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2015.03.28

4.25「日比谷 平和パレード」のお知らせ♪

4月25日(土)に、「日比谷 平和パレード」と制服向上委員会の「NO NUKES NO WAR LIVE」が開催されますので、そのお知らせをします♪


Ski1


【4.25 日比谷 平和パレード】

<日時>4月25日(土)13時 出発15時 
<場所>日比谷野外音楽堂(雨天決行)


【NO NUKES NO WAR LIVE】

<日時>4月25日(土) 開場17:00 開演18:00
<会場>日比谷野外音楽堂(雨天決行)
<入場料>¥1,000


ライブでは、制服向上委員会が3.11以降に歌って来た歌と想いを全て発表するそうです。
ぜひ、ご参加ください。

詳細は以下のリンクから「制服向上委員会オフィシャルサイト」へどうぞ♪
http://idol-japan-records.net/ski/

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2015.03.24

仮釈放についての私見

去年の9月、東京の北区のラーメン屋さんで、自分の隣りの席に座ろうとした男性に暴行して、腹部を踏みつけるなどして殺害した体重120キロの巨漢の男に、東京地裁が「懲役7年」の判決を下したというニュースが数日前にあった。あたしは、このニュースを見て「なんて軽い刑なんだろう」と思った。

これは、この事件に限ったことじゃないけど、日本の場合、「殺人罪」に対する判決って全般的に軽すぎるように感じる。殺した相手が1人なら、まず死刑になることはないし、2人殺しても「懲役10年」とか「懲役15年」とかのケースもある。イスラム教の「目には目を、歯には歯を」じゃないけど、仮にも他人の命を奪ったんだから、償う方法は自分の命を差し出すしかないと思うんだけど、たったの「懲役7年」て、あたしの感覚だと、犯した罪と刑罰とのバランスがぜんぜん取れてないように思う。

たとえば、相手を殺す気なんかなかったのに、不運にも死んでしまった場合、ようするに「過失致死罪」の場合なら、これくらいの刑でも仕方ないと思う。だけど、この事件のように、何の落ち度もない人に一方的にイチャモンをつけて、明らかに殺意を持って殺した場合は、いくら何でも「懲役7年」は軽すぎると思う。

この男は、混んでいた店内のカウンターで、隣りのイスのほうまで両足を大きく広げて座っていた。そこに男性客が入って来て、そのイスを少し自分のほうに引き寄せて座ったところ、それに男が激怒して、男性客の襟首を掴んで後ろに引き倒し、底の頑丈なブーツで顔面や腹部を何度も何度も踏みつけた。男は通報で警察が到着するまでの間、「刑務所に行くのだから最後の晩餐だ」などと言って、さらにラーメンセットを注文して平然と食べ続け、暴行を受けた男性は搬送先の病院で死亡した。この男は、警察の取り調べに対して「殺そうと思ってやった」と供述した。

殺された男性は40代後半で、家族構成とかは分からないけど、こんなにも理不尽なことで、たった一度の人生を終わりにさせられたのだ。この事件を「他人事」でなく、自分や自分の家族の身に起こったことだと思って想像してみたら、100人が100人とも「懲役7年なんて軽すぎる」と思うだろう。

だけど、日本の「殺人罪」の法定刑は、「死刑又は無期、若しくは5年以上の懲役」となってる。以前は「3年以上の懲役」だったけど、これじゃあまりにも軽いだろうってことで、2004年に「5年以上の懲役」に引き上げられた。だから、今回の「懲役7年」というのは、法的には妥当なんだと思う。最近の例を見ても、2人を殺害した被告に「懲役11年」とか「懲役15年」とかの判決が下ってるから、こんな表現をすると語弊があるかもしれないけど、これが今の日本の「命の相場」なんだろうと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、今回の判決だけを見たのなら「なんて軽い刑なんだろう」とまでは思わなかったかもしれない。日本での他の殺人事件の判決と比較しただけなら、この「懲役7年」という判決は「そんなもんかな~」って感じだったと思う。でも、あたしは、先月2月に、PC遠隔操作事件の判決の「懲役8年」というニュースを見たばかりだったので、それと比較したこともあって、この「懲役7年」を「すごく軽い」と感じたのだ。

もちろん、PC遠隔操作事件だって、やったことは絶対に許されることじゃないし、あたしは擁護するつもりなんてモートーない。だけど、誰かを殺したワケでもなく、誰かから金品を奪ったワケでもない犯罪者が「懲役8年」なのに、何の落ち度もない人を一方的に暴行して殺した犯罪者が「懲役7年」って、やっぱり腑に落ちない。

PC遠隔操作事件の場合、新聞の報道などを見ると、裁判長は「見ず知らずの第三者を犯人に仕立て上げるなど、サイバー犯罪史上まれに見る卑劣な犯行だ」と厳しく批判して「懲役8年」の判決を下したと書かれてて、あたしは違和感を覚えた。確かに、この事件では、4人の人が誤認逮捕され、大学生は大学を辞めることになったり、会社員は会社を辞めることになったりして、それぞれの人生をメチャクチャにされた。

でも、誤認逮捕したのは警察じゃん。百歩ゆずって、誤認逮捕までは仕方ないとしても、その後の取り調べで、容疑者がいくら無実を訴えても聞く耳持たずで、最初から容疑者を犯人と決め付けて自白を強要して、脅して「私がやりました」という嘘の供述書を書かせたんだよ。こうした「決め付け捜査」などせず、PCの知識のある捜査員がきちんと調べていたら、この人たちの容疑はもっと早い段階で晴れていたハズだ。

誤認逮捕された会社員の男性に至っては、こちらも最初から無実を訴えてたのに、取り調べの刑事から「お前と同居しているお前の女が犯人だ。お前が罪を認めないと、お前の女を逮捕するぞ」と脅されて、仕方なく「私がやりました」という嘘の供述書を書かされたのだ。これって、完全に犯罪じゃん。

もちろん、真犯人が一番悪いことは決まってる。だけど、その真犯人の仕組んだトリックを見破ることができずに、無実の人を4人も誤認逮捕した挙句に、自白を強要して嘘の供述書まで書かせたのは完全に警察の落ち度だ。ようするに、自分たちが逮捕した者は、表向きは「容疑者」でも頭の中で「犯人」と決め付けているから、こうした冤罪が後を絶たないのだ。

で、今回の事件では、この誤認逮捕の件も「見ず知らずの無実の人を犯人に仕立て上げた」として、起訴内容には含まれていないのに、刑の重さの判断材料にされた。弁護側は「正しい捜査をすれば誤認逮捕は防げた」と主張してたけど、これは通らずに、すべて被告の罪にされた。つまり、警察が誤認逮捕したのも、取り調べで自白を強要して無実の人たちに犯行を認めさせたのも、すべて被告の責任であって、警察は何ひとつ悪くない、という結論だ。

だけど、警察としては大恥をかかされたワケで、ものすごくムカついてるワケだ。だから、あたしは、この「懲役8年」という判決には、被告が実際に犯した罪のぶんだけでなく、世の中に対する見せしめのぶんと、大恥をかかされた警察の落とし前のぶんが上乗せされてるように感じた。そう考えると、この「懲役8年」という判決の重さにも筋が通る。

そして、弁護側が主張したように、もしも警察が正しい捜査をして、正しい取り調べをしていれば、誤認逮捕は防げたと思う。そうなっていたら、ネットに犯行予告を書き込んだだけになるから、これまでの同類のサイバー犯罪と同様に「懲役1年6月」あたりが求刑され、あたしは「なんて軽い刑なんだろう」と思っていただろう。そして、警察がオチョクラレてムカついたぶんを、聞いたこともないような罪状で上乗せして、強引に「懲役4年」くらいになっていたら、あたしは「妥当だな」と思ってただろう。


‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、あたしは、このPC遠隔操作事件の「懲役8年」という判決を知ったあとだったから、マクラに書いたラーメン屋さんでの殺人事件の「懲役7年」を、より「なんて軽い刑なんだろう」と感じたワケだけど、これには、もう1つの理由がある。それは、「仮釈放」という制度のことだ。

あたしがふだんから「軽すぎる」と感じてる日本の法定刑、特に「殺人罪」を始めとした凶悪犯罪に関しての刑でも、すべての受刑者が「懲役5年」なら5年間、「懲役7年」なら7年間、自分が受けた刑期をちゃんとつとめるのなら、まだ納得はできる。だけど、日本には「仮釈放」という制度があって、半数以上の受刑者は、自分の受けた刑期よりも早く出所して来る。あたしは、これが納得できないのだ。

「懲役7年」が「誰もが絶対に刑務所に7年間つとめること」であるのなら、今回の事件の判決も、あたしはそれほど「軽い」とは思わなかっただろう。だけど、こうした有期刑には「仮釈放」というものがあって、刑務所の中でマジメにつとめていれば、それに応じて刑期よりも早く釈放してもらえるケースがある。もちろん、殺人罪などの凶悪犯罪や再犯の場合は仮釈放の申請が通りにくいとか、身元引受人がいないと申請できないとか、いろんなハードルがあるけど、それでも、実際には、受刑者の半数以上が、この制度で、刑期より早く出所してる。

自分の犯した罪を心から反省して、それでマジメにつとめてるのならいいんだけど、仮釈放を目指してる受刑者の多くは、反省してるからじゃなくて、1日も早く出所したいからマジメにやってるだけなんじゃないだろうか。もしも、そうであるのなら、反省の「ハ」の字もないのに、自分のためにマジメなフリをしているだけなのに、看守にバレないように上手に立ち回ってるだけなのに、それで刑が短くなるなんて、あたしは絶対におかしいと思う。


‥‥そんなワケで、法務省のHPには、年度ごとに受刑者に関する様々なデータがまとめられてて、その中には、その年に出所した受刑者のデータもある。まだ昨年2014年のデータはまとめられてなくて、その前の2013年のものが最新だったので、この年度のものを紹介するけど、この年に出所した受刑者は全国で26535名で、このうち14623名が「仮釈放」で刑期よりも早く出所してる。全体の約55%が「仮釈放」されてることになる。

ちなみに、満期までつとめて釈放された11887名のうち、仮釈放の申請をしたけど許可されなかった人は829名だけで、残りの11058名は申請をしていない。つまり、身元引受人がいないために仮釈放を申請できない人や、最初から申請しても無駄だと思ってる人や、あえて満期を望んだ人や、逆に1日でも長く中にいたいと思った人などが、それだけいたということになる。

で、「仮釈放」と言ってもいろいろで、そこには「執行率」というものがある。誰でも彼でも同じ割合で刑期が短くなるワケじゃなくて、生活態度や仕事ぶりなどで細かく評価されて「執行率」が決まる。たとえば、「懲役4年」の受刑者が「3年」で仮釈放になったとしたら、その人の執行率は「75%」ということになるんだけど、以下が2013年に仮釈放された人たちの「執行率」と人数だ。


「2013年度 有期刑の仮釈放者の執行率」

49%以下 0名
50~54% 1名
55~59% 2名
60~64% 22名
65~69% 154名
70~74% 821名
75~79% 2054名
80~84% 3107名
85~89% 3794名
90~94% 3158名
95%以上 1366名


これを見れば分かるように、刑期の50%台や60%台で仮釈放される人は僅かだけど、大半の人は刑期の75%以上で仮釈放されてる。で、あたしの感覚だと、「最大で10%くらいならともかくとして、25%も短くするなんてどうよ?」ってことになる。だから、たとえ全国で1人とか2人とかでも、刑期の半分ちょいで出て来られる人がいるなんて、とてもじゃないけど理解できない。

「懲役何年」てのは、その人が犯した罪に対する罰なんだから、「懲役3年」なら3年間、「懲役5年」なら5年間、ちゃんとつとめるのが義務だと思う。反省なんかしてないのに、1日も早く外に出たくてマジメなフリをして上手に立ち回ってた人が、2割も3割も短い刑期で済むなんて、やっぱりこんなのおかしいと思う。もちろん、そんな人ばかりじゃなくて、中には本当に反省してる人も混じってるだろうけど、反省すれば罰が軽くなるなんておかしいと思う。

たとえば、漢字の書き取りの宿題を忘れた小学生が、先生からペナルティーとして「ノート1ページにこの漢字を100個書け」と言われた時、75個まで書いたところで「君は文字がとても丁寧だから、ここまでで良い」と言われるだろうか?部活で何か悪さをした中学生が、顧問の先生からペナルティーとして「部室の掃除」を指示された時、3分の2まで掃除したところで「君は反省しているようだから、ここまでで良い」と言われるだろうか?

だから、あたしは、この「仮釈放」という制度には反対だ。日本の司法って、ヤタラと「被害者の救済」よりも「加害者の更正」に比重を置いてるから、こうした制度があるのも分かるけど、あたしに言わせれば、「加害者の更正」って、犯した罪に対する刑罰をきちんと受けることを前提での話だと思う。何の落ち度もない他人を一方的に暴行して殺し、「懲役7年」の判決を受けた男が、仮釈放で「6年」で出所して来たら、被害者のご遺族はどんな気持ちになるだろうか?


‥‥そんなワケで、日本は比較的、犯罪が少ない国だけど、逆に再犯率は約45%と非常に高い。それも、6年連続で再犯率が上昇してるのだ。国によって刑法が違うし、単純に数字だけを比較することはできないけど、参考のために挙げてみると、世界でも再犯率が低いとされてる北欧だと、最も低いノルウェーが約16%で、アイスランド、デンマーク、フィンランドなど、多くの国の再犯率が20~30%台だ。また、アメリカは州によって様々だけど、再犯率の低い州は15~30%のところもある。

もちろん、犯罪自体は少ないんだから、いくら再犯率が低くても犯罪件数が多い国よりはマシだ。でも、再犯率が約45%と言うことは、一度でも犯罪を犯して検挙された人の2人に1人が、また何らかの犯罪に手を染めてるということになる。つまりは、日本の司法が「被害者の救済」よりも重きを置いている「加害者の更正」が大した効果を上げていないということになる。

あたしは、その一因になっているのが、「仮釈放」という制度じゃないかと思ってる。未成年者が犯罪を犯す時に「自分は少年法で守られているから」と言うのと同じで、成人でも再犯を犯すような人たちの中には、「この程度の犯罪ならパクられても2年くらいだから1年半でカリシャク(仮釈放)だな」なんて考えてる人が、意外と多いんじゃないのか?

でも、この「仮釈放」という制度がなくなったら、マジメにつとめる受刑者が激減するという懸念もある。ホントに心から反省してる人はともかくとして、1日も早く外に出たくてマジメなフリをしてた人たちは、自分にとってのメリットがなくなるんだから、バカバカしくて優等生のフリなんてやってられなくなり、結果、刑務所の中で問題を起こす受刑者が増えてしまうという懸念だ。じゃあ、どうすればいいのか?


‥‥そんなワケで、あたしは、現在の「仮釈放」という「刑期のマイナス方式」じゃなくて、「刑期のプラス方式」に変えればいいと思う。「懲役3年」なら3年間、「懲役5年」なら5年間、すべての受刑者が自分の刑期を絶対につとめなきゃならないという大前提があり、その上で、ずっとマジメにつとめていれば自分の刑期で出所できるけど、1回でも何かの問題を起こしたら、その問題の内容によって「プラス1カ月」「プラス3カ月」「プラス6カ月」みたいな何段階かのペナルティーを科せられ、そのぶん刑期が長くなって行くシステムだ。だけど、刑期が長くなるだけじゃ片手落ちなので、「プラス1カ月」のペナルティーを科せられた人でも、その後、6カ月間、マジメにつとめて何も問題を起さなければ、その「1カ月」は取り消しされて元に戻るという、最低限の救済措置も設けておく。これなら完璧だと思うし、すべての受刑者が最低でも満期までつとめるワケだから、被害者も今よりは納得できるようになると思う今日この頃なのだ。


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2015.03.12

もっと強く、優しく、美しく!「Go!プリンセスプリキュア」

前回のブログで、あたしは、今度の「Go!プリンセスプリキュア」は「マリア様がみてる」を参考にしてる‥‥ってことを書いた。これは、あくまでも第5話までを観た時点でのあたしの個人的な感想だったんだけど、前回のブログをアップしてから放送された第6話「レッスンスタート!めざせグランプリンセス!」を観たら、あまりにも「マリア様がみてる」のフレーバーが全開だったので、久しぶりにビックルを一気飲みしちゃった!

まず初めに、登校した海藤みなみと天ノ川きららの2人が学園の廊下を並んで歩いてて、そこに少し遅れた春野はるかが着いて行く。みなみは美人で全校生徒の憧れのマトの「学園のプリンセス」だし、きららは可愛くて現役中学生モデルとしても活躍してる人気者だから、廊下の両端に並んでる一般の生徒たちは、「ああ、今日もお美しいわ、みなみさま♪」とか「きららちゃんも眩しいくらいに輝いてる♪」とか、溜め息まじりの声が飛ぶ。

そして、生徒たちの目は、2人のあとを着いて行く、はるかに向き、「まるで大輪の花‥‥に囲まれたツボミのような、あの子は、いったい誰?」と言われちゃう。その声が聴こえたはるかは、「うへ~、ツボミ?」とうなだれる‥‥って、これ完全に、みなみがロサ・キネンシス(紅薔薇さま)の小笠原祥子で、はるかがその妹にあたるロサ・キネンシス・アン・ブゥトン(紅薔薇のつぼみ)の福沢祐巳じゃん!‥‥って思った今日この頃、皆さん、ごきげんよう♪(笑)


‥‥そんなワケで、あたしはなるべく同じテーマを続けて書かないようにしてるんだけど、今回ばかりは、あまりにも驚きの展開だったので、「おジャ魔女どれみ」風に前回のタイトルに「もっと」を付けて、前回の続編を書かせてもらう‥‥って言うのも、マクラに書いた廊下でのシーンはホンの序章に過ぎず、ここから先に本格的な驚きの展開が待ってたからだ。OP曲が終わって本編が始まると、まず最初に「マリア様がみてる」の高等部生徒会「山百合会」の本部である「薔薇の館」のような建物が出て来て、室内に切り替わると3人がいる。室内のインテリアも「薔薇の館」に良く似てる。そして、みなみがこう言った。


「この第二生徒会室は、あまり使われてないから、人が来る心配はないわ」


つまり、みなみは生徒会長である特権を生かして、自分たち3人がプリキュア戦士であることを他の生徒たちに知られないように、この部屋を秘密基地として使うことにしたってワケだ。そして、プリキュアには付き物の妖精が秘密の道具を出して、3人を真のプリンセスである「グランプリンセス」にするためのレッスンが始まる。「グランプリンセス」になるためには、強さだけじゃなくて、勉強、スポーツ、芸術、料理、マナー、オシャレなど、いろんなことを身につけなきゃならない。

で、まずはレッスンをしてくれる先生として、ネコ型の妖精、ミス・シャムールを呼び出した。そして、最初のレッスンとしてテーブルの上に現われたのが、紅茶のセットとお菓子だった。オシャレで気品のある紅茶のセットを見ただけで、みなみは「英国スタイルのアフタヌーンティーね」って理解したけど、背の高いポットや伝統的なティーカップなど、「マリア様がみてる」の薔薇さまたちが「薔薇の館」で使っているものとソックリだった。

そして、こういうことに慣れている、みなみときららが上手に紅茶を淹れたのに対して、はるかは紅茶の缶を開ける時点で失敗して頭から茶葉をかぶってしまう‥‥なんてお約束もありつつ、はるかのそんな失敗を見たミス・シャムールは、すかさず「ユーはまだまだプリンセスとしてはツボミね」と言い、はるかは「またツボミって言われちゃった~」と落ち込む。ここでも「ツボミ」のダメ押しだ。

だけど、まるで「薔薇の館」のような、この「第二生徒会室」のテーブルを3人で囲み、オシャレなティーセットで紅茶を飲んでいる画は、まさに「マリア様がみてる」がオーバーラップした。それは、部屋のインテリアや紅茶のセットだけでなく、3人の制服も似ていたからだ。それを説明するために、ここで「マリア様がみてる」のOPで流れる、福沢祐巳によるナレーションを紹介しよう。


「マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。汚(けが)れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。私立リリアン女学園、ここは乙女の園。」


このナレーションの文章を読めば分かるように、私立リリアン女学園の制服はセーラー服で、スカートはプリーツスカート、セーラーカラーは白だ。そして、はるかたちの私立ノーブル学園の制服も、プリキュア的に少し変形タイプではあるけど、基本はセーラー服だ。私立リリアン女学園のセーラー服が濃紺なのに対して、私立ノーブル学園のセーラー服は白を基調にしてるけど、セーラーカラーは同じ白で、その上、紺のラインが1本入ってるとこまで同じだ。そして、スカートはジャンパースカート風だけど、プリーツスカートだ。

セーラー服なんだからプリーツスカートなのは当たり前だと思うかもしれないけど、プリキュアの場合は、これまでにいろんな変形タイプの制服があったから、トップスがセーラーカラーだからと言って、ボトムスがプリーツスカートとは限らない。だから、今回の制服は、「お嬢様感」を醸し出すために、意図的に通常のセーラー服に近づけたデザインにしたものだと推測できる。


‥‥そんなワケで、前回の第5話までの「Go!プリンセスプリキュア」を観て、あたしが「マリア様がみてる」に似てると感じた最大のポイントは、海藤みなみと春野はるかの関係性だった。だけど、今回の第6話を観たら、まるであたしの推測を裏付けるかのように、「ツボミ」「第二生徒会室」「紅茶」というキーワードが連発しちゃった上に、第5話までは気にしてなかった制服の類似点までもが浮上して来た。なんなんだ?この奇跡のような一致感は?

で、久しぶりに、頭脳は子どもでもベッドでは女豹、迷探偵キッコナンに登場してもらって、ちょっと調べてもらった。そしたら、もの凄いことが分かったのだ!これまでの「Go!プリンセスプリキュア」の制作クレジットをすべてチェキしてみたら、第1話から第5話までの脚本はシリーズ構成を担当してる田中仁さんが手掛けてたんだけど、今回の第6話は、ナナナナナント!高橋ナツコさんが脚本を書いてたのだ!

高橋ナツコさんと言えば、2004年の「マリア様がみてる」の第12話と第13話、同年の「マリア様がみてる~春~」の第3話と第10話、2007年のOVA版「マリア様がみてる 3rdシーズン」の第4話、2009年の「マリア様がみてる 4thシーズン」の第8話と第9話を手掛けてる。つまり、「マリア様のみてる」のすべてのシリーズの脚本に参加してる人なのだ。

これで、今回の「Go!プリンセスプリキュア」は「マリア様がみてる」を参考にしてるんじゃないのか?‥‥っていうあたしの推測は、単なる妄想や偶然の一致などではなく、完全にビンゴだったと確信できた。そして、これとは別に、もう一点、あたしが気になってたこと、海藤みなみのビジュアルや変身後のキュアマーメイドのビジュアルや立ち居振る舞いが、あたしの大好きだった「YES!プリキュア5」の水無月かれんちゃん、キュアアクアにオーバーラップしてるという点、この謎も解けたのだ。

それは、同じく制作クレジットで判明した。今回の「Go!プリンセスプリキュア」の制作クレジットをくまなくチェキしてたら、「企画」の欄の一番最後に、本日2回目のナナナナナント!あたしの最愛の鷲尾天(たかし)プロデューサーの名前が!「プリキュア」シリーズの生みの親である鷲尾天プロデューサーの名前があったのだ!

あたしのこれまでの「プリキュア」に関するエントリーを読んで来た人なら、あたしがどれほど鷲尾プロデューサーをリスペクトしているか、鷲尾プロデューサーが手掛けた「鷲尾プリキュア」を愛しているか、良く知ってると思う。あたしは何度も、鷲尾プロデューサーが手掛けたプリキュア、つまり、初代の「ふたりはプリキュア」から5作目の「YES!プリキュア5 GoGo!」までが真のプリキュアだと言い続けて来た。そして、6作目以降は、新プリキュアが登場するたびに不満や物足りなさが蓄積し続けて、「鷲尾プロデューサーに戻って来てほしい!」と願い続けて来た。だから今回、鷲尾プロデューサーが関わったプリキュアが6年ぶりに帰って来てくれたことは、あたしにとって何よりも嬉しい最高のプレゼントになった。

6作目以降の、鷲尾プロデューサーが離れてからのプリキュアも、基本設定だけは同じだから、普通のアニメとしてはそれなりに楽しめた。だけど、あたしが最初に「ふたりはプリキュア」を観て夢中になった時の世界観とは、大幅に違うものになっていた。たとえば、主役が弱すぎて「史上最弱のプリキュア」を売り物にしていたり、主役が全校テストで学年最下位になるほどのおバカだったりと、とてもじゃないけど「憧れの対象」にはなりえなかった。その上、あたしの最大の萌えポイントである「百合フレーバー」もゼロになっちゃったんだから、初代からのプリキュアファンとしては、そりゃあ不満も溜まるってもんだ。

だけど、今回の「Go!プリンセスプリキュア」では、6作目以降で失われて来たものが、すべて戻って来た。女の子なら誰もが一度は憧れる「プリンセス」がテーマだし、その「プリンセス」を目指す「ツボミ」が主役だし、目標でも憧れでもある「学園のプリンセス」もプリキュア戦士だ。そして、アイドル歌手やモデルに憧れる最近の女の子の風潮にも対応するように3人目のプリキュア戦士が設定されている。

「プリキュアに変身できる」という点でしか憧れられるポイントがなかった6作目以降と違って、今回のプリキュアには、プリキュアに変身する前の1人の少女としての時点でも、女の子が憧れられる海藤みなみと天ノ川きらら、そして、自分を投影して自分自身も「プリンセス」へと成長して行く過程が楽しめる春野はるか、これは最高のキャラ設定だ。その上、これまでの「メンバー全員が中学2年生」という基本設定を崩して、主役のはるかを新入生の1年生にして、2年生のみなみとの「縦の関係性」を作り、「マリア様がみてる」の百合フレーバーまで散りばめるという、完璧なまでのプリキュアワールドへの回帰!


‥‥そんなワケで、あたしは、まさか鷲尾プロデューサーが関わっているとは思いもせず、まさか高橋ナツコさんが関わってるとも予想せず、それでも「Go!プリンセスプリキュア」の第1話を観た瞬間に、ここ数年のプリキュアに対する不満や物足りなさが一気に吹き飛び、「これだよ!これ!これこそがプリキュアの世界観だよ!」って感動が全身に広がった。そして、今回の第6話にして、ようやくこの事実を知り、ここまでの感動が、あたしの勘違いや思い込みなんかじゃなかったって分かったのだ。鷲尾プロデューサーが戻って来たんだから、これからの1年間は安心して楽しませてもらえるし、それどころか、前回のエントリーに書いたように、来年には、みなみときららが3年生になり、はるかが2年生になり、そして、新しく入学して来た1年生が新メンバーとして加わるであろう続編にも、大いに期待できるようになった今日この頃なのだ♪


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2015.03.03

強く、優しく、美しく!「Go!プリンセスプリキュア」

今年の2月1日から、プリキュアの新作『Go!プリンセスプリキュア』がスタートした。プリキュアシリーズとしては2004年の第1作『ふたりはプリキュア』から数えて12年目の12作目だけど、初代の『ふたりはプリキュア』と3代目の『YES!プリキュア5』は翌年に続編が放送されてるから、プリキュア戦士としては「10代目」ということになる。キャッチコピーは「強く、優しく、美しく!」、プリキュアの原点を思わせるシンプルさに好感が持てる。

まだ5回しか放送されてないので、あくまでも現時点での評価だけど、プリキュアのことが好きすぎるくらいに大好きなのに、最近のプリキュアにはガッカリさせられ続けて来たあたし的には、久々に期待できる「プリキュアらしいプリキュア」だと感じてる。それは、あたしにとってのプリキュアの魅力の最重要ポイントである「百合フレーバー」が感じられるからだ。

ボーイッシュな女の子とフェミニンな女の子という、レズビアンの「タチとネコ」をイメージさせる2人を主人公にした初期のプリキュアから、プリキュア戦士の人数が4人だの5人だの6人だのに増えた時点で、メンバー全員がフェミニンになってしまい、百合フレーバーは消滅してしまった。ヘアスタイルやファッション、性格やバックボーンは様々でも、それはあくまでもキャラにメリハリを与えるための設定であって、メンバー全員が「友情」でしか繋がっていない。

そこには、メンバー全員が「同い年」だったり「クラスメートや同学年」という背景がある。前々作の『ドキドキ!プリキュア』では、マナ、六花、真琴、ありすが中学2年生なのに対して、後からメンバーに加わったキュアエースの亜久里は小学4年生だったけど、これは第2作『ふたりはプリキュア Max Heart』のシャイニールミナス、ひかりと同じような大人の事情による「テコ入れキャラ」なので、プリキュアの「メンバー全員が中学2年生で同い年」という基本コンセプトは壊していない。

プリキュアのメンバーが同い年でも、クラスメートでも、初期のように2人であれば、そこには百合フレーバーが生まれる。だけど、そのメンバーが4人、5人と多くなってしまうと、その中の特定の2人だけの関係性が「友情」を超えた「愛情」へと発展することは難しくなる。チーム全体の覇気にも関わって来るし、仲違いの原因にもなってしまうからだ。だから、人数の多いプリキュア戦士の場合、そのメンバー同士を結び付けている絆は「友情」のみであり、この一線を超えることは決して許されない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回の『Go!プリンセスプリキュア』の基本設定における最大の冒険は、そう!この「メンバー全員が中学2年生で同い年(続編では中学3年生に進級)」というプリキュアの10年を超える伝統に終止符を打ったことだ。主人公の春野はるかは、「プリンセスになる」という子どものころからの夢を叶えるために全寮制の私立ノーブル学園に入学した中学1年生、そして、美人で背が高くてスタイルがバツグン、勉強もバレエも学内トップの生徒会長の海藤(かいどう)みなみと出会い、一方的に憧れる。そして、みなみに頼み込んで、マン・ツー・マンでバレエのレッスンを受けることになる。

この春野はるかが1人目のプリンセスプリキュア「キュアフローラ」で、海藤みなみが2人目のプリンセスプリキュア「キュアマーメイド」になるんだけど、このような「初期メンバーの学年が違う」というパターンは、長いプリキュアの歴史の中でも初めての試みだ‥‥って言うか、生徒同士が「ごきげんよう」なんて挨拶を交わしてる全寮制のお嬢様学校で、美人の生徒会長と入学したばかりのドジっ子って、中学校と高校の違いはあるけど、もう完全に『マリア様がみてる』の世界じゃん!

百合系アニメの金字塔とも呼ばれてる『マリみて』こと『マリア様がみてる』では、私立リリアン女学園の高等部に入学したばかりの1年生、福沢祐巳(ゆみ)が、美人でスタイルがバツグンの憧れの先輩、2年生の小笠原祥子(さちこ)に制服の身だしなみを注意されるとこから始まる。そして、2人は「姉妹」として、完全無欠の百合ワールドへと突入して行く。

ちなみに、『マリア様がみてる』はバンダイチャンネルで配信してるので、興味のある人は以下のリンクからどうぞ。2話以降は有料だけど、1話だけは無料で観られます。

http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=2456


‥‥そんなワケで、周囲から「みなみさま」「学園のプリンセス」と呼ばれてる海藤みなみは、筋金入りの箱入り娘で、仲良くなったはるかに誘われるまで、街のファーストフード店でドーナツを食べたことがなかった。このシーンも、『マリア様がみてる』を観た人なら、すぐに祐巳と祥子の始めてのデートを思い出したハズだ。妹がデートのプランを練って姉を楽しませる、という流れの中、一般家庭で育った祐巳は、普通に街のハンバーガーショップでのランチを計画したけど、箱入り娘の祥子はハンバーガーの食べ方が分からなくて困ってしまう、あの可愛いシーンだ。

こうしたシチュエーションの類似性からも、今回のプリキュアが『マリア様がみてる』を参考にしてることは明白であり、制作サイドの意図の有無はともかくとして、結果的には百合フレーバーが漂う作品になっている。そして、それを後押ししているのが、3人目のプリンセスプリキュア「キュアトゥインクル」、天ノ川きららだ。きららは、はるかと同じ中学1年生だけど、小学生のころから人気のファッションモデルで、私立ノーブル学園に入学してからも雑誌の撮影などで引っぱりダコの有名人だ。

『ドキドキ!プリキュア』で言えば、人気のアイドル歌手だった真琴みたいな存在で、第5話までしか放送されていない現時点では、きららはプリキュア活動よりもモデルとしての活動を優先すると公言してる。前作の『ハピネスチャージプリキュア!』では、学校の成績が学年最下位だっためぐみが「学業とプリキュア活動の両立」を目指して猛勉強させられるという、プリキュア戦士としてはアリエナイザーな情けない展開があったけど、プリキュア活動より自分の夢を優先するきららは、クールでかっこいい。

そんなきららだから、全校生徒が憧れている「学園のプリンセス」であるみなみに対しても、一目置くどころか「みなみん」なんて呼んで、まるで同級生のように接してる。だから、夏から秋にかけてのシリーズ後半に、大人の事情による「テコ入れキャラ」としての4人目のプリキュアが登場する可能性もあるけど、現時点ではOP映像にも3人しか登場していないので、それまでは、現在の3人体制で行くと思う。つまり、『マリア様がみてる』の祐巳と祥子のような百合フレーバーをベースにしたはるかとみなみ、そして、その2人から少し距離を置いたきらら、こうした図式だ。

これなら、2人のプリキュアでなくても、百合ワールドは維持できる。そして、ここがポイントなんだけど、主役であるはるかが、これまでとは違って中学1年生であること、みなみは生徒会長なのに、中学3年生ではなく2年生であること。これが何を意味しているのか、それは、来年の続編を視野に入れた基本設定ということだ。

『マリア様がみてる』では、生徒会である「山百合会」に、ロサ・キネンシス(紅薔薇さま)、ロサ・ギガンティア(白薔薇さま)、ロサ・フェティダ(黄薔薇さま)という地位の3年生が3人いて、それぞれの下に「薔薇のつぼみ」と呼ばれる2年生がいる。福沢祐巳が入学した時には、ロサ・キネンシスが3年生の水野蓉子で、そのつぼみに当たるロサ・キネンシス・アン・ブゥトンが2年生の小笠原祥子だった。そして、その祥子の妹に選ばれた祐巳は、「紅薔薇のつぼみ」の「小さな妹」を意味するロサ・キネンシス・アン・ブゥトンのプティ・スールとなった。

これは、私立リリアン女学園高等部の「スール制度(姉妹制度)」によるもので、特別な事情がない限り、このままスライドして行く。だから、ストーリーが進んで1年が経過すると、3年生だった水野蓉子は卒業し、2年生から3年生になった小笠原祥子が新しい「紅薔薇さま」になり、1年生から2年生になった福沢祐巳が新しい「紅薔薇さまのつぼみ」になった。そして、次の年に祐巳が3年生になり、とうとう「紅薔薇さま」になった時には、これまでにたくさんの問題があった松平瞳子(とうこ)を、あえて「紅薔薇さまのつぼみ」として「妹」に選んでいる。

だからあたしは、今回の『Go!プリンセスプリキュア』で、私立ノーブル学園に入学した春野はるかが、美人で「学園のプリンセス」と呼ばれてる2年生の海藤みなみと出会った時に、この『マリア様がみてる』を連想して百合フレーバーに包まれつつ、来年の続編まで視野に入れた作品だということを確信したのだ。

もちろん、今回のプリキュアが商業的にイマイチで、後半に「テコ入れキャラ」を登場させてもダメだった場合には、残念ながら「アニメ界のアベノミクス」になっちゃうワケで、当然、続編などは望めない。だけど、一定以上の商業的ヒット作となれば、来年にはみなみが3年生になり、はるかときららが2年生になり、新入生の1年生からも1人か2人のプリキュア戦士が誕生して、これまでの「メンバー全員が同い年」という「横の友情」から、3年生、2年生、1年生という「縦の友情」へと進化する。

これは、下級生の福沢祐巳が上級生の小笠原祥子に憧れ、その思いが「スール制度」という独自の背景の中で「愛情」へと変化して行ったような、百合的な「縦の関係」にほかならない。通常では「雲の上の人」である海藤みなみに対して、一緒に戦う「プリキュア戦士」だという独自の背景の中で、はるかの「憧れ」や「尊敬」や「友情」の感覚が、ジョジョに奇妙に「愛情」へと発展して行くのだ。


‥‥そんなワケで、これまでに何度も書いて来たように、こうしたアニメには「メインスポンサーである玩具メーカーなどの関連商品がどれだけ売れたか」という大人の事情が付いて回ってるワケで、どんなに素晴らしい作品でも、この大人の事情によって続編を作ることはなかなか難しい。続編を作るよりも、新しいプリキュアをスタートさせたほうが、変身アイテムを始めとした玩具が確実に売れるからだ。だけど、11年前の第1作『ふたりはプリキュア』から今日まで、全プリキュアの全作をすべて観続けて来た「プリキュア命」のあたしとしては、久々にプリキュアの原点である百合フレーバーが感じられる今回の『Go!プリンセスプリキュア』だけは、何とか来年の続編へと繋がる展開にして欲しいと、心から願ってる今日この頃なのだ!


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