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2013.06.18

本歌どりの世界/後編

‥‥そんなワケで、昨日からの続きだけど、『小倉百人一首』に収められてる歌の中には、誰かの歌を下敷きにして詠まれた「本歌どり」の歌が何首かある。今日の「後編」では、それらの歌を紹介していこうと思うんだけど、解説してく上で分かりやすくするために、歌に振られてる番号も添えていく。だから、『小倉百人一首』のことがイマイチ分からない人は、以下のリンク先の一覧を必要に応じてチョコチョコと見ながら読んでほしい。


『小倉百人一首の一覧』
http://www.diana.dti.ne.jp/~fujikura/List/List.html


で、最初に紹介する「本歌どり」は、42番の清原元輔(きよはらのもとすけ)の歌だ。


 契(ちぎ)りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは  清原元輔


「小高い丘になっている末の松山を海の波が絶対に越えないように、私へのあなたの思いも絶対に変わらないと涙で袖を濡らしながら約束したのに‥‥」っていう、心変わりしてしまった恋人に対する恨みの歌だ。そして、この歌の元になってるのは、『古今和歌集』に収められてる「よみ人知らず」の次の歌だ。


 きみをゝきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ  よみ人知らず


「もしもあなたをさしおいて私が誰かに浮気心を持ったとしたら、末の松山を波が越えてしまうでしょう」って意味だ。つまり、「末の松山を海の波が越えることなどありえない」→「私があなたを裏切って他の人を好きになることなどありえない」っていう論法で、相手に対する自分の深い思いを表現してるワケだ。

だけど、この歌を踏まえた清原元輔の歌は、いきなり冒頭から「契りきな(約束したのに)」と始まってる。つまり、清原元輔の歌は、本歌あっての歌ってワケで、清原元輔の歌を読んだ人たちは、みんな『古今和歌集』に収められてる「よみ人知らず」の有名な歌を頭に浮かべて、この2首をセットにして味わうことになる。あれほど強く約束したのに、どうしてあなたは私を裏切ったの?このミゴトな大転換は、『小倉百人一首』に選ばれてしかりだろう。

ちなみに、この歌を詠んだ清原元輔は、62番の「夜をこめて」を詠んだ清少納言のお父さんで、36番の「夏の夜は」を詠んだ清原深養父(ふかやぶ)の孫だ。つまり、36番の清原深養父から見れば、62番の清少納言は「ひ孫」にあたるワケで、ずいぶん長い年月に渡った中から『小倉百人一首』がセレクトされてることが分かると思う。

『小倉百人一首』は、1番の歌から100番の歌までが、ほぼ年代順に並んでる。分かりやすく西暦で言うと、1番の天智天皇が626年、100番の順徳院が1242年なので、約600年の年月の中で詠まれた数えきれないほどの歌の中から、1人1首ずつ、合計100首の優秀な歌が選ばれている。つまり、ここに選ばれなかった歌人の数は膨大なワケで、そう考えると、36番の清原深養父と、その孫の42番の清原元輔と、その娘の62番の清少納言は、和歌に関しては超エリートの家系ってことになる。

比較するのはおかしいかもしれないけど、今の日本の文学でもっとも「商業的な影響力」のある「芥川賞」と「直木賞」は、1年に前期と後期の2回の選考があり、場合によっては1つの賞を2人の作家が受賞することもある。つまり、2つの賞を合わせると、最大で1年に8人の受賞者が誕生する。逆に「該当作なし」の回もあるので、平均して1回の受賞者を1人としても、年間に4人の受賞者が誕生する。これが600年続いたら、受賞者は2400人だ。

一方、『小倉百人一首』の方は、600年で100人だ。だから、確率だけで言えば、『小倉百人一首』に自分の歌が選ばれるってことは、「芥川賞」や「直木賞」を受賞することの24倍も狭き門だったことになる。そう思って『小倉百人一首』を鑑賞すると、それぞれの歌の世界がうんと広がって、何倍も深く味わえるようになってくる‥‥ってなワケで、寄り道はこのくらいにして、お次は90番の殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌だ。


 見せばやな雄島(おしま)の海人(あま)の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず  殷富門院大輔


「清原元輔」なんていうジャイアンツにいそうな名前の歌人の次に、「大輔」なんていう、これまたプロ野球選手にアリガチな名前の歌人が登場しちゃったけど、これは「だいすけ」じゃなくて「大輔(たいふ)」という役職名で、この人は女性だ。「殷富門院(いんぷもんいん)」が院号だから、「殷富門院大輔」というのは「ベローネ学院の副院長」みたいな感じで、名前じゃない。

で、この歌だけど、「あなたにお見せしたいです。松島湾の雄島の漁師の袖でさえ毎日どんなに濡れても色は変わらないのに、あなたにお会いしたくて泣き続けている私の袖はすっかり色が変わってしまいました」って意味だ。前に何度か解説したことがあったと思うけど、和歌で「袖を濡らす」というのは「愛しい人のことを思って泣く」という意味だから、大量に濡れてたり長時間濡れてたりすれば、それだけ「思い」が深いってことになる。

この歌では、「毎日、波をかぶって海水に濡れている漁師の袖でさえ変色しないのに」っていう前フリをした上で、「それなのに私の袖は泣き過ぎて変色してしまいました」って言ってる。これは、「海の波よりも激しく泣き続けている」って意味じゃなくて、「漁師の袖でさえ変色しないのだから、普通の涙で袖が変色するはずがない」っていう意味なのだ。つまり、「泣いて泣いて泣き続けて、とうとう血の涙が流れるようになってしまいました。私の袖は血の涙を拭いたために赤く染まってしまいました」って言ってるのだ。何という激しさ!何という情念!何という誇張!(笑)‥‥ってワケで、この歌の本歌は、次の歌だ。


 松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか  源重之


この歌の「あさり」と言うのは、文化放送の加納あさりアナのことじゃなくて、貝の「あさり」のことでもなくて、「漁(あさ)り」、つまり、漁師が漁をすることだ。だから、「松島湾の雄島の磯で漁をしている漁師の袖くらいだろう。涙で濡れている私の袖と同じように濡れているのは」っていう意味になる。何もなくて、この歌だけを鑑賞すれば、これはこれで愛しい人への深い思いを詠ってる秀歌だと思う。

だけど、この歌を踏まえて詠まれた殷富門院大輔の歌は、完全に本歌を超えている。だって、本歌は「漁師の袖と同じくらい涙で濡れている」って言ってるだけだけど、「本歌どり」のほうは「流血」までして「漁師の袖の濡れ具合」を超えちゃってるからだ‥‥ってなワケで、お次は91番の後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)、ザックリ言ちゃえば藤原良経(よしつね)の歌なんだけど、こんな長ったらしい名前にしやがって!っていう「苦情(九条)」は受け付けない(笑)


 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む  後京極摂政前太政大臣


これも今までに何度か解説したことがあったと思うけど、昔は「コオロギ」のことを「キリギリス」、「キリギリス」のことを「コオロギ」って呼んでた。だから、昔の和歌にこのどちらかの名前が出てきたら、もう一方のことだと解釈する。「こおろぎの鳴き続ける寒い霜の夜だというのに、私はひとりぼっちで筵(むしろ)に衣の片袖を敷いて寝ています」っていう孤独な歌だ。そして、この歌には、2首の本歌がある。


 あしびきの山鳥のをのしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む  柿本人麻呂


 さむしろに衣かたしきこよひもや我をまつらんうぢのはし姫  よみ人知らず


ここでポイントになるのは、最初に挙げた柿本人麻呂の歌だ。下のよみ人知らずの歌は『古今和歌集』に収められてる歌だけど、柿本人麻呂の歌は、知ってる人は知ってるように、『小倉百人一首』の3番に収められてる歌だ。つまり、『小倉百人一首』の3番と91番は、「本歌」と「本歌どり」の関係なのだ。

で、柿本人麻呂の歌は「長く垂れた山鳥の尾のように長い長い秋の夜を私はひとりぼっちで寝るのでしょうか」、よみ人知らずの歌は「宇治の橋姫は今宵も筵に衣の片袖を敷いて、ひとりぼっちで私がくるのを待っていることでしょう」って意味だ。どちらも、恋人に会えない寂しさを詠った歌だけど、柿本人麻呂が「自分の寂しさ」を詠んでいるの対して、よみ人知らずのほうは「相手の寂しさ」を詠むことで「自分の寂しさ」を表現してる。つまり、テーマは同じでも視点が逆だということだ。

そして、こうして並べてみると、藤原良経の「本歌どり」の歌は、この2首の良い部分を引き継ぎつつも、まったく新しい世界を生み出してることが分かる。それは、「きりぎりす」による「音」と、「霜夜」による「気温」だ。本歌の2首には、「音」がなく、「寂しさ」は感じても「具体的な寒さ」は感じない。でも、藤原良経の歌を読むと、暗闇を包み込むコオロギの声が聞こえてきて、身体が芯から冷える霜夜の寒さが感じられてくる。本歌を詠んだ2人には申し訳ないけど、完全に本歌を超えている‥‥ってなワケで、続いては92番は女性、二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌だ。


 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし  二条院讃岐


「潮干(しおひ)」は「潮干狩り」の「潮干」、つまり、海の潮が引いた状態のことなので、「潮が引いた時でも海面に現われない沖の海中の石のように、人は知らないでしょうが、私の袖は涙に濡れて乾く間もないのです」っていう、まことに女性らしい歌だけど、この歌の本歌も女性の歌、和泉式部(いずみしきぶ)の歌だ。


 わが袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし  和泉式部


「私の袖は水底に沈んだ石なのでしょうか。人に知られることもなく乾く間もないのですから」と詠ってるこの歌は、愛しい人に対する深い思いを表現してる。さっき説明したように、和歌で「袖を濡らす」というのは「愛しい人のことを思って泣く」という意味だから、この和泉式部の本歌も「水中に没した石」を比喩に使って、深い思いを表現してる。


でも、この歌を一蹴しちゃったのが、二条院讃岐のミゴトな「本歌どり」だ。和泉式部の歌でも、愛しい人に対する女性の切ない気持ちは十分に表現されてるように感じるんだけど、二条院讃岐に言わせれば、「そんなものは潮が引けば海の上に顔を出す干潟の石のようなものでしょ?今は『袖が乾く間がない』なんて言ってるけど、潮が引いて新しい恋人ができたら、あなたの袖なんてすぐに乾いちゃうわよ。それに比べて私の思いがどれほど深いか。潮が引いても決して海の上には顔を出さず、決して乾くことのない、沖の深い海の底に沈んでいる石のように、私の袖は濡れ続けてるのよ」ってことになる。

昨日の「前編」で、あたしは、「本歌どり」のポイントは「大転換」だって書いたけど、90番の殷富門院大輔の「血の涙」の歌や、この92番の二条院讃岐の「水中の石」の歌は、本歌とまったくおんなじテーマ、おんなじ方向、おんなじ視点で、本歌を踏み台にして大成功してるケースだ。愛を誓い合った本歌に対して、浮気をさせて2人の仲を裂いてしまう本歌どりを詠む男性も「おいおい!」だけど、愛しい人を思って泣き続ける本歌に対して、「あんたの思いなんて大したことないわよ!」っていう本歌どりを詠んじゃう女性は、男性以上に「おいおい!」だし、ある意味、無敵だと思う(笑)‥‥ってなワケで、お次は93番の鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)の歌なんだけど、ここまでくれば気づいたと思う。そう、『小倉百人一首』では、単なる偶然なんだけど、90番、91番、92番、93番と、4首続けて「本歌どり」の歌が並んでるのだ。


 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手(つなで)かなしも  鎌倉右大臣


「綱手」というのは、舟の舳先(へさき)に結んであるロープのことで、このロープを引いて舟を陸地に寄せたり、岸に沿って移動させたりするものだ。「かなし」という形容詞の終止形は、今で言う「悲しい」じゃなくて、「愛しく思う」とか「切なく思う」とか「心に響く」とか「趣(おもむき)を感じる」とかって意味で、それに詠嘆の終助詞の「も」をプラスして感慨の深さを大きくしてる。

「渚を漕いでいる小舟の漁師が舳先の綱を引いている姿には何とも言えない趣がありますね。こうした平和な日常がずっと続きますように、世の中はいつまでも変わらないでいてほしいと思います」という、漁師の何気ない日常の風景を詠んでいる歌だ。今まで紹介してきた「激しい恋の歌」と比べると、何となく気が抜けちゃうような歌なんだけど、これも「本歌どり」の歌なのだ。そして、この歌も、91番の後京極摂政前太政大臣の「きりぎりす」の句とおんなじで、本歌が2首ある。


 河の上(え)のゆつ岩群(いわむら)に草むさず常にもがもな常処女(とこおとめ)にて  吹黄刀自


 陸奥(みちのく)はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも  よみ人知らず


上の歌は『万葉集』に収められてるもので、皇女に仕えていた女官の吹黄刀自(ふふきのとじ)が、皇女の気持ちを代弁して詠んだ歌だと言われてる。ちなみに、「吹黄刀自」の「黄」はホントは「草かんむりに欠」という字なんだけど、今の漢字にはないので代わりに「黄」の字を使ってる。「川面に顔を出した岩々に草が茂らずいつまでも変わらないように、私も永遠に乙女のままでいたいものです」という意味で、鎌倉右大臣はこの歌から「常にもがもな」というフレーズだけを借用してる。リトル難しい解説をすると、「常に」は「常なり」という形容動詞の連用形で「永遠に変わらない」という意味、「もがも」は「願望」の終助詞、「な」は詠嘆の終助詞なので、「いつまでも変わらないでほしい」という願望を詠嘆で深めた意味になる。

下の歌は『古今和歌集』に収められているよみ人知らずの歌で、「みちのくはどこを訪ねても趣がありますが、とりわけ塩釜の浦を漕ぐ舟が舳先の綱を引いている姿には何とも言えない趣がありますね」という意味だ。つまり、鎌倉右大臣は、こちらのよみ人知らずの歌をメインの本歌にして、そこに吹黄刀自の歌から「常にもがもな」という言い回しだけを拝借して合体ロボさせたってことになる。だから、この実朝の歌の場合は、この2首をそろって本歌と呼ぶよりも、本歌はあくまでも「陸奥は」のほうで、吹黄刀自の「河の上の」はオマケ的に扱うべきだと思う。

でも、メインの本歌の「陸奥は」の歌と、これを「本歌どり」した鎌倉右大臣の歌を並べてみると、これといった「大転換」もないみたいだし、いったいどこが良くなっているのか?‥‥イマイチ、分からない人もいると思う。


 陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも  よみ人知らず


 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも  鎌倉右大臣


どちらの歌も、小舟の人の動作はおんなじだし、それを見て「かなしも」という表現で感慨を表現してる点もおんなじだ。違うのは、本歌が陸奥の中でも特に「塩釜」という土地への特別な思いを詠っているのに対して、「本歌どり」のほうは具体的な地名は挙げずに、広い世の中の全般のことを詠ってる。だから、あたしがやってる客観写生俳句の観点から言えば、具体性があって景が映像として見えてくる本歌のほうが優れてて、漠然としていてボンヤリした景しか見えてこない「本歌どり」のほうはイマイチってことになる。

だけど、これは、あくまでも客観写生俳句の観点での話であって、和歌の世界はまったく違う。この「本歌どり」の歌を詠んだ鎌倉右大臣とは、ようするに、源実朝(みなもとのさねとも)のことだ。「いい箱つくろう鎌倉幕府」でオナジミの鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、北条政子の息子だ。8歳の時にお父さんの頼朝が亡くなり、家督はお兄さんの頼家が継いだんだけど、所詮は子ども、実権を母方の北条一族に奪われてしまう。そこで、お兄さんの頼家は、お父さんの部下だった人たちと北条氏打倒を企てるんだけど、失敗して遠く離れた伊豆に幽閉されてしまい、翌年、わずか13歳で暗殺されてしまう。

一方、弟の実朝は、お兄さんの頼家が幽閉された時点で、その代わりとして、わずか12歳で鎌倉幕府の三代征夷大将軍に据えられた。もちろん、実権は母方の北条一族が握っているのだから、実朝は単なる「お飾り」だ。ようするに、今の北朝鮮みたいなもんだ。

だけど、いくら「お飾り」とは言え、こんな子どもに一国のトップの重責はたいへんなストレスだっただろう。安倍晋三みたいに「お腹が痛くなった」なんて言って丸投げすることもできない。そこで、賢かった実朝は、勉強し始めた和歌に没頭することによって、重責からの束の間の逃避行を楽しむようになった。和歌の世界は、実朝にとって、自分が自分に戻れる唯一の場所だったのかもしれない。

そんな実朝に和歌の手ほどきをしたのが、『新古今和歌集』などの選者であり、後に『小倉百人一首』の選者もつとめる藤原定家だった。定家は「本歌どり」などの和歌の技法についての解説書も書いてるほどの歌人だったから、この93番の実朝の歌は、定家から手ほどきを受けた技法で詠んだことになる。そして、その歌を『小倉百人一首』に収めたのも定家だったってワケだ。しかし、わずか12歳で征夷大将軍という重責を背負わされた実朝は、皆さんご存知のように、28歳の時、お正月に鎌倉の鶴岡八幡宮での式典にいき、甥の公暁(くぎょう)に暗殺され、首を切り落とされてしまう。あまりにも短く、あまりにも悲しい生涯だ。

こうした実朝のバックボーンを踏まえた上で、この93番の「本歌どり」の歌を鑑賞すると、先ほどまでとはまったく別の世界が見えてくる。本歌は、確かに具体的な地名を挙げて人々の生活を切り取っている秀歌だけど、その本歌を下敷きにして詠まれた実朝の歌には、自分の意思とは裏腹に若くして一国のトップという重責を背負わされた者にしか分からない視点が感じられてくる。吹黄刀自の歌の「常にもがもな」という表現を拝借してまで詠った「世の中は常にもがもな」というフレーズには、血のつながった者同士での権力闘争、復讐という負の連鎖の渦中に置かれてしまった実朝だからこその「こうした平和な日常がずっと続きますように、世の中はいつまでも変わらないでいてほしいと思います」という心からの思いが満ちあふれている。

ちなみに、正岡子規は、『歌よみに与ふる書』の中で、名だたる歌人たちのことをカタッパシからボロクソに批判してるけど、「実朝という人は三十歳にも足らずに、いざこれからという時にあえなき最期を遂げてしまい誠に残念だ。あと十年生きていたら、どれほど多くの名歌を残していただろうか」と書いて絶賛してる。


‥‥そんなワケで、600年以上に渡って詠まれてきた数えきれないほどの歌の中から、わずか100首だけを選んだ『小倉百人一首』なのに、その中にこんなに「本歌どり」の歌が入ってるってことは、当時は「本歌どり」も立派な歌として認められてたってワケだ。だけど、巷に「本歌どり」が流行すると、単なる「パロディー」や「パクリ」のような歌、本歌の本意をまったく汲んでいない歌など、レベルの低いものが氾濫するようになり、いつしか「本歌どり」は廃れていった。それを復活させたのが、芭蕉の時代の「俳諧」なんだけど、今度は芭蕉自身が「本歌どり」には芸術性を見出せなくなり、もっと高いところへいってしまった。だから、現代では、短歌でも俳句でも「本歌どり」はあんまり高くは評価されない風潮がある。だけど、あたしは日本人として、この歴史ある素晴らしい技法を途絶えさせたくないから、これからは積極的に「本歌どり」の俳句も詠んでいこうと思った今日この頃なのだ。


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