« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014.03.30

冤罪事件と原発事故

1966年に起きた4人の殺害事件で死刑を言い渡され、死刑囚として長期間拘置されていた袴田巌さん(78)が、3月27日、48年ぶりに釈放された。だけど、これは、無実が証明されたワケじゃなくて、再審が認められた、つまり、袴田さんを有罪とした判決が100%正しいとは言えないので裁判をやり直す‥‥ってことが、ようやく認められたということだ。だから、袴田さんがホントの意味で自由になれるのは、今後の再審で無罪判決を勝ち取り、自分を有罪とした判決が誤りだったと証明できた時ということになる。

で、袴田さんの事件に関しては、あたしは以前から「冤罪だ」と言い続けて来たし、事件の概要から現在の状況まで、いろんな媒体で報じられてるので、今回はすべて割愛する。過去に書いたことや他でも書かれてることを繰り返しても、意味がないからだ。それよりも、あたしは、袴田さんの無実が確定されたあとのことを考えてみようと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、袴田さんは、1966年の事件発生の直後、30歳の時に逮捕されて、78歳の今まで48年間も自由を奪われてた。こんなこと書くと「不謹慎だ!」って言われちゃうかもしれないけど、これは、死刑囚が拘置され続けた期間としては「世界最長記録」だそうだ。終身刑や無期懲役なら、もっと長い記録があるけど、死刑囚の場合は、これほど長期間、刑が執行されないケースは珍しい。

で、話はクルリンパと戻るけど、袴田さんの無罪が確定されれば、袴田さんには、この48年間という時間に対する補償金が支払われる。日本では、冤罪で身柄を拘束してしまった場合の補償金として、1日あたり1000円~12500円という金額が刑事補償法で定められてる。

1991年に逮捕されて2009年に釈放されて再審で無罪が確定した「足利事件」の菅家利和さんは、この場合、「満額」という言葉が適当かどうか分からないけど、法で定められた最高額、1日あたり12500円×17年半=約8000万円が支払われた。だから、袴田さんの場合も、再審で無罪が確定すれば、法で定められた最高額が支払われると思われる。48年間だから、約2億2000万円だ。

あなたは、これらの金額をどう思う?もしもあなたが、まったく身に覚えのない罪で逮捕されて、ずっと無実だと叫び続けてるのに17年半も自由を奪われて、あとから無実だったと分かったからって、8000万円もらって納得できる?48年間も自由を奪われて、2億2000万円もらって納得できる?

さらに言えば、菅家さんは17年半だから8000万円、袴田さんは48年だから2億2000万円‥‥と言っても、この2人には大きな違いがある。菅家さんの場合は「無期懲役」の判決を受けて刑務所に服役していたのだから、他の受刑者たちと一緒の雑居房で生活をしていた。昼間は決められた作業をして、夜はわずかでも他の受刑者と会話をしたり将棋を楽しんだりする自由時間があった。一方、袴田さんの場合は「死刑囚」なので、48年間、ずっと誰とも会話のできない独房に閉じ込められていたのだ。そして、何よりの違いは、来る日も来る日も「今日、死刑になるのか?」という恐怖と向かい合わせで生活していたということだ。

日本では、死刑の執行は「平日の午前10時ごろ」に行なわれるけど、本人には当日まで知らされない。当日の朝9時ごろに知らされ、その1時間後に執行される。だから、日本のすべての死刑囚は、毎週月曜日から金曜日まで、毎朝8時半を過ぎると耳を澄ませて、コツコツという足音が近づいてくると恐怖を感じ、その足音が自分の独房の前を通り過ぎるとホッとして、「ああ、今日1日、生き延びられた」と思うそうだ。

死刑囚が、唯一、少しだけリラックスできるのが、金曜日の午前9時過ぎからの3日間だと言う。金曜日の朝に執行されなければ、土曜日と日曜日は執行がないから確実に生きられる。だから、この3日間だけは、少し心に余裕ができるそうだ。だけど、この3日間が終われば、また、恐怖と向かい合う5日間が始まる。こんな状態で、何年も何十年も独房に閉じ込められていたら、どんなに精神力の強い人でも、頭がどうにかなってしまうだろう。本当に何人もの命を奪った凶悪犯であれば、これは自業自得だから仕方ない。だけど、どこかの誰かが犯した凶悪犯罪の濡れ衣を着せられ、無実の罪で「死刑囚」にさせられた人にとって、これほどの地獄があるだろうか?

刑務所に服役した場合、「懲役何年」という有期刑であれば、あと何年で仮釈放が付く、あと何日で出られる、という希望を持って日々を送ることができるし、「無期懲役」であっても仮釈放が付いて出られるケースもある。だけど、「死刑囚」の場合は、真っ暗な部屋に差し込んで来る、糸よりも細い「再審」という光しか希望がない。それも、来る日も来る日も死と隣り合わせの日々を送りながら、その光が差し込む日を待ち続けているのだ。

つまり、同じ「冤罪」でも、「懲役刑」を受けて刑務所に服役したケースと、「死刑」を受けて拘置所に長期拘置されたケースでは、精神的な重圧が大きく違うということだ。それなのに、どちらのケースも最高で1日あたり12500円という一律の補償金は、あたしは絶対におかしいと思う。つーか、1日12500円なら、ちょっと時給のいいバイトで稼げる金額だし、年収にすれば456万円だ。これは、現在の公務員の平均年収、663万円よりも遥かに低い。間違った捜査や取り調べをした警察や検察、間違った判決を下した裁判所、これらの加害者たちの収入よりも、被害者への補償金のほうが低いのだ。これほどふざけた話はない。


‥‥そんなワケで、アメリカのニューヨーク州の南東部にあるロングアイランドに住んでいたマーティン・タンクレフさん(42)は、17歳だった1988年、自宅に押し入った何者かによって両親が殺害されてしまった。17歳の少年にとって、これほどショックな出来事はないだろう。それなのに警察は、このマーティンさんを犯人として逮捕し、裁判所が実刑判決を下したため、マーティンさんは長い刑務所生活を送らされることになった。

逮捕時から無実を訴え続けていたマーティンさんの声は届かず、辛く苦しい刑務所生活が続いていたけど、逮捕から19年目、服役してから17年目の2007年、新たな証拠が見つかったことで再審が認められて無罪が確定、マーティンさんはようやく触れ衣を晴らすことができたのだ。この時、マーティンさんは36歳になっていた。

そして、無罪が確定して自由の身になってから7年後の今年1月、マーティンさんと弁護団が州政府に対して起こしていた「冤罪による服役に対する補償」の訴訟が和解して、州からマーティンさんに337万5000ドル(約3億5000万円)が支払われた。

「足利事件」の菅家さんは17年半で8000万円、マーティンさんは17年で3億5000万円、いくら国が違うとは言え、この金額の違いを見れば、日本の刑事補償法で定められてる金額が、いかに低いか、いかに時代に即していないか、よく分かると思う。でも、金額だけで言えば、日本でも特殊なケースがある。たとえば、「郵政不正冤罪事件」の村木厚子さんのケースだ。元厚生労働省局長だった村木厚子さんは無実の罪で逮捕、勾留されたけど、164日の勾留に対する賠償金として、国は村木さんに3770万円を支払ったのだ。

1日12500円なんだから、ホントなら164日で205万円しか支払われないハズなのに、それより3500万円も多く支払われてる。菅家さんは17年半で8000万円だけど、村木さんは約5ヶ月間で3770万円、この違いは、いったい何だろう?これは、刑事補償法による「補償金」ではなく、村木さんが国に対して起こした損害賠償請求の訴訟に対する「賠償金」なので、正確に言えば性質の違うものだからだ。

だけど、それなら、5ヶ月間勾留された村木さんの42倍の17年半も服役した菅家さんが、国に対して損害賠償請求の訴訟を起こしたら、国は3770万円の42倍の15億8340万円を菅家さんに支払うのだろうか?村木さんの115倍の48年も拘置された袴田さんが、国に対して損害賠償請求の訴訟を起こしたら、国は3770万円の115倍の43億3550万円を袴田さんに支払うのだろうか?もちろん、絶対に支払わないだろう。


‥‥そんなワケで、村木厚子さんのような特殊なケースを除けば、冤罪被害者への補償や賠償は、とても十分とは言えないと思う。村木さんは、3770万円の賠償金だけでなく、職場に復帰して元通りの幸せな生活に戻ることができたけど、菅家さんや袴田さんのように服役や拘置が長期間に及んだ場合は、元の生活に戻ることはできない。長期間、自由を奪われた冤罪被害者にとっては、何よりも「奪われた時間を返してほしい!」というのが本音だと思う。だけど、それは現実的に無理なので、代わりにお金で補償するワケなのだから、それなら、もっと手厚く補償すべきだと思う。

さっきあたしは、日本の公務員の平均年収は663万円だって書いたけど、これはあくまでも全国の様々な公務員の平均年収であって、間違った判決で無実の人間に濡れ衣を着せた「加害者」である裁判官たちは、みんな数千万円もの年俸をもらってる。一般的な判事でも年収は1000万円以上、東京高裁なら3000万円、最高裁なら5000万円以上もの年俸をもらってる。総理大臣や東京都知事よりも、最高裁の判事のほうが高額の年俸をもらってるのだ。

そして、この5000万円以上という最高裁の判事の年俸も、冤罪被害者に支払われる1年に456万円という補償金も、どちらも原資はあたしたちの納めてる税金だ。あたしは、この金額を逆にすべきだと思うし、冤罪が分かった場合には、国民の税金ではなく、その判決を下した裁判官や、間違った捜査や取り調べをした警察や検察の担当者が自腹で賠償するのが筋だと思う。


‥‥そんなワケで、冤罪事件の場合、加害者は警察と検察と裁判所なのに、これらの加害者には被害者への賠償責任はない。賠償どころか、被害者への補償金でさえも国民の税金で賄われ、加害者たちは何のオトガメもなしだ。あたしは、これって、今の原発事故と同じだと思う。福島第一事故の責任は、原発を推進してきた政府と東京電力なのに、政府も東電も誰1人として責任を取っていない。そして、莫大な除染費用や汚染水対策費用の大半は、国民の税金で賄われてる。被害者である国民が、加害者である東電の尻拭いをさせられてるのだ。こんなバカな話ってある?警察と検察と裁判所が寄ってたかって無実の人を有罪にしても、安全対策が不十分の原発を強引に稼動させて大事故が起こっても、すべて国が税金を使って後始末をしてくれるなんて、まるで「加害者救済システム」だ。あたしは、冤罪事件にしても原発事故にしても、まずは責任の所在を明らかにして、加害者にちゃんと責任を取らせるのが、どちらも「再発防止」への最善策だと思う今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.28

お知らせです♪

今日は、ダイハツ オーヴォ 日本公演サポーター「武井壮」のキャンペーン動画、スペシャルムービーをご紹介します!

「絶対に卵を割らない男」を自負する武井さんの、思わず息を飲むほどのスゴ技をご覧ください!


|

カヴァーという文化

最近、日本の歌手の間で「カヴァーアルバム」をリリースするのが流行ってる。自分以外の歌手やバンドの過去のヒット曲や名曲をセレクトして、熱唱して、1枚のアルバムにしてリリースする。無名の歌手も有名な歌手も、なんかヤタラと「カヴァーアルバム」をリリースするし、それらがそこそこ売れてる。そりゃあ、それなりに歌唱力のあるプロの歌手たちが、多くの人たちに支持されたヒット曲の数々を歌ってんだから、買っても「大ハズレ」になることはないと思うけど、この風潮をあたしは「何だかな~」って思ってる。

たとえば、ニール・ダイヤモンドの「レッド・レッド・ワイン」や、エルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」などのバラードの名曲を、UB40がレゲエにアレンジしてカヴァーしたケースなら、明らかに「新しい作品」に仕上がってるし、そこには「UB40のカラー」が満載だから、あたしは、ひとつの音楽の形として「カヴァー」というものを理解することができる。ヴァン・ヘイレンがカヴァーしたキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」しかり、原曲に敬意を払いつつも、完全に「新しい作品」として完成されている。当時は、ヴァン・ヘイレンのカヴァーを先に聴き、後からキンクスの存在を知った人も多かったハズだ。

日本で言えば、RCサクセションのアルバム「COVERS」に収録されてる楽曲も、バリー・マクガイアの「明日なき世界」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」、エルヴィス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」、ローリング・ストーンズの「黒く塗れ!」、アダモの「サン・トワ・マミー」、ジョン・レノンの「イマジン」、どれも完全に「新しい作品」に仕上がってる。エディ・コクランの「サマータイム・ブルース」に至っては、ザ・フーの不動のカヴァーが眼前に立ちはだかってるのに、まったく別の切り口で「新しい作品」に仕上げられてる。このアルバムは「反核・反原発」というテーマがあるから、原曲とは歌詞が大きく変えられてて、ある意味、「替え歌」的な部分もあるけど、原曲の歌詞の世界観もちゃんと大切にしてある。

忌野清志郎さんがタイマーズでカヴァーしたザ・モンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」にしても、演奏自体は原曲とそれほど変わらないけど、日本語の歌詞に込められた清志郎さんの思い、そして、独特の歌声で、「新しい作品」として仕上がってる。


「もう今は彼女はどこにもいない 朝はやく目覚ましが鳴っても そういつも 彼女と暮して来たよ ケンカしたり仲直りしたり ずっと夢を見て安心してた 僕はデイドリーム・ビリーバー そんで彼女はクイーン」


一見、別れた恋人のことを歌ってるように感じるけど、これは、清志郎さんがお母さんへの思いを歌ったものだ。清志郎さんのお母さんは、清志郎さんが3歳の時に亡くなってしまい、清志郎さんはお母さんのお姉さん夫婦に育てられた。つまり、清志郎さんには産みの親と育ての親がいたワケだけど、そのクダリを書くと激しく長くなっちゃうので、今回は割愛する。とにかく、このカヴァーは、清志郎さんがお母さんへの思いを歌った曲で、完全に「新しい作品」として昇華してる。

だから、あたしは、原曲とほとんど変わらないアレンジで、ただ単に普通に歌ってるだけの最近の安易な「カヴァーアルバム」の数々が、どうしても「1人カラオケ大会」にしか聴こえないのだ。歌の上手なプロの歌手が1人でカラオケに行き、自分の好きな過去のヒット曲を順番に熱唱して、いい気分になってるだけ、そんなふうにしか感じられない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、シロートがカラオケに行って歌うのとは違って、仮にもプロの歌手やバンドがお金を取ってCDを販売するのであれば、カヴァーだって「新しい作品」であるべきだと思ってる。UB40やヴァン・ヘイレンのように大幅にアレンジを変更したり、忌野清志郎さんのように歌詞の一部を変更したりと、ここまでは冒険しないとしても、一定のオリジナリティーは必要だと思う。それは、カヴァーだって「創作」だからだ。何の工夫もオリジナリティーもなく、他人のヒット曲を歌ってるだけのアルバムは、申し訳ないけど「創作」とは呼べないし、あたしには他人のフンドシで相撲を取ってるようにしか見えない。

だけど、これも、媒体が違ってくると話は違ってくる。たとえば、小説をドラマ化したり映画化する場合、マンガをアニメ化する場合、アニメを実写映画化する場合、これらのケースは、他人のヒット曲を自分がカヴァーする「音楽→音楽」ということではなく、「文章→映像」だったり「二次元→三次元」だったりと媒体そのものが大きく変わる。だから、逆に、できる限り原作に忠実に制作してほしいと思う。原作の小説の中のイメージとはカケ離れたタイプの俳優がドラマの主役を演じてたり、原作には出てこないキャラが登場したり、ストーリーそのものが変えられてたりすると、完全に興ざめしちゃう。

マンガをアニメ化する場合でも、キャラの画風が変わってると馴染めないし、マンガのイメージと違う声優が起用されてるとシラケちゃう。だから、あたしは、マンガやアニメの実写化には基本的に反対だ。これまで、いろいろなマンガやアニメが実写化されて来たけど、感心できた作品はほとんどないし、中には原作を愚弄してるようにしか思えない酷いものもあった。

だいたいからして、現実にはアリエナイザーな世界を描くのがマンガやアニメなんだから、そのマンガやアニメを実写化するという考え自体に最初から無理がある。もちろん、たくさんお金をかけて全編に最新鋭のCGを多用すれば、原作のマンガやアニメに忠実な実写版が作れるかもしれないけど、そしたら実写化の意味がなくなる。

でも、この逆は「アリ」だ。つまり、もともと実写だったドラマや映画などを後からマンガ化したりアニメ化するというカヴァーだ。これなら、まったく無理はない。もともと生身の人間が演じてたのだから、それをマンガやアニメにすることは簡単だと思う。ただし、この場合には、「音楽→音楽」のカヴァーのように、一定のオリジナリティーが必要になってくる。だって、大ヒットした映画を、そっくりそのままアニメにしたところで、何の意味もないからだ。


‥‥そんなワケで、あたしは、日本の娯楽映画の中では「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」が大好きなんだけど、皆さん、ご存知の通り、「釣りバカ日誌」はマンガが原作だ。やまさき十三さんと北見けんいちさんのコンビによる作品で、今も「ビッグコミックオリジナル」で連載を続けてるから、35年も続いてる人気マンガだ。で、この「釣りバカ日誌」の場合は、マンガを原作としてテレビアニメと劇場映画が作られたワケだけど、2002年の秋から約1年、テレビ朝日系列で放送されたアニメは、それなりに原作に忠実だった。キャラの画風はマンガと同じだったし、ストーリーも当初は原作に忠実だった。

でも、対象が「子どもを含んだファミリー」だったので、途中から原作にはないオリジナルストーリーの回が増えて、釣りや仕事よりもハマちゃんの家族を中心に描くようになっていった。それでも、キャラの画風がマンガと同じだということと、ハマちゃん役の山寺宏一さん、スーさん役の大塚周夫さん、みち子さん役の渡辺美佐さんを始めとした声優陣が初回から構築していったイメージがしっかりしていたので、オリジナルストーリーでも違和感はなかった。

一方、実写版の映画シリーズのほうは、原作とは大きく違っていた。ハマちゃん、スーさん、みち子さんを始めとしたメインのキャラや全体の設定は同じでも、ストーリーは完全に映画用に作られたものだった。だから、形としてはマンガが原作だけど、実際には原作を離れて完全に独立した「娯楽映画シリーズ」と言えると思う。さっき、「あたしは、マンガやアニメの実写化には基本的に反対だ。これまで、いろいろなマンガやアニメが実写化されて来たけど、感心できた作品はほとんどない」って書いたけど、映画「釣りバカ日誌」くらい原作を離れて独立していれば、話は別だ。

この「釣りバカ日誌」という作品は、マンガをアニメ化した場合には「できるだけ原作に忠実に」という形だったし、映画化した場合には「新しい作品」として成り立ってたので、マンガもアニメも映画も、あたしはぜんぶ大好きだ‥‥ってなワケで、いよいよ長かった前置きも終わったので本題に入るけど、あたしの大好きなもうひとつの娯楽映画「男はつらいよ」にも、幻のアニメ作品がある。

「男はつらいよ」の寅さんを演じてた‥‥と言うか、寅さんそのものだった渥美清さんは1996年8月4日に68歳で亡くなったけど、その渥美清さんの没後2年の命日に合せて、1998年8月7日、TBS「金曜テレビの星!」で特別に制作された「アニメ 男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」が放送された。このアニメは、約10年後にもう一度、テレビ朝日系列でも再放送されてるので、この再放送のほうを観た人もいると思う。

あたしは、これまでに何度か書いて来たけど、「男はつらいよ」の中では、何と言ってもリリーと寅さんが大好きなので、俗に「リリー三部作」と呼ばれてる3作が大好きで、セリフを暗記しちゃうほど何度も観てる。「リリー三部作」とは、寅さんとリリーが初めて出会う11作目の「寅次郎忘れな草」(1973年)、2人が再開する15作目の「寅次郎相合い傘」(1975年)、そして、ついに寅さんがリリーに告白をする25作目の「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年)のことで、この3作に、最後の48作目の「寅次郎紅の花」(1995年)と、渥美清さん亡きあとに作られた49作目の「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」(1997年)を加えて連続して観れば、あたしは一晩中、号泣し続けることができる。

で、この「リリー三部作」の最初の作品、寅さんとリリーの出会いを描いた「寅次郎忘れな草」がアニメ化されたワケだけど、これが、映画とはまた別の「良さ」がある秀作なのだ。さっきあたしは「(実写の映画をアニメ化する場合には)一定のオリジナリティーが必要になってくる。だって、大ヒットした映画を、そっくりそのままアニメにしたところで、何の意味もないからだ」って書いたけど、このアニメは、基本的には原作の映画に忠実でありつつも、いろいろな部分でオリジナリティーを発揮してて、それが泣けてくるほど素晴らしいのだ。

これには理由がある。このアニメは、厳密にいうと、映画「男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」を原作にしてるんじゃなくて、映画「男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」を原作にして描かれた林律雄さんと高井研一郎さんによるマンガ「コミック寅さん」の第6巻「寅次郎忘れな草」を原作にしてるのだ。つまり、マンガにカヴァーされた時点で、いろいろな部分にオリジナルの演出などが加えられてたんだけど、それをアニメ化したってワケだ。

だから、画風は「コミック寅さん」と同じ高井研一郎さんの絵なので、とってもホノボノとしてるんだけど、ここで高ポイントになるのが、寅さんの声も山寺宏一さんがやってるということだ。「釣りバカ日誌」のハマちゃんの声と「男はつらいよ」の寅さんの声を両方とも担当するなんて、これは凄いことだ。さらには、リリーの声をやってる冬馬由美さんがとってもイイ!決して「めっちゃ歌がうまい」とは言えないけど、そこが「三流歌手のリリー」らしくてイイ!

そして、すべてを「コミック寅さん」から持って来たワケじゃなくて、映画「寅次郎忘れな草」も大いに参考にしてるという点も素晴らしい。ストーリーの冒頭で、寅さんがオモチャのピアノを買って来るシーンを始め、初めて「とらや」を訪ねて来たリリーが庭を歩くシーン、二度目の北海道へ向かう寅さんに駅の食堂でさくらがお金を渡すシーンなど、映画とアニメを観比べてみると、画角も小道具も人間の配置も動きもソックリなシーンがたくさん登場する。

それでいて、大きな変更点もある。あたしが何よりも感動したのは、最初のリリーとの出会いのシーンだ。映画では、北海道へ向かう夜汽車の中で、窓の外を見て涙をこぼすリリーに対して、寅さんは声をかけない。翌日、網走神社の前でレコードを叩き売りしてもぜんぜん売れなかった寅さんが橋にもたれてうなだれてると、そこにリリーが通りかかり、「さっぱり売れないじゃないか」って声をかけて来る。これが最初の出会いだ。

寅さんは、「不景気だからな、お互い様じゃねえか?」なんて言いつつ、「何の商売してんだい?」と聞くと、リリーは「私?歌うたってんの」と答える。リリーは売れない三流歌手で、地方のキャバレーとかをドサ回りしてる。この網走にも、ドサ回りでやって来てたのだ。そして2人は、河口の船の見える場所に腰を下ろす。


寅さん 「どうしたい、ゆんべは泣いてたじゃないか?」

リリー 「あらいやだ、見てたの?」

寅さん 「うん、何かつらいことでもあるのかい?」

リリー 「ううん別に‥‥ただ、何となく泣いちゃったの‥‥」

寅さん 「何となく?」


包みからタバコを出すリリー。


リリー 「うん、兄さん、なんかそんなことないかな?夜汽車に乗ってさ、外見てるだろ、そうすっと、何もない真っ暗な畑なんかにひとつポツンと灯りがついてて、ああ、こういうとこにも人が住んでるんだろうなって、そう思ったら、何だか急に悲しくなっちゃって、涙が出そうになる時ってないかい?」

寅さん 「うん」


マッチを擦る寅さん。


寅さん 「こんなちっちゃな灯りが、こう、遠くの方へス~ッと遠ざかって行ってなあ‥‥あの灯りの下は茶の間かな、もう遅いから子どもたちは寝ちまって、父ちゃんと母ちゃんが2人で、しけったセンベイでも食いながら、紡績工場に働きに行った娘のことを話してるんだ、心配して‥‥暗い外見てそんなこと考えてると、汽笛がボ~ッと聞こえてよ、何だかふっと涙が出ちまうなんて、そんなこともあるなあ‥‥分かるよ‥‥」


‥‥これが、映画「寅次郎忘れな草」の中で、あたしが最高に大好きなシーンなんだけど、アニメでは大幅に変更されてるのだ。まず、何が違うって、夜汽車の中で涙をこぼしてるリリーを見かけた寅さんは、ソッコーで声をかけちゃう。例の四角いカバンから缶チューハイを2本取り出して、それを持ってリリーの席まで行き、「よっ!どうだい?一緒に‥‥」なんて言って、ちゃっかり向かい合って座っちゃう。


寅さん 「姉さん、泣いてたようだが‥‥」

リリー 「あら、見てたの?いやだ~」

寅さん 「何か、つらいことでもあるのかい?」

リリー 「別に‥‥ただ何となく泣いちゃったのさ」

寅さん 「何となく?」

リリー 「うん、兄さん、なんかそんなことないかな?夜汽車に乗って外見てるだろ?そうすると何もない畑の中なんかに、ひとつポツンと灯りがついてて、ああ、こんなところにも人が住んでるんだなって、そう思うと何となく悲しくなっちゃって、涙が出そうになる時ってないかい?」

寅さん 「あの灯りの下は茶の間かな、もう遅いから子どもたちは寝ちまって、父ちゃんと母ちゃんが、しけったセンベイでも食いながら、都会に働きに行った娘のことを話してるんだ、心配してな‥‥そんなこと考えてると、汽笛がボ~ッと聞こえてよ、何だか涙が出てちまう‥‥なんてな。分かるよ、姉さんの気持ち‥‥」


‥‥そんなワケで、映画のセリフと比較してみると、寅さんのセリフの「紡績工場」が「都会」に変更されてるくらいで、ほとんど同じだ。つまり、映画では翌日の昼間に網走の海を見ながら話してるシーンが、アニメでは、そっくりそのまま、北海道へ向かう夜汽車の中で行なわれてるのだ。つまり、アニメの寅さんは、映画の寅さんよりも、ひと足早く、リリーと知り合いになったってワケだ。

そして、これが大きな変化へと繋がって行く。映画では、初めて会話をしたのが網走神社の前の橋で、海を見ながら少し話しただけで別れちゃうので、2人が深く知り合うのは、リリーが柴又の「とらや」を訪ねて来てからだ。だけど、網走へ向かう夜汽車の中で、すでにリリーと知り合っちゃったアニメの寅さんは、網走に着いてから商売をして、旅館に泊まり、繁華街をブラブラして、リリーのポスターが貼られてるキャバレーを見つけて中へ入る。ビールを注文した寅さんは、ボーイから「ご指名は?」と聞かれて「女はいい」と断る。ステージの上では踊り子さんが踊ってて、ダンスが終わるとリリーが登場、ピンクのドレス姿のリリーが「ジョニーへの伝言」を歌い出す。

寅さんは拍手をしてリリーの歌を聴いてるんだけど、ステージの前のボックス席の酔っ払ったオヤジがリリーにヤジを飛ばし、そのうち、ステージに上がって歌ってるリリーの胸にタッチしちゃう。怒ったリリーは「ふざけんじゃないよ!このエロじじい!」と怒鳴りつけて、平手でぶっ飛ばす。シーンとした店内に、寅さんの拍手だけが響く。そして、店を出た寅さんをリリーが追って来る。


リリー 「兄さん、付き合ってくれないか?」

寅さん 「飲みにでも行くか?」

りりー 「ううん、心の中までベトベトするような日は、酒なんかじゃダメなのさ」


そう言ってリリーが向かったのは、ナナナナナント!海を臨む町営の露天風呂!もちろん、皆さんのご期待通りに混浴!そして、満天の星空の下、寅さんはリリーと一緒の露天風呂に浸かり、しみじみと話をするんだけど、寅さんはリリーの「横乳」を見てドキドキ!そして、映画では「汽笛がボ~ッと聞こえてよ」の続きとして話している会話が始まる。


リリー 「ねえ、あたしたちの生活って、普通の人とは違うのよね。それも、いいほうへ違うんじゃなくて、何て言うのかなあ、あってもなくてもどうでもいいみたいな‥‥つまり、あぶくみたいなもんだね」

寅さん 「ああ、あぶくだ。それも上等なあぶくじゃなくて、風呂場の中でこいた屁じゃねえけど、背中のほうへ回って‥‥」


‥‥と、ここで、ホントにおならをしちゃった寅さんは、ブクブクと立ち上るあぶくを慌てて手でパタパタと煽いだら、足を滑らせてお湯の中に沈んでしまい、リリーの下半身を至近距離で正面から見てしまい、奇声を上げながらロケットのように夜空へ飛んで行き、ピカリーン!と星になってしまう(笑)

ま、この辺は「マンガならでは」「アニメならでは」の演出なんだけど、寅さんがリリーと一緒に露天風呂に入っただなんて、2人のことが大好きなあたしとしては、こんなに嬉しい演出は他にない。そして、この露天風呂のシーンを織り込むために、映画では海を見ながら話したやりとりが、アニメでは夜汽車の中と露天風呂とに2分割されてるのだ。ホントに良く考えられてると思う。

そして、ここで2人は別れ、寅さんは「労働」をするために牧場へ向かうんだけど、この牧場のシーンでも、映画と同じ画角のシーンがたくさん出てくる。一方、細かい変更点も多くて、たとえば、網走での寅さんの商売は、映画ではレコードを叩き売りしてるけど、アニメでは易学の冊子を売ってる。冒頭の法事のシーンでも、「とらや」の店番をしてる源ちゃんの後ろから忍び寄る寅さんは、映画だと素手で源ちゃんの頭を叩くけど、アニメではお土産の箱で叩く。酔ったリリーが深夜に「とらや」に来て暴れるシーンでは、お酒を飲みたがるリリーに寅さんは、映画だと「白雪」という日本酒を一升瓶で持って来てコップに注ぐけど、アニメでは瓶ビールを注いで飲ませてる。


‥‥そんなワケで、このアニメ「寅次郎忘れな草」で、露天風呂のシーンに次いで映画と大きく違うシーンと言えば、終盤、柴又のお祭りの「のど自慢大会」で特別審査員になったリリーが、中島みゆきさんの「時代」を熱唱することだ。映画の「寅次郎忘れな草」が1973年で、アニメの「寅次郎忘れな草」が25年後の1998年なんだから、四半世紀もの違いということを考えれば、アニメでリリーが中島みゆきさんの歌を歌うことも、寅さんのセリフの「紡績工場」が「都会」に変わったことと同様に、背景的には当然の流れだろう。だけど、そんなことじゃなくて、このアニメの終盤に歌われる「時代」は、さっきも書いたように、決して「めっちゃ歌がうまい」とは言えないけど、冬馬由美さんの‥‥と言うか、リリーという女性のすべてが表現されていて、胸の奥にまでジーンと沁み込んでくる。あたしは、この歌こそが、ホントの意味での「カヴァー」なんじゃないかと思った今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.22

国の基準値に振り回される人たち

あたしは、前々回のブログ、3月16日付の「連鎖し続ける放射能汚染」で、群馬県の赤城大沼のワカサギの出荷自粛が3年ぶりに解除されたというニュースを取り上げて、「本当に安全なのだろうか?」と疑問を呈した。だって、いくら国の定めた基準値を下回ったとは言え、今年に入ってから8回の測定のうち、6回が「90Bq/kg以上」、2回が「80Bq/kg以上」だったからだ。

群馬県は「1月からの8回の計測がすべて基準値以下だったため安全性が確認できた」として出荷自粛を解除したワケで、この説明に嘘はない。何しろ、国が「100Bq/kg以下は食べても安全」と言っているのだから、行政的には何も問題ない。ただ、いくら国が「安全」だと言っても、あたしとしては「99Bq/kg」や「100Bq/kg」の魚なんか食べたいとは思わないし、もしもあたしに小さな子どもがいたら、絶対に食べさせたくない。

これは、小さな子どもを持つお母さんなら、ほとんどの人が同じ考えだと思う‥‥なんてことを考えてたら、ナナナナナント!群馬県の「出荷自粛の解除」に対して、国が「待った!」を掛けたのだ!「1月からの8回の計測がすべて基準値以下だったため安全性が確認できた」という群馬県の判断に対して、水産庁は「解除は時期尚早」として見直しを指示、県は仕方なく国の指示に従い、解除からわずか1週間で、また「出荷自粛」の措置を取ることになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、魚が基準値を超えて「出荷停止」や「出荷自粛」になった場合、国は「1ヶ月以上の継続検査で安定して基準値を下回った場合に規制を解除できる」という規定を設けている。だから、1ヶ月どころか、2ヶ月以上も継続して基準値を下回ったから解除したという今回の群馬県の判断は、国の規定に則ったものだ。それなのに、国は「解除は時期尚早」として見直しを指示した‥‥ってなワケで、この意味不明な見解と指示について、水産庁は次のように説明した。


「個体差がある魚への規制解除を判断する際、国が明文化している『1ヶ月以上の継続検査で安定して基準値を下回った場合に規制を解除できる』という規定以外に『おおむね50Bq/kg以下での安定』を目安としている。赤城大沼のワカサギの82Bq/kgという最小値は『基準値以下ではあるが解除するには比較的高濃度』だと言わざるを得ない」


この説明だけを読むと、とても素晴らしい内容なんだけど、それはあくまでも、あたしみたいな「消費者側」の感想だ。ワカサギ漁で生活をしている漁師さんや、ワカサギ釣りの入漁料や道具の貸し出しなどで生活をしている湖畔の商店の人たち、ワカサギ釣りの人たちを相手に商売をしている食堂や売店などにしてみれば、「おいおい!」ってことになる。「基準値以下になっても規制を解除できないのなら、国の定めた基準値っていったい何なの?」ってことになる。事実、赤城大沼漁業協同組合の会長さんや、赤城山観光連盟の副会長さんなどから、「落胆」というよりも「憤怒」の声があがっている。そして、それらの声に対して、水産庁の担当部署である漁業調整課は、次のように言っている。


「解除の要件が厳しすぎるとの批判は多いが、行政による食品の安全確認への信頼を揺るがすわけにはいかない」


これも、あたしたち「消費者側」にとってはアリガタイザーな言葉なんだけど、ワカサギを生活の糧にしている人たちにとっては「ふざけんな!」ということになる。3.11までは、毎年、9月1日に解禁されてからのボート釣り、ドーム船での釣り、冬になって氷が張ってからの穴釣りと、3月末まで、赤城大沼の風物詩として、観光の柱として、多くの人たちの楽しみであり糧であったのに、それがあの原発事故でメチャクチャにされたのだ。そして、赤城大沼は高濃度に放射能汚染されてしまったため、当初は漁も釣りも禁止され、ようやく釣りが解禁されても「食べてはダメ」「持ち帰りはダメ」という状態が続いていて、3年もガマンして、やっとのことで8回連続で基準値を下回り、出荷自粛が解除されたと思ったとたん、まさかの国からの指示。


‥‥そんなワケで、前回のブログを読めば分かるように、あたしは、現時点での赤城大沼のワカサギを出荷することは問題だと思っている。百歩ゆずって、赤城大沼で釣りをした大人が、自分の釣ったワカサギを家に持ち帰り、大人だけで食べるぶんには「自己責任」の範疇だと思う。だけど、いくらその人の子どもや孫でも、小さな子どもに食べさせることには絶対に反対だ。漁師さんが赤城大沼のワカサギを大量に出荷して、それが幼稚園や小学校の給食に使われることにも、当然、大反対だ。だから、今回の国の判断、水産庁の指示は、あたしは「正しい」と思ってる。

でも、それは、さっきも書いたように、あくまでも「消費者側」の視点での話で、赤城大沼のワカサギを生活の糧や人生の楽しみにしている人たちにとっては、正反対の視点になる。第一、「100Bq/kg以下なら安全」と決めたのは国なのに、その国が「100Bq/kg以下でもダメ」だなんて、これほど筋の通らない話はない‥‥ってことになる。今回の水産庁の「おおむね50Bq/kg以下での安定」という目安についても、群馬県の担当者は「規制の解除に『50Bq/kg以下での安定』などという目安があったとは今までに一度も聞いたことがなかった。国からは事前に何の説明もなかった」と言っている。

赤城大沼の漁業関係者からは、「いったい、いつになったら出荷自粛が解除できるのか?」という声もあがっているけど、今回の水産庁の指針を前提にするのなら、大マカな計算ができる。前回のブログにも書いたけど、今回の赤城大沼のワカサギの数値は「セシウム134が22Bq/kg、セシウム137が60.3Bq/kg、合計82.3Bq/kg」なので、セシウム134の半減期が約2年、セシウム137の半減期が約30年として概算すると、今から2年後にはセシウム134が10Bq/kg、セシウム137はほとんど変わらずに合計70Bq/kg、4年後にはセシウム134が5Bq/kg、セシウム137は多少は減少して合計60Bq/kg‥‥という感じで推移すると思うので、「おおむね50Bq/kg以下での安定」という状態になるのは、早くて6~8年後、遅ければセシウム134がほとんど検出されなくなる10年後以降ということになる。

でも、これは、今のまま、除染などの対策を何もせずに、自然の成り行きに任せておいた場合の概算だ。これも前回のブログに書いたけど、赤城大沼のワカサギの寿命は2年なので、沼自体の放射性物質を除染して食物連鎖による汚染を断ち切れば、何年も待たなくても翌年のワカサギから元に戻るハズだ。まずは、池の底の泥をいろいろな地点でサンプリングして、汚染度を計測して、濃度の高いエリアから優先してマイクロポンプ浚渫船で底の泥を吸い上げて行く。汚染の温床である底の泥さえ排除すれば、植物性プランクトンは汚染されなくなり、それを食べる動物性プランクトンも汚染されなくなり、それを食べるワカサギの稚魚も汚染されなくなる。

もしも、赤城大沼の漁業関係者の人がこのブログを読んでいたら、ぜひ前向きに検討してみてほしい。今回の原発事故で汚染されてしまった数多くの沼や湖や川のサキガケとして、マイクロポンプ浚渫船による除染に成功して、短期間で元の状態を取り戻したという前例を作ってほしい。


‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、あたしは、何よりも問題なのは「基準値」じゃなくて「実際に流通している食品の汚染度」なんだと思ってる。原発事故以前は、食品の基準値は今と同じ「100Bq/kg」だったけど、実際に全国に流通してた農水産物の大半は「0Bq/kg」だったワケで、誰も放射能汚染の心配などせずに、産地など気にせずに、安心して国産の農水産物を食べてたハズだ。でも今は、被災3県だけでなく、群馬、山形、茨城、栃木、千葉、埼玉、東京、神奈川、静岡、山梨、長野など、広範囲の産地の農水産物から放射性セシウムが検出され続けていて、それが基準値以下なら普通に出荷され、全国に流通してる。

あたしは、分かる範囲でチェキし続けて来たけど、たとえば、今月3月に入ってから東日本の各農協が出荷した農産物を見ると、静岡県のシイタケが37Bq/kg、群馬県のシイタケが31Bq/kg、山形県のシイタケが24Bq/kg、他にも、群馬県のナメコ、栃木県のレンコン、茨城県のレンコンやサニーレタスやサツマイモなどから放射性セシウムが検出されている。今月はワリと低めだけど、過去には50Bq/kgを超えるものも散見されていた。そして、これらの農作物は、すべて「100Bq/kg以下」なので、そのまま出荷されて全国のスーパーなどの店頭に並んだり、外食店などで使用されている。

こうした現状を踏まえた上で、「100Bq/kg」という基準値を定めたのが国なら、その基準値以下のワカサギの出荷に「待った!」を掛けたのも国っていう今回の件を見ると、いったいぜんたい国は何を持って「安全」と言っているのか、理解できなくなって来る。国の定めた通り、「100Bq/kg以下」の食品は絶対に「安全」で、どんなに長期間、どんなに大量に食べ続けても、絶対に「安全」なのだろうか?ご飯もパンも麺類も、肉も魚も野菜も、朝昼晩と口にするすべての食材が「100Bq/kg」だったとしても、それを1年365日ずっと食べ続けても、絶対に「安全」なのだろうか?すべての食材が「100Bq/kg」の食事を小さな子どもに食べさせ続けても、絶対に「安全」なのだろうか?

今年2月27日、福島県のいわき沖での試験操業で水揚げされたユメカサゴから、国の基準値を超える「110Bq/kg」の放射性セシウムが検出されたため、水揚げされた13.2kgがすべて出荷停止にされた。ユメカサゴという正式名は聞き慣れないと思うけど、ノドグロと言い変えれば知ってる人は知ってる高級魚だ。で、このノドグロは「110Bq/kg」で出荷停止になり、一方、赤城大沼のワカサギは、1月からの8回の計測が「82~100Bq/kg」だったので出荷自粛を解除‥‥っていう判断の違いが、あたしには理解できない。

もちろん、ここには「100Bq/kg」という国が定めた基準値があるワケだけど、あたしの感覚で言えば、「100Bq/kg」のワカサギが絶対に「安全」だと言うのなら「110Bq/kg」のノドグロだって「安全」だと思うし、「110Bq/kg」のノドグロが「危険」だと言うのなら「100Bq/kg」のワカサギだって「危険」だと思う。でも、あたしはシロートだから、どちらの考え方が正しいのか判断できないので、安全策を取って「後者」の判断をして来た。

そしたら今回、水産庁が「おおむね50Bq/kg以下での安定」という新しい見解を示して、基準値以下であっても「82Bq/kg」のワカサギの出荷を自粛させたのだ。これは、福島県の漁協が実施している「50Bq/kg」という独自の基準値にも合致している。つまり、国は、表向きは「100Bq/kg以下なら安全ですよ」と言いつつも、実際には「50~100Bq/kgは基準値以下でも安全とは言い切れない」という認識を持っていたワケだ。


‥‥そんなワケで、原発事故後の2011年12月、明治の粉ミルク「明治ステップ」から放射性セシウムが検出された時、世の中は大騒ぎになり、明治は粉ミルク40万缶を回収することになった。でも、あの時の数値は、最大で「30.8Bq/kg」だった。この数値は、今の「100Bq/kg」という基準値でも「問題なし」だし、当時の粉ミルクの「200Bq/kg」という暫定基準値で見れば、今以上に「問題なし」だった。

当時、国立医薬品食品衛生研究所の松田りえ子食品部長が「粉ミルクは赤ちゃんに飲ませる時には7倍に薄めるから安全」と発言して波紋を呼んだけど、お茶だって「飲む状態」にまで薄めてから計測してるんだから、安全か安全じゃないかは別として、「飲む状態」や「食べる状態」にしてから計測するという方法には一定の説得力がある。で、「30.8Bq/kg」の粉ミルクを7倍に薄めて「飲む状態」にすると「4.4Bq/kg」になり、今、全国に流通している37Bq/kgのシイタケや赤城大沼の82Bq/kgのワカサギよりは遥かにマシになる。

赤ちゃんに「4.4Bq/kg」の粉ミルクを飲ませることは大問題なのに、3歳の幼児に37Bq/kgのシイタケや82Bq/kgのワカサギを食べさせることは「問題なし」なのだろうか?もしも、あなたに小さな子どもがいたら、37Bq/kgのシイタケや82Bq/kgのワカサギを「国の定めた基準値以下だから問題なし」として給食の食材に使っている幼稚園や小学校に、あなたは自分の子どもを通わせるだろうか?少なくとも、あたしは通わせない。


‥‥そんなワケで、日本人は「喉元すぎれば熱さ忘るる」って人が多いのか、この3年で、食品の放射能汚染に対する警戒心が大幅に薄れたように感じる。福島第一原発の事故は収束のメドも立たず、今も大量の放射性物質と高濃度汚染水が大気中と海へ放出し続けているのに、自分の食べているものだけは「安全」だと思い込んでる人が多い。厚生労働省の発表、各自治体の発表、市民測定所の公開データなどをコマメにチェキしてると、全国に流通している様々な農水産物から放射性セシウムが検出されていることが分かるのに、自分の食べているものだけは「0Bq/kg」だと信じている人が多い。これは、国が定めた「100Bq/kg」という基準値による錯覚に騙されているだけなのだ。たとえ基準値が「500Bq/kg」でも、実際に全国に流通している国産の農水産物の大半が「0Bq/kg」なら「安全」だし、逆に基準値が「100Bq/kg」と厳しくなっても、全国に流通している農水産物の何割かが「20~100Bq/kg」であれば「安全」とは言い切れない。そして、今の日本は、残念ながら「後者」なのだ。問題なのは「基準値」ではなく「実際の汚染度」だということに、もっと多くの人が、そろそろ気づくべきだと思った今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.18

ソチのパラリンピックが終わって

ロシアのソチで開催されていたパラリンピックは、16日に閉会式が行なわれて、10日間の大会を終えた。日本は、アルペンスキー男子の狩野亮選手の金メダル2つを含む、金3つ、銀1つ、銅2つという成績だった。メダルの獲得数では、開催国のロシアが金30個を含む80個というメダル数でダントツの1位、2位が金5個を含む25個のウクライナ、以下、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、オーストリア、スロバキアと続き、日本はイギリスと並ぶ9位だった。

それにしても、ロシアのメダル数は凄いよね。いくら何でも、80個って、サスガに獲り過ぎだろう‥‥ってなワケで、あたしは、ロシアに対して激しくムカついてる!それは、14日に行なわれた「バイアスロン女子12.5キロ立位」に出場した日本の出来島桃子選手の問題だ。知らない人のために、ザックリと説明するけど、この「バイアスロン」という競技は、スキーで決められたコースを走り、途中でビームライフルによる射撃を行ない、射撃で的を外した回数だけペナルティーが科せられるというものだ。

で、パラリンピックの場合は、選手の障がいの種類によって、「立位」「座位」「視覚障がい」の3つがあり、右腕が不自由な出来島選手は、この中の「立位」に出場していた。それぞれ3種類の距離があり、問題の事件は、1周2.5キロのコースを5周する12.5キロの女子の競技で起こった。この競技、男子は1周3キロのコースを5周する15キロなんだけど、競技がスタートすると、運営側の不手際でコースを示すパイロンや看板が分かりにくかったため、出場した12人の選手のうち、多くが間違えて男子用の3キロのコースへ入ってしまった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、日本の出来島桃子選手は、事前にキチンとコースを確認していたため、「みんな何であっちへ行くんだろう?」と不思議に思いながら、自分は正しい女子用のコースを走行した。運営側は、最初の1周が終わったところで、間違えて男子用コースを走った選手たちを正しいコースへ誘導したけど、最初の1周で500メートルも長く走ったため、多くの選手が遅れることになってしまった。

出来島選手は、これまで不調だった射撃も20発すべてを命中させるパーフェクトの成績でトップを独走し、あとは金メダルに向けてラストスパートするだけだった。それなのに、トップを独走して最後の1周に入ろうとした出来島選手の前に、運営側の係員が「とおせんぼ」をして立ちはだかり、男子用のコースへ行けと指示を出したのだ。他の多くの選手が、最初の1周で500メートルも長く走っているのだから、公平にするために、出来島選手にも最後の1周は500メートル長く走れと指示したのだ。

こんな話ってある?アスリートは、自分のスタミナをちゃんとペース配分して走ってるんだから、最後の最後に突然「500メートル長く走れ」なんて言われたら、それまで積み上げてきたものが台無しになる。多くの選手が最初にコースを間違えたのは、第一に運営側の不手際であり、第二にそれぞれの選手のミスであり、出来島選手には何ひとつ落ち度はない。それなのに、こんなやり方は考えられない。町内の運動会ならいざ知らず、仮にも4年に一度のパラリンピックで、こんなお粗末なことが起こるなんて信じられない。

だけど、正しいコースに立ちはだかり、「とおせんぼ」を続ける係員は頑として動かない。仕方なく指示に従って男子用コースへ進んだ出来島選手は、それまでの単独トップから大きく順位を落とし、7位になってしまった。目の前に金メダルが見えていたのに、こんなのって酷すぎる!マラソンだって、ラリーなどの自動車レースだって、選手がコースを間違えた場合は、その選手の自己責任だろう。何の落ち度もなく、ちゃんと正しいコースを走っていた選手を、ミスをした選手のほうに強引に合わせるなんて、こんなデタラメは前代未聞だ!

そして、この結果、1位になって金メダルを獲得したのはウクライナの選手で、2位の銀メダルがロシアの選手、3位の銅メダルもロシアの選手、4位もロシア、5位はウクライナ、6位もウクライナ、日本の出来島選手は7位になってしまったのだ。この結果を見れば一目瞭然、ロシアやウクライナの選手を勝たせるための「強引な便宜」が炸裂したってワケだ!


‥‥そんなワケで、これがオリンピックのフィギュアスケートだったとしたら、ロシアやウクライナの選手たちがみんな失敗して転んだから、運営者側が「公平にするため」という理由で日本の選手にも「転べ!」と命令をしたような話だ。他の選手たちと勝敗を争うスポーツの場合、どんな競技であれ、相手がミスをすれば自分が有利になるし、自分がミスをすれば相手が有利になる。これは当たり前のことで、相手がミスをしたからって、ミスをしていない選手にも同様のハンデを与えるなんて、こんなメチャクチャな話は聞いたこともない。

オリンピックのスピードスケートでも、先頭を独走していた選手が最後のカーブで転倒し、2番手の選手も3番手の選手も巻き込まれて転倒し、それを避けて4番手だった選手が1着でゴールして金メダル‥‥ってこともある。相手のミスで自分が勝つこともあれば、自分のミスで相手が勝つこともある。これが、スポーツに限らず、すべての勝負事に共通する「常識」じゃないのか?

第一、これは「バイアスロン女子12.5キロ立位」という競技なのに、現場の判断で勝手に「13キロ」に変更してもいいのだろうか?正しいコースを走っていた選手にまで、500メートル長く走ることを強要したのだから、これは、競技の基本的なルールそのものを現場の判断で変更したことになる。百歩ゆずって、そこまで「公平性」にこだわるのなら、コースミスが分かった1周目で取りあえず競技を中止にして、休憩をはさみ、1時間後とかに再スタートさせるのが普通だろう。


‥‥そんなワケで、日本選手団による国際パラリンピック委員会に対しての異議申し立ても却下されてしまい、この前代未聞のトンデモ判定は動かぬものとなってしまったんだけど、出来島桃子選手は気持ちを切り替えて最後までがんばり、最終日16日の「ノルディックスキー距離女子5キロフリー立位」では、自己最高の6位入賞を果たした。ホントに立派だと思う。2006年のトリノ、2010年のバンクーバーに続いて、今回が3度目のパラリンピック出場となった39歳の出来島桃子選手は、新潟県の新発田市役所に勤める「公務員アスリート」だ。普段は、市役所や地元の支援者たちからのカンパで遠征費用などをまかなっているという。あたしは、こういう素晴らしいアスリートたちのために、国がもっと支援をすべきだと思った今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.16

連鎖し続ける放射能汚染

放射能汚染のため出荷自粛が続いていた群馬県前橋市の赤城大沼のワカサギが、3月10日に採取したサンプルの測定で、セシウム134が22Bq/kg、セシウム137が60.3Bq/kg、合計82.3Bq/kgと基準値以下になったため、群馬県は3月14日、3年ぶりに出荷自粛を解除すると発表した。

http://www.pref.gunma.jp/houdou/f2300349.html


この発表を受けて、新聞各紙は一斉に「食べても安全」と報じた。たとえば、毎日新聞は「赤城大沼ワカサギ、やっと食べられる!」という見出し、朝日新聞は「赤城大沼のワカサギ「食べてもいい」」という見出しで、それぞれビックリマークやカギカッコなどで「食べられる」ということを強調した。だけど、本当に「安全」なのだろうか?

今回、出荷自粛を解除した群馬県の蚕糸園芸課によると、「1月からの8回の計測がすべて基準値以下だったため安全性が確認できた」とのことで、「閉鎖的な沼では水は循環しないが、放射性物質の一部が分解した。今後は濃度上昇は起こりにくい」との見解を示した。でも、以下のデータを見てほしい。


「赤城大沼(群馬県前橋市)のワカサギの放射性セシウム」
2013年8月23日 130Bq/kg
2013年9月20日 95Bq/kg
2013年9月27日 97Bq/kg
2013年10月4日 83Bq/kg
2013年10月8日 110Bq/kg
2013年10月18日 98Bq/kg
2013年10月25日 92Bq/kg
2013年10月28日 98Bq/kg
2013年11月8日 130Bq/kg
2013年11月15日 140Bq/kg
2013年11月22日 120Bq/kg
2013年11月29日 120Bq/kg
2014年1月10日 99Bq/kg
2014年1月17日 95Bq/kg
2014年1月24日 92Bq/kg
2014年1月31日 99Bq/kg
2014年2月14日 100Bq/kg

http://www.furainozasshi.com/%E3%81%82%E3%81%95%E5%B7%9D%E6%97%A5%E8%A8%98/%E6%9C%89%E5%90%8D%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%AE%E9%87%A3%E3%82%8A%E5%A0%B4%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%81%AE%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E6%B1%9A/


これは、過去の約半年間のデータだけど、この推移を見て「減少している」と断言できるだろうか?確かに、今年に入ってからは「99Bq/kg、95Bq/kg、92Bq/kg、99Bq/kg、100Bq/kg」という流れで、今回も「82Bq/kg」だったのだから、群馬県の言っている「1月からの8回の計測がすべて基準値以下」という発表に間違いはないだろう。だけど、こんなに基準値ギリギリの数値が続いてるのに、これで「安全性が確認できた」だなんて言えるのだろうか?


‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」は割愛して先へ進むけど、今回は、まず初めに「100Bq/kg以下」という国が定めた基準値について、あまり知られていないことを書いておこうと思う。それは、この「100Bq/kg以下」という表記に秘められたイカサマについてだ。もしも、これが「100Bq/kg未満」だったとしたら、「99.9Bq/kg」までは出荷できるけど、「100Bq/kg」になった時点で出荷できなくなる。でも、「100Bq/kg以下」という表記なら、「100Bq/kg」のものも出荷できる。

ま、これは当たり前のことだけど、問題は「100」という表記だ。「100.0」でも「100.00」でもなく、小数点以下のない「100」という数字、この表記を使ったことで、実際にとんでもないことが起こっている。福島県のコメから102.8Bq/kg検出された時も、福島県の大豆から103Bq/kg検出された時も、群馬県のワカサギから104.8Bq/kg検出された時も、厚労省は「四捨五入すれば100Bq/kgだから出荷できる」という見解を示したのだ。つまり、国の定めた「100Bq/kg以下」という基準値は、実際には「104.9999…Bq/kg以下」ということなのだ。

で、いよいよ本題に入るけど、今の国の基準値で言うと、「105Bq/kg」の魚や野菜を食べたら危険だけど、「104Bq/kg」の魚や野菜は「いくら食べても安全」ということになっている。これがホントなら、赤城大沼のワカサギも、新聞各紙が書いているように「これで安心していくらでも食べられる!」ということになる。

でも、一部の港で魚種を決めて調査操業が始まった福島県では、国の定めた「100Bq/kg」という基準値では消費者の信頼を回復できないと考えて、独自に「50Bq/kg」という厳しい基準値を設定して、これに合格したものだけを出荷している。だから、現時点では、群馬県の赤城大沼のワカサギよりも、福島県の調査操業で水揚げされた魚のほうが、同量を食べた場合の内部被曝量は「少ない」ということになる。


‥‥そんなワケで、ここでちょっと視点を変えるけど、今回の赤城大沼のワカサギの数値をもう一度、見てみよう。「セシウム134が22Bq/kg、セシウム137が60.3Bq/kg、合計82.3Bq/kg」、これが何を意味するのか?‥‥ってことだけど、これは、福島第一原発の最初の爆発で飛散したセシウムだということだ。

福島第一原発の最初の爆発で大量に放出された放射性物質のうち、セシウム134とセシウム137は、ほぼ同量だった。これは、事故直後からの各地の計測で明らかになっている。で、セシウム134の半減期は約2年、セシウム137の半減期は約30年なので、事故から2年が過ぎた去年3月の時点で、セシウム134だけは半減したことになる。

つまり、事故から3年が過ぎた現在の「セシウム134が22Bq/kg、セシウム137が60.3Bq/kg」という数値は、これが「最初の爆発によって汚染されたもの」であることを証明している。だから、セシウム134に関しては、2年後には「10Bq/kg」くらいになり、4年後には「5Bq/kg」くらいになり、10年後には気にならない程度にまで減少するだろう。だけど、セシウム137に関しては、30年後になっても「30Bq/kg」は残っていることになる。

そして、ここであたしが気になったのが、ワカサギの寿命だ。ワカサギの寿命は、一般的には「1年」と言われてるけど、これは琵琶湖とかの温かい湖のワカサギの話で、冬場に湖面が凍るような寒い地域のワカサギは、寿命が「2年」だ。稀に3年も生きる個体もあるけど、全体の95%以上は2年で寿命を迎える。

福島県の檜原湖の調査でも、産卵時期に産卵をしたワカサギの9割が2年魚だったという報告がある。だから、赤木大沼のワカサギも、寿命が「2年」の個体が大半だと思うんだけど、そしたら、原発事故から3年が過ぎた今、赤城大沼にいるワカサギたちは、ほぼすべてが「事故後に生まれた個体」ということになる。

これが何を意味するのか?これは、現在のワカサギたちの汚染が、外部被曝ではなく内部被曝によるものだということだ。親が被曝していたのだから、その親が産んだ卵も一定の被曝はしてるだけうけど、ワカサギは1回の産卵で5000個から2万個もの卵を産むのだから、その1つ1つが最初から「100Bq/kg」のワケがない。つまり、孵化した稚魚が成長する過程で食べ続ける、動物性プランクトンや小さな水生昆虫が汚染されているということだ。

でも、動物性プランクトンや小さな昆虫だって寿命は短い。だから、その動物性プランクトンや小さな水生昆虫の生まれ育つ環境が汚染されていることになる。それで、あたしが推測したのが、湖底の泥の汚染だ。放射性物質の多くは重たいから、土の上に降下した放射性物質は、1年に約1cmずつ地中に沈んで行くと言われている。湖に降下すれば、湖底まで沈んで行き、湖底の泥に堆積するだろう。そして、その泥を住処にしている生物が汚染されるのだ。


‥‥そんなワケで、今年2月、福島県は、県内にある農業用ため池の汚染度の調査結果を発表した。福島県内には3730の農業用ため池があるんだけど、福島県と農林水産省東北農政局は、なるべく広範囲に渡るように1939カ所を選択して、約1年をかけて、ため池の底の泥の汚染度を計測した。その結果、1939カ所のうち、約30%に当たる576カ所の泥から8000Bq/kgを超えるセシウムが検出され、そのうち14カ所は、なんと10万Bq/kgを超えていて、最高値は39万Bq/kgだったそうだ。

1つの池に何トンの泥があるのか分からないけど、8000Bq/kgを超えた泥は、国の責任で管理、処分しなくてはならない「指定放射性廃棄物」だ。それが、調査した中だけでも576カ所もあったのだから、調査していない池も合わせたら、膨大な量になると思う。さらに言えば、残りの1363カ所の池だって、すべてが0Bq/kgだったワケじゃない。あくまでも「8000Bq/kgを超えていなかった」というだけのことであって、中には5000Bq/kgや7000Bq/kgの池だってあっただろう。

そして、何よりも恐ろしいのが、これらがすべて「農業用ため池」だと言うことだ。放射性物質は底の泥の中に沈んでいるから、その上の水は農業に使っても問題ない‥‥なんて思う人がいるだろうか?国の責任で管理、処分しなくてはならない「指定放射性廃棄物」が何トンも沈んでいる池の水で作物を育てていて、それで「風評被害」だなんて言われても困る。

だけど、これは国に問題がある。それぞれの地元の自治体は農業用ため池の除染を国に何度も要請してきたのに、国は支援の対象から除外してきたのだ。そして、3月9日、ようやく政府は重い腰を上げて、農業用ため池の除染にも国の交付金を投入する方針を示したんだけど、これにしたって「避難指示地区内の高濃度に汚染された農業用ため池」に限定した話だ。

つまり、避難指示地区内であっても「8000Bq/kg以下」なら対象外だし、「8000Bq/kg以上」であっても避難指示地区外なら対象外ということだ。ちなみに、今回の調査で分かった「8000Bq/kg以上」の576カ所の農業用ため池のうち、避難指示地区内にあるのは108カ所だけで、残りの468カ所は避難指示地区外にある。だから、除染の対象にはならない。

そして、この避難指示地区内の108カ所の農業用ため池の除染のために、復興庁は「福島再生加速化交付金制度」を活用するとして、1600億円の予算を計上した。もちろん、原資は国民の税金だ。本来なら東電が支払うべきお金なのに、この国と来たら、またまた国民の税金で東電の尻拭いだ。政府は「福島の復興のため」と言えば誰も文句など言わないと思って調子に乗ってるけど、放射能汚染水を止めるための費用も、住宅や田畑の除染の費用も、そして、今回の農業用ため池の除染の費用も、どう考えたって東電が支払うべきお金‥‥って、政治の問題にダッフンしちゃうと話がややこしくなっちゃうから、この話は次の機会にする。

で、ここまでの流れを簡単にマトメると、福島県には3730の農業用ため池があって、そのうちの1939カ所を調べたら576カ所が「8000Bq/kg」を超えていた。そして、その576カ所のうち108カ所が避難指示地区内にあるから、これを税金で除染するってことだ。で、ここからが問題なんだけど、農業用ため池の除染をどんなふうにやるのかって話なんだけど、政府は「ため池の放射性物質は底に沈む特性があるので、上部の水はフィルターを通せば農業に利用できる」などというトンデモな見解を示してるのだ。

実際、復興庁の「福島再生加速化交付金制度」の1600億円の用途には、「放射性物資を取り除いて水を農業に利用するためのフィルターの設置」とか「汚染土の流出を食い止める事業」とかって書かれてる。つまり、池の底の高濃度の泥を除去するのは難しいし大変だから、底に沈んだ放射性物質のことは見て見ぬふりでもしといて、その他の部分にお金を使おうってことらしい。


‥‥そんなワケで、やっとこさ話がクルリンパと輪を描くことになるんだけど、池の底の泥の中には、たくさんのプランクトンだの水生昆虫だのがいて、それらをエサにしてる小さな魚やエビがいる。そして、その小さな魚やエビをエサにしてる中くらいの魚やカエルやヘビや鳥がいて、それらをエサにしてる、もっと大きな生き物もいる。これが「食物連鎖」という自然のピラミッドだ。

で、ようやくワカサギの話に戻るんだけど、もしもワカサギの寿命が30年以上もあるのなら、今、セシウム137が「60Bq/kg」のワカサギがいれば、体内のセシウム137は月日とともにジョジョに奇妙に減り続けて行き、30年後に半減期を迎えた時には「30Bq/kg」になるだろう。だけど、ワカサギの寿命は「2年」だ。1年ごとに新しいワカサギが誕生して、命のバトンタッチをしているんだから、30年後に赤城大沼を泳いでるのは、今のワカサギの子どもの子どもの子どもの子どもの子どもの‥‥ってことになる。それなのに、そのワカサギが「30Bq/kg」になっちゃうのは、どう考えても「食物連鎖」が原因だ。もしも、赤城大沼のワカサギが産卵した卵を汚染されていない西日本の湖に移動して、そこで孵化させて成長させたら、たぶん「0Bq/kg」の成魚になるだろう。そして、この理屈は、人間の子どもだって同じだろう。


今も高濃度の放射能汚染水が流出し続けている福島の海とは違って、赤城大沼の汚染の大半は最初の爆発で降下した放射性物質なのだから、またどこか近くの原発が爆発しない限り、これ以上は汚染されることはないし、このままなら減少して行く。だけど、目に見えて減少が分かるのはセシウム134だけで、セシウム137は30年経っても半分にしかならないし、60年経っても4分の1にしかならない。そして、そのセシウム137は、そのまま湖底の泥からプランクトンや水生昆虫に取り込まれ、その年に生まれたワカサギに取り込まれて行く。この「食物連鎖」の大モトの放射能汚染を除去しない限り、毎年毎年、新しく生まれた命が汚染され続けて行く。

だから、あたしは、できる範囲で湖底の泥を除去すべきだと思う。赤城大沼は、最深部は16mくらいあるけど、ワカサギがいるのも、ワカサギのエサとなる動物性プランクトンや水生昆虫がいるのも水深5mくらいまでの場所なので、そのエリアだけでも湖底の泥を除去すべきだと思う。

海底や湖底の泥や砂を吸い上げるためには、浚渫船(しゅんせつせん)の中の「ポンプ浚渫船」という船を使う。海洋仕様の大型船は、大型のバキュームホースで海底の泥を吸い上げてパイプラインで埋立地まで運ぶことができる。これを使えば福島の海も一定の深さまでなら海底を除染できる。そして、ため池や湖で使うための「マイクロポンプ浚渫船」もある。これは簡単に解体して陸上輸送ができるスグレモノだし、水陸両用のものもある。こんなに素晴らしい船があるのだから、使わない手はない。

「マイクロポンプ浚渫船」を使えば、赤城大沼なら数日で作業できるハズだ。赤城大沼のワカサギは、4月1日から8月末までが禁漁期なので、この間に作業をすればいい。泥だけでなく、ある程度はプランクトンや水生昆虫なども一緒に吸い上げてしまうかもしれないけど、高濃度に汚染された大量の汚泥が湖底を覆い尽くしたまま放置して、「食物連鎖」によって何代も先のワカサギまで汚染されて行くことを考えたら、一時的に一定の生態系が崩れることのほうが、遥かに傷は浅く済む。


‥‥そんなワケで、これが、あたしが無い知恵を絞って考えた最善策だ。東京湾でも、荒川や江戸川などの河口部には、川から流れ込んだ放射性物質が堆積していて、複数の場所の海底の泥から1000Bq/kgを超えるセシウムが検出されている。江戸川のウナギからは基準値を超えるセシウムが検出されて出荷停止になったし、東京湾で釣れたスズキなどの魚からも、基準値以下だけどセシウムが検出されている。だから、まずは群馬や福島などの高濃度に汚染された湖や農業用ため池や海の底を除染することが最優先だけど、ゆくゆくは東京湾の河口部なども「ポンプ浚渫船」で除染してほしいと思う今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.14

映画「100,000年後の安全」を無料配信中!

2009年に公開されて、各方面に大きな衝撃を与えたドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』(2009年 デンマーク、フィンランド)が、GyaOで無料配信されたので、ご紹介します。

誰にも保障できない10万年後の安全、原発を稼働すれば永遠に増え続ける「使用済み核燃料」という高濃度放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー映画です。

圧倒的な映像美で迫る1時間20分の作品は、まるでSF映画のようにも感じられますが、これがあたしたちの直面している現実なのです。

4月10日までの無料配信なので、皆さん、ぜひご覧ください。
 ↓
『100,000年後の安全』
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00908/v12496/v1000000000000001440/?list_id=1740530


★ この記事を広めたいので、応援のクリックにご協力をお願いします!
  ↓



|

2014.03.13

コア・キャッチャーと天下りの受け皿

一昨日の3月11日、東京で行なわれた政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」で、安倍晋三首相は「今なお、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のためにいまだ故郷に戻れない方々も数多くおられます」と言った。福島第一原発では、東京電力の広瀬直己社長が「東電の社員は、故郷を離れて生活されている被災者のご苦労を決して忘れずに福島の復興に取り組んでいかないといけない」と言った。

だけど、この人たちが実際にやっていることと言えば、何よりも最優先して取り組んでるのが、「被災地の復興」でも「被災者の帰還」でも「原発事故の収束」でもなく、「柏崎刈羽原発の再稼動」だ。今年1月、東電は「今年7月の柏崎刈羽原発の再稼動」を盛り込んだ再建計画書を政府に提出し、安倍政権はソッコーで認可した。つまり、「柏崎刈羽原発の再稼動なくして東電の再建はありえない」というトンデモ計画に、政府がお墨付きを与えたワケだ。

一昨日の3月11日、東電の広瀬社長は、福島第一原発で社員たちに向かって放射能汚染で大迷惑をかけてる被災者たちに対する気持ちを語り、14時46分には黙祷を捧げたけど、その前日の3月10日には、柏崎刈羽原発の再稼動に向けて、断層を調査するためのボーリング調査を始めてた。これは、2月に終了した断層調査に不足してる部分があったため、原子力規制委員会から追加の調査を要請されたからだ。

この日、柏崎刈羽原発では、再稼動に向けて去年から試運転中だったボイラーに水を供給するための大型タンク2基から約4万7600リットルもの水が流出するという事故が起こり、高さ3メートル、直径3メートルのステンレス製の大型タンク2基は大きく変形した。それなのに東電は、この事故の原因究明を後回しにして、とにかく何よりも優先して再稼動に向けた断層調査を開始したのだ。だって、急がないと7月の再稼動に間に合わなくなるからだ。

そして、翌日の3月11日、この柏崎刈羽原発の再稼動計画を認可した安倍首相は式典で「原発事故のためにいまだ故郷に戻れない方々も数多くおられます」と語り、東電の広瀬社長は福島第一原発で「故郷を離れて生活されている被災者のご苦労を決して忘れずに」と語ったのだ。あたしは、これほどの二枚舌は前代未聞だと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、先日まとまった政府の「エネルギー基本計画」には、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけて安全が確認された原発から再稼動を進めていくと明記されてるし、安倍首相自身も同様のことを何度も口にしてる。で、この「安全が確認された」というのが何かというと、原子力ムラの人たちで組織された「原子力規制委員会」が作った新しい安全基準のことであり、田中俊一委員長は「世界一厳しい安全基準だ」とドヤ顔でノタマッてた。

だけど、この田中俊一委員長の発言に、真っ向から異を唱えた人がいた。柏崎刈羽原発を立地する新潟県の泉田裕彦知事だ。泉田知事は、当初から「原子力規制委員会に国民の命と安全と財産を本気で守るつもりがあるのか疑問です。彼らが守ろうとしているのは電力会社の財産ではありませんか」と厳しく批判してきた。

泉田知事によると、原子力規制委員会の策定した新しい安全基準は、地震対策や津波対策や機器に関することばかりで、ようするに「いかにメルトダウンを起させないか」ということばかりに終始している。福島第一原発のようにメルトダウンが起こったら、もう完全にお手上げになる。こんなものは新しい安全基準とは言えない、とのこと。

泉田知事は言う。「世界ではメルトダウン事故が起こると考えて対策を講じているのに、日本ではメルトダウン事故を起こさないという形でやっている。これでは話にならない。メルトダウン事故が起きた時にどう対応するか。 ヨーロッパではコア・キャッチャーが義務づけられているし、アメリカは軍の専門の冷却部隊がすぐに出動することになっているが、日本ではメルトダウン事故を起こさないことが前提だから、どちらもやらないことになっている」


‥‥そんなワケで、ここで世界の原発の安全対策事情をザックリと説明すると、泉田知事の言うように、欧州では原発に「コア・キャッチャー」の装着が義務づけられてる。メルトダウン事故が起こり、溶け落ちた核燃料が圧力容器の底を突き破って下に落ちても、それをキャッチして安全な容器に誘導して一気に冷却するというシステムだ。欧州の原発はこの「コア・キャッチャー」が義務づけられてるから、福島と同レベルの事故が起こったとしても、今の日本のようにはならない。

ちなみに、この「コア・キャッチャー」はフランスのアレバ社が特許を持っているため、日本やアメリカの原発には装着されていない。そこで、アメリカの場合は、たとえばテロリストがどこかの原発の電源を破壊したとしても、訓練された軍の専門の冷却部隊がすぐに駆けつけて、数時間以内に完全に冷却して放射性物質の拡散を防ぐように配置されてる。もちろん、これでも不安だけど、何の対策もしていない日本よりは百万倍もマシだろう‥‥ってことで、せっかくだから、欧州の原発に義務づけられてる「コア・キャッチャー」の図解を添付しておく。


G3


この図の下部にあるのが「コア・キャッチャー」のシステムで、左下の「コア・キャッチャー」の中に敷かれてるものは、高温の溶けた核燃料から容器の底を守るための特殊素材だ。こうしたシステムが義務づけられているということを知れば分かるように、欧州では、メルトダウン事故やメルトスルー事故は「いつか起こるもの」という前提で安全対策が講じられてるということだ。

一方、安倍首相が再稼動を目指している日本の原発には、この「コア・キャッチャー」が装着されている原子炉は1基もない。だから、日本中のどの原発でも、メルトスルー事故が起これば、福島第一原発と同じ結果になる。原子力規制委員会が策定した新しい安全基準にしても、その内容のすべてが「いかに事故を起こさないようにするか」という対策ばかりで、「もしも事故が起こったら」という対策はゼロ。つまり、事故が起こったら「ジ・エンド」なのだ。

「地震対策」や「津波対策」というのは、事故を起こさないための対策であり、自動車で言えば「ブレーキ」のようなもの。でも、この「コア・キャッチャー」というのは、事故が起こった時に被害を最小限にするためのものであり、自動車で言えば「エア・バッグ」のようなもの。原発を自動車に置き換えれば、欧州車には「エア・バッグ」が義務づけられているが、日本車には装着されていない、ということになる。

そして、安倍首相が「日本の技術は世界一だ」と大嘘をついて各国にセールスして回ってる日本製の原発にしても、当然、この「コア・キャッチャー」は装着されていない。たとえば、東芝の最新鋭の「AP1000」という加圧水型軽水炉なんて、逆に「コア・キャッチャー」が付いてないことを「売り」にしてる始末だ。


「シビアアクシデント(過酷事故)時に原子炉容器キャビティに注水して原子炉容器を外側から冷却することで原子炉容器内に溶融炉心を保持し、コア・キャッチャーを不要とした最新鋭の原子炉です」


つまり、「メルトダウンが起こったら外から注水して冷却するから絶対にメルトスルーは起こりません」て言ってるワケだけど、これじゃあ今の福島第一原発と同じことじゃん。メルトダウンした核燃料が安全な状態になるまで何十年間も注水し続けるなんて、こんなもん、どう見たって「最新鋭」じゃなくて「手抜き」じゃん。

東芝だけでなく、日立だって同じこと。「最新鋭」を謳いながら、メルトダウンが起こったら原子炉内を水びたしにして冷却するシステムだそうだけど、こんなお粗末なもんを「システム」だなんて呼べないよね。そして、こんなもんを「世界一の技術」だと言ってアチコチの国にセールスして回ってる安倍首相、日本国内の事故も完全にお手上げ状態なのに、よその国で日本製の原発が大事故を起こしたら、いったいどうやって責任を取るつもりなの?また国民の税金を流用するつもりなの?


‥‥そんなワケで、あまりにも呆れ果てて言葉づかいが崩れてきちゃったから、ここらでクルリンパと元に戻すけど、新潟県の泉田知事は、柏崎刈羽原発を再稼動させる最低限の条件として「福島第一原発の事故の検証」と「柏崎刈羽原発へのコア・キャッチャーの装着」を要求している。230万人もの県民の命と安全と財産を預かってる知事としては、極めて当然の要求だろう。

泉田知事は言う。「福島第一原発の事故の検証も総括もされていないのに、他の原発を再稼動させるのは時期尚早です。たとえば福島第一原発の事故のように原子炉への海水注入が必要になったとき、誰が責任を持って決断するのか。原子力規制委員会は「事業者の責任だ」と言うでしょうが、海水を注入して5000億円の原子炉をパーにする決断が、果たしてサラリーマンの現場所長にできるでしょうか?経営者ですら簡単には決断できないでしょう。万が一のときは安全のために国が補償します、というような制度を作るべきではないか。だから福島の検証と総括が必要なんです」


これまた、極めて当然な主張だろう。福島第一原発の事故の収束のメドも立たず、未だに何万人もの人たちが放射能汚染からの避難生活を続けていて、事故の原因も分からず、原子炉の中がどうなっているのかも分からず、溶け落ちた核燃料がどこにあるのかも分からず、いったいいつまで高濃度汚染水が流出し続けるのかも分からず、誰1人責任を取っていないのに、何が「再稼動」だ!‥‥と言いたい。

阪神淡路大震災と比べると、東日本大震災の被災地の復興は20分の1しか進んでないけど、これだって原発事故が原因だ。もしも原発がなかったら、もしも原発が事故を起こさなかったら、もしも原発が事故を起こしても「コア・キャッチャー」さえ付いていたら、こんなことにはならなかったハズだ。福島県の復興は一次産業である農業や漁業を中心にして、今の20倍のスピードで進んでいたハズだ。「たられば」の話をしても仕方ないと言う人がいるけど、あたしは、「たられば」の話こそが経験を教訓に変える唯一の手段であり、同じ轍を踏まないための最善策だと思ってる。


‥‥そんなワケで、先日まとまった政府の「エネルギー基本計画」で原発を「重要なベースロード電源」に位置づけて再稼動を進めていくと発表した安倍首相しかり、「原発を再稼動しないと電気料金が上がり続ける」と利用者を脅し続ける東電の広瀬社長しかり、福島第一原発の事故によって数えきれないほどの国民が苦しみ続けているのにも関わらず、国のトップと企業のトップがタッグを組んで原発を推進し続ける背景には、経済産業省の天下りたちが原発利権で甘い汁を吸い続けてる下部組織がある。

独立行政法人は「原子力安全基盤機構」「原子力発電環境整備機構」「科学技術振興機構」「放射線医学総合研究所」「日本原子力研究開発機構」「産業技術総合研究所地質調査総合センター」など、財団法人は「日本原子文化振興財団」「日本分析センター」「日本エネルギー経済研究所」「日本立地センター」「放射線影響研究所」「放射線計測協会」「放射線照射振興協会」「放射線影響協会」「放射線利用振興協会」「電力中央研究所」「原子力環境整備促進・資金管理センター」「原子力国際協力センター」「原子力公開資料センター」「原子力安全研究協会」「原子力発電技術機構」「原子力研究バックエンド推進センター」「原子力国際技術センター」「原子力安全技術センター」「エネルギー総合工学研究所」「東電記念科学研究所」「福井原子力センター」「核物質管理センター」「高度情報科学技術研究機構」「発電設備技術検査協会」「日本電気工業会」など、社団法人は「日本原子力技術協会」「日本原子力産業協会」「日本原子力学会」「原子燃料政策研究会」「茨城原子力協議会」「土木学会 原子力土木委員会 地盤安定性評価部会」「新金属協会」「エネルギー情報工学研究会議」など。

これでも、まだまだ書ききれないほど、原発利権にぶらさがってる「天下りの受け皿」の団体は日本中にマウンテンだ。経産省から天下ったOBたちが、何もせずに莫大な年俸や退職金をフトコロに入れるために作られた「意味のない独法や外郭団体」の数は、全国で50を超えると言われてる。そして、そこにひしめく数多くの天下りたちが、日々、パソコンでゲームをしたりエロサイトを眺めたりして、何も仕事をせずに国民の税金を山分けしているのだ。


‥‥そんなワケで、日本には、経産省の役人たちのために作られた独法や外郭団体という「天下りの受け皿」は数えきれないほどあるけど、日本中に林立する原発には「コア・キャッチャー」という「溶け落ちた核燃料のための受け皿」は1つもない。この国の政府にとっても、この国の電力会社にとっても、原発が大事故を起こした時に溶け落ちた核燃料を受け止めることより、経産省の天下りを受け止めることのほうが、「原子力ムラ」の利権構造を死守する上では遥かに重要視されてるんだと感じた今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.11

増え続ける震災関連死、3.11に寄せて

3年前の今日、2011年3月11日14時46分、仙台市の沖70キロを震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。そして、この地震は巨大な津波を引き起こし、多くの人たちの命を奪った。今年1月現在で、死者1万5884人、重軽傷者6150人、行方不明者2640人と発表されている。

だけど、これは、あくまでも地震や津波で直接亡くなった人たちの人数だ。長期の避難生活によるストレスで、持病が悪化したり何かの病気になって亡くなってしまった人たち、原発事故による放射能汚染で生活や仕事を奪われてしまい、東電を恨みながら自らの命を絶った人たち、こうした「震災関連死」は、今年3月現在、岩手、宮城、福島の3県だけで合計2973人にも上る。特に福島県では、こうした「震災関連死」は3県のうち最多の1660人で、地震や津波で亡くなった1607人を上回ってしまった。

震災から3年が経った現在でも、全国で約26万7000人もの人たちが苦しい避難生活を続けているのだから、こうした「震災関連死」は、今後も増え続いていくと思われる。「震災関連死」の大半は行政の対応の悪さが原因だと思うけど、せっかく地震や津波から生き延びられたのに、その後の行政の対応が原因で亡くなってしまう人たちが後を絶たないなんて、ホントに悲しいことだ。


‥‥そんなワケで、今日は内容が内容なので「いかがお過ごしですか?」は割愛して先へ進むけど、この「震災関連死」を少しでも減らすためには、何よりも優先すべきなのが「避難者の数を減らすこと」だと思う。仮設住宅にしろ、借り上げ住宅にしろ、すべてはちゃんとした家が出来るまでの「仮住まい」だ。その上、慣れない土地での生活、それも「いつまで」という期限も分からない生活を続けていたら、健康な人だってストレスで具合が悪くなってしまう。

だけど、自宅を失った避難者のために建てられている災害公営住宅の完成件数を見てみると、今年2月末の時点で、約3万戸の計画のうち、完成しているのは、わずか1000戸ほど、全体の3%だけだ。ちなみに、阪神淡路大震災の時は、3年後には2万1000戸、計画戸数の50%以上が完成していた。もちろん、この2つの大震災は様々な状況が違うから、単純に数字だけを比較してアレコレ言うことはできないけど、どうして東日本大震災の災害公営住宅の建設が遅々として進まないのか、2つの大震災を比較してその原因を考察することは、復興全体にとって重要なことだと思う。

これほどの大震災なのだから、震災直後から災害公営住宅を建設することなど不可能で、まずは避難所の整備、続いて仮設住宅の建設、それからようやく災害公営住宅の建設が始まる。だから、本格的な建設に取り掛かれるのは、どんなに急いでも2年目以降になる。で、災害公営住宅の本格的な建設が始まった2年目以降の進み具合を比較してみると、2年6ヶ月の時点では、阪神淡路大震災での完成率が27%だったのに対して、東日本大震災での完成率は、わずか1.8%だった。

これは、今から半年前の安倍政権が、被災地のことなどホッタラカシで、東京オリンピック招致のために奔走していたからだ。東京オリンピック招致委員会の竹田恒和会長は「東京は福島から250キロも離れているから安全だ」と公言し、安倍晋三首相は「福島の原発事故はコントロールしている」「放射能汚染水は港湾内で完全にブロックされている」と全世界に向けて大嘘をつき、その結果、オリンピック招致に成功した。

「東京オリンピックを被災地の復興につなげる」などという詭弁を弄していた安倍政権は、形だけでもそれらしく見せるために、ホッタラカシにしていた災害公営住宅の建設に発破をかけたが、それでもこの半年間に進んだのは全体のわずか1.2%ほどで、3年も経った現在の完成率がたった3%という、あまりにもお粗末なものだった。

NHKが今年1月に実施した被災者を対象にしたアンケートによると、全体の78%もの人たちが、今も自分のことを「被災者だと意識している」と回答した。これは、阪神淡路大震災の時の震災後2ヶ月目の数字と同じだそうだ。そして、NHKでは、アンケートに回答を寄せてくれた人たちの声を聴くために何人かを尋ねた。そのうちの1人、自宅を津波で流された上に親戚を11人も亡くし、今は仮設住宅で1人暮らしを続けている岩手県陸前高田市の女性は、次のように話した。


「日常生活をありったけ我慢している状態ですから、自分が被災者ではないとは言えません。自宅を再建する土地は今も見つからず、災害公営住宅は希望しても、いつ入居できるか分かりません。帰ってきて仮設住宅に入ってくる瞬間、これがわが家なんだと思うと情けなります。震災から3年も経ったのに、これがわが家かと思うと辛くなります」


宮城県気仙沼市の仮設住宅で一人暮らしをしている高齢の女性は、次のように話した。


「災害公営住宅が明日できるから引っ越せる、ということならいいんですけど、完成するまでにあと4年も掛かると言われています。4年も掛かるのでは、それまで私の命が持つかどうか分かりません」


‥‥そんなワケで、「震災関連死」が増え続けている原因は、震災から3年も経った現在も多くの被災者が辛い避難生活を続けているからで、それは災害公営住宅の建設が遅々として進まないからだ。そして、災害公営住宅の建設が遅々として進まない理由については、阪神大震災と比較してみることで複数の原因が見えてくる。

まず、阪神淡路大震災では、被害の大半が兵庫県1県に集中していたため、行政上の手続きなどが比較的スムースに進んだけど、被害が複数の県に及んだ東日本大震災の場合は、日本の伝統的な「縦割り行政」が復興の足を引っ張っているのだ。国は複数の県と協議しなくてはならず、被害状況も自治体ごとに多岐に渡っているため、ケースごとに対応が違ってくる。そのため、時間が掛かっているのが現状だ。

それから、今回は津波による家屋の被害が大部分を占めているため、同じ場所に再建するのではなく、高台へ移設したり、町単位で移転したり、防潮堤などの建設と一体化した再建計画など、公私の入り組んだとても複雑な状況だということ。国はどこまでバックアップしてくれるのか、県はどこまで面倒を見てくれるのか、それもハッキリと分からない上に、地元で商売をしていた人たちにとっては、家だけ建てられても仕事ができなければ生活など成り立たない。

そして、安倍政権の「国土強靭化計画」という名の公共工事のバラ撒きが、復興の最大の足かせになっている。これは、1年くらい前から新聞などが報じてきたから知っている人も多いと思うけど、安倍政権が見せかけの景気回復を演出するために、国民に借金を背負わせて無駄な公共工事をバラ撒き始めたために、被災地の復興に必要な資材も労働力も全国に分散してしまい、カンジンの被災地では、資材不足、労働力不足が起こり始めているのだ。


‥‥そんなワケで、ここまでは一般論として「どうして災害公営住宅の建設が遅々として進まないのか」ということを考えて来たけど、そろそろ本題に入ろうと思う。それは、阪神淡路大震災と東日本大震災の最大の相違点であり、安倍政権が最も触れたがらない点、つまり、「原発事故」についてだ。

あたしは、今回の「避難者」にも「震災関連死」にも、2種類のケースがあると考えている。岩手県や宮城県で、地震や津波によって自宅を失ってしまい、避難生活を余儀なくされている人たち、そして、福島県で、地震や津波の被害には遭わなかったのに、原発事故による放射能汚染で避難生活を余儀なくされている人たち、あたしは、この2つのケースを分けて考えるべきだと思ってる。

最も被害が大きかった被災3県で、地震や津波が原因で直接亡くなったと確認されている人の数は、岩手県が4673人、宮城県が9537人、福島県が1607人だ。一方、地震や津波からは生き延びることができたのに、その後、「震災関連死」で亡くなってしまった人の数は、今年3月現在、岩手県が434人、宮城県が879人、福島県が1660人だ。この「震災関連死」の人数を見ると、福島県だけが突出していることが分かると思う。

そして、さらに詳しく調べてみると、福島県の「震災関連死」の1660人のうち8割を超える約1400人もの人たちが、原発事故による放射能汚染で避難指示区域に指定された11市町村の住民だったことが分かった。つまり、これまでに「震災関連死」で亡くなってしまった3県の合計2973人のうち、約半数もの人たちが、原発事故の放射能汚染によって自宅に帰ることができなくなった人たちだったのだ。あたしは、これはもう、「天災」ではなく「人災」だと思う。「震災関連死」ではなく「原発事故関連死」と呼ぶべきだと思う。

地震や津波で自宅を失ってしまった岩手県や宮城県の人たちは、もう帰る家がない。だから、こんな言い方をすると語弊があるかもしれないけど、災害公営住宅が完成するまでは、ある意味、覚悟を持って、辛抱して避難生活を送っていると思う。もちろん、それでも辛く厳しい生活だから「震災関連死」が増え続けているんだろうけど、福島県と比べたら、その人数は大幅に少ない。一方、福島県の避難者たちの場合は、一時帰宅が許されて数時間だけ自宅に戻れば、そこには自分の家がある。生まれ育った山や川がある。それなのに、放射能という目に見えないもののせいで、自分の家に帰ることができない。いつになったら帰れるのか、まったく分からない。これほど辛く悲しいことがあるだろうか?


‥‥そんなワケで、あたしは、同じ「避難者」でも、同じ「震災関連死」でも、地震や津波という「天災」による被災者と、原発事故という「人災」による被災者とを分けて考えるべきだと思っている。災害公営住宅が完成すれば新しい生活をスタートできる人たちと、「除染」を繰り返してもなかなか線量の下がらない地域で、累積線量計を身に付けて自分の被曝量を自分で計算しながら生活しなくてはならない人たちを、どうして一括りにしているのか?長い避難生活で持病が悪化して亡くなってしまった人と、原発事故による放射能汚染で生活を奪われ、東電を恨みながら自らの命を絶ってしまった人を、どうして一括りにしているのか?

これは、どう見ても、原発事故という「人災」を東日本大震災という「天災」の中に含めてしまい、原発事故の責任をウヤムヤにするための策略としか思えない。その最たるものが、「除染」という見せかけだけの対策だ。国民の税金を膨大に投入して続けている「除染」だけど、ほとんど意味がないことはすでに証明されている。

あたしがツイッターやメールでやりとりしている福島県在住の人は、自宅を屋根から外壁から徹底的に除染して、庭の土の表面をすべて入れ替えて、ようやく安全な線量まで下がったのに、わずか2週間で元の数値に戻ってしまったと知らせてくれた。また、別の人も、何度除染しても1~2ヶ月で元の数値に戻ってしまうため、お金が続かなくなり、今は高圧洗浄機を買って自分で除染しながら生活していると言っている。

安倍首相が昨年9月、IOC総会で全世界に向けて公言した「アンダーコントロール」「完全にブロック」という大嘘とはウラハラに、福島第一原発は現在も、大量の高濃度汚染水を海へ流出し続け、大量の放射性物質を大気中へ放出し続けている。こんな状況で「除染」なんかしても、何の意味もない。元栓が開けっ放しなのに、いくら掃除をしたって意味がない。これは、あたしが憶測でテキトーに言ってることじゃなくて、東電が公式に発表したことだ。昨年10月7日の閉会中審査の参議院経済産業委員会で、東電の廣瀬直己社長は、次のように報告した。


「福島第一原発の事故で大気中へ放出されたセシウム134と137は推計で約2万兆ベクレルになると見ている。また、現在も大気中へ毎時約1000万ベクレルの追加的放出が続いている」


多くの人は、海へ流出し続けている放射能汚染水のことばかりを気にしていると思うけど、大気中にも毎時1000万ベクレルもの放射性物質が24時間365日、休まずに放出され続けているのだから、風向きによっては内陸部へと飛散して、せっかく除染した場所をまた汚染していることになる。そして、これはあくまでも昨年10月の時点で発表された数値であって、その前には「最低でも毎時7000万ベクレル」という発表もしている。

また、放射能汚染水に関しても、東電は今年1月30日の会見で、原子炉を冷却するために注入している毎時4.4トンの水のうち約8割にあたる3.4トンが下部の亀裂から外部へ流出していたと発表した。東電は昨年12月に「貯水タンクの不足」を理由に汲み上げを中止したため、1日に約400トンの高濃度汚染水が海へ流出し続けている。海に一番近い観測用の井戸では、計測するたびに濃度が上昇し続けているけど、原子炉に注入した水が流出していたのだから、1リットルあたりストロンチウムなどのベータ線を出す放射性物質が23億ベクレル、放射性セシウムが1万2000ベクレルという目を疑うような数値も、当然の結果だろう。


‥‥そんなワケで、3日前、3月11日を前に福島県を視察した安倍首相は、「地域それぞれの特性に合わせた除染計画を実施する」などと絵に描いた餅をぶらさげて「福島の復興なくして日本の再生はない」などとお決まりのセリフをノタマッだけど、あたしは「原発事故の収束なくして福島の復興はない」と言いたい。毎時1000万ベクレルもの放射性物質を大気中へ放出し続けているのに、何が「除染」だ!毎日400トンもの高濃度汚染水を海へ流出し続けているのに、何が「風評被害」だ!本気で福島県の復興を考えているのなら、本気で福島県の避災者のことを考えているのなら、何よりも最優先して原発事故を何とかしろ!‥‥なんてことを言ったところで、東電を救済するために復興予算を6523億円も流用するような安倍首相の耳は「完全にブロック」されているから、どうせ国民の声などミジンも届かないと思う今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
  ↓



|

2014.03.07

上関原発を建てさせない山口県民大集会 BYE BYE NUKES!

【上関原発を建てさせない山口県民大集会 BYE BYE NUKES!】


Chirasi3a


3月8日(土)午前10時から、山口市の「維新百年記念公園」の「ちょるる広場」で、「上関原発を建てさせない山口県民大集会 BYE BYE NUKES!」が開催されます!

当日は、高石ともやさん、上田達生さん、鎌田慧さん、アーサー・ビナードさん、三宅洋平さんらを始め、多くのゲストを迎え、スピーチやライブ演奏で盛大に盛り上がります♪

入場は「無料」で、マルシェ(お祭り広場)には50を超えるお店が出店します。

とても楽しいイベントになりますので、山口県内の人たちだけでなく、他県の皆さんもぜひご参加ください♪


詳細は下記のリンクからオフィシャルサイトへどうぞ!
■BYE BYE NUKES!■


★ この情報を拡散したいので応援のクリックをお願いします!
  ↓



|

2014.03.02

黒ん坊と白ん坊と黄色ん坊

ちょっと前のことだけど、今年の1月17日、歌手のマドンナがSNSで炎上騒ぎを起こしちゃった。日本の芸能ニュースでも報じられたから知ってる人も多いと思うけど、彼女が愛用してる「インスタグラム」っていうSNSに、13歳の息子、ロッコ君がボクシングのミット打ちをしてる写真をアップして、こんなキャプションを添えちゃったのだ。


「No one messes with Dirty Soap! Mama said knock you out! #disnigga」


「Dirty Soap」というのは、2011年にアメリカで放送してたドラマのタイトルなんだけど、このドラマ、評判が悪くて途中で打ち切りになっちゃった。で、マドンナがこのドラマを気に入ってたのか、それとも「つまらなくて打ち切りになった」ということをネタに使ったのかは、あたしには判断できないけど、可愛い息子がボクシングをしてる写真に添える「気の利いたセリフ」として、こんなことを書いちゃったのだ。


「誰にもドラマ「ダーティー・ソープ」の悪口は言わせないぞ!そんな奴はノックアウトして来いとママから言われてるんだ!#しょうもない黒ん坊」


ちなみに、SNSをやってない人のために説明しとくと、この文章の最後の「#」の付いた単語は「ハッシュタグ」と言って、ようするに「見出し」の一種だ。ツイッターならツイッター、フェイスブックならフェイスブック、ひとつのSNSの中で、同じタグの付いた投稿だけをまとめて表示することができる。たとえば、文化放送の「キニナル」という番組で「あなたの好きな味噌汁の具は何ですか?」という質問が出た時、ツイッターやフェスブックを利用してる人は「お豆腐です。 #キニナル」とか「ダイコンかな。 #キニナル」とか「ナメコが大好き! #キニナル」とか、番組名のハッシュタグをつけてつぶやけば、番組のスタッフや出演者がタグの付いた投稿をまとめて見て、その中から選んだものを読み上げることができる。

で、マドンナは、可愛い息子の写真のキャプションの最後に、黒人を中傷する差別用語のハッシュタグを書き込んじゃったために、多くの人たちから「このレイシスト!」「悪夢のようだ!」「最低のクソ女!」と罵詈雑言のコメント攻撃を食らうことになり、アッと言う間に炎上しちゃったのだ。それでもマドンナは、最初のうちは「こんな批判のコメントを書き込むのは私のアンチだけ」とかって強気の姿勢でいたんだけど、これが火に油になっちゃって、とうとう翌日には該当の投稿を削除して謝罪することになった。


「私がNワード(※「nigger」のこと)を使ったことで不愉快な思いをさせてしまった人たち全員にお詫びします。でもあれは誰かを中傷するつもりで書いたものではありません。私はレイシスト(人種差別主義者)ではありません。」

「でも、私があの言葉を使ってしまったことは事実であり、決して弁解できません。」

「あの言葉は、白人である息子に対する愛情表現の言い回しとして使ったつもりでした。」

「どうか私を許してください。」


ああ、なんてこった!最後に「#disnigga」さえ付けなければ、シャレの利いた楽しいキャプションだったのに、たった9文字を付け加えたことで、何百億円も持ってる大スターが、こんなにペコペコと謝さられるハメになっちゃった。つーか、単なる「nigger」でも問題なのに、何でマドンナは、わざわざ否定を意味する接頭辞の「dis」まで付けたハッシュタグなんか書き足しちゃったんだろう?‥‥って疑問に思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「ニガー」という言葉は、もともとは差別用語じゃなかった。ラテン語の「黒」を意味する「negro(ネグロ)」を語源として、アフリカ系の黒人のことを「Negroid(ネグロイド)」と呼ぶようになったのがルーツだ。これはもちろん差別用語じゃなくて、ちゃんとした学術用語だ。あたしたち黄色人種は「モンゴロイド」、白人は「コーカソイド」、そして、オーストラリアやニューギニアなどのオセアニアから、フィリピンやタイやスリランカにかけて分布してる「オーストラロイド」、これが地球の「四大人種」だ。

つまり、肌の色で言えば、「コーカソイド」→「モンゴロイド」→「オーストラロイド」→「ネグロイド」ってふうに濃くなってくワケだけど、当然のことながら、これらの呼び名は差別用語じゃない。で、このアフリカ系の黒人を指す「ネグロイド」という学術用語が、英語圏では発音が「ニグロイド」になり、「ニグロ」に省略された。日本でも、男性のパンチパーマよりも短いチリチリのパーマのことを「ニグロパーマ」って呼んでたし、今でも地方の理髪店とかだと「ニグロ」と呼んでるとこもある。

そして、この「ニグロ」が「ニガー」に変化したワケで、言葉のルーツだけを見れば、差別的な要素は見当たらない。事実、「ニグロ」が「ニガー」に変化したのは、黒人に対する愛称的な意味合いからだった。もともとは白人が殖民地の現地人に対して使ったりしていた呼称で、奴隷貿易の時代に入ってさえも、それほど侮辱的なニュアンスはなかったと言われてる。だけど、時代が進み、黒人が奴隷から解放されて白人と同じように人権を認められるようになっていく過程で、思考や思想の偏った人種差別者たちが、侮辱的な意味を込めて「ニグロ」や「ニガー」という呼称を使うようになった。

これって、日本における「シナ」と似たような感覚だ。昔の日本では、中国や中国人のことを普通に「支那」とか「支那人」と呼んでたし、政府間の公式の書面とかでも「日中ホニャララ」じゃなくて「日支ホニャララ」って言葉を使ってた。だけど、1946年に中国側から「今後は支那という呼称は避け、わが国を中華民国と呼び、略称は中国とするように」という通達があったため、日本では呼称を改めることになった。

だから、現在の日本では、一部に「支那そば」とか「東シナ海」とかの言葉は残ってるけど、中国や中国人のことをわざわざ「支那」とか「支那人」とかって言うのは、中国に対して敵意や悪意を持ってる人たちの中の、一部の人種差別主義者だけだ。マトモな思考回路の人たちは、たとえ中国に対して敵意や悪意を持ってても、呼称に関しては普通に「中国」や「中国人」と言ってる。


‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、マドンナが使ってバッシングされることになった「ニガー」という言葉も、もともとは差別語じゃなかった。だけど、どんな言葉でも、その言葉を使う人たちが差別的な意味として使い続けていれば、ジョジョに奇妙に差別語へと変化していく‥‥ってワケで、この「ニガー」、日本語だと「黒ん坊」とか「黒奴」と訳されるけど、これも差別語だから、現在の日本では、テレビや新聞などでは基本的に使うことができない。この言葉を含んだ過去の文献や音源などをテレビや新聞などで紹介する場合は、その部分を消すか、註釈を入れるのが一般的だ。

ちなみに、日本語の「黒ん坊」というのは、赤ちゃんのことを「赤ん坊」というように、多くの人が「見た目から付けた呼び名」だと思ってるけど、実は、意外なルーツがある。宝永5年(1708年)に日本にやってきたキリシタンの宣教師、ジュアン・シドチから聞いた西洋の話を学者の新井白石がまとめた『西洋紀聞』の中に、次のような記述があるのだ。


「按ずるに、この国の南地に、コルンボと称ずる所あり。その人色黒し。漢にいう所の崑崙奴、あるいはこれなり。ヲヲランド人の説に、およそ赤道に近き地の人、ことごとく皆クロンボにして、その性慧ならずという。そのクロンボというは、コルンボの音の転ぜしにて、その人色黒きをいうなり(ここに、黒色をクロシという。されど、近俗、人の色黒きを、クロンボというは、もとこれ番語に出づ)」


「この国」というのは「セイロン」のことで、「コルンボ」というのは「コロンボ」のことだ。つまり、日本語の「黒ん坊」は、たまたま肌の色の黒い人たちが住んでいた国名の「コルンボ」が変化したもので、「黒ん坊」の「黒」も「坊」もアテ字だったのだ‥‥ってなワケで、ここで大問題が発生しちゃった!アフリカ系の黒人を指す「ネグロイド」から発生した差別的呼称が「ニガー」だけど、日本語の「黒ん坊」は「コロンボ」がルーツ、この国に住んでるのはシンハラ人などのスリランカ人なんだから、さっき書いた「四大人種」で言えば、「ネグロイド」じゃなくて「オーストラロイド」なのだ。

だから、言葉のルーツだけで言えば、「ニガー」と「黒ん坊」はイコールじゃない。さっき、「コーカソイド」→「モンゴロイド」→「オーストラロイド」→「ネグロイド」って順番で肌の色が濃くなってくって書いたけど、「コーカソイド」である白人たちが「ネグロイド」に対して使ったのが「ニガー」であり、「モンゴロイド」である日本人が「オーストラロイド」に対して使ったのが「黒ん坊」ってことになる。

だけど、時代が流れるうちに、日本語の「黒ん坊」という言葉も、「ニガー」と同じにアフリカ系の黒人を指すようになってきた‥‥っていうか、日本人の場合は、「オーストラロイド」も「ネグロイド」もひっくるめて、自分たちよりも肌の色が濃い民族は、みんなまとめて「黒ん坊」と呼ぶようになった。まだ「黒ん坊」という言葉が差別語とされてなかった時代に書かれた小説などでは、アフリカのどこかの村のナントカ族も、東南アジアの密林に住むナントカ族も、戦後の進駐軍の中の黒人兵も、日本人はみんなまとめて「黒ん坊」って呼ぶようになった。これは、もちろん差別的な意味合いじゃなくて、区別的な意味合いだ。今でこそ「黒ん坊」という言葉を表立って使うことはほとんどなくなったけど、30~40年くらい前までは、小説などでもワリと普通に使われてた。たとえば、1969年に刊行された阿佐田哲也(色川武大)の麻雀小説『牌の魔術師』(角川文庫)に収録されてる「黒人兵キャブ」の中には、次のような記述がある。


「キャブとはもう大分前からの顔見知りだ。二、三度打ったことがあるが、総体的に麻雀は弱い黒ン坊の中でもピカ一だ。バイニン仲間では、チョンボのキャブという通り名がある。一日、一度はチョンボをするというのだ。」


これは、敗戦後、日本にやってきた進駐軍の兵士たちに麻雀を教えてカモにしてたバイニンたちの話なんだけど、登場人物のセリフとして「黒ン坊」という言葉が使われてるんじゃなくて、普通の文章の中で使われてる。この文脈なら「黒人兵」という言葉でも意味が通じるのに、普通に「黒ン坊」という言葉が使われてる。これは、この言葉を使うことで対象者を貶めようなどという差別意識などなく、もっと軽い気持ちで、それこそ黒人たちに対する愛称のような感覚で「黒ン坊」という言葉が使われていることを物語っている。

で、「黒ん坊」という言葉が使われてる小説なんていくらでもあるのに、何であたしがこの『牌の魔術師』を引用してるのかと言えば、ここには、この差別語を理解する上で、とても重要な表現が出てくるからだ。それは、先ほどの引用箇所の少し前に出てくるんだけど、主人公のオヒキ(コンビで打つ時のパートナー)の近藤がイカサマで大三元をあがった時、それに腹を立てたジェファーソンという白人の軍曹が言うセリフだ。


「糞ッ、黄色ン坊奴!」


この「黄色ン坊奴」という言葉には「イエロー・ニガー」というルビが振られてる。つまり、実際には「シット!イエロー・ニガー!」とか「ファック!イエロー・ニガー!」とか言ったワケで、それを日本語で表記した‥‥っていう形になってる。アメリカの白人が日本人を侮辱して呼ぶ場合、一番多いのは「ジャップ」だけど、他には「イエロー」という色がよく使われる。有名なのは「イエロー・モンキー」で、日本のロックバンドの「ザ・イエロー・モンキーズ」は、この日本人に対する侮辱的な呼称をあえてバンド名にするというシニカルなスタイルをとった。

他にも、アメリカ人の男になら誰にでも抱かれるパンツのゴムのゆるい日本人のバカ女のことを「イエロー・キャブ」と呼ぶ。これは、アメリカのシカゴにある大きなタクシー会社の名前なんだけど、「黄色いボディーで誰でも乗せる」という意味から、日本人のバカ女を指す侮辱的なスラングとして使われるようになった。そして、これを逆手にとって事務所名にしたのが、巨乳アイドルを売り物にした日本の芸能プロダクションの「イエロー・キャブ」だ。

で、最初に挙げた「イエロー・ニガー」だけど、もちろん、これは、阿佐田哲也さんが作った造語なんかじゃなくて、主にアメリカの白人が日本人を侮辱する時に、よく使われる呼称だ。何ていうタイトルか忘れちゃったけど、何年か前に観たアメリカ映画の中でも、日本人らしき東洋人に対して、白人が「イエロー・ニガー!」と罵倒するシーンがあった。


‥‥そんなワケで、日本人が進駐軍の黒人兵のことを「黒ん坊」と呼び、白人の軍曹が日本人のことを「イエロー・ニガー」と罵倒するシーンが登場する麻雀小説『牌の魔術師』が刊行された1969年、海の向こうのアメリカでは、メンバーに黒人と白人が混在するファンクロックバンド「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」が、4枚目のアルバム『Stand!』をリリースした。当時は、まだ、アメリカ国内でも人種差別が横行していたため、このアルバムには物凄い風刺の楽曲が収められた。それが、A面2曲目の「Don't Call Me Nigger, Whitey」だ。


「Don't Call Me Nigger, Whitey.」「Don't Call Me Whitey, Nigger.」


当時の前衛的でサイケデリックな演奏をバックに、「俺を黒ん坊と呼ぶな、白ん坊野郎」「俺を白ん坊と呼ぶな、黒ん坊野郎」と繰り返すこの楽曲は、同じ国で同じ言語を話して暮している人間同士が、肌の色の違いだけでお互いを侮辱し合うことのバカバカしさを厳しく風刺していた。そして、歴史に埋もれかけていたこの楽曲に息を吹き込んだのが、ロックバンド「ジェーンズ・アディクション」のペリー・ファレルだった。

アメリカでは、1991年から「ロラパルーザ」という大規模なロックフェスが行なわれてるんだけど、このフェスの特徴は、ロックだけに限定せずに、ヒップホップなどの他のジャンルの音楽や、詩の朗読、コメディアンのショー、美術作品の展示など、垣根を超えたサブカルチャーが網羅されてることだ。だけど、このフェスって、もともとは「ジェーンズ・アディクション」の解散ツアーとして行なわれたものだった。普通のバンドの解散ツアーは、そのバンドだけが全国を回るものだけど、ペリー・ファレルは、それじゃつまらないのでいろんなバンドやミュージシャンに声を掛けて、自分たちの解散ツアーを「フェス」にしちゃえ!って考えたのだ。

そして、1991年の第1回「ロラパルーザ」で、前代未聞のコラボが炸裂した。オルタナティヴ・ロックバンドである「ジェーンズ・アディクション」と同じステージに登場したのは、スラッシュメタル・バンドの「ボディ•カウント」のボーカルであり、ソロのラッパーとしても有名なアイス・Tだった。そして、演奏が始まった。20年以上前の楽曲、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Don't Call Me Nigger, Whitey」だった。

黒人であるアイス・Tが「Don't Call Me Nigger, Whitey」と歌う。それを受けて、白人であるペリー・ファレルが「Don't Call Me Whitey, Nigger」と返す。2人は向かい合ったまま、相手への憎しみをタップリと込めて、このフレーズを歌い続ける。そして、人種差別という時代遅れの行為の愚かさを、会場を埋め尽くした人たちに伝えていった。このパフォーマンスには大きな反響があり、ペリー・ファレル自身も、のちに音楽雑誌のインタビューに対して「ロラパルーザの大きな5つの思い出」の1つに挙げている。


‥‥そんなワケで、このパフォーマンスの実際の映像は最後にリンクしとくけど、あたしたち日本人の多くは、アメリカの大統領が北朝鮮やイラクのことを「テロ国家」と呼んでも、特に違和感も覚えないし、正直、「他人事」って感じの人もいると思う。そして、アメリカの白人が黒人のことを「ニガー」と呼んで侮辱しても、あたしたち日本人の多くは、「他人事」だと思ってる。だけど、第二次世界大戦の時には、日本はアメリカから「テロ国家」と呼ばれてたし、日本兵たちは「テロリスト」と呼ばれてたのだ。これと同じで、あたしたち日本人は、一部の白人たちから「イエロー・ニガー」って思われてる。だから、どちらも「他人事」じゃないんだよね。だけど、あたしは、こういうのって、ホントに愚かで、ホントにバカバカしいと思ってる。同じ地球で暮らしてる同じ人間同士が、肌の色の違いなんかで相手を毛嫌いしたり侮辱したりするなんて‥‥。だから、あたしは、黒鹿毛も鹿毛も栗毛も青毛も芦毛も白毛も、みんな仲良く走ってる競馬が好きなのかも知れない‥‥なんて思った今日この頃なのだ(笑)


■Jane's Addiction & Bodycount - Don't Call me Whitey, Nigger■


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いしま~す♪
  ↓



|

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »