黒ん坊と白ん坊と黄色ん坊
ちょっと前のことだけど、今年の1月17日、歌手のマドンナがSNSで炎上騒ぎを起こしちゃった。日本の芸能ニュースでも報じられたから知ってる人も多いと思うけど、彼女が愛用してる「インスタグラム」っていうSNSに、13歳の息子、ロッコ君がボクシングのミット打ちをしてる写真をアップして、こんなキャプションを添えちゃったのだ。
「No one messes with Dirty Soap! Mama said knock you out! #disnigga」
「Dirty Soap」というのは、2011年にアメリカで放送してたドラマのタイトルなんだけど、このドラマ、評判が悪くて途中で打ち切りになっちゃった。で、マドンナがこのドラマを気に入ってたのか、それとも「つまらなくて打ち切りになった」ということをネタに使ったのかは、あたしには判断できないけど、可愛い息子がボクシングをしてる写真に添える「気の利いたセリフ」として、こんなことを書いちゃったのだ。
「誰にもドラマ「ダーティー・ソープ」の悪口は言わせないぞ!そんな奴はノックアウトして来いとママから言われてるんだ!#しょうもない黒ん坊」
ちなみに、SNSをやってない人のために説明しとくと、この文章の最後の「#」の付いた単語は「ハッシュタグ」と言って、ようするに「見出し」の一種だ。ツイッターならツイッター、フェイスブックならフェイスブック、ひとつのSNSの中で、同じタグの付いた投稿だけをまとめて表示することができる。たとえば、文化放送の「キニナル」という番組で「あなたの好きな味噌汁の具は何ですか?」という質問が出た時、ツイッターやフェスブックを利用してる人は「お豆腐です。 #キニナル」とか「ダイコンかな。 #キニナル」とか「ナメコが大好き! #キニナル」とか、番組名のハッシュタグをつけてつぶやけば、番組のスタッフや出演者がタグの付いた投稿をまとめて見て、その中から選んだものを読み上げることができる。
で、マドンナは、可愛い息子の写真のキャプションの最後に、黒人を中傷する差別用語のハッシュタグを書き込んじゃったために、多くの人たちから「このレイシスト!」「悪夢のようだ!」「最低のクソ女!」と罵詈雑言のコメント攻撃を食らうことになり、アッと言う間に炎上しちゃったのだ。それでもマドンナは、最初のうちは「こんな批判のコメントを書き込むのは私のアンチだけ」とかって強気の姿勢でいたんだけど、これが火に油になっちゃって、とうとう翌日には該当の投稿を削除して謝罪することになった。
「私がNワード(※「nigger」のこと)を使ったことで不愉快な思いをさせてしまった人たち全員にお詫びします。でもあれは誰かを中傷するつもりで書いたものではありません。私はレイシスト(人種差別主義者)ではありません。」
「でも、私があの言葉を使ってしまったことは事実であり、決して弁解できません。」
「あの言葉は、白人である息子に対する愛情表現の言い回しとして使ったつもりでした。」
「どうか私を許してください。」
ああ、なんてこった!最後に「#disnigga」さえ付けなければ、シャレの利いた楽しいキャプションだったのに、たった9文字を付け加えたことで、何百億円も持ってる大スターが、こんなにペコペコと謝さられるハメになっちゃった。つーか、単なる「nigger」でも問題なのに、何でマドンナは、わざわざ否定を意味する接頭辞の「dis」まで付けたハッシュタグなんか書き足しちゃったんだろう?‥‥って疑問に思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、この「ニガー」という言葉は、もともとは差別用語じゃなかった。ラテン語の「黒」を意味する「negro(ネグロ)」を語源として、アフリカ系の黒人のことを「Negroid(ネグロイド)」と呼ぶようになったのがルーツだ。これはもちろん差別用語じゃなくて、ちゃんとした学術用語だ。あたしたち黄色人種は「モンゴロイド」、白人は「コーカソイド」、そして、オーストラリアやニューギニアなどのオセアニアから、フィリピンやタイやスリランカにかけて分布してる「オーストラロイド」、これが地球の「四大人種」だ。
つまり、肌の色で言えば、「コーカソイド」→「モンゴロイド」→「オーストラロイド」→「ネグロイド」ってふうに濃くなってくワケだけど、当然のことながら、これらの呼び名は差別用語じゃない。で、このアフリカ系の黒人を指す「ネグロイド」という学術用語が、英語圏では発音が「ニグロイド」になり、「ニグロ」に省略された。日本でも、男性のパンチパーマよりも短いチリチリのパーマのことを「ニグロパーマ」って呼んでたし、今でも地方の理髪店とかだと「ニグロ」と呼んでるとこもある。
そして、この「ニグロ」が「ニガー」に変化したワケで、言葉のルーツだけを見れば、差別的な要素は見当たらない。事実、「ニグロ」が「ニガー」に変化したのは、黒人に対する愛称的な意味合いからだった。もともとは白人が殖民地の現地人に対して使ったりしていた呼称で、奴隷貿易の時代に入ってさえも、それほど侮辱的なニュアンスはなかったと言われてる。だけど、時代が進み、黒人が奴隷から解放されて白人と同じように人権を認められるようになっていく過程で、思考や思想の偏った人種差別者たちが、侮辱的な意味を込めて「ニグロ」や「ニガー」という呼称を使うようになった。
これって、日本における「シナ」と似たような感覚だ。昔の日本では、中国や中国人のことを普通に「支那」とか「支那人」と呼んでたし、政府間の公式の書面とかでも「日中ホニャララ」じゃなくて「日支ホニャララ」って言葉を使ってた。だけど、1946年に中国側から「今後は支那という呼称は避け、わが国を中華民国と呼び、略称は中国とするように」という通達があったため、日本では呼称を改めることになった。
だから、現在の日本では、一部に「支那そば」とか「東シナ海」とかの言葉は残ってるけど、中国や中国人のことをわざわざ「支那」とか「支那人」とかって言うのは、中国に対して敵意や悪意を持ってる人たちの中の、一部の人種差別主義者だけだ。マトモな思考回路の人たちは、たとえ中国に対して敵意や悪意を持ってても、呼称に関しては普通に「中国」や「中国人」と言ってる。
‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、マドンナが使ってバッシングされることになった「ニガー」という言葉も、もともとは差別語じゃなかった。だけど、どんな言葉でも、その言葉を使う人たちが差別的な意味として使い続けていれば、ジョジョに奇妙に差別語へと変化していく‥‥ってワケで、この「ニガー」、日本語だと「黒ん坊」とか「黒奴」と訳されるけど、これも差別語だから、現在の日本では、テレビや新聞などでは基本的に使うことができない。この言葉を含んだ過去の文献や音源などをテレビや新聞などで紹介する場合は、その部分を消すか、註釈を入れるのが一般的だ。
ちなみに、日本語の「黒ん坊」というのは、赤ちゃんのことを「赤ん坊」というように、多くの人が「見た目から付けた呼び名」だと思ってるけど、実は、意外なルーツがある。宝永5年(1708年)に日本にやってきたキリシタンの宣教師、ジュアン・シドチから聞いた西洋の話を学者の新井白石がまとめた『西洋紀聞』の中に、次のような記述があるのだ。
「按ずるに、この国の南地に、コルンボと称ずる所あり。その人色黒し。漢にいう所の崑崙奴、あるいはこれなり。ヲヲランド人の説に、およそ赤道に近き地の人、ことごとく皆クロンボにして、その性慧ならずという。そのクロンボというは、コルンボの音の転ぜしにて、その人色黒きをいうなり(ここに、黒色をクロシという。されど、近俗、人の色黒きを、クロンボというは、もとこれ番語に出づ)」
「この国」というのは「セイロン」のことで、「コルンボ」というのは「コロンボ」のことだ。つまり、日本語の「黒ん坊」は、たまたま肌の色の黒い人たちが住んでいた国名の「コルンボ」が変化したもので、「黒ん坊」の「黒」も「坊」もアテ字だったのだ‥‥ってなワケで、ここで大問題が発生しちゃった!アフリカ系の黒人を指す「ネグロイド」から発生した差別的呼称が「ニガー」だけど、日本語の「黒ん坊」は「コロンボ」がルーツ、この国に住んでるのはシンハラ人などのスリランカ人なんだから、さっき書いた「四大人種」で言えば、「ネグロイド」じゃなくて「オーストラロイド」なのだ。
だから、言葉のルーツだけで言えば、「ニガー」と「黒ん坊」はイコールじゃない。さっき、「コーカソイド」→「モンゴロイド」→「オーストラロイド」→「ネグロイド」って順番で肌の色が濃くなってくって書いたけど、「コーカソイド」である白人たちが「ネグロイド」に対して使ったのが「ニガー」であり、「モンゴロイド」である日本人が「オーストラロイド」に対して使ったのが「黒ん坊」ってことになる。
だけど、時代が流れるうちに、日本語の「黒ん坊」という言葉も、「ニガー」と同じにアフリカ系の黒人を指すようになってきた‥‥っていうか、日本人の場合は、「オーストラロイド」も「ネグロイド」もひっくるめて、自分たちよりも肌の色が濃い民族は、みんなまとめて「黒ん坊」と呼ぶようになった。まだ「黒ん坊」という言葉が差別語とされてなかった時代に書かれた小説などでは、アフリカのどこかの村のナントカ族も、東南アジアの密林に住むナントカ族も、戦後の進駐軍の中の黒人兵も、日本人はみんなまとめて「黒ん坊」って呼ぶようになった。これは、もちろん差別的な意味合いじゃなくて、区別的な意味合いだ。今でこそ「黒ん坊」という言葉を表立って使うことはほとんどなくなったけど、30~40年くらい前までは、小説などでもワリと普通に使われてた。たとえば、1969年に刊行された阿佐田哲也(色川武大)の麻雀小説『牌の魔術師』(角川文庫)に収録されてる「黒人兵キャブ」の中には、次のような記述がある。
「キャブとはもう大分前からの顔見知りだ。二、三度打ったことがあるが、総体的に麻雀は弱い黒ン坊の中でもピカ一だ。バイニン仲間では、チョンボのキャブという通り名がある。一日、一度はチョンボをするというのだ。」
これは、敗戦後、日本にやってきた進駐軍の兵士たちに麻雀を教えてカモにしてたバイニンたちの話なんだけど、登場人物のセリフとして「黒ン坊」という言葉が使われてるんじゃなくて、普通の文章の中で使われてる。この文脈なら「黒人兵」という言葉でも意味が通じるのに、普通に「黒ン坊」という言葉が使われてる。これは、この言葉を使うことで対象者を貶めようなどという差別意識などなく、もっと軽い気持ちで、それこそ黒人たちに対する愛称のような感覚で「黒ン坊」という言葉が使われていることを物語っている。
で、「黒ん坊」という言葉が使われてる小説なんていくらでもあるのに、何であたしがこの『牌の魔術師』を引用してるのかと言えば、ここには、この差別語を理解する上で、とても重要な表現が出てくるからだ。それは、先ほどの引用箇所の少し前に出てくるんだけど、主人公のオヒキ(コンビで打つ時のパートナー)の近藤がイカサマで大三元をあがった時、それに腹を立てたジェファーソンという白人の軍曹が言うセリフだ。
「糞ッ、黄色ン坊奴!」
この「黄色ン坊奴」という言葉には「イエロー・ニガー」というルビが振られてる。つまり、実際には「シット!イエロー・ニガー!」とか「ファック!イエロー・ニガー!」とか言ったワケで、それを日本語で表記した‥‥っていう形になってる。アメリカの白人が日本人を侮辱して呼ぶ場合、一番多いのは「ジャップ」だけど、他には「イエロー」という色がよく使われる。有名なのは「イエロー・モンキー」で、日本のロックバンドの「ザ・イエロー・モンキーズ」は、この日本人に対する侮辱的な呼称をあえてバンド名にするというシニカルなスタイルをとった。
他にも、アメリカ人の男になら誰にでも抱かれるパンツのゴムのゆるい日本人のバカ女のことを「イエロー・キャブ」と呼ぶ。これは、アメリカのシカゴにある大きなタクシー会社の名前なんだけど、「黄色いボディーで誰でも乗せる」という意味から、日本人のバカ女を指す侮辱的なスラングとして使われるようになった。そして、これを逆手にとって事務所名にしたのが、巨乳アイドルを売り物にした日本の芸能プロダクションの「イエロー・キャブ」だ。
で、最初に挙げた「イエロー・ニガー」だけど、もちろん、これは、阿佐田哲也さんが作った造語なんかじゃなくて、主にアメリカの白人が日本人を侮辱する時に、よく使われる呼称だ。何ていうタイトルか忘れちゃったけど、何年か前に観たアメリカ映画の中でも、日本人らしき東洋人に対して、白人が「イエロー・ニガー!」と罵倒するシーンがあった。
‥‥そんなワケで、日本人が進駐軍の黒人兵のことを「黒ん坊」と呼び、白人の軍曹が日本人のことを「イエロー・ニガー」と罵倒するシーンが登場する麻雀小説『牌の魔術師』が刊行された1969年、海の向こうのアメリカでは、メンバーに黒人と白人が混在するファンクロックバンド「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」が、4枚目のアルバム『Stand!』をリリースした。当時は、まだ、アメリカ国内でも人種差別が横行していたため、このアルバムには物凄い風刺の楽曲が収められた。それが、A面2曲目の「Don't Call Me Nigger, Whitey」だ。
「Don't Call Me Nigger, Whitey.」「Don't Call Me Whitey, Nigger.」
当時の前衛的でサイケデリックな演奏をバックに、「俺を黒ん坊と呼ぶな、白ん坊野郎」「俺を白ん坊と呼ぶな、黒ん坊野郎」と繰り返すこの楽曲は、同じ国で同じ言語を話して暮している人間同士が、肌の色の違いだけでお互いを侮辱し合うことのバカバカしさを厳しく風刺していた。そして、歴史に埋もれかけていたこの楽曲に息を吹き込んだのが、ロックバンド「ジェーンズ・アディクション」のペリー・ファレルだった。
アメリカでは、1991年から「ロラパルーザ」という大規模なロックフェスが行なわれてるんだけど、このフェスの特徴は、ロックだけに限定せずに、ヒップホップなどの他のジャンルの音楽や、詩の朗読、コメディアンのショー、美術作品の展示など、垣根を超えたサブカルチャーが網羅されてることだ。だけど、このフェスって、もともとは「ジェーンズ・アディクション」の解散ツアーとして行なわれたものだった。普通のバンドの解散ツアーは、そのバンドだけが全国を回るものだけど、ペリー・ファレルは、それじゃつまらないのでいろんなバンドやミュージシャンに声を掛けて、自分たちの解散ツアーを「フェス」にしちゃえ!って考えたのだ。
そして、1991年の第1回「ロラパルーザ」で、前代未聞のコラボが炸裂した。オルタナティヴ・ロックバンドである「ジェーンズ・アディクション」と同じステージに登場したのは、スラッシュメタル・バンドの「ボディ•カウント」のボーカルであり、ソロのラッパーとしても有名なアイス・Tだった。そして、演奏が始まった。20年以上前の楽曲、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Don't Call Me Nigger, Whitey」だった。
黒人であるアイス・Tが「Don't Call Me Nigger, Whitey」と歌う。それを受けて、白人であるペリー・ファレルが「Don't Call Me Whitey, Nigger」と返す。2人は向かい合ったまま、相手への憎しみをタップリと込めて、このフレーズを歌い続ける。そして、人種差別という時代遅れの行為の愚かさを、会場を埋め尽くした人たちに伝えていった。このパフォーマンスには大きな反響があり、ペリー・ファレル自身も、のちに音楽雑誌のインタビューに対して「ロラパルーザの大きな5つの思い出」の1つに挙げている。
‥‥そんなワケで、このパフォーマンスの実際の映像は最後にリンクしとくけど、あたしたち日本人の多くは、アメリカの大統領が北朝鮮やイラクのことを「テロ国家」と呼んでも、特に違和感も覚えないし、正直、「他人事」って感じの人もいると思う。そして、アメリカの白人が黒人のことを「ニガー」と呼んで侮辱しても、あたしたち日本人の多くは、「他人事」だと思ってる。だけど、第二次世界大戦の時には、日本はアメリカから「テロ国家」と呼ばれてたし、日本兵たちは「テロリスト」と呼ばれてたのだ。これと同じで、あたしたち日本人は、一部の白人たちから「イエロー・ニガー」って思われてる。だから、どちらも「他人事」じゃないんだよね。だけど、あたしは、こういうのって、ホントに愚かで、ホントにバカバカしいと思ってる。同じ地球で暮らしてる同じ人間同士が、肌の色の違いなんかで相手を毛嫌いしたり侮辱したりするなんて‥‥。だから、あたしは、黒鹿毛も鹿毛も栗毛も青毛も芦毛も白毛も、みんな仲良く走ってる競馬が好きなのかも知れない‥‥なんて思った今日この頃なのだ(笑)
■Jane's Addiction & Bodycount - Don't Call me Whitey, Nigger■
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