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2014.09.29

昭和は遠くなりにけり

今朝、bayfm「POWER BAY MORNING」を聴いてたら、パーソナリティーの斉藤りささんが電話でお天気を聴くウェザーニュースのお姉さんが、いつもの香山智里さんじゃなくて、荒牧京子さんだった。いつもの斉藤りささんと香山智里さんとのやりとりも最高に楽しいけど、タマに他のお姉さんが登場した時も楽しい。斉藤りささん、今日は「荒牧さんて会社でシャケって呼ばれてるの?」って言ってケラケラと笑ってて、やっぱり楽しかった。それにしても、「あらまき」だから「シャケ」って直球すぎる(笑)

で、「シャケ」で思い出したんだけど、あたしがちっちゃかったころ、シャケ缶は贅沢品だった。もちろん今でもメッタに買えない高級品で、缶詰の高級さのランキングで言えば、不動の1位のカニ缶に次ぐ2位だけど、それでも、あたしがちっちゃかったころは、今よりもっと贅沢品だった。今でも、ホントに最高級のカニ缶やシャケ缶は缶切りで開けるタイプだけど、当時はパッカンなんてなかったから、どんな缶詰も缶切りでキコキコと開けてた。

小学校に上がってからか、そのちょっと前かは記憶がサダカじゃないけど、そのくらいの時、あたしは、缶切りの使い方を覚えた。それで、缶切りが使えるようになったからには、缶詰を開けるのはあたしの役目になった‥‥って言うか、あたしが勝手に「缶切り係」を自認してただけなんだけど、母さんが缶詰を開けちゃったりすると、あたしはプンプンと膨れた。

たとえば、お台所から炒め物を作ってる音が聞こえて来て、見に行くと母さんがキャベツとシーチキンの炒め物を作ってる。あたしはハッとして燃えないゴミのゴミ箱を覗く。そこにシーチキンの空き缶を発見!母さんに「なんであたしを呼んでくれなかったの!」って怒ったりもした。缶詰なんて、そうそう頻繁には食べないから、タマに缶詰を食べる時には、あたしに開けさせて欲しい。そう思ってた。

そう言えば、今、これを書いてて思い出したけど、当時はシーチキンも缶切りで開けるタイプの缶詰で、あたしが小学校の高学年くらいの時に、初めてパッカンのシーチキンが登場した。だけど、パッカンのシーチキンは何か特別なやつで、家で買ってたのは缶切りで開けるタイプのだった‥‥なんてのも織り込みつつ、シャケ缶の話に戻るけど、あたしがちっちゃかったころ、夜の11時とかにおトイレに行きたくなって目が覚めると、お台所の電気がついてて、テーブルで父さんと母さんがお酒を飲んでることがあった。

で、おトイレを済ませてから覗きに行くと、父さんと母さんはシャケ缶をおつまみにしてお酒を飲んでる。シャケ缶はお皿に出さずに、缶のまま食べてる。シャケ缶を開けて、そこにお醤油をちょっと垂らして、コショウをちょっと振って、おつまみにするのが父さんは好きだった。あたしは子ども心に「また大人だけでコッソリとシャケ缶を食べてるよ」なんて思いつつ、大好物のシャケ缶の「骨」をねだる。

シャケ缶の「骨」は1つの缶に1つしか入ってないから、(タマに2つ入ってるアタリもあったけど)、先に父さんに食べられてたらもらえない。だけど、まだ飲み始めたばかりで缶詰も開けたばかりなら、高確率でもらうことができた‥‥なんてことを思い出しつつ、あたしが大人になったら、「シャケの骨の缶詰」なんていう夢のようなものが発売された。大人だからお金は持ってる上に、普通のシャケ缶よりも遥かに安いから、あたしは何のためらいもなくソッコーでスーパーのカゴに入れた。

だけど、ワクワクしながら食べてみたら、思ってたほどは美味しくなかった。父さんのように、お醤油を垂らして、コショウを振って食べてみたけど、10点満点で10点だと思ってた味が、7点くらいの感じだった。たぶん、味に違いはないと思うけど、やっぱり、「メッタに食べられないシャケ缶の中に1つしか入ってない」っていうレア感が味覚をアップさせてたみたいで、大量にあってアリガタ味が希薄になると味覚もダウンしちゃうのかもしれないと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、久しぶりに長いマクラを書いちゃったけど、「便利」になる前は「不便」だったワケで、昔の缶詰はホントに「不便」だったらしい。だって、これは有名な話だから知ってる人も多いと思うけど、昔は缶切りがなかったんだよ。今のパッカンとは違って、缶切りがないと開けられないタイプの缶詰なのに、缶切りがないんだよ。どうすりゃいいのよ?(笑)

ザックリと説明すると、世界で初めて缶詰が誕生したのが今から200年以上前の1810年なんだけど、世界で初めて缶切りが誕生したのは、その60年後の1870年なのだ。じゃあ、缶切りが誕生するまでの60年間、人間はどんなふうに缶詰を開けてたのかと言えば、まるでギャグ漫画みたいだけど、ノミとトンカチで開けてたのだ。たぶん、床に座って両足で缶詰をはさんで、左手にノミ、右手にトンカチを持ち、缶切りが缶詰のフチを一周するように、コンコンとノミを打ち進めて行ったんだと思う。

他には、もっと乱暴な方法もあったそうだ。なんかビジュアルが想像できないんだけど、トンカチで直接、缶詰を叩いて破壊して中身を出してたらしい。ビジュアルは想像できないけど、ジョジョの第3部で「運命の車輪」が岩と岩の間にボディーを強引に捻じ込んで追いかけて来た時のポルナレフのセリフ、「たとえるなら!知恵の輪ができなくてカンシャクを起こしたバカな怪力男という感じだぜ」を思い出した(笑)

で、60年間もこんな具合だったから、缶切りの発明は画期的なことだった。それまでは、開ける時に激しく振動するから、シロップやスープなどの液体はこぼれちゃうので入れられなくて、缶詰に入れるのはミンチ状にした肉や魚などの特定の食べ物に限られてたんだけど、缶切りの発明によって、いろんな食べ物の缶詰が開発されるようになった。そして、今日に至る‥‥ってワケだ。だから、この「ノミとトンカチ」から「缶切り」への進化は、「便利」だけでなく、多くの「プラスアルファ」を人類にもたらしたと思う。


‥‥そんなワケで、あたしが子どもの時に「缶切り係」になれたことも、缶切りの発明による「便利」の他の「プラスアルファ」の1つだと思う。「缶切り係」を自認してたあたしは、どんな缶詰でもワクワクしながらも慎重に開けてたけど、当時、何よりも開けるのが難しくて慎重だったのが、輪切りのパイナップルやミカン、白桃などのフルーツの缶詰だった。フルーツの缶詰はシロップがたっぷり入ってるから、左手で缶をしっかりと押さえてないと、グイッと突き刺す最初のとこで、缶がナナメになってシロップがこぼれちゃうからだ。

あ、フルーツの缶詰で思い出したけど、おばあちゃんも母さんもあたしも大好きだったのが、栄太楼の「みつ豆」の缶詰だった。お米屋さんが届けてくれた栄太楼の「みつ豆」の缶詰は、すぐに冷蔵庫に入れて、いつでも食べられるように冷やしておく。そして、いよいよ食べる日が来たら、よく冷えた缶詰を冷蔵庫から出して、まず、缶の底に小さな穴を対角線上に2つ開けて、シロップを捨てる。小さな穴は、1つずつだとシロップを捨てるのに時間が掛かっちゃうから、片側には3つか4つくらい開ける。

シロップを捨てたら、今度は小さな穴をつないで行くように缶切りでぜんぶ開けて、中の寒天や豆やフルーツをガラスの器に移す。そして最後に、反対側を開けて黒蜜をかけて、「は~い栄太楼です~♪」っていうテレビCMのジングルを歌いながらテーブルに置く。もう、ここまで来ると、缶詰を開ける作業も、家族の楽しい一種のイベントだったりする(笑)


‥‥そんなワケで、楽しい思い出のある栄太楼の「みつ豆」の缶詰も、今ではもちろん便利なパッカンになっちゃった。「ノミとトンカチ」から「缶切り」への進化は人類に多くのものをもたらしたけど、この「缶切り」から「パッカン」への進化はどうなんだろう?あたしは、「便利」になったぶん、逆に何か大切なものを失ってしまったような気がする。おばあちゃんと母さんと3人でワイワイ楽しく栄太楼の「みつ豆」の缶詰を開けてた昔を思い出すと、あたしは、中村草田男(くさたお)の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という俳句のパロディーで、「蜜豆や昭和は遠くなりにけり」なんて詠みたくなっちゃう気分の今日この頃なのだ‥‥。


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2014.09.22

スコットランドの代わりに独立したUB40

スコットランドが独立するとかしないとか話題になったことで、今までボンヤリとしか理解されてなかったイギリスのことが再確認されることになった。中には「イギリスは1つの国」だと思ってた人もいたみたいなので、思いっきりザックリと説明しとくけど、まず、「イギリス」とか「英国」とか言うのは、あくまでも通称で、正式には、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」って言って、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つのカントリーから構成された「連合国」だ。


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イギリスのロックを「UKロック」なんて言うのは、この「United Kingdom」の頭文字だし、イギリス車に「GB」なんてステッカーが貼ってあるのは、この「Great Britain」の頭文字だ‥‥なんて小ネタも散りばめつつ、今回は、この「連合国」からのスコットランドの独立の是非を問う住民投票が行なわれたワケで、結果は、約55%対約45%で否決されちゃったけど、半数近い住民が独立を望んでることから、今後、イギリスは、スコットランドに対していろいろな面で優遇した政策を余儀なくされることになった。

イギリス全体の面積は、約24万平方キロメートル、日本が約38万平方キロメートルだから、日本の約3分の2だ。そして、人口は約6400万人、日本の半分ほどだ。北海道、東北、北陸、関東、中部と下りてきて、日本のおへその岐阜県くらいまで、これがイギリスの大きさだ。イギリスの中で一番大きいイングランドは約13万平方キロメートルだから、東北、北陸、関東、中部の大半を占めるほど、ウェールズは約2万平方キロメートルなので、青森県と秋田県を足したくらい、北アイルランドは約1万3000平方キロメートルなので、福島県よりちょっと小さいくらいだ。

で、スコットランドだけど、これは、ちょうど北海道と同じくらいだ。北海道の面積は約8万3000平方キロメートルで、人口は約540万人、スコットランドの面積は約7万8000平方キロメートルで、人口は約525万人、だから、イギリスからスコットランドが独立するということは、面積と人口だけで言えば、東日本から北海道が独立しちゃうような話だったワケだ。

今回のスコットランドの独立問題に関しては、多くの著名人が早いうちから「賛成」か「反対」かを表明してた。まず、「独立には反対だ」と表明したのは、「ハリーポッター」の作者でスコットランド在住のJ・K・ローリングさん、ミック・ジャガーさん、デビッド・ボウイさん、ロッド・スチュワートさん、スティングさん、ポール・マッカートニーさん、スティーブン・ホーキング博士、デビッド・ベッカム選手、スーザン・ボイルさんなど。

一方、「独立には賛成だ」と表明したのは、ショーン・コネリーさん、フランキー・ボイルさん、ジェラルド・バトラーさん、アラン・カミングさん、「トレインスポッティング」の作者のアービン・ウェルシュさん、「フランツ・フェルディナンド」のボーカルのアレックス・カプラノスさん、ビョークさん、「モグワイ」のメンバーたち、エイミー・マクドナルドさんなど。

こうして見ると、「反対派」のほうがゴージャスな顔ぶれだよね。あたしはビョークも大好きだけど、さすがに、ミック・ジャガー、デビッド・ボウイ、ロッド・スチュワート、スティング、ポール・マッカートニーがズラリと顔を並べちゃうと、もう完全に勝ち目はない気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回、スコットランドは独立できなかったんだけど、この騒ぎの裏で、実はコッソリと、もう1つの別の「国」が、イギリスから独立を果たしていたのだ。それが、あたしの愛してやまないUKレゲエバンド「UB40」だ‥‥ってなワケで、まず、このバンド名だけど、これはそのまま「ユービーフォーティー」と読む。イギリスの失業者の給付金制度「Unemployment Benfit , From 40」のことで、失業者はこの専用書類に必要事項を記入して給付金を受け取る。彼らのファーストアルバムのジャケットは、この書類を模したデザインになってる。


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1978年に、イギリスはロンドンのバーミンガムで結成された「UB40」のメンバーは、イングランド、スコットランド、北アイルランド、イエメン、ジャマイカと出身地もいろいろで、白人と黒人の混じった8人組だった。イエメンとジャマイカを抜かせば、まさしく今回のスコットランド独立騒動の「連合国」ってワケだけど、「UB40」ではカバー曲以外のオリジナル曲はすべて、誰が作詞したものでも、誰が作曲したものでも、すべての印税を全員で均等に分けるために、オリジナル曲のクレジットは「作詞・作曲 UB40」になってる。そのためなのか、レコード会社とかのバイオグラフィーでは、全員の出身地が「ロンドン・バーミンガム」と記されてる。


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でも、実際には、確実にバーミンガム出身だと分かってるのは、メインボーカルのアリ・キャンベルと兄のロビン・キャンベルだけだった。ナゼかと言えば、彼らのお父さんのイアン・キャンベルは、妹のローナ・キャンベルと一緒に、60年代を中心に活躍した「イアン・キャンベル・フォーク・グループ」を率いてて、その本拠地がバーミンガムだったのだ。つまりは、生まれながらにして「音楽一家」だったワケだ。その証拠に、長男のロビンとアリの間にいる次男のダンカン・キャンベルもシンガーだし、もう1人の兄弟のデヴィッド・キャンベルもフォークシンガー、つまり、4人の息子が全員、シンガーなのだ。


‥‥ってなワケで、あたしが「UB40」を知ったのは、多くの人たちと同じように、ニール・ダイヤモンドの「Red Red Wine」のカバーからだった。それも、原曲を知らなかったあたしは、あまりにも素敵なこの曲のトリコになり、アリ・キャンベルの甘くて切ない歌声に夢中になり、2~3ヶ月してから、ようやくカバー曲だったということを知ったほどのテイタラクだった。


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そんなあたしが、最初に「UB40」を観たのが、高校1年生の時だった。前にも書いたことがあるけど、あたしは小さいころに大きな病気をしたせいで、みんなより1年遅れて小学校に入学した。だから、高校を卒業するまで、ずっとクラスのみんなよりも1歳年上だった。だから、この時は、ホントは高校2年生の年齢だった‥‥ってなワケで、待ちに待った1989年の2月6日、あたしは無理に誘った女友達と2人で、三軒茶屋にあった会場の昭和女子大の人見記念講堂へ向かった。

記憶がサダカじゃないんだけど、この時は、どこかの大きなホールで2月7日と8日の2日間のライブが予定されてて、発表の直前になって、前日の6日に昭和女子大の人見記念講堂のライブがプラスされたような感じだった。当時、二子玉川に住んでたあたしは、新玉線1本で行ける人見記念講堂が大好きだった。地理的に便利ってだけじゃなくて、上品な女子大の中にある雰囲気も好きだったし、勝手知ったる三茶だという安心感もあったし、意外にも音がいいホールだった。

もともとはクラシックのコンサートとかに対応するように設計されたのか、素晴らしい音響設備で、「アフリカン・フェスティバル」で初めてラッキー・デューベを観たのも、初めてギターデュオのゴンチチを観たのも、あたしはこの人見記念講堂だった‥‥なんてのも織り込みつつ、ステージに登場した「UB40」のメンバーは、モノトーンを基調にした全体的に地味な衣装だった。そして、あたしが何よりも驚いたのが、センターの2本のスタンドマイクの前に並んだアリとロビンのキャンベル兄弟が、2人ともサウスポーだったことだ。アリがピックガードまで真っ黒のテレキャスで、ロビンも真っ黒のムスタングで、2人ともサウスポーで、最高に素敵だった。

まだ、日本では「知る人ぞ知る」的な位置づけだったので、会場は7~8割くらいしか埋まってなかった上に、あたしたちの席の周りの人たちの多くは、「UB40とかいうイギリスのバンドがライブを行なうらしいから、試しに観に来た」って感じの家族連れが多かった。みんな上品な服装で、上品なお嬢さんが一緒だったから、たぶん、昭和女子大の学生と家族だったんだと思う。

だから、ラスタカラーをふんだんに使ったレゲエファッションで踊りまくってたあたしとお友達は、完全に浮きまくりだったけど、これが人見記念講堂のいいとこで、専門の警備員とかを雇ってなかったから、空いてる通路で踊りまくってても、よほどハメを外さない限りは、誰からも叱られなかった。

待ちに待った「Red Red Wine」では、アリの甘くて切ない歌声にメロメロになった。アリが両手を広げてカモメが飛ぶようなジェスチャーをしたので、あたしもアリのマネをして、カモメが飛ぶように踊りまくった。ふと気づくと、アリもロビンも他のメンバーたちも、ステージ上のみんなが順番にあたしたちのほうを見てニコニコしてることに気づいた。

全体的に、通勤電車のサラリーマンたちみたいな地味でグレーな感じの客席で、大半のお客が着席したまま手拍子でしか反応してない中、レゲエっぽいファッションのお客なんか数えるほどしかいなかった。そんな中で、全身をラスタカラーにした女の子が2人、一番目立つ客席の真ん中で踊りまくってるのだ。客席はお互いの顔がハッキリ見えるほど明るかったから、ステージ上からも良く見えたと思う。

そして、「Red Red Wine」はアストロのトースティングのパートに入った。ヒップホップなら「ラップ」って言うんだろうけど、レゲエの場合は「トースト」とか「トースティング」って言う。アリのメインボーカルに乗せて、まったく別のパートを韻を踏みながら棒読みして行く。「ラップ」と言うよりは、ダブに乗せて詩を朗読していく、リントン・クウェシ・ジョンソンの「ポエトリー・リーディング」に近いスタイルだ。

アストロは、背が高くて黒人でドレッドだから、ある意味、「UB40」の「もう1人のフロントマン」的な役割を担ってた。背広を脱いでネクタイを外したサラリーマンみたいな地味なファッションのアストロが、これまた地味に足踏みを続けながら唱え続けるお経のようなトースティングと、それに絡み合うアリの甘いボーカル、ハッと気づくと、知らないうちに会場の半分くらいの人たちが立ち上がり、気持ち良さそうに体を揺らし始めていた。おじさんも、おばさんも、小さな子どもたちも、みんなとっても気持ち良さそうで、ホントに夢のような光景だった。

最初から計画してたのか、アドリブなのか分からないけど、アストロのトースティングが終わると曲調が変わり、突然、スレンテンになった。「スレンテン」てのは、レゲエのリディムの1つで、裏打ちが基本のレゲエで、あえて頭のほうを叩いて盛り上げる「お約束」だ。長くて単調なレゲエの「箸休め」的な存在で、たいていは盛り上がって来た「ここ一番」てとこに持ってくる。

時計を見て計ってたワケじゃないけど、何度も何度も何度も何度も聴きまくって来た曲だったから、この時の演奏は、いろんなスペシャルなアレンジを織込んで、CDよりも2分近くも長く演奏してくれた‥‥ってなワケで、あたしは、「UB40」に夢中になった。特に、アリ・キャンベルに夢中になった、当時、あたしはレゲエのライブに行きまくってて、この年と翌年だけでも、マキシー・プリースト、マイティー・ダイヤモンズ、ジギー・マーリィ & ザ・メロディメイカーズ、フレディ・マクレガー、ココ・ティー、ビッグ・ユース、他にもずいぶん行ったけど、みんなドレッドの黒人だった。

だから、白人で、背が低くて、ひと昔前のアイビーカットみたいなヘアスタイルで、どこからどう見てもレゲエのミュージシャンには見えないアリ・キャンベルが、黒人もビックリの甘い声で歌うレゲエが、あたしにとっては新鮮で、都会的で、オシャレで、何とも言えないカッコ良さだった。あまりにも夢中になって、バイトを掛け持ちして黒のテレキャスまで買っちゃったほどだ。


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‥‥そんなワケで、25年も前のライブのことをダラダラと書き続けててもジンジャエールだから、「UB40」のライブの内容に関してはこれくらいにするけど、あたしは、この時、すごく無理して追加公演にも行き、翌年1990年のメルパルクホールでの来日公演も、本公演と追加公演に行った。


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あたしが行った「UB40」のライブは、この4回がすべてで、この後も2回くらい来日してるけど、あたしはもう社会人になってて、時間的にも余裕がなくなってたし、「UB40」への熱も冷めてた‥‥ってなワケで、いよいよ本題に入るけど、この時点までの「UB40」のメンバーは、まず、ボーカルとギターのアリとロビンのキャンベル兄弟、サックスのブライアン・トラバーズ、パーカッションのノーマン・ハッサン、ベースのアール・ファルコナー、ドラムのジェームス・ブラウン、キーボードのマイケル・バーチュー、トランペットとトースティングのアストロ(テレンス・オズワルド)の8人で、これがオリジナルメンバーだった。今は全員が50代後半だ。

ちなみに、ドラムのジェームス・ブラウンは、あの「ゲロッパ」のおじさんと間違えちゃうため、ジミー・ブラウンと呼ぶことが通例になってる。また。キーボードのマイケル・バーチューは、これはあの「マイケル」との差別化というよりも、愛称としてミッキー・バーチューと呼ぶことが多い。これが原因の1つになっちゃったのか、それとも、もっとディープなアレやコレやがあったのかは分からないけど、バンドの顔でありメインボーカルのアリ・キャンベルが、バンドを脱退しちゃったのだ。

当時は、「ソロ活動に専念するため」なんていう取ってつけたような説明をしてたけど、実際にはメンバー同士の金銭絡みの内輪もめが原因で、レコード会社と所属事務所が倒産しかけてたのだ。そして、アリのアトガマには、一度、マキシー・プリーストの名前なんかも上がったけど、結局はアリの1歳年上の兄、ダンカン・キャンベルがメインボーカルとして参加することになった。

ザックリと言っちゃえば、30年間も続けて来た愛するバンドだったけど、ここに来ての金銭関係や人間関係でのイザコザにうんざりしちゃったアリ・キャンベルが、アトガマを兄にゆずって身を引いた‥‥ってのが真相のようだ。そして、バンドの中で一番、アリと仲の良かったキーボードのミッキー・バーチューも、アリを追うようにして脱退してしまった。

8人のメンバーのうちの2人とは言え、メインボーカルのアリ・キャンベルとサウンドの要のキーボードのミッキー・バーチューが抜けてしまったのだから、これは大きな痛手だ。サザン・オール・スターズから、桑田さんと原坊が抜けてしまったことを想像してみてほしい。ちなみに、翌2009年になってから、海外の音楽ニュース紙に小さく、「UB40からアリ・キャンベルとミッキー・バーチューが脱退したのは、酷すぎるマネジメントへの耐え難い不満が原因」だと報じられた。

そして、「UB40」は、イマイチのバンドになってしまったワケだけど、続いての事件が起こったのが、2011年だ。これは日本でもそれなりに報じられたから、覚えてる人もいると思うけど、最初にアリ・キャンベルが破産宣告を受けて、次いで、ブライアン・トラヴァース、ジミー・ブラウン、アストロ(テレンス・オズワルド)、ノーマン・ハッサンの4人も破産宣告を受けた‥‥というものだ。

もともとは、マネジメント会社が破産して、その火の粉をかぶらされた形だけど、お金を使い続けたのはバンドのメンバーたちだ。アリ・キャンベルは早いうちから「このままじゃバンドは破産する」って危惧してて、節約できるところは節約しようと言い続けてたそうだ。でも、長年、スターとしての贅沢な生活を続けて来たメンバーの多くは、今さら宿泊するホテルのランクを下げるなんてことには同意しなかった。そして、来るべき日が来てしまったってワケだ。


‥‥そんなワケで、こんな状態だから、バンドの中もうまく行くワケはなく、2013年には、アストロが脱退した。でも、これは、アリ・キャンベルに声を掛けられて脱退したっぽい。ようするに、「また俺たちとやろうぜ!」ってことだ。そして、2014年、ついに、アリ・キャンベルとミッキー・バーチューとアストロの3人は「UB40の本当のサウンドを再現するため」という名目で「新生UB40」を旗揚げした。「新生UB40」の正式名称は「Ali Campbell, the legendary voice of UB40 reunited with Astro & Mickey」、直訳すると「UB40の伝説的なボーカルのアリ・キャンベルがアストロとミッキーと再会した」って感じだ。

脱退したアリ・キャンベルの代わりに、兄のダンカン・キャンベルをメインボーカルに置いた「UB40」も現役なので、ダンカン&ロビンの「UB40」が「加勢大周」なら、新しくできた「UB40」は「新加勢大周」みたいな位置づけだけど、サウンドを聴く限りは、新しくできたほうこそが、紛れもない本物の「UB40」と言えるだろう。何しろ、アリ・キャンベルの甘いボーカルとアストロのトースティングという「UB40」の二枚看板が揃ってるんだから。


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とにかく、まずは、下のリンクから3人が9月11日付で公開した「新生UB40」の「Silhouette」を聴いてみてほしい。30年以上も前の「Red Red Wine」から、まったく遜色のないどころか、さらに円熟味の増している、まさに「これぞUB40!」と言わんばかりの素晴らしいサウンドだ。

Ali Campbell - Silhouette
https://www.youtube.com/watch?v=KqFZyujElB8#t=113


‥‥そんなワケで、この「新生UB40」のアルバム『Silhouette』は、10月6日にリリースされる。新曲やオリジナル曲だけでなく、例によって名曲のレゲエアレンジも収録されるそうで、今回は、ビートルズの「Anytime At All」やボブ・ディランの「I Want You」などもレゲエアレンジされているそうだ。もう二度と聴くことができないと思ってた本物の「UB40」のサウンドが聴けるなんて、あたしにとって、これほど幸せなことはない。スコットランドは独立できなかったけど、ベルリンの壁が崩壊した1989年に初めてライブを観た「UB40」が、25年の時を超えて、今度は「Ali Campbell, the legendary voice of UB40 reunited with Astro & Mickey(UB40の伝説的なボーカルのアリ・キャンベルがアストロとミッキーと再会した)」という名前になって再登場してくれるなんて、もはやこれは「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」をも超えた王国の独立と言っても過言じゃないと思った今日この頃なのだ♪


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2014.09.13

シングルマザーの貧困率と少子化問題

7月に厚生労働省が発表した2013年度の「国民生活基礎調査」(PDF資料 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa13/dl/03.pdf )によると、最新の国民の「相対的貧困率」は16.1%で、これは前年の16.0%と大きくは変わらなかったんだけど、子どもの貧困率が16.3%になり、調査以来、初めて全体の貧困率を子どもの貧困率が追い抜いてしまった。厚生労働省が発表した次の表には、30年前の昭和60年(1985年)からの「貧困率」の推移が記してあるんだけど、これを見ると、全体の貧困率も子どもの貧困率もジョジョに奇妙に悪化し続けてきたことが分かる。

 

 

Hr2_2 (表はクリックすれば大きくなります)

 

 

そして、30年前も現在も、両親がそろってる世帯と比べると、「大人が一人」のシングルマザーやシングルファザーの世帯のほうが、何倍も貧困率が高いことが分かる。たとえば、最新のデータで見ると、子どもの貧困率は16.3%だから、ザックリと言えば「6人に1人の子ともが貧困」ということになるけど、「大人が一人」のシングルマザーやシングルファザーの世帯になると、これが一気に54.6%に跳ね上がる。つまり、「2人に1人以上の子どもが貧困」ということになるのだ。

 

これは、30年前からまったく改善されてなくて、多少の上下はあっても、「大人が一人」の世帯は常に50%以上が「貧困」だ。一方、両親がそろってる世帯のほうは、30年前には9.6%だったものが、現在は12.4%に悪化したんだから、両親がそろっていても「貧困」と判断される子どもが増えた、と言うことになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、日本で「少子化」が問題になって久しいけど、2013年度の出生率(1人の女性が生涯に生むとされる子供の人数)は、1.43人となり、前年の1.41人から、ホンの少しだけ改善した。でも、カンジンの「子どもを産む女性」の数が減ってるから、実際に生まれてきた子どもの数は過去最低の102万9800人、前年より7400人も減ってしまった。つまり、この出生率の微妙な改善は、日本の「子どもを産む環境」が良くなったワケじゃなくて、単に分母が減ったことによる数字上の変化ってワケだ。

 

そして、1年間で生まれてきた子どもの数が102万9800人なのに対して、1年間で亡くなった人の数は126万8400人、これは前年度から1万2000人も増えてる。ま、高齢化が進んでるんだから、亡くなる人の数が増えるのは自然の摂理だけど、今の状況が続けば、日本の人口は着実に減り続けることウケアイだ。このまま減り続けると、2050年には9500万人に、2100年には4700万人にまで減ってしまうと試算されてる。

 

あたしは、日本て人口が多すぎると思うから、少しは減って1億人くらいになるのがいいと思ってる。だけど、それは、子どもからお年寄りまで平均してて、20代から40代までが多いという理想的な人口バランスでの話であって、子どもがいなくなって高齢者ばかりになったら、国家として成り立たなくなっちゃうから困る。このまま減り続けると、2050年には9500万人になるって書いたけど、これにしたって、全年齢層が平均的に減るワケじゃない。0歳から64歳までが3000万人減り、65歳以上の高齢者は逆に増えるのだ。

 

 

‥‥そんなワケで、世界各国の出生率を見てみると、最高がニジェールの7.0人で、以下、ソマリアの6.3人、ザンビアの6.3人、アフガニスタンの6.2人、マリの6.2人、東ティモールの6.1人‥‥って感じで、上位50位くらいまでは、アフリカの国々と中東の国々、あとは東南アジアの国々が占めてる。一方、日本を始めとした先進国は軒並み100位以下で、その中でも高いのが、103位のニュージーランドの2.2人、114位のアイスランド、アイルランド、アメリカの2.1人、122位のオーストラリア、フランスの2.0人、130位のデンマーク、フィンランド、スウェーデン、イギリスの1.9人で、日本は最下位から3番目の179位だ。

 

ちなみに、その国の人口を維持するために必要な出生率は「2.08人」て言われてる。だから、今挙げた先進国の数々は、人口が極端には減らずに何とか横ばいしてる国ってことになる‥‥ってなワケで、これらの先進国の中で、現在2.0人のフランスは、かつては1.6人まで減少してた。現在1.9人のスウェーデンも、かつては1.5人まで減少してた。今の日本と変わらないほど低い出生率だったフランスやスウェーデンは、どうやってここまで回復させたのだろうか?

 

それは、婚外子を認める社会、シングルマザーが普通に暮らせる社会、同性婚を認める社会を作ったことだった。日本では、婚外子は全体の2%しかいなくて、結婚してない女性が子どもを産むということは、周りから特別な目で見られてしまう。その上、社会的な保障なども完備されていないため、女性が1人で子どもを産み、働きながら育てるということはとても難しい。だから、結婚して出産したあとに離婚してシングルマザーになってしまった女性はたくさんいるけど、最初から「結婚はしたくないが子どもは欲しい」という考え方で子どもを産む女性はほとんどいない。

 

でも、フランスやスウェーデンでは、結婚していないカップルやシングル女性が子どもを産んでも、同性婚のカップルが人工授精や養子縁組で子どもをもうけても、男女の夫婦に準ずる社会保障が受けられるようにした。シングルマザーが働きながら子どもを育てられる環境作りを行なった。その結果、「結婚はしたくないが子どもは欲しい」という女性たちが次々と子どもを産むようになり、結婚していない男女のカップルが次々と子どもを作るようになり、同性婚のカップルが次々と子どもをもうけるようになり、20年弱で出生率が2.0人にまで回復したってワケだ。

 

現在の婚外子の割合は、スウェーデンが55%、フランスが53%、つまり、2人に1人以上の子どもが婚外子なのだ。だから、婚外子だからって特別な目で見られないし、両親が結婚してる家庭よりも、両親が結婚してない家庭やシングルマザーの家庭のほうが普通みたいなもんなのだ。ちなみに、他の国を見てみると、デンマークが46%、イギリスが44%、オランダが41%、アメリカが40%、アイルランドが33%、ドイツが32%、スペインが31%、カナダが27%と続いてる。これを見れば、日本の「2%」が、いかに低いのかが分かると思う。

 

 

‥‥そんなワケで、もちろん、あたしは、男性と女性が結婚して、子どもを産み、家庭を築くことを否定してるワケじゃない。それで、男性も女性も子どももみんな幸せなら、それに越したことはないと思ってる。でも、恋愛にはいろんな形があるワケだし、人生にもいろんな人生があるワケで、男性同士や女性同士で愛し合って結婚したいと思う人たちがいて、そのカップルが子どもを欲しいと願うことも、1人の女性が結婚をせずに出産をして自分1人で子どもを育てる道を選択することも、すべては自由だと思ってる。

 

でも、日本の場合は、最初に挙げた厚生労働省の表を見れば分かるように、「大人が一人」の世帯では、54.6%もの家庭が「貧困」だ。この「大人が一人」の世帯には、便宜上はシングルマザーもシングルファザーも含まれてるけど、現実的には大半がシングルマザーの家庭だろう。あたしは、この54.6%という「貧困率」をゼロにしろとは言わないけど、せめて両親がそろってる世帯の12.4%と同じにして欲しいと思ってる。シングルマザーの家庭の「貧困率」が両親のそろってる家庭と同じ水準まで下がれば、女性が1人で働きながら子どもを育てていくという生活スタイルを選択肢の1つとして選べるようになる。「仕方なくシングルマザーになった」のではなく、自分の理想の生き方としてシングルマザーを選択できるようになる。

 

女は結婚するものだ。結婚して子どもを産むものだ。結婚もしていないのに子どもを産むなんて言語道断だ‥‥って、こんな「生きた化石」のような考え方の男が未だにウヨウヨと生息してる精神的後進国の日本だから、フィギュアスケートの安藤美姫さんが赤ちゃんをお披露目してシングルマザー宣言をした時には、「おめでとう!」じゃなくて罵声と好奇の目ばかりが集まった。「相手の男は誰だ?」と最低な記者たちが嗅ぎまわった。こんな時代遅れの男性社会なのに、形だけの女性大臣を並べて「女性の活躍」って、バッカじゃないの?

 

 

‥‥そんなワケで、マジで今の日本の少子化はヤバイと思うから、あたしがもしも総理大臣なら、国民との約束をちゃんと守って、消費税の引き上げぶんはすべて社会保障に回す。そして、シングルマザーの「貧困率」を下げるための政策を行なう。もちろん、福島第一原発の放射能汚染によって被曝し続けている子どもたちの救済や、放射能汚染食品による内部被曝から子どもたちを守るための政策も並行してやってくけど、これは今回の問題とは別の話だし、財源も別になる。今回の少子化の問題については、現実に成功したフランスやスウェーデンにならって、婚外子を認める社会、シングルマザーが普通に暮らせる社会、同性婚を認める社会を作ることこそが、あたしは、唯一の解決策だと考える今日この頃なのだ。

 

 

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2014.09.08

桃色は幸せの色♪

「桃色」と言えば、今どきは「ももいろクローバーZ」なんだろうけど、あたしが子どものころは、「桃色」と言えば「桃色でんぶ」だった。こうして久しぶりに文字にすると、ナニゲに「桃色臀部」って感じで、エッチなお姉さんのお尻を想像しちゃうけど、これは橋本治さんの『桃尻娘』のイメージによるものだと思う。あたしが言ってる「でんぶ」は、食べ物の「でんぶ」、ご飯に乗せて食べるピンク色のやつだ。

正式には「桜でんぶ」って言うんだけど、あたしの家では「桃色でんぶ」って言ってた。最近はメッタに見かけなくなったけど、あたしが子どものころは、いつも家に「桃色でんぶ」があった。小型のタッパーに入れてあって、ご飯の時に冷蔵庫から出してくる。キュウリやナスの糠漬けは、ご飯の時に糠味噌から出して洗って刻んで器に盛り付けるけど、買ってきた東京タクアンや壺漬けや柴漬けなんかは小型のタッパーに入れてある。あと、昆布やシジミの佃煮とか、塩昆布なんかも小型のタッパーに入れてあった。

そして、ご飯の時間になると、冷蔵庫から小型のタッパーをいくつも出してきて、フタを開けてテーブルの真ん中に並べるのがあたしの役目だった。今、思い出したけど、亡くなったおばあちゃんは、まっ黄色の東京タクアンを薄く切って、それを重ねて細い千切りにして、そこに金ゴマをふりかけて混ぜたのが大好きだった。だから、それが入ってる小型のタッパーは、いつもおばあちゃんの席の前に置くようにしてた。

そんなこんなで、あたしが子どものころは、メインのおかずがなくても、ご飯を炊いてお味噌汁を作るだけで、これらのタッパーを並べれば食事ができた。もちろん、母さんもおばあちゃんもいろんな美味しいおかずを作ってくれたけど、美味しいおかずがあっても、あたしはご飯に「桃色でんぶ」を乗せるのが好きだった。だから、幼稚園の時の遠足や運動会、小学校に上がってからも、母さんが作ってくれるお弁当には、必ずご飯の一部に「桃色でんぶ」が乗せてあった‥‥って、ここまで引っぱっちゃったけど、「桃色でんぶ」の「でんぶ」は、お尻の「臀部」じゃくて、漢字だと「田麩」って書く今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「田麩」の「麩」は「お麩」の「麩」だけど、「お麩」とは関係ないと思う。「お麩」は小麦のグルテンで作るものだけど、「田麩」の原料は白身のお魚だ。東京のおでんの具の中で、あたしが一番好きな「ちくわぶ」の場合は、漢字で「竹輪麩」と書くけど、これは小麦粉を練って作るので、「竹輪の形をしたお麩」と理解することができる。でも、「田麩」の場合は、どう考えても「お麩」の一種とは思えない。

たとえば、世界三大珍味にも数えられる「キャビア」、あれはチョウザメの卵だから動物性の食べ物だ。それに対して、単に見た目が似てるというだけで、ホウキ草の実で作る「とんぶり」のことを「畑のキャビア」と呼んでるけど、これは「アリ」だ。だから、普通の「お麩」がお魚とかを原料にしてる動物性の食べ物だったとして、それ対して「でんぶ」が植物性の食べ物だったとすれば、これなら「畑のキャビア」と同じに「田のお麩」という意味で「田麩」と表記しても意味が通じる。

だけど、実際は逆だ。お魚を原料にして作った食べ物に「田」の文字を当てるのはおかしい‥‥ってなワケで、あたしは、何で「でんぶ」と名づけられたのか?何で「田麩」と書くのか?いろいろと調べてみた。そしたら、こういうのって必ず「諸説ある」って結果になるけど、やっぱり、良い意味のと悪い意味のと、正反対な感じの説が見つかった。

まず、良い意味のほうから紹介すると、古来から日本では秋の豊作を祈念するいろんな神事が行なわれてきたんだけど、その中に「田植えの時に舞いを踊る」というのがあって、これを「田舞(たまい/でんぶ)」と呼んでいた。で、この神事の時に振る舞う料理に使う色鮮やかなモノのことを「でんぶ」と呼ぶようになった。でも、「田舞」と書くと神事そのものとゴッチャになっちゃうので、食べ物であることが分かるように「舞」を「麩」に変えた‥‥っていう説。

そして、悪い意味のほうは、「田夫野人(でんぷやじん)」という四字熟語があるように、古来は人をバカにする表現として「田夫」と「野人」が使われてた。「田夫」とは農夫のことで、「野人」とは庶民のことなんだけど、相手がホントの農夫じゃなくても、ホントの庶民じゃなくても、「この田舎者!」みたいな感じで使われてた。田舎くさくてダサい人、教養がなくて礼儀を知らない粗野な人、そんな意味だ。で、せっかくのお魚の身をボロボロにほぐして作った食べ物なんて田舎くさくて野暮ったいってことで、「田夫」の「夫」を「麩」に変えて「田麩」と呼ぶようになった‥‥っていう説。

う~ん、あたし的には、やっばり前者だなあ。だって、「田麩」の作り方を調べてみたら、ものすごく手間の掛かる工程で、大半が機械化された現代でも大変なのに、これをすべて手作業でやってた時代に、まさか「田舎くさくて野暮ったい食べ物」だなんて言うワケないもん。

ザックリと説明すると、まず、タイとかタラとかイシモチとかヒラメとかの白身のお魚を三枚におろして、コトコトと煮るかセイロで蒸す。それから、身の小骨や皮を丁寧に取って完全に身だけにして、それを圧搾して水分を絞る。その身を細かくほぐして、擂鉢で擂ってから、今度は残ってる水分を飛ばすために焙煎する。ようするに、フライパンみたいなもので乾煎りするワケで、これも付きっきりで木ベラとかで混ぜ続けてないと焦げちゃうから大変だ。

そして、ようやくパラパラの身になったら、次は味付けだ。お魚の身の量に対して、約7%のお砂糖、約1%のお塩、あとはミリンや日本酒やお醤油などの調味料を加えて、茹で汁を少し加えて、食紅で色を付けて、また水分がなくなるまで炒っていく‥‥ってワケで、これを読んで、スーパーでお魚を買ってきて自分で作ってみようって思った人いる?いないよね(笑)


‥‥そんなワケで、これほど手間の掛かる上に、見た目はきれいな桃色なんだから、まさに「特別な時の食べ物」であり「おめでたい席にこそピッタリの食べ物」だと思う。いつも冷蔵庫のタッパーに入ってて、食べたい時にはいつでもご飯に乗せることができた子どものころのあたしだけど、それでも、運動会や遠足の時、お弁当をひらいて「桃色でんぶ」の色がなかったら、きっとガッカリしてたと思う。

「桃色でんぶ」の色には、食べる人をおめでたい気分、幸せな気分にしてくれる力があるんだと思う‥‥って言ったのもトコノマ、せっかくこれだけ持ち上げてきたのに、ここでものすごく悲しいお知らせをしなきゃならない。それは、江戸時代の寛文年間の終わりから延宝年間の始めにかけて、1670年~1674年ころに書かれた『古今料理集』の中に、次のような記述があったのだ。


「田夫は、色々を鍋に入れて、酒をひたひたにさして、甘味の付程にとっくと煮て、この汁をよくしため、(中略)汁のなきやうに煎付て用いること也」


のあーーー!ハッキリと「田夫」って書いてあるじゃん!‥‥ってワケで、これが農夫のことだったら仕方ないけど、それでも、せめて「田舎くさくて野暮ったい食べ物」って意味じゃなくて、「お米や野菜を作ってくれる農夫のような素晴らしい食べ物」って意味であってほしい。「田麩」の語源が「田夫」で、それが「田舎くさくて野暮ったい食べ物」なんて意味だったとしたら、いっそのこと「臀部」に表記を変えてもらいたい。こっちのほうが「形と色がセクシーなお尻」って感じで、まだマシだ。


‥‥そんなワケで、ネーミングの語源はどうであれ、きれいで可愛い「桃色でんぶ」のおかげで、あたしは幸せな子ども時代を送ることができた。3月3日の「雛祭り」に、母さんやおばあちゃんが作ってくれたちらし寿司にも、必ず「桃色でんぶ」が散らしてあった。錦糸卵の黄色と、さやいんげんの緑色は、「桃色でんぶ」のピンク色があってこそ際立つのだ。華やかで、温かくて、食べる人にハピネスをチャージしてくれるプリキュアみたいな食べ物、それが「桃色でんぶ」なのだ♪


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2014.09.03

イスラム国による2人目の処刑

イラクとシリアに勢力を拡大し続ける「イスラム国」は、8月19日、イラクから米軍を撤退させるために、米国人捕虜のうちの1人、シャ―ナリストのジェームズ・フォーリー氏(40歳)を処刑した。生きたままナイフで首を切断し、横たわった遺体の腹の上に切断した頭部を乗せるという残虐な映像は、瞬く間に世界中を駆け巡った。そして、その動画の中で予告していた通りに、9月2日、今度は別の捕虜の米国人ジャーナリスト、スティーヴン・ソトロフ氏(31歳)を処刑する残酷な映像が公開された。説明するまてせもなく、極めて残酷でショッキングな動画なので、観る人は自己責任で観てほしい。

【閲覧注意】
https://www.youtube.com/watch?v=l4SqD7R0DA8


今回、処刑されたスティーヴン・ソトロフ氏は、フロリダ州マイアミ出身で、昨年2013年8月にシリア北部のアレッポで身柄を拘束されていた。ジェームズ・フォーリー氏と同じにオレンジ色の服を着せられ、生きたまま首を切断され、横たわった遺体の腹の上に切断した頭部が乗せられた。

「イスラム国」は前回の動画の中で、米国のオバマ大統領を名指しして、「イスラム国に対する空爆をやめなければ、次はソトロフ氏を処刑する」と宣言していた。しかし、オバマ大統領はこの警告を無視して、空爆をやめるどころか、「テロには屈しない」というお約束のセリフを口にして、逆に空爆を拡大させた。そのため、今回、スティーヴン・ソトロフ氏が処刑されたのだ。スティーヴン・ソトロフ氏は、今回の動画の中で、処刑される前に「イスラム国」が書いたと思われる原稿を読み上げていた。


Yt2


「米国が警告を無視して軍事介入をやめなかったため、その代償として私は処刑される。米国が軍馬介入をやめない限り、多くのアメリカ人の捕虜が次々と処刑されるだろう」


ちなみに、今回の動画でも、次回の処刑の予告がされた。処刑されたスティーヴン・ソトロフ氏の動画のあとに、1人の男性が映っている。「イスラム国」の戦闘員は、「米国がイラクから撤退しなければ、次はこのデービッド・ヘインズ氏を処刑する」と宣言している。


Yt1


デービッド・ヘインズ氏は、アメリカ人でなくイギリス人だ。昨年3月、シリア北部のイドリブの難民キャンプで支援活動をしていたところを武装グル―プに拉致されたまま行方不明になっていたが、デービッド・ヘインズ氏を知る人物によると、この動画の男性は、間違いなく本人だそうだ。だから、米国が空爆をやめない限り、近い将来、この男性が処刑され、その動画がアップされるだろう。


‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」は割愛して先へ進むけど、「イスラム国」には、とても多くの欧米人の捕虜がいると思われる。身代金を要求したりもしてるんだから、「捕虜」と言うよりは「人質」と言うべきかもしれないけど、あたしが映像上で確認しただけでも、少なくとも十数人はいる。

米国防総省は「米国人の捕虜は2人」だなんて寝言みたいなことを言ってるけど、これは完全に自国民向けの嘘だろう。だって、今年になってからだけでも、米国人の捕虜は2人も解放されてるのだ。もしも捕虜が6人しかいなかったら、2人を処刑して、2人を解放するだろうか?実際、解放された米国人の捕虜の1人も、自分が拘束されていた部屋には、少なくとも「18人の捕虜がいた」と証言してる。

あたしは、約1年くらい前から、「イスラム国」の前身である「ISIS(Islamic State of Iraq and Syria)」のYOU TUBEの公式チャンネルをチェキしてきた。あまりにも残虐な映像の数々に、思わず目を覆いたくなるものも多かったけど、中東の情勢を知るための情報源の1つとして、なるべく観るようにしてた。だから、あたしは、彼らがシリア兵や他教徒を捕まえると何の躊躇もなく殺害する一方で、欧米人を捕まえると「有益な切り札」として大切に生かしていることを垣間見てた。

米非営利団体の「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」によると、シリアが内戦状態に陥ってからの約3年間で、少なくとも80人を超える海外ジャーナリストが武装勢力に拉致されたが、生死が分かっていないケースが大半だという。こうした情報からも、多くの欧米人の捕虜が今も拘束されていると見て間違いないだろう。

「イスラム国」は、敵の兵士や他教徒の男性は容赦なく殺害する。女性は強姦して売り飛ばすか改宗させて自分たちの仲間と結婚させる。そして、欧米人は米国との取引のための「有益な切り札」として生かしておく‥‥ってことだ。「イスラム国」は強大な勢力だから、他の武装勢力からも一目置かれている。できることなら「イスラム国」とは対立したくない。そう思ってる武装勢力は、「イスラム国」への忠誠を誓う代わりに、自分たちが拉致してきた欧米人を「イスラム国」へ差し出す。

8月19日に処刑された米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏も、もともとはシリアを取材中の約2年前に、「イスラム国」とは敵対していた武装組織「ダウード旅団」に拉致された。「ダウード旅団」は約1000人規模の小さな組織で、日本人の湯川遥菜氏が同行していたと言われている比較的穏健派の「自由シリア軍(FSA)」などと共闘していたが、ここ数ヶ月で組織の方向性が変わり、過激になった。それまで共闘していた穏健派と袖を分ち、急激に「イスラム国」へと接近するようになった。

シリア内だけでも6万人以上の戦闘員を持つ「イスラム国」は、シリアのアサド政府軍でさえも脅威を感じている。数日前にも、アサド政府軍の兵士160人以上が「イスラム国」に拘束されて処刑されたばかりだ。だから、わずか1000人規模の「ダウード旅団」としては、「打倒アサド政権」という目標のためなら、より強大な「イスラム国」の傘下に下ったほうが話が早い。日本と同じで「寄らば大樹の陰」ってワケだ。

そして、この「ダウード旅団」が「イスラム国」への忠誠を誓うために利用したのが、米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏だった。「ダウード旅団」は捕虜のジェームズ・フォーリー氏を「生け贄」として「イスラム国」へ差し出し、その見返りとして「イスラム国」と行動をともにすることになった。


‥‥そんなワケで、あたしが不思議に思ってるのが、「イスラム国」に拉致された日本人の湯川遥菜氏の救出のために、日本の外務省が交渉を依頼してるのが、「ムジャヒディン軍」のメンバーだってことだ。「ムジャヒディン軍」てのは、現在の「ダウード旅団」のことなんだよ。つまり、過去に何人も米国人ジャーナリストを拉致してて、今回も「イスラム国」に取り入るためにジェームズ・フォーリー氏を差し出したグループであり、完全に「イスラム国」サイドの勢力なのに、そこと交渉って、あたしには意味が分からない。

最初にリンクした、スティーヴン・ソトロフ氏が処刑された今回の動画の中で、「イスラム国」の戦闘員は、次のように釘を刺している。


「オバマよ、お前のミサイルが我々の民を攻撃し続けるのであれば、我々のナイフは米国人らの首を切り落とし続けるだろう。そして、米国による悪の連合に加わっている国も同様だ。今すぐに手を引け」


この警告のポイントは「米国人ら」という部分だ。これには当然、「英国人」も含まれている。だから、次の処刑の予定者は英国人の「デービッド・ヘインズ氏」なのだ。そして、この警告の後半の「米国による悪の連合に加わっている国も同様だ」という部分には、もちろん「日本人」も含まれているだろう。集団的ナンタラで自衛隊がイラクやシリアで出掛けて行かなくても、資金面などで日本が米軍の軍事介入を支援するようなことがあれば、日本人の捕虜も、ジェームズ・フォーリー氏やスティーヴン・ソトロフ氏と同じ運命をたどることになるだろう。

その時、安倍晋三首相は、10年前の小泉純一郎首相と同じに、「テロには屈しない!」と連呼して自国民を見捨てるのだろうか?たしか、5月15日の集団的ナンタラの記者会見では、安倍晋三首相は「今や海外に住む日本人は150万人、さらに年間1800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます」と前置きした上で「内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても、国民の命を守る責任があるのです!」って力説してたよね。

だけど、実際には、「日本人がシリアで武装勢力に拘束された上に安否は不明」という連絡が入っても、安倍晋三首相は秘書とのゴルフをやめなかった。夕方まで予定通りにゴルフに興じ、夜は晩餐会でワインを楽しみ、翌日も早朝からゴルフ三昧だった。シリアで「イスラム国」に拘束された日本人、湯川遥菜氏のことは、汚染水と同じく「丸投げ」だった。そして、日本人が拘束されて2週間以上が経つのに、未だに何のコメントも出さない。

ちなみに、10年前、当時24歳だった日本人青年を人質にして「自衛隊の撤退」を要求した武装勢力「イラクの聖戦アル=カーイダ組織」に対して、当時の小泉純一郎首相は「テロには屈しない!自衛隊は撤退させない!」として要求を拒否。日本人青年は首を切断されて虐殺された。いくら「人道的支援」だ「後方支援」だと言っても、そんなものは日本国内でしか通用しない屁理屈で、敵から見れば自衛隊は「軍隊」であり、米軍と同列なのだ。

そして、2006年、この「イラクの聖戦アル=カーイダ組織」の指導者であるザルカーウィー氏が米軍に殺害されたため、アブー・アイユーブ・アル=マスリー氏が新しい指導者になった。組織は加速度的に大きくなり、「ISIS」になり、現在の「イスラム国」になったってワケだ。細かい合流や分派はいろいろあるけど、フランク・ザッパに言えば、現在の「イスラム国」は小泉純一郎の時代から連綿と続いているのだ。

「イスラム国」の最大の特徴と言えば、欧米人がヤタラと多いと言う点だ。さっき、シリア国内だけでも約6万人の戦闘員がいるって書いたけど、このうちの5人に1人以上、約1万2000人が欧米人だと言われてる。しばらく前には、オーストラリア人の戦闘員が、切断したシリア兵の頭部を自分の子どもに持たせた記念写真をツイッターに投稿して批判されたけど、とにかく欧米人が多い。

今年、解放された米国人の捕虜は、メンバーの顔は覆面で分からなかったが「英国訛りの英語で会話している戦闘員が多かった」と証言している。米国人シャ―ナリストのジェームズ・フォーリー氏を処刑した戦闘員も、「聖戦士ジョン」というコードネームで呼ばれている英国籍の男で、1年前までロンドン西部の高級住宅街に住んでいて、「L Jinny」という名前で活動していたヒップホップのアーティスト、アブデル-マジェド・アブデル・バリー容疑者(23歳)だと報じられた。


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‥‥そんなワケで、「イスラム国」の戦闘員の中に多くの欧米人がいるということは、米国や英国でテロを行なう上では非常に有利だろう。そして、「イスラム国」の広報のツイッターアカウントは、今回の日本人拘束の件で日本人からのアクセスが殺到したため、今や日本語でツイートを始めた。生きた人間の首を平然と切り落とす集団と、日本のアニメヲタクや軍事ヲタクが普通にツイッターでやりとりをしてる様子を見て、あたしは、近い将来、日本人の戦闘員が日本人の人質の首を切り落とすような日が来ないことを祈るばかりの今日この頃なのだ。


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