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2014.10.27

内閣支持率と報道の自由指数

過去に例を見ないほどの高い支持率をキープしている安倍内閣も、4月の消費税増税を皮切りに、相次ぐ食料品や日用品の値上げラッシュ、製造業の伸び悩み、過去最大の貿易赤字、株価の足踏みなどで「絵に描いた餅」である「アベノミクス」の化けの皮が剥がれ始めると、ジョジョに奇妙に内閣支持率が下降してきた。このままじゃ12月にシナリオ通りに「消費税の再増税」を宣言できなくなっちゃう‥‥ってなワケで、安倍晋三首相は、9月に内閣改造を行なうことにした。

で、今回の内閣改造の目玉は、皆さんご存知の通り、「女性の活用」ってワケで、安倍首相は鳴り物入りで5人の女性閣僚を誕生させた。でも、これがトンチンカンな人選で、これまでずっと原発事故による子どもの被曝を問題視して来た小渕優子を「経済産業大臣」に起用したり、これまでずっと「男女共同参画」に反対し続けて来た有村治子を「男女共同参画」を含む「女性活躍担当大臣」に起用したり、国会議員の規則を破ってばかりいる松島みどりを「法務大臣」に起用したりと、まったくの支離滅裂。

他にも、「総務大臣」の高市早苗や「国家公安委員会委員長」の山谷えり子は、極右団体の代表やレイシスト団体の幹部らとツーショット写真を撮っていたことが発覚し、山谷えり子に至っては献金まで受け取っていたことも発覚した。そして、政治資金の不正問題で小渕優子が、ウチワ問題で松島みどりが、就任からわずか1ヶ月半で辞任へと追い込まれた。その上、小渕優子のアトガマの宮沢洋一は、就任から3日で「SMバー」の問題が浮上し、東電の株を所有していたことまで発覚。一方、松島みどりのアトガマの上川陽子も、2009年の衆院選では選挙違反で事務所スタッフが逮捕されていたことが発覚しちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「女性の活用」という看板で内閣支持率を引き上げて、12月の「消費税の再増税」の宣言へと突入しようと考えていた安倍首相の目論みは、完全に裏目に出ちゃったワケだ。まあ、若い小渕優子を「経済産業大臣」に抜擢して、就任直後に福島第一原発を視察させ、「原発事故はコントロールできている」「汚染水は完全にブロックされている」と宣言させ、その流れで「安全が確認された原発は順次、再稼動して行く」とまで言わせたんだから、多くの国民は、この時点で、「これじゃあ『女性の活用』じゃなくて『女性の利用』じゃねえかよ!」って思ったことだろう。

で、ここまで不祥事が連発しても、何故だか安倍内閣の支持率は、それほどは下がらない。今回の小渕優子と松島みどりのダブル辞任を受けての各紙の世論調査の結果は、以下の通りだ。


【共同通信社】
内閣支持率 48.1%(6.8ポイント減)
不支持率 40.2%(11.2ポイント増)

【毎日新聞】
内閣支持率 47%(前回と同じ)
不支持率 36%(4ポイント増)

【朝日新聞】
内閣支持率 49%(3ポイント増)
不支持率 30%(3ポイント減)

【日本経済新聞】
内閣支持率 48%(5ポイント減)
不支持率 36%(5ポイント増)

【読売新聞】
内閣支持率 53%(9ポイント減)
不支持率 37%(7ポイント増)


これを見れば分かるように、なんだかんだ言っても、5割前後の国民が安倍内閣を支持してるのだ。ま、こうした世論調査は、電話帳でランダムに選択した人に電話をして調査してるので、自宅に固定電話があり、それを電話帳に登録している人で、さらには、昼間に自宅にいる人‥‥ってことになるから、大半は「専業主婦」であり、極めて偏った結果になる。その上、読売新聞の場合は、「どちらとも言えない」と答えた人に対して「どちらかと言えば支持ですか?不支持ですか?」という「重ね聞き」をして、ここで「どちらかと言えば支持」と答えた人も「支持」にカウントするという方式なので、必然的に支持率が高くなる。


‥‥そんなワケで、9月21日付の「ビジネス・ジャーナル」の須田慎一郎氏の記事によると、内閣官房高官が「もう朝日新聞や毎日新聞は読む必要はありませんよ。新聞は、読売の一紙だけ読んでいれば十分」と発言したそうだ。リンク先の記事を読めば分かるように、これは、朝日新聞の「慰安婦問題」を受けての発言だけど、もちろん、それだけじゃなくて、「安倍政権と読売による世論統制」について、深く掘り下げてある。


「ここ最近の読売は、いうなれば『日本版人民日報』と化している。政府の公式見解を知りたければ読売を読めばいい、というのが各国情報関係者の一致した見方となっている」

「情報のコントロールがこちらの思惑通りに進めば、メディア統制も可能になってくる。そしてメディア統制に成功すれば、世論形成もリードすることができるようになる」


記事の中のこれらの証言も、先ほどの他紙を突出した読売新聞の内閣支持率を見れば合点が行くだろう。これはあたしの推測だけど、読売新聞の世論調査の内閣支持率は、「どんなことがあっても絶対に50%を割り込むな」という暗黙のルールでもあるかのように感じられる。そうでなければ、これほど国民生活を苦しくさせて、これほど不祥事を連発している内閣の支持率が、53%もあるワケがない。


‥‥そんなワケで、安倍政権によるメディア統制は、読売新聞だけじゃない。そう、安倍首相が自分の息の掛かった人物を会長や経営委員に据えたNHKだ。8月18日付の毎日新聞の「籾井会長下で安倍政権寄りに?NHK「ニュースウオッチ9」核心はどこだ」という記事には、次のように書かれている。


「89対1。ニュースウオッチ9が、集団的自衛権行使容認を巡る報道で、与党・政府の動向に割いた時間と、容認反対派側の動向を報じた時間の比率だという。元NHKディレクターで「放送を語る会」の戸崎賢二さんの試算だ。」


詳しく説明すると、安倍首相が「集団的自衛権の行使容認」についての会見を行なった5月15日から、強引に閣議決定してしまった7月1日まで、NHK「ニュースウオッチ9」で「集団的自衛権」について取り上げた時間をすべて調べてみたところ、安倍首相の主張や政府与党の動向について割かれた時間が「6840秒(114分)」だったのに対して、反対派の主張や反対デモなどについて割かれた時間は、わずか「77秒」だった‥‥というものだ。

果たして、これが、「中立的な報道」と言えるだろうか?百歩ゆずって、読売新聞や産経新聞のような民間の報道媒体であれば、多少はそれぞれの社のカラーが出てしまうのも分かる。でも、NHKは公共放送なんだから、サスガにこれはアウトだろう‥‥ってなワケで、これは日本ではまったく報じられてないけど、10月17日付の英国タイムズ紙が、こんなニュースを報じた。


「Japan’s ‘BBC’ bans any reference to wartime ‘sex slaves’」
(日本のBBCは戦時中の「性奴隷」についての報道を禁止された)

「BBC」ってのはイギリスの国営放送なので、「日本のBBC」ってのは「NHK」のことで、イギリス人に分かるような見出しにしたワケだ。記事を読んでみると、次のようなことが書かれている。


「戦時中に南京で行なわれたレイプについての発言の禁止は、公共放送局であるNHKが公共性を放棄したことになる。英国タイムズ紙が入手したNHKの内部文書によると、日本の公共放送局であるNHKは、戦時中に南京などで行なわれたレイプ、悪名高い従軍慰安婦という性奴隷について、国が関与したという内容などを報じることが禁止された。この規則は、日本の保守的で国家主義者である安倍晋三首相の立場を反映したものと思われる」
http://www.thetimes.co.uk/tto/news/world/asia/article4239769.ece


‥‥そんなワケで、数日前に、世界の国々の「報道の自由指数」の2014年度のランキングが発表された。これは、文字通り、その国の報道媒体が「どれくらい権力に左右されずに自由に報道できているか」という指数を調査、比較したもので、今年2014年度は、次のような結果だった。


1位 フィンランド
2位 オランダ
3位 ノルウェー
4位 ルクセンブルグ
5位 アンドラ
6位 リヒテンシュタイン
7位 デンマーク
8位 アイスランド
9位 ニュージーランド
10位 スウェーデン
33位 イギリス
46位 アメリカ
59位 日本

http://rsf.org/index2014/en-index2014.php#


「えっ?日本ってこんなに低いの?」って思った人も多いと思うけど、ここで、過去10年間の日本のランキングを見てみよう。


【日本の報道の自由指数の世界ランキング】

2005年 37位
2006年 51位
2007年 37位
2008年 29位
2009年 17位
2010年 11位
2011年~2012年 22位
2013年 53位
2014年 59位


これを見れば一目瞭然だけど、民主党政権下では「17位」「11位」「22位」だったものが、2012年12月に安倍政権が誕生したトタン、2013年は「53位」に急落し、2014年には、さらに「59位」まで落ち込んだのだ。それどころか、過去にさかのぼると分かるけど、第1次安倍政権の2006年も「51位」って、松田優作じゃなくても「なんじゃこりゃ~!」って感じだ。


‥‥そんなワケで、時の首相が自分の政権を維持するために、新聞社を丸め込んで「盛りに盛った内閣支持率」を公表させ続ける。公共放送の会長や経営委員に自分の息の掛かった人物を送り込み、政権に有利な内容ばかりを報道させ続ける。こうしたメディア統制によって世論を形成すれば、放射能汚染水が海にダダ漏れでも、南海トラフ大地震が迫っていても、お給料が上がらないのに物価ばかりが上がり続けても、テレビと新聞からしか情報を得ない多くの人たちは、今の日本が希望に満ちた未来へと向かっていると錯覚してしまう。そして、憲法解釈をも閣議決定だけで変更してしまうような傍若無人な独裁者を看過してしまう今日この頃なのだ。


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2014.10.18

菅義偉と陽岱鋼

昨日17日の朝、あたしは次のツイートをした。ツイートの下の「投稿時間」も見ながら読んでほしい。


きっこ@kikko_no_blog
「菅義偉官房長官は今年9月17日に沖縄県を訪れ、米軍普天間基地を2019年をめどに運用停止を目指す方針を表明したが、米国防総省は「日本政府からそのような要請はない。日米の合意は22年度以降の返還だ」とコメント」とのこと。菅義偉の発言は県知事選に向けて県民を騙す「絵に描いた餅」
2014.10.17 08:37

きっこ@kikko_no_blog
マスコミは「19年の普天間停止、米拒否意向」と報じてるけど、米国防総省は「日本政府からそのような要請はない」とコメントしてるんだよ。米国に何も要請せずに「できもしない約束」をした安倍政権が問題なのに、「辺野古移設の反対派が問題を長引かせている」と印象づけるための誘導報道だね。
2014.10.17 08:59


この2つのツイートは、朝9時前に投稿されている。で、9時になり、ほぼ毎日聴いてる文化放送「くにまるジャパン」が始まった。昨日は金曜日なので、野村邦丸さんのパートナーは「世界のOBC」こと伊藤佳子アナ、レギュラーコメンテーターは佐藤優さんだ。そして、オープニングからの野村邦丸さんと佐藤優さんの時事ネタトークを聴いてたら、驚いたことに、この話題を取り上げたのだ。

野村邦丸さんが「菅官房長官は沖縄の負担軽減のために『普天間基地は2019年までに運用を停止する』と沖縄の人たちに約束しましたが、米国防総省は『そんな話は聞いていない』と言ってますね」と、この話題を取り上げると、これを受けた佐藤優さんは「菅官房長官の発言は沖縄の県知事選に向けてのものですよ。アメリカには何も言わず、沖縄の人たちにだけ『19年をメドに返還させる』と言った。これは安倍政権が沖縄県知事選のために嘘をついたんですよ」と解説した。それで、あたしは、次のようにツイートした。


きっこ@kikko_no_blog
おおっ!「くにまるジャパン」でもこの話題を取り上げてる!
2014.10.17 09:16

きっこ@kikko_no_blog
佐藤優氏「アメリカには何も言わず、沖縄には『2019年をメドに普天間基地を返還させる』と言った。これは安倍政権が沖縄県知事選のために嘘をついたんですよ」(文化放送「くにまるジャパン」10月17日)
2014.10.17 09:20


そしたら、文化放送のヘビーリスナーで、時々放送でメールも読まれてる、こずく太郎さんからレスがあったので、あたしも折り返した。


こずく太朗 @kozukutaro
@kikko_no_blog 佐藤優さんの解説聴きながら仕事中!
2014.10.17 09:20

きっこ@kikko_no_blog
@kozukutaro 私がこの件についてツイートしてたら「くにまるジャパン」でも取り上げて、佐藤優さんが私と同じことを言ったので、あまりのタイムリーさに驚きました!(笑)
2014.10.17 09:24


ま、自民党政権による沖縄への「飴と鞭」は、今に始まったことじゃない。今年1月の名護市長選挙の時も、自民党の石破茂が沖縄入りして、名護市の有権者たちに向かって「自民党の推薦する候補者が当選したら名護市に500億円の基金をつくる」と飴玉をバラ撒いた。だけど、賢明なる名護市の有権者たちは、「基地反対」を掲げた稲嶺進さんを選んだ。


菅義偉官房長官が沖縄の人たちに「普天間基地は2019年をめどに運用停止を目指す」と言ったのは、あくまでも「目指す」と言っただけだから、実際に2019年に運用停止にならなくても、嘘をついたことにはならない。この辺は自民党のお家芸だから、必ず逃げ道を用意した言い回しをする。でも、「目指す」と言いながら、カンジンのアメリカ政府に何も言ってなかったということは、結局のところ、「目指していなかった」ということになり、これも選挙のための飴玉ということになる。

本当に「2019年の運用停止」、つまり、日米合意の「2022年の返還」の前倒しを目指しているのなら、事前にアメリカ政府に打診をして、ある程度の感触をつかんだ上で、沖縄の人たちに伝えるのが筋だろう。でも、菅義偉官房長官の発言から1ヶ月が経過しても、米国防総省は「そんな話は聞いていない」と言ってるのだから、自民党政権は最初から返還の前倒しなど「本気で目指していなかった」ということになる。やる気もないし、できもしないことを、選挙のための飴玉として有権者の前にバラ撒いただけってことになる。だから、あたしは「絵に描いた餅」と言った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回の菅義偉官房長官の発言の真相は、誰でも簡単に推測することができるから、あたしのツイートと同じことをラジオのコメンテーターが言ったとしても、それほど不思議じゃない。自民党のこれまでの公約違反の数々を見て来た人なら、誰もが同じことを考えるからだ。だけど、この日の夜、またまたあたしのツイートと同じことが、ラジオから流れて来たのだ。

そんなこんなで、文化放送は、「くにまるジャパン」から「大竹まこと ゴールデンラジオ」、そして「吉田照美 飛べ!サルバドール」へと流れ、「あたしもけっこう文化放送のヘビーリスナーだなあ」なんて思いつつ、「飛べサル」の終盤の17時半ころ、あたしは次のツイートをして、「高田純次 毎日がパラダイス」を聴きながらオツマミを作り始めた。もちろん、これまた文化放送で、18時からのCSファイナルステージ、パリーグのSB×日ハム戦を聴きながら晩酌するためだ。


きっこ@kikko_no_blog
今夜の先発、SBは最近調子の悪い摂津、日ハムは最近調子のいい吉川、日ハムがんばれ!
2014.10.17 17:30


今のあたしは、一番好きなチームが日ハムで、次がロッテ、セリーグなら中日が好きなので、一番観たい日本シリーズは「中日×日ハム」なんだけど、残念ながら中日は今シーズンはダメだった。だから、もしも日ハムがCSを制して日本シリーズに進出したとしても、その相手は巨人か阪神なワケで、それならダンゼン阪神!‥‥ってことになり、あたしは、文化放送で日ハムを応援しつつも、頭の隅っこで阪神のことも応援しながら、毎日のCS戦を楽しんでた。

で、ゆうべも、お酒とオツマミを用意して、radikoで文化放送を聴きつつ、インターネットでニッカンスポーツのリアルタイム速報の画面を開きつつ、ツイッターに試合前の希望的観測を書き込んだ。


きっこ@kikko_no_blog
今夜の日ハムは、ここ一番で登場した稲葉が最高にシビレさせてくれるような予感がする!
2014.10.17 17:48


すると、あたしと同じく日ハムのファンの丸次郎さんがレスをくれたので、あたしも折り返した。ここからのツイートも、下の「投稿時間」を見てほしい。


丸次郎 @marujirougogo
@kikko_no_blog 小谷野がタイムリー含む2安打。そして陽岱鋼が待望のアーチというシーンが目に浮かぶ。
2014.10.17 17:55

きっこ@kikko_no_blog
@marujirougogo 陽岱鋼には、この後の日本シリーズのことも考えて、そろそろ復活のノロシを上げてほしいですね!
2014.10.17 18:00

きっこ@kikko_no_blog
陽岱鋼、打ったーーー!!
2014.10.17 18:06


皆さん!どうですか?これ!‥‥ってなワケで、日ハム戦を気にかけてた人ならご存知の通り、今シーズンも大活躍してた陽岱鋼(よう だいかん)が、CS(クライマックスシリーズ)に突入したトタン、パッタリと打てなくなった。ファーストステージのオリックス戦でもサッパリだったし、何とか勝ち抜いてSBとのファイナルステージが始まってからもサッパリ。それも、ストレートを空振りするという、「陽岱鋼らしからぬ」って感じが続いてた。

それが、試合開始の直前に丸次郎さんが「陽岱鋼が待望のアーチというシーンが目に浮かぶ」とレスしてくれて、あたしが「陽岱鋼には、この後の日本シリーズのことも考えて、そろそろ復活のノロシを上げてほしいですね!」と折り返した6分後に「カキーン!」とホームラン!‥‥ってなワケで、あたしは興奮&感動して、次のツイートをした。


きっこ@kikko_no_blog
どんなに調子が悪くても陽岱鋼を使い続けた栗山監督をリスペクト!
2014.10.17 18:17


さらに言うと、丸次郎さんは「小谷野がタイムリー含む2安打」とレスしてくれたけど、その小谷野が、この後にスリーランをかっ飛ばしたのだ!陽岱鋼のソロと小谷野のスリーランで、日ハムは1回の表の攻撃で4点も先取しちゃった!

そして、そして、そして、陽岱鋼は、次の2回にはスリーラン!あれほど打てなかった陽岱鋼が、2打席連続のホームランで早くも4打点!さらにはタイムリーで打点を重ねるという猛打賞!一方、4番の中田翔もスリーランを放ち、日ハムは12-4と大差で連勝し、アドバンテージを入れて2戦2敗のタイに持ち込んだ!

ヒーローインタビューは、もちろん陽岱鋼だ。だけど、久しぶりにお立ち台に上った陽岱鋼のコメントを聴いて、あたしは、またまたぶっ飛んだ!さっき、あたしがツイートしたことと、同じことを話したのだ!


きっこ@kikko_no_blog
陽岱鋼がヒーローインタビューで1本目のホームランについて「ずっと打てなかったから、打てて泣きそうになった。打てないのに使い続けてくれた監督に感謝してる」と言ったのを聞いて、あたしもウルウルなう!日ハム最高!栗山監督最高!
2014.10.17 21:21


‥‥そんなワケで、今やってるCSのファイナルステージは、リーグ優勝したチームに1勝のアドバンテージが与えられるから、セリーグは巨人、パリーグはSBが「1勝0敗」からスタートした。で、セリーグは阪神が怒涛の3連勝で王手をかけたので、巨人が今日から3連勝しない限り、阪神が日本シリーズへと進む可能性が極めて高くなった。一方、パリーグのほうは、3位からファーストステージを勝ち抜いた日ハムが、ファイナルステージでは1戦目を落としてしまい、「0勝2敗」になっちゃった。でも、日ハムは、「0勝2敗」からの2連勝で「2勝2敗」のタイに持ち込み、ゆうべは陽岱鋼が復活した。だから、あたしは、リーグ3位からCSを制したロッテが、中日を破って日本一になって「史上最大の下剋上」と言わしめた2010年の日本シリーズをホーフツとさせてくれそうな予感がしてる今日この頃なのだ♪


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2014.10.10

世界にお金をバラ撒き続ける安倍首相

文化放送「くにまるジャパン」の木曜日のレギュラーコメンテーターの伊藤惇夫さんが、しばらく前の放送で、「先日、安倍首相の側近の1人に会ったので『安倍さんは何であんなに元気なの?』と聞いたところ『ゴルフと外遊が安倍さんの元気の秘訣です』と言ってましたよ」と言って笑ってたけど、その言葉の通り、今の安倍晋三首相は、広島市で大規模な土砂災害が起こったという連絡があっても平然とゴルフをスタートさせるし、未だに辛い避難生活を続けている多くの被災者や原発事故の汚染水問題など、国内の最優先問題をホッタラカシにして外遊に飛び回ってる。

9月22日(日本時間9月23日)に、アメリカはニューヨークのコロンビア大学で行なった講演では、「私の父は3年8カ月間で46カ国を訪れたが、私は今月初めの南アジア訪問で、就任以来の訪問国数が49カ国となり、父の記録を超えることができた」とドヤ顔で語ってる。バッカじゃないの?って思うけど、この日の夜に出席した国連の「気候変動サミット」では、発展途上国への約1兆7400億円の支援を表明した。会場からは拍手が起こった。

そう、これがゴルフと並ぶ安倍首相の「元気の素」なのだ。海外に行って何百億円、何兆円とバラ撒けば、その場では英雄になれる。もちろん、何から何までぜんぶ日本国民の税金なんだから、自分のお財布はぜんぜん痛くない。お金持ちのバカ息子が親のお金を持ち出して、キャバクラに行ってチップをバラ撒いてモテモテになってるのと五十歩百歩な今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、まずは、現在の安倍政権が誕生してから1年10ヶ月で、安倍首相が世界各国にバラ撒いたお金を見てみよう。


中国、300億円
モザンビーク、700億円
シリア、3060億円
ラオス、90億円
ASEANにODA、2兆円
インド、3兆5000億円
インドの円借款、2000億円
ミャンマー、600億円
ミャンマーの債権免除、2兆3000億円
パプアニューギニア、200億円
ウクライナ、1500億円
バングラデシュ、6000億円
中東支援、55億円
ベトナム、1兆4000億円
北朝鮮、2兆円
アフリカ、3兆円
エボラ出血熱の支援、50億円
アメリカにリニアの建設費用、5000億円
円安にするためのアメリカ国債、50兆円
世界銀行、5000億円
途上国支援、1兆7400億円


ま、エボラ出血熱の支援は「バラ撒いた」とは言えないし、他にも必要な支援もあるし、また、税金が原資じゃないものもある。だけど、とりあえずここまでをザックリと見てみると、合計で68兆3955億円だ。そして、この他にも、年間に約1850億円もの「思いやり予算」を米軍に上納し続けてるワケだし、他にも細かいバラ撒きを数えあげたらキリがない。


‥‥そんなワケで、民主党政権下の2012年、当時の野田佳彦首相は、自民党の谷垣禎一総裁と公明党の山口那津男代表と「社会保障と税の一体改革」を「3党合意」した。これで、消費税を5%から8%へ、8%から10%へ、2段階に引き上げることが決まったワケだけど、その理由は、法案の名前を見れば分かるように「社会保障の予算が足りないから」というものだった。

当時は、3党ともが「消費税の引き上げで増収になったぶんは全額を社会保障に使う」と口々に言っていた。でも、2014年4月に消費税を5%から8%へ引き上げたトタン、安倍政権は経団連の言いなりになって「法人税を10%引き下げる」と言い出した。消費税を5%から8%へ引き上げられたことによる増収は約5兆円、法人税を10%引き下げたことによる減収は約5兆円、何だこりゃ?ま、この辺の細かいことはともかくとして、あたしが言いたいのは、社会保障の予算が足りないからと消費税を引き上げて多くの国民を苦しめてるのに、その一方で、海外に68兆3955億円もバラ撒いてるなんて、ふ・ざ・け・ん・な!!‥‥ってことだ。

もちろん、この中にはホントに必要なものもあるから、すべてを無駄遣いだとは言わない。だけど、インドに3兆5000億円て何だよ?北朝鮮に2兆円て何だよ?アメリカにリニアを造るための建設費用を5000億円、ポンとプレゼントって何だよ?誰のお金だと思ってんだよ?‥‥って言うか、海外への無駄なバラ撒きをやめれば消費税なんて引き上げる必要ないじゃん!


‥‥そんなワケで、ゴルフと並ぶ安倍首相の「元気の素」、言い変えれば「趣味」の外遊は、同行の記者団によると「大名行列」と呼ばれてるそうだ。これは、いろいろな大企業のトップを何百人もゾロゾロと引き連れて行くからだそうだ。たとえば、2013年4月28日から5月4日まで、ロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコの4カ国を訪問した時の外遊では、経団連会長とJIBC(国際協力銀行)総裁を筆頭に、118もの企業と団体の代表者を383人も引き連れて行ったのだ。

この中には、三菱電機、三菱マテリアル、東芝電力システム社、日立GEニュークリアエナジー、日立製作所、日立造船、東洋エンジニアリング、日揮、IHI、大林組、大成建設と、「日本原子力学会」の賛助会員が11社も含まれてて、安倍首相はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコにセッセと日本製の原発をセールスして回った。

2013年4月と言えば、福島第一原発で増え続ける放射能汚染水を一時的に溜めていた地下の貯水池から、大量の放射能汚染水が漏れていたことが分かり、東電の広瀬直己社長が謝罪会見を行なったころだ。今、調べてみたら、広瀬社長の謝罪会見は2013年4月10日に行なわれてたから、この2週間後に安倍首相は原子力ムラの面々を引き連れて原発セールスに旅立ったことになる。海外に原発をセールスする前に、日本の原発事故を何とかしろ!‥‥って思う。

で、話はクルリンパと戻るけど、続いての2013年5月24日から26日にかけて訪問したミャンマーには、43の企業や団体の代表ら117人を引き連れて行き、8月24日から29日にかけて訪問したバーレーン、クウェート、カタールには、経団連の会長を筆頭に92の企業や団体の代表ら210人を引き連れて行った。こんな調子で約50もの国々を外遊したんだから、その費用だって莫大だろう。


‥‥そんなワケで、知ってる人は知ってると思うけど、よく耳にする「政府専用機」って、いつも2機で飛んでる。今は、ボーイング747-400を使用してるけど、同じ仕様のものが2機あって、どこへ行くにも2機一緒に飛んでる。これは、首相の乗ってる専用機が故障した時など、突然のアクシデントに備えてのことだ。だから、この予備機に民間人を乗せることなどないし、外務大臣ですら海外訪問の時には民間機を使ってる。例外中の例外として、小泉純一郎首相(当時)が、北朝鮮から拉致被害者を連れて帰って来た時、あの時は特別に政府専用機の予備機を使用したけど、通常では民間人が政府専用機に乗るなんてアリエナイザーだ。

だけど、安倍首相の「元気の素」であり「趣味」でもある外遊は、ひと味違う。経団連会長を始め、安倍首相の「大名行列」の参加者たちは、この政府専用機の予備機に乗って移動してるのだ。このように、政府専用機に企業や団体の代表などの民間人を乗せたのは歴代の政権で初めてのことだ。そして、政府専用機も予備機もパイロットや乗務員は全員が自衛隊員なんだから、イチからジュウまで、すべてが国民の税金で賄われてる「大名行列」だってワケだ。

この「大名行列」に関しては、行先や日程や人数などによって費用は大きく変わるだろうから、一概に「1回いくら」とは言えない。だけど、「新党大地」の鈴木貴子衆議院議員が、2014年1月31日付で安倍首相の外遊の費用について質問してるので、その答弁を見てみると、だいたいのことが分かる。

たとえば、2013年1月16日から19日まで、ベトナム、タイ、インドネシアを訪問した「大名行列」では、諸費用が約2700万円、人件費などを引いた政府専用機の運航経費が約7500万円、合計で1億円以上だ。2013年2月21日から24日まで、アメリカを訪問した「大名行列」では、諸費用が約3700万円、人件費などを引いた政府専用機の運航経費が約8800万円、わずか3日の訪米で1億2000万円以上もの税金を使ってる。


「安倍晋三内閣総理大臣の外遊に関する質問主意書」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a186021.htm


「同答弁書」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b186021.htm


‥‥そんなワケで、安倍首相は、まるで自分の専用機のように好き勝手に使いまくってるワケだけど、この政府専用機は、天皇、皇后の外国訪問にも使われる‥‥って言うか、天皇、皇后の外国訪問と首相の外遊の日程がバッティングした場合には、日本の「元首」である天皇、皇后が優先使用するという原則がある。だから、民主党政権下の2012年5月には、16日から天皇、皇后両陛下、皇太子さまと雅子さまのイギリス訪問、18日から野田佳彦首相(当時)の主要国首脳会議のための訪米がバッティングしたため、政府専用機と予備機は天皇、皇后が優先使用して、野田首相はANAの特別機を使用した。

でも、我らが安倍首相は違う。さっき、安倍首相は2013年4月28日から5月4日まで、ロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコの4カ国を「大名行列」したって書いたけど、まったく同じ2013年4月28日から、皇太子さまと雅子さまもオランダの国王即位式に出席するために政府専用機が必要だった。そしたら、どうしても政府専用機に乗りたかった安倍首相は、1機を皇太子さまと雅子さま、もう1機を自分用にして、それぞれ予備機を付けずに出発したのだ。

さらには、2013年6月10日から16日まで、皇太子さまが「日本とスペインの交流400周年記念」でスペインを公式訪問した時にも、安倍首相は6月15日から20日まで、イギリスでのG8サミットに絡めてポーランドやアイルランドを訪問するため、皇太子さまの乗った政府専用機を1機だけで出発させて、もう1機は自分用に残させたのだ。

皇太子さまは、現時点では「元首」じゃないけど、日本の政府専用機の使用優先順位は、まず、「皇室(天皇を始めとする皇族)」で、その次が「内閣総理大臣」、3番目が「これに準ずる要人」、4番目が「緊急時における在外邦人の救援輸送」、5番目が「国際緊急援助活動」、6番目が「有事における自衛官の緊急輸送」となってる。だから、皇太子さまの予備機を安倍首相が使用するのも問題があるし、ましてや、企業や団体の代表ら民間人を遠足気分で何百人も搭乗させるなんて言語道断、税金の私的流用と言わざるをえない。

その上、行く先々の国に何百億円も何兆円もバラ撒き続けてるんだから、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃいそうになる。百歩ゆずって、日本にお金が有り余ってるならともかく、社会保障の財源が足りないから消費税を引き上げたんじゃなかったのかよ?アベノミクスによる円安の進行で、どれほど庶民が苦しい生活をしてるのかなんて、国民の税金で楽しい「大名行列」を続けてるバカ殿様には、ミジンも分からないだろう。


‥‥そんなワケで、安倍政権は、2013年12月24日、過去最大の95兆8800億円にも上る2014年度の予算案を閣議決定した。前年度の補正予算も含めると100兆円を超える大盤振る舞いで、このうちの半分以上が借金だと思うと、国民にとっては地獄のようなクリスマスプレゼントだった。それもこれも、年が明けたら春から消費税を8%に引き上げられるという「獲らぬタヌキの皮算用」だったワケだけど、この予算で安倍政権がやったことは、前年に続いての防衛予算の大幅アップだ。前年度の防衛予算も増額されて4兆7538億円だったけど、2014年度はさらに1310億円も増額されて4兆8848億円になり、これに「日本大震災復興特別会計」に盛り込まれた371億円、補正予算の1197億円も上乗せされたから、総額で5兆416億円、約3000億円の増額だ。そして、この増額ぶんの大半はアメリカ製の戦闘機などの武器を買うために使われる。いったい何のための消費税増税なのか?サスガは「アメリカのATM」と呼ばれてる自民党政権だと思った今日この頃なのだ。


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2014.10.07

古富士山から新富士山へ/後編

さて、いよいよ「後編」のスタートだけど、奈良時代の終わりから平安時代の終わりにかけて、約400年の間に10回以上も噴火を繰り返した富士山は、平安時代の終わりの永保3年(1083年)の噴火を最後に、お昼寝を始めちゃった。次の鎌倉時代から南北朝時代を経て室町時代の末期にかけて、300年以上も一度も噴火しなかったのだ。『太平記』によると、鎌倉時代の元弘元年(1331年)に富士山の山頂が崩落してるけど、これは噴火じゃなくて地震が原因のようだし、『続古今集』や『李花集』などには、南北朝時代(1340~1346年)に富士山の火口から噴煙が上がったことが分かる和歌も見られるけど、噴火は見られない。

で、富士山がお昼寝から目覚めて、久しぶりに噴火したのが、室町時代の終わりの永正8年(1511年)だ。『妙法寺旧記』に「窯岩燃ゆ」と記されているので、溶岩が噴出したと思われる。そして、永禄3年(1560年)、今度は富士山の山頂の火口じゃなくて、「貞観(じょうがん)大噴火」のように斜面の側火山から噴火したようだ。室町時代は、この他に噴煙は何度も立ち上ってるんだけど、記録に残ってる噴火は、この2回だけだ。そして、次の安土桃山時代には1回も噴火していない‥‥って言っても、安土桃山時代は1573年から1603年まで、わずか30年間しかない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、安土桃山時代が終わった1603年からは、徳川の時代、江戸時代が始まったワケだけど、このころになると、富士山からは噴煙もメッタに立ち上らなくなった。だから、当時の浮世絵の富士山も、噴煙が描かれているものはないし、噴煙が立ち上ると、珍しいことだとして記録された。『日本災異誌』によると、江戸時代に入って約100年、元禄13年(1700年)に噴煙が立ち上ったと記されてる。

そして、その7年後の宝永4年(1707年)、ついに大噴火が起こる。これが、富士山の「三大噴火」の最後の1つ、「宝永大噴火」だ。もう江戸時代なので、詳細な記録も残ってて、発生した日時も、宝永4年11月23日午前10時(1707年12月16日午前10時)と、時間まで分かる‥‥ってなワケで、この「宝永大噴火」を引き起こした原因と考えられてるのが、この噴火の49日前、10月4日(10月28日)に発生した「宝永地震」だ。

遠州沖が震源の東海地震と、紀伊半島沖が震源の南海地震が同時に発生、つまり、南海トラフの連動型地震が発生して、マグニチュードは推定8.7という巨大地震になった。東海地方から四国にかけて、地震と津波によって10万戸近い家屋が失われ、2万人以上の人々が犠牲になった。そして、この巨大地震の翌日、今度は現在の富士宮市を震源とする大地震が起こり、約1ヶ月後の11月10日(12月3日)から、富士山全体がゴゴゴゴゴゴ‥‥と、ジョジョに奇妙な山鳴りを始めた。

小さな地震が2週間ほど続いた後、11月22日(12月15日)の夜から翌日の朝にかけて大きな地震が数十回も起こり、11月23日(12月16日)の午前10時ころから、富士山の南東側の斜面から白い噴煙が立ち上り始めた。噴煙はどんどん大きくなって行き、ドカーン!と大噴火。溶岩の噴出しないタイプの噴火だったけど、それでも、広範囲に焼けた噴石が降り注ぎ、多くの農家や田畑が焼き尽くされてしまった。

噴火が始まってから15日目の12月8日(12月31日)の夜、噴火が激しくなり、深夜に最後の大噴火をして、翌12月9日(1708年1月1日)、ようやく収まった。2週間も続いた噴火によって、現在の御殿場周辺は3mの高さまで噴石が積もり、100kmも離れた江戸にも3~5cmほど火山灰が降り積もったという。当時、江戸に住んでいた学者で政治家の新井白石(はくせき)は、随筆集『折りたく柴の記』(おりたくしばのき)の中に、次のように記している。


「よべ地震ひ、この日の午時雷(いかづち)の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。西城に参りつきしに及びては、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ。(中略)やがて御前に参るに、天甚だ暗かりければ、燭(しょく)を挙て講に侍る」

「ゆうべは地震が起こり、この日の昼前には雷鳴が轟き、家を出ると雪が降って来たが、よく見ると白い灰だった。西南のほうから雷をともなって黒い雲が迫って来た。城へ向かうと、地面を白い灰が埋めていて、草や木も白くなっていた。(中略)藩主のもとに行ったが、あまりにも暗いのでロウソクの火を灯して講義を行なった」


当時、新井白石は、甲府藩主綱豊(後の六代将軍家宣)に仕えていて、綱豊に学問を教えていたので、ザックリ言えば、お城へ家庭教師に行ったってワケだ。で、昼間なのに真っ暗になっちゃったので、ローソクの火を灯して講義を行なったってワケだ。だけど、この時点では、江戸の人たちは誰1人、富士山が噴火したなんて知らなかった。江戸の人たちに富士山の噴火の報せが届いたのは、この2日後なのだ。


「廿五日に、また天暗くして、雷の震するがごとくなる声し、夜に入りぬれば、灰また下る事甚だし。『此日富士山に火出て焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。これよりのち、黒灰下る事やまずして、十二月の初に及び、九日の夜に至て雪降りぬ。」


25日というのは、11月23日(12月16日)に噴火してから2日後だ。ここで初めて「富士山が噴火した」という報告があったと書かれてる。そして、新井白石は、当初は白い灰が降り積もり、その後、黒い灰に変わったと記してるけど、実際に富士山の周辺で「宝永大噴火」の堆積物を調べると、下に白い火山灰や軽石の層があり、その上にスコリアと呼ばれる黒い噴石の層があり、この記述が正確だったことが分かる。

江戸では、断続的に10日前後も火山灰が降り続けたという。時には黒い砂が大量に降りしきって、屋根に当たる音が土砂降りの雨のようだったという。江戸中に大量の火山灰が降り積もったため、噴火が収まってからも、風が吹くたびに火山灰が舞い上がり、江戸の人たちは長いこと目の痛みと咳に苦しんだと記されている。もしかしたら、この時に「風が吹けば桶屋が儲かる」というコトワザが生まれたのかもしれない。


‥‥そんなワケで、100kmも離れた江戸でもこんな状況だったから、富士山の周辺は大変だった。最初に書いたように、この噴火は富士山の南東側の斜面からのものだったため、富士山の南東の山麓に点在していた村々には大量の噴石が降り続いた。特に、噴火口に最も近かった須走村には、直径が50cmもある噴石が降り続いた。75戸のうち37戸は噴石の直撃を受けて全焼してしまい、残った家もすべて倒壊してしまった。大量の噴石、砂礫、火山灰が広範囲に降り積もり、草木はすべて焼き尽くされてしまい、川はすべて埋まってしまった。

周辺の村人たちは必死に避難したんだけど、噴火が収まってから自分の村に戻って来ると、家も田畑もすべてのものが1~3mの砂礫と火山灰に埋まっていた。この噴火で50もの村が埋没してしまったという。飢餓に直面した村々に対して、当時の小田原藩は米を配布したけど、まったく足りなくて、大量の砂礫と火山灰を取り除く作業も、村人たちだけでは厳しくて、多くの村人が餓死してしまった。

ここで、ようやく幕府が重い腰を上げたんだけど、資金難からなかなか復興は進まない。そうこうしてるうちに、春になって降り続いた大雨で砂礫が少しずつ酒匂川を流れて行き、川の傾斜が緩くなった足柄平野で川底に溜まり始めた。大量の砂礫は酒匂川のあちこちに天然のダムを作ってしまい、宝永5年6月21日(1708年8月7日)から翌日にかけて降り続いた豪雨が大洪水を起こしてしまった。足柄平野は小田原藩の重要な穀倉地帯だったので、洪水対策として丈夫な堤が造られていたんだけど、川底に堆積した砂礫によって川が浅くなっていたため、堤が決壊してしまったのだ。この大洪水で、足柄平野の水田地帯は大きな被害を受け、数えきれないほどの米農家が家と田んぼを失った。

「宝永大噴火」は、こうした二次災害も引き起こしたため、特に被害が大きかった武蔵国、相模国、駿河国の三国が元通りに復旧したのは、噴火から約80年後、1790年ころだったと言われてる。さらには、ようやく被災地が復興し始めた天明3年(1783年)、今度は浅間山が大噴火、こちらの噴火は火山灰だけでなく溶岩流も大量に流れ出たため、周辺の村々を焼き尽くし、2万人以上の人々が犠牲になった。この時も、150kmも離れている江戸にも火山灰が3cmほど降り積もったという。そして、この2つの大噴火が主な原因となり、「天明飢饉(ききん)」(1783~1786年)が起こってしまった。


‥‥そんなワケで、話を富士山の噴火へクルリンパと戻すけど、この宝永4年(1707年)の「宝永大噴火」で誕生したのが、3つの宝永火口と宝永山だ。宝永山は富士山最大の側火山で、寄生火山とも言う。東京や横浜のほうから観ると、富士山の左側の稜線の真ん中あたりが出っ張ってるけど、アレが宝永山だ。東海道新幹線の窓から観ると、富士山の中腹の凹みに穴が観えるけど、アレが3つの火口の中で一番大きい第1火口で、凹みのすぐ右下に観えるのが宝永山だ。

つまり、富士山が今の形になったのが、この「宝永大噴火」ってワケだけど、これを最後に、富士山は現在まで約300年間も噴火してない。だけど、「宝永大噴火」の翌年の宝永5年(1708年)には山鳴りが確認されてるし、200年後の大正12年(1923年)には噴気が確認されてるし、昭和62年(1987年)には山頂付近で地震が起こってるし、平成21年(2009年)にはGPSによる観測で地殻変動を確認、富士宮市と富士吉田市の距離が約2cm伸びたことが分かってる。これは、1996年4月の観測開始から初めてのことだそうだ。だから、富士山は火山活動を完全に停止したワケじゃなくて、あくまでも「お昼寝中」なのだ。

今回の前編、中編、後編に及んだ長いエントリーで、あたしが何で伊豆半島の誕生から書いて来たのかと言うと、伊豆半島が乗ってるフィリピン海プレートこそが、すべての原因だったからだ。最初に書いたように、日本列島は北米プレートとユーラシアプレートの上に乗っかってるんだけど、日本列島に向かって移動し続けてるフィリピン海プレートは、日本まであとちょっとのとこで、この2つのプレートの下に沈み込み続けてる。

そして、これが、太平洋側で起こる海溝型地震の原因になってる。南関東から東海にかけての「東海地震」、東海から南紀にかけての「東南海地震」、南紀から四国にかけての「南海地震」、これらはすべてフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む過程で発生するし、1923年に関東大震災をもたらした大正関東地震は、フィリピン海プレートが北米プレートに沈み込む過程で発生した。

また、富士山や他の火山の噴火も、このプレートの移動が大きく関係してる。「宝永大地震」の49日後に「宝永大噴火」が起こったことだけでなく、他の噴火の時も大地震が起こってる。たとえば、864年の「貞観大噴火」の前後を見てみると、その恐ろしさが分かると思う。


850年11月、出羽国地震(M7)
863年7月、越中越後地震(M8)
864年5月、富士山の貞観大噴火
864年11月、阿蘇山の噴火
867年3月、鶴見岳(大分県)の噴火
867年6月、阿蘇山の噴火
868年8月、播磨・山城地震(M7)
869年1月、摂津地震(M8.4)
869年7月、貞観地震(M8.3以上)
871年5月、鳥海山(山形県・秋田県)の噴火
874年3月、開聞岳(鹿児島県)の噴火
878年10月、相模・武蔵地震(M7.4)
880年11月、出雲地震(M7)
885年7月、開聞岳(鹿児島県)の噴火
885年8月、開聞岳(鹿児島県)の噴火
887年8月、仁和地震(M8.5)


850年から887年までのわずか37年間に、これだけの地震と噴火が起こってるのだ。もちろん、これは、特に大きなものだけを抜粋したもので、小規模なものは数えきれないほど発生してる。他の時期の富士山の噴火を見ても、その前後に大きな地震や他の火山の噴火が頻発してる。そして、これらの大半は、プレートの移動が原因なのだ。

このエントリーの前編の最初に載せた図のユーラシアプレートとフィリピン海プレートとの境目の線、伊豆半島の西側の根本から四国の沖にかけて伸びてる線、アレがオナジミの「南海トラフ」なんだけど、「トラフ」ってのは「海溝」のことで、これが震源になってる。深さは約4000mで、日本が乗ってるプレートの下に沈み込み続けてる。だから、このフィリピン海プレートは、常にユーラシアプレートと北米プレートに干渉し続けてるんだけど、2010年、あまりにも恐ろしいことが分かったのだ。

東京大学などの研究グループによると、伊豆半島よりも西の日本列島が乗ってるユーラシアプレートに、巨大な亀裂が入り、地下に沈み込んでると言うのだ。巨大な亀裂は、紀伊半島の西の端から淡路島の下を通り、鳥取県にまで到達してるそうだ。これがどういうことなのかと言うと、この巨大な亀裂の上の地域は、下に何もない状態、支えを失った状態なのだ。このまま亀裂が大きくなれば、淡路島は2つに引きちぎられるかもしれないし、中国地方は本州から切り離れちゃうかもしれない。

ま、もしもそんなことが起こるとしても、何万年、何十万年という未来の話なので、今、これを読んでる人たちには関係ないけど、南海トラフを震源とした巨大地震が発生して、関東から四国、九州にかけて大変な被害が出る‥‥ってことは、いつ起こってもおかしくない。何しろ、政府の「地震調査委員会」が「M8以上の巨大な南海トラフ地震が発生する確率」を2014年1月1日時点で「今後30年以内に70%」と試算してるからだ。

そして、この南海トラフ地震が、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震(M9.0)に匹敵する規模だった場合には、最悪で、死者は33万2000人、負傷者は約62万人、建物の全壊は約239万戸、経済的損失は約220兆円に上ると試算されてる。もちろん、これは、地震と津波による被害だけの話であって、もしも富士山や九州の火山が大噴火したり、原発事故を引き起こしたりしたら、被害はさらに大きくなり、日本は壊滅状態になるだろう。これが、明日起こるかもしれないのだ。

日本の人口は、弥生時代が約50万人、富士山が10回も噴火した平安時代が約500万人、富士山が2回噴火した室町時代が800~1000万人で、「宝永大噴火」を起した江戸時代でも約3000万人だった。それでも大変な被害が出たワケだけど、江戸時代の4倍の約1億2000人もいる今の日本で同じレベル地震と噴火が起こったら、その被害は計り知れない。その上、今の日本には、原発が林立してるのだ。

ちなみに、江戸時代の「宝永大噴火」以降、富士山は目立った火山活動を行なってないので、この300年間で、地下の巨大な「マグマだまり」には、そうとうのマグマを溜めこんでると推測されてる。事実、マグマが溜まることによって発生する低周波地震は、頻繁に起こってる。そして、その富士山が乗ってるユーラシアプレートに、今もフィリピン海プレートが干渉し続けてる。いつ大地震が起こっても、いつ富士山が噴火しても、不思議じゃない状況が続いてるのだ。


‥‥そんなワケで、日本には海底火山も含めて110の火山があるんだけど、これは、地球上の約1500の火山の約7%にあたる。一方、日本の面積はと言うと、地球の表面積の約0.0007%しかない。もしも約1500の火山が地球上に等間隔に分布してたとすれば、日本には火山は1つもないことになるし、あったとしても1つだ。それが110もあるんだから、紛れもなく世界一の「火山大国」だろう。そして、世界中で発生してる地震の約10%は、日本と日本の周辺で発生してるんだから、世界一の「地震大国」でもある。また、日本列島の下には北から南まで2000もの活断層が縦横無尽に走ってるんだから、世界一の「活断層大国」でもある。これらはすべて、4つのプレートの境界に位置するという世界でも珍しい日本の立地によるもので、言い方を変えれば、世界一の「原発に向いてない国」だと言える。だから、あたしは、これからも、日本の原発をゼロにするために、自分にできることをコツコツと続けて行こうと思った今日この頃なのだ。


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2014.10.05

古富士山から新富士山へ/中編

約400万年~600万年前に琵琶湖が誕生し、約200万年前に大きな火山島が本州にぶつかって伊豆半島が誕生し、約10万年前に今の富士山の前身の古富士山が誕生したワケだけど、この古富士山が約4000年の眠りから目を覚まして噴火をしたのが今から約5000年前で、ここから今日に至る活動期を「新富士火山」と呼ぶ‥‥ってなワケで、あれほど長かった前編も要点をマトメれば5行で済んじゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、マクラは短くしてトットと本題を始めちゃうけど、前回の古富士火山で「富士二湖」は「富士三湖」になり、富士山の北のふもとに西から大きな「石花湖(せのうみ)」と中ぐらいの「河口湖」、東のふもとに「山中湖」っていう配置だった。この中の一番大きな「石花湖」が、新富士火山の新たな溶岩流によって分断されて、西側の小さなほうが今の「本栖湖」になった。

この時点では、大きいほうは、まだ「石花湖」なので、北のふもとに、西から「本栖湖」「石花湖」「河口湖」と並んでる形で、東の「山中湖」を入れて「富士四湖」になったワケだ。そして、また何度も噴火を繰り返しながら時は流れ、急に最近になっちゃうけど、平安時代の貞観(じょうがん)6年(864年)に起こった「貞観大噴火」で、大量の溶岩流が「石花湖」を分断、これで「西湖」と「精進湖」ができて、ようやく「富士五湖」ができあがったのだ。

それにしても、何百万年も前から話を始めたから、つい、平安時代を「最近」なんて言っちゃったよ(笑)‥‥ってなワケで、富士山のことだけ書いて来たから「人間」のことがぜんぜん見えなかったと思うけど、この「富士五湖」ができあがった平安時代には、当然、人間は住んでるし、ちゃんと言葉も話してるし、ちゃんと服も着てるし、ちゃんと家に住んでるし、ちゃんと文化的な生活を送ってた。そして、何よりもワンダホーなのは、平安時代には「文字」があったってことだ。だから、こうして、1000年以上も後のあたしたちでも、当時の文献などから富士山が噴火した時の詳しい様子を知ることができるのだ。

でも、小御岳(こみたけ)山や愛鷹(あしたか)山の間から新たな噴火が始まって古富士山が誕生した約10万年前には、日本に人間はいなかった‥‥って言うか、いたのかいなかったのか分からない。日本の人間の歴史は、一般的には約4万年前からと言われてて、当時、まだユーラシア大陸と地続きだった日本に渡って来たホモ・サピエンスが、今のあたしたちの先祖の人たち、つまり、新石器時代や縄文時代を作った人たちだ。

一方、日本の最も古い遺跡は、岩手県遠野市の「金取(かねどり)遺跡」で、約8万年~9万年前だと言われてる。また、2009年に石器が発見された島根県出雲市の「砂原(すなばら)遺跡」は、約11~12万年前だと言われてる。こちらは、カンジンの石器がホントに人間の作ったものかどうかハッキリしてないので、現時点では研究中で、まだ「日本最古」の認定はされてないけど、これらの遺跡が本物だったとしたら、ここで生活してたのは、あたしたち現代人の先祖であるホモ・サピエンスじゃなくて、年代的にホモ・エレクトゥスってことになる。

あたしが中学校で習った時には、人類の進化は「猿人→原人→旧人→新人」と教えられたけど、今はこの区分けは使ってないそうだ。でも、この区分けで言えば、縄文人もあたしたち現代人も同じ「新人」になる。そして、ホモ・エレクトゥスは、北京原人と同じジャンルの「原人」になる。ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)などの「旧人」は日本には到達してないから、「新人」が誕生するよりも古い時代に日本にいたのなら「原人」ということになる。つまり、「金取遺跡」や「砂原遺跡」が本物だったとしたら、そこで暮らしてたのは、あたしたちの先祖じゃなくて、まったく別の先住民族だったことになる。


‥‥そんなワケで、もしも約10万年前の日本で古富士山の誕生を見てた人間がいたとしても、それはホモ・エレクトゥスっていう原人だから、あたしたちホモ・サピエンスの先祖じゃない‥‥ってなワケで、大陸から人類が日本に渡って来た時から約1万6000年前までが「旧石器時代」、紀元前で言えば紀元前1万4000年になる。ちなみに、紀元前を「BC」、紀元後を「AD」って書くけど、「BC」は「Before Christ」の略なので「キリストが生まれる前」って意味で、「AD」は「Anno Domini(アンノ・ドミニ)」の略で、ラテン語で「主の年」、つまり「キリストの年」って意味だ。

で、「旧石器時代」の次は、紀元前1万4000年ころから紀元前300年ころまでが縄文時代、紀元前300年ころから紀元後250年ころまでが弥生時代、250年ころから600年末ころまでが古墳時代、592年から710年までが飛鳥時代、710年から794年までが奈良時代、794年から1185年までが平安時代‥‥って書いてくると、「鳴くよウグイス平安京」とか思い出しちゃうよね♪

ついでに書いとくと、平安時代の次の鎌倉時代は、あたしの時は「1192年」を「いい国つくろう鎌倉幕府」って覚えさせられたんだよね。それが、大人になったら「1185年」に変更になっちゃったから、わざわざ「いい箱つくろう鎌倉幕府」って覚えなおした。そして、もしも今後、「1184年」に変更されたら「いい箸つかおう」、「1186年」に変更されたら「いいハム食べよう」、「1187年」に変更されたら「いい花さかそう」って、いろんなケースに対応できるように準備してるあたしって‥‥って、いかん!いかん!またダッフンしはじめちゃった!(笑)


‥‥そんなワケで、平安時代と言えば、「平安」という名称からして平和そうに感じるけど、これは後から勝手につけられた名称で、当時の人たちは「今は平安時代だ」なんて思ってなかった。そして、ようやくここで話がクルリンパと戻るけど、一見、平和そうに感じる平安時代に、実は富士山がヤタラと噴火してるのだ。今から約5000年前に目覚めた新富士火山は、紀元前にも縄文時代にも弥生時代にも何度も噴火してきたけど、きちんと記録に残っているものだけで言えば、奈良時代の終わりの781年に噴火してから、現在までに16回噴火してて、そのうちの10回が平安時代に集中してるのだ。

平安時代に富士山が噴火した年は、延暦19年(800年)、天長3年(826年)、貞観6年(864年)、貞観12年(870年)、承平2年(932年)、承平7年(937年)、長保元年(999年)、寛仁元年(1017年)、長元6年(1033年)、永保3年(1083年)の10回なので、人によっては一生に3回くらい富士山の噴火を見た人もいたハズだ。

その上、この中の延暦19年と貞観6年の噴火は、江戸時代の宝永4年(1707年)の噴火とともに「三大噴火」と呼ばれてるものだ。記録されてる16回の噴火のうち、10回が平安時代に集中してるだけじゃなくて、そのうちの2回は「三大噴火」なんだから、これは大変なことだ‥‥ってなワケで、これらの噴火がどのくらいの規模だったのかは、当時の記録から知ることができる。たとえば、延暦19年の「延暦大噴火」の様子なら、平安時代末に成立した歴史書『日本紀略』の中に、駿河国司が6月6日付で朝廷に報告した内容が記されてる。


「自去三月十四日迄四月十八日、富士山嶺自焼、昼則烟気暗瞑、夜則火花照天、其声若雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也」

「3月14日から4月18日まで、富士山が噴火を続けた。昼は噴煙が空を覆って辺りを暗くし、夜は噴き上げる火が天を明るく照らした。その音は雷のように轟き、火山灰は雨のように降り注いだ。山のふもとの川は(溶岩が流れ込んで)真っ赤に染まった」


この1ヶ月以上も続いた噴火は、あくまでも「最初の噴火」であって、この後も断続的に噴火が続いたようだ。それは、同じく『日本紀略』に、次のような記述があることから分かる。


「延暦廿一年正月八日乙丑、駿河相模国言、駿河国富士山、昼夜恒燎、砂礫如霰者、求之卜筮、占曰、于疫、宜令両国加鎮謝、及読経以攘災殃」


最初の噴火は「灰下如雨」、つまり、「雨のごとく灰が降って来た」だったけど、この延暦21年の正月8日付(802年2月13日)で、駿河国と相模国の国司から朝廷に報告された噴火は、「砂礫如霰」、「霰(あられ)のごとく砂礫(されき)が降って来た」となってる。そして、こんなに地震が続くのは、占いによると疫病が流行する前兆だとして、両国に対して鎮祭と読経を命じてる。当時でも、こうした災害に対する対応は迅速に行なわれていたから、この記述から推測すると、延暦20年の年末あたりに大きな噴火があったと思われる。また、次のような記述もある。


「延暦廿一年五月甲戊、廃相模国足柄路、開筥荷途、以富士焼砕石塞道也」

「延暦21年5月19日(802年6月22日)、富士山の噴火による焼砕石によって東海道の足柄路が塞がれてしまったため、この道を廃止にして、新たに箱根路を開いた」


ここまでに噴火の報告はないから、これは、先ほどの報告と同じ延暦20年の年末の噴火による被害で、約半年をかけて迂回ルートを造った、と理解することができる。また、この「焼砕石」は、文字通りに「焼けて砕けた噴石」が降り積もったものなのか、溶岩流のことなのかは分からないけど、どちらにしても火山灰や砂礫などの細かいものではないことは確かだ。また、「筥荷(はこね)途」が「路」じゃなくて「途」なのは、これが応急のものだという意味だ。その証拠に、翌年には元の足柄路が復旧して、こちらの箱根路は廃止になってる。


‥‥そんなワケで、平安時代に起こったもう1つの「三大噴火」、貞観6年(864年)のほうだけど、こっちは最初に書いたように、大量の溶岩流が「石花湖」を分断して「西湖」と「精進湖」を誕生させて「富士五湖」を作った「貞観大噴火」だ。湖の形を変えちゃうくらいだから、「三大噴火」の中で最も大きな噴火、つまり、記録に残ってる中で最大のものだと言われてる。

この「貞観大噴火」は、最初に噴火した日時の記述はなくて、さっきの延暦21年の報告書のように、噴火後にマトメられた報告書しか残ってない。でも、日時が分かる別の年の富士山の噴火では、噴火が起こってから50日後くらいの日付で報告書が出されてるので、それらの例にならえば、「貞観大噴火」は、駿河国司から出された報告書の日付が貞観6年5月25日(864年7月2日)なので、噴火が起こったのは約50日前の4月初頭(864年5月中旬)ということになる。当時の歴史書『日本三代実録』に記されてるの駿河国司の報告書には、次のように書かれてる。


「貞観六年五月廿五日庚戌、駿河国言、富士郡正三位浅間大神大山火、其勢甚熾、焼山方一二許里。光炎高二十許丈、大有声如雷、地震三度。歴十余日、火猶不滅。焦岩崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近。大山西北、有本栖水海、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈。火焔遂属甲斐国堺」

「貞観6年5月25日付の駿河国司の報告によると、富士郡の正三位浅間大神大山が噴火した。その勢いは甚だ激しく、1~2里四方(約0.4~1.7平方km)の山を焼き尽くした。炎は20丈(約60m)の高さにまで及び、雷のような大音響が轟き、大地震が3回起こった。10日以上が過ぎても火の勢いは衰えない。岩を焦がし峰を崩し、砂や石が雨のように降り続けた。煙や雲が鬱々と立ち込めて、人は近づくことができない。西北のふもとの本栖湖へ溶岩流が流れ込んだ。溶岩流は長さが約30里(約16km)、幅が3~4里(約1.6~2.2km)、高さが2~3丈(約6~9m)に及んだ。溶岩流は遠く甲斐国との境にまで達した」


ちなみに、現在は「1里=約3.9km」と言われてるけど、当時は大宝1年(701年)に制定された「大宝律令」で「1里=5町=300歩」と決められていたので、メートルに換算すると「1里=約533m」となるので、こちらで計算した。で、この報告書には、溶岩流は「本栖湖」に流れ込んだとしか書かれてないけど、約2ヶ月後の7月17日(8月22日)に出された甲斐国司の報告書によると、「石花湖(せのうみ)」にも流れ込んだと書かれてる。


「貞観六年七月十七日辛丑、甲斐国言、駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗嶺、草木焦殺。土鑠石流、埋八代郡本栖并■両水海。水熱如湯、魚亀皆死。百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。両海以東、亦有水海、名曰河口海、火焔赴向河口海、本栖、■等海。未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉」


■の部分は、「浅」の右側の部分の旧漢字に「利」の右側の部分を合せた字で、これが「せのうみ」のこと。「埋八代郡本栖并■両水海」は「八代郡の本栖と■の両方の湖を埋めてしまった」って意味だ。でも、この漢字は変換できないから貼り付けて使うしかなくて、そうすると閲覧する端末によってはバグッちゃうので、ここでは■に置き換えた。そして、「せのうみ」は「石花湖」という別表記もあるので、本文ではこちらを使った‥‥ってなワケで、全文の意味は次のようになる。


「貞観6年7月17日付の甲斐国司の報告によると、駿河国の富士山が大噴火した。岩肌や峰を焼き砕き、草木を焦がして殺した。土や石が溶けて流れ、八代郡の本栖湖と石花湖を埋めた。湖の水は熱湯になり、魚や亀などの生き物は全滅してしまった。農家は湖と共に埋まり、残った家に人影は無く、こうした例は数が多すぎて数え上げることができない。2つの湖の東に河口湖という名前の湖があり、火はこの方向へも向かった。この一帯が焼けて埋まる前に大地震があり、雷と豪雨があり、雲や霧が立ち込めて暗闇に包まれて、山と野の区別がつかなくなった。その後に、このような災厄が訪れた」


駿河国司の報告書が5月25日付だったのに対して、甲斐国司の報告書が2ヶ月近くも後の7月17日付になったのは、この内容を読めば理解できるだろう。埋まらずに残った家に「人影は無く」と書かれてるので、多くの人は逃げることができたと信じたいけど、たぶん、相当数の犠牲者が出たと思う。甲斐国の被害は駿河国よりも遥かに甚大だったから、甲斐国司は、すぐには報告書など出せなかったのだ。そして、大量の溶岩によって広範囲に焼き尽くされた富士山の裾野は、長い年月をかけて現在の青木ヶ原樹海となり、「富士山原始林」として国の天然記念物に指定されてたってワケだ。


‥‥そんなワケで、平安時代の前の奈良時代にも富士山は噴火してるけど、『万葉集』に収められてる奈良時代に詠まれた和歌の中には、富士山の噴煙を詠んだものも多い。こうしたことから、奈良時代には、噴火のない時にも富士山の火口から頻繁に噴煙が立ち上ってたことが推測できる。そして、そうであるのなら、活動が最も活発になった平安時代には、2回の大噴火を含む10回の噴火だけでなく、山が静かな時でも、常に噴煙がモクモクと出続けていたと思われる。それなのに、平安時代の終わりの永保3年(1083年)の噴火を最後に、富士山はお昼寝を始めちゃった。次の鎌倉時代から南北朝時代、そして次の室町時代にかけて、300年以上も一度も噴火しなかったのだ‥‥ってなワケで、またまた長くなっちゃったので、今回のは「中編」にさせてもらって、またまた「To Be Continued」って感じの今日この頃なのだ♪


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2014.10.04

古富士山から新富士山へ/前編

日本で一番高い山と言えば富士山、日本で一番大きな湖と言えば琵琶湖、日本に住んでれば誰でも知ってることだけど、この琵琶湖って世界的にも珍しい古代湖だ。一般的に湖の寿命は数千年から数万年と言われてて、今、世界中に数えきれないほどある湖の大半は、過去10万年以内に誕生したものだ。

 

そして、それより古くから存在してるものを古代湖って呼ぶんだけど、世界に20くらいしかない。そのうちの1つ、カザフスタンとウズベキスタンにまたがってるアラル海は、数日前、NASAの衛星写真で、全体の9割以上が干上がって砂漠化してることが分かったと報じられた。わずか14年で9割以上が干上がったそうなので、あと数年で寿命を迎えるだろう。

 

で、古代湖だけど、世界で最も古いのが、約3000万年前に海から孤立して、長い年月をかけて淡水化していったロシアのバイカル湖だ。2番目に古いのが、約2000万年前に形成されたタンガニーカ湖、アフリカのタンザニアとコンゴとザンビアとブルンジにまたがった湖だ。そして、我らが琵琶湖は、この2つに次いで世界3位、約400万年~600万年前に誕生したと言われてる。世界で3番目に古い湖が日本にあるなんて、ちょっとスゴイよね。

 

琵琶湖と言えば滋賀県だけど、琵琶湖が誕生したのは、今の三重県の伊賀市だ。大きな地殻変動によって、現在の三重県伊賀市の場所に誕生した琵琶湖は、長い年月をかけて北へと移動し続け、今から100万年~40万年前に、比良山系にぶつかって今の位置に落ち着いた‥‥ってなワケで、日本で一番大きな湖が誕生した時、日本で一番高い山、富士山はどうだったのか?

 

琵琶湖が誕生した約500万年前、日本は、今とはずいぶん違った形をしてた。九州と四国は本州と一体化してたし、東北や北海道は複数の島だった。これが、長い年月をかけて変化して行き、北海道と九州がいったんユーラシア大陸と地続きになり、それから分離して今の形になって行くワケだけど、当然、富士山は、まだなかった。今の富士山は、当時はまだ海の底だったのだ。ついでに言うと、伊豆半島もなかった。

 

日本は、北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレートの境界に位置してて、このうち太平洋プレートとフィリピン海プレートは日本に向かって移動し続けてる。で、伊豆半島は、もともとは、今の位置よりずっと南にあった島だったんだけど、それがフィリピン海プレートの移動で、ジョジョに奇妙に日本に近づいてきて、約200万年前、ドカーン!‥‥ってぶつかって伊豆半島ができた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

Pt1

 

 

‥‥そんなワケで、上の図を見てもらえば分かるように、日本列島は、東日本が北米プレートの上に、西日本がユーラシアプレートの上に乗ってるけど、よく見ると、本州の中で伊豆半島だけがフィリピン海プレートの上に乗ってるのが分かると思う。これは、伊豆半島が本州にぶつかって止まったワケじゃなくて、太平洋プレートとフィリピン海プレートは今も日本に向かって移動し続けてるから、伊豆半島は本州を「押し続けてる」ってワケだ。

 

そうそう、ずっと前に、ハワイは太平洋プレートの上に乗ってるから、毎年数センチずつ日本に近づいてて、ずっと未来には日本にぶつかる‥‥って書いたけど、さっきの図を見れば分かるように、正確に言えば、太平洋プレートは日本の沖で北米プレートの下へ沈み続けてるから、ハワイは「日本まであとちょっと」のところで、残念ながら海中へと消えていくのだ。

 

で、伊豆半島に戻るけど、伊豆半島が本州にぶつかる前に、一足先にぶつかってたものがあった。それが、今の丹沢山地だ。丹沢山地も、もともとはずっと南にあった火山島で、これがフィリピン海プレートの移動で北上して、琵琶湖が生まれたのと同じくらいの約500万年前に、本州にぶつかった。でも、これは小さな島だったから、それほど隆起はしなかった。

 

ところが、これを追うように北上して来た伊豆半島が、約200万年前に本州の同じ場所にぶつかり、この丹沢をぐいぐいと隆起させたのだ。こうして誕生したのが丹沢山地で、当然、今もフィリピン海プレートは動き続けてるから、伊豆半島は本州を押し続けてて、丹沢山地も成長し続けてる。伊豆半島がぶつかった場所は、神縄(かんなわ)断層、静岡県小山町などで露頭が見られるので、興味のある人は以下のリンクの露頭マップを参考にしてほしい。

 

(PDF資料)
http://www.onken.odawara.kanagawa.jp/files/PDF/tayori/58/onkendayori58-7.pdf

 

 

‥‥ん?伊豆半島は本州にくっついてないと「半島」じゃないから、「伊豆半島が本州にぶつかって」っていう表現はおかしいな?‥‥って、ま、いっか!(笑)‥‥ってなワケで、伊豆半島が本州にぶつかって隆起したのが丹沢山地だけど、これのスケールをさらに壮大にしたのが、インドだ。インドは、もともとは南半球の大陸の一部だったんだけど、それが、約1億3500万年前のジュラ紀に大陸から分裂して、プレートの移動で少しずつ北へと移動して、今から約4000万年前に、ユーラシア大陸にぶつかった。伊豆半島と同じ方式だ。

 

で、この衝突によって隆起したのが、「世界の屋根」と呼ばれてるヒマラヤ山脈だ。だから、ヒマラヤの標高8000mくらいの頂上付近にみられる「イエローバンド」と呼ばれてる化石の層からは、アンモナイトや三葉虫など、当時の海の生物の化石が見つかってる。インドとユーラシア大陸にはさまれた海の生物たちが、標高8000mまで押し上げられたのだ。

 

日本もこれと同じで、丹沢山地からはオウムガイやサンゴなどの化石が見つかってるし、伊豆半島がぶつかった場所の神縄断層でも、貝やサンゴの化石を見ることができる。逆に言えば、丹沢山地から見つかった化石や、神縄断層から見つかった化石によって、これらの火山島が本州にぶつかった時期を推察することができる。

 

ここでポイントなのは、インドが乗ってるインド・オーストラリアプレートも、伊豆半島が乗ってるフィリピン海プレートも、今も動き続けてて、インドはユーラシア大陸を、伊豆半島は本州を、それぞれ押し続けてるってことだ。これらのプレートは、年に5cm前後しか移動してないので、ヒマラヤ山脈の成長も年に5mm程度だけど、これは「人間の時間」の感覚の話で、何百万年、何千万年という「地球の時間」で考えたら、ものすごい速度で隆起を続けてることになる。また、このプレートの移動による隆起だけでなく、火山の噴火や地殻変動による突然の隆起もある。1923年に関東大震災をもたらしたマグニチュード7.9の「大正関東地震」と、この余震のマグニチュード7.3の「丹沢地震」によって、丹沢の山々は1mも隆起したり沈降したりした。

 

 

‥‥そんなワケで、話はクルリンパと戻るけど、約200万年前に伊豆半島が本州にぶつかると同時に、プレートの境界に位置してた古箱根山(古代の箱根山)や小御岳(こみたけ)山や愛鷹(あしたか)山が噴火を始めた。3つの火山は大量のマグマを噴出し続けて、ようやく噴火が収まると、今度は古箱根山が崩落し、火口だった部分に水が溜まり、現在の芦ノ湖ができた。そう、箱根の芦ノ湖って、もともとは火山の火口だったのだ。

 

この時点では、まだ富士山はないんだけど、またまた長い年月が経ち、今から約10万年前、小御岳山と愛鷹山の間から新たな噴火が始まった。これが爆発的な噴火を繰り返して、これまた長い年月をかけて、3000m近い巨大な山に成長した。これが現在の富士山の前身の古富士山だ‥‥ってなワケで、あたしはなるべく同じ表現を繰り返さないように気をつけて文章を書いてるんだけど、今日はどうしても「長い年月をかけて」を何度も使っちゃう。たぶん、あと何回かは使うと思う(笑)

 

で、今から1万1000年前くらいに、それまでの「爆発的な噴火」から「大量の溶岩を噴出する噴火」に変わった。「爆発的な噴火」だと、噴石や火山灰が大量に噴出するので、火山灰は風に乗って広範囲に降り積もる。でも、「大量の溶岩を噴出する噴火」になると、影響は火山の周囲に限定されるようになる。でも、富士山の溶岩は玄武岩質なので、溶岩の中でも柔らかくて、遠くまで広範囲に流れて行く。この時期の噴火では、最長で40キロも先まで流れたので、南側に流れたものは駿河湾にまで達したほどだ。

 

この「大量の溶岩を噴出する噴火」は、今から約1万1000年前から約9000年前まで、だいたい2000年くらい断続的に続いた。このころは、まだ富士山の周囲に富士五湖はなくて、富士山の北のふもとに「石花湖(せのうみ)」という大きな湖があった。そして、東のふもとに「宇津湖」という半分くらいの大きさの湖があった。だから「富士二湖」だったのだ。そして、この2000年の間に、大量の溶岩流が湖へも流れ込んで行った。

 

大きかった「石花湖」は大量の溶岩流で2つに分断されて、2つのうち大きなほうは、まだ「石花湖」だけど、小さなほうが今の「河口湖」になった。そして、「宇津湖」のほうは大量の溶岩流で3分の1くらいの大きさになっちゃって、これが今の「山中湖」になった。だから、この2000年の間に、「富士二湖」が「富士三湖」になったってワケだ。

 

 

‥‥そんなワケで、約2000年も続いた噴火は、ここでいったんコマーシャル‥‥じゃなくて、ここでいったん収まって、約9000年前から、今度は約4000年間も沈黙を続ける。そして、今から約5000年前になって、突如として目覚める。これまでの古富士山を形成してた「古富士火山」という活動期に対して、ここから現在までが「新富士火山」という活動期になるんだけど、今回のブログはいつもの2倍くらいの長さになっちゃうので、今日はここまでにして、この後の「新富士火山」については「To Be Continued」って感じの今日この頃なのだ♪

 

 

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