寅さんとサン=テグジュペリ
福島第一原発の大事故で、生まれ育った故郷の東京から西日本へ疎開した母さんとあたしは、今回で3回目の「東京以外でのお正月」で迎えた。住む場所も仕事も失ったあたしは、一昨年も去年も母さんと2人で生き抜くことだけで精一杯で、とてもお正月どころじゃないってのが正直なとこだったけど、今回は何とか自力で生活できる拠点に馴染んできたので、母さんとお正月を満喫することにした。
年末年始と言えば、やっぱりNHKの「紅白歌合戦」だ。「紅白歌合戦」なんて、中学生くらいまでチラチラと観てただけで、くだらないアイドル歌手や名前も知らない演歌歌手のつまらない歌、観てるほうが恥ずかしくなってくるような過剰な応援合戦なんて、とてもじゃないけど直視してられなかった。だから、あたしは、高校生くらいから「紅白歌合戦」を観なくなったんだけど、3年間も東京を離れてジプシーみたいな生活を続けてきたら、大晦日にバカバカしい「紅白歌合戦」を観ることが、「多くの人たちと同じ時間に同じことをしてる」という安心感を得られる手段だと思えてきた。
だけど、あたしはテレビのない生活を続けてるから、「紅白歌合戦」を観ることはできない。ラジオもないから、パソコンの「radiko」で配信してるラジオ局の放送しか聴くことができない。そして、「radoko」ではNHKは配信してない。で、「久しぶりに母さんと紅白を聴きながら大晦日を過ごそうと思ったら、radikoではNHKが聴けないことが判明」とツイートしたら、たくさんの人たちが「NHKの「らじる★らじる」という無料アプリで聴けますよ」と教えてくれた。
そのお陰で、母さんとあたしは、20年以上ぶりに、NHKの「紅白歌合戦」を聴きながら、のんびりと大晦日を過ごすことができた。噛みまくりのドシロートのような司会、名前を聞いたこともないアイドルグループの騒がしいだけの歌、時代錯誤のド演歌、酔っ払いが騒いでいるような応援合戦、日本語なのか英語なのかも判別できない今どきの歌謡曲、ぜんぜん意味が分からない「あまちゃん」の出演者による小芝居、音程を外しまくって歌う小泉今日子や松田聖子、まるで小学校の学芸会のような内容の、そのどれもが新鮮で、「ああ、このバカバカしさこそが日本の大晦日の風物詩なんだな」と感じることができた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「紅白歌合戦なんてダサいもの観てられるかよ!」なんて鼻息を荒くしてたのは、あたしが若かったからで、あたしももう40歳を超え、母さんが70歳に手が届くようになった今は、母子2人でコタツで「紅白歌合戦」を聴きながら大晦日を過ごすのも「それなりな感じ」になってきた。これって、子どもの時に大嫌いだった「ミョウガ」を大人になってから美味しく感じられるようになったのと同じようなもんで、いつまでも意地を張ってるよりも、自然の変化を素直に受け入れたほうが遥かにラクチンに生きられる‥‥っていう法則の1つだ。
で、年も明けたお元日は、あたしは母さんと「男はつらいよ」を観ることにした‥‥って言っても、あたしが持ってるのは、あたしの大好きな「リリー三部作+2」の5作だけだから、お元日に11作目の「寅次郎忘れな草」(1973年)を観て、2日に15作目の「寅次郎相合い傘」(1975年)を観て、3日に25作目の「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年)を観て、4日に48作目の「寅次郎紅の花」(1995年)を観て、5日に寅さん亡きあとに作られた49作目の「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」(1997年)を観た。
もう、何十回観たか分からないほど観てる大好きな作品だけど、やっぱり、お正月に母さんと一緒に観ると、いろんな意味で感じ方が違ってくる。それに、昔の「男はつらいよ」は、毎年、お正月と夏休みに公開してたんだけど、「リリー三部作」は、ぜんぶ夏休みに公開してた夏の物語なのだ。だから、こうしてお正月に観ると、ちょっとイメージが違ってくる。
母さんは寅さんのことが好きで好きで大好きだから、たぶん自分がマドンナになった視点で映画を楽しんでるんだと思う。あたしも同じだけど、ことリリーに関しては、あたしは死ぬほどリリーのことが好きだから、自分がマドンナになった視点だけじゃなくて、大好きなリリーをもっと幸せにしてあげたいという気持ちから、あたしが寅さんの立場なら、ここでこんな言葉を掛けるのに、とか、ここでこんな態度を取るのに、とか、そんなことまで考えながら観ちゃう。
‥‥そんなワケで、すごく久しぶりに「リリー三部作+2」を観たあたしだけど、今回、またまた新しい発見があった。それは、寅さんとリリーが初めて出会うシーンだ。11作目の「寅次郎忘れな草」の中で、北海道の網走神社の前でドーナツ盤のレコードを二束三文で叩き売りしてる寅さんに、リリーが声を掛けるのが最初の出会いのシーンなんだけど、その前に、北海道へ向かう夜汽車の中で、悲しそうな顔をして涙を流しながら窓の外を見ていたリリーのことを、少し離れた席から寅さんは見ていた。
レコードが売れなかった寅さんが橋にもたれてションボリしてると、通りかかったリリーが「さっぱり売れないじゃないか」って声をかけて来る。これが、これから何十年も続いてく2人の運命の出会いのシーンだ。で、寅さんは「不景気だからな、お互い様じゃねえか?」なんて言いつつ、「何の商売してんだい?」って聞くと、リリーは「私?歌うたってんの」って答える。リリーは地方のキャバレーとかをドサ回りしてる売れない三流歌手で、網走にもドサ回りでやって来てたのだ。そして2人は、河口の船の見える場所に腰を下ろす。
寅さん 「どうしたい、ゆんべは泣いてたじゃないか?」
リリー 「あらいやだ、見てたの?」
寅さん 「うん、何かつらいことでもあるのかい?」
リリー 「ううん別に‥‥ただ、何となく泣いちゃったの‥‥」
寅さん 「何となく?」
包みからタバコを出すリリー。
リリー 「うん、兄さん、なんかそんなことないかな?夜汽車に乗ってさ、外見てるだろ、そうすっと、何もない真っ暗な畑なんかにひとつポツンと灯りがついてて、ああ、こういうとこにも人が住んでるんだろうなって、そう思ったら、何だか急に悲しくなっちゃって、涙が出そうになる時ってないかい?」
寅さん 「うん」
マッチを擦る寅さん。
寅さん 「こんなちっちゃな灯りが、こう、遠くの方へス~ッと遠ざかって行ってなあ‥‥あの灯りの下は茶の間かな、もう遅いから子供たちは寝ちまって、父ちゃんと母ちゃんが2人で、しけった煎餅でも食いながら、紡績工場に働きに行った娘のことを話してるんだ、心配して‥‥暗い外見てそんなこと考えてると、汽笛がボ~ッと聞こえてよ、何だかふっと涙が出ちまうなんて、そんなこともあるなあ‥‥分かるよ‥‥」
これが、あたしの大好きなシーンで、もう何十回も観てるからセリフも完全に覚えちゃったけど、何十回も観てるのに今までぜんぜん気づかなかったことを、今回、初めて気づいちゃったのだ。それは、この寅さんやリリーの感覚が、『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリの感覚と同じだったと言うことだ。
あたしは、小学1年生の時の学芸会で『星の王子さま』のキツネの役をやった。当時の写真は何枚か、子どものころのアルバムに残ってるけど、あたしが覚えてるのは、金髪のウイッグをかぶった王子さま役の男の子とお別れする最後の場面だけだ。あたしとの別れを悲しむ王子さまに向かって、「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」って言う。先生から、「本当に大切なものは」と言ってから、ひと呼吸して、それから「目には見えないんだよ」って言うように教えられたので、その通りにやったんだけど、当時は、このセリフの意味なんてぜんぜん理解してなかった。
あたしが、このセリフの意味を理解したのは、小学校の高学年になってからだ。そして、初めて『星の王子さま』を大好きになり、サン=テグジュペリの他の作品、『夜間飛行』や『人間の土地』なんかも図書館で探して読んでみたんだけど、難しすぎて理解できなかった。昔の訳だから、日本語自体が子どものあたしには難しすぎたのだ。あたしが『夜間飛行』や『人間の土地』を理解できたのは、中学生になって再読した時だった。
‥‥そんなワケで、中学生の時に図書館で借りて読んで以来、25年以上も読んでなかったサン=テグジュペリの本だけど、去年の暮れに母さんとBOOK OFFに寄った時に、文庫本の100円コーナーで『人間の土地』を見つけたので、懐かしくて再読してみたくなり、他の本と一緒に買ってみた。そして、読みたかった他の本を何冊か先に読み、お正月も明けてから『人間の土地』を読み始めてみたら、最初の「前書き」の部分で「おおっ!」ってことになった。そこには、さっきの寅さんとリリーとの最初の出会いと、まったく同じ感覚の描写が書かれていたからだ。
サン=テグジュペリは、もともとはフランスの郵便飛行士で、この『人間の土地』や『夜間飛行』は自分の体験に基づいて書かれてるし、『星の王子さま』の中にも飛行士としての体験を踏まえたシーンが登場する。だけど、『星の王子さま』が創作なのに対して、この『人間の土地』は実体験を書き綴ったエッセイ集だから、リアリティーの高さは比較にならない。この本の中に書かれてる「感動」や「気づき」は、サン=テグジュペリ自身が実際に感じた「感動」や「気づき」なのだ。そして、そんな『人間の土地』の冒頭で、サン=テグジュペリは、自分が初めて夜間飛行をした時のことをこんなふうに書き綴ってる。
「ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目(ま)のあたりに見る心地がする。それは、星かげのように、平野のそこここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。またかしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思(おぼ)しい、いともつつましやかなのも認められた。しかしまた他方、これらの生きた星々のあいだにまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう‥‥。」
※『人間の土地』(新潮文庫)より引用
飛行士だったサン=テグジュペリが、初めて夜間飛行をした時に、地上に見える家々の灯りを「地上の星のようだ」と感じ、その1つ1つにそれぞれの人々の生活を感じ取ったのだ。そして、それだけじゃなく、灯りの消えている暗い場所にまで、静かに眠っている人々の生活を感じ取ったのだ。一生、顔を見ることもないかもしれないような人たちにまで、まるで隣人のような眼差しを向けたサン=テグジュペリ。この感覚、この感性、まさしく寅さんと同じだと思う。
この『人間の土地』は、1939年にフランスで出版された本で、1920年代から30年代の自分の体験が書き綴られている。サン=テグジュペリは1900年生まれなので、1920年には20歳、1930年には30歳、とっても計算しやすい。1931年の31歳の時に出版した『夜間飛行』がベストセラーになり、1939年の39歳の時に出版した『人間の土地』もベストセラーになり、1943年の43歳の時に出版した『星の王子さま』もベストセラーになり、1944年の44歳の時に第二次世界大戦で偵察機を操縦中に地中海で消息を絶ち、半世紀後の1998年に海底から遺品が発見された。だから、あたしの愛してやまない『星の王子さま』は、文字通りの「遺作」なのだ。
そして、事実しか書かれていないエッセイ集なのに、『人間の土地』が人間の生命の本質にまで触れている哲学的な一冊に感じられるのは、広大な砂漠の真ん中に不時着して、一滴の水もない状況で3日間も彷徨い続けたサン=テグジュペリならではの実体験によるものだと思う。ちなみに、宮崎駿監督はサン=テグジュペリの大ファンで、特にこの『人間の土地』に強く影響を受けたと語っている。宮崎駿監督は、現行版の『夜間飛行』と『人間の土地』にはカバー画を描いていて、『人間の土地』には解説も書いている。興味のある人は、ぜひ現行版を読んでみてほしい。
‥‥そんなワケで、夜空を飛びながら地上の家々の灯りを見たサン=テグジュペリも、そのサン=テグジュペリに強く影響を受けた宮崎駿監督も、その眼差しの奥にあるものは、夜汽車の窓から家々の灯りを見た寅さんと同じ、市井の人々のそれぞれの生活に思いを馳せる温かい想像力だろう。目に見えない数多くの人々の生活を感じ取る感性、それぞれの人々の生活に思いを馳せる温かい想像力、あたしは、これこそが、今の日本の政権政党の政治家たちに最も欠けている感覚だと思った今日この頃なのだ。
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