日本で最初の児童文学
「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」と言えば、誰でも知ってる日本の昔話だけど、これらのお話が誕生した時代は、大きく違う。「桃太郎」は岡山県が発祥の地だと言われてて、JR岡山駅の前には桃太郎の銅像があるし、売店では桃太郎にちなんだお土産がいろいろと売られてる。だけど、歴史は意外と浅くて、岡山県内で発見された桃太郎に関する文献で最も古いものは、昭和3年(1928年)、まだ100年も経ってない。
一方、「金太郎」は、一説には実在の人物がモデルだったとも言われてて、静岡県で金太郎を祭っている金時神社に保存されてる文献によると、金太郎が誕生したのは天暦10年(956年)だとされている。もちろん、この時点では、まだ、お話にはなっていない。金太郎のお話が確立したのは、歌舞伎や浄瑠璃の演目になったり、浮世絵に描かれたりした江戸時代だと言われてる。それでも、1700年代の末期からなので、少なくとも200年以上の歴史がある。「桃太郎」の約2倍だ。
そして、「浦島太郎」だけど、これはものすごく古い。何しろ、日本最古の正史である「日本書紀」に登場してるからだ。「日本書紀」が成立したのは奈良時代の養老4年(720年)なので、約1300年もの歴史があるワケで、「桃太郎」や「金太郎」なんて比べ物にならない。
ちなみに、「日本書紀」に書かれてる「浦島太郎」は、現在のお話とはずいぶん違う。舟を漕いで釣りに出た浦島が大きな亀を捕まえると、その亀は人間の女性に化けてしまった。浦島はその女性を妻にめとり、その妻の案内で海中にある蓬莱山(ほうらいざん)へ行き、山中を旅して仙人たちに会う‥‥っていうお話だ。この「蓬莱山」というのは、古代中国で「東の海の中にある仙人たちの住む山」と言われてるので、中国からの伝承がベースになってると思われる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、以前、織姫と彦星の「七夕伝説」について書いた時も、日本古来の「棚機(たなばた)」の伝説と、中国から伝わって来た「乞巧奠(きっこうでん)」とが合体ロボして誕生したお話だって解説してるので、興味のある人は2010年7月7日のエントリー「七夕と乞巧奠」を読んでみてほしい‥‥なんてのも織姫つつ、じゃなくて、織り込みつつ、現代のあたしたちが同列に扱ってる「桃太郎」や「金太郎」や「浦島太郎」や、その他モロモロの昔話って、昭和になってから完成して、まだ100年も経ってないものもあれば、1000年以上も前に誕生したものもあるのだ。
だけど、100年経っていなくても、1000年以上経っていても、これらの昔話には1つの共通点がある。それは、「作者不詳」という点だ。もともとは誰かが考えたんだと思うけど、口頭で伝承されて広まって行くうちに、ジョジョに奇妙に内容が変化して、場合によっては中国から伝わって来たものと合体ロボしたりして、現在に至る‥‥ってワケだ。
だから、同じようなお話でも、「ごん狐」なら新美南吉さん、「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」なら小川未明さん、というように、作者の名前がハッキリしていない。「桃太郎」や「金太郎」や「浦島太郎」のお話は誰でも知ってるのに、作者の名前は誰も知らないのだ。
‥‥そんなワケで、作者の名前がハッキリしてて、子どものために書かれたお話で、日本で最も古いものと言えば、明治24年(1891年)に日本で初めての児童文学として出版された巌谷小波(いわや さざなみ)さんの「こがね丸」だ。「青空文庫」に公開されてるので、こちらで読むことができる‥‥とは言っても、当時の原文のままなので、現代の小説を読むようにスラスラと読むのは難しいと思う。で、痒いとこに猫の手が届く「きっこのブログ」が、ザックリとあらすじを書いておく。
本来、最初から最後までのストーリーを説明しちゃうと、もうそのお話を読む気がなくなっちゃうと思うけど、この「こがね丸」の場合は、ザックリとしたストーリーを把握した上で読んだほうが、分かりやすいし楽しめると思う。
まず、ある山の奥に、ものすごく強くて大きな虎が住んでいた。その虎は「金眸(きんぼう)大王」と名乗り、山に住むすべての動物の上に君臨していた。で、春と言っても、まだ雪が積もっていて獲物が少ない時期に、「聴水(ちょうすい)」というズル賢い古狐が、金眸大王をそそのかした。
「大王様、もしもお腹が空いているのなら、私が獲物を進呈しましょう。この先の庄屋の家に犬がおります。私が案内しましょう」
実は聴水、この庄屋の家で飼われているニワトリを襲おうとして、番犬の「月丸(つきまる)」にシッポを噛み切られてしまったのだ。それで、その恨みを晴らすために、金眸大王をそそのかして仕返しをしようと考えたのだ。つまり、スネオがジャイアンを利用するようなパターンだ。
そして、この聴水の話に乗っかっちゃった金眸大王は、案内されるままに雪の中を庄屋の家へと向かう。庄屋の家では、狐の声を聞いた番犬の月丸が、また聴水がニワトリを狙って来たと思って飛び出した。逃げる聴水、追う月丸。そして、月丸が門を出た瞬間、待ち伏せしていた金眸大王が月丸に襲いかかった。月丸は、自分の何倍もある大きな虎に勇敢に立ち向かったが、無残にも凶器の牙と爪で体を割かれて絶命してしまった。
金眸大王は、殺した月丸の亡骸をくわえて、山奥の自分の住家へと帰って行った。真っ白な雪の上に、月丸の真っ赤な血が点々と続いて行く。この一部始終をじっと物陰に隠れて見ていたのが、月丸の妻の「花瀬(はなせ)」だった。花瀬は月丸の子を身ごもっていて、とても一緒に戦うことなどできなかったのだ。悲しみのあまり、悲痛な声で吠え続ける花瀬。その声を聞いて、何事かと庄屋が屋敷から飛び出して来た。そして、あたり一面の血の海に驚き、遠くに犬の亡骸をくわえて山へ帰って行く大きな虎の姿を見つける。
「おおっ!何ということか!わが月丸が虎に殺されてしまったのか!」
花瀬は、愛する月丸を目の前で無残にも殺されてしまったことで、悲しみに明け暮れ、餌も食べられなくなり、やせ細ってしまった。それでも、何とか子犬を産み落とした。生まれた子犬は精悍なオス犬で、背中に金色の毛が混じっていたことから、庄屋は「黄金丸(こがねまる)」と名づけた。
しかし、出産で最後の体力を使い果たしてしまった花瀬は、いよいよ手の施しようがないほど衰弱してしまった。花瀬は自らの運命を悟り、庄屋の家で飼われていた「牡丹(ぼたん)」という名のメス牛に、黄金丸のことを頼んだ。自分が死んだら、自分の代わりに黄金丸を立派な犬に育てて、どうか月丸の仇討ちをさせてほしいと。
‥‥そんなワケで、ザックリとあらすじを書くと言いつつ、ついつい詳しく書き過ぎちゃったけど、原作にはそれぞれのセリフが長く書かれてるので、じっくり読むと、とっても面白い。そして、ここから先が、いよいよ面白くなって行く。あたしは長々と書いて来たけど、これは全編で16章あるうちの最初の2章ぶんのあらすじで、ここからが本編みたいなもんだ。ようするに、父を殺され、母を死に追いやられた黄金丸が、金眸大王と聴水に仇討ちをするっていうお話なんだけど、いくら強くなったって、犬1匹で大きな虎やズル賢い古狐を倒すことは難しい。そこで、「ドラクエ」みたいに、旅の中で他の敵とも戦い、仲間を作り、作戦を練り、中ボスを倒し、最後にラスボスの元へたどり着く。最後の死闘など、ホントに「ドラクエ」のラスボス戦みたいで、昔の文体だからこそのドキドキ感がある。読みにくい文体を読み進めた最後の最後に、明治時代の多くの子どもたちが歓喜したであろう結末が待ってる。だから、あたしの導入部分のあらすじを読んで興味が湧いた人は、現代語訳もあるけど、できれば「青空文庫」の原文を読んでほしいと思う今日この頃なのだ。
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