水平線の彼方に
ずーーーーーーーーっと忘れてたことを、何かの拍子に思い出すことってあるよね?あたしは、何日か前のラジオの深夜放送で、某お笑い芸人のコンビのトークを聴いてて、片方が片方に「これじゃあ、いつまで経っても話が平行線だから」って言った瞬間、25年以上も前の高校1年生の時のことを思い出しちゃった。
「話が平行線」なんて表現は、ものすごく一般的だから、ここ10年だけを見ても、テレビやラジオ、小説などで、絶対に何度かは目にしてきたハズだ。だけど、その時には高校1年生の時のことは思い出さなかった。それなのに、数日前、ラジオの深夜放送で、お笑い芸人のコンビのボケ担当の人が、ツッコミ担当の人に一方的に罵倒されてて、さんざん罵倒されたあとに、ボケ担当の人が「これじゃあ、いつまで経っても話が平行線だから」って言った瞬間、「あっ!」って思い出した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、25年ちょい前のあたしは、東京の区立の中学校から都立の高校へ進学したんだけど、学区域の問題とかもあって、あたしは極めてマイノリティーだった。新入生の7割から8割が地元のA中学かB中学からの子たちで、あたしと同じ中学から来たのは1割以下だった。その上、高校1年生のクラスで、あたしと「オナチュー(同じ中学)」だった5人のうち、4人は中学の時に他のクラスの子でほとんど知らない子だったし、唯一、中学の時に同じクラスだった女の子、T美も、中学の時には何かの授業で同じ班になった時に、必要最小限の会話しかしたことのないような子だった。
だから、あたしは、高校で新しいお友達を作ろうと思ったんだけど、マジョリティーなA中学やB中学から来た子たちは、初日からワイワイと仲良くグループを作っちゃって、あたしみたいなヨソ者が入り込む余地なんかない。で、しばらくは様子を見ようかと思ってたのもトコノマ、あたしと同じくヨソ者感がマンマンだったT美が、急になれなれしくあたしに話しかけて来た。T美にとって、この異国情緒あふれるクラスの中で、あたしだけが「言葉の通じない海外で見つけた、たった1人の日本人」だったんだろう。
で、中学時代はほとんど話したこともなくて、彼女はあたしのことを苗字に「さん」を付けて呼んでたハズなのに、ここではショッパナから「きっこちゃん」と来たもんだ。中学時代、あたしのことを「きっこ」と呼んでたのは数人の親友だけだし、「きっこちゃん」と呼んでたのも限られた身内だけだったのに、彼女にとって「異国で出会った日本人」のあたしは、ナニゲに「昔からの親友」に昇華しちゃったみたいだ。
でも、あたしもそれなりに心細かったので、中学時代には苗字に「さん」を付けて呼んだことしかなかったT美のことを「Tちゃん」なんて呼んじゃって、あたしとT美は、高校の初日から「中学時代から仲の良かった親友」を演じるハメになった。ま、それがキッカケで、T美とはホントに仲良くなったんだから別にいいんだけど、そんなことよりも何より強烈だったのが、あたしのクラスに、A中学で勉強もスポーツもトップクラスのモテモテ男がいたことだ。
25年以上も経って、もう完全に時効だと思うから、今回は本名で書いちゃうけど、その彼は「栗林くん」て言って、今で言うと、顔は俳優の反町隆史とかジャニーズの亀梨和也みたいな感じのワイルド系で、でもメガネを掛けてるインテリ系で、勉強がメッチャできるのに、高校でも中学からやってたテニス部に入って、まさに少女マンガのヒーローみたいな男の子だった。当然、A中学から来た女の子たちは、栗林くんと同じクラスになれたことで狂喜乱舞してたし、B中学から来た女の子たちも騒いでたし、女の子だけじゃなく、男の子たちも我れ先に栗林くんの取り巻きになろうとしてた。栗林くんと仲良くなれれば、自分もオコボレにあずかれるとでも思ったんだろう。
‥‥そんなワケで、高校1年生の1学期、あたしのクラスは「栗林くんフィーバー」が吹き荒れた。休み時間のたびに、栗林くんの席の周りには何人ものクラスメイトが取り囲み、昼休みにはヨソのクラスから栗林くんを見に来る女の子たちまでいた。部員が少なかったテニス部も、栗林くんが入部したとたんに、一気に20人以上も部員が増えた。何よりもぶっ飛んだのは、栗林くんがお昼に購買部で焼きそばパンを買ったら、それからと言うもの、焼きそばパンが人気になって、連日、アッと言う間に売り切れるようになったことだ。
で、あたしはと言えば、今だからこそクールな書き方をしてるけど、当時は、あたしもミーハーの1人だった。さすがに、自分から積極期に声を掛けることなんてできなかったけど、T美と2人になると、いつも話題は栗林くんのことだった。何の授業でも、先生に指されると落ち着いた口調で理路整然と回答する栗林くんのことを、あたしはマジでカッコイイと思ってた。でも、その反面、勉強もスポーツも万能で、その上、外見もカッコ良くて異性からも同性からも憧れられてる栗林くんのことを、どこか面白くないと思ってる自分がいることにも気づいてた。
そして、1学期が終わって夏休みに入り、あたしはバイト三昧の生活が始まり、しばらくの間、栗林くんのことは忘れてた。あたしは、中学生の時に続けてた新聞配達のバイトを高校生になってやめたから、高校では夏休みと冬休みに重点的にバイトをして、それで自分の学費を払い、残りをぜんぶ母さんに渡してた。今だから言うけど、年齢をごまかして夜のバイトもやった。毎日、朝早くから夜遅くまで働きづめの母さんに、少しでも休んでほしいと思ったからだ。
‥‥そんなワケで、2学期が始まると、ナニゲに面白い授業が始まった。今なら「ディベート」って言葉を多くの人が知ってると思うけど、25年前のあたしたちは「はあ?」って感じで、最初は何のことだか理解できなかった。先生が言うには、アメリカの高校などでは普通に行なわれてる授業で、毎回、1つのテーマを決めて、それについて「賛成」と「反対」で討論するというものだそうだ。今では多くの高校でやってると思うけど、当時は斬新で、あたしの高校では、「試しに一時的に導入してみる」的な感じで、月に2回、2週間に1回の討論会だった。
クラスをAからFまでの6つの班に分けて、その中から2つの班を選ぶ。たとえば、今回、A班とB班が選ばれたら、C班からF班までは傍聴に回る。で、たとえば、今回のテーマが「日本の成人年齢の20歳を18歳に下げるべきか」っていうのだったら、A班は「下げるべき」、B班は「下げるべきではない」ってことに決められて、その前提で討論して、相手を納得させなきゃならない。だから、自分の意思や考えとは関係ない。あたしが「成人年齢は下げたほうがいい」って思ってても、あたしがB班なら自分の考えとは逆の「下げるべきではない」ってことを力説しなきゃならないのだ。これが今で言う「ディベート」ってワケで、当時のあたしたちは「討論会」と呼んでた。
で、今ならインターネットがあるから、パソコンがあればその場でいくらでも情報やデータを集めることができるけど、当時はインターネットなんかない。だから、事前にテーマが出される。その回の討論会が終わると、先生が次回の2班を決めて、次回のテーマを発表する。今回、A班とB班が「成人年齢の引き下げ」について討論したとしたら、先生が「次回はC班とD班、テーマは『原子力発電を今後も推進すべきか』です」って発表する。
ここでのポイントは、次回のC班とD班のどちらが「賛成」でどちらが「反対」になるのか、この時点では分からないということだ。だから、C班のメンバーもD班のメンバーも、自分たちが「賛成」になった場合と「反対」になった場合を想定して、両方のパターンの情報やデータを2週間後までに収集しなきゃならない。図書館に行き、原発関連の書籍をカタッパシから読んで、原発の長所と短所をそれぞれノートに書き写し、どちらの立場になっても相手を論破できるだけのネタを仕入れなきゃならない。
だけど、ここからが「ディベート」の面白いとこで、条件的には明らかに劣勢な立場であっても、相手がモノゴトを理論立てて話すのが苦手な人で、こっちが立て板に水の屁理屈野郎だったりすると、うまいこと相手を言いくるめることができちゃうのだ。あたしの高校の討論会では、最終的には傍聴に回ってた4班の人たちが挙手をして優劣を決めてたから、ようするに「口が達者な人がいる班」に軍配が上がることが多かった。
‥‥そんなワケで、高校1年生の2学期から、突然、始まった「討論会」なんだけど、ようやくみんなが慣れ始めた4回目、とうとうあたしの所属するF班に順番が回って来た。相手は、ナナナナナント!あの栗林くんがいるB班だった。あたしたちF班は初めてだけど、B班は最初に討論してて、その時は、B班のエースである栗林くんが、立て板に水の大演説で相手を論破して、ミゴトに勝利してたのだ。つまり、相手は2回目で、あたしたちは初めてで、すでにハンデがあったワケだ。
あたしたちに出されたテーマは、「死刑制度の是非」という重たいもので、今ならともかく、高校1年生のあたしにとっては、自分とは無関係の遠い世界の話だった。でも、あたしは、同じ班だったT美と何度も図書館に行き、学校の図書館じゃ足りないから区の図書館にも行き、死刑に関する本を読みあさった。そして、死刑制度の長所と短所を箇条書きにして、班のメンバーを半分に分けて、「賛成」と「反対」とで討論会のシミュレーションまでやった。
討論会は、班のメンバーが好き勝手に発言するんじゃなくて、代表同士が順番に主張して、決められた質問タイムに相手に質問する形なので、とりあえず、あたしたちF班の代表を決めなきっゃならない。相手のB班は、絶対に栗林くんが代表だから、あたしたちは栗林くんに負けないような口の達者な代表を選ばなきゃならない。だけど、あたしのF班は、言っちゃ悪いけど、クラスでも地味な人たちの集まりだった。だから、必然的に、あたしが代表にならざるをえなかった。
‥‥そんなワケで、ついに決戦の時が来た!‥‥ってのは大ゲサで、あたしたちF班のメンバーも、相手のB班のメンバーも、他の班の人たちも、誰も大して何とも思ってなかったけど、討論会の日がやって来た。最初のクジ引きで、あたしたちF班は「死刑制度に賛成」で、相手のB班が「死刑制度に反対」になった。ま、どっちでもいいんだけど、あたし的には「死刑制度に賛成」だったから、あたしは自分の思ってることを素直に主張をすることになった。
さすがは栗林くん、あたしたちが調べたことはすべて調査済みで、ノートを見ながら、先進国の中で死刑制度を廃止した国々を挙げ、その理由や現状などを述べて行き、死刑制度がいかに非人道的であるか、死刑制度が国家による殺人であることなどを淡々と話して行き、自分の持ち時間ピッタリに着席した。それを受けてのあたしは、ある程度は言うことを準備してたのに、栗林くんの主張があまりにも素晴らし過ぎて感心しちゃってたから、すでにヘビに睨まれたカエル状態だった。
今、思い出しても赤面しちゃうほど噛みまくり、自分でも何を言ってるのか分からなくなり、隣りのT美から「落ち着いて!」って言われたことで、さらに焦りまくっちゃって、ここ一番に用意しといたオヤジギャグで大スベリして、もはや絶体絶命!あたしはワケが分からなくなり、「とにかく死刑は必要です!何が何でも必要です!必要だったら必要です!」とか言っちゃって、もうボロボロの支離滅裂!
そして、クラス中の誰もが、あたしたちF班の大惨敗だと確信した瞬間、静かに立ち上がった栗林くんが、人差し指でメガネをスッと持ち上げて、勝ち誇った顔で、こう言ったのだ。
「このままじゃ議論が水平線なので、この辺で決を採りましょう」
えっ?「水平線」って?‥‥あたしは席に座ったまま、反射的に言っちゃった。
「水平線って何だよ!それを言うなら平行線だろ?」
一拍おいて、クラス中が大爆笑!先生まで大爆笑!数秒前まで勝ち誇った顔をしてた栗林くんは、顔を真っ赤にして下を向いてる。結局、議論ではあたしたちF班が完全に負けてたんだけど、最後の「水平線」のバカ受けで、F班の勝ちに挙手してくれた人が少しだけ多くて、あたしたちは討論会に勝っちゃったのだ!
‥‥そんなワケで、この討論会に勝ったとか負けたとかはどうでもいいんだけど、そんなことよりも、気の毒なのは栗林くんだ。栗林くんは、この言い間違いが原因で、翌日から「ホライズン栗林」というアダ名を付けられてしまい、わざわざ廊下や体育館や校庭で、彼のことを大声で「おーい!ホライズーン!」なんて呼ぶ男子まで現われて、彼の恥ずかしい言い間違いは、他のクラスの女の子たちにまで知れ渡っちゃった。男子の中には、勉強もスポーツもできる上に、二枚目で女の子にモテモテの栗林くんのことを、内心、面白く思ってなかった子も少なくなかったのだ。結局、栗林くんは、卒業するまで「ホライズン」と呼ばれ続け、風の噂によると、大学でも「ホライズン」と呼ばれてたらしい‥‥ってなワケで、たまたま聴いた深夜放送をキッカケに、こんなバカバカしい出来事を、25年ぶりに思い出しちゃった今日この頃なのだ(笑)
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