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2014.11.19

人間五十年

昨日18日、俳優の高倉健さんが亡くなったと報じられた。亡くなったのは11月10日とのことで、1週間ほどが過ぎてからの発表となった。享年83歳とのことなので、現在の日本人の男性の平均寿命よりは長生きしたことになるけど、今の日本はずいぶん平均寿命が延びたので、83歳でも「大往生」と言っていいのかどうか、ちょっと迷ってしまう。

で、平均寿命が延びた現在の日本でも、躊躇なく「大往生」と言えるのが、92歳で亡くなった森光子さんや、96歳で亡くなった森繁久弥さんだろう。いくら平均寿命が延びたとは言え、さすがに90歳を超えていれば、これはやっぱり「大往生」と言えると思う‥‥ってワケで、高倉健さんは2014年11月10日に亡くなったけど、驚いたことに、森光子さんが亡くなったのが2012年11月10日で、森繁久弥さんが亡くなったのが2009年11月10日なのだ。3人とも同じ11月10日に、それも、わずか5年間のうちに亡くなってるのだ。こんな偶然って、ホントにあるんだね。

その上、森光子さんが亡くなった2012年11月10日には、クレージーキャッツの桜井センリさんも86歳で亡くなってる。さらに言えば、2008年11月10日には、ザ・ゴールデンカップスのデイヴ平尾さんが63歳で亡くなっていて、2006年11月10日には、漫画家のはらたいらさんが、デイヴ平尾さんと同じ63歳で亡くなっている。もっとさかのぼれば、1965年11月10日には、11代目の市川團十さんが56歳で亡くなっていて、1891年11月10日には、フランスの詩人のランボーが、37歳の若さで亡くなっている。


‥‥そんなワケで、今日はテーマがテーマなので「いかがお過ごしですか?」は省略して先へ進むけど、現在の日本人の平均寿命は、男性が「80.21歳」で、香港、アイスランド、スイスに次ぐ世界4位、女性が「86.61歳」で、世界1位だそうだ。だから、この平均寿命から見れば、83歳で亡くなった高倉健さんは「大往生」と言っても良さそうなんだけど、あたしは、どうしても高倉健さんには「大往生」と言う言葉を使いたくない。

で、いろいろと考えてみたんだけど、これは、晩年の外見やイメージの問題なんだって分かった。「大往生」と言えば、やっばり「お年寄り」で、それも「チョーお年寄り」で、男性なら「おじいちゃん」、女性なら「おばあちゃん」だ。森光子さんは、いくら髪を黒々と染めてても、いくらキレイにお化粧してても、いくら「でんぐり返り」をしても、さすがに90歳を過ぎたんだから「おばちゃん」じゃなくて「おばあちゃん」だ。森繁久弥さんなんて、髪も髭も真っ白だったし、何よりも若い女優さんのお尻を撫でても叱られなかったのが、「おじいちゃん」であることの証だった。

だけど、高倉健さんは、どう見ても「おじいちゃん」じゃない。髪に白いものが混じっても、80歳を過ぎても、あの風貌で、背筋がシャンとして、とても「おじいちゃん」には見えなかった。百歩ゆずっても「ダンディーなおじさん」、ちょっと盛れば「粋な兄さん」だった。だから、そんな外見とイメージの人に対して、お年寄りに使う「大往生」という言葉が、あたしは似合わないと感じたのだ。


‥‥そんなワケで、最近では、60代半ばで亡くなったりすると、「まだお若かったのに‥‥」なんて言うケースも多い。法律的には、65歳からは「前期高齢者」、75歳からは「後期高齢者」になるワケだし、ちょっと前までは、60歳の「還暦」からを「お年寄り」としてた。だから、60代半ばで亡くなれば、一応は「お年寄り」が亡くなったことになるのに、それでも、「まだお若かったのに‥‥」って言うケースが多い。

80歳を過ぎて亡くなっても「大往生」と言うことを躊躇しちゃう高倉健さんみたいな若々しい外見とイメージの人もいるんだから、60代半ばを「まだお若かったのに‥‥」って言うのも不思議じゃないと思うし、これが今の日本の風潮だ。でも、この風潮って、つい最近のことなのだ。だって、日本人の平均寿命の推移を見てみると、次のようになってるからだ。


「日本人の平均寿命」

縄文時代 31歳
弥生時代 30歳
古墳時代 31歳
室町時代 33歳
江戸時代 45歳
明治時代 43歳
昭和元年~5年 46歳
昭和6~21年 48歳
昭和22年 52歳
平成19年 82歳


‥‥そんなワケで、ものすごくザックリした抽出だし、これは男女を合わせた平均寿命なんだけど、これを見れば分かるように、昭和21年まで、つまり、わずか68年前の1946年までは、日本人の平均寿命は「50歳以下」だったのだ。そして、初めて「50歳以上」になったのが、昭和22年(1947年)で、この年に、男性が50.06歳、女性が53.96歳になり、男女ともに、そして、男女の合計も、ようやく「50歳以上」になったってワケだ。

急に話が飛んじゃうみたいだけど、室町時代に流行した曲舞「幸若舞(こうわかまい)」の演目「敦盛(あつもり)」の中に、織田信長が好んで演じたと言われてる一節がある。この演目は、源平合戦の中の「一ノ谷の戦い」を取り上げたもので、源氏方の熊谷直実が若き平敦盛を討ち取る話なんだけど、まだ少年の面影のあった敦盛を討ち取った直実は、後悔の念にかられて、世をはかなんで出家を決意する。そして、その時のセリフが、織田信長のお気に入りだったと言われてる。


「思へばこの世は常の住家(すみか)にあらず、草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。金谷(きんこく)に花(か)を詠(えい)じ、榮花(えいが)は先立つて無常の風に誘はるる。南楼(なんろう)の月を弄ぶ輩(ともがら)も、月に先立つて有為の雲にかくれり。人間(じんかん)五十年、下天(けてん)のうちを比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり。一度(ひとたび)生(しょう)を享け、滅(めっ)せぬもののあるべきか。これを菩薩(ぼさつ)の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」


簡単に訳すと、「この世は永遠の住家なんかじゃなくて、誰でもいつかは必ず死ぬ運命なので、現世など水面に揺れてる月よりも儚いものだ。お金持ちのゴージャスな別荘で美しい詩を詠んだところで、心の中には無情の風が吹き抜ける。景色のいい高台から美しい月を眺めたところで、その月もそのうち雲に隠れてしまう。人の世は50年と言われてるけど、死んだあとの天上での時間の流れと比べれば、現世の50年など一瞬の夢のようなもの。せっかく生を受けて生まれて来たところで、必ず死ぬのが世の定め。悟りを得るための仏の意思だとでも理解しなきゃ、何ともやりきれない話じゃないか」って感じだ。

もうちょい詳しく説明すると、「下天」を「化天」と書いてる文献もあるんだけど、どっちにしても仏教の「六欲天」の中のどれかを指してるので、「人の世の50年なんて、天上界での1日ほどのことだ」って感じの意味になる。ちなみに、織田信長は、自分のことを「六欲天の魔王」と言っていた。

だけど、そんな織田信長も、天文3年(1534年)に生まれて、天正10年(1582年)に「本能寺の変」で明智光秀に襲われて自害してるんだから、享年48歳、当時の「数え年」でも49歳なので、「人間五十年」は達成してない。でも、当時は戦国時代だったこともあり、日本人の平均寿命は35歳前後だったと推測されてるから、その意味で言えば、けっこう長生きしたことになる。それも、信長の場合は逃げ場を失って仕方なく自害したんだから、うまいこと「本能寺の変」さえスルーできてたら、もっと長生きしてたことになる。

ちなみに、鎌倉時代や室町時代、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本人の生活を調べてみると、女の子は初潮が来たら、すぐに結婚させられて子どもを産まされて、20代後半から30代前半には、もう孫がいたなんてケースも多かったようだ。平均寿命が30歳代だっただけに、40歳前後には、もう男性も女性も見た目は老人だったようだ。だから、もしも現代の80歳や90歳のお年寄りが、タイムマシンでこの時代に行ったら、きっと仙人か神様か何かだと思われちゃうだろう。


‥‥そんなワケで、今から400年以上も前の織田信長が「人間五十年」て言ったのは分かるけど、ここで、さっきの日本人の平均寿命の推移を思い出してほしい。そう、あたしたち日本人が「人間五十年」を達成できたのは、つい、こないだのこと。わずか67年前のことなのだ。そして、ようやく日本人の平均寿命が50年に達した1947年からは、主に医学の進歩が貢献したんだと思うけど、平均寿命はグングン延び始めた。


「近年の日本人の平均寿命」

1950年 男性59.57歳、女性62.97歳
1960年 男性65.32歳、女性70.19歳
1970年 男性69.31歳、女性74.66歳
1980年 男性73.35歳、女性78.76歳
1990年 男性75.92歳、女性81.90歳
2000年 男性77.72歳、女性84.60歳
2010年 男性79.55歳、女性86.30歳


そして、今年の7月に発表された「2013年の平均寿命」で、ついに、男性の平均寿命が初めて80歳を超えたのだ。男性は前年を0.27歳上回って80.21歳となり、女性は前年を0.20歳上回って過去最高の86.61歳となった。これで、男性は世界4位となり、女性は2年連続で世界1位となった。

でも、これって、どうなんだろう?40歳を過ぎちゃったあたし的には、もしも室町時代や戦国時代に生まれてたら、もう寿命が来て死んでたワケだし、明治時代や大正時代に生まれてたとしても、あと数年しか生きられなかったのに、この現代に生まれたからこそ、40歳を過ぎても「まだ人生の折り返し地点にも来てないや」なんて余裕シャクシャクでいられるからだ。もしも室町時代や戦国時代に生まれてたら、もう孫までいて、外見は完全におばあちゃんになってたのに、この現代に生まれたからこそ、あたしは20代のころとほとんど変わらないノリで楽しく生きていられる。だから、あくまでも「あたし的には」ってことで言えば、日本人の平均寿命が延びたことはアリガタイザーなことなのだ。

だけど、これって、結局は比較対象があっての話なんだよね。もしも室町時代や戦国時代に生まれてたら、あたしは人間の平均寿命を35年くらいだと認識してるワケで、長生きしても40代くらいまでって分かってるから、そのモノサシで生きるしかないワケだ。だから、仮に35歳で死を迎えても「まだこんなに若いのに‥‥」なんて思わないし、もしも45歳くらいまで生きられたとしたら「ああ、長生きできて良かったなあ!」って思ったハズだ。将来的に、まさか人間が90歳や100歳まで生きられるようになるなんて想像もしてないだろうから、まかり間違って50歳くらいまで生きちゃったとしたら、それこそ大儲けした感覚になるだろう。

逆に言えば、今は日本人の平均寿命が80年で、世界最高齢でも110歳とか120歳とかだから、あたしたち現代人は、どう転んでも150歳なんて生きられないと思ってる。もしかして、地球のどこかの文明から切り離された民族とかの中に、1人くらい、145歳くらいの人がいるかもしれないけど、それでも、さすがに200歳の人はいないだろう。

でも、このまま科学や医学が進歩し続けて、何十年後かに細胞を老化させない薬や若返らせる薬が開発されたとしたら、見た目は20代でも実年齢が150歳の女性とか、見た目は40歳くらいでも実年齢は190歳の男性とか、そういう人たちが元気に歩き回ってる世の中になってる可能性だってある。そして、もしもそうなったとしたら、今のあたしたちのことを「たった80年しか寿命がなかったなんて気の毒に‥‥」って思うだろう。今のあたしたちが、室町時代や戦国時代の人たちの平均寿命を知った時みたいに。


‥‥そんなワケで、これを言い出したらミもフタもないんだけど、平均寿命ってのは、あくまでも「平均」であって、誰もがその年齢まで生きられるという保証書じゃない。100歳以上まで長生きできる人もいれば、不慮の事故や病気で若くして亡くなってしまう人もいるワケで、今、元気なあたしだって、もしかしたら明日、何かの事故に巻き込まれて死んじゃうかも知れない。

で、最初の話にクルリンパと戻るけど、92歳で亡くなった森光子さんや、96歳で亡くなった森繁久弥さんなら、「もしも自分だったら」って想像した場合、これなら納得できる。平均寿命より何年も長生きしてるからだ。だけど、83歳で亡くなった高倉健さんの場合はどうだろうか?男性の平均寿命よりは長生きしたけど、女性の平均寿命よりは短いから、女性のあたしとしては、何とも言えない複雑なラインだ。

そして、63歳で亡くなったデイヴ平尾さんや、はらたいらさんの場合は、「もしも自分だったら」って想像したら、率直に言わせてもらうと、あたしは「もうちょっと生きたい」って思う。これは、日本人の平均寿命が「50年以下」だった昭和21年(1946年)までたったら、きっと思わなかっただろう。

一方、フランスの詩人のランボーは37歳で亡くなってるけど、亡くなったのは1891年だから、日本で言えば明治24年にあたる。明治時代の日本人の平均寿命は43歳なので、当時の日本人の感覚で言えば、それほど極端に「若くして亡くなった」とは言いきれない。そして、ランボーが亡くなった5年後の1896年に生まれて、ランボーと同じく37歳で亡くなったのが、宮沢賢治だ。

それから、1900年代に入ると、1948年に38歳で亡くなったのが太宰治、1962年に36歳で亡くなったのがマリリン・モンロー、1967年に39歳で亡くなったのがチェ・ゲバラ、1981年に36歳で亡くなったのがボブ・マーリィ、これらは若くして亡くなった著名人のホンの一部をピックアップしただけだけど、「もしも自分だったら」って考えたら、どう思うだろう?

あなたが女性なら、自分がノーマ・ジーンという絶世の美女としてこの世に生まれ、マリリン・モンローという芸名で女優として成功し、数々の恋愛をして、36歳という若さでこの世を去り、後世に名前と多くの映像を残す。それらの映像の中には、若くて美しかった時のあなたの姿が永遠に残っている。あなたが男性なら、太宰治という小説家、ボブ・マーリィというミュージシャン、チェ・ゲバラという革命家、どの人生もお好みで選べる。もちろん、後世に名前や作品を残すことができて、永遠に語り継がれるのだ。ただし、30代という若さでこの世を去らなくてはならないけど。

こういうことを考えると、中には「短命でもいいからマリリン・モンローの人生を送ってみたい」という人や「39歳で殺されてもいいからチェ・ゲバラとして革命を起こしてみたい」という人もいるだろう。だけど、多くの人は、「自分は別に有名になれなくていいから、普通の生活をして長生きしたい」と思うハズだ。

そして、もっと顕著なのが、通称「27クラブ」と言われてる人たちだ。2011年に、あたしの大好きだった歌手のエイミー・ワインハウスが27歳の若さで亡くなってしまったけど、何故だか昔から27歳で亡くなってしまうミュージシャンが多くて、その人たちを総称して「27クラブ」と呼んでいる。

1969年に亡くなったローリングストーンズのブライアン・ジョーンズ、1970年に亡くなったジミ・ヘンドリックス、同じく1970年に亡くなったジャニス・ジョプリン、1971年に亡くなったドアーズのジム・モリソン、1994年に亡くなったニルヴァーナのカート・コバーン、そして、2011年に亡くなったエイミー・ワインハウス、みんな27歳で他界してる。他にも10人以上のミュージシャンの名前が登録されてる。

ここに挙げた名前は、知らない人などいないスーパースターばかりだけど、「もしも自分だったら」って想像したら、どう思うだろう?後世にずっと名を残せるスーパースターになれるなら、わずか27歳で人生を終わりにしてもいいって思う人が、果たしてどれくらいいるだろうか?それも、こんな若さで亡くなってるんだから、当然、普通の亡くなり方じゃない。

ブライアン・ジョーンズは自宅のプールで溺死してるとこを発見されたんだけど、薬物を摂取して溺死した説と、自宅の改築業者に殺害された説があって、真実は闇の中。ジミ・ヘンドリックスはマフィアに大量のワインを飲まされて殺されたという説があるけど、やっぱり真実は闇の中。ジャニス・ジョプリンはヘロインの過剰摂取、ジム・モリソンは薬物の過剰摂取でバスタブで溺死、カート・コバーンは拳銃自殺、エイミー・ワインハウスはアルコールの過剰摂取。こんな言い方をするのはアレだけど、どのスターも、スターになったが故に自らの命を縮めてしまったように思える。


‥‥そんなワケで、こうしていろんな人たちのケースを見てくると、92歳で亡くなった森光子さんや、96歳で亡くなった森繁久弥さんて、もの凄い人なんだと思えて来る。もちろん、もの凄い大俳優であることは初めから分かってるけど、その上で長生きまでしてるからだ。ミュージシャンに限らず、俳優でも若くして亡くなった人がたくさんいるのに、この人たちは、長生きまでしてるのだ。

たとえば、俳優でもミュージシャンでもない一般市民で、メディアに名前や顔の出ない普通の仕事をしてて、それなりに健康にも気を使って生活してても、森光子さんの年齢まで生きられなかった女性や、森繁久弥さんの年齢まで生きられなかった男性はたくさんいる‥‥って言うか、男性も女性も平均年齢が80歳代なんだから、90歳以上まで長生きできる人なんて、有名無名を問わずに、ホンのひと握りの人たちだけだ。

だから、「一般人としてパッとしない人生でも長生き」と「スーパースターになって若死に」の二者択一なら「人それぞれ」だろうけど、これに「スーパースターになって長生き」が加わった三択になったら、多くの人は3番目を選ぶだろう。もちろん、この場合のスーパースターってのは、俳優でも、ミュージシャンでも、スポーツ選手でも、文豪でも、あなたの希望するジャンルで世界的に大成功できるというスペシャル選択肢だ。

普通に考えたら、「短命」よりは「長生き」のほうがいいし、俳優やミュージシャンなら「売れない」より「売れる」ほうがいいし、売れればその対価としてお金持ちになることができる。そして、もちろん、「貧乏」よりは「お金持ち」のほうがいい。だけど、それにしても「加減」てものがあって、あまりにもお金持ちになり過ぎると、逆に苦しむことになる。こないだ、中国の最大手の通販サイト「アリババ」の創業者で、中国一の大富豪と言われてるジャック・マー氏のインタビュー記事を読んだんだけど、マー氏は「金持ちであることは良いことだが、私のように中国一の富豪となると話は別だ。私は富豪であることがとても苦痛だ。なぜなら、お金を求める人ばかりが群がってくるからだ」と話してた。ま、あたしみたいな貧乏人から見れば、それこそ「贅沢な悩み」にしか見えないけど、実際に自分がマー氏と同じくらいの富豪になってみなければ、マー氏の苦悩は理解できないだろう。


‥‥そんなワケで、あたしは、トランプの「大貧民」でしか大富豪になったことはないけど、いろんな大富豪の悩みや苦しみを聞くにつけ、「お金はほしいけど、お金がありすぎて悩むなんてマッピラだ」って思うようになった。具体的に言えば、家賃の安い田舎で暮らすなら、年収150~200万円くらいあれば普通の生活ができるし、少しずつ老後のための貯金もできるから、これで十分だ。そして、これと同じで、寿命も、あたしは長すぎて苦しむほどはいらない。最高でも平均寿命まで生きられればいい。だって、「人間五十年」だと思って生きてれば、51歳から先の人生は、ぜんぶ丸儲けになっちゃう今日この頃なのだ♪(笑)


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