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2015.02.15

シーナさん、ありがとう!

日本を代表する最高にイカしたロックバンド、「シーナ&ロケッツ」のシーナさんが、2月14日の早朝、亡くなった。享年61歳。

この訃報が伝えられたのは、14日の夜だった。夜7時ごろ、内田裕也さんがシーナさんの訃報をツイートして、それを受けてネットのニュースサイトが報じ、スポーツ紙などが夜8時過ぎに報じ始めて、あたしも知ることになった。

あまりにも突然のことで、あたしは、この訃報を現実として受け止められなかった。だけど、ネット上に次々とアップされる複数のスポーツ紙の記事は、次々と現実味を増して行く。最初は簡単な訃報を伝えただけの速報のような記事だったものが、夜8時半を過ぎたころにアップされた「デイリースポーツ」の記事では、鮎川誠さんの次のコメントが報じられた。


「35年、一緒に(バンドを)やれて幸せでした」

「歌うことが好きで、病気治ったら何したい?って聞かれたら『歌いたい』って。(代表曲の)『ユー・メイ・ドリーム』を『いいな』と聞きながら、息が途絶えました。ハートが大好きだったから、バレンタインが命日(に)なって…」

「35年、シーナ&ロケッツを一緒にやりましたけど、シーナはどこにもいない歌手なんですよ。素晴らしい歌手です。ファンの皆さんから愛されて、とても幸せやったと思います」
http://www.daily.co.jp/gossip/2015/02/15/0007741128.shtml


この鮎川誠さんのコメントを読んで、あたしは涙が止まらなくなった。そして、深夜、日付が変わると、フェイスブックのオフィシャルページに、以下の正式なコメントがリリースされた。


シーナ&ロケッツのファンの皆様へ

2月14日4時47分、シーナが永眠いたしました。子宮頸ガンでした。
皆様には生前シーナのことを愛してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
最期はシーナ&ロケッツの35年分の音楽を病室でかけながら、鮎川に抱えられながら、家族が手を握りながら永眠致しました


鮎川誠
「シーナはロックが大好きなファンに愛されて、とても幸せでした。シーナは『ROKKET RIDE』を聴きながら、息を引き取ってしまったけど、最高のレコードを作ったことと最高の歌を歌ってくれてありがとう、とシーナへ叫んだ。『ROKKET RIDE』はシーナと俺の歌。2人の愛は永遠だぜ。」


以下、オフィシャルの訃報としてお送りさせて頂きます。

シーナは7月に体調を崩し病院で検査した結果、末期ガンであることを医者に告げられました。本人はファンに公表せず、陰で闘病生活を送り、これまで通りのライブ活動を行う事を希望しておりました。そこでファンの皆様には一切事情を明かす事無く、7月に18枚目のオリジナルアルバムを「ROKKET RIDE」リリース、そしてシーナ&ロケッツ35周年記念ライブとして日比谷野外大音楽堂でスペシャルライブを行いました。また全国ツアーも精力的に活動を行っておりました。

皆様にはいつも通りのシーナをお見せしたいという事で、病状を明かす事はいたしませんでした。シーナは最後までシーナ&ロケッツで歌い続ける事をあきらめる事なく、治療に精一杯励んでおりました。

シーナを応援し、愛してくださった世界中のファンの皆様に心から感謝の気持ちです。

なお、葬儀は、家族と関係者のみで行う予定です。
ファンの皆様には、後日お別れ会を予定しております。
追って発表をいたしますので、よろしくお願いいたします。

ROKKETDUCTION
シーナ&ロケッツ

2015年2月15日 
https://ja-jp.facebook.com/sheenarokkets


あたしが初めて「シーナ&ロケッツ」を観たのは、今から25年くらい前、高校生の時だった。ちなみに、現在の「シーナ&ロケッツ」というバンド名に変わったのは一昨年の2013年のことで、当時は「シーナ&ザ・ロケッツ」だった。大晦日に浅草で開催されてた内田裕也さん主催の「ニューイヤー・ロック・フェスティバル」を、当時、一緒にガールズ・パンクバンドをやってた仲間4人と観に行き、そこで、初めてナマの「シーナ&ザ・ロケッツ」を観て、あたしは、いっぺんでファンになった。

この日、あたしたちは座席なんか無視して、最初からステージ前までダッシュして、4人で並んでステージに体をくっつけて、両手を挙げてノリノリで騒いでた。内田裕也さん主催のフェスだから、ウドーやキョードー主催の外タレの武道館ライブみたいに、席から立ち上がっただけで四方八方から警備員が飛んでくるような無粋なことなんかなくて、どんなに騒いでも自由だった。あたしたち4人のノリを見て、おとなしく席に座ってた他の人たちも、次々にステージ前に押し寄せて来て、満員電車みたいになって、最高に楽しかった。

知ってるバンド、知らないバンド、いろいろ出て来たのでちゃんとは覚えてないけど、ハッキリと覚えてるのは、内田裕也さんや安岡力也さんは当然として、テレビでもお馴染みだった「シャネルズ」改め「ラッツ&スター」、「頭脳警察」のPANTAさん、宇崎竜童さん、桑名正博さん、ジョー山中さん、葛城ユキさん、俳優の原田芳雄さん‥‥って、思い出しながら書いて来ると、もう亡くなってしまった人が何人もいることに気づき、改めて、時の流れを感じてしまった。

あたしは軽音部じゃなかったけど、あたし以外のバンドの3人は軽音部で、あたしも部室に入り浸ってたので、先輩から「頭脳警察」や「外道」、「サンハウス」や初期の「シーナ&ザ・ロケッツ」などのカセットテープを借りて聴いていた。だから、ステージに「シーナ&ザ・ロケッツ」が登場して、「レモンティー」や「ユー・メイ・ドリーム」など、何度も聴いていた曲を、ナマで、それもステージにかぶりつきで観たら、あまりのカッコ良さに全身がシビレまくった。初めて観たシーナさんは、とにかく美人で、カッコ良くて、セクシーで、笑顔がステキで、最高にロックで、あたしたち4人は、いっぺんでファンになってしまった。


あたしは普通のファンの1人として、勝手に「シーナ&ザ・ロケッツ」のことを「大好きなバンドのひとつ」と思っていただけで、行けそうなライブがあれば友達を誘って行ったり、新しいアルバムがリリースされれば買って聴いたりして来た。だけど、ここ10年でインターネットが普及して、数年前からツイッターも始めたある日のこと、ナニゲに「シーナ&ザ・ロケッツ」についてツイートしたら、シーナさん御本人からリプライが来たのだ!

あたしは感激して、すぐにお返事をした。そして、シーナさんもあたしのことを認識してくださったようで、それから何度かのやり取りがあり、去年の9月の頭には、「きっこさん、いつもありがとう!9月13日に日比谷野音で35周年記念ライブをやるから遊びに来てね!」って、わざわざメールをくださった。

あたしは、去年の7月にシーナさんが体調を崩してツアーをお休みしたことを知ってたけど、このメールで「ああ、元気になったんだな」って思って、とっても安心した。この時は、まさか重い病気の診断をされてたなんて、夢にも思わなかった。

だけど、あたしは、自分の体調が悪かったため、「残念ながら今回はライブには行けませんが、応援しています。35周年記念ライブ、最高に楽しんでくださいね♪」と返信した。シーナさんは、自分の体のことが分かっていたから、わざわざあたしにもメールでお誘いの声を掛けてくれたのかもしれない。それが分かっていたら、どんなに無理をしてもライブに行ったのに‥‥。そう思うと、本当に悔やんでも悔やみきれない‥‥。


昨年9月13日の日比谷野音での35周年記念ライブのあとも、シーナさんは精力的に全国ツアーを行なっていたが、11月21日のライブで足が動かなくなり、イスに座って歌い続けたそうだ。そして、5日後の26日に都内の病院に入院、12月に子宮頸がんが脊髄に転移していたことが発覚した。

シーナさんは、足が痺れて立つことができなくなり、車イスでの生活となったが、それでも復帰に向けて治療に専念し続け、お正月には一時帰宅して、自宅で家族と過ごすことができたそうだ。でも、1月中旬に容体が急変して入院、昨日2月14日の早朝、最愛のパートナーである鮎川誠さんに抱かれて、子どもたちに手を握られて、パソコンで「シーナ&ロケッツ」の35年分の音源を聴きながら、静かに息を引き取ったと言う。


最高にカッコ良くて、最高にセクシーで、最高に美しくて、最高にロックだったシーナさん。「シーナ&ロケッツ」の「ロケッツ」は、シーナさんの本名の「悦子」と「ロック」とを合わせて生まれた。「ロック+エツコ」で「ロケツコ」、ここから「ロケッツ」というバンド名が生まれたので、英語の場合は「Rokkets」という表記にこだわり、「Rocket」との違いを表わしてる。

このバンド名の通り、ロックの申し子として、ロックの女神として、35年間、歌い続け、走り続け、そして、輝き続けたシーナさん。ファンの心を愛で満たし続けてくれたシーナさん。本当にありがとうございました。心から感謝しています。あなたからいただいたロックなハート、ロックな愛を、あたしはずっと大切にして行きます。

シーナさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

きっこ


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