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2013.09.04

思いやりは地球を救う

最近、アメリカから届くニュースで「子ども」に関するものというと、「男が学校で銃を乱射して十数人の児童が殺された」とか、「5歳の兄が銃で遊んでいて3歳の妹を撃ち殺してしまった」とか、「8歳の兄が車を運転して5歳の妹を轢き殺してしまった」とか、「赤ちゃんを乗せたベビーカーを両親が押していたら何者かに赤ちゃんが射殺されてしまった」とか、こうした悲しいニュースばかりだった。でも、今日、とっても心が温かくなる素晴らしいニュースが届いたので、紹介したいと思う。


アシュリー・イングランドさんには2人の息子がいるんだけど、8歳の長男、ライリー君は先天性の障害を持っていて、言葉を話すことができない。てんかんの持病も持っていて、何か気に入らないことがあると、ところかまわず奇声を発したりしてしまう。

8月30日の夜のこと、アシュリーさんは、ダンナさんと2人の息子の4人で、ノースカロライナ州のレストランで食事をしていた。ライリー君は、初めのうちは大人しく食事をしたり、アシュリーさんの携帯電話で遊んでいたんだけど、見たい動画がうまく表示されないことに苛立ち、奇声を発したりテーブルを叩いたりし始めた。静かなレストランに大声が響き渡り、周囲の客たちの視線がいっせいにアシュリーさんのテーブルに集まった。

この1ヶ月、ライリー君の状態はあまり良くなく、自宅でも外でもこうしたことが繰り返されていたため、アシュリーさんは、正直、疲れ果てていた。愛する我が子のこととは言え、アシュリーさんの精神状態は、疲労とストレストで限界に達しようとしていた。

そんな時、レストランのウエイトレスさんが、他のテーブルの客から預かったという、店の伝票に書かれた1枚のメモを届けに来た。大声をあげるライリー君と、困り果てるアシュリーさんを見た客の1人が、アシュリーさん一家の食事代を払うと申し出て、このメモを届けるようにと頼み、お金を払って名前も告げずに帰っていったという。アシュリーさんが受け取ったメモには、こう書かれていた。


As1


「God only gives Specia​l Childr​en to Specia​l People​.」
(神は特別な人たちだけに特別な子供を与えるのです)

このメモを読んだ瞬間、アシュリーさんは泣き崩れてしまった。愛する息子なのに、あまりの辛さから、心の隅に「息子を憎む気持ち」や「自分の運命を恨む気持ち」が芽生え始めていたアシュリーさんにとって、このメッセージは、何にも代えがたい救いの言葉だった。自分の中に溜めこんでいた、この1ヶ月の辛さから、この言葉が彼女を救ってくれたのだ。アシュリーさんは言う。


「私たち家族に親切にしてくださった人は、私たちがこの1ヶ月、どれほど苦しんできたのかを知りません。それなのに、私たちがもっとも必要としていた言葉を贈ってくださいました」


感動したアシュリーさんは、この日のうちに自身のフェイスブックにメモの画像をアップして、この出来事を紹介した。そして、メモを贈ってくれた人へのメッセージを添えた。


「見知らぬ人へ。あなたは今夜、ご自分の知らないところで、私に素晴らしい祝福を与えてくださいました。本当にありがとう」


‥‥そんなワケで、日本では、しばらく前に、飛行機の中で泣きやまない赤ちゃんにブチ切れた女性漫画家が、その赤ちゃんのお母さんに文句を言ったとコラムに書いたことで賛否両論が巻き起こった。この時、あたしは、ツイッターで複数の人からこう聞かれた。


「飛行機の中に泣きやまない赤ちゃんがいたら、きっこさんなら親に文句を言いますか?それともガマンしますか?」


あたしは、この質問を不思議に思った。だって、あたしがこの状況に遭遇したら、この二択のどちらでもなく、「お母さんと一緒に赤ちゃんをあやす」という行動をとるからだ。さすがに飛行機での経験はないけど、電車やバスで泣きやまない赤ちゃんがいて、お母さんが困ってるような時には、何度かお母さんと一緒に赤ちゃんをあやしてニコニコさせたことがある。

「親に文句を言う」というのは相手に全責任を押しつけること。「自分がガマンする」というのは自分が全てをかぶること。どうしてこの二択しかないの?何で「一緒に解決する」という選択肢がないの?それは「相手の立場に立って考える」という人として当たり前の思考の欠落であり、さらに言えば、「思いやり」の欠落じゃないかと思う。


‥‥そんなワケで、一部のネットウヨクによる在日コリアンへのヘイトスピーチから、アメリカによるシリアへの軍事介入に至るまで、すべては「泣きやまない赤ちゃんにブチ切れて文句を言う大人げない大人」の延長線上に点在してるものだとあたしは思ってる。「相手の立場に立って考える」という思考の欠落、「思いやり」の欠落が、「一緒に解決する」という最善の選択肢を排除してしまっているのだ。だから、あたしは、1人でも多くの人にアシュリーさんの実話を知ってもらい、今一度「思いやり」というものについて考えてほしいと思った今日この頃なのだ。


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