桃屋にまつわるエトセトラ
3.11をキッカケに、あたしは母さんと一緒に暮らすようになったけど、今は本職が開店休業状態で、内職や短時間のバイトで食いつないでるから、ほとんどお家にいて、ほとんど母さんと過ごしてる。もちろん、それぞれのペースでそれぞれの生活をしてるから、朝から晩までずって顔を合わせてるワケじゃないけど、朝、昼、晩の食事は、ほとんど一緒に食べてる。
テレビもないし、ラジオもないし、まるで吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』みたいな生活だけど、今は便利なインターネットがあるから、radikoを使ってAMやFMのラジオを聴くことができるし、映画やアニメを観ることもできるし、音楽を楽しむこともできる。だから、今は、母さんとの食事の時間には、たいていラジオが流れてるんだけど、これってホントに素晴らしいことだと思う。
食事をする時にテレビをつけてると、自然と視線はテレビに向いちゃうから、家族との会話もなくなるし、何よりも食べてるお料理をちゃんと見なくなる。家族で食卓を囲んでるのに、お互いの顔も見ず、お箸でつまむ時だけお料理に目をやり、パクッと口に入れた時には、もう視線はテレビの画面に戻ってる。これじゃあせっかくのお料理の味も半減だ。
その点、ラジオなら、視線は自分の食べてるお料理と、テーブルを囲んでる家族の顔に向く。ちゃんとお料理を見ながら食べて、ちゃんとお互いの顔を見て会話をすることができる。だから、お料理を視覚的にも味わうことができるし、家族との会話にも心がこもり、相手の表情から言葉以上の機微を読み取ることができる。
あたしの場合は、ほとんどの家具を捨ててきたので、今は貰い物の電気コタツをちゃぶ台にしてるんだけど、食事の時間はラジオを聴きつつ、並べたお料理を視覚的にも味わいつつ、向かいに座ってる母さんの顔を見つつ、いろんなことを話しながら食事を楽しんでる。話しながらと言っても、食べ物が口の中に入ってる時まで話してるワケじゃないから、食事の時間の半分くらいは、母さんもあたしもラジオに耳を傾けてる。パーソナリティーが面白い話をすれば二人で一緒に笑い、懐かしい音楽が流れれば二人で一緒に懐かしんでる。
ちなみに、あたしのパソコンは、東京にいた時に契約したドコモを使ってインターネットにつないでるから、日本全国どこへ行っても東京が基地局になる。日本全国どこからアクセスしても東京からアクセスしてることになり、radikoをつければ東京のラジオしか聴くことができない。愛媛の松山に行った時も、大分の別府に行った時も、ビジネスホテルの部屋の回線につなげると、その地方のラジオを聴くことができたんだけど、自前のドコモにつなぐと東京のラジオしか聴けなくなる。
だから今は、AMは「TBS」「文化放送」「ニッポン放送」「ラジオ日本」、FMは「TOKYO FM」「NACK5」「bayfm」「J-WAVE」「Fm yokohama」「interfm」、あとは「ラジオNIKKEI」の第1と第2と「放送大学」しか聴くことができない。ま、これだけ聴ければ十分だし、他にもアプリを利用して全国の主なFMを聴くことができるので、特に困ることはない。それよりも、東京のラジオは、東京へのホームシックを癒すのに役立ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、3.11以来、ずっと母さんと一緒に過ごしてて、いつも一緒に食事をしてるのに、よくもまあ話題が尽きないもんだと自分でも感心しちゃうくらい、食事のたびによくおしゃべりをしてる。特に、去年の秋に別府へ旅行してからは、温泉の効果で母さんの脳みそが活性化しちゃったのか、母さんはもちろんあたしも忘れてた昔のことを次々と思い出すみたいで、どうでもいい話から面白い話までいろいろと飛び出してくる。
食事をしながらだから、その大半は「今、食べてるもの」がキッカケになって、ずっと忘れてたことを思い出すみたいだ。たとえば、アジのひらきをおかずに晩ごはんを食べてると、「そう言えば、きみこが幼稚園の時、アジの骨を喉に刺して大騒ぎしたことがあったわよね」なんて言い出す。もちろん、あたしはそんなこと覚えてないし、母さんだってずっと忘れてたんだろうけど、こうして毎日、顔を合わせておしゃべりしながら食事をするようになったことで、頻繁に思い出すようになったみたいだ。
で、昨日のこと、お味噌汁とお漬物だけで簡単に朝ごはんを済ませようと思ったんだけど、母さんが冷蔵庫から桃屋の『江戸むらさき』の「唐がらしのり」を持ってきたので、あたしもご飯の上に乗せて食べた。そしたら、しばらくして母さんが、「きみこは子どものころ、『ごはんですよ!』が大好物だったわよね」って言ったので、あたしもジョジョに奇妙に記憶が蘇ってきた。
「そうそう、卵かけご飯の時も、お醤油の代わりに『ごはんですよ!』を混ぜて食べるのが好きだったな」
「遠足や運動会の時のおにぎりも、必ず1個は『ごはんですよ!』にしないと文句を言ってたのよ」
「そうだっけ?」
「朝ごはんがパンの時も、トーストに『ごはんですよ!』を塗って食べてたわよ」
「それで、これじゃあ『ごパンですよ!』になっちゃうよね!って言って笑ってたね!」
「パンだけならいいけど、きみこは画用紙にまで『ごはんですよ!』を塗ったのよ」
「はあ?」‥‥ってなワケで、あたしにはまったく身に覚えがなかった。どんなに『ごはんですよ!』が好きだったからって、いくら何でも画用紙に塗るワケないし、塗ったとしてもヤギじゃないんだから食べられない。それで、どんなことなのか母さんに聞いてみたら、母さんの話を聞くうちに、あたしは「ハッ!」と思い出した。そうだ!あたしは画用紙に『ごはんですよ!』を塗って、ものすごく叱られて、押し入れに入れられてずっと泣いてたことがあったんだ!
会話形式で書いてくと無駄に長くなっちゃうので、母さんの話とあたしが思い出したことを総合して普通に書いてくけど、これは、あたしが4歳か5歳の時のことだ。あたしは、物心ついたころから桃屋の『江戸むらさき』や『ごはんですよ!』が大好物だったんだけど、この時まで『江戸むらさき』や『ごはんですよ!』が何なのか分からないまま、「ご飯に乗せると美味しいもの」「おにぎりに入ってると美味しいもの」としか認識してなかった。ようするに、大好物なのに「海苔の佃煮」だってことを知らなかったのだ。
で、この時あたしは、初めて母さんから「海苔の佃煮」だってことを教えられた。「佃煮」って言葉は難しいから使わなかったと思うけど、「海苔が原料」だってこと、「海苔をコトコトと煮て作る」ってことを教えられたんだと思う。朝ごはんの時だったのか晩ごはんの時だったのかは母さんも覚えてなかったけど、ご飯に大好物の『ごはんですよ!』を乗せて食べながら、母さんの話を聞いて、4歳か5歳のあたしは「へえ~!」って思ったんだと思う。
‥‥そんなワケで、大好物の『ごはんですよ!』が海苔を煮たものだってことを知ったあたしは、とんでもないことを思いついちゃったのだ。このままご飯に乗せただけでメッチャ美味しいし、パンに塗ってもメッチャ美味しいんだから、『ごはんですよ!』が一枚の大きな海苔になったら、きっと天にものぼるほど美味しいハズだ。そう思ったあたしは、『ごはんですよ!』を元の海苔の形に戻すために、お絵かき用のスケッチブックを持ってきて、何も描いてないないきれいな画用紙にスプーンで『ごはんですよ!』を塗り始めちゃった。
ある程度の年齢になってからなら、「海苔が原料」と聞けば「海苔という海藻が原料」って理解しただろうけど、まだちっちゃかったあたしは、四角い焼き海苔を原料にして『ごはんですよ!』が作られてると思ったのだ。四角い焼き海苔を適当に切ってお鍋に入れて、コトコトと煮て味付けをしてるんだと思ったから、画用紙に薄く塗って乾かせば、元に形に戻ると思ったみたいだ。あたしは、味付け海苔も大好きだったから、『ごはんですよ!』を画用紙に薄く塗って乾かせば、ものすごく美味しい味付け海苔ができると思ったみたいだ。
ものすごく美味しい味付け海苔ができれば、きっと母さんも喜んでくれると思ったあたしは、母さんをビックリさせるために、画用紙に『ごはんですよ!』を塗ったスケッチブックをお部屋のどこかに隠した。どれくらいで乾くか分からなかったけど、チョコチョコと様子を見て、乾いて立派な味付け海苔が完成したら、得意な顔をして母さんに渡す。母さんは驚いて、あたしのことを褒めてくれる。たぶんあたしは、そう思ったんだと思う。
だけど、結果は正反対だった。朝、新しい『ごはんですよ!』を開けたばかりなのに、その日の夜には瓶がカラッポになってたもんだから、母さんはあたしを問い詰めた。母さんは、あたしがぜんぶ食べちゃったと思ったのだ。もちろん、こんなに味の濃いものを一度に一瓶も食べたら体に良くないから、母さんはあたしの体を心配して問い詰めたのだ。
あたしはビックリして、「食べてない」と言いながら、隠してたスケッチブックを取ってきて母さんに見せた。画用紙は『ごはんですよ!』の水分を吸って波打ってて、その下の画用紙にも、その下の画用紙にも染みが広がってた。あたしが食べ物をおもちゃにして遊んでたと思った母さんは、カンカンに怒った。母さんはふだんから、あたしが食べ物を残したり食べ物を粗末にすると、目を吊り上げて怒る人だった。
あたしは、決して食べ物をおもちゃにしたわけじゃない、食べ物を粗末にしたわけじゃない、美味しい味付け海苔を作って母さんにも喜んでもらおうと思っただけだ‥‥って説明したかったんだけど、ちっちゃかったあたしには、この状況下でそんなことを説明するなんて無理だった。あたしにできることは、ただワンワンと泣き続けることだけだった。泣き続けるあたしは、母さんに押し入れに入れられて、しばらく許してもらえなかった。
‥‥そんなワケで、これほどの大事件なのに、あたしは30年以上も忘れてたワケだし、母さんもどれくらいかは分からないけど長いこと忘れてたワケだ。それなのに、昨日、『江戸むらさき』の「唐がらしのり」を食べたことがキッカケで、『ごはんですよ!』に関する子どもの時のことをいろいろと話してるうちに、母さんが思い出し、あたしも思い出し、二人で笑い合うことができたってワケだ。そして、あたしは、とっても大事なことも思い出した。それは、母さんに叱られて押し入れに入れられてワンワン泣いた次の日の夜、冷蔵庫の中に新しい『ごはんですよ!』が入ってたことだ。『ごはんですよ!』が大好きだったあたしのために、母さんがすぐに買ってきてくれたのだ。だから、あたしは、この事件がトラウマにならずに、すぐにケロッと忘れることができたんだと思う。そして、35年も経ってから、あらためて母さんに「ありがとう!」って言ってみた今日この頃なのだ♪
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