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2014.07.07

櫻井スカイラインから鷲尾プリキュアへ

「ハコスカ」→「ケンメリ」→「ジャパン」→「鉄仮面」→「R31」‥‥って言えば、知ってる人はすぐにピンと来ると思うけど、日産スカイラインの歴史の一番輝いてた時代だ。もちろん、人によっていろんな意見があると思うけど、あたし的には、日産スカイラインと言えば「サーフィンライン」と「丸目4灯のテールレンズ」が象徴だから、初めて「サーフィンライン」が刻まれた「C10型」、通称「ハコスカ」から歴史が始まり、ジェット機の噴射口を思わせる「丸目4灯のテールレンズ」が採用された「C110型」、通称「ケンメリ」で頂点に達し、「サーフィンライン」と「丸目4灯のテールレンズ」の両方を引き継いだ上にターボまで搭載しながらもデザイン的にイマイチだった「C210型」、通称「ジャパン」でリトル下降し、一気にスタイリッシュになった「R30」でリトル持ち直したけど「サーフィンライン」がなくなったぶんマイナスで、RSの後期モデル「鉄仮面」でググッとアップして、オシャレ風味な「R31」で時代を終えた‥‥って感じがしてる。

スカイラインという車の歴史は、1957年にプリンス自動車から初代の「ALSI型」が発売されてスタートしたワケだけど、この初代スカイラインと、1963年に発売された「S50型」の2代目スカイラインは「プリンス・スカイライン」であって「日産スカイライン」じゃない。だから、実際の話としても、日産スカイラインの歴史は3代目の「ハコスカ」からってことになる。

それに、これは、あくまでもあたしの感覚だけど、現在の中古車市場だと、初代と2代目のプリンス・スカイラインは「クラシックカー」のカテゴリーに入ると思う。一方、「ハコスカ」以降の何代かは「旧車」のカテゴリーに入る。だから、あたしに限らず、多くの人は、プリンス時代のスカイラインと、「ハコスカ」以降の日産のスカイラインとを分けて考えてると思う。

それから、これもあたしの個人的なことなんだけど、あたしが生まれた1972年は「ハコスカ」の全盛期で、この年の3月に開催された「富士300キロスピードレース」では、高橋国光さんの駆るGT-Rが豪雨の中、他の全車を周回遅れにして優勝して、通算50勝を達成したそうだ。そして、この年の9月にニューモデルの「ケンメリ」が発売されて、その2ヶ月後にあたしが生まれた。だから、「ハコスカ」からの日産スカイラインの歴史は、あたしの人生にも対応してることになる。

ちなみに、この「ハコスカ」って愛称は、次の「ケンメリ」が発売されてから、「ケンメリ」と区別するために「箱型のスカイライン」を縮めて「ハコスカ」と呼ばれるようになったそうで、「ハコスカ」の全盛期には「ハコスカ」とは呼ばれてなかったそうだ。ついでに、「ケンメリ」は「ケンとメリーのスカイライン」、次の「ジャパン」は日本を代表する車という意味で「スカイライン JAPAN」という、どちらもCMのキャッチフレーズからの命名だ。そして、次の「R30」のRSの後期モデル「鉄仮面」は、ボンネットの先端がフロントグリルを覆うようなデザインで、見た目が「鉄仮面」みたいだったことに由来する今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしが高校を卒業してヘアメークの専門学校に通ってた時なので、今から20年以上前のこと、地元のニコタマの駅の近くを歩いてたら、玉川高島屋の駐車場に入る車の列の中に、R32かR33かは記憶がサダカじゃないんだけど、ピカピカのガンメタのGT-Rが並んでて、ふと見ると後ろの窓のとこに大きなアメショーが寝てたのだ。最初はヌイグルミかな?って思ったんだけど、顔を近づけたら動き出して、大きなアクビをした。

それで、運転席の窓が開いてたので、あたしはドライバーのおじさんに「可愛いニャンコですね!いつも大人しく寝てるんですか?」って話しかけてみた。猫の中には車に乗るのが苦手な子もいるからだ。そしたら、おじさんは笑顔で「いつも乗せてるから慣れてるんですよ」って答えてくれて、「へえ、そうなんですか!」なんて言いつつ、あれ?どこかで見たことある人だな?‥‥って、「も、も、もしかして、高橋国光さんですか?」「はい、そうですよ」

のあーーー!!あたしは急いで握手をしてもらい、何かにサインもしてもらおうと思って慌ててバッグの中を見ようとした時に、前の車がスーッと動き出し、高橋国光さんは「じゃあ」って言って前に進んだので、さすがに追いかけてってサインをねだるのも失礼かと思い、そのまま帰って来た。


‥‥そんなワケで、あたしは、「ハコスカ」→「ケンメリ」→「ジャパン」→「鉄仮面」→「R31」という流れを日産スカイラインの歴史の一番素晴らしかった時代だって言ったけど、20年前に高橋国光さんが乗ってたR32かR33にしても、その後のモデルにしても「丸目4灯のテールランプ」が採用されてたし、R30で廃止になった「サーフィンライン」も、R34のクーペモデルに復活したりもした。

だから、8代目以降の日産スカイラインにも素晴らしい歴史があるワケで、あたしが「一番輝いてた時代」だと言った「R31」までが第1期、「R32」からが第2期ってことになる。だけど、そんな素晴らしい歴史を持つ日産スカイラインも、ついに終焉を迎える日が来てしまった。それは、自動車業界の「ミスター・ビーン」、否、「ミスター・コストカット」の異名を持つカルロス・ゴーンの登場だ。

1999年、経営危機を迎えていた日産は、ルノーの子会社となって生き延びる道を選択した。そして、そんな日産を復活させるためにやって来たカルロス・ゴーンによって、容赦ないリストラと工場閉鎖、主要車種の入れ替えやパーツの共通化などが強行された。その結果、就任当時には約2兆円もあった日産の負債をわずか3年で全額返済した上に、12%まで落ち込んでいた国内シェアを20%にまで引き上げることにも成功した。これが、国内の企業の役員の中でダントツ1位の「年俸10億円」をカルロス・ゴーンが手にできる理由だろう。

そして、日産の歴史や伝統など何とも思っていないカルロス・ゴーンは、スカイラインに唯一残されてた「スカイラインらしさ」、「丸目4灯のテールレンズ」をコストカットのために何の躊躇もなく廃止した。そして、今度は、ダイムラー製のベンツと同じエンジンを積むことになった‥‥ってことで、これって、もう、日産スカイラインじゃないよね。


‥‥そんなワケで、このスカイラインの名づけ親で、初代の「プリンス・スカイライン」から開発に携わり、3代目から7代目までの「日産スカイライン」の開発で最高責任者として陣頭指揮をとったのが、「スカイラインの父」と呼ばれてる故・櫻井眞一郎さんだ。だから、あたしは、3代目の「ハコスカ」から7代目の「R31」までの「日産スカイライン」のことを「櫻井スカイライン」と呼びたいと思う。

で、この「櫻井スカイライン」とよく似てるな~ってあたしが感じてるのが、大好きな「プリキュア」のシリーズの中の「鷲尾プリキュア」だ。「スカイラインの父」が櫻井眞一郎さんなら、「プリキュアの生みの親」は鷲尾天(たかし)さんてワケで、あたしは、鷲尾プロデューサーが担当した初代から5代目までの「プリキュア」のことを勝手に「鷲尾プリキュア」と呼んでる。

「櫻井スカイライン」は「ハコスカ」→「ケンメリ」→「ジャパン」→「鉄仮面」→「R31」という流れで、「鷲尾プリキュア」は「ふたりはプリキュア」→「ふたりはプリキュア Max Heart」→「ふたりはプリキュア Splash Star」→「Yes!プリキュア5」→「Yes!プリキュア5 GoGo!」という流れで、この2つの潮流は、驚くほど似てる。

たとえば、「ハコスカ」から「ケンメリ」への流れを見ると、見た目は大きく違うけど、中身は同じだ。「ハコスカ」と言えばGT-Rってワケで、レーシングマシンの「R380」に積まれてたエンジン「GR8」をフィードバックしたDOHCの「S20」が積まれたことが最大のトピックだ。そして、このエンジンは「ケンメリ」のGT-Rにも積まれたんだけど、この年に排ガス規制が変更になったため、製造途中で市販車に積むことができなくなり、「ケンメリ」のGT-Rは、わずか197台で生産が中止された。

だから、GT-Rだけを見れば、「ハコスカ」と「ケンメリ」こそが、本当の意味で「血のつながった兄弟」と言える。これって、美墨なぎさと雪城ほのかによる初代の「ふたりはプリキュア」から2代目の「ふたりはプリキュア Max Heart」への流れと同じだ。そして、DOHCの「S20」が積めなくなり、ラインナップからGT-Rが消えた3代目の「ジャパン」では、その代わりに「ハコスカ」から続いて来たGT用の汎用タイプ、直列6気筒のOHC「L20」にターボチャージャーを搭載したGTターボが登場した。

3代目「ジャパン」のGTターボは、テレビドラマ「西部警察」にも大門軍団の特殊車両「マシンX」として登場したけど、スタイルとしては2代目「ケンメリ」の発展系って感じだ。だから、見た目だけで言えば「ケンメリ」に近いけど、中身は大きく違う。つまり、初代と2代目と同じで、ボーイッシュな日向咲(ひゅうが さき)とフェミニンな美翔舞(みしょう まい)の2人組っていう「百合カラー」を踏襲しつつも、キャラクターがすべて変更になった3代目の「ふたりはプリキュア Splash Star」は、3代目の「ジャパン」にすごく似てるってワケだ。


‥‥そんなワケで、「鷲尾プリキュア」は、4代目の「Yes!プリキュア5」から、それまでの2人組が5人組になるという大転換を迎えたワケだけど、その奥に一貫して底流してる「友情パワー」は変わらない。これは、「櫻井スカイライン」における「サーフィンライン」であり、「丸目4灯のテールレンズ」であり、汎用タイプのGTに積まれてる「L20」なのだ。新作になって大きく変化をしても、どこかに前作を踏襲する伝統が受け継がれてる。これが、「櫻井スカイライン」と「鷲尾プリキュア」との共通点なのだ。

ちなみに、「L20」の排気量を大きくした「L28」をベースにして、シリンダーのボアやストロークを拡大して「3リッター」や「3.1リッター」にして、吸気はソレックスのキャブレターを3連で装着、排気はタコ足とデュアル管、これが通称「ソレ・タコ・デュアル」という昭和の暴走族や走り屋たちの定番のチューニングだった。だから、この「L20」や「L28」などのL型エンジンは、市販車に積まれなくなってからも、主にチューニングのベースエンジンとして、長いこと人気があった。

実際、「日産スカイライン」では、「ジャパン」の次の4代目「R30」が最後のL型エンジン搭載車で、5代目の「R31」からは新しいエンジンが積まれるようになった。でも、そこは「櫻井スカイライン」、伝統あるL型をやめる代わりに、「ケンメリ」で終わっていた「S20」以来の直列6気筒4バルブのDOHCを復活させ、GT-Rという名前も復活させた。当時の排ガス規制に適合させた「RB20DET」をスポーツタイプに積み、汎用タイプにもDOHCの「RB20DE」やSOHCターボの「RB20ET」を積み、改めて「日産スカイライン」がスポーツカーであることを前面に押し出した。そして、櫻井眞一郎さんはこの「R31」を最後に「日産スカイライン」の開発から離れ、GT-Rの復活という置き土産を残し、次世代へとバトンを手渡した。

一方、「鷲尾プリキュア」のほうは、商業的な理由から4代目「Yes!プリキュア5」での大転換を余儀なくさせられたワケだけど、これがヒットしたため、次の5代目も「続編」を制作することになった。そして、4代目をさらにパワーアップさせた5代目「Yes!プリキュア5 GoGo!」での大成功という置き土産を残し、次世代へとバトンを手渡したのだ。ね、「櫻井スカイライン」の流れと「鷲尾プリキュア」の流れって、似てるでしょ?


‥‥そんなワケで、あたしは、これって、自動車にしろアニメにしろ、多くの人たちに支持されて何代も続いていくものに共通する流れだと思った。つまり、常に人々の声を聴きながら、その声を作品に反映させていくという姿勢が共通してるんだと思った。櫻井眞一郎さんにも鷲尾天さんにも「自分のやりたいこと」や「自分の表現したいこと」はあったワケで、これが仕事でなければ、その点だけを追及してても何も問題はない。だけど、商業作品を生み出す上では、自分のやりたいことだけじゃなくて、「人々が何を求めているのか?」ってことが何よりも重要だ。そして、自分の生み出した作品の評価は、「売り上げ」という目に見える形で返ってくる。だから、そうした人々の声に耳を傾けながら、多くの人々の夢を叶えながら、同時に自分の夢も叶えていった「櫻井スカイライン」や「鷲尾プリキュア」が、商業的にも大成功できたんだと思う‥‥ってなワケで、どこかの国の総理大臣のように、多くの国民の声にまったく耳を傾けず、自分のやりたいことばかりを強引に推し進めていると、何代も政権が続くどころか、たった1代で人々から見捨てられちゃうと思う今日この頃なのだ。


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