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2013.08.19

食は江戸にあり?

「炊いた御飯へ、鰹節のかいたのをまぜ入れ、醤油をふってやんわりとかきまぜ、ちょいと蒸らしてから、これをにぎりめしにして、さっと焙った海苔で包む。」


これは、『世話焼き長屋 人情時代小説傑作選』(新潮文庫)っていうオムニバス集に収録されてる池波正太郎の短編『お千代』の冒頭の一節だ。お千代と名づけた白いメス猫を溺愛する大工、松五郎の物語で、この一節は松五郎が毎日仕事へ持っていく大好物のお弁当の説明だ。それにしても、なんて美味しそうな一節なんだろう。どんなに高級なお料理よりも、あたしには、このおにぎりのほうが美味しそうに感じられる。

何がいいって、やっぱり「鰹節のかいたの」と「さっと焙った海苔」の部分だ。今どきは、鰹節はパック入りだし、海苔は焼き海苔が主流だけど、これは江戸時代だから、そんなものは売ってない。鰹節は半身のものを買ってきて、大工道具の鉋(かんな)を逆さにしたみたいなやつで、シャッ!シャッ!と掻く。ある程度掻いたら、引き出しを引っ張り出して、溜まってるオカカをお皿に出して使う。

あたしがちっちゃかったころ、おばあちゃんがよく鰹節を掻いてたので、あたしは横に座っていつも見てた。あたしは、おばあちゃんの持ってる鰹節が小さくなってくるのが楽しみで、「まだかな~」って思いながら、いつも見てた。何でかって言うと、鰹節が小さくなって「もうこれ以上は掻けない」っていう大きさになると、あたしにくれたからだ。

あたしは、子どもの指よりもひとまわり大きいくらいの鰹節をもらい、端っこをしゃぶりながら噛んで、少しずつ柔らかくしてく。口いっぱいにオカカの味が広がって、とっても美味しかった。たまに「裂けるチーズ」みたく縦に割れることがあったんだけど、そんな時は半分をティッシュにくるんで次の日のぶんにして、大切に隠してた。今思うと、おばあちゃんは、まだ少しは掻ける大きさなのに、あたしのために「気持ち大きめ」に残してくれてたように思う。

鰹節は高級品なので、毎日は使わなかった。毎日のお味噌汁は煮干しでお出汁を取ってて、鰹節を使うのは煮物やお蕎麦やおうどんの時だった。あと、お正月のお雑煮とか。正確には覚えてないけど、当時の我が家の鰹節の使用量は、3週間から1ヶ月に1本くらいだったと思う。だから、あたしがちっちゃな鰹節をもらえたのは、1ヶ月に1回くらいだったと思う。

もちろん、ふだんは市販のお菓子を買ってもらってたから、あたしはおやつに飢えてたワケじゃない。だけど、いつでも母さんに買ってもらえたチョコレートやキャンディ、いつでも家にあったお煎餅やかりんとうと違って、おばあちゃんが鰹節を掻いて掻いて掻いて掻いて掻いて掻いて、ようやくもらえたちっちゃな鰹節には、ものすごい「スペシャル感」があった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしがちっちゃかったころは、海苔も焼き海苔じゃない海苔を買ってきて、海苔用に使ってた茶筒みたいな缶に丸めて入れてた。使う時は、その缶から使うぶんだけ出して、ガス台の上に網を乗せて火をつけて、その上で、表、裏、表、裏‥‥って何度か焙って、それから使ってた。海苔はパリッとして、とってもいい香りがした。おにぎりでも、お餅の磯辺焼きでも、こうして焙った海苔で包むと、ほんのりと磯の香りがして、まさに「磯辺巻き」って感じになった。こんな経験をしてるから、あたしは、冒頭で紹介した池波正太郎の一節を読むたびに、お腹がグ~ッて鳴りそうになるほど、あのおにぎりを食べたくなっちゃうのだ。

古今東西、小説には食べ物のシーンがよく登場するし、中には食べ物に焦点をあてた「グルメ小説」みたいなものもある。食べ物に焦点をあててなくても、たとえば、井上荒野さんの『ベーコン』(集英社文庫)みたく、ひとつのお料理や食材をテーマにした短編集もある。これらは、それぞれの作家がそれぞれの筆力で「美味しそうな料理」を文字だけで表現してくれてるから、そのシーンを読むと、そのお料理を食べたくなることが多い。

こうした、お料理や食材をテーマにした小説じゃなくても、たいていの小説には、飲食をするシーンが登場する。状況説明的にサラッとしか触れてないものもあれば、丁寧な描写で美味しそうに表現してるものもある。また、吉本ばななさんの『キッチン』(角川文庫)のカツ丼のシーンのように、お料理そのものの描写じゃなくて、シチュエーションの巧さで美味しそうに感じさせてくれるものもある。あたしは、今はお肉は食べないけど、この小説を初めて読んだ時にはお肉を食べてたから、多くの人たちと同じく、このシーンを読んだ瞬間にカツ丼が食べたくなった。

でも、小説の中にカツ丼のシーンが登場すればカツ丼が食べたくなり、天丼のシーンが登場すれば天丼が食べたくなり、鰻丼のシーンが登場すれば鰻丼が食べたくなっちゃう単純なあたしだったけど、数年前に肉食をやめて、できる限り外食もやめて、それなりにシンプルな食生活を送ってきたら、年齢的なこともあると思うんだけど、あんまりギラギラしたゴージャスなお料理は美味しそうに感じなくなってきた。

高級な食材を使ったお料理でも、鰻重とか、お寿司とか、焼き松茸とかの和食なら食べたくなるんだけど、オリーブオイルやバターをたくさん使ったような西洋料理には食指が動かなくなった。それよりも、冒頭で紹介した池波正太郎のおにぎりのほうが、遥かに美味しそうに感じられる。食通としても知られた池波正太郎は、自分の好きな料理屋やお料理を紹介した随筆集みたいな本もいろいろと書いてるけど、何よりも嬉しいのが、味覚の基本があたしとおんなじ点だ。

池波正太郎は東京の浅草の生まれなので、味覚の基本が「江戸っ子」だ。最近の食通の人たちが評価してる関西の薄口醤油じゃなくて、関東の濃口醤油が好きだった。天ぷらも、最近の食通の人たちは「海老の天ぷらは塩だね」なんて言ってるけど、池波正太郎は天つゆにジャブジャブと浸けて食べてた。だから、池波正太郎が「美味しい」と紹介するものは、その多くが「東京っ子」のあたしの味覚に合う。


‥‥そんなワケで、池波正太郎の代表作のひとつ『仕掛人・藤枝梅安』のシリーズには、当時のお料理がいろいろ登場するけど、どれもシンプルでとっても美味しそうだ。たとえば、『梅安最合傘―仕掛人・藤枝梅安(三)』(講談社文庫)に登場する「浅利と大根の小鍋だて」なんて、具材はアサリとダイコンの2種類だけなのに、最高に美味しそうだ。もちろん、それは、池波正太郎の筆力によるところが大きいワケだけど、せっかくだから、そのシーンを紹介する。


「春の足音は、いったん遠退いたらしい。毎日の底冷えが強く、ことに今夜は、(雪になるのではないか‥‥)と、おもわれた。梅安は、鍋へ、うす味の出汁を張って焜炉をかけ、これを膳の傍へ運んだ。大皿へ、大根を千六本に刻んだものが山盛りになってい、浅利のむきみもたっぷり用意してある。出汁が煮え立った鍋の中へ、梅安は手づかみで大根をいれ、浅利を入れた。千切りの大根は、すぐに煮える。煮えるそばから、これを小鉢に取り、粉山椒をふりかけ、出汁とともにふうふう言いながら食べるのである。このとき、酒は冷のまま、湯のみ茶わんでのむのが梅安の好みだ。」


お膳の脇に七輪を置いて、薄めの出汁を張った土鍋を乗せて、ダイコンの千切りとアサリの剥き身をドバッと入れる。煮えたら小鉢に取って、山椒の粉を振っていただく。これだけじゃ味がないから、たぶんお醤油でもチョコっと垂らすんだと思う。立春は過ぎたけど雪が降るんじゃないかと思えるほどの寒い夜だから、この鍋と冷や酒の組み合わせは最高だろう。

池波正太郎の小説に登場するお料理のシーンの素晴らしい点は、冒頭のおにぎりしかり、このお鍋しかり、ザックリとしたレシピが紹介されてる点だ。だから、作ろうと思えば作ることができる。それも、その多くがシンプルなお料理だから、見たことも聞いたこともない調味料やスパイスを探しに行かなくても済む‥‥ってなワケで、「『仕掛人・藤枝梅安』のシリーズには興味ないけど、登場するお料理には興味がある」っていう人には、このシリーズからお料理のシーンだけを抜き出して解説を添えた『梅安料理ごよみ』(講談社文庫)っていう便利な一冊がある。

この本は、アマゾンとかには「池波正太郎著」って紹介されてるけど、これは間違い。冒頭に池波正太郎のインタビュー的な記述はあるけど、全編にわたって解説を加筆してるのは佐藤隆介氏と筒井ガンコ堂氏だ。だから、「池波正太郎著」だと思い込んで読み始めると「はあ?」って感じになっちゃうけど、そうじゃないと分かっていれば、とっても面白くて役に立つ一冊になる。

それから、ちょっと高いけどすごく楽しめるのは、池波正太郎の江戸三大シリーズ『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などに登場するお料理を実際に再現して、詳しいレシピまで紹介してる『池波正太郎の江戸料理を食べる』(朝日新聞出版)だ。これは、文化放送「くにまるジャパン」を聴いてる人には「くにまる・野崎のヒガシマルうすくち道場」でお馴染みの日本料理店「分とく山」総料理長の野崎洋光氏が再現した一冊だ。どのお料理も器も写真が素晴らしいので、眺めてるだけでも楽しい。


‥‥そんなワケで、あたしたちの生活は日進月歩で「便利」になってくけど、何かを得たら何かを失うのが世の常だ。キーを叩くだけで簡単にメールを送れるようになったら、手紙を書かなくなった人たちは漢字が書けなくなった。最近の若い主婦は、リンゴとかの果物の皮も包丁を使わずにピーラーで剥くと聞いて驚いたけど、それどころか最近では皮を剥いて細かく切ってある「カット野菜」を配達してもらってカレーを作る主婦もいるそうだ。いくら真空パックになったとしても、やっぱり鰹節は「削り立て」が美味しいワケだし、海苔は「焼き立て」が美味しいワケで、これは「炊き立て」のご飯が美味しいのと一緒だと思う。だから、あたしは、世の中の流れとは逆に、「食」に関しては江戸時代を目指してみようと思ってる今日この頃なのだ。


   

   


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