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2015.06.18

あてなるものな生活

さすがは梅雨だけのことはあって、ここんとこ、雨が降ってなくても「湿度80%」なんていう蒸し暑い日が続いてる。こんな時は、冷たいものを食べたり飲んだりしても涼しくならないので、あたしは逆に「熱いもの」「辛いもの」「酸っぱいもの」を食べたり飲んだりしてる。こないだはタカノツメをドバッと入れた激辛の麻婆豆腐を作って食べたし、ゆうべはサッポロ一番の醤油味をベースにして、黒酢とラー油を加えて酸辣湯麺(スーラータンメン)を作って食べた。

だけど、梅雨が明けて本格的な夏が来たら、湿度が下がって気温だけが高くなるから、今度は「冷たいもの」が美味しくなる。その代表格は、もちろんキンキンに冷やしたビールだけど、食べ物で言えば「かき氷」だろう。流し素麺は涼を感じるし、冷たく冷やしたスイカやトマトを食べれば涼しくなるけど、外に立ってたら5分で倒れちゃうくらい暑い真夏日に、ひとくち食べただけでスーッと汗がひき、一気に涼しくなるような食べ物、それは「かき氷」だろう。

日本のかき氷は、ナニゲにイチゴ味が代表みたいな位置づけで、その対極にメロン味があって、少し離れたとこにレモン味があるけど、イチゴ味ってイチゴの味なんかしないし、メロン味も微妙のメロンぽい香りがする程度だし、レモン味も気持ち酸味があるような気がするくらいで、どれもそのフルーツの味なんかしない。だからあたしは、「イチゴ色」「メロン色」「レモン色」って呼び方にすべきだと思ってる。

ちなみにあたしは、子どものころは「カルピス系」のかき氷が好きだった。クマさんのかき氷器で一生懸命に氷をかいて、それにカルピスを掛けて食べてた。普通のカルピスも美味しいけど、お中元でいただいた時しか家になかったオレンジカルピスやグレープカルピスは、最高に嬉しかった。オレンジカルピスは色だけじゃなくてちゃんとオレンジの味がしたし、グレープカルピスもちゃんとブドウの味がしたから、あたしは大好きだった。

だけど、大人になってからは、あたしは「スイ」が好きになった。「氷水」と書いて「こおりすい」、略して「スイ」だ。ようするに、砂糖水を掛けただけのシンプルなかき氷なんだけど、コンビニとかのアイスのコーナーで売られてる100円のカップのやつだと「みぞれ」っていうやつだ。

ただし、あたしの場合は、これに梅干しを入れる。大きなガラスの器に氷をかいて行き、小山になったら手で軽く押して、真ん中に大きくて柔らかい梅干しを乗せる。そして、その上にまた氷をかいて行く。最後に、煮詰めて冷蔵庫で冷やしておいたシロップ状の砂糖水を掛ければ出来上がり。スプーンで梅干しを掘り出して、ちょっとだけかじってから氷を口に入れると、酸味と甘みの絶妙なハーモニーが楽しめる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、現代の日本のかき氷は、ベーシックなスイやイチゴやメロンだけでなく、小倉や抹茶に白玉が入った和風でゴージャスなものもあるし、ブルーハワイやマンゴーやキウイなどのような洋風のものもあるし、ヨーグルト味でいろんなフルーツを乗せたパフェ風のものもあるし、鹿児島県で発祥した「白くま」のようなご当地ものもあるし、様々なバリエーションが楽しめる。

ここ数年は、氷やシロップや削り方にこだわった「高級かき氷」の専門店がブームだ。どこそこの名水だかを使って、長時間かけてゆっくりと凍らせる。そうして出来た氷を削ると、雪のようにフワフワに削っても、なかなか溶けないかき氷になるそうだ。こうした専門店は、季節に関係なく1年中やってて、1杯700円くらいで提供してるらしい。

さすがにあたしは、かき氷に700円は払えないから、自分で氷をかいて作って食べるか、ガリガリ君で間に合わせてるけど、そんなかき氷は、日本では一体いつごろから食べられていたのか?‥‥ってなワケで、きっこお姉さんはモグタンと一緒に「かき氷のはじめて」を見に行ってみることにした。


「クルクルバビンチョ、パぺッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのモ~グタン!」


‥‥そんなワケで、よく考えてみたら、あたしの家にはモグタンはいなかったので、タイムスリップすることはできなかった。そこで、現存する昔の文献の中で「かき氷」が登場する最も古いものを探してみたら、清少納言の『枕草子』に行きついた。今から約1000年前の平安時代中期に編まれたと言われてる『枕草子』は、春夏秋冬の様々なことが書かれた随筆集で、当時の様子を知るための貴重な文献でもある。で、その『枕草子』の第四十二段が、次の内容だ。


「あてなるもの、薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる。」


「あてなるもの」とは「上品なもの」という意味で、この段では、清少納言が思いついた「上品なもの」を羅列してるワケだ。まず「薄色に白襲の汗衫」だけど、「薄色」とは単に「薄い色」のことじゃなくて「薄い紫色」のこと。そして「白襲」は涼しい白の上着を羽織ることで、「汗衫」は平安時代の貴族の女児用の薄手の上着のこと。当時、「紫色」は最も地位の高い貴族しか身に着けられなかったので、これは地位の高い貴族の女児が、薄紫色の打掛の上に白の上着を羽織ってる姿を「上品なもの」として1番に挙げてることになる。

続いての「かりのこ」とは「鳥の卵」のこと。そして、次に登場する「削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる」というのが「かき氷」のことだ。これはあとから説明するとして、まずは最後まで行っちゃうけど、続いての「水晶の数珠」と「藤の花」と「梅の花に雪の降りかかりたる」は説明の必要はないよね。で、最後の「いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる」は、「とっても可愛い子どもが苺などを食べている姿」ということ。

で、クルリンパと戻って「削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる」だけど、「削り氷」というのが「かき氷」のことで、当時は「かき氷器」なんてなかったから、これは氷の塊を小刀で削ったものだ。そして「あまづら」というのは「甘葛を煎じた汁」のことで、平安時代には高級な甘味料とされていた。これを「新しい金属の器」に入れて食べるなんて、それこそ地位の高い貴族にしかできなかった「ザ・贅沢の極み」だろう。

何しろ、当時は冷蔵庫も冷凍庫もなかったワケだし、それ以前に電気がなかったワケだから、氷を人工的に作ることなんてできなかった。だから貴族たちは、冬場に水のきれいな池などに張った天然の氷を採取させて、日の当たらない山裾に掘った「氷室(ひむろ)」と呼ばれる貯蔵庫の中に保存してた。夏でもひんやりする氷室の中に、ワラなどを敷き詰めて採取して来た氷を積み重ねて、ワラなどで覆ってた。

当時、氷はホントに貴重品だったから、誰かに盗まれないように、氷室の入り口には交代で見張り番が立ち、氷の在庫を専門の役人が管理してた。だから、現在の日本人で「氷室」という苗字の人は、こうした役人の子孫なのかもしれない‥‥ってのも織り込みつつ、いくら氷室と言えども、冬に採取した氷が夏までそのままのワケもなく、ある程度は解けてしまう。

そして、それ以上に大変だったのが、氷室から貴族の宮廷までの運搬だ。採取した氷を氷室まで運ぶのは寒い冬だったから問題なかったけど、氷室から貴族の宮廷まで運ぶのは真夏なのだ。だから、何重にもワラでくるんだ氷の塊を大八車や馬に積んで、なるべく気温の低い夜明けとともに出発してたようだ。それでも、貴族の宮廷に到着した時には、半分以上が解けてしまっていたそうだ。

こんなふうに、ものすごい手間と人件費を掛けて届けさせた氷を、これまた当時は最高級品だった金属の器に削り入れて、これまた最高級品だった「あまづら」をたっぷりと掛けていただくなんて、まさに貴族だけの贅沢だったんだろう。単価を計算することなんてできないけど、現代の金額にしたら1杯数万円から数十万円くらいは掛かってるかもしれない。少なくとも、700円のかき氷にも手が出ないあたし的には、清水の舞台からバンジージャンプしても食べることはできなかったと思う。


‥‥そんなワケで、この『枕草子』を書いた清少納言については、だいたい966年ごろに生まれて1025年ごろに亡くなったと推測されてるけど、正確なことは分からないし、名前も分かっていない。ただ、三十六歌仙の1人で、908年に生まれて990年に亡くなった清原元輔の娘だということはハッキリと分かってる。つまり、苗字が「清原」で名前が「不明」ということだ。

前にも書いたことがあるけど、「清少納言」というのは「清少・納言」という名前じゃなくて、「清・少納言」だ。「清」は「清原」のことで、「少納言」は役職だ。「大納言・中納言・少納言」は、「部長・課長・係長」みたいな感じだろう。ちなみに「大」「中」と来たのに「小」じゃなくて「少」なのは、「大佐・中佐・少佐」なんかと同じで、日本では階級などを表わす時には「小」じゃなくて「少」を使うことになってるからだ。

で、この清少納言は、父親の清原元輔が60歳くらいの時に生まれた子だったと言われてて、陸奥守(むつのかみ)だった橘則光(たちばなののりみつ)と結婚して男の子をもうけたんだけど、その後、離婚して、980年に生まれて986年から1011年まで在位した一条天皇の中宮の藤原定子(ふじわらのていし)に仕えることになる。

清少納言はとても博学で、文才もあったので、四季折々のことや宮中でのことを書き綴った『枕草子』は、宮中の人たちに愛読されるようになる。定子は清少納言をとても大切にしていて、清少納言もまた定子のことを敬愛していた。そのため、定子が亡くなると清少納言は宮廷を去り、40代で再婚して女の子をもうけるが、また離婚して、山里と1人静かに暮らし、『枕草子』を書き続けた。そして、最後は尼僧になり、60歳前後で亡くなったと推測されている。


‥‥そんなワケで、この『枕草子』の記述によれば、少なくとも今から1000年前には、すでにかき氷が食べられていたということになる。もちろん、現代のように子どものお小遣いで買える庶民のオヤツなんかじゃなくて、貴族や将軍などピラミッドの上層部にいる人たちの口にしか入らない最高級の食べ物だったワケだけど、お椀状の器に氷を削り、甘いシロップを掛けて味わい、夏の暑さをしのいでいたんだから、そのビジュアルや位置づけは、現代のかき氷に極めて近いものだったと思われる。

そう考えると、いつでもコンビニに行けば100円ほどでかき氷を買うことができる現代人のあたしたちは、1000年前の人たちには想像もできないような贅沢をしてることになる。それどころか、お水を入れた製氷皿を自宅の冷蔵庫のフリーザーに入れておけば、ほんの数時間で氷ができちゃう。あたしたちは、特に感動も感激もないまま、ごく普通のこととして氷を作り、飲み物に入れたりお素麺に入れたりしてジャンジャン氷を使ってるけど、ホントはものすごくアリガタイザーなことなのだ。

そして、何も1000年前の人たちと比べなくても、今の世界を見回してみれば、冷蔵庫なんて持ってない人たちもたくさんいるし、電気のない生活をしてる人たちもたくさんいる。たとえば、昨年11月にバングラデシュ全土で大規模な停電が発生したけど、長時間の停電にも関わらず大きなパニックにならなかったのは、バングラデシュでは約1億6000万人の人口のうち4割にあたる約6500万人が、もともと電気のない生活をしてるからだ。このような国は、他にもたくさんある。


‥‥そんなワケで、あたしの場合、電気代を節約するためにエアコンは使わないようにしてるけど、電気のない生活をしてる人たちのことを考えたら、少しも苦にならない。夏は扇風機を使ってるし、冬は電気コタツを使ってるし、冷蔵庫も洗濯機も使ってるからだ。テレビは捨ててラジオにしたし、掃除機は捨ててホウキと雑巾でお掃除してるけど、パソコンや電子レンジや電気ポットやヘアドライヤーやヘアアイロンは使ってる。それでも、できる限り節約をしてるので、毎月の電機料金は1500円前後、絶対に2000円を超えることはない。だから今年の夏も、冷蔵庫の氷を最大限に有効利用して、なるべくお金を使わずに、涼しくて快適で「あてなるもの」な生活を心掛けようと思ってる今日この頃なのだ。


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