プリキュア放送500回を迎えて
今、放送してる「ハピネスチャージプリキュア!」は、「プリキュア10周年」を記念して、冒頭に歴代のプリキュア戦士が1人ずつ登場してお祝いのメッセージを言ってるけど、おとといの5月4日に放送された14話「ヒーロー登場!あいつはいかしたすごいやつ!!」で、とうとうプリキュアは「放送500回」を迎えた!おめでとう!ありがとう!プリキュア!
最初の「ふたりはプリキュア」で、雪城ほのかのおばあちゃん役をやった野沢雅子さんは、第1話のアフレコが終わったあとに、他の声優さんやスタッフのいる前で「絶対に10年続くシリーズにしようね!」って言ったそうだ。まだ1話も放送されていない時点での言葉なので、周りの人たちは誰もが「そのくらいの意気込みでがんばろう」という意味だと思ったそうだ。だけど、この時の野沢雅子さんの言葉が、ホントになった!プリキュアシリーズは10年続き、ついに11年目に突入し、今回の放送で記念すべき500回を迎えたのだ!
そして、10年前の最初の「ふたりはプリキュア」の第1回目の放送から、おとといの放送まで500回、1回も見逃さずにプリキュアをぜんぶ観てきたあたしにも、おめでとう!‥‥ってなワケで、あたしはあたしに「プリキュア皆勤賞」を贈りたいと思う(笑)
つーか、あたしの場合、この「プリキュア」のシリーズの前の「明日のナージャ」もぜんぶ観てるし、その前の「おジャ魔女どれみ」のシリーズも4年間ぜんぶ観てるし、その前の「夢のクレヨン王国」も1年半ぜんぶ観てるし、その前の「花より男子」も、その前の「ご近所物語」も、その前の「ママレード・ボーイ」もぜんぶ観てる。だから、「プリキュア皆勤賞」というよりも、「テレ朝の日曜日の朝8時半からのアニメ皆勤賞」を自分自身に贈りたいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今日は「プリキュア500回」を記念して、あたしのプリキュアに対する熱い思いを語りまくろうと思うんだけど、まずはザックリと、ここまでのプリキュアの歴史を見てみよう。
第1作「ふたりはプリキュア」 全49話 (2004年2月1日~)
第2作「ふたりはプリキュア Max Heart」 全47話 (2005年2月6日~)
第3作「ふたりはプリキュア Splash Star」 全49話 (2006年2月5日~)
第4作「Yes!プリキュア5」 全49話 (2007年2月4日~)
第5作「Yes!プリキュア5 GoGo!」 全48話 (2008年2月3日~)
第6作「フレッシュプリキュア!」 全50話 (2009年2月1日~)
第7作「ハートキャッチプリキュア!」 全49話 (2010年2月7日~)
第8作「スイートプリキュア♪」 全48話 (2011年2月6日~)
第9作「スマイルプリキュア!」 全48話 (2012年2月5日~)
第10作「ドキドキ!プリキュア」 全49話 (2013年2月3日~)
第11作「ハピネスチャージプリキュア!」 現在14話 (2014年2月2日~)
「歴史」と言っても、ただ単にシリーズを列挙しただけだけど、この中で、あたしが本当のプリキュア、真のプリキュアだと認めているのは、最初の「ふたりはプリキュア」、通称「無印」だけだ。ものすごくプリキュアのラインをゆるくすれば、「Yes!プリキュア5 GoGo!」くらいまではプリキュアと呼んでもいいかな?‥‥って感じだけど、もともとの出発点が「ふたりはプリキュア」、つまり、女の子2人の「友情と愛情のハザマでゆれる乙女心」がテーマの根幹なんだから、プリキュア戦士が3人以上になった時点で、もうプリキュアとは呼べなくなる。
ボーイッシュで活発な美墨なぎさと、フェミニンでやさしい雪城ほのか、まったくタイプが違い、クラスでもほとんど交流のなかった2人が、偶然にも同じプリキュア戦士に選ばれたことで、誰よりも強い絆で結ばれていくことになり、その友情は、時として愛情へと昇華しかけたりもする。敵の攻撃で倒れたなぎさの手を、ほのかがギュッとにぎる。必殺技を繰り出す時も、2人は手と手をギュッとにぎり合う。どちらかの家に泊って一緒に寝る時には、なぎさの手にほのかの手がそっと触れている。これが、これこそがプリキュアの原点なのだーーー!!
仲良しの女の子同士だけど、男役の「タチ」と女役の「ネコ」がビジュアルや性格からハッキリしてて、それでいてレズビアンには目覚めていない。限りなく百合系を連想させるビジュアル設定なのに、どちらかに片思いの男の子がいれば、もう一方はその恋を応援したりしちゃう。ああ、胸の奥がゾワゾワしちゃって、もう観てらんなーーーい!‥‥って、この「ゾワゾワ感」こそが百合キュアの原点なのだーーー!!
はぁ‥‥はぁ‥‥はぁ‥‥ちょっと落ち着いて、客観的な視点からのことを書くけど、こんなふうに「ふたりはプリキュア」を観てた、あたしみたいな「不謹慎な大人」がたくさんいたせいで、続編の「ふたりはプリキュア Max Heart」では、キュアブラックのコスチュームが「へそ出し」じゃなくなっちゃった。ブラックの縦長のおへそに萌えてたあたし的には、これは制作サイドがプリキュアから百合色を希薄にしていく作戦に出た「宣戦布告」と理解した。
あたしみたいな世の中の「不謹慎な大人」たちが醸し出す変な空気を感じ取った制作サイドは、本来のターゲットである幼い女の子たちの親からクレームが来ないように、作品から百合色を排除していくことにしたのだ。だから、続編の「ふたりはプリキュア Max Heart」では、ブラックのおへそが見られなくなっただけじゃなくて、これまでずっと2人だけで戦ってきたのに、後輩の九条ひかりがシャイニールミナスになって戦うという「3人体制」になっちゃった。
たとえば、なぎさの部屋にほのかがきて2人で宿題をやっていると、ずっと2人きりの空間だったし、邪魔しにくるのは、なぎさの弟だけだった。だから、たとえ邪魔しにきても、観てるあたしはイライラしない。でも、続編になってからは、なぎさとほのかが向かい合って座ってるなぎさの部屋のテーブルなのに、真ん中に九条ひかりがチョコンと座っている。何でお前がいるんだよ!あ゛~~~イライラしちゃう!これじゃあ「おジャ魔女どれみ」ならぬ「おジャマ虫ひかり」じゃないか!
‥‥そんなワケで、皆さんご存知のように、プリキュアには「関連するオモチャをたくさん売らなければならない」という大人の事情がある。これは、番組のスポンサーが大手の玩具メーカーだからで、プリキュアに限らず、仮面ライダーのシリーズにしても、戦隊ヒーロー物のシリーズにしても、玩具メーカーがメインスポンサーの子ども向け番組は、すべて、オモチャの売り上げのために制作されている。だから、対象である子どもたちに支持されないと話にならないのは当然として、その子どもたちにオモチャを買い与える親たちにも気に入られないとダメなのだ。
だから、劇場版「ふたりはプリキュア Max Heart 2 雪空のともだち」の中で、ホワイトが敵に操られてしまってブラックと戦うことになるシーンに関して、全国の多くの親からクレームがあったので、それ以来、プリキュア同士の戦いはタブーになっちゃった。小さな女の子を持つ親にとっては、絶対に仲間同士で戦ったりしない仲のいいプリキュアこそが「子どもに観せてもいい健全なプリキュア」なのだ。
「ドラえもん」の場合は、テレビだといつものび太をいじめてるジャイアンやスネ夫が、劇場版になるとみんなで協力してピンチを乗り越える‥‥ってとこが魅力なワケだけど、いつも仲がいいなぎさとほのかは、この映画の中では、冒頭からギクシャクしちゃう。そして、なんとなく変な雰囲気のままストーリーが進み、とうとうプリキュア同士で戦うハメになっちゃう。だからこそ、そのあとの展開が最高で、あたしは、これまでの劇場版プリキュアの中で文句なしの最高傑作だと思ってるんだけど、これは、2人の百合色を楽しんでる、あたしみたいな「不謹慎な大人」の感想であって、世の中の親たちには、残念ながら受け入れられなかった。
で、制作サイドとしては、「不謹慎な大人」よりも、子どものためにオモチャを買ってくれる親たちに気に入られないと意味がないので、ここからプリキュアは、あたしの望まない方向へと進んでいくことになる。人数も増えて、「健全な友情」を前面に押し出して、「女の子同士の百合的な秘密」を感じる要素は皆無になっていく。その最大のキッカケになったのが、3作目の「ふたりはプリキュア Splash Star」だ。これは、プリキュアシリーズ最大の失敗作なんだけど、何よりの失敗は、主人公の2人を別人に変えてしまったことだった。
予想外の人気でシリーズ化された「おジャ魔女どれみ」の場合は、最初の「無印」で主人公の春風どれみが小学3年生の設定だったので、翌年の「おジャ魔女どれみ♯」では4年生になり、翌年の「も~っと!おジャ魔女どれみ」では5年生になり、翌年の「おジャ魔女どれみドッカ~ン!」では6年生になった。だから、最初の「無印」でファンになった子たちは最後の4作目まで観続けたし、関連するオモチャもたくさん売れ続けた。だけど、「ふたりはプリキュア」の場合は、最初の「無印」が中学2年生で、続編で中学3年生になっちゃったから、もうアトがない。サスガに高校生になっちゃうと、対象としてる子どもたちとの年齢差が大きくなりすぎちゃうので、まったく別の中学2年生の2人を主人公にした、まったく別の「ふたりはプリキュア」が作られた。
だから、なぎさとほのかが好きだったファンの多くが去ってしまい、オモチャの売り上げは劇的に減少しちゃった。具体的な数字で言うと、最初の「ふたりはプリキュア」のオモチャの売り上げが約101億円、2作目の「ふたりはプリキュア Max Heart」のオモチャの売り上げが約123億円だったのに対して、3作目の「ふたりはプリキュア Splash Star」では、約60億円になってしまった。事実、プリキュアシリーズの生みの親である鷲尾天プロデューサーも、3作目の「ふたりはプリキュア Splash Star」については、次のようにコメントしている。
「(Splash Starは)ビジネス的な側面が良くなかった。玩具や商品全般の売り上げが落ちました。印象なんですが、飽きられたところがあったのではと思いました。やっていることは悪くないはず、というイメージをずっと思っていたのでショックが強かった。シリーズを変えなきゃいけないという決断をしたのに、そういう結果が起きている、作っていることは悪くないはずだ、という思いをずっと抱えたまま1年で終わる。消化しきれない思いがあった。」
(「プリキュア新聞」2014年春号より)
これが、大手玩具メーカーをメインスポンサーにした子ども向け番組の何よりも辛いところだろう。たとえば、この時間帯に、「ママレード・ボーイ」の前に放送していた「GS美神(ゴーストスイーパーみかみ)」は、最高視聴率が18%もあったのに、関連のオモチャの売り上げがイマイチだったために、最初の予定の1年だけで終了になった。もしも100億円近い売り上げがあれば、翌年には続編が放送されていたはずだ。同じように、「花より男子」も、アニメはそれなりに人気があったのに、関連商品の売り上げが悪かったから、「ママレード・ボーイ」から続いてきたトレンディーアニメ路線は打ち切られ、幼児向けの「夢のクレヨン王国」が始まった。
ずっと前にも書いたことがあるけど、あたしは、この「夢のクレヨン王国」が大好きで、「不思議の国のアリス」と「ドラゴンクエスト」をミックスしたような世界観に夢中になった。当時のあたしは、事務所を辞めて独立したばかりで、仕事も生活もすごく厳しい時期だったけど、このアニメを観てる時だけは現実を忘れることができた。そして、この「夢のクレヨン王国」を制作した人たちが、大人気シリーズとなる「おジャ魔女どれみ」を生み出したのだ。
‥‥そんなワケで、どんなに人気があっても、どんなに視聴率が良くても、関連するオモチャや商品が売れないと「失敗作」と見なされる厳しい世界だってことは良く分かる。だけど、「フレッシュプリキュア!」から酷くなり始めて、今の「ハピネスチャージプリキュア!」でとうとう臨界点に達してしまった、まるで「オモチャの長編CM」のような内容のプリキュアばかりを観せられてると、サスガに食傷気味になってくる。あの、なぎさとほのかの世界観はどこへ行っちゃったのか、とっても寂しい気持ちになってくる。
なぎさには、いつも一緒にいるラクロス部の親友、莉奈と志穂がいた。背の高いほうが莉奈で、「マジで、マジで、マジで」とか「てゆーか、てゆーか、てゆーか」とか、何でも3回言うほうが志穂だ。あたしは、なぎさとほのかの2人だけの世界が何よりも大好きだったけど、なぎさがこのラクロス部の3人でいる時も好きだった。初代の「ふたりはプリキュア」には、こうした「生きた中学生活」がちりばめられてた。だけど、今のプリキュアからは、まったく感じられない。「ハピネスチャージプリキュア!」のめぐみが学年最低の成績を取って、再テストで合格しないと補修だと言われても、何だかリアリティーが感じられないのだ。
あたしはプリキュアが大好きなので、あえて厳しいことを言わせてもらうけど、今のプリキュアには何かが足りない気がする。女の子にしか分からない、鼻の奥がツンとするような、胸の奥がジーンとするような、多感な少女時代にタイムスリップするような、「ふたりはプリキュア」で感じられたあの不思議な感覚が、今のプリキュアにはミジンも感じられないのだ。それは、「愛」がないからだと思う。プリキュアとしての「プライド」がないからだと思う。
商業アニメである上に、さらにスポンサーのオモチャを売らなきゃならないという重たい十字架を背負っていても、鷲尾天プロデューサーが試行錯誤しながら手掛けてきた「Yes!プリキュア5 GoGo!」までの5作には、少なからず「愛」と「プライド」が感じられた。だけど、それ以降のプリキュアは、まるでアイドルグループのCDのようになってしまった気がする。アイドルグループのCDは、商業音楽なのだから売れなきゃ意味がない。だから、同じ曲なのにジャケットを複数作ったりカップリング曲を変えたりして1人に複数枚買ってもらう。握手券や投票券を同封して1人に何十枚も買ってもらう。
こうした「売れればいい主義」が蔓延した結果、プリキュア戦士の使う武器や道具も、1作の中で何度も進化したり新しいものが登場したりして、1人の子どもに複数のオモチャを買わせる路線へと進んでいった。分かりやすい例を挙げれば、あと2ヶ月ほどで番組が終わるという年末のクリスマスシーズンが近づくと、プリキュア戦士たちも、仮面ライダーたちも、戦隊ヒーローたちも、みんな新しい武器を使うようになる。
これで消費税まで引き上げられたのだから、小さな子どもを持つ親たちは、さぞかし大変な思いをしていることだろう。そして、こうした背景の中で子ども向け番組を制作してる人たちも、いろんな面で苦労していることだろう。ストーリーを練るよりも、関連商品のマーケティングを優先して、オモチャの売り上げが悪いと番組内でテコ入れをしなくちゃいけないのだから、ホントに大変だと思う。
あたしも大人だから、大人の事情は良く分かるし、何も頭ごなしに「売れればいい主義」を批判しているワケじゃない。あたしが言いたいのは、スポンサーが玩具メーカーだという大人の事情を背負いながらも、初代の「ふたりはプリキュア」のように、作品としても最高レベルのクオリティーを保ち、本来の対象である子どもにも対象外の大人にも支持されて、商業的にも成功した例があるということだ。そして、「おジャ魔女どれみ」の成功例を見れば、ファンの望みが「普遍性」であることが分かると思う。
テレビアニメの「おジャ魔女どれみ」では、主人公の春風どれみの小学3年生から6年生までの4年間が描かれたけど、2004年には、どれみたちの小学5年生の時の小さな秘密の話をオムニバス形式で描いた番外編「おジャ魔女どれみナ・イ・ショ」が制作されて、全13話がスカチャンで放送された。そして、高校生になってからのどれみたちを描いたライトノベル「おジャ魔女どれみ16」「おジャ魔女どれみ17」は現在も続いている。このシリーズは、アニメの脚本を書いていた山田隆司さんが「栗山緑」という別名義で書いていて、アニメのキャラクターデザインを担当した馬越嘉彦さんが挿絵を描いているから、アニメの公式の続編という位置づけで多くのファンから支持されている。
‥‥そんなワケで、あたしは、「プリキュア500回」を記念して、500回ぜんぶを観た自分自身に「プリキュア皆勤賞」を贈ることにしたワケだけど、もしもあたしのほうからリクエストを言っていいのなら、いろんな方面からぶっ飛ばされそうな気配を感じつつ、一応、言ってみる。鷲尾天プロデューサーに、なぎさとほのかが高校生になってからのライトノベルを書いてほしい!「無印」のファンは今もたくさんいるから、絶対にヒットするはずだ!‥‥って、サスガにそれは無理だと思うので、あたしが自分で書いて、自分で読んで、自分だけで楽しもうと思う今日この頃なのだ(笑)
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