スコットランドの代わりに独立したUB40
スコットランドが独立するとかしないとか話題になったことで、今までボンヤリとしか理解されてなかったイギリスのことが再確認されることになった。中には「イギリスは1つの国」だと思ってた人もいたみたいなので、思いっきりザックリと説明しとくけど、まず、「イギリス」とか「英国」とか言うのは、あくまでも通称で、正式には、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」って言って、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つのカントリーから構成された「連合国」だ。
イギリスのロックを「UKロック」なんて言うのは、この「United Kingdom」の頭文字だし、イギリス車に「GB」なんてステッカーが貼ってあるのは、この「Great Britain」の頭文字だ‥‥なんて小ネタも散りばめつつ、今回は、この「連合国」からのスコットランドの独立の是非を問う住民投票が行なわれたワケで、結果は、約55%対約45%で否決されちゃったけど、半数近い住民が独立を望んでることから、今後、イギリスは、スコットランドに対していろいろな面で優遇した政策を余儀なくされることになった。
イギリス全体の面積は、約24万平方キロメートル、日本が約38万平方キロメートルだから、日本の約3分の2だ。そして、人口は約6400万人、日本の半分ほどだ。北海道、東北、北陸、関東、中部と下りてきて、日本のおへその岐阜県くらいまで、これがイギリスの大きさだ。イギリスの中で一番大きいイングランドは約13万平方キロメートルだから、東北、北陸、関東、中部の大半を占めるほど、ウェールズは約2万平方キロメートルなので、青森県と秋田県を足したくらい、北アイルランドは約1万3000平方キロメートルなので、福島県よりちょっと小さいくらいだ。
で、スコットランドだけど、これは、ちょうど北海道と同じくらいだ。北海道の面積は約8万3000平方キロメートルで、人口は約540万人、スコットランドの面積は約7万8000平方キロメートルで、人口は約525万人、だから、イギリスからスコットランドが独立するということは、面積と人口だけで言えば、東日本から北海道が独立しちゃうような話だったワケだ。
今回のスコットランドの独立問題に関しては、多くの著名人が早いうちから「賛成」か「反対」かを表明してた。まず、「独立には反対だ」と表明したのは、「ハリーポッター」の作者でスコットランド在住のJ・K・ローリングさん、ミック・ジャガーさん、デビッド・ボウイさん、ロッド・スチュワートさん、スティングさん、ポール・マッカートニーさん、スティーブン・ホーキング博士、デビッド・ベッカム選手、スーザン・ボイルさんなど。
一方、「独立には賛成だ」と表明したのは、ショーン・コネリーさん、フランキー・ボイルさん、ジェラルド・バトラーさん、アラン・カミングさん、「トレインスポッティング」の作者のアービン・ウェルシュさん、「フランツ・フェルディナンド」のボーカルのアレックス・カプラノスさん、ビョークさん、「モグワイ」のメンバーたち、エイミー・マクドナルドさんなど。
こうして見ると、「反対派」のほうがゴージャスな顔ぶれだよね。あたしはビョークも大好きだけど、さすがに、ミック・ジャガー、デビッド・ボウイ、ロッド・スチュワート、スティング、ポール・マッカートニーがズラリと顔を並べちゃうと、もう完全に勝ち目はない気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今回、スコットランドは独立できなかったんだけど、この騒ぎの裏で、実はコッソリと、もう1つの別の「国」が、イギリスから独立を果たしていたのだ。それが、あたしの愛してやまないUKレゲエバンド「UB40」だ‥‥ってなワケで、まず、このバンド名だけど、これはそのまま「ユービーフォーティー」と読む。イギリスの失業者の給付金制度「Unemployment Benfit , From 40」のことで、失業者はこの専用書類に必要事項を記入して給付金を受け取る。彼らのファーストアルバムのジャケットは、この書類を模したデザインになってる。
1978年に、イギリスはロンドンのバーミンガムで結成された「UB40」のメンバーは、イングランド、スコットランド、北アイルランド、イエメン、ジャマイカと出身地もいろいろで、白人と黒人の混じった8人組だった。イエメンとジャマイカを抜かせば、まさしく今回のスコットランド独立騒動の「連合国」ってワケだけど、「UB40」ではカバー曲以外のオリジナル曲はすべて、誰が作詞したものでも、誰が作曲したものでも、すべての印税を全員で均等に分けるために、オリジナル曲のクレジットは「作詞・作曲 UB40」になってる。そのためなのか、レコード会社とかのバイオグラフィーでは、全員の出身地が「ロンドン・バーミンガム」と記されてる。
でも、実際には、確実にバーミンガム出身だと分かってるのは、メインボーカルのアリ・キャンベルと兄のロビン・キャンベルだけだった。ナゼかと言えば、彼らのお父さんのイアン・キャンベルは、妹のローナ・キャンベルと一緒に、60年代を中心に活躍した「イアン・キャンベル・フォーク・グループ」を率いてて、その本拠地がバーミンガムだったのだ。つまりは、生まれながらにして「音楽一家」だったワケだ。その証拠に、長男のロビンとアリの間にいる次男のダンカン・キャンベルもシンガーだし、もう1人の兄弟のデヴィッド・キャンベルもフォークシンガー、つまり、4人の息子が全員、シンガーなのだ。
‥‥ってなワケで、あたしが「UB40」を知ったのは、多くの人たちと同じように、ニール・ダイヤモンドの「Red Red Wine」のカバーからだった。それも、原曲を知らなかったあたしは、あまりにも素敵なこの曲のトリコになり、アリ・キャンベルの甘くて切ない歌声に夢中になり、2~3ヶ月してから、ようやくカバー曲だったということを知ったほどのテイタラクだった。
そんなあたしが、最初に「UB40」を観たのが、高校1年生の時だった。前にも書いたことがあるけど、あたしは小さいころに大きな病気をしたせいで、みんなより1年遅れて小学校に入学した。だから、高校を卒業するまで、ずっとクラスのみんなよりも1歳年上だった。だから、この時は、ホントは高校2年生の年齢だった‥‥ってなワケで、待ちに待った1989年の2月6日、あたしは無理に誘った女友達と2人で、三軒茶屋にあった会場の昭和女子大の人見記念講堂へ向かった。
記憶がサダカじゃないんだけど、この時は、どこかの大きなホールで2月7日と8日の2日間のライブが予定されてて、発表の直前になって、前日の6日に昭和女子大の人見記念講堂のライブがプラスされたような感じだった。当時、二子玉川に住んでたあたしは、新玉線1本で行ける人見記念講堂が大好きだった。地理的に便利ってだけじゃなくて、上品な女子大の中にある雰囲気も好きだったし、勝手知ったる三茶だという安心感もあったし、意外にも音がいいホールだった。
もともとはクラシックのコンサートとかに対応するように設計されたのか、素晴らしい音響設備で、「アフリカン・フェスティバル」で初めてラッキー・デューベを観たのも、初めてギターデュオのゴンチチを観たのも、あたしはこの人見記念講堂だった‥‥なんてのも織り込みつつ、ステージに登場した「UB40」のメンバーは、モノトーンを基調にした全体的に地味な衣装だった。そして、あたしが何よりも驚いたのが、センターの2本のスタンドマイクの前に並んだアリとロビンのキャンベル兄弟が、2人ともサウスポーだったことだ。アリがピックガードまで真っ黒のテレキャスで、ロビンも真っ黒のムスタングで、2人ともサウスポーで、最高に素敵だった。
まだ、日本では「知る人ぞ知る」的な位置づけだったので、会場は7~8割くらいしか埋まってなかった上に、あたしたちの席の周りの人たちの多くは、「UB40とかいうイギリスのバンドがライブを行なうらしいから、試しに観に来た」って感じの家族連れが多かった。みんな上品な服装で、上品なお嬢さんが一緒だったから、たぶん、昭和女子大の学生と家族だったんだと思う。
だから、ラスタカラーをふんだんに使ったレゲエファッションで踊りまくってたあたしとお友達は、完全に浮きまくりだったけど、これが人見記念講堂のいいとこで、専門の警備員とかを雇ってなかったから、空いてる通路で踊りまくってても、よほどハメを外さない限りは、誰からも叱られなかった。
待ちに待った「Red Red Wine」では、アリの甘くて切ない歌声にメロメロになった。アリが両手を広げてカモメが飛ぶようなジェスチャーをしたので、あたしもアリのマネをして、カモメが飛ぶように踊りまくった。ふと気づくと、アリもロビンも他のメンバーたちも、ステージ上のみんなが順番にあたしたちのほうを見てニコニコしてることに気づいた。
全体的に、通勤電車のサラリーマンたちみたいな地味でグレーな感じの客席で、大半のお客が着席したまま手拍子でしか反応してない中、レゲエっぽいファッションのお客なんか数えるほどしかいなかった。そんな中で、全身をラスタカラーにした女の子が2人、一番目立つ客席の真ん中で踊りまくってるのだ。客席はお互いの顔がハッキリ見えるほど明るかったから、ステージ上からも良く見えたと思う。
そして、「Red Red Wine」はアストロのトースティングのパートに入った。ヒップホップなら「ラップ」って言うんだろうけど、レゲエの場合は「トースト」とか「トースティング」って言う。アリのメインボーカルに乗せて、まったく別のパートを韻を踏みながら棒読みして行く。「ラップ」と言うよりは、ダブに乗せて詩を朗読していく、リントン・クウェシ・ジョンソンの「ポエトリー・リーディング」に近いスタイルだ。
アストロは、背が高くて黒人でドレッドだから、ある意味、「UB40」の「もう1人のフロントマン」的な役割を担ってた。背広を脱いでネクタイを外したサラリーマンみたいな地味なファッションのアストロが、これまた地味に足踏みを続けながら唱え続けるお経のようなトースティングと、それに絡み合うアリの甘いボーカル、ハッと気づくと、知らないうちに会場の半分くらいの人たちが立ち上がり、気持ち良さそうに体を揺らし始めていた。おじさんも、おばさんも、小さな子どもたちも、みんなとっても気持ち良さそうで、ホントに夢のような光景だった。
最初から計画してたのか、アドリブなのか分からないけど、アストロのトースティングが終わると曲調が変わり、突然、スレンテンになった。「スレンテン」てのは、レゲエのリディムの1つで、裏打ちが基本のレゲエで、あえて頭のほうを叩いて盛り上げる「お約束」だ。長くて単調なレゲエの「箸休め」的な存在で、たいていは盛り上がって来た「ここ一番」てとこに持ってくる。
時計を見て計ってたワケじゃないけど、何度も何度も何度も何度も聴きまくって来た曲だったから、この時の演奏は、いろんなスペシャルなアレンジを織込んで、CDよりも2分近くも長く演奏してくれた‥‥ってなワケで、あたしは、「UB40」に夢中になった。特に、アリ・キャンベルに夢中になった、当時、あたしはレゲエのライブに行きまくってて、この年と翌年だけでも、マキシー・プリースト、マイティー・ダイヤモンズ、ジギー・マーリィ & ザ・メロディメイカーズ、フレディ・マクレガー、ココ・ティー、ビッグ・ユース、他にもずいぶん行ったけど、みんなドレッドの黒人だった。
だから、白人で、背が低くて、ひと昔前のアイビーカットみたいなヘアスタイルで、どこからどう見てもレゲエのミュージシャンには見えないアリ・キャンベルが、黒人もビックリの甘い声で歌うレゲエが、あたしにとっては新鮮で、都会的で、オシャレで、何とも言えないカッコ良さだった。あまりにも夢中になって、バイトを掛け持ちして黒のテレキャスまで買っちゃったほどだ。
‥‥そんなワケで、25年も前のライブのことをダラダラと書き続けててもジンジャエールだから、「UB40」のライブの内容に関してはこれくらいにするけど、あたしは、この時、すごく無理して追加公演にも行き、翌年1990年のメルパルクホールでの来日公演も、本公演と追加公演に行った。
あたしが行った「UB40」のライブは、この4回がすべてで、この後も2回くらい来日してるけど、あたしはもう社会人になってて、時間的にも余裕がなくなってたし、「UB40」への熱も冷めてた‥‥ってなワケで、いよいよ本題に入るけど、この時点までの「UB40」のメンバーは、まず、ボーカルとギターのアリとロビンのキャンベル兄弟、サックスのブライアン・トラバーズ、パーカッションのノーマン・ハッサン、ベースのアール・ファルコナー、ドラムのジェームス・ブラウン、キーボードのマイケル・バーチュー、トランペットとトースティングのアストロ(テレンス・オズワルド)の8人で、これがオリジナルメンバーだった。今は全員が50代後半だ。
ちなみに、ドラムのジェームス・ブラウンは、あの「ゲロッパ」のおじさんと間違えちゃうため、ジミー・ブラウンと呼ぶことが通例になってる。また。キーボードのマイケル・バーチューは、これはあの「マイケル」との差別化というよりも、愛称としてミッキー・バーチューと呼ぶことが多い。これが原因の1つになっちゃったのか、それとも、もっとディープなアレやコレやがあったのかは分からないけど、バンドの顔でありメインボーカルのアリ・キャンベルが、バンドを脱退しちゃったのだ。
当時は、「ソロ活動に専念するため」なんていう取ってつけたような説明をしてたけど、実際にはメンバー同士の金銭絡みの内輪もめが原因で、レコード会社と所属事務所が倒産しかけてたのだ。そして、アリのアトガマには、一度、マキシー・プリーストの名前なんかも上がったけど、結局はアリの1歳年上の兄、ダンカン・キャンベルがメインボーカルとして参加することになった。
ザックリと言っちゃえば、30年間も続けて来た愛するバンドだったけど、ここに来ての金銭関係や人間関係でのイザコザにうんざりしちゃったアリ・キャンベルが、アトガマを兄にゆずって身を引いた‥‥ってのが真相のようだ。そして、バンドの中で一番、アリと仲の良かったキーボードのミッキー・バーチューも、アリを追うようにして脱退してしまった。
8人のメンバーのうちの2人とは言え、メインボーカルのアリ・キャンベルとサウンドの要のキーボードのミッキー・バーチューが抜けてしまったのだから、これは大きな痛手だ。サザン・オール・スターズから、桑田さんと原坊が抜けてしまったことを想像してみてほしい。ちなみに、翌2009年になってから、海外の音楽ニュース紙に小さく、「UB40からアリ・キャンベルとミッキー・バーチューが脱退したのは、酷すぎるマネジメントへの耐え難い不満が原因」だと報じられた。
そして、「UB40」は、イマイチのバンドになってしまったワケだけど、続いての事件が起こったのが、2011年だ。これは日本でもそれなりに報じられたから、覚えてる人もいると思うけど、最初にアリ・キャンベルが破産宣告を受けて、次いで、ブライアン・トラヴァース、ジミー・ブラウン、アストロ(テレンス・オズワルド)、ノーマン・ハッサンの4人も破産宣告を受けた‥‥というものだ。
もともとは、マネジメント会社が破産して、その火の粉をかぶらされた形だけど、お金を使い続けたのはバンドのメンバーたちだ。アリ・キャンベルは早いうちから「このままじゃバンドは破産する」って危惧してて、節約できるところは節約しようと言い続けてたそうだ。でも、長年、スターとしての贅沢な生活を続けて来たメンバーの多くは、今さら宿泊するホテルのランクを下げるなんてことには同意しなかった。そして、来るべき日が来てしまったってワケだ。
‥‥そんなワケで、こんな状態だから、バンドの中もうまく行くワケはなく、2013年には、アストロが脱退した。でも、これは、アリ・キャンベルに声を掛けられて脱退したっぽい。ようするに、「また俺たちとやろうぜ!」ってことだ。そして、2014年、ついに、アリ・キャンベルとミッキー・バーチューとアストロの3人は「UB40の本当のサウンドを再現するため」という名目で「新生UB40」を旗揚げした。「新生UB40」の正式名称は「Ali Campbell, the legendary voice of UB40 reunited with Astro & Mickey」、直訳すると「UB40の伝説的なボーカルのアリ・キャンベルがアストロとミッキーと再会した」って感じだ。
脱退したアリ・キャンベルの代わりに、兄のダンカン・キャンベルをメインボーカルに置いた「UB40」も現役なので、ダンカン&ロビンの「UB40」が「加勢大周」なら、新しくできた「UB40」は「新加勢大周」みたいな位置づけだけど、サウンドを聴く限りは、新しくできたほうこそが、紛れもない本物の「UB40」と言えるだろう。何しろ、アリ・キャンベルの甘いボーカルとアストロのトースティングという「UB40」の二枚看板が揃ってるんだから。
とにかく、まずは、下のリンクから3人が9月11日付で公開した「新生UB40」の「Silhouette」を聴いてみてほしい。30年以上も前の「Red Red Wine」から、まったく遜色のないどころか、さらに円熟味の増している、まさに「これぞUB40!」と言わんばかりの素晴らしいサウンドだ。
Ali Campbell - Silhouette
https://www.youtube.com/watch?v=KqFZyujElB8#t=113
‥‥そんなワケで、この「新生UB40」のアルバム『Silhouette』は、10月6日にリリースされる。新曲やオリジナル曲だけでなく、例によって名曲のレゲエアレンジも収録されるそうで、今回は、ビートルズの「Anytime At All」やボブ・ディランの「I Want You」などもレゲエアレンジされているそうだ。もう二度と聴くことができないと思ってた本物の「UB40」のサウンドが聴けるなんて、あたしにとって、これほど幸せなことはない。スコットランドは独立できなかったけど、ベルリンの壁が崩壊した1989年に初めてライブを観た「UB40」が、25年の時を超えて、今度は「Ali Campbell, the legendary voice of UB40 reunited with Astro & Mickey(UB40の伝説的なボーカルのアリ・キャンベルがアストロとミッキーと再会した)」という名前になって再登場してくれるなんて、もはやこれは「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」をも超えた王国の独立と言っても過言じゃないと思った今日この頃なのだ♪
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