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2015.09.26

たかゆきさんの「ハンガリーの難民レポート」/後編

たかゆき〈世界一周中〉@takayukirainbow
2015年09月24日(木)
http://twilog.org/takayukirainbow/date-150924/allasc


さて、ようやくなんとか頑張って全部書き直しました。
ただ、今回で全部書ききってしまおうと思っていたのでとんでもない長文になってしまってることと、所々文章がおかしくなってしまってるかもしれないことだけは、どうかご承知を。

とにかく、かなり遅くなりましたが前回からの続きです。
読まれていない方は、どうかまずはこちらからお読みください。(どちらも上から順に読めます)

そして、今回は今まで以上に本当にものすごく長い連続ツイートですので、気になる方は一時的に非表示設定か僕のフォローを外されてください。
それでは続きです。

さて、僕が見た限り、お昼前の時点で国連ボランティアの方が手にしていた手動式カウンターが「1703」という数字を示していたので、

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https://pic.twitter.com/VlE7MsEBlW


この日一日で少なくとも4000人以上の難民の人たちが、この線路を通ってハンガリーに入国したんじゃないかと思われます。

僕はずっと、警察や軍隊が見守る中、線路を歩いて入国する難民の人たちに対して、英語やモロッコで覚えたばっかりのカタコトのアラビア語で
「こんにちは」とか「ようこそ」と声をかけ続け、写真を撮らせてもらっていました。

ハンガリーに住んでるわけでもない僕が「ようこそ」という言葉を使うのは少しおかしいのかもしれませんが、
それでも僕にとって「ようこそ」は「ようこそ」なんです。

そしてやっぱり、「グッドラック」という言葉も。

あと、これは何度かあったんですが、僕が「グッドラック」という言葉をかけた後、
「You too !!(君もね)」
と満面の笑顔で返してくれる難民の人たちがいました。

これには心底びっくりしました。
「君もね」
こんな何の不自由もなく安全な場所から見守っているだけのただの傍観者に対して、今生きるか死ぬかの苦労を繰り返している彼らが、です。

なんて心が広くて情が深い人たちなんでしょうか。
僕は「You too」と返される度に、こらえていた感情が崩壊してしまい、何度も涙を流さずにはいられませんでした。
結局僕は、この日「ロスケ」に滞在していたうちの4分の1ぐらいはずっと泣いていた気がします。

ただ、午前11時頃、突然場の空気が変わり、軍隊が報道陣やボランティアに、この場から少し離れるよう指示を出しました。

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https://pic.twitter.com/1IKsf1LbC2


そして、どこからともなく、何かを運んだ大きなトラックがやってきます。

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https://pic.twitter.com/KUFqQpnUzf


そう、ついにこの線路周辺にもフェンスが作られ始めたんです。
これが完成すれば、セルビアからのハンガリー国境は完全に封鎖されることになります。

ハンガリー政府はついにそういう決断を下したんでしょうか。
ならば、今もどんどんここへ向かって来ている難民の人たちは一体どうなるのでしょうか。

この場に、今までにない緊張感が走りました。

地面に支柱を埋め込む重機。

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pic.twitter.com/lia2z9BvIk


フェンスが作られる横を通って、国境を越えて行く難民の人たち。

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https://pic.twitter.com/dyYafayIsr


フェンスを作る作業員の人たち。

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https://pic.twitter.com/hacwHoRaAy


そして、あっという間に、全ての支柱は打ち込まれました。
やっぱり一気に175kmものフェンスを作り上げた彼らにとって、このぐらいの作業は朝飯前なんでしょう。

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https://pic.twitter.com/WlvLyBiOYF


でもこの日、結局これだけで作業は終わり、このままフェンスが完成することはありませんでした。
そしてその後も、ただ支柱と支柱の間を通り、特に問題なく次々と難民の人たちは入国していきました。

ただ僕には、これは政府からの予告・アピール・意思表示のように感じられました。
今後の混乱を少しでも回避するために。

近いうちにここも完全封鎖するから、もうお前たちはハンガリーには入国できないぞ、と。
仲間たちにも伝えておけよ、と。
言ったからな、と。

やはり状況は決して安泰ではありません。

さて、この国境地点に5時間ぐらい滞在した僕は、この後彼らは一体どこに向かってるんだろうと思って、一緒に線路を歩いて彼らの後を追ってみました。

すると1kmぐらい歩いた線路の横に、たくさんのテントが並ぶ広いキャンプ地がありました。

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https://pic.twitter.com/dgKPJr4Nlu


ただ、ここは正式な難民キャンプではなく、国境一時預かり所といった感じで、全員一旦ここでしばらく過ごした後、順次正式な難民キャンプに向かうバスに乗り込むようです。
そして、そこでようやく難民登録が行われます。

難民キャンプに向かうバスに並ぶ、長い難民の列

H45a
https://pic.twitter.com/VsgcYqj29V


難民キャンプに向かうバスに乗り込むのを待つ難民男性

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https://pic.twitter.com/qqBlUIIF04


難民キャンプに向かうバスに乗り込むのを待つ難民の人たち

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https://pic.twitter.com/tqNN5X7jvJ


ここで気付いたんですが、朝ロスケの村で出会った何組かの難民グループは、もしかしたらこのキャンプ地をこっそり抜け出して、自分たちでなんとかブダペストなりドイツを目指そうとしていたんではないでしょうか。

ここにいたら、登録までにもまだまだ時間がかかるし、その間に状況も悪い方向へ変化してしまうかもしれないから。
ここまで来て、もう待ってられない、と。

ここでも僕は、たくさんの人たちとお話をさせてもらいました。
でも、特にそこまで深い話をしたわけではありません。大半はごく他愛のない世間話です。

このキャンプ地には、前にも言ったように、たくさんのシリア人の他にも、イラクやアフガニスタン、さらにはアフリカのコンゴから逃れて来た人までいました。

世間では、彼らを「難民」と呼ぶのか「移民」と呼ぶのかで意見が割れているようですが、僕にはそんな区別なんかより、紛争からでも貧しさからでも、とにかくみんな生き延びるために自分の国から逃げて来たっていう事実だけで十分です。

そして、ここで一つ知ったことがあります。
僕はさっきの国境ポイントでよく難民の人たちから
「この後、登録の時に指紋を取られるのか?」
という質問を受けていて、その度に
「ごめんなさい。それは僕は知らない。」
と答えていたんですが、

これは実は、一部の難民の中で
「ハンガリーの首相はイスラム教徒を憎んでいて、ここで難民登録をして指紋を取られると、全員自分の国に強制的に還されてしまう」
という不確かな噂が流れていたからだということが分かりました。

やっぱり自分の国に還されるということが、難民の人たちにとっては何よりも一番怖いことなんです。
僕たちにそんな想像ができるでしょうか。


さて、前回載せきれなかった写真も含め、またたくさん写真を載せます。


「ロスケ」の村の中で出会った、難民グループ

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https://pic.twitter.com/DaVuYFzT2Z


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民親子たち

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https://pic.twitter.com/N1Na5jnihk


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民少年たち

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https://pic.twitter.com/RyG6mbMEqs


国境警備にあたるハンガリー軍隊

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https://pic.twitter.com/oIe8jCyXyd


木陰や畑の中で休憩する難民の人たち

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https://pic.twitter.com/ShiF2aVaww


線路を歩いてキャンプ地に向かう難民の人たち

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https://pic.twitter.com/US35NcxGEU


テントの外で座る難民家族

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https://pic.twitter.com/d8DoEzLXrl


キャンプ地の難民少年

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https://pic.twitter.com/SBVEEvn7NJ


キャンプ地の難民親子

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https://pic.twitter.com/uxNRPSCQQE


テントで過ごす難民家族

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https://pic.twitter.com/oCLUx55qLF


テントの外で過ごす難民青年たち

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https://pic.twitter.com/sg9TJiuH0z


「FUCK THE POLICE」と書かれたテント

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https://pic.twitter.com/zRrd5BMawt


キャンプ地を抜け出す難民グループ

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https://pic.twitter.com/2vK5RF9j8C


アフガニスタンからの難民の人たち。
アフガニスタン人はたまにモンゴリアンの血が入っている場合があるから、とてもアジアチックな顔。

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https://pic.twitter.com/bFRisXNou0


バスを待つ難民男性と難民少年

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https://pic.twitter.com/EeNE2bRunn


バスを待つ間、バナナを頬張る難民男性

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https://pic.twitter.com/vEKdWKEFvK


バスを待つ難民少年

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https://pic.twitter.com/vgOaufFoIT


バスを待つ難民男性

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https://pic.twitter.com/c4nhzFxB3r


バスを待つ間に眠ってしまった難民の子供

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https://pic.twitter.com/ZK3vYuANrf


笑顔でバスに乗り込む難民青年

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https://pic.twitter.com/Lj8Aqspd2N


ようやくバスに乗れることで、警察に喜びの表情を見せる難民親子

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https://pic.twitter.com/lKyjounuuJ


難民親子がバスに乗り込むのを手助けする警察

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https://pic.twitter.com/9V5J67yAe7


乗り込んだバスの中から笑顔を見せてくれた難民男性

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https://pic.twitter.com/r4rOhD188B


警察と談笑する難民少年たち

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https://pic.twitter.com/fJyL89vEwL


とても貴重な写真。
警察と難民少年の笑顔の2ショット。

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https://pic.twitter.com/RAbaJxAf9i


警察と記念撮影する難民少年たち。

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https://pic.twitter.com/LdfI1bGZ0t


全てを悟ったようなこういう難民少年の表情を見ると、とても胸が痛む。

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https://pic.twitter.com/OkvHUGbsMz


ボランティアにもらった紙の王冠をかぶる難民少年

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https://pic.twitter.com/MwDJoxezvk


ボランティアから配給された食事を食べる難民男性

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https://pic.twitter.com/QIUhGecFPY


僕が見た限りでは、食事は全員に問題なく行き渡っているようでした。
野菜やお菓子や飲み物なども豊富に大量にあり、この地においては食事に関しての混乱はありませんでした。

衣類や靴なども大量にあります。
おそらく各地からの寄付品だと思います。

でも、そこら中にゴミも大量に散乱しています。

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https://pic.twitter.com/5qO9HHgC4b


最近、「難民受け入れ先の国ドイツ・ミュンヘン駅で、難民が残した大量のゴミ画像」が、ネット上で拡散されて、
「ほら、難民を受け入れるとこういうことになる。難民のマナーは最低だ。だから難民は受け入れるべきではない」
といった流れが一部でできていたみたいですが、ただ、僕からしてみると、そんなゴミ問題と根本的な難民問題を一緒に並べて語るなよと、とても悲しい気持ちになります。

もちろん、ゴミが散乱してることが良いことだなんて全く思いません。
そりゃあ、地元に住んでいる人からしたら、かなり不愉快なことでしょう。
でも、もちろん大変なのは分かりますが、ゴミは誰かが頑張って掃除したら、それで綺麗になるんです。
問題は終わるんです。

一方、今の難民問題はそんな単純な話ではありません。
彼らにとって生きるか死ぬかの話なんです。
マナーがどうこう言ってる余裕などないんです。

そしてそれは、誰かが掃除して終わり、なんて簡単な問題ではありません。
ゴミ問題とはあまりにも大きさが違いすぎます。
「ゴミがたくさん出る = 難民を受け入れるな」なんて、あまりにも乱暴な理論です。

そしてそれは、誰かが掃除して終わり、なんて簡単な問題ではありません。
ゴミ問題とはあまりにも大きさが違いすぎます。
「ゴミがたくさん出る = 難民を受け入れるな」なんて、あまりにも乱暴な理論です。

それなのに、誰かが面白半分か、何らかの意図を持って、インパクトのある写真だけを使って印象操作をする。
そして、それに本当に簡単に流されてしまう人がたくさんいる。

前も言いましたが、僕は別に「難民受け入れ絶対賛成!」とか「可哀想な難民を全ての国が受け入れるべきだ!」なんていう一方的な強い思想を持っているわけじゃありません。

でもやっぱり、こういうインパクトだけで行われる明らかな印象操作と流される人たちを見ていると、すごく悲しくて虚しい気持ちになります。
まあ、いつもこれが世の中だってのも理解しますが…。

ていうか、そもそも「受け入れ先の国ドイツのミュンヘン駅の様子」として出回ってる写真、僕は何度も行ってるから分かりますけど、あれ完全に、ドイツじゃなくて「ブダペスト東駅」の写真ですからね!
ブダペストは難民受け入れの場所じゃないですからね!
いや、そもそも根本から嘘の情報って…。

そして、今はもうその東駅も綺麗になっています。
それが現実です。

さて、僕はこのキャンプにも2時間滞在し、結局この日「ロスケ」全体に7時間ほどいたことになるんですが、幸いなことに、その間特に大きな混乱や衝突はありませんでした。

ただ僕自身はというと、一日中必死に動き続け、歩き続け、緊張し続け、声をかけ続け、考え続け、写真を撮り続けたことで、最終的に気力も体力も僕の中の全てを使い果たしてしまったようです。

疲労困憊のままこの日最終の午後4時ロスケ発の列車(乗客はまた僕一人)に乗った僕は、行きでも乗り換えた「セゲド」の町で、予約していた宿に向かったんですが、駅から宿までの徒歩20分の道さえが、永遠に続く果てしない道のように感じられました。

そして宿に着くと、部屋から一歩も出ることができなくなってベッドに倒れ込んだんですが、それでもどうしても今日撮った大量の写真をバックアップしたり整理しなければならないので(データ容量に余裕がなくて、それをしないと明日また撮ることができない)、ずっとその作業をしていました。

でも、その日撮った写真が一日で3000枚近くっていうバカみたいな数だったので、結局明け方まで寝ることができず、僕はたった数時間だけの睡眠で朝を迎えてしまったのです。

そして、次の日もそのまままた「ロスケ」の国境ポイントまで向かったんですが、この日のことはあまり書けることがありません。
僕がもうあまりにも限界だったから。

立っていることがやっとっていう僕は、昨日とは打って変わってこの日は写真すらほとんど撮ることができず、とにかくその場の状況をずっと眺めていました。

そして、僕は水を持っていくのも忘れていて、喉が渇いて仕方なかったんですが、そこら中に大量に置いてある難民の人たち用のミネラルウォーターにはなんとなくどうしても手をつけることができず、ただひたすら喉の乾きに耐えていました。

ただ、昨日と変わったことといえば、警備に新たに警察犬が導入されていたことぐらいで、

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pic.twitter.com/OfG0BOCPWu


この日もフェンスは支柱が刺さっただけの状態で、たくさんの難民の人たちが次々と国境を越えて行きました。

あ、でも、この日数人の外国人ジャーナリストの人たちと友達になったり、僕がここ数日では一番長くここにいるということで、
「この2日間で僕は一体何を感じたか」
っていうインタビューを海外メディアから受けたりもしたんですが、そういう話はまた機会があれば別の時に。

とにかく、9月12日・13日と、こうして僕の国境での2日間は終わりました。

そして、難民の人たちはあの後どうなるかというと、難民キャンプで登録が終わると、ようやく首都ブダペストに向かい、国際列車の発着する「ブダペスト東駅」からドイツなどの国に向かうわけです。

ただ、もちろんそんなにスムーズで簡単な話ではありません。

なんとか東駅に着いても、そこでまた何日間も、いつ乗り込めるか分からない列車の到着を何が起るか分からない緊張感の中待ち続けなければいけないのです。
駅構内で再びテントを張って生活しながら。

そして数日前に実際に東駅でその様子を見て、僕は国境行きを決めたわけです。
それでは、その東駅での様子も載せておきます。

駅構内に張られたテント

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https://pic.twitter.com/FH8ymT9Y5g


駅構内で列車の到着を待つ難民の長い列

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https://pic.twitter.com/54iBjHA9jn


東駅構内で過ごす難民少女たち

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https://pic.twitter.com/GwAxIFUCUX


東駅構内で過ごす難民家族

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https://pic.twitter.com/GlvT72hGNx


テントの前でシャボン玉を飛ばす難民少年とその家族

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https://pic.twitter.com/9Sfj7LOUJr


臨時で設置された水道装置で足を洗う難民男性

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https://pic.twitter.com/KSkYLFa87v


難民に無料で配られる大量のピザ

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https://pic.twitter.com/vjV9UjzuT0


衣料の支給場所

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https://pic.twitter.com/rWEmKPQcpe


無料で持っていってたり、置いていったりしていい大量の靴

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https://pic.twitter.com/MXuNTUxigw


難民の人たちが情報収集できるよう、有志が駅構内に無料Wi-Fiを飛ばしています。(YouTubeはデータ量が多く通信が遅くなるので禁止)

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https://pic.twitter.com/cr1ggPInb6


携帯充電ステーション

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https://pic.twitter.com/a3fLpBckXo


「列車のチケット購入は国境までの分だけ買ってください。国境からウィーンやドイツには無料で行けるのでチケット無用です。国境までは3395フォリント(約1450円)」
と書かれた注意書き

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https://pic.twitter.com/vQ19bxbf12


「何と話しかかられても、絶対にこういうタイプの車には乗っちゃいけません!!危険です!!殺されますよ!!」
という、誘拐や強盗に対する注意書き

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https://pic.twitter.com/DTjJxXxKdb


「ハンガリーの人たち、ありがとう。私たちはあなたたちの優しさをずっと忘れません。あなたたちは本当に親切です。」
と、難民の手によって駅の壁に残されたメッセージ

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https://pic.twitter.com/IMbWSvPN3t


この日、僕が滞在していた時に偶然にも難民用のドイツ行きの列車がやってきて、多くの難民の人たちが電車に乗ることができました。

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https://pic.twitter.com/JZkh6NZXlc


列車の乗り口に殺到する難民の人たち

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https://pic.twitter.com/uOXfKqvaQP


ついに無事ドイツ行きの列車に乗り込めて喜ぶ難民の人たち

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https://pic.twitter.com/j0olYpgih0


餞別のスカーフを列車に投げ込む支援女性たち

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https://pic.twitter.com/11GrfJtOkx


列車に乗り込む前に夫とはぐれてしまい、困惑する難民女性

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https://pic.twitter.com/KAH2BVVqEB


しかし最終的に夫が見つかり、安心して列車に乗り込んだ難民女性。
周りからも大きな拍手が起きた。

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https://pic.twitter.com/UNuIudwXwO


ちなみにこれらは全部、僕が国境へ行くより前に撮った写真です。
そして僕が国境から帰ったその日、ついにドイツ政府はこれまでの難民受け入れ容認の姿勢を変更し、今後は国境での入国審査を始めると宣言しました。

つまりEU内での国境審査無しの移動を認めるシェンゲン協定からの一時的な離脱です。
あのドイツまでもがそうせざるをえないほど、流入難民の数が増えすぎたのです。

ということは、今まで必死に夢のドイツを目指していた難民の人たちも、今後は行き先を変更せざるをえなくなりました。
さらに、もうすぐ完全封鎖が近づいているのであろう、あのハンガリー国境のフェンス。
欧州における難民問題事情は今明らかにめまぐるしく変化しています。

そしてドイツのその発表の後、再び東駅を訪れると、わずかなテントと少数の難民の人たちだけを残して、駅構内は完全に様変わりしていました。
もうゴミ一つありません。
たった数日で何もかもが激変です。

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pic.twitter.com/ZnkbedtVld


はっきりとした理由までは分かりませんでしたが、これは難民がドイツに行けなくなったことが大きく影響しているのは確かでしょう。

そして2日後、僕はやっぱりもう一度だけあの国境へ向かうことにしました。
おそらくあれからさすがにもうフェンスは完成してしまったでしょうし、そうなるとセルビアからハンガリー国境に向かっていた難民の人たちはどうなってしまうのかどうしても気になるからです。

別に僕は何か大きなトラブルや衝突を期待しているわけじゃありません。
それでも、一度こうして少しでも足を突っ込んでしまった以上、大きな変化の後にもう一回だけでもあそこへ行くのは、なんとなく僕の義務であるような気もしたんです。

ただ、前回で身に染みましたが、はっきり言ってあの国境に公共交通機関で行って帰ってくるのはそんなに簡単なことではありません。

しかも今のところ今回は泊まりで向かうつもりじゃないので、一日での往復になります。
まだ疲れが取れきっていない僕にとっては、それは想像するだけでげんなりしてしまうほどの強行軍です。
そしてなにより、一般人があそこへ向かうのは、何度行こうがやっぱり相当な覚悟と気力が必要なんです。

とにかく9月15日、再び朝5時にブダペストを出発して、僕は国境の村「ロスケ」を目指しました。
でもやっぱり、今回も難民問題の影響で列車は大幅に遅れ、乗り継ぎができず、ロスケ到着はお昼の11時になってしましました。

そしてようやく僕が前回の国境ポイントに到着した時には、やはりついにあの線路周辺のフェンスは完成してしまっており、さらに線路上には貨物車両を置いてそれを壁にするという念の入れようでした。
ハンガリー政府の強い意志が感じられます。

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pic.twitter.com/wBbaqfZDXn


とにかくこれで、セルビア・ハンガリー間の国境は完全にフェンスで封鎖されたわけです。
しかも昨日はまだ普通に難民の人たちが入国していたらしいので、本当に今日フェンスが完成したばかりのようです。

それでもやはり、フェンスの向こう、事情を知らない難民の人たちは未だにここに向かって線路を歩いてきます。
まだフェンスも完成したばかりで、難民間でも情報はほとんど行き渡っていないのでしょう。

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pic.twitter.com/kAHRl68N2C


とても心苦しい光景です。
前回とは違い、簡単に声をかけることすらできません。

フェンスに到着した彼らはこの現実に唖然とし、一人の青年がハンガリー兵士や警察に
「どうすればいいのか。どこか入れるポイントはないのか。」
とフェンスのあちら側から必死に質問しますが、
「この国境はもう閉鎖された。今後はパスポート審査が行われる検問所に向かえ。」
の一言。

もちろん、ビザを持たない彼らが一般検問所から入国できるわけがありません。

でも、それ以上は兵士も警察も無言を貫き、目も合わせようともしません。

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https://pic.twitter.com/NuJBEWksCT


冷酷な状況ですが、おそらく上からそういう指令でも出ているのでしょう。
難民との交流は禁止。ただただ、国境の警備にあたれ。って。
つまり、今後はこの高さ4m・全長175kmのフェンスだけに全てを語らせるわけです。

さらに報道によると、この日からハンガリー政府は、不法に入国する難民を逮捕・処罰できるように、法律まで変えてしまったといいます。

それでも難民青年は諦めずに、有刺鉄線を手で掴んだまま、彼らに懇願し続けます。
「君たちが何も話せないのは分かる。でも、同じ人間だろ?どうか助けてくれ。」
と。

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https://pic.twitter.com/lbXhfT8jjC


フェンスの向こうから警察や軍隊に助けを求める難民青年

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pic.twitter.com/RJJWlBZjPE


その状況を後ろから見守る仲間の難民グループ

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pic.twitter.com/2msA6nn5A7


でも、状況は何も変わりませんでした。

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https://pic.twitter.com/K7s7F1gHif


僕にはもう何も言えません。

この後彼らは、報道陣から今行き場を失った難民たちが集まっているという検問所の場所を教えられて、仕方なくそちらに向かっていきました。

検問所にて。
難民の人たちが集まっているセルビア側はフェンスの大分向こうだったので写真は撮れていないのですが、ハンガリー側にはたくさんの機動隊が防護服と催涙ガスを装備して待機していました。

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pic.twitter.com/hjgFg6H1OX


カメラに気付き、こちらに笑顔を見せる機動隊

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pic.twitter.com/snjZogBT9H


つまり、ハンガリー政府は、この場所で難民の暴動が起るともう予測しているのです。
僕だってそう思います。
ようやくここまでたどり着いた末に行き場を失った彼らの数が増えて飽和状態に達すれば、彼らはもう感情をコントロールできず暴動を起こしてしまうであろうことは誰の目にも必然的だから。

そして警察や軍隊に力で制圧されてしまうのでしょう。
そうしてハンガリー政府は世間に見せつけるのです。
「もう我々は難民を一切受け付けない。今後、難民はハンガリーに来ても無駄だ。」
って。

なんだか僕はとっても虚しさを感じました。
起きると分かっている衝突を誰も止めることはできず、ただその時を待っている。

でも、本当に他に回避方法はないのでしょうか。

そして、僕もここにあと1日でも留まれば、もしかしたら暴動や衝突の凄い写真が撮れるかもしれないということは分かっていましたが、なんだかそれを目的に待ち続けるというのは、僕の中でも少し違う気がして、僕はもうこの場を去りました。

そして、帰り際に前回のキャンプ地にも寄ると、たった2日前に僕が見たものがまるで幻だったかのごとく、そこには何の跡形もなく全てのものが片付けられていました。

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https://pic.twitter.com/OTU2X0A5Ob


きっと、ここにいた難民の人たちはあれから一斉に全員正式なキャンプに送られるなどしたんでしょう。
そして、ここはこれ以上難民は入ってこないわけだから、今後はもう必要のない場所ということなんでしょう。
僕は、こんな光景にもやはり、ハンガリー政府の揺るがない強い意志を感じました。

とにかく、とても長くなってしまいましたが、これが1週間前の数日間、僕がここハンガリーで見てきた難民問題のお話です。

そして、みなさんも報道などでご存知だと思いますが、あれからも欧州の難民問題は毎日のようにめまぐるしく状況が変化しています。

まず、僕が行った次の日に、やはりあの検問所では難民たちが痺れを切らし暴動を起こし、機動隊と激しく衝突。
難民の中に大勢の負傷者や初の逮捕者などが出たようです。

この騒動で国際社会からハンガリー政府への批判が強まりましたが、
とにかくこれで、今後ハンガリーへの難民の入国は完全に出来なくなったんだということが周知されました。

そして難民の人たちは、仕方なく隣国の「クロアチア」へと進路を変更しはじめ、初めはクロアチアの首相もそれを容認していたんですが、しばらくするとあまりにもの難民の数にクロアチアも限界を迎えそれを拒否、その後ハンガリーと難民のなすり付け合いのような状態になり、両国が緊張状態に陥りました。

ただ、今から数日前、ハンガリー政府は結局「ロスケ」のあの国境ポイントの封鎖を再び解いたようで、あまり報道されていませんが、それは個人的にはとても嬉しくて大きな出来事でした。

そして昨日、EUが、難民12万人を加盟国全体で分担して受け入れるという案を理事会で決議したようで、まだ東欧諸国の反対はありますが、とにかくこれも大きな前進です。

でも、まだまだ解決できていないことが山のように残っているので、今後もこの欧州の難民問題はまだまだ続いていくんでしょう。

ここで僕が取り上げることは今後はもうあまりないかもしれませんが、こうして自分の目で色々見てきた以上、もちろんこれからもその動向にはずっと注目していきたいと思います。

さて、実は僕が最後に国境に行ったあの日、フェンスの向こう側から助けを求めていた難民の彼に、海外メディアがフェンス越しにインタビューをしていたんですが、
それがとても印象的なインタビューだったので、最後に、その時に僕が録音したものを一部書き起こして終わりにしたいと思います。


・どこから来ましたか?
「シリアです。」

・みんな言っています。ここは完全閉鎖されたって。
「見ての通りですね。」

・昨日はここから入国できていましたが。
「昨日の彼らと今日の僕たちの何が違うのか教えてほしい。」

・ここに来るまで閉まっていることは知らなかったのか。
「知らなかった。
 僕たちはとても長い道のりを歩いて来た。
 みんな、もう5日間も寝ていない。」

・今からどこへ行くつもりなのか。
「僕たちはドイツへ向かっている。」

・もしここに入国できなかったらどうするか。
「僕たちはただ挑戦し続けるしかない。
 動き続けるしかない。
 戻ることはできないんだ。
 僕たちは死から逃げなきゃいけないんだ。
 家族はほとんど死んでしまったよ。」

・フェンスに妨害されて、今何を思いますか?
「彼ら(軍隊や警察)は僕たちをサポートするべきだ。
 助けるべきだ。
 こちらには女性も子供もいる。
 もう長い道のりを再び戻ることなんてできないよ。」

・政府がフェンスを完成させた理由を知っていても?
「僕たちは理由なんて知らない。
 なぜこうなったのかも分からない。
 とにかく、僕たちの目的は生きることだけなんだ。」


僕は、ただただ彼のこの言葉たちに色んな真実が凝縮している気がします。

僕のレポートはこれで終わりです。
3回にも渡るこんなに長い文章を最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。

あ、でももう一つだけ。

えっと、もし今回の僕のレポートを見て何かを感じてくださり、難民の人たちに少しでも何か支援をしたいと考えてくださる心優しい方がいらっしゃるのであれば、今回現場を見た僕個人の印象では、
「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)」
への寄付をお勧めします。

僕が見た限りでは、現場では難民の支援はほぼこの団体のボランティアが本当に一生懸命行っていました。
誘導や食料や水や衣服など、全ての面に置いて。

他の団体に関しては僕はよく知りませんが、ここへの寄付なら、少なくとも確実に難民のための活動に使われると思います。

「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)」への寄付先
http://www.japanforunhcr.org

それでは、また。


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2015.09.25

たかゆきさんの「ハンガリーの難民レポート」/中編

たかゆき〈世界一周中〉@takayukirainbow
2015年09月18日(金)
http://twilog.org/takayukirainbow/date-150918/allasc


一番大きな理由は、経済が好調で人手が不足しているので、少しでも労働力が欲しいからじゃないかと言われています。後は、昔最も人種を差別していた国なので、その償いだと揶揄する人もいます。 RT @woojyak なんでドイツはそこまでしてくれるんやろう?

遅くなってすみません。
頑張って続きを書いていたんですが、僕にとっても気軽に書ける話じゃなかったので、どうしても時間がかかってしまいました。
そして、今ももう朝の6時半なんですが、まだ最後までは全然書けていません。

なので、今日もまた途中までになってしまいますが、それはご了承ください。
ただ、途中までとは言っても、やはりいつも通りかなり長い文章なんで、気になる方はどうか一時的に僕のフォローを外されるか、非表示にされるようお願いします。

あ、そうか。
前回の文章を読んでない方は、長いですが、どうかこの日のツイートを読んでから続きをご覧下さい。(上から順に読めます)
http://twilog.org/takayukirainbow/date-150916/allasc
では、前回の続きを始めますね。

結局その朝は列車もなんとか定刻通りに動いていました。
ブダペストからまずは3時間ほどかけて中継地点の「セゲド」という駅まで向かいます。

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https://pic.twitter.com/R3MVNrKpvZ


そして、その「セゲド」駅で目的の「ロスケ」行きに乗り換えるわけですが、ここの時点ですでに駅には警察が何人か巡回していました。
おそらく、キャンプを抜け出したりして自力でブダペストに向かおうとする難民を見つけて捕まえるためです。

否が応でも、僕の緊張感も高まってきます。

すると、ロスケ行きの列車を探す僕にも2人の警察がたどたどしい英語で話しかけてきました。
「どこから来た。何を探しているんだ。どこへ行くんだ。」
と。

僕が日本から来た事とロスケ行きの列車を探している事を正直に告げると、2人はしばらく話し合ったあと、
「ここからロスケ行きの列車なんて出ていない」
と言いました。

いや、そんなはずはありません。
一昨日から色々調べて、ここから一日数本だけだけど、ロスケ行きの列車が出ていることは分かってるんです。
というか、そもそも僕はブダペストの駅で「セゲド経由ロスケ行き」の切符を買ったんだから。

というわけで僕はそのまま警察から離れ、何人かの駅員に聞いてようやく列車を見つけたんですが、それは外れに佇む見事な一両列車でした。
こういう列車なので、警察が本当にその存在を知らなかったのか、何か他に意図があったのかはよく分かりません。

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https://pic.twitter.com/oR7bwTcb30


そして、このロスケ行きの列車に乗客は僕一人でした。
やはり報道陣は車で向かうんでしょうし、観光客が来る場所ではないんでしょう。

ともかく、僕だけを乗せた一両列車はその後15分ほどで、朝8時半頃ついに国境沿いの小さな村「ロスケ」に到着したのです。
ただ、窓の外を眺めていると、ロスケに向かうにつれて景色がどんどん靄がかっていったのが少し不気味でした。

駅に着き列車を降りると一面靄の中さっきの何倍もの警察が小さな駅を巡回しており、一斉に僕に不審な目が向けられます。
駅のベンチには、この駅で拘束されてしまったんであろう一家族が警官に見守られて深刻な面持ちで座っています。

僕は少し身震いしました。
僕はついに、本当にそういう現実の世界に足を踏み入れてしまったんです。
いや、自分の意志で、自らはっきりと足を踏み入れたんです。

ここからは、もう何が起きても覚悟しなきゃ。

とにかく、ここで警察に質問されたり質問したりするのは得策ではないと考えた僕は、警察の目を無視してそのまま脇目もふらず駅から抜け出しました。
彼らはいぶかしげな表情はすれども、特に僕を追ってくる様子はありません。

駅を出ると、そこは人気の無いただの森でした。
さあ、僕はここから一体どこへ向かったらいいんでしょう。

用意していた地図を見てみると、ここから数キロ先の国境地帯へ向かうにはいくつか道のりがあったんですが、そもそも国境地帯のどのポイントに行ったらいいのかが分かりません。

よく分からないままも、とりあえず僕はロスケの村の中を通ってたどり着く国境ポイントに行くことにし、一旦村に向かいました。

朝のロスケの村は靄に包まれ、ほとんど人が歩いていませんでした。

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https://pic.twitter.com/elAPbRK3zT


時折すれ違う村の人も、やはり僕を不審な目で見つめてきます。
それは仕方ないかもしれません。
今は状況が状況だし、そもそも普段僕みたいなアジア人が来るような場所ではないでしょうから。

そしてそれから20分ほど村の中を歩いていた時、道路の向こうの方から明らかにハンガリー人ではない数人のグループが荷物を背負ってこちらに歩いてくるのが見えました。
難民の人たちです。
僕の心臓が脈打ちます。

でも、彼らは一体どうやって国境を越えてきたんでしょうか。
そして、なぜ村の中には警察がいなくて、彼らが自由に歩けているんでしょうか。
まだ実際に国境を見ておらず、周辺の事情を把握していない僕にはよく理解できません。

そしてなにより、僕は彼らにどんな顔をして、なんて声をかけたらいいんでしょうか。

そんなことを考えているうちに、あっというまに僕らの距離は縮まり、ついに彼らと近くで対面した時に、とても驚くことが起きました。

僕からではなくて、なんと彼らの方から僕に声をかけてくれたんです。
「Hello !!」
って。
満面の笑顔で。

そして続けざまに
「How are you ?」
と。

突然のことに僕はただ反射的に
「I'm good, thank you. And you ?」
と返すのが精一杯でした。

すると、また
「We are fine ! Thank you !!」
と満面の笑顔で。

そして彼らはそのまま通り過ぎて行ったんですが、これは僕がここに来るまでにある程度想像して警戒していた状況とはまるっきり違うもので、僕の頭はとても混乱しました。

なんなんだろう、この日常的で明るい空気は!

ネットやテレビのニュースで見る彼らは決まって衝突や混乱中で、みな悲しみの顔、怒りの顔、憔悴の顔をしていました。
それが、命からがら気の遠くなる苦難を乗り越えて、今ようやくハンガリーに入国してきた現実の彼らは、あんなにも軽快な笑顔だったんです。

しかも、彼からしたら何者か分からないはずのこんな不審なアジア人に対してさえ、あちらから挨拶を。
しかも、ちゃんと英語で。

うーん、一体何が本当なんだろう。

とにかく、一つだけ言えるのは、やっぱり彼らにとってヨーロッパの始まりであるハンガリーに入国できたということは、それほどまでに大きな一歩だということなんでしょう。

そして、さらにしばらく歩くと、歩道で座って休んでいる難民のグループがいたので、今度は思い切って僕から話しかけてみたんですが、やはり彼らも終始笑顔で会話を交わしてくれて(今回も全て英語)、なんと写真撮影にも気軽に応答してくれました。

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https://pic.twitter.com/nvSmjQd9oO


この時、僕も緊張していたのでさすがにそこまで深い話はできませんでしたが、とにかく彼らはやはりシリア人で、今国境を越えてきて、バスか電車の駅を探しているとのこと。

電車の駅なら分かるので、僕は今来た道を教えてあげようと思ったんですが、あそこには警察が何人もいます。
そして「駅は警察がいるけど大丈夫か?」と聞くと、「それは良くない」と。

あくまでも想像ですが、ここで僕は思いました。
さっきの彼らも今の彼らも、もしかして難民キャンプに連れて行かれるのをどうにか避けて、この村の中に迂回してきたのではないか、って。

そして、「それなら次の大きい町はどこだ」と聞かれたので、僕は自分の地図を見せて、さっき列車を乗り換えた町「セゲド」を指差しました。

「ここから歩いてどのくらいかかる?」
「うーん、12、3Kmはあるから、2、3時間はかかると思う。」
「全く問題ない。」
「でもやっぱり駅には警察がいるよ。」
「分かった、気をつける。ありがとう。」

話している間、僕はとても慎重で、かつ奇妙な気持ちでした。
だって、今僕が答える一言一言で、もしかしたら今後の彼らの人生が変わってしまうかもしれない。
ただの野次馬ではない。僕は今まさにこの問題の当事者になっているのです。

実は、ここにやって来るまで僕は、なるべく難民側と政府側のどちらにも深く肩入れするのはやめておこうと心に決めていました。
それをすると、きっと見えるはずの現実も見えなくなってしまうだろうし、僕は別に今回なんらかの正義を振りかざしてここにやってこようとしたわけではないから。

そして、やはり受け入れ側の国や政府にもそれぞれ事情があって、一概に何が悪だとは言い難いということも分かっていたので。

だからこそ難しい問題なんだけど、
ただ一つだけ、
本当に自分たちの命を守るためにどうにか逃げ延びてきた難民の人々には、人間として何の罪も無いということだけは僕の中で揺るがない事実でした。

そして今、そこまで大きくはなくても、僕は実際に難民の彼らに肩入れするような行動をしているわけです。
やっぱり、いくら中立でいようと装っていても、実際に彼らに触れてしまうと、僕ははっきりと自分の奥の正直な気持ちに気付くことになりました。

もちろん、それでも忘れちゃいけないことはたくさんあるけど。

そして、彼らは本当にセゲドに向かって歩き始めました。
僕に「さようなら!ありがとう!」と手を振って。

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https://pic.twitter.com/ZPWknym87K


見てください。この厳しい現状の中での彼らのこの笑顔を。
僕はカメラのファインダーを覗きながら、なんだか涙が止まらなくなって、泣きながら何度もシャッターを切っていました。
やっぱり、こういう顔を見て何も感じない人間にはやっぱり僕はなれません。

そして、僕も何か声をかけようと思ってふいに出てきた言葉が
「グッドラック!」
でした。
とても大きな声で。

グッドラック。
それぞれに色んな事情があるでしょう。まだまだ色んな問題が出てくるでしょう。
だからこそ、今僕が彼らにかけられる言葉は本当にそれに尽きると思いました。

そして、どうか無事で。

この後も、数は多くありませんが何組かの難民グループとすれ違って、それぞれ挨拶や会話を交わしましたが、やはりみんな一様に僕に笑顔を向けてくれました。

笑顔ではないけど、難民の女の子。

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https://pic.twitter.com/4YdP9OcO7m


そしてさらに歩いて、難民とすれ違うこともなくなってきた頃、ついに国境が近づき、僕が行く道の奥に一台のジープと2人の兵隊の姿が見えました。
そう、国境問題においてもう警察だけでは対処しきれなくなったハンガリー政府は、ついに軍隊を派遣し始めたのです。

ライフルらしきものを持つ兵士に一瞬ひるみましたが、ここで道を引き返すのもかえって彼らに怪しまれそうなので、僕はもう覚悟を決めて堂々と奥に進みました。

それは
「僕は犯罪を犯しているわけじゃないんだから、コソコソする必要はない」
という開き直りの覚悟と、
「ああ、でも軍隊までいるということは、ここまで来ても、やっぱり一般の観光客が今国境に近づくのは無理だったんだな」
という諦めの覚悟です。

そしてついに兵隊の目の前に到着。
兵隊はライフルを手にすぐに僕の前に立ちはだかり、僕の身なりを上から下まで目視した後、「どこからやって来たのか」と厳しい口調で尋ねてきます。

ただ、これはもう駄目だなと開き直りはじめている僕がしっかりと目を見て「日本です」とだけ答えると、彼らはそれ以上僕に質問することもなく、無線でどこかに連絡し始めました。

ん?何だろう。
これは、何か大きな問題になってしまうのかな。
よく分からないけど、とても緊張の時間です。

でも、数分後、通信が終わった彼らが僕に言った言葉はとても驚きのものでした。

「よし、通っていいぞ。ここから西側に向かって国境フェンス沿いに1Kmほど歩けばそこがポイントだ。」

え!?
なんと、訳も分からないまま、あれよという間に、ただのいち旅人である僕に渦中の国境ポイントまで行く許可が下りてしまったんです!!

おそらくですけど、僕はこの時首から一眼カメラ(オリンパス)をぶら下げていたんで、彼らは僕のことをフリーのカメラマンかジャーナリストだと勘違いしたんじゃないかと思います。
特にパスポートも証明書も何も見せていませんけど。

とにかく、軍隊から許可も下り、場所も分かった僕は、ようやく本当に目的の地へ向かうことができたのです。

まず、これが最近ハンガリー政府が難民流入を阻止するためにセルビアとの国境に設置した有刺鉄線付きの高さ4mのフェンスです。全長は175kmにも及びます。

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https://pic.twitter.com/NZzgX022xT


そして僕がポイントに向かって歩いている時、軍隊や警察の隙を見計らって、フェンスの向こう、つまりセルビア側から、難民たちが僕をフェンスの近くまで呼び寄せました。
僕が近づくと、とても深刻な表情で「どこか、フェンスに抜け道はないか?」と。

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https://pic.twitter.com/36FBJRrfUX


でも、僕もまだようやく国境にたどり着いたばっかりで何も分からないので、それを正直に彼らに伝えていると、離れた場所にいた警察が僕らの動きに気付き、僕に今すぐフェンスから離れるよう警告してきました。

僕が警告に従ってフェンスから離れると、彼らも仕方なさそうに僕と同じ方向に歩き出したんですが、
ただ、今話したフェンスの向こうの彼らは、先ほど村の中で出会った難民たちとは違って、僕も怖じ気付いてしまうぐらい、とても鬼気迫る表情をしていました。

やはり、この国境を無事に越えることは彼らにとって本当に大事な局面なんでしょう。

この後、僕はさっき言われた通り、フェンス沿いをひたすら西へ歩いてたんですが、ようやく先の方に人の群れが見えてきました。
おそらくあの群れは、各国の報道陣です。

さらに、その人が集まっている部分は、なぜか20mほどだけフェンスが途切れているようなんですが、近づくと分かりました。
そこにはハンガリーとセルビアを結ぶ線路が通っていて、その周辺だけフェンスがまだ設置されていないんです。

そして、他の日は分かりませんが、この日は、たくさんの難民の人々がその線路の上をセルビア側から歩いて、国境を渡っていきました。
なるほど、ポイントというのはこの線路のことだったんです。

でも、ここには軍隊も警察もそこまで多くなく数人だけで、彼らも大量の難民たちが次々と国境を越えて行くのをただ見守っているだけでした。
衝突や混乱などは皆無です。

さて、突然ですが、最後の方は眠たすぎて自分でも何を書いているか分からないほどになってきたので、ここからは、その線路を歩いてハンガリーに入国する難民の人々の写真をドドドっとアップして今日は一旦終わらせてもらいます。
続きは、また次回。


そして今からは同じような写真をかなり大量にアップすることになるかもしれませんが、いつもと違って、今回の写真は今見てもらってこそ意味があると思うので、最後にそれだけはどうかお付き合いください。

さらに、今回の写真はなるべく多くの人に見てほしいので、もしどれかの写真で何か心に感じるものがありましたら、是非リツイートなどしていたければ嬉しいです。

僕が言うのもなんですが、ネットニュースなどで使われている写真は、どれも深刻な状況だけ大きく伝えようとする、ほとんどが暗くて怖い、現実の一部分だけを意図的に切り取った写真です。

もちろん、それも現実の写真で間違いないんでしょうが、そういうのはネットニュースでまたまだ見れると思うので、僕はなるべく、何のマスメディアにも所属してないいち個人だからこそ伝えられる明るい写真もたくさん載せたいです。

これもこの日僕がこの目で見たリアルな現実だから。
彼らにとって、ハンガリー入国はそれほど嬉しいことだったんです。
(今はまた状況はどんどん変わってきていますが…)

では、最後に連続して写真のアップを始めます。


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

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https://pic.twitter.com/nshEooD7aO

セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民

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https://pic.twitter.com/WbnIfTr9g5


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民

H13
https://pic.twitter.com/WbnIfTr9g5


国境警備にあたるハンガリー兵士

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https://pic.twitter.com/uGU18TYbNl


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

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https://pic.twitter.com/hUeOUfZOPz


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する少年(僕の大好きな写真)

H17
https://pic.twitter.com/SsEsEpedEk


国境警備にあたるハンガリー兵士たち

H16
https://pic.twitter.com/mmkuje0hc


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国し、喜びをあらわにする難民たち

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https://pic.twitter.com/BcaDkAXDsA


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

H19
https://pic.twitter.com/Wyl7NYhfT0


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民老夫婦

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https://pic.twitter.com/SXOr1SkqrV


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

H21
https://pic.twitter.com/UREBTjw6k8


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国しようとするも、ハンガリー兵士の存在に気付き、一瞬立ち尽くす難民

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https://pic.twitter.com/VXh0BoVx9U


それでも、無事入国できて、喜び崩れる青年

H23
https://pic.twitter.com/Df4QcaOKP1


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち(これが一番好きな写真。希望があふれてる)

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https://pic.twitter.com/F0anAzCZc6


国境フェンス・有刺鉄線の向こう側からこちらに笑顔で手を振る難民

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https://pic.twitter.com/aGtEA5SH3D


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

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https://pic.twitter.com/fkPjFKsr5k


国境警備中、タバコで一服する女性ハンガリー兵士

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https://pic.twitter.com/aGUyDiKrOx


国境警備中、立ち小便するハンガリー兵士

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https://pic.twitter.com/5USdfdXcxB


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民少年

H29
https://pic.twitter.com/6JNEPjwMJu


ハンガリー入国を喜び、たまらず国連ボランティアに感謝のハグをする難民

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https://pic.twitter.com/tAemRrWoJY


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

H31
https://pic.twitter.com/DWbqX91604


おもちゃのサングラスでおどける難民少年

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https://pic.twitter.com/1HuberIDmn


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民たち

H33
https://pic.twitter.com/WyRoGkH3Fc


これは相当珍しく、貴重なワンシーン。
ハンガリー兵士が突然、難民親子にミネラルウォーターの差し入れ。

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https://pic.twitter.com/vJldAFWCDP


セルビアから線路を歩いてハンガリーに入国する難民少年

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https://pic.twitter.com/i0F93hexrn


どうか、本当に無事で。

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https://pic.twitter.com/ULiwHuxWZc


書きたいことはまだまだ山ほどあるし、状況は刻々と変わっているので、これは早く書くべきことだっていうのは分かっているんですが、今日はもう本当に限界です。
ごめんなさい、続きはまた。


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2015.09.24

たかゆきさんの「ハンガリーの難民レポート」/前編

たかゆきさんのブログ「ノーレイン ノーレインボー」(休止中)には「ストリートミュージシャンたかゆきの物語」というサブタイトルが付けられてるけど、道端でギターとかを弾きながらオリジナル曲を歌い続け、あわよくば音楽関係者の目にとまってメジャーデビューを!‥‥っていう野心を持つ人たちをストリートミュージシャンと呼ぶのであれば、たかゆきさんはストリートミュージシャンではない。

たかゆきさんはストリートでギターを弾いて歌を歌っていたけど、決してオリジナル曲などは作らず、歌わず、常にお客さんのリクエストに応えて歌を歌い、チップをもらって生活していたミュージシャン、言わば「流さない流し」だった。地方に遠征することもあったけど、基本的には大阪を中心に、この「流さない流し」だけで14年間、生活をしていたたかゆきさんは、ある日突然、世界一周へと旅立った。2011年2月1日のことだった。

とりあえず南米の南端を目刺し、そこから南米、北米を北上したたかゆきさんは、行く先々の街で、面白いおじさんや優しいおばちゃんと仲良くなったりしつつ、「旅すること」そのものを目的とした旅を続けて来た。日本を出発してから4年半、ある時は「アラスカのユーコン川をカヌーで下ってます」というツイートが届いたり、ある時は「モロッコでラクダと砂漠を横断しています」というツイートが届いたり、そして、しばらく前には、「歯の治療のためにハンガリーに行きます」というツイートが届いた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、歯の治療のためにスペインからハンガリーへ移動したたかゆきさんが直面したのは、そう、シリアの難民問題だった。たかゆきさんは、決して日本のマスコミが報じないような現地の生の情報、難民たちが実際に直面している現状を、文字数の限定されたツイッターで連続投稿して発信してくれた。あたしは、たかゆきさんのマトメをツイッターでもRTしたんだけど、1人でも多くの人に読んでほしいので、たかゆきさんの許可をいただき、この「きっこのブログ」でも紹介させていただくことにした。以下、たかゆきさんによる渾身の「ハンガリーの難民レポート」、ぜひお読みください!


たかゆき〈世界一周中〉@takayukirainbow
2015年09月16日(水)
http://twilog.org/takayukirainbow/date-150916/allasc


さて、今からものすごく長い文章を連続ツイートします。
一時的にフォローしてくださっている方のタイムラインが僕のツイートで埋め尽くされる可能性がありますので、それが不快な方は、どうか遠慮なく僕のフォローをお外しください。

じゃあ始めますね。

最近インターネットのニュースやこちらのテレビなどで頻繁に取り上げられている「シリア難民」に関する問題。
そして、偶然にも今僕がいる国は、その難民問題で揺れる渦中のハンガリーです。

ただ、ここで何度も言ってきたように、僕がスペインからはるばるここハンガリーにやってきたのは、歯医者さんに通うという大きな目的のためであって、難民問題に関する目的などでは全くありませんでした。

所詮は僕もただの旅人であり、ただの部外者。
たまにインターネットなどでは目にしていたものの、この問題について深く考えたことなどなかったんです。
渦中のハンガリーに滞在していてもなお。

僕が今泊まっている安ホステルでも、各国からやって来た若い旅人たちがこの問題について話し合うことなどほぼありません。
僕も含め、彼らが話すのは、ここブダペストの見所や食べ物の情報。
薄情かもしれませんが、これが現実です。

多分日本でもそうじゃないでしょうか。
ニュースでたまに取り上げられはせよ、どこか遠い国でのどこか遠い出来事。
もちろん深く考え深く憂慮する方もたくさんいるとは思いますが、やっぱり大半はそういった感じだと思います。

何度も言いますが、僕もそうだったんです。
情けないですが、こうして長年世界を旅しているはずの僕ですら。

そんなある日、僕はたまたまブダペストの東駅に行く機会がありました。
ヨーロッパ各国への国際列車が発着する大きな駅です。

ここは、最近ドイツなどの国へ向かう難民達が押し寄せて大きな混乱となり、この間まで一時的に駅自体を封鎖していた場所でもあります。
国際列車を利用する何人かの旅人が足止めをくらって困惑していたので、僕もそのことだけは知っていました。

でも、聞くのと見るのではやっぱり何もかもが違い、実際に駅構内に足を踏み入れた僕は衝撃を受けました。

もう駅の封鎖は解かれていて、コンコースにはたくさんのテントが張られ、何百人もの難民の人たちがたむろし、列車を待つ長い列を作り、ある人は怒鳴り合い、ある人はここまで来た安堵からか笑顔が絶えず、ある人は深く考え込み疲れた表情で、

自分たちの状況を理解しているのかしていないのか子供達が楽しそうに走り回り、ボランティアが歩き回り、食事や衣服を配給し、柱にアラビア語と英語の情報が貼られ、そこら中にゴミが散乱し、かなりの腐敗臭が鼻をつき、そんな中をキャリーバッグを引いた一般旅行客が縫うように歩く。

それはまさにカオスな状況でした。

でも、それはテレビやネットの世界ではなく、まさしく<現実>の世界でもありました。
ああそうか、僕は今偶然にもそんな渦中の国を旅して、まさにそんな場所に来ているんだなあ。
ようやくそれを実感したんです。

ただ、正直な所、心の準備の全くできていなかった僕は、初めのうちはかなり怖じ気付きもしました。
なんだこれは、と。僕はここにいていいのか、と。

でも僕は結局そこに何時間も滞在しました。
何を言ったところで、やっぱりどうしても全てから目を離せなかったから。
そしてなにより、写真を撮りたいと強く思ったから。

僕がいた何時間かだけでもやはり色んなドラマや発見がありました。
ただ、この駅での話は後で書けたら書くことにして、今は話を前に進めます。

とにかく、僕がたまたまこのブダペスト東駅に行ったことが全ての始まりでした。
宿に戻った僕は、まるで人が変わったように今回の難民問題について調べ始めました。

えっと、もうすでにしっかり理解されている方も多いでしょうが、僕みたいな人のためにも、一度ここで、僕が自分自身で調べたり、この数日間で色んな人から聞いた話などから(難民の方々から直接聞いた話も含む)、今のヨーロッパの難民問題について少しおさらいしてみたいと思います。

ご存知のように、今世界情勢はとても不安定です。
特にシリアやイラクなどの中東諸国やアフガニスタンなどでは内戦や圧政が続き、状況はとても深刻です。

そして多くの国民がなんとか生き延びるために家族と一緒に国から逃れるわけです。
そして、逃れて目指す先というのがドイツやスウェーデンといった西ヨーロッパや北ヨーロッパの国です。

特に多くの難民がドイツを目指します。
なぜならドイツはヨーロッパの中でも一番の経済大国ですし、難民の受け入れにも寛容と言われているからです。
ドイツならば、住む場所も食事も一定のお金も与えられ、語学の勉強までさせてもらえると聞きます。

他の国々とは圧倒的に待遇が違います。
だから彼らは、とにかくドイツに向かうのです。
でも、ドイツまでの道のりは気が遠くなるほど危険で壮絶で長い長い道のりです。

まず、今のこういう状況を利用した悪徳業者が存在していて、トルコなどから劣悪な密航船やゴムボートを出して、難民たちをギリシャに渡します。
そして、悪徳業者は切羽詰まった難民の状況に付け込んで法外な値段を請求します。

でも、逃げて生き延びるためにはそれしか方法がないので、難民たちは全財産をはたいてでもそのお金を払わざるをえません。
中には、国に残る人たちから大きな借金をして渡る人もいます。
いつかお金を貯めて、残った彼らもこちらに連れて来れるようにと夢見て。

そして命からがら何とか無事にギリシャに到着した彼らは、今度はバルカン半島を北上していきます。
他にもルートはありますが、ドイツまでは大体こういう感じです。

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https://pic.twitter.com/9YKsaHW3DR


ただ、もちろんバルカン半島北上も苦難の連続です。
ギリシャや次のマケドニアやセルビアでも難民申請の手続きは出来るには出来ますが、それは施設の劣悪さや各国の経済状況から見ても非現実的なので、これらの国は通り過ぎるだけです。

でも、ビザを持たない彼らが正式に国境を越えれるわけではないので、国境警備隊や警察に見つからないように森などに身を隠しながら時には数十キロも歩き、警備が手薄な場所を探して国境を越えます。

そんな中、今の混乱を狙って難民を襲い、なけなしのお金を奪う強盗集団もいます。人間のクズ共です。
実際に多くの難民が被害に遭っています。

だから難民たちは、少しでも危険を回避するために大体がグループで行動します。
今の時代は携帯やフェイスブックなどがあるので、グループがあれば、先に国境越えに成功した仲間から、どこが危険だとか、どこから国境を越えればいいかとか、越えた後はどうすればいいかなどの情報も交換できるので。

とにかく様々の苦難の末、ようやくバルカン半島を北上してたどり着くとても重要な国がここ「ハンガリー」なんです。
そのポイントは「シェンゲン協定」。

シェンゲン協定っていうのは、ヨーロッパの国家間で誰もが国境審査なく自由に国を往来できる協定で、バルカン半島北上の後は、ここハンガリーがそのシェンゲン協定の始まりの国なんです。
つまり、ハンガリーに入ってしまえば、もうドイツや他のヨーロッパ諸国まで国境審査がないということ。

ただ、この後ドイツで難民認定を受けて生活したいとはいっても、EU(欧州連合)内には、難民に対してはEUの最初の到着国でまず難民登録をしなければならないっていうルールがあるので、
とにかくまずここハンガリーで一旦難民登録をして、それを受け入れてもらう必要があります。

だから、ハンガリーに到着した難民たちは、まず難民登録のためにまずハンガリー内の難民キャンプに送られます。

でも、最近その難民の数が半端なく激増しているわけです。
おそらく、シリアなどの国では情報が広がり、もうそういう流れができてしまってるんでしょう。
自分たちの国を逃げ出すなら今だって。生き延びるのは今しかないって。

そして、内戦のシリアや中東だけじゃなくて、この機に乗じて、今はアフリカなどからも貧困によって逃げてくる人がたくさんいます。
とにかくヨーロッパに押し寄せる難民全体の数が凄いことになってるんです。

で、困り始めたのがハンガリー。
ハンガリーはもともとEUの中でも裕福ではない国で、経済に余裕もありません。

他の国と同じで、一応ハンガリーで難民申請も出来るんですが、この仕事も少ない経済の厳しい国で申請する人はほぼいません。
やっぱりドイツや北に行きたいんです。

それなのに、まずハンガリーに難民が殺到してくる。
そしてEUのルールに従って難民登録をしなければいけない。
でも、治安や警備の諸問題もあるし、もちろん財政もひっ迫する。

そのジレンマの中、もうこの難民問題は完全にハンガリー政府の処理能力や許容範囲を越えてしまいました。

そこで政府は、これ以上の難民の流入を防ぐために、セルビアとの国境に有刺鉄線や4メートルのフェンスなどを設置しました。
これには他のEU加盟国から非難が相次ぎましたが、ハンガリー政府は「他に代替案があったら教えてほしい。国境管理の強化は我々の義務だ。」と押しのけました。

しかしそれでも、ここまで決死の思いでやってきた難民は有刺鉄線などもくぐり抜けてハンガリーに入国しようとして、警察に拘束されたりします。
この前、ハンガリーの女性カメラマンが殺到するシリア難民の人々を蹴って国際的な問題になっていたのが、この国境です。

一方、すでにキャンプにいた難民たちも、早く動きたいのになかなか進まない登録作業、劣悪なキャンプ環境などに耐えかねて、自分たちの足でドイツへ向かおうと大勢がキャンプ地を脱走して警察と衝突、高速道路を占拠して歩き出したりもしました。

そして、難民登録を終え、ようやく首都のブダペストに到着した難民たちも今度はさっきの東駅で足止めをくらいます。
そして、北の国に向かう列車に乗り込むチャンスを待つため、何百人もの人々が駅構内にテントを張って数週間も泊まり込むのです。

で、この状況を打破しようと、政府は数日間国際列車の発着を止め、駅自体を閉鎖したりもしたわけです。

とにかく、このように今ハンガリー内では、増え続ける難民に対する問題で何もかもが大混乱しています。
(それでも、ただブダペストだけを旅行する一般の観光客にとっては、その東駅にでも行かない限り、こういう難民問題を全く感じることなく普通に楽しく観光できてしまうのが現実だけど)

そして今、ヨーロッパ内の国々の難民受け入れに対する姿勢も、各国民の世論も完全に割れています。

ドイツは元々難民の受け入れに対して寛容で、それもあって今難民が押し寄せているわけですが、一昨日ついにそのドイツですら、増え続ける難民の数が完全に許容範囲を越えて、今後ずっとか一時的なものか分かりませんがとにかく一旦難民の受け入れ停止を決定。

シェンゲン協定からも一時撤退して、今後は国境審査を始めると発表しました。
つまり、ここまで来てもう難民は自由にドイツに入国することができなくなったのです。

これはとても大きな事態です。

ハンガリーの首相は、ここまでの対応を見ても分かるように難民問題に対しては強硬姿勢を取っていて、
「これはEUの問題ではなくて、ドイツの問題だ。誰もハンガリーやスロバキアやポーランドにとどまろうなどとは考えていない。みながドイツを目指しているわけだから。」
と、ルールがあるからしかたなく難民の登録をしているだけだと強調しています。
そして、はっきりと「難民は欧州に来ないで欲しい」とも述べています。

政府報道官に至っては、
「隣国に逃げた人を難民と呼ぶのは理解するが、そこから何カ国も経由して欧州に来るのは彼らが『よりよい生活』を求める『不法移民』だからだ」
だとさえ言い切ります。

しかし、これには国連の難民事務所や人権団体などが、「欧州以外に受け入れ先が見つからない難民たちの現状を無視した理論だ」と激しく批判し、もう元々の紛争を止めるか、各国で協調して受け入れ態勢を整えない限り、国境に壁を築こうと、警備を強化しようと人々の流れを押しとどめることは出来ないと主張しています。

そして、ヨーロッパ内の世論も割れていて、今各地で、移民を受け入れるべきだというデモや、受け入れは反対だというデモなど、どちらも行われています。

反対派にしてみれば、移民が増えれば自分たちの仕事が奪われてしまうかもしれないという不安や、治安に対する不安、
後、どうしても偏見や差別もあって、シリアの難民はやはりイスラム教徒がほとんどなので、ヨーロッパの人の中には「イスラム教=イスラム国(IS)」じゃないかという間違った解釈の漠然とした不安なども持っている人もたくさんいて、テロなどに対する不安もあるようです。

しかし実際に、この大量の難民移動のどさくさを利用し、そこにISの情報部員などが紛れ込んでいて、何かを企てている可能性もないとは言えないわけです。

と、まだまだ細かい話は山ほどあるんですが、とにかくこのように今ヨーロッパはこういった難民問題で揺れに揺れています。
その中でも、難民にとってヨーロッパの玄関口であるここハンガリーは特に。

そして僕は数日前にブダペスト東駅に行って衝撃を受け、その後こういう事情を大まかに知ったわけです。
自分が今まさしくその渦中の国にいるんだということも。

そして、何だか気持ちのざわつきが抑えられなくなってきて、僕はこの問題で今一番重要な場所である、ハンガリーとセルビアの国境地点について調べ始めてしまいました。

いや、この時点ではまだ別に本気でそこに行こうなんて考えていたわけではありません。
ただどの辺りにあるのか、ブダペストからどのくらい離れているのか、とにかく調べるだけ調べてみようと思っただけです。

すると、問題になっているのは「ロスケ」という村の外れの国境地帯だということが分かりました。
地図で見る限りとても小さな村です。
ハンガリー自体がそこまで大きな国ではないので、ブダペストからも南に170Kmほどの距離でしょうか。

うーん、もしかしたら…。

ただ、写真や動画があれほど撮られているということは各国の報道機関はきっと車でそこに向かっているんでしょうが、他に公共交通機関で行く方法はあるんでしょうか。
僕には車なんかないですし、そもそも旅が長過ぎて日本の免許の期限もとっくに切れてしまっているので。

すると、これは調べるのが本当に大変だったんですが(小さな村なので英語のサイトすら情報がほぼない)、本数は少ないですが列車を乗り継げば何とか「ロスケ」までは行けることが判明しました。

しかも、広いブダペストには列車の駅がいくつかあるんですが、「ロスケ」に行くための最初の列車は、なんと僕が今泊まっているホステルから徒歩数分のものすごく近い駅から出発することが分かったんです。

ただ本当に行くとなると、行きに3時間半ぐらいかかりそうなんですが、本数も少ないことから1日で往復というのはあちらの滞在が短くなってしまうので、「ロスケ」からまた少し離れた町で一泊することになります。(ロスケに宿などはないから)

でもこれも偶然なんですが、これが僕がブダペストに到着したばかりの数日間なら、僕は連日歯医者に通わなければいけなかったので、「ロスケ」に行って帰ってくるのに2日間も取られるっていうことは無理そうだったんですが、

この時僕はちょうど歯医者の手術が終わったばかりで、次の抜糸の回まで何日間も時間に余裕ができたところだったんです。

こうなってくるといつも僕はなにか運命みたいなものを感じずにはいられません。
ああ、僕はどうしても「ロスケ」に行かなくちゃ、って。

ただ問題は、いくらロスケに行く方法が分かったといっても、実際は今国内の列車網は混乱が続いているので、ちゃんと運行するのか、ちゃんとたどり着けるのかは、はっきり言ってその日に行ってみないと何も分からないということ。

そして例えロスケに着いたとしても、そこからは何の情報もありません。
国境といっても広いので、一体どこへ向かえばいいのかとか、そもそも一般観光客が近づけるのかとか。

それでも行きたいと強く思ったんです。
きっと行けば全ては分かります。
無理なら無理、大丈夫なら大丈夫。それでいいです。
もちろん危険なことが起きる可能性もないとは言い切れませんが、全ては僕の自己責任です。

そして誤解してほしくないので先に言っておきますが、僕がそこに行けたところで一体どうするのか、何をするつもりなのかというと、特に大義な目的はありません。
善いことをしようとか、悪いことをしようとか、そういう思いもありません。

ただただ、その機会があるのなら自分の目でもっと現実を確かめたい、それを自分の手で写真に収めたい、という自分個人の強い欲求です。

でも、僕はいつもそうやって旅をしてきました。

というわけで、4日前の9月12日朝5時、僕はハンガリーとセルビアの国境の村「ロスケ」に向かうべく、ブダペストの宿を出たのです。

さて、ここまでなんとか頑張って書きましたが、さっき書いた歯医者の抜糸というのが実は今からなので、今日はここで限界です。
「ロスケ」での様子やたくさんの写真はまた明日にでも続きをアップさせてください。
長々とすみません。
行ってきます。


‥‥そんなワケで、ここまでが、たかゆきさんの「ハンガリーの難民レポート」の第1弾だ。ここから先は、難民の皆さんの様子や画像なども多いので、日本の報道を観ているだけでは分からないことが、いろいろと伝わってくると思うので、ラストの第3弾まで、ぜひご覧ください。


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2015.09.22

あたらしい憲法のはなし

昨日9月21日(月)のTBSラジオ『Session-22』の、日付けが変わった深夜0時からの「Session袋とじ」に、翻訳家の柴田元幸さん、憲法学者の木村草太さんがゲスト出演して、新刊『現代語訳でよむ日本の憲法』(アルク)の紹介をした。日本国憲法の「英語版」を、アメリカ文学研究家で翻訳家の柴田元幸さんが現代日本語に翻訳して、憲法学者の木村草太さんが法律用語を監修したものだ。

また、この本には、声優で舞台俳優の関俊彦さんが全文を読み上げたCDが付いていて、番組ではほんの一部を放送したんだけど、荻上チキさんがしきりに「いい声ですね~♪」って感心していたように、とても素晴らしかった。

日本語と英語では表現がビミョ~に違う部分もあるし、柴田元幸さんは「宇宙人の目」、つまり、「まったく予備知識や先入観のない目」で翻訳するようにつとめたそうで、あたしたちが知ってる日本語の日本国憲法とは、ずいぶんニュアンスの違ったものになってる。特に良かったのは、原文の「people」を「日本国民」ではなく「人々」と訳した点で、これによって「憲法が誰のものなのか」、「日本の主権はどこにあるのか」などがジンワリと感じられた。

放送を聴き逃した人は、以下の番組HPからポッドキャストで聴くことができるので、ぜひ聴いてみてほしいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

TBSラジオ『Session-22』 9月21日の「Session袋とじ」
http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/09/20150921session.html


‥‥そんなワケで、この『現代語訳でよむ日本の憲法』という本では、英文の日本国憲法を現代日本語に翻訳して読み直してみる、つまり、日本のことをほとんど知らない英語圏の人たちから見た日本国憲法、という視点もある。このように、同じものでも視点を変えて見てみると、新しい発見や気づきがある。そこで、あたしは、もうひとつの別の視点を紹介したいと思う。それは「子どもの視点」だ。

現在の日本国憲法は、昭和22年(1947年)5月3日に施行されたものだけど、その約3カ月後の7月28日に、文部省(現在の文科省)が子どもたちに向けて『あたらしい憲法のはなし』という教科書を作り、全国の子どもたちに教え込んだ。この教科書は、その後、昭和47年(1972年)に改定されて発行され、今から約10年前の平成16年(2004年)に第38版が出版されている。

子どもたちにも分かる言葉や表現で、日本国憲法の要点を解説してるので、大人であるあたしが読んでみると、いろいろな発見や気づきがあった。だから、ぜひ紹介したいと思った。まず最初の「一 憲法」は、「前文」にあたるもので、この日本国憲法そのものについて説明されていて、次の一節から始まっている。


「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。」


この章では、憲法が「國でいちばん大事な規則」であること、そして、「これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。」と明記されている。そして、次のように書かれている。


「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。」


この章の最後には、ここに書かれているのと違った憲法解釈をしてはいけない、もしも解釈を変えるのなら、今回と同じように国民全員の意見を聞くために選挙をしなければならない、と明記されている。そして、続く「二 民主主義とは」にも、次のように書かれてる。


「國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。」

「しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。」


‥‥そんなワケで、ここまでの冒頭の一部を読んだだけでも、安倍政権が今回行なったことが完全に「憲法違反」だと、憲法学者でなくても、子どもだって分かるだろう。以下、続く章の中から、大切な部分だけを抜粋して行くので、サクッと読んでみてほしい。子ども用に作られたものだから、これなら小学生レベルの国語力しかないどこかの総理大臣でも、きっと理解できると思う。


三 國際平和主義
「世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。(日本は)この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。」


四 主権在民主義
「國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。」


続く「五 天皇陛下」では、天皇が「國の象徴」であると書かれている。そして、次の「六 戰爭の放棄」は、とても大切な章なので、ちょっと長いけど、全文を紹介する。


六 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。


‥‥そんなワケで、これが、子ども用の「平和憲法」だ。これを読めば、「集団的自衛権」どころか、自衛隊の保有だって完全に憲法違反だということが子どもでも分かるだろう。だけど日本政府は、他国が武力で日本を侵略して来た時のみ、日本の領土内で日本国民を守るために最低限の武力が必要だとして、「日本の領土外では武力の行使はしない」ということを条件にして、自衛隊を設立した。ストライクゾーンのアウトコース低めギリギリに決まったスライダーとも言えるけど、審判の10人に8~9人が「ボール!」と判定するであろう変化球だ。


「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」


こんなに素晴らしい憲法は、あたしは他にないと思う。これこそ日本が世界に誇れる憲法だと思うし、たとえ軍隊を持っても、その矛盾を世界から突っ込まれなかったのは、日本の自衛隊がPKOなどで海外派遣されても、決して武力を行使せずに、人道的支援に限った活動を根気強く続け来たタマモノだと思う。しかし、日本が「集団的自衛権」を行使するようになれば、国内的に「安倍政権の憲法違反」というだけの話では済まなくなる。日本を平和国家だと評価していた多くの国々や武力組織などから、日本もアメリカと同じ侵略国家だと見られるようになる。


‥‥そんなワケで、この先は、「七 基本的人権」、「八 國会」、「九 政党」、十 内閣」、「十一 司法」、「十二 財政」、「十三 地方自治」、「十四 改正」、「十五 最高法規」と続くんだけど、ぜんぶ取り上げてたら長くなりすぎちゃうので、今回の問題で一番重要な「十四 改正」を紹介して、終わりにしようと思う。全文を読んでみたい人は、最後に『あたらしい憲法のはなし』へのリンクを貼っておくので、アクセスしてほしいと思う今日この頃なのだ。


十四 改正
「改正」とは、憲法をかえることです。憲法は、まえにも申しましたように、國の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。
 そこでこんどの憲法では、憲法を改正するときは、國会だけできめずに、國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。
 まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。これを、憲法改正の「発議」というのです。それからこれを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになります。これを國民の「承認」といいます。國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。これを改正の「公布」といいます。あたらしい憲法は、國民がつくったもので、國民のものですから、これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。


『あたらしい憲法のはなし』(文部省)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html


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2015.09.06

キッコ昆虫記

数日前の深夜のこと、節電のために部屋の電気を消して真っ黒にして、テーブルの上のノートPCだけをつけて内職の原稿打ちをしてたら、あたしの左の耳に「ブーン!」という力強い羽音が聞こえ、次の瞬間、キーボードの上に数センチの黒っぽい楕円形の虫が着地した!てっきりアレだと思ったあたしは、悲鳴を飲み込みつつ反射的に立ち上がり、部屋の電気をつけ、棚の上のアースジェットを手にして、忍び足でノートPCの前に戻った。

そしたら、まだ逃げずにキーボードの上をモソモソと歩いてたのは、艶やかに光ったカナブンだった。立ち上がって電気をつけてアースジェットを持って戻ってくるまでの数秒間、あたしの脳みそはフル回転して、キーボードにアースジェットを噴射した場合の後始末のことまで考えてたので、この予想外の結末にホッとしすぎたあたしは、その場にヘナヘナと座り込んだ。そして、しばらくカナブンを観察したあと、ティッシュで包んでおトイレの小窓から外へ逃がした。

田舎での生活は虫との戦いだ。お風呂場の湿ったコンクリートの部分には高確率で大きなナメクジがいるし、外側の壁には頭が矢印みたいになった黒くて長いヤツがいる。ネットで調べたらクロコウガイビルと言うそうだ。そして、外に洗濯物を干してるとスズメバチやアシナガバチが襲ってくる。夜は網戸にモスラのような巨大な蛾がとまってたりする。ネットで調べたらヤママユガと言うそうだ。もちろん、お家の中にも出る。脚を広げると手のひらくらいある巨大なクモだ。他にも数えきれないほどの数と種類の虫たちが次々と襲ってくる今日この頃、ユパ様、ここは腐海なのですか?


‥‥そんなワケで、あたしは虫が全般的に苦手なんだけど、苦手な中でも特に気をつけてるのが「実害のある虫たち」だ。まず、何よりもスズメバチ、これは一度でも刺されたら大変なことになるし、一度でも刺されたら約10%の人はハチ毒に対する抗体ができてしまうので、二度目に刺されるとアナフィラキシーショックが起こり、最悪の場合は死んでしまう。

そして、次がムカデだ。これはタマにしか見かけないけど、どこから入り込んでくるのが、お家の中に出ることが多いし、刺されたら地獄の痛みだそうだし、これもスズメバチと同じで、二度目にはアナフィラキシーショックが起こるそうだ。だから我が家には、ムカデ専用の殺虫剤と薬だけでなく、スズメバチやムカデに刺された時に毒を吸い出すための「ポイズン・リムーバー」も常備してる。アマゾンの通販で買ったんだけど、1000円くらいだった。

スズメバチやムカデなど、刺されたら大変なことになる危険な虫と比べたら、ただ痒くなるだけの蚊や、見た目が気持ち悪いだけのナメクジなんて大したことないし、お家の中に出る巨大なクモは、ネットで調べたらアシダカグモと言って、ゴキブリを捕まえて食べてくれる益虫だということが分かったので、それからは見つけても外に逃がしたりせず、「ご苦労さん!」と声を掛けるだけにしてる。


‥‥そんなワケで、どんな種類の虫が出ても大騒ぎしてた以前のあたしと比べたら、最近はずいぶん鍛えられたと思うけど、それでも、ゴキブリには恐怖を感じるし、ナメクジやヒルや蛾は気持ち悪いし、スズメバチやムカデは恐くてたまらない。しばらく前のこと、夜中に部屋の隅で「カサカサ」と音がするから、思いっきりビビりながら電気をつけて見に行ったら、昼間のうちにどこからか侵入したのか、大きなスズメバチがひっくり返って、文字通り「虫の息」になってた。まだ完全には死んでなくて、時々、羽や脚を動かすので、それで「カサカサ」と音がしてたのだ。

それで、あたしは、台所に行って使用済みの割り箸を取ってきて、それでつまんで外に逃がそうと思った。スズメバチは恐いけど、死にかけててほとんど動かないなら話は別だ。あたしは、慎重に割り箸の先を近づけて、スズメバチの胴体の真ん中をシッカリとつまんだ、その瞬間!


「ビーーーーーッ!!」


スズメバチは、それまで「虫の息」だったとは思えないほどの全力で羽ばたき出した!あたしは卒倒しそうなほど驚き、焦り、ビビりまくり、絶対に離さないように割り箸にうんと力を入れて、一番近くの窓までダッシュして、窓を開けてスズメバチを割り箸ごと投げ捨てて窓を閉めた!もう、マジで死ぬかと思った!

よく、玄関の前とかでセミが裏返しになって死んでて、ホウキとチリトリで片づけようとした瞬間に「ビーーーーーッ!!」って暴れ出して、尻餅をつくほど驚かされることがあるけど、アレのスズメバチ・バージョンだ。セミの場合は驚かされるだけだけど、スズメバチの場合は刺されたら大変なことになるから、あたしはホントに生きた心地がしなかった。

スズメバチに関しては、1カ月くらい前に大変な目に遭ってるから、あたしは神経質すぎるくらい神経質になってるのだ。家の裏の木にヤブカラシが巻きついてて、タマに軍手をしてメリメリと引きちぎったりしてたんだけど、そのヤブカラシが、とうとう家の裏手の雨どいにまで蔓を伸ばしてきた。雨どいで集めた雨を下まで流すための縦のパイプに、ヤブカラシが巻きついてたのだ。

それで、あたしは、ハサミで根を切ってから、軍手をした両手で蔓を持ってメリメリと引き剥がしてたら、ものすごい羽音とともに、頭の真上からスズメバチが襲い掛かってきたのだ!どうやら、家の壁とパイプの間に巣を作ってたみたいで、あたしがヤブカラシを引っぱったことで、スズメバチの巣まで引き剥がしちゃったのだ!

ちゃんと数える余裕なんかなかったけど、少なくとも10匹以上のスズメバチに襲われたあたしは、悲鳴を上げながら両腕をブンブンと振り回して、全力疾走でお家に飛び込み、玄関のドアを閉めて、家中の窓を閉めてジッとしてた。そして翌日、ものすごく暑い日だったけど、あたしは長袖のブルゾンを着て、フルフェイスのヘルメットをかぶって、左手にアースジェット、右手に補虫網を持って、スズメバチの巣の様子を見に行った。そしたら、作り始めたばかりの小さな巣がヤブカラシと一緒に落ちてたので、取りあえずホッとした。


‥‥そんなワケで、スズメバチやムカデはマジで恐ろしい虫だけど、こうした直接的な被害がなくても、とっても迷惑な虫がいる。それが、家の中にまで入ってくる小さい蛾だ。ちゃんと網戸を閉めてるし、網戸に穴は開いてないし、網戸と戸の隙間も開いてないのに、いったいどこから侵入してるのか?居間のテーブルの真上の輪っかの形の蛍光灯を見上げると、そこに小さな蛾が飛んでる。飛んでない日もあるけど、2匹とか3匹とか飛んでる日もある。

蛾そのものは、人間を刺したりするワケじゃないから、スズメバチやムカデのように直接的な被害はないけど、毎日の食事をするテーブルの真上を飛び回ってると、ナニゲに鱗粉が降ってきて食べ物に入りそうで気分が悪い。それでも、母さんと夕食を食べる時には、前もって外に追い出してるからいいんだけど、問題なのはあたしが晩酌してる時だ。

夜、遅くなり、母さんが部屋へ行って寝床に入り、あたしが居間のテーブルで晩酌を始めると、また蛍光灯のまわりを蛾が飛んでるのだ。だけど、これからバタバタと動き回って蛾を外に出すのは大変だから、「ま、いっか」ってことで、そのまま晩酌を続けることになる。テーブルの上のノートPCからは、延長したナイター中継や観ようと思ってたアニメや映画が流れてる。

1本目の「のどごし生」を飲み終えたあたしは、空き缶とグラスを持ってお台所へ行き、グラスを洗って氷を入れ、冷蔵庫から宝酒造の缶チューハイ「焼酎ハイボール」のシークァーサーを取り出してテーブルへ戻り、大きなグラスになみなみと注ぐ。そして、ポーズで止めておいたアニメや映画の続きを観ようと思ったんだけど、佳境のシーンでおトイレに行きたくなると嫌だから、今のうちに済ませておこうと思い、急いでおトイレに行く。

そして、ポーズを解除して、「さあ、続きを観ながら飲むぞ!」と思った瞬間、口に近づけたグラスをナニゲに見ると、なみなみと注がれた缶チューハイの水面に、何か変なものが浮かんでる。よく見ると、さっきまで頭上の蛍光灯のまわりを飛んでた蛾だ!

百歩ゆずって、3分の2以上を飲んだあとならともかく、なみなみと注いで、まだひと口も飲んでないのに、もう最悪!!蚊とかなら、浮いてる蚊を取り出してから飲めるけど、蛾は鱗粉が広がってそうで気持ち悪くて飲めないじゃん!ぜんぶ捨てるしかないじゃん!つーか、グラスの面積はテーブルの面積の何百分の1とかなのに、なんでわざわざそこに落ちるんだよ!あ゛――――――――っ!!

あたしは、この夏、これと同じことを2回も経験した。そして、晩酌をする時は、必ず飲み物にフタをすることにした。テーブルを離れてお台所やおトイレに行く時だけでなく、アニメや映画に夢中になって画面に食い入ってる時にも、パッとフタをするクセがついた。これで、もう、蛾の被害は受けなくなったけど、あたしが不思議に思ったのは、蛾が飛び込んだのが2回とも「焼酎ハイボール」のシークァーサーだったということだ。毎晩、飲むお酒の種類は違うのに、どうして「焼酎ハイボール」のシークァーサーの時ばかり、蛾が飛び込むんだろう。


‥‥そんなワケで、せっかくだからネットで調べてみたら、面白いことが分かった。蛾の中には口がなくて、幼虫の時に蓄えた栄養だけで生涯を過ごす種類もいるけど、蛾でも種類によっては口があって、蝶のように花の蜜や樹液などを吸って生きてる種類もいるそうだ。だから、家に侵入してきた蛾がこの種類だったとしたら、蛍光灯に当たって落下した場所が偶然にグラスだったのではなく、シークァーサーの香りに誘われて飛び込んでしまったということも考えられる。もちろん、たった2例だけで判断することはできないけど、他の種類のお酒には一度も飛び込んだことがないのに、「焼酎ハイボール」のシークァーサーにだけ2回も飛び込むなんて、柑橘系の香りに誘われてしまったか、もしくは蛾の世界で「集団的自衛権」が発令されたのか、どちらにしても1つしかない大切な命を無駄にしてしまったのだと思った今日この頃なのだ。


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