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2015.11.24

アメリカもロシアもフランスもイギリスもみんなテロ国家

11月12日、レバノンの首都ベイルート南部のイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」の拠点地区の市場通りで、イスラム系過激派組織「ISIL」による複数の自爆攻撃が起こり、少なくとも41人が死亡、200人以上が負傷した。負傷者の多くは腕や脚が吹き飛ばされるような重傷だった。あたしは現地メディアの第一報からツイートし続けたけど、日本人の多くは完全に「対岸の火事」で、これまでの中東やアフリカのテロをツイートした時と同じく「ふ~ん」って感じだった。

でも、翌日の13日にフランスのパリでテロが起こると、日本の雰囲気は一気に変わった。「フランスのパリでテロが起こった!」「何の罪もないフランス人がテロの犠牲になった!」と、欧米のメディアだけでなく日本のメディアも上を下への大騒ぎ。ツイッターでも、ふだんは海外のテロなんてぜんぜん興味を示していなかったアニメやゲームのアイコンの人たちまで、にわかジャーナリスト気取りで事実もガセもイッショクタに発信し始めて、「テロは許せない!」とか言い出した。

日本で東日本大震災が起こり、福島第1原発事故が起こり、数えきれないほどの日本国民が苦しみ続けてる今、これと同時期に内戦が本格的になり、多くの子どもや女性が命の危機に晒されてるシリアに対して、月に2000円とか3000円とか、ホントに恥ずかしい金額だけど、1人でも多くのシリアの子どもたちを救うためにギリギリの生活費の中からカンパを続けて来たあたし的には、言いたいことは山ほどあるけど、それを上手に言葉にはできない。ただ、これだけは言っておきたい。安倍政権、オバマ政権、プーチン政権、オランド政権、キャメロン政権、あたしはこのクズどもに対して、「お前らテロを政治利用すんな!」とクギを刺しておきたいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、11月13日のパリのテロでは少なくとも130人の市民が犠牲になり、日本を含めた欧米メディアは異常なほど大きく報じた。たけど、2011年3月にシリアの内戦が本格的になってから、今年10月までの4年7カ月でシリアの人たちは少なくとも25万人、別の試算では約30万人が殺害されてるんだよ。4年7カ月で25万人、平均したら毎日150人が殺されてるんだよ。

それも、英国のNGO「シリア人権監視団」によれば、殺害されたうちの35~45%が一般市民だという。これまでに殺害された25万人のうち、少なくとも10万人以上が子どもや女性やお年寄りを中心とした一般市民だという。こんなにも許されない虐殺が4年半以上も放置されて来たのに、フランス人が殺されたトタンに大騒ぎですか?シリア人とフランス人って、そんなに命の重さが違うんですか?

さらに言えば、アフリカのナイジェリアを中心として殺戮の限りを尽くしてるイスラム系過激派「ボコ・ハラム」は、人数だけで言えば「ISIL」の何倍も殺してる。村を襲撃して何十人と皆殺し、街を襲撃して何百人と皆殺し、少女を使った自爆テロを繰り返して多くのバスターミナルや市場で何百人と殺害し、この数カ月だけでも数千人も殺害してる。でも日本では完全に「対岸の火事」だ。


‥‥そんなワケで、今回のパリのテロを受けて、フランス政府は頭に血が上ってシリアへの空爆を始めたけど、「シリアへの空爆」って、イコール「ISILのテロリストへの攻撃」じゃないよね?たとえば、A高校の不良グループにカツアゲされたB高校の不良グループが、仕返しとしてA高校に爆弾を仕掛けるみたいな話で、今回のテロ事件とはぜんぜん関係ないA高校のマジメな学生たちも、みんな一緒に殺される。これが今回のフランスによる「報復の空爆」という暴力の実体だ。

しばらく前に、米軍がアフガニスタンの「国境なき医師団」の病院を誤爆して、数えきれないほどの医師と患者を殺害した事件は耳に新しいと思うけど、こんなふうに、ちゃんと作戦に基づいた通常の空爆だって多くの一般市民を巻き添えにしてる。それを、頭に血が上った一国のリーダーが、一時的に異常な状態になった民意に後押しされて強行しちゃうんだから、とても「冷静な軍事行動」とは言えないだろう。こんなバカげた茶番の裏で、いったいどれほどの一般市民が巻き添えになっているのか‥‥。

たとえば、ISILに旅客機を落とされてブチ切れたプーチンがシリアへの空爆と巡航ミサイルによる攻撃を加熱させたけど、「シリア人権監視団」の調査・報告によれば、ロシア軍がシリアでの空爆を始めた9月30日から11月20日までに、ロシア軍の攻撃で殺害された人数は、把握されているだけで1331人で、この内わけは、ISILのメンバーが381人、アルカイダ系の反体制派が547人、戦闘とは無関係の子どもや女性などのシリア市民が403人とカウントされてる。ロシア軍の攻撃は、確かにISILにも効果を及ぼしてるけど、それ以上に一般市民を殺害してるのだ。


‥‥そんなワケで、あたしは、百歩ゆずって、テロリストだけをピンポイントで殺害し、一般市民には一切危害を加えないというのなら、空爆でも巡航ミサイルでも好きなだけやればいいと思ってる。でも、これまでの状況を見る限り、空爆で100人を殺せば、そのうちの少なくとも30人から40人は一般市民なのだ。特に学校を標的としたシリアのアサド政権によるタル爆弾や、ガザ地区の病院や公園を標的としたイスラエルのネタニヤフ政権による空爆では、殺害された人たちの大半が子どもを中心とした一般市民なのだ。

こんなメチャクチャな人殺しを繰り返すネタニヤフはとてもマトモとは思えないし、こんな殺人鬼を支持する安倍晋三もマトモじゃない。実際、安倍晋三が米軍やトルコ軍によるシリアへの空爆を「全面的に支持する」と宣言した2013年9月から、ISILは日本人のこともターゲットとして狙うようになり、翌年、湯川さんと後藤さんはISILに拘束されて殺害された。

ま、ロシアの場合は、一応はシリアのアサド政権からの発注を受けてシリア国内を空爆してるんだからギリギリ筋は通ってる。でも、米軍やフランス軍や英軍に関しては完全に国際法に違反してる。米軍は必死になって「国連憲章51条」を根拠にしてるけど、こんなもん安倍晋三の自衛隊の海外派遣とおんなじで、小学生から見たって違法であることは一目瞭然、結論ありきの「法律のねじ曲げ」でしかない。

9.11の同時多発テロで世界貿易センタービルを破壊されたアメリカが、頭に血が上ってトンチンカンな戦争を始めて何の罪もない人たちを大量虐殺したことも、ある意味では理解できる。今回のパリの同時多発テロを受けたフランス政府が、国際法も無視してアトサキも考えずにシリアを空爆して何の罪もない人たちを大量虐殺したことも、ある意味では理解できる。でも、あたしたち日本人は、原爆を2発も食らい、徹底的な空爆を食らい、沖縄で地上戦まで食らった敗戦国だ。アメリカやフランスと同じスタンスは許されない。

あたしたち日本人は、世界で唯一の「被爆反戦国」として、それでも平和憲法を柱として戦後復興した国として、世界に対して、日本にしかできない平和へのアピールを続けて行く義務があるんじゃないのか!「戦争だけは二度と起こさない!」「戦争だけは永久に封印する!」「核だけは絶対に使ってはいけない!」、こうしたメッセージを当事者として出し続けることができるのは、世界で日本だけなんじゃないのか!

アメリカにはアメリカの歴史がある。フランスにはフランスの歴史がある。だから、日本人であるあたしたちが他国のやり方に口を出すことはできない。そして、日本も日本ならではの「被爆敗戦国」という変えることのできない歴史を持っているのだから、あたしたち日本人は、日本人にしかできない平和のメッセージを堂々と発信して行くべきなんじゃないのか!


「憎しみの連鎖を断ち切らなければ、すべての民族は人類としての新しい一歩を踏み出すことはできない」と!


アメリカの子分になって、アメリカの戦闘機に爆弾や銃弾や燃料を提供し続けることが、果たして「平和への道」なのだろうか?あたしには「無差別殺人の手伝い」であり「戦争ビジネスの下請け」にしか見えない。ベトナムに枯葉剤を撒いて多くの人たちを殺した米軍機は、その大半が沖縄から飛び立っていった。辺野古で新基地反対の座り込みを続ける沖縄のオジィやオバァは口をそろえて言う。「二度と沖縄を『加害者の島』にしたくねえ」と。

一時的な世論に煽られた欧米社会の「対テロ」作戦がどのようにへ進もうとも、日本は欧米とは一線を画し、常に「武力的な派兵は絶対に行なわない」「人道的支援は国連を通したものだけに限定する」というスタンスを貫き、国の壁も、人種の壁も、民族の壁も、宗教の壁も超えて、平和のメッセージを発信して行かなくてはならないのだ。これこそが日本の独自の役割りであり、泥沼化し続けるキナ臭い世界情勢にブレーキを掛けられる唯一の方法ではないのか。


‥‥そんなワケで、あたしは、テロを擁護する気なんて1ピコグラムもない。でも、テロなんて絶対に許せないと思う一方で、アメリカやロシアやフランスやイギリスなどの軍事大国によるテロがナニゲに正当化されてる現状にも激しくムカついてる。相手が卑劣なテロリストだからこそ、こっちはキチンと国連の決議を経て、国際社会の法に則ってキチンと対処すべきだと思う。ましてや、今回のテロを「渡りに船」とばかりに、「共謀罪」などの自国のトンデモ法を強行するために利用するような最低最悪のクソ政権などは、今すぐに民意によって退陣させるべきだと思う今日この頃なのだ。


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2015.11.20

「いろはにほへと」と「火消し」の話

「プエルトリコ」は「プエルト・リコ」だと知ってるのに、口にするたびに脳内で「プエル・トリコ」になっちゃう。これとおんなじで「いろはにほへと」も、口にする時には脳内で「いろはに・ほへと」になっちゃう。これは「色は匂へど」なんだから、正しくは「いろは・にほへと」と切らなきゃならない。だけど、「いろはに」の「に」が現代語的には助詞っぽく感じられちゃうので、ついつい脳内で「いろはに・ほへと」になっちゃうのだ。

それにしても、ひらがな(旧仮名)47文字を、同じ文字が重ならないように1文字ずつ使い、ちゃんと文章が成立してる「いろは歌」は、ホントに素晴らしい作品だと思う。


「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」


意味が分かりやすいように漢字と濁点を入れると、次のようになる。


「色は匂へど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」


これは、ただ単に無理やりに文章にしただけじゃなくて、大乗仏教に基づいた深い意味がある。「色は匂へど散りぬるを」とは「花(梅)」のことで、「良い香りのする梅の花もいつかは散ってしまう」という意味になり、これが転じて「貴族でも庶民でも、どんな人でもいつかは消えてしまう」ということを暗示してる。これは、続く「我が世たれぞ常ならむ」が「私の人生も永遠ではない」という意味から推察できる。

「有為」とは仏教語で「いろいろな因縁によって起こる世の中のすべての現象」のことで、「有為の奥山」とは「山あり谷ありの世の中」を喩えた表現だ。だから「世の中という苦しい山道を私は今日も進んで行く」という感じになる。そして、「浅き夢見じ酔ひもせず」は「浅はかな夢など見ずに、酔ったりもせずに」‥‥ってなワケで、ザックリと言えば、「無常の世の中に生まれてきた私たちは、誰しもがいつかは必ず死んでしまうのだから、この世だけの物欲に浅はかな夢を馳せたり、その場かぎりの幸せに酔ったりせずに、自分の煩悩を克服して生きて行かなければならない」的な、けっこうヘビーな内容だったりする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「いろは歌」は47文字だけど、一般的には、この47文字に「ん」をプラスして「いろは48文字」って言われてる。江戸時代には、この「48」が「縁起の良い数字」と言われ、相撲の「四十八手」のように使われ始めた。三重県の赤目町を流れる滝川の渓谷には大小たくさんの滝があるので、実際には「48」じゃないけど「赤目四十八滝」と呼ばれてるし、全国には多くの「四十八滝」がある。

他にも、有名な「セックスの体位の四十八手」から「AKB48」に至るまで、世の中にはいろんな「48」があるけど、江戸時代に作られた「48」の中で庶民の生活に密着してたのが、江戸の町火消(まちびけし)の「いろは四十八組」だ。これは「四十八滝」と違って、「い組」「ろ組」「は組」ってふうに、ちゃんと「四十八組」が存在してたけど、48のひらがなのうち、「へ」と「ら」と「へ」と「ん」は無かった。

「へ」は「屁」に通じてしまうからアウト!「ら」は「螺旋」の「螺」に通じ、これは螺旋状の巻貝に通じ、巻貝は「女性器」の比喩として使われていたからアウト!「ひ」は「火」に通じてしまうからアウト!そして、あとは「ん」、これは単に「ん組」じゃ語呂が悪いからアウト!‥‥ってなワケで、「へ組」は「百組」に、「ら組」は「千組」に、「ひ組」は「万組」に、「ん組」は「本組」に、それぞれ変更された。


‥‥そんなワケで、「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉があるように、木と紙でできた家が密集してた江戸では火事が多く、一度出火すると被害が大きかった。そのため、もともと江戸には「火事が起きた時には現場の風上と左右の二町から三十人ずつの火消人足を出す」という決まりがあった。だけど火事はどこで起こるか分からないし、普段はそれぞれ別の仕事をしてる庶民たちだから、突然の火事にはなかなか対応できない。今みたく消火器なんかないし、現場に駆け付けても何をすればいいのか分からずに混乱してしまう。

そこで、当時の江戸の町奉行、時代劇の「大岡越前」としてもオナジミの大岡忠相(おおおか ただすけ)が、享保3年(1718年)に「町火消」を作り、2年後の享保5年(1720年)までに「いろは四十八組」という本格的な町火消の制度を完成させた。 これら48の組は、バラバラに存在してるワケじゃなくて、たとえば「い組」「よ組」「は組」「に組」「万組」の5組は「一番組」、「ろ組」「せ組」「も組」「め組」「す組」「百組」「千組」の7組は「二番組」というように、きちんと組織されてた。

それぞれの組は、少ない組で50人以上、多い組で700人以上の人足がいて、隅田川の西側に組織されていた。そして、この「いろは四十八組」だけでなく、隅田川の東側には「本所・深川十六組」という町火消しが組織された。これらはすべて町人による「町火消」で、他にも武士による「武家火消」があった。こちらは、旗本による「定(じょう)火消」と大名による「大名火消」に分けられていて、全部で3系統の消防組織があった。

町火消は、それぞれの組にリーダーの「頭取(とうどり)」がいて、その下に「小頭(こがしら)」がいた。あとは「い組」とか「ろ組」とか書かれた纏(まとい)を持つ「纏持ち」、梯子を持つ「梯子持ち」、鳶口(とびぐち)を持つ「平人(ひらびと)」、そして「土手組」と呼ばれる人足たちで組織されていた。火事場へ駆けつける時に先頭に立つ頭取は、ひときわ立派な兜頭巾(かぶとずきん)をかぶり、組の名前と印が織り込まれた火事羽織、下は野袴(のばかま)といったイデタチだ。

だけど、これが大変だった。ただでさえ分厚くて重たい火消装束なのに、水をかぶると総重量は10貫目(約37.5kg)になったという。ちょっと細めの女性を背負っているようなものだ。これで1分1秒でも早く火事場に駆けつけなきゃならないんだから、「絶対に他の組よりも先に駆けつける」という負けん気がなければ勤まらない。そして、一番最初に火事場に到着した組は「一番纏」を揚げるワケだけど、この纏も1本が4~5貫目(約15~20kg)もあったから、これまた大変だった。纏は、ただ高く揚げるだけじゃなくて、クルクルと回したりしなきゃならないから、相当な力が必要だったと思う。だけど、当時の江戸の火消は、どんな職業よりもイキでイナセで、中でも「纏持ち」は火消の花形だったから、一気に屋根へと駆け上がって一番纏を揚げたのだ。

当時は、今みたく水や消化剤をかけて火を消すんじゃなくて、燃えてる家や周囲の家を壊して延焼を防ぐことがメインだった。つまり、長い棒の先に鳶(とび)のクチバシ状の鉤(かぎ)がついた「鳶口」で、家の塀や壁などを引き倒して、火が他の家に燃え広がらないようにしてたのだ。そして、この作業の境界線を示すのが纏だった。纏の揚がってる家の手前までが「壊す家」ということで、鳶口を持った平人たちや、それを手伝う土手組たちは、この纏を目印にして作業を行なった。


‥‥そんなワケで、江戸時代には花形の職業だった町火消だけど、現代の消防士さんは特に花形ってワケじゃない。もちろん、危険と隣り合わせで人の命を救う立派な職業だけど、江戸時代の町火消ほどの人気はない。だ一方、アメリカの消防士さん、ファイアマンたちは今も花形で、現役のファイアマンたちがマッチョな肉体を晒したヌードカレンダーが、女性たちに大人気だという。そして、アメリカのメジャーリーグの「ファイアマン」も、日本のプロ野球の「火消し」も、おんなじように人気がある。

先発や中継ぎのピッチャーが打たれまくって、ピンチを迎えた時にマウンドに送られるリリーフが、通称「火消し」、メジャーリーグなら「ファイアマン」だ。ようするに、まだ逆転されてない小火(ぼや)の状態に登場して、大火事になる前に火を消す役目のピッチャーってことだ。

昨日19日のプレミア12の韓国との準決勝なら、先発の大谷翔平が7回まで0封の好投をして、中継ぎの則本昂大も8回を抑えたんだけど、日本中の誰もが9回はクロ―ザーの増井浩俊か松井裕樹を使ってサクッと終わらせると思ったのもトコノマ、小久保監督は何故だか則本昂大を続投させた。そしたら3連打を食らって1点を返され、さらにノーアウト満塁の大ピンチ。ここでようやく松井裕樹を投入したんだけど、これが「火消し」ってワケだ。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って五七五で嘆いちゃうけど、松井裕樹はフォアボールで押し出しの1点をプレゼントしちゃって、とうとう1点差でノーアウト満塁という崖っぷち状態になっちゃった。つまり、「火消し」が火を消せなかったどころか延焼させちゃったワケで、すぐに2人目の「火消し」として増井浩俊が火事場に駆けつけたんだけど、これまた火が消せなくて、イデホに逆転タイムリーを食らっちゃった。

結局、最後の望みの綱だった9回裏に得点できず、日本チームは準決勝でマサカの敗退‥‥ってワケで、松井裕樹にしても増井浩俊にしても、火を消すことができてこその「火消し」なんだから、この場合は「火消し」と呼ぶのが妥当かどうか考えちゃうけど、少なくとも2人が登板した場面は「火消し」を必要とする場面だったワケだ。


‥‥そんなワケで、現代でも、お正月に各地で行なわれる「出初式(でぞめしき)」で、昔ながらの「火消し」の姿を見ることができるけど、やってるのは消防署の消防士さんなどで、ふだんは「火消し」とは呼ばれていない。実際の火事を消してくれるのも消防士さんたちで、今では「火消し」とは呼ばなくなった。だけど、プロ野球のマウンドだけでなく、不祥事を起こした政治家や企業、ブログやSNSで不適切な発言をしちゃった芸能人や有名人など、現代でも「火消し」に追われてる人たちは多い。味わいのある「いろはにほへと」が、味もソッケもない「あいうえお」に変わってしまった今、江戸の花形だった「火消し」が活躍する場も、実際の火事の現場ではなくなっちゃった今日この頃なのだ。


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2015.11.11

新語・流行語大賞から見るアベ政治

今年もユーキャンの「新語・流行語大賞」のノミネート50語が発表された。それで、去年もおととしも全体の半分くらいの言葉を見たことも聞いたこともなかったあたしだけど、今年は意外にも大半の言葉が良く知ってるものだった。それは、政治がらみ、安倍独裁政権がらみの言葉が多かったからだ。

 

だけど、テレビのない生活をしてるあたしは、基本的にビジュアル面が弱い。特にお笑い関係は基本的に興味がなくて、ネットの無料配信番組とかもまったく観ないので、過去のスギちゃんや日本エレキテル連合のように「名前は聞いたことがあっても顔を知らない」「ギャグのフレーズだけは耳にしたことがあるけど実際の映像は観たことがない」というパターンが多い。

 

テレビのある生活をしてた時には、ひとり暮らしだったこともあり、お仕事から帰ってくると、すぐにテレビをつけた。観たい番組があるからテレビをつけるんじゃなくて、さみしいからテレビをつける。寝るまでテレビをつけっ放しで、朝起きたら、またテレビをつける。特に画面を観るワケでもなく、PCでメールチェックしたり、お化粧したり、朝ごはんを食べたりしながら、音声だけを聴いてて、気になる内容の時だけ画面を観る。こんな生活を続けてた。

 

だから、あたしの興味のある情報も興味のない情報も、必要な情報も必要ない情報も、すべてがイッショクタになって流れ込んできてた。ま、テレビから入ってくる情報なんて、9割以上が不必要なものだけど、とにかくずっとつけっ放しにしてたから、朝のワイドショーに並んでる各局のパーソナリティーやアナウンサーの顔と名前もぜんぶ知ってたし、夜のバラエティー番組のヒナ段に並んでるお笑い芸人の顔と名前もぜんぶ知ってた。

 

でも、かれこれ4年以上もテレビのない生活を続けてきたあたしは、完全に浦島太郎状態になった。こないだ、GyaOの見逃し配信で現在放送中のバラエティー番組を観てみたら、ヒナ段に並んでるお笑い芸人やハーフのモデルみたいな女の子たちが、1人も分からなかった。誰ひとりとして顔を見たことがなくて、名前も知らなかった。唯一、昔から知ってるMCの大物お笑い芸人しか分からなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、テレビを観なくなった今のあたしの情報源は主にインターネットとラジオだけど、これまで4年間の生活で分かったことは、テレビのある生活だと自分にとって興味のない情報や不必要な情報も大量に流れ込んできちゃうけど、テレビのないネット中心の生活だと自分にとって興味のある情報、必要な情報だけが入ってくるようになる、つまり、「テレビは受動的、ネットは能動的」ということだ。「そんなこと言われなくても分かってるよ!」って言われちゃうかもしれないけど、あたしの場合、それを実感したってワケだ。

 

たとえば、今年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた50語の中の「ラッスンゴレライ」と「あったかいんだからぁ」と「安心して下さい、穿いてますよ。」、3つともあたしは認知してるけど、実際の映像は一度も観たことがないし、顔も分からない。「ラッスンゴレライ」はブルースブラザーズを赤くしたみたいなファッションの8点なんとかバズーカ―というコンビのギャグだということは知ってるけど、ネットの芸能ニュースで写真を見たことがあるだけだ。「あったかいんだからぁ」はクマムシというコンビのギャグで、ラジオで歌を聴いたことがあるけど、顔は見たことがない。「安心して下さい、穿いてますよ。」は、明るいなんとかというピン芸人のギャグで、パンツ1枚でやるということは何となく知ってるけど、一度も観たことがない。

 

テレビのない生活をしてても、お笑いが好きな人なら、ネットの無料配信や見逃し配信、動画サイトなどでいくらでも観られるから、これらのギャグは何度も観てるだろう。でも、あたしは興味がないから、自分から進んで観ることはない。もしもまだテレビのある生活を続けてたとしたら、あたしの興味うんぬんに関係なく、つけっ放しのテレビから何度も何度も流れてきて、あたしも受動的に観てたと思うけど、今のあたしは自分の興味のあるものだけを能動的に観てる。かっこ良く言えば「情報の断捨離」って感じで、興味のないものは観ることがない。

 

 

‥‥そんなワケで、あたしはスポーツだとF1が一番好きだったんだけど、今のレギュレーションになってから一気につまらなくなったので、今はほとんど観なくなった。それでも、タマには海外のスポーツ専門サイトのストリーミング配信を観たり、インディとかも観るけど、今はプロ野球と競馬にしか興味がない。だから、プロ野球のシーズン中は、大好きな日ハムの試合を中心にラジオとネットで観戦してるけど、他のスポーツはまったく観戦しない。

 

好きなプロ野球なら、全チームの1軍の選手をすべて知ってるし、監督もコーチも分かるけど、興味のないサッカーは、日本にどんなチームがあるのか知らないし、選手なんてまったく分からない。ワールドカップとかも観ないので、日本の代表選手も知らない。なでしこジャパンも選手とかは分からない。サスガに澤穂希選手くらいは認識してるけど、試合を観たことは一度もない。

 

サッカーでもこんな具合だから、ラグビーに至っては完全に何も分からない。日本代表チームが強豪の南アフリカに勝ったということは知ってるけど、もちろん試合は観てないし、それ以前に、何人でやるスポーツなのかも知らない。何しろ、数日前まで「五郎丸」って下の名前だと思ってたほどだ。何日か前に「五郎丸 歩」というフルネームを知り、「五郎丸って苗字だったんだ!」と驚いたくらいで、未だに顔は見たことがない。

 

今年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた「五郎丸ポーズ」や「ルーティン」が、五郎丸選手がボールを蹴る時にやる「西川のりおのツクツクボーシみたいなポーズ」のことだということはラジオなどからの情報で知ってるけど、もちろん観たことは一度もない。これも、お笑い芸人のギャグと同じで、もしもあたしがテレビのある生活を続けていたとしたら、あたしの興味うんぬんに関係なく、何度も何度も観てたと思う。

 

 

‥‥そんなワケで、テレビのない生活、情報を能動的に得るネット中心の生活では、当然のことながら、得られる情報は自分の好きなもの、興味のあるもの、必要なものに特化される。たとえばアニメ、あたしは「なんでもかんでもカタッパシから観るアニメファン」じゃないから、好きなアニメ数本だけしか観ていない。好きなアニメに関しては長文が書けるほど語れるけど、それ以外のアニメはまったく観てないし、存在すら知らないものも多い。

 

今年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた「ラブライバー」にしても、これが「ラブライブ!」の熱狂的なファンのことだということだけは知ってたけど、もともとの「ラブライブ!」自体を、あたしはずっと「ラブプラス」の後継の恋愛シミュレーションゲームのことだと思い込んでた。これは最初にネットで「ラブライブ!」という文字と美少女がたくさんいるイラストみたいなのをチラッと観た瞬間に思い込んだことで、「ラブライブ!」がアニメだったと知ったのは最近のことだ。

 

AKB48などのアイドルグループは、メンバーの顔も名前も1人も知らないし、ジャニーズのグループに至っては、メンバーどころかグループ名も知らないものが多い。グループ名だけは聞いたことがある「キスマイフットツー」にしても、正式な表記は分からないし、メンバーは1人も知らないし、それ以前に何人編成なのかも分からない。これはラグビーが何人でやるスポーツなのか知らないのと同じだ。

 

これだけ聞くと、あたしって完全に世の中から取り残されてるガラパゴス女みたいに見えるかもしれないけど、自分の好きな日本ハムファイターズに関してなら、2軍の選手まで全員知ってるし、各選手の細かい成績まで知ってる。ほとんど観なくなったF1ですら、大好きなミキ・ライコネン選手の成績だけは常に把握してる。これらはすべて趣味の世界のことなんだから、自分の好きなジャンルのことだけ知っていれば、それ以外のことをまったく知らなくても、生活していく上では何も問題ない。つーか、余計な情報をシャットアウトしてるぶん、自分の好きなジャンルをより深く楽しむことができる。

 

 

‥‥そんなワケで、クルリンパと冒頭に戻るけど、今年の「新語・流行語大賞」のノミネートは、政治がらみ、安倍独裁政権がらみの言葉が多かった。ノミネート50語の中から抜き出してみると、「1億総活躍社会」「戦争法案」「白紙撤回」「存立危機事態」「駆けつけ警護」「粛々と」「切れ目のない対応」「国民の理解が深まっていない」「レッテル貼り」「早く質問しろよ」「テロに屈しない」「自民党、感じ悪いよね」「アベ政治を許さない」「I AM KENJI」「I am not ABE」「シールズ(SEALDs)」「とりま、廃案」「マイナンバー」「大阪都構想」「下流老人」などなど、安倍政権に関する言葉、特に「批判的な言葉」が目立つ。

 

さらには、「爆買い」や「インバウンド」も元はと言えば経済政策から発生した言葉だし、「エンブレム」や「上級国民」なども安倍政権の東京五輪政策の失態から発生した言葉なんだから、広義でとらえると50語のうち24語、ほぼ半数が政治がらみ、安倍政権がらみということになる。そして、これらの言葉は、「ラッスンゴレライ」や「五郎丸ポーズ」や「ラブライバー」のように「知らなくても生活していく上で何の問題もない言葉」じゃない。「知らないと自分の生活に大きな影響がある言葉」なのだ。

 

 

‥‥そんなワケで、来年の夏の参院選から選挙年齢が18歳に引き下げられるのに、「上級国民とか戦争法案って何のこと?」「I AM KENJIって誰なの?」「下流老人って意味わかんな~い!」なんて言ってたら、若い人たちは自分自身が、子どものいる人たちは自分の大切な子どもが、近い将来、安倍独裁政権が一部の「上級国民」のために、民意と憲法を無視して強行採決した「戦争法案」によって、「I AM KENJI」のように命を奪われるか、生き延びたとしても「下流老人」として晩年を暮していくしかなくなると思う今日この頃、皆さん、絶対に選挙に行って安倍独裁政権の魔の手から子どもたちの未来を守りましょう!

 

 

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