蕎麦とウワバミと迷探偵キッコナン
落語のネタになってる食べ物と言えば、「おそば」が多い。「今、何時(なんどき)だい?」でお馴染みの「時そば」を始め、お殿様がメチャクチャなおそばを打って家来たちを困らせる「おそばの殿様」、信州の山でウワバミと出会った商人の清兵衛が江戸に帰ってきてからおそばの大食い大会に出場する「そば清(せい)」、医者が患者の体内から腹痛の原因の虫をおそばの匂いでおびき出そうとする「疝気(せんき)の虫」など、いくつもの噺がある。いろんな噺家さんたちが、畳んだ扇子をお箸に見立てて、「ズズッ!」と美味しそうにおそばを啜りながら、笑いを届けてくれる。
だけど、これは東京を中心とした江戸落語の世界で、大阪を中心とした上方落語の世界になると、「時そば」が「時うどん」に変わったりする。細かいことを言うと、先に上方落語の「時うどん」が生まれて、それを東京用に変形させたものが「時そば」だとも言われてるけど、今や知らない人はいないほど有名な噺になっちゃった。で、江戸落語の噺家さんたちが、これらの「おそば」の噺を演じる時に、かつて、よく使われたマクラが、おそば屋さんでおそばをお汁(つゆ)にジャブジャブとつけて食べてる人を見かけるたびに、おそばの食べ方の講釈をたれる江戸っ子のネタだ。
「そばの食い方も知らないなんて、お前はどこの田舎もんだあ?そんなにジャブジャブと汁につけちまったら、そばの味も香りも分からないじゃねえか!そばってえもんはな、こうやってそばの先を一寸か二寸ほど汁につけて、ススッと手繰るもんなんだ!」
だけど、この男が死ぬ間際に言ったのが、「一度でいいから、たっぷりと汁につけてそばを食いたかった‥‥」って言葉だった。ようするに、ホントはおそばの味や香りなんか分からないくせに、見栄を張って無理をしてた‥‥ってワケで、これは、暗に「江戸っ子は見栄っ張りが多い」「東京もんはカッコをつけてる奴が多い」ってことを笑いにして、東京に対してコンプレックスを持ってる地方出身者たちの溜飲を下げる意味でも多用されたマクラだった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「江戸っ子」や「東京っ子」よりも、地方にルーツを持つ人たちのほうが多くなっちゃった今の東京ではアリエナイザーだけど、昭和の中期ころまでの東京では、地方から上京してきた人たちを小バカにする風潮が強かった。たとえば、おそばをネタにした落語のマクラでも、地方出身者を笑い者にしたものもあった。田舎から上京した人が、東京のおそば屋さんで初めて「ざるそば」を注文したんだけど、食べ方が分からなくて、汁をおそばに掛けたらテーブルがビショビショになっちゃった‥‥ってやつだ。
だから、おそばの食べ方を知らない地方出身者を笑い者にしたネタも、逆に見栄っ張りの東京人を笑い者にしたネタも、どちらにしても、「集団就職で上京」っていう昭和の中期ころまでの背景があってのことで、これらのネタは、時代の流れとともに淘汰されて行った。だから、今さら指摘しても遅すぎるんだけど、この見栄っ張りの江戸っ子のネタって、あたしは、東京の人が自分たちを笑い者にして作ったんじゃなくて、東京のおそばを食べたことがない人が、東京人に対する先入観だけで作ったんじゃないかと思ってる。これは、東京の下町で育ち、食通としても知られてた池波正太郎の次の文章でも明らかになってる。
『江戸っ子は見栄を張って、つゆにちょいと蕎麦をつけて手(た)ぐりこむ。ところが本音は、一度でいいから、どっぷりつゆをつけて蕎麦を食いたい。死ぬ間ぎわに江戸っ子が、「せめて、死ぬ前に、蕎麦をどっぷりつゆにつけて食いてえものだ」といったそうな。この、たとえばなしは、いろいろに流用されているが、ふざけてはいけない。東京の蕎麦の、たとえば「藪(やぶ)」のつゆへ、どっぷりと蕎麦をつけこんでしまっては、とてもとても、「食べられたものではない」のである。あの濃いつゆへ、蕎麦の先をつけてすすりこめば、蕎麦の香りが生きて、つゆの味にとけ合い、うまく食べられるのである。つゆがうすければ、どんな江戸っ子だって、じゅうぶんにつけてすすりこめばいいのだ。』
これは、池波正太郎の『食卓の情景』(新潮文庫)の中の「蕎麦」の項の一節だけど、あたしもホントにこの通りだと思う。東京の老舗のおそば屋さんは、どこもお汁がすごく濃いから、おそばをぜんぶつけたら、しょっぱくて食べられなくなっちゃう。スーパーで売ってるキッコーマンとかヤマキとかの「めんつゆ」で濃縮タイプのやつがあるでしょ?2倍濃縮とか3倍濃縮とかのやつ、あれをお水で薄めずに、原液のまま使ってる感じ。大ゲサじゃなくて、ホントにそれくらい濃い。
だから、おそばの先を数センチだけつけて「ズズッ!」と啜れば、ちょうどいい。おんなじ麺類でも、お素麺や冷麦、ラーメンのつけ麺なんかとは違って、お寿司にお醤油をつけるイメージに近い。にぎり寿司を逆さ向きにして、ネタの端っこにチョイとお醤油をつけてからバクッと食べるのに近い感覚だ。今は、東京のおそば屋さんも大半が田舎風の薄いお汁を使うようになっちゃったけど、江戸時代から続くホントの江戸風のおそばを出してる老舗は、どこも、こうした濃いお汁を出してる。だから、あたしは、見栄っ張りの江戸っ子が死ぬ間際に「たっぷりとお汁をつけて食べたかった」っていうネタは、東京のおそばを食べたことがない人が作ったんじゃないかと思ってるワケだ。
‥‥そんなワケで、どうして東京の老舗のおそば屋さんのお汁がこんなに濃いのかって言えば、これこそが江戸のおそばのルーツだからだ。江戸時代の中期、おそばの専門家の日新舎友蕎子(にっしんしゃ ゆうきょうし)が寛延4年(1751年)に出した『蕎麦全書』という本の中に、当時のおそばのお汁の作り方が書いてあるんだけど、これが、あまりにもスサマジーのだ。
この本に書かれてる当時の江戸のおそばのお汁って、「お醤油を1升、お酒を4合、お水を4合、これを合わせて細火で1時間煮込む」というもの。お醤油を「10」とすれば、お酒とお水が「4」ずつなんだから、お醤油は2倍にもなってない。その上、1時間も煮込むんだから、さらに味は濃くなる。ダシなんて使ってないし、これじゃあ単なる「ちょっと薄めたお醤油」だ。
だから、あまりにもしょっぱいと思う人は「大根おろしを搾った汁で薄めるように」なんて注意書きまでしてある始末。こんなものが当時のお汁だったのだから、おそばをどっぷりとつけたら、しょっぱくて食べられないに決まってる。お寿司やお刺身にお醤油をつけるように、端っこにチョイとつけて、おそば本来の味や香りを楽しむってのが、東京のおそばのルーツだったのだ。だから、時代が流れて、いろいろと工夫されて、返しをダシで割るようになっても、「濃いお汁をチョイとつける」というスタイルだけは守られて来たのだ。
‥‥そんなワケで、この本の中には、もっと興味深いことが書かれてる。それは、「そば湯」に関しての記述だ。この本によると、もともと江戸では「そば湯」を飲むという習慣はなくて、おそばを食べたあとには「お豆腐のお味噌汁」を飲むのが定番になってたと書いてある。当時の江戸のおそば屋さんでおそばを注文すると、最後に「お豆腐のお味噌汁」が出てきて、これを「仕上げ」にしてたワケだ。
この本には、おそばの専門家の友蕎子さんが、用事で信州の諏訪を訪ねた時のことが書かれてる。信州と言えばおそばの名産地なので、友蕎子さんがワクワクしながら旅館でおそばを注文すると、想像していた通りに美味しくて大満足だった。でも、驚いたのが、おそばを食べ終わったらすぐに「そば湯」が出て来たことだ。友蕎子さんは、「そば湯」を勧めてくれた旅館の主人に対して、次のように質問した。
「江戸では、そばを食べたあとは食あたりを防ぐために豆腐の味噌汁を飲むのが定番になっているのですが、どうしてここでは、そば湯なのですか?」
「この辺りでは、そばのあとはそば湯と決まっているのです。そばを食べたあとにそば湯を飲むと、とても消化が良くなって、どんなに食べ過ぎても腹にもたれず、胃の調子が良くなるのですよ」
そして、江戸に戻った友蕎子さんは、そば好きの友人たちに「信州風のそばを食わせてやる」と声を掛けて自宅に招き、自分で打ったおそばを振る舞ったあとに「そば湯」を出したのだ。そしたら、これが大好評で、これをキッカケにして、江戸でも「そばのあとはそば湯」というスタイルが広まって行った‥‥ということが書かれてる。つまり、友蕎子さんがいなかったら、今でも東京のおそば屋さんでは、最後に「お豆腐のお味噌汁」が出されてたかもしれないのだ。
‥‥そんなワケで、ここでクルリンパと冒頭に戻るんだけど、あたしが今日のマクラで最初にあげた「おそば」をネタにした落語の演目の中に、「そば清(せい)」があった。「そば清」は、別名「蕎麦の羽織」とか「羽織の蕎麦」とか言われてる噺だけど、これが、まるで友蕎子さんの体験談を元にして作られた噺みたいなのだ。
冒頭では、あまりにもザックリとしか説明しなかったので、もうちょっと詳しくアラスジを書くと、江戸で商売をしている清兵衛さんは、おそばの大食いが特技だった。でも、おそばの大食い大会には、なかなか勝つことができない強敵がいた。で、ある日のこと、仕事の用事で信州を訪ねた清兵衛さんが山道を歩いていると、巨大なウワバミが狩人を丸飲みしてる現場を目撃しちゃう。ウワバミってのは『星の王子さま』でゾウを丸飲みしちゃう巨大なヘビのことだ。
狩人を丸飲みしたウワバミは、お腹の真ん中がパンパンに膨れ上がって苦しそうだった。でも、木陰に隠れて清兵衛さんが見ていると、ウワバミは近くに生えていた草をペロペロと舐め始め、すると、アッと言う間に膨れてたお腹がへこみ、ウワバミは満足したように山奥へ帰って行った。
「はは~ん!あれは消化が良くなる草なんだな!」
そう思った清兵衛さんは、ウワバミが舐めていた辺りの草を刈って風呂敷に包み、大切に江戸へと持ち帰った。そして、次のおそばの大食い大会の日がやって来た。清兵衛さんは勢いよく、おそばを食べ始めた。1枚、2枚、3枚と、清兵衛さんの前に食べ終えたセイロが積み上げられていく。だけど、20枚を超えたあたりから、さすがにお腹が苦しくなって来た。ライバルの強敵を見ると、もう30枚に届こうとしていた。
「これはヤバイ!」
そう思った清兵衛さんは、いったん、おそば屋さんを出て、物陰に隠れて例の草をムシャムシャと食べた。これで消化が良くなるはずだ。一方、店の中で勝負を見守っていた人たちは、いつまで経っても清兵衛さんが戻って来ないので、心配して外を見に来た。すると、今まで清兵衛さんがしゃがんでいた場所に、おそばの山があり、その山に清兵衛さんの羽織だけが掛けられていた。清兵衛さんが「消化が良くなる草」だと思い込んでいたものは、実は「人間を溶かす草」だったのだ‥‥。
‥‥そんなワケで、こうしてアラスジだけを読むと、落語の演目というよりも星新一のショートショートみたいに感じるかもしれないけど、これもレッキとした落語なのだ。で、この噺って、友蕎子さんの体験談に似てると思わない?もちろん、友蕎子さんの体は溶けてないけど、「おそばが好きな人が仕事の用事で信州に行く」→「信州でおそばをたくさん食べても消化が良くなるものを教えてもらって江戸に帰ってくる」っていう流れが、あまりにも似すぎてる。だから、頭脳は子どもでもベッドでは大人、迷探偵キッコナンは、友蕎子さんの書いた『蕎麦全書』を読んだ人が、友蕎子さんの体験談を元にして落語の「そば清」を作ったんじゃないかと推理してみた今日この頃なのだ。
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