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2015.08.20

一平ちゃんがガメラになった日

カップ麺を作る時、あたしは「麺は硬め」が好きなので、カップ麺でもカップ焼きそばでも、フタに書いてある時間よりも短い時間にする。3分のものなら、1分30秒から2分くらいだ。特にカップ焼きそばの場合は、麺が柔らかくなりすぎると絶対に美味しくないから、ものすごくコダワリのある作り方をしてる。

まず、お湯はグラグラに沸いた熱湯を使うこと。そして、熱湯をタップリと入れたら、1分20秒~1分30秒でお湯を捨てて、まだ硬さの残ってる麺にソースをかけて、お箸でワサワサと混ぜて、またフタをして30秒ほど蒸らす。これがあたしの作り方だ。こうすると、腰があって美味しい焼きそばになる。

こうしたカップ麺やカップ焼きそばの作り方は、人それぞれだと思うけど、誰にでも共通する裏ワザや小ワザもある。たとえば、カップ焼きそばの場合は、乾燥したキャベツとかの具を麺の上に出さずに、麺を少し浮かせて、麺の下に入れるようにする。こうしてお湯を入れると、お湯を捨てる時にキャベツが湯切り口の穴を塞がないので、短時間でお湯を捨てることができる。

でも、これは、カップ焼きそばのお湯が切りにくかった時代の裏ワザであって、世の中のほとんどのカップ焼きそばが「ジェット湯切り口」を採用するようになってからは、かたくなにレトロな湯切り口を守り続けるぺヤングぐらいでしか使わなくなってた。そして、そのぺヤングも、しばらく前の「ゴキブリ事件」を期にリニューアルされて、ついに「ジェット湯切り口」を採用するようになった。だから、この「麺の下に具を入れる」という裏ワザは、もはや過去の遺物となってしまった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、日本の「三大カップ焼きそば」と言えば、たぶん「ぺヤング」「UFO」「一平ちゃん」だと思うけど、あたしは、この中で「一平ちゃん」を一番よく食べてきた。あたしが好きなのは「ぺヤング」なんだけど、「ぺヤング」と「UFO」はあまり安くならない。だけど「一平ちゃん」は比較的、安くなることが多い。スーパーの通常のセールだと98円になるし、時には78円の時もある。

あとは、スーパーカップの「大盛りいか焼そば」とか、ちょっと前にはマルちゃんの「俺の塩」とかも100円以下になることが多かったけど、何故だか「ぺヤング」と「UFO」はメッタに100円以下にはならない。タマに値引きされてセールの棚に並んでても「115円」とか「125円」とかなので、あたしは、ヨホドのことがなければ買わない。

だって、カップ焼きそばを2個250円で買うくらいなら、シマダヤとかの焼きそばの生麺の3食入りのやつが98円になってる時に、20円のモヤシと、賞味期限がその日までで半額シールが貼ってある100円のチクワを買ってきて、フライパンで本格的なソース焼きそばを作ったほうが、遥かに美味しいからだ。何なら紅ショウガを100円で買っても合計270円だし、これで3食なんだから確実にお得だ。

だけど、カップ麺やカップ焼きそばって、タマに「どうしても食べたい」という気分になる。カップ麺にしても、5個入りのインスタントラーメンをセールの時に買ったほうが遥かに安上がりだけど、タマに「どうしてもカップ麺のカレー味が食べたい」という気分になる。だから、そんな時は、あたしは「1個100円以下」というマイルールの中で買うようにしてる。


‥‥そんなワケで、「たかがカップ焼きそば」でも「されどカップ焼きそば」なんだから、それなりに日進月歩してるワケで、今は小ワザや裏ワザはほとんど必要なくなった。あたしみたく「麺は硬め」が好きな人は規定の時間よりも早めにお湯を捨てるとか、「一平ちゃん」にソースもマヨネーズも入れると味が濃くなりすぎるからソースだけにするとか、ソースとマヨネーズを半々にするとか、個人的な好みや味覚の違いで微調整するぐらいで、コレと言った裏ワザは耳にしなくなった。

でも、実はあたしは、今まで誰にも話したことがない「一平ちゃん」に関する物凄い裏ワザを持ってる。最初に発見したのは、今から10年以上も前なんだけど、これは「味が美味しくなる」とかの裏ワザじゃなくて、ただ単に「面白い」というだけの裏ワザなので、特にブログで紹介することもなく、今日までは自分だけの密かな楽しみとして、この作り方を続けて来た。だけど、ここんとこ、政治や社会問題に関連したエントリーが続いてたので、タマには息抜き的な感じのエントリーも挟んでみようと思い、今回、満を持して発表してみることにした。

普通、カップ焼きそばにお湯を入れる時には、テーブルの上に置いてると思う。テーブルじゃなくても、お湯を捨てやすいようにキッチンのシンクの横とか、まな板の上とか、とにかく平らな場所に置いてると思う。もちろん、あたしもずっとそうしてた。だけど、10年以上前のある日のこと、買い置きしておいた「一平ちゃん」を食べようと思い、ヤカンにお水を入れて火にかけて、「一平ちゃん」のビニールを剥がして、フタを少し開けて具やソースなどを出して、具だけを入れて、キッチンのシンクの横に置こうとしたら、スペースがない。洗った食器を水切りしてたので、狭いスペースが埋まってたのだ。

それで、いつもならキッチンのテーブルの上にでも置くところなんだけど、その時、食器の水切りの隣りに置いてあったプラスティックのザルが目に入った。100円ショップで買ってきた直径20センチくらいのボウルの中にザルが入ってるセットだ。茹でたおそばとかをザルに入れて流水で洗って、そのままボウルに入れて水切りする時とかに使うアレだ。

で、あたしは、ナニゲに「一平ちゃん」をそのザルに入れてみたんだけど、そしたら大きさがピッタリだった。「一平ちゃん」は、ほぼ正方形だけど、その四隅がザルのフチに引っ掛かってピッタリと収まったのだ。それで、あたしは、そのままの状態で、いつものようにグラグラに沸いた熱湯をタップリと入れ、フタをして、フタの上に小袋の液体ソースを乗せた。

そして、1分30秒後、シンクにお湯を捨てて、フタを半分まで開けて、また同じようにザルにスッポリとはめて、ソースをかけてお箸でワサワサと混ぜて、フタをして30秒ほど蒸した。これで完成なので、今度はフタをぜんぶ剥がして捨てて、冷蔵庫からオカカと紅ショウガを持ってきてトッピングしてから、居間のテーブルへと運んだ。そして、テーブルに置いて食べようとしたら、「あれれれれ?」

テーブルに置いた「一平ちゃん」が、なんかビミョ~に斜めになってて、手で触るとユラユラと揺れる。「いったいどうなってんの?」と思ったあたしは、「一平ちゃん」を持ち上げて容器の底を見てみたら、ナナナナナント!平らなハズの底がわずかに球面のようになってカーブを描いてたのだ!

そう!いつもは平らなテーブルの上とかに置いて熱湯を注いでたから、どんなに熱くなっても容器の底が変形することはなかったんだけど、この時はザルに入れてから熱湯を注いだから、容器の底が宙に浮いた状態だったため、熱とお湯の重さによって、ビミョ~に膨らんじゃったのだ!

もちろん、バレーボールやスイカみたいな曲面になったワケじゃなくて、パッと見ただけじゃ分からないほどのわずかな曲面なんだけど、テーブルに置けばユラユラと揺れるし、両端を持って回すとコマみたいに回る。あたしは、テーブルの上でクルクルと回る「一平ちゃん」を見て、「ガメラみたいだな」って思った。


‥‥そんなワケで、これは何の意味もない裏ワザだから、わざわざやってみようと思う人はほとんどいないと思うけど、もしも夏休みの自由研究的なフレーバーでやってみようと思った人がいたら、成功させるポイントは1点だけ、「グラグラに沸いた熱湯をタップリと注ぐ」ということだけだ。あたしは今までに何度も何度もやったことがあるけど、電気ポットの保温状態のお湯を使った時や、沸かしたお湯の量が少なくてタップリ注ぐことができなかった時は、容器の底は変形しなかった。つまり、「熱」と「重さ」がポイントってワケだ。それから、「一平ちゃん」にピッタリのザルがない人は、ようするに「容器の底が宙に浮いた状態」であればいいワケだから、雑誌を積み重ねたりダンボール箱を利用したりして容器のフチが引っ掛かる台を作るか、イザとなれば1分30秒間ずっと両手で持ってるっていう方法もあるので、興味を持った人はチャレンジしてみてほしい今日この頃なのだ♪


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2015.08.08

またケチがついた東京五輪

新国立競技場の建設費問題に続いて、今度は公式エンブレムのデザインの盗作疑惑問題が浮上して、スッタモンダが収まらない2020年の東京五輪だけど、あたしが驚いたのは、これほど類似している公式エンブレムなのに、白紙撤回せずに、このまま使用するという強硬姿勢だ。百歩ゆずって、最初に類似が指摘されたベルギーのリエージュ劇場のロゴマークだけなら、「知らなかった」「偶然の類似だ」というイイワケも通用するだろうけど、続いて指摘されたスペインのデザイン事務所による東日本大震災の寄付を募るプロジェクトのデザインとの類似は、もうイイワケのできないレベルだと思う。


To5


公式エンブレムを制作したデザイナーの佐野研二郎氏は、5日の会見で、「私はベルギーに行ったこともないし、この劇場のロゴマークなど見たこともない」として、盗作疑惑を全面的に否定した。ま、ここまではいい。もっと独創性のあるデザインが酷似していたのなら盗作の可能性が濃厚だけど、アルファベットを図案化しただけの単純なデザインなんだから、偶然に類似してしまう可能性はいくらでもある。

だけど、ここまで似てるんだから、「盗作」なのか「偶然の類似」なのかはともかくとして、後から発表した自分のデザインを取り下げるのが普通だろう。でも佐野氏は、自分のデザインを取り下げるどころか、「デザインの考え方がまったく違うし、正直、まったく似ていないと思っている」と主張して、自分のデザインを「世界に類のないエンブレム」だと強弁した。

はぁ?少なくとも世界に2つの類似したデザインがすでに存在してて、そのうち片方からは抗議されてるのに、この人、いったい何を言ってるんだろう?誰がどう見たってソックリだから問題になってるのに、「背景の色が違う」だの「私の作品は正方形を9分割して作っていて真ん中の垂直部分が対比になっている」だのという苦しい説明を聴いているうちに、あたしは、なんだか安倍晋三の国会答弁を聴いているような錯覚に陥った。

ここまで類似したデザインが2つも見つかったんだし、片方に関しては東日本大震災の寄付を募るプロジェクトのデザインなんだから、「盗作」か「偶然の類似」かに関わらず、後から発表した東京五輪の公式エンブレムのデザインは、潔く取り下げるのが、あたしはスジだと思う。2020年の東京五輪には、当然、ベルギーやスペインからも選手団や観光客が来るのに、このままソックリなデザインのエンブレムを公式として使い続けるなんて、開催国の国民として、これほど恥ずかしいことはない。

だけど、東京オリンピック組織委員会の会長、森喜朗は、「まったく問題ないのでこのまま使用する」と宣言しちゃった。あたしは、この森喜朗の言葉を聴いて、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しそうになっちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回の公式エンブレムの盗作疑惑問題は、あたしは俳句の「類句」の問題と同じだと思った。俳句は五七五の17音しかない上に、ここに季語を入れるため、自分が自由に使える音数はわずかしかない。そのため、過去の誰かの作品と偶然に似てしまうことがよくある。こういう句を「類句」と呼び、一般的には、後から発表した人が「類句だった」と分かった時点で自作を取り下げることになっている。

こうした「類句」の中には、ほんのわずかだけど、故意に他人の作品を盗んだ「盗作」も含まれる。でも、そうしたわずかな「盗作」と、大多数の「偶然の類似」は、悪意のあるなしに関わらず、すべて同じように、「発覚した時点で後から発表した者が自作を取り下げる」ということが暗黙のルールになっている。これは、俳句だけでなく、「創作」という分野における常識だろう。「盗作」でなく「偶然の類似」だから自分の作品は取り下げない、などという理屈は通らない。

たとえば、今から10年以上前に、こんなことがあった。俳句の月刊誌『俳句研究』の2002年9月号に発表された奥坂まや氏の作品の中に、「いきいきと死んでをるなり兜虫」という句があった。これに対して、櫂未知子氏が発表済みの自作である「いきいきと死んでゐるなり水中花」の類句だと抗議、奥坂氏は謝罪して自作を取り下げた。

これは、「盗作」ではなく、かと言って「偶然の類似」でもない、極めて珍しいケースだったため、俳壇を巻き込む大きな議論へと発展した。どういうことかと言うと、奥坂氏は櫂氏の「水中花」の句の存在を知っていた。その上で、奥坂氏は、「いきいきと死んでいる」という表現は同じでも、もともと命のない「水中花」に命を見立てた櫂氏の作品と、もともとは生きていたカブトムシが、死んでも「いきいき」としているように感じられた、という自分の作品では、俳句自体の眼目がまったく異なるため、発表しても問題ないと考えたのだ。

だけど、2カ月後の『俳句研究』の11月号に、櫂氏の「奥坂まやさんに問う 俳句のオリジナリティーとは」と題する抗議文と、これに対する奥坂氏の「謝罪と自作の取り下げ」の文章が掲載されたため、多くの人たちが一連の流れを知ることとなった。つまり、奥坂氏には奥坂氏なりの考えがあって、これは「類句」には当たらないと判断して発表したが、櫂氏からの抗議があったため、謝罪して潔く自作を取り下げた、ということだ。

あたしの個人的な感想としては、「いきいきと死んでいる」という月並みなフレーズや発想を、櫂氏が自分のオリジナルだと主張した点が理解できなかった。たとえば、高浜虚子の代表句のひとつに「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」という作品があるけど、この「貫く棒の如きもの」というフレーズは完全に虚子のオリジナルであり、上五をどんな季語に変えようとも、このフレーズを使ったら「類句」どころか「盗作」と言われてしまう。でも、「いきいきと死んでいる」とフレーズには、残念ながら、ここまでのオリジナリティーはないからだ。

事実、櫂氏が「水中花」の句を発表するより前に、池田澄子氏が「新鮮に死んでいるなり桜鯛」という句を発表している。「いきいき」と「新鮮」という表現こそ違うけど、発想は酷似している。これは、「いきいきと死んでいる」というフレーズや発想に著作権を主張できるほどのオリジナリティーがない、ということを意味している。

でも、その俳句のフレーズにオリジナリティーがあってもなくても、見た目が酷似している句であれば、先に発表した作者が、後から発表した作者に対して「類句」だと抗議するのは当たり前だし、抗議を受けた作者が謝罪して自作を取り下げるのも当たり前のことだ。ここまで類似しているのに、「私は盗作などしていないし、発想が違うのだから、私の句は世界に類のない作品だ」などと言う人はいない。

この「類句」の問題を今回の東京五輪の公式エンブレムの問題に置き換えると、最後に発表された奥坂氏の「兜虫」の句が佐野氏の公式エンブレムのデザイン、奥坂氏に抗議した櫂氏の「水中花」の句がベルギーのリエージュ劇場のロゴマーク、池田氏の「桜鯛」の句がスペインのデザイン事務所による東日本大震災の寄付を募るプロジェクトのデザイン、ということになる。仮に、先に発表していた作者から何の抗議もなく、黙認してくれていたのならともかく、正式に抗議があったのだから、「盗作ではない」と主張する権利はあるけど、「盗作」か「偶然の類似」かに関わらず、自分の作品は潔く取り下げるのが、「創作」の世界での常識であり、また、「創作者」としてのプライドだと思う。


‥‥そんなワケで、ベルギーのリエージュ劇場のロゴマークをデザインしたオリビエ・ドビ氏は、IOC(国際オリンピック委員会)とJOC(日本オリンピック委員会)に対して公式エンブレムの使用差し止めを求める文書を送付したワケだけど、それに対する佐野氏の回答が今回の会見だったワケだ。そして、この会見を見たドビ氏は、弁護士と連名で、「佐野氏の説明は納得できない」として、IOCを相手に公式エンブレムの使用差し止めを求める裁判を起こすと発表した。あたしの感覚だと、これは「誰でも思いつくような月並みで陳腐なデザインだから偶然に似てしまっただけ」であり、ドビ氏のオリジナルだという判決が下るとは思えないけど、それでも、裁判になってスッタモンダが続いて東京五輪にケチがつくよりも、トットと類似デザインを取り下げて新しいデザインを選んだほうが利口だと思う今日この頃なのだ。


To4


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