮かれてるのは日本国内の守銭奴だけで、海外のマーケットは極めて冷静だ。海外の投資家たちにとって、日本なんてどうでもいい。ギリシャみたいに落ちるとこまで落ちたって関係ない。日本の経済が破綻したって関係ない。海外の投資家たちにとって、何よりも重要なのは「自分のカネ儲け」だけ。ようするに、自分が数百万円、数千万円、数億円を儲けて売り抜けられれば、そのあとに日本が破綻しようがどうしようが「知ったこっちゃない」って流れになってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、6月5日、安倍晋三が鳴り物入りで「第3の矢」と呼んでる成長戦略を発表して、「10年後には国民1人あたりの所得を150万円増やす」って公言したけど、これって、あたしたちの年収が150万円ずつ増えるワケじゃないんだよね。よくよく話を聞いてみると、個人も大企業もイッショクタにしての話なんだよね。つまり、今、年収が200万円の人が10人、10年後もそのままでも、たった1人、年収1億円の人が10年後に年収1億2000万円になれば、トータルで「1人あたり150万円の年収増」になるって話なんだよね。バッカみたい。

その上、安倍晋三は、こんな大風呂敷を広げただけで、「どのようにして国民の総所得を増やすのか」っていう具体策についてはほとんど語らなかった。だから、この安倍晋三の演説を聞いた海外マーケットは軒並み落胆して、株価は大幅に下落した。それも、安倍晋三が演説をしてる最中に、どんどん下落してったのだ。アメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」なんて、安倍が演説した翌日の6日付の社説で「アベノミクスは期待外れ」だと厳しく批判した。

どんなにご立派な目標を掲げようとも、いかにしてその目標に到達するかという具体策を提示しなければ、冷静な海外マーケットは敏感に反応する。「ああ、この人はできもしないことを口にしているだけの官僚のマリオネットなんだな」ってことは、莫大なお金を賭けてるギャンブラーたちには一瞬で見透かされてしまう。


‥‥そんなワケで、いったい何がしたいのか意味不明な安倍晋三だけど、何よりも本人がまったく分かっていないってことが判明した。6月9日の「読売新聞」に、以下の記事が掲載された。


「平均年収?総所得?首相「150万増」コロコロ」(読売新聞)
安倍首相は8日、東京都葛飾区内の街頭演説で、「10年間でみなさんの年収は150万円増えます」などと訴えた。しかし、政府の成長戦略で「150万円以上」の増加を目指すのは1人当たりの国民総所得(GNI)。日本企業や国民が国内外で得た所得の総額を指し、「1人当たり」でも年収とは異なる。首相はこの日6か所で演説を行い、2か所で「年収」と述べたほか、「平均年収」「1年間の収入」「国民の平均の所得」「皆さんの所得」と説明が変わった。
引用http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130608-OYT1T01131.htm


この記事を読んで、あたしがすぐに思い出したのは、民主党の菅直人のコロコロ発言だ。3年前の2010年6月30日、「普天間基地の迷走発言」で辞任に追い込まれた鳩山由紀夫のアトガマを狙った菅直人は、自分を売り込むために全国を遊説したけど、午前中に演説した青森市では「収入が年収200万円とか300万円とかより少ない人たちには、その分だけ還付する」と言い、お昼に演説した秋田市では「年収300万円とか350万円」と変更し、午後に演説した山形市では「年収300万円、400万円の人に」と変更した。

国民の税金から何千万円ももらってる菅直人にとっては「たかが50万円」「たかが100万円」かもしれないけど、あたしら庶民にとっては、「300万円まで」なのか「350万円まで」なのか「400万円まで」なのかは大きな問題だ。それなのに、わずか6時間のうちに、こんなにコロコロと行く先々で金額が変わっちゃうなんて、ようするに、自分が考えた政策じゃなくて、官僚から原稿を渡された「受け売りの政策」ってことじゃん。ホントに自分が考えた政策なら、こんなにコロコロと内容が変わるワケがない。


‥‥そんなワケで、あたしは、今回の安倍晋三の政策にも、この菅直人とおんなじ匂いを感じた。ホントに自分が考えた政策なら、こんな言い間違えなんかするワケがないし、行く先々で内容が変わるなんてアリエナイザーだ。つまりは、安倍晋三自身も、この政策の内容を「イマイチ理解してない」ってワケだ。官僚から渡された原稿を棒読みしてるだけの「アベノミクス」だから、何度も何度も原稿に目を落として読み上げてるだけの国会や会見なら何とかなるけど、原稿を読むことができない街頭演説ではボロが出ちゃうってワケだ。

そして、オツムの足りない安倍晋三のお守り役の菅義偉官房長官は10日、この安倍晋三の虚偽の演説について「首相は分かりやすく説明しようとした」って釈明したけど、これほどのイカサマは前代未聞だろう。だって、安倍政権が掲げた「150万円アップ」ってのは、ザックリ言っちゃえば「10人のうち9人の年収が下がっても、1人の年収が大幅に上がって、トータルで1人あたり150万円のアップになればOK」って話なのに、安倍晋三は演説で「日本国民の全員が1人150万円ずつアップする」って言ったのだ。

これは、誰がどう見たって「分かりやすく説明した」のではなく「事実に反する虚偽の説明をして有権者を騙した」ってことになる。できもしないことを公約に掲げて有権者を騙すのは最低だけど、できもしないことを掲げた上に嘘までついて有権者を騙すのは最低最悪だ。つーか、自分が「第3の矢」とか名づけて大々的に放言してることなのに、その本人がちゃんと意味を理解してなかっただなんて、あまりにもお粗末すぎて話にならない。

こんな経済音痴のバカを張子の虎に仕立て上げて、半年も持たないバルサ材で作ったようなお神輿に乗せて担ぎ上げ、実体経済がまったく伴わない「虚」の景気を演出してる財界の秋元康たち。嘘に嘘を塗り重ねて一時だけの夢を見ている懲りない面々たち。そして、現実世界では、収束のメドも立たない福島第一原発の事故によって、かけがえのない日本の土地や海が汚染され続けていて、そこにTPPというトドメを刺そうとしている。


‥‥そんなワケで、「アベノミクス」「アベノミクス」って魔法の呪文みたいに連呼してるけど、やってることは「コイズミ改革」とまったく同じで、何ひとつ目新しいことなんてやってない。未来の人たちの借金を増やして無駄な公共事業にバラ撒き、規制緩和で弱肉強食に輪をかけてるだけの話だ。一部の大企業だけがカネ儲けをして内部留保を増やすだけで、サラリーマンの賃金は下がり続けて行くだけだ。まだ本格的にスタートしてない今は、期待値だけで株価が動いたりして、一見、景気が良くなったような錯覚を感じてるだろうけど、内容ゼロの安倍晋三の大バカ政策が動き出せば、こんな幻想はアッと言う間に消え失せて、厳しい現実があたしたちの生活を破壊してくことウケアイだ。だから、あたしは、そろそろ世の中のことを考えるのはやめて、自分と母さんだけが静かに余生を過ごすための選択に重心を変えつつある今日この頃なのだ。


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2013.06.05

鎌倉幕府と円周率

2~3日前、「秋田県で1人がツツガムシ病で亡くなっていた」というニュースが流れた。性別や年齢など詳しいことは伏せられてたけど、近年はほとんど発症例のない珍しい病気だからニュースになったんだと思う。

で、10年くらい前まで、あたしは、この「ツツガムシ病」って言葉をニュースなどで目にするたびに、「つつがなく式も終わり」とか「つつがなくお過ごしでしょうか」とかの「つつがなく」って言葉の語源だと思ってた。昔はとても多い病気だったので、「ツツガムシに刺されることもなく無事に式も終わり」とか「ツツガムシに刺されることもなく無事にお過ごしでしょうか」っていう意味だと思ってた。何でかって言えば、中学生の時に担任の先生から、そう教わったからだ。

だから、高校生の時とか、社会人になってからも、この話を何人かのお友達に話したことがある。あたしからこの話を聞いたお友達はみんな、感心して「へえ~」なんて言ってたから、あたしはちょっぴりドヤ顔だったと思うし、この話を聞いたお友達は、他の場所で他のお友達に自慢気に話したかもしれない。

それなのに、ああそれなのに、それなのに‥‥って、今日はマクラから五七五の俳句調で嘆いちゃうけど、あたしが30歳を過ぎてから、この話が間違いだったってことが分かったのだ。ザックリと説明すると、まず初めに病気や災難を表わす「恙(つつが)」って言葉があった。それで、病気にもかからず災難にもあわない状態のことを「恙ない」って言うようになった。そして、変な虫に刺されて起こる、死に至る原因不明の病気が広まっていたので、この虫のことを「ツツガムシ」、この病気のことを「ツツガムシ病」と呼ぶようになった‥‥ってことらしい。

つまり、「つつがなく」って言葉と「ツツガムシ病」に深い関連があることは間違いないんだけど、「ツツガムシ」が先にあって「つつがなく」って言葉が生まれたワケじゃなくて、丸っきり逆だったワケだ。だから、ここ10年くらいのあたしは、誰かが「『つつがなくお過ごしでしょうか』の『つつがなく』というのは『ツツガムシに刺されることもなく』という意味なのよ」って得意顔で言った時に、「あたしも以前はそう信じ込んでたんだけど、実はカクカクシカジカで‥‥」って説明する役回りになってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、40年も生きてくると、こういうことっていろいろとある。学校で先生から教わったことだから、絶対に正しいことだと信じて生きてきたのに、10年も20年も経ってから「実は間違いだった」って分かるのだ。たとえば、「いい国つくろうキャバクラ幕府」っていうあたしのギャグの元になってる「いい国つくろう鎌倉幕府」とかだ。これなんて、先生が口頭で言っただけじゃなくて、教科書にもハッキリと書いてあったし、テストにも出た。そして、教わった通りに「1192(いいくに)年」て書けば正解で、他の数字を書いたら間違いにされてた。

それなのに、あたしが社会人になってずいぶん経ってから、鎌倉幕府ができたのは「1192年」じゃなくて「1185年」だってことに変更になっちゃった。だから、今の子どもたちは、「いい箱つくろう鎌倉幕府」って暗記させられてるそうだけど、これじゃあ語呂合わせとして苦しすぎる。それに、わずか「7年」の違いでも、歴史の年号のテストは1年違ってても不正解にされちゃうんだから、こんなことをあとから言われても困っちゃう。

たとえば、あたしが生まれた時はまだ「天動説」が信じられてたとして、あたしが通ってた学校でも「地球は停止していて空のほうが回っているのだ」なんて教えられてたとしたら、街角で「空ではなく私たちの住んでいる地球のほうが回っているのだ!」なんて演説してるおじさんがいたら、あたしも周りの人たちと一緒になって「バッカじゃないの?」なんて言ってゲラゲラ笑ってただろう。だけど、そんなあたしが大人になると、あの変なおじさんが言ってた「地動説」のほうが正しくて、あたしが学校で教わった「天動説」、世の中の大半の人たちが信じてた「天動説」は間違ってたと発表されたのだ。間違いは、それが分かった時点で素直に認めて訂正すべき‥‥ってことは分かるけど、ずっと信じてきたあたし的には、最初に教えた先生に対しても、世の中の大人たちに対しても、「おいおい!」って気持ちになっちゃう。


‥‥そんなワケで、つい、こないだも、「ベルギーと中国の合同調査グループが始祖鳥よりも古い鳥類の化石を発見した」というニュースがあった。「始祖鳥」ってのは、地球上に初めて誕生した鳥だからこそ「始祖鳥」って呼ばれてるワケで、あたしはもちろん、あたし以外の世界中のほとんどの人たちは、そう思って今まで生きてきたハズだ。それなのに、ああそれなのに、それなのに‥‥って、本日二度目の俳句調だけど、これほどの「今さら言われても感」はメッタに味わえないだろう。

そして、何よりも迷惑なのは「始祖鳥」本人だ。今までずっと自分が「始祖」だったのに、今日からは「二番目」になっちゃったのだ。レンホー議員なら「なぜ一番じゃなきゃいけないんですか?二番だっていいじゃないですか!」って口角泡を飛ばしそうだけど、本人にしてみたら大迷惑な話だ。だって、新しく発見された鳥類に「始祖鳥」の名前を譲り、自分は別の名前に変えなきゃならないからだ。

でも、新しく発見された鳥類を「始祖鳥」と呼び、今までの「始祖鳥」を別の名前で呼ぶことにしたら、今度はあたしたち人間のほうが混乱しちゃうことウケアイだ。これまでに発行されてる書籍や図鑑などの表記もすべて変更しなきゃならない。そんなこと、現実的には無理な話だ。だから、現実的に考えれば、今までの「始祖鳥」は「始祖鳥」のままにしといて、新しい鳥類に「始祖鳥を超える名前」を付けるしかない。

そこで、あたしが考えたのが、「新・始祖鳥」っていう名前だ。今までの「始祖鳥」は「始祖鳥」のままで、新しく発見されたホントの「始祖鳥」のことを「新・始祖鳥」と呼ぶことにする。こうすれば、すべてが丸く収まるだろう。ちなみに、これは、皆さんウスウスと感じてる通り、「加勢大周」と「新加勢大周」を参考にしたネーミングだ(笑)


‥‥そんなワケで、ここまでに書いてきた「鎌倉幕府」や「天動説と地動説」や「始祖鳥」は、どれも「あとから間違いだったと分かったこと」だから、教えた側にしてみれば完全に不可抗力だ。わざと嘘を教えたワケじゃなくて、あたしに教えた時点では、あたしに教えた内容こそが「真実」だと信じられてたワケだ。だから、ちょっと「おいおい!」っていうツッコミを入れたい気分はしてるけど、教えた側を責めるつもりなんて毛頭ない。

だけど、こうした「あとから間違いだったと分かったこと」とは違って、確信犯的なケースもある。それは、たとえば「円周率」だ。あたしが子どものころは、円周率は「3.14」と教わった。それも、実際には「3.1415‥‥」って、ずーーーーーーっと続いてくけど、そんなに暗記しても意味がないから、とりあえずザックリと「3.14」てことにしときましょう‥‥っていう説明もあった。

だから、算数のテストで円の円周の長さや円の面積を求める時には、円周率を「3.14」として掛け算をすれば正解だったけど、これはあくまでも「約」の正解であって、ホントの正解は「3.1415‥‥」っていう長い長い円周率を使わないと算出できないってこともちゃんと理解してた。あたしは、自分がこう教わったから言うワケじゃないけど、大人になって何の役にも立たない知識でも、一般常識の1つとして、このくらいは教えとくべきだと思ってる。

それなのに、あたしが大人になってから到来した「ゆとり教育」の世代では、この円周率が「3」になっちゃった。サスガにこれはフランク・ザッパすぎるだろう。だって、直径が1メートルの円の場合だと、円周率が「3.14」の場合と「3」の場合では、円周の長さは「14センチ」も違うのだ。「3.1415」と「3.14」なら、円周の長さは「1.5ミリ」しか違わないから、これなら許容できる。でも、「14センチ」も違ったら話にならない。

正確に言うと、円周率をすべて「3」にしたワケじゃなくて、文科省は「目的に応じて3にしろ」って指導したそうだけど、この「ゆとり教育」によって、子どもたちの学力が大幅に低下したことは間違いない。ベストセラーの『分数ができない大学生』によると、中間レベルの私立大学の大学生たちに小中学生レベルの計算問題をやらせてみたところ、25点満点で平均14点だったそうだ。高校生になってから習う難しい計算問題ならともかく、小学校で習う分数の足し算や小数点の割り算ができない大学生もたくさんいたそうだ。


‥‥そんなワケで、「ゆとり教育」は間違いだったと気づいた文科省は、週休2日制をやめて元に戻し、内容を3割も減らした教科書も元に戻し、円周率も「3.14」に戻したワケだけど、ここで問題になるのは、「ゆとり教育」で円周率を「3」だと教わってきた人たちだ。自分たちは円周率を「3」だと教わったのに、社会人になったトタンに「3.14」になっちゃった。これは、「鎌倉幕府」や「天動説と地動説」や「始祖鳥」のように、それまでは「3」だと思われてた円周率が、あとから「3.14」だと分かった‥‥ってことじゃない。最初から「3.14」だと分かった上で、手抜きで「3」にしてたワケだ。つまり、これは、不可抗力じゃなくて、教えた側に責任が生じるケースってワケだ。

とは言え、円周率を「3」だと教わって社会人になった人たちの大半は、別にこのことで何かデメリットをこうむってるのかと言えば、そんなこたーない。円周率を「3.14」と教わろうと「3」と教わろうと、成功する人は成功するだろうし、失敗する人は失敗する。努力した人は努力しなかった人よりも成功する可能性は高くなるけど、努力した人よりも努力しなかった人のほうが成功することだってある。それ以前に、人によって「成功」ってことの意味やビジョンがまったく違うんだから、こうした「他人との比較」は何の意味も持たない。

つまり、円周率を「3」としか認識してなくても、逆に100桁まで暗記してたとしても、こんなこと自分の人生にとっては何の意味も持たないってことになる。だけど、人生の根幹じゃなくて枝葉の部分なら、ちょっとした差が出る。円周率を100桁まで暗記してたら、マニアックな合コンでウケるかもしれないし、忘年会や新年会での余興にもなる。それに、長い数字の羅列を何度も頭の中で繰り返してると、たぶん脳みそが鍛えられて、たぶん記憶力の劣化を低減させることができるような気がする。


‥‥そんなワケで、今日は最後に、円周率を100桁まで暗記できる語呂合わせを紹介したいと思う。ちなみに、あたしは、コレで1週間ほどで暗記することができた。


3.14159265
産医師 異国に向こう

3589793238462
産後薬(やく)なく 産婦みやしろに

6433832795028
虫さんざん闇に鳴くころにや

841971693
弥生 急な色草

9937510
九九 見ないと

58209749445
小屋に置く 仲良く獅子子(ししこ)

92307816406286
国去れなば医務用務に病む

2089986280348
二親の苦 悔やむに やれ見よや

25342117067
不意の惨事に言いなれむな


これで100桁だ。最初の段の「65」を「向こう」と読ませてるのは、「5」を「こ」と読ませててリトル苦しいけど、最初のとこなのですぐに覚えられる。あとは、同じ「い」でも「1」の場所と、「5」を「いつつ」と読んで「い」にした場所があるので、そこを気をつけること。それから、「鳴くころ」が「7956」じゃなくて「7950」なので、頭の中では「鳴くこれ」って感じに暗唱すること。他には、「やれ見よや」とか「言いなれむな」とか日本語として苦しいとこがあるけど、毎日読んでるとすぐに覚えられる。コツとしては、最初からぜんぶ覚えようとしないで、1段ずつ覚えて、繰り返し紙に書いて行くこと。あたしみたいに記憶力の残念な人でも1週間ほどで覚えられたから、最近、物忘れが多くなってきて記憶力が心配な人は、脳みそを鍛えるためにも、ぜひチャレンジしてみてほしいと思う今日この頃なのだ。


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