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2016.01.21

プラネット・ナイン

アメリカのカリフォルニア工科大学の天文学者の研究チームが20日、「太陽系の最も外側を回る9番目の巨大惑星が存在する兆候を発見した」と発表した。アメリカの天文学会の専門誌「アストロノミカル・ジャーナル」に論文が掲載されたそうで、あたしは日本とアメリカのニュース記事しか読んでないんだけど、それによると、「プラネット・ナイン」という通称で呼んでいるこの惑星は、地球の約10倍の質量を持っているという。太陽系の一番外側の惑星である海王星は、太陽から約45億kmの位置を公転してるけど、この「プラネット・ナイン」は、さらに20倍も遠い位置を、非常に細長くて異様な楕円形の軌道で公転しているという。

太陽系って、英語だと「ソーラー・システム」なので、なんか「太陽光発電」のことみたいでネーミング的にカッコ悪いけど、この「プラネット・ナイン」はカッコイイよね。日本語の「第9惑星」もそれなりにカッコイイけど、あたし的には、ちょっと複雑だ。だって、あたしが子どものころに学校で習った時には、「水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星」と9つの惑星があって、これを「すいきんちかもく、どってんかいめい」って暗記させられたからだ。

それなのに、2006年の国際天文学連合の総会で、一番外側の冥王星が「惑星にしちゃあ小さい」ってことで、惑星とは認められなくなっちゃったのだ。もう少し詳しく説明すると、2005年に冥王星よりも大きい「エリス」という天体が発見されて、他にもけっこう大きい「ケレス」と「カロン」も発見されてたので、この3つを太陽系の惑星に認定するかどうかが議題だった。

結局、この3つは惑星の定義を満たしていないという意見が多くて認定されなかったんだけど、ここで「エリスが惑星に認定されないなら、エリスよりも小さい冥王星も惑星じゃないじゃん」的な流れになり、冥王星は、言わば巻き添えみたいな感じで惑星から外されちゃったのだ。そして、これらの「惑星になりそこねた天体」は、この時に新設された「準惑星」っていうカテゴリーに入れられたのだ。

新しく発見されたエリス、ケレス、カロンが「準惑星」になったのはいいとしても、それまで「惑星」だった冥王星までもが巻き添えで「準惑星」に格下げされちゃうなんて、なんか、去年のシーズン後半に打撃不振で2軍落ちした日本ハムの西川遥輝選手みたいで、ちょっと残念な気持ちになる。つまり、今回の「プラネット・ナイン」の登場は、あたしが子どものころからずっと1軍で9番を打ってた冥王星が、その座を取り上げられ、そこに別の天体が居座ろうとしてる感じがしちゃうのだ。

子どものころに「いい国つくろう鎌倉幕府」って暗記させられて、ずっと「1192年」だと信じて生きて来たのに、大人になってから「実は1185年でした」なんて言われると、ナニゲにドンヨリした気分になる。子どものころからずっと1月15日だった「成人の日」や10月10日だった「体育の日」が、「第2月曜日」とかに変わり、毎年毎年、日付が違うようになると、どうしてもモヤ~ッとした気分になる。子どものころに「恐竜図鑑」を観て、灰色や深緑色のゴツゴツした皮膚のいろんな恐竜がホントにいたんだと思ってたのに、今になって「恐竜は鳥類の祖先で、身体はカラフルな羽毛に覆われていた」なんて言われると、やっぱり「おいおい!」って気分になっちゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、人類の科学力なんて、まだまだ発展途上で、未来のことが分からないのは当然として、過去のことだって分からないことだらけだし、宇宙のことだって分からないことだらけだ。太陽系なんて、宇宙全体から見たら「自分の住んでる家のある町内」みたいなものなのに、その町内にも知らないことや分からないことがマウンテンだ。それどころか、人類は未だに隣りの惑星である火星にも行ったことがない。これは「自宅の門を出て隣りの家に行ったことがない」って感じで、人類が行ったことがあるのは、まだ、自宅の庭の離れにある「月」だけなのだ。

あたしたちがよく観る、ISS(国際宇宙ステーション)からの地球や宇宙の映像は素晴らしいけど、地球からISSまでの距離はわずか400km、東京から大阪までの距離よりも短いのだ。地球儀を見ると日本の小ささが分かるけど、その日本の中の東京から大阪までの距離よりも近いところを回ってるワケだ。だから、地球をサッカーボールだとしたら、ISSがいるのはサッカーボールの表面から1cmくらいの場所ってことになる。

ようするに、これが今の人類の「宇宙の限界」なのだ。もちろん、もっと遥か遠くの「月」にも行ってるけど、人間が一定期間、生活をするとなると、このISSが「宇宙の限界」ってことになる。ちなみに、人類が行ったことのある、一番遠くの「月」までは、地球から38万4400 kmだ。そして、まだ人類が行ったことのない、地球のお隣りの火星は、太陽のまわりを楕円形に公転してるので、地球からの距離は、地球に最接近した時で約5600万km、最も離れた時で約1億km、平均すると約8000万kmだ。

で、この火星が地球から最も離れた時の「1億km」というのを漠然と頭の中に置いておくと、最初に書いた「太陽系の一番外側の惑星である海王星は、太陽から約45億kmの位置を公転してる」というのが、なんとなくイメージできると思う。だけど、今回、兆候が発見された「プラネット・ナイン」に関しては、この「45億km」の20倍だというのだから、なんとなくでもイメージできない。


‥‥そんなワケで、なんとなくイメージすることもできないほどの遥か彼方を、地球の10倍の質量を持つ天体が公転してて、それも異常に細長い楕円形の軌道で、1万年から2万年をかけて太陽のまわりを一周してるだなんて、それこそ想像もできない。だって、2万年前って言ったら、日本列島はまだ大陸と地続きで、日本は縄文時代の前の旧石器時代だったんだよ。「プラネット・ナイン」が太陽のまわりを一周する間に、日本は大陸から切り離されて日本列島ができて、日本人は旧石器時代から現代へと進んだことになる。

そんな「プラネット・ナイン」だけど、「発見した」じゃなくて「兆候を発見した」というのは、まだ直接は観測してないからだ。カリフォルニア工科大学の天文学者の研究チームが、太陽系の外縁部の準惑星や、海王星より外側にある「カイパーベルト」と呼ばれる天体の密集域の天体を調べていたら、太陽からの引力の他に、何か別の引力の影響による動きをしていることが分かり、そこから、これらの天体の外側を公転している「プラネット・ナイン」の存在に気づいたってワケだ。

でも、これらの天体の微妙な動きの変化から、数理モデルとコンピューターシミュレーションによって「プラネット・ナイン」の質量や距離、公転の軌道などまでを導き出したのだから、ホントにすごいよね。カリフォルニア工科大学の惑星天文学のマイク・ブラウン教授の「これは本物の太陽系第9番惑星とみられる。非常に胸が躍ることだ」というコメントや、同大学の惑星学のコンスタンティン・バティギン助教の「これまで150年以上に渡る天文学の世界で初めて、太陽系の惑星探査が不完全だったという確かな証拠が得られた」というコメントからも、今回の発見の確実性、「プラネット・ナイン」の存在の現実性が感じられる。

そして、今回の発見を受けて、早くもハワイのマウナケア山頂にあるW・M・ケック天文台の口径10mの望遠鏡や、同じくマウナケア山頂にある日本の国立天文台のハワイ観測所の口径8.2mすばる望遠鏡が、「プラネット・ナイン」の観測を始めたそうだ。過去の知見などよれば、「数年後までには観測に成功するだろう」とのことで、観測に成功すれば天文学的には今世紀最大の発見になる。


‥‥そんなワケで、47億年前に太陽が誕生した時には、太陽のまわりには今の何倍もの天体があった。小さな岩のようなものから巨大なものまで、数えきれないほどの天体があったけど、太陽の引力に負けたものはどんどん太陽に吸い込まれて行った。そして、太陽の引力と、自身の遠心力とのバランスが奇跡的に取れて、太陽のまわりを同じ軌道でグルグルと回り始めたのが、地球をはじめとした現在の太陽系の天体だ。そんな奇跡的に生き残った天体の中で、これまた多くの奇跡が重なって生命が誕生したのがこの地球なのだから、その地球を統べる人類が戦争や自然破壊を繰り返して、自分たちの未来や地球の寿命を削り続けるほど愚かなことはない。せっかく「奇跡の惑星」に生まれたのだから、子どもたちへ、未来の人たちへ、この地球を少しでも良くしてから手渡したい。太陽系の惑星が8つではなく、最後の海王星の次に、かつての冥王星に代わる新しい第9惑星、「プラネット・ナイン」が登場してから生まれてくる子どもたちが、今より少しでも良い環境で暮らして行けるようにすることが、今を生きるあたしたちの責任だと思った今日この頃なのだ。


【追記】まったくの偶然ですが、「プラネット・ナイン」の論文が発表された1月20日から来月の2月20ごろまでの1カ月間、水星、金星、火星、木星、土星の5つの惑星を一度に観ることができます。これは10年ぶりのことで、夜明けの45分くらい前に肉眼で観ることができます。太陽系の8つの惑星のうち、地球以外の7つのうち5つが一度に観られるなんて、とってもワクワクしますね。詳しくは以下のCNNの記事をお読みください。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35076585.html?tag=top;topStories


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2016.01.16

きっこの2015年スポーツ感動大賞

1月も半ばを過ぎたのに、今ごろ去年のことを話題にするのもアレだけど、スカパーが全国の15歳から69歳の男女を対象に行なった調査によると、去年1年間のスポーツで感動した出来事のトップ5は、以下の結果になったそうだ。


1位「ラグビー、日本代表がワールドカップで南アフリカに大金星」

2位「フィギュア、羽生結弦がGPシリーズ最終戦で史上初300点超の世界最高得点で優勝」

3位「プロ野球、ヤクルトの山田哲人とソフトバンクの柳田悠岐がトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)達成」

4位「フィギュア、浅田真央が休養から復帰してGPシリーズ復帰戦で優勝」

5位「プロ野球、イチローが日米通算の安打記録で歴代2位を達成」


う~ん、なんか違う‥‥ってのが、あたしの率直な感想だ。どの出来事も知ってるけど、あたしはラグビーやフィギュアは観てなくて、ネットのスポーツニュースやラジオなどで結果を知っただけなので、特に感動はない。プロ野球は好きだから、ペナントレースもCSも日本シリーズもプレミア12もぜんぶ追ってたけど、その中で1番感動したことが「山田哲人と柳田悠岐のトリプルスリー達成」というのは納得できない。

たしかにセ・パ両リーグから1人ずつ、トリプルスリーを達成した選手が出たことは素晴らしい記録だけど、「感動」とはちょっと違う。山田哲人なら、ヤクルトが2連敗で迎えた日本シリーズ第3戦での「3打席連続ホームラン」のほうが遥かに感動したし、それ以前にヤクルトがリーグ優勝した時にも感動したし、CSファイナルで巨人を下した時にも感動した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは日ハムのファンなので、ペナントレース中の日ハムの試合でも感動する場面はたくさんあった。だけど、あんなに勝ち越していながら、去年はソフトバンクの強さが尋常じゃなかったので、CSでガックリ来たぶん、その後のプレミア12での大谷翔平と中田翔の活躍に、より感動することができた。

でも、去年1年間、パリーグ中心に観て来たあたしにとって、何よりも最高に感動したのは、9月27日の西武ドームでの「西武×楽天」戦、そう、森本稀哲(ひちょり)選手の引退試合だった。森本稀哲は、西武に2年いて、その前は横浜に3年いたけど、その前に12年も日ハムにいたし、やっぱり大活躍した日ハム時代の印象が強いから、日ハムのファンのあたしにとっては、特別に好きな選手のひちょりだった‥‥じゃなくて、ひとりだった(笑)

そんな森本稀哲だけど、去年は結果を出せずに2軍落ちとなり、まだ34歳という若さなのに、潔く引退を決意した。そして、現役最後の引退試合では、西武は先発の十亀剣のピンチを守備が救い、 3回裏には炭谷銀仁朗のソロホームラン、渡辺直人のタイムリーで2点先制。5回表に伊東亮大のソロホームランで1点返されるも、その裏には「おかわり君2号」こと山川穂高のタイムリーで、また2点差に引き離した。

「1-3」の2点リードで迎えた8回表、森本稀哲が登場、7番ライトで守備につき、西武はこの回を0点に抑えた。8回裏、西武の攻撃は1番の秋山翔吾からなので、7番の森本稀哲まで打席を回すことは難しかった。でも、ベンチでは「ひちょりさんまで回せ!」を合言葉に、チーム全員が一丸となって打席をつないだ。

1番の秋山翔吾がツーベースヒット、2番の渡辺直人がデッドボールでノーアウト1、2塁。3番の浅村栄斗が送りバント、楽天のキャッチャー伊志嶺忠の悪送球で1塁セーフで1点追加。4番の中村剛也が犠牲フライで1点追加、「1-5」と点差は広がったけどワンアウト。そして、5番のメヒアはサードゴロ、2塁はアウトになるもメヒアが必死に走って1塁はセーフ。いつものメヒアなら、ダブルプレーでスリーアウト、森本稀哲まで回らずに終わっていたところだ。

4点も勝っているから、9回表で同点に追いつかれるか逆転されない限り、9回裏はない。つまり、森本稀哲の打席はない。だけど、メヒアが必死に走って、次の6番、栗山巧につないだのだ!栗山巧が塁に出れば、次は森本稀哲だ!栗山巧は、粘りに粘ってフォアボールを選んで1塁へ向かった。ネクストバッターズサークルにいた森本稀哲は、目頭を押さえて号泣している。泣きながらバッターボックスへ向かう森本稀哲。

目を真っ赤にして打席に入った森本稀哲は、涙でボールが見えなかったのか、1球目は大きく空振り。ベンチでは渡辺直人も泣いている。そして、2球目のボールを見送り、3球目を打ってサードゴロ。1塁まで全力疾走する森本稀哲に、球場中からの大歓声。ベンチに戻る森本稀哲を選手全員がハイタッチで迎えた。西武のファンだけでなく、他チームのファンからも愛された森本稀哲らしい感動の最終打席だった。


‥‥そんなワケで、去年のスポーツであたしが1番感動したのは、この試合で17年間の現役生活に終止符を打って引退する森本稀哲のために、西武のチームメイトたちが一丸となって打席をつないだ8回裏だった。そして、この奇跡のリレーの先頭を切ってくれたのが、1番の秋山翔吾だったワケだけど、この秋山翔吾も去年はたくさんの感動をくれた。連続試合安打31試合は、1979年当時、広島の高橋慶彦が打ち立てた日本最長記録33試合に届かなかったけど、歴代3位タイとなり、左打者としては歴代1位になった。

開幕から63試合目に100安打を達成したのは、オリックス時代のイチローの60試合目、南海ホークス時代の広瀬叔功の61試合目に次ぐ歴代3位。2カ月連続での40安打達成は、イチロー以来の史上2人目。そして、史上6人目(7度目)となるシーズン200安打を達成し、最終的には、イチローの210安打を破り、阪神のマートンが持っていた日本記録の214安打を破り、216安打という日本新記録を打ち立てた。

秋山翔吾のお父さんは、息子をプロ野球選手にするために、小さいころから陸上部に入れて足腰を鍛えさせたり、右利きの秋山翔吾に左でのバッティングを教えたりと、とても厳しく育てたという。秋山翔吾本人も、小学校の時の作文に「将来はプロ野球選手になりたい。イチロー選手のようにたくさん打ちたい」と書いていたほど、プロ野球選手、イチロー選手に憧れていたのだ。

でも、秋山翔吾が小学6年生の時に、お父さんが癌で他界してしまった。すると、今度はお母さんがその意志を継ぎ、秋山翔吾のキャッチボールの相手をしたという。それも、硬球でのキャッチボールだ。お父さんが亡くなって母子家庭になっただけでも大変なのに、息子の夢を叶えるために硬球でのキャッチボールを続けただなんて、この話を聞いただけでも、あたしは目頭が熱くなってしまう。だから、2010年のドラフト会議で西武から3位指名を受けた時、秋山翔吾のお母さんが大喜びしている映像を見て、あたしは涙が止まらなくなった。

そんな秋山翔吾だけど、夢だったプロ野球選手になれた2011年からは、打撃不振や故障などで1軍と2軍を行ったり来たり、全試合に先発出場できたのは3年目の2013年になってからだった。だけど、翌2014年には、また打撃不振に陥り、打率は前年の2.70を下回る2.59に落ち込んだ。

こんな流れからの去年2015年、秋山翔吾は今までの高く構えるバッティングフォームをやめ、低く構えるようにした。今までは美しいフォームで美しいヒットを打って塁に出ることを理想としていたが、キレイゴトは捨て、ポテンヒットだろうがゴロだろうが必死に走って塁に出る、泥だらけになっても塁に出る、という考え方にシフトした。そして、去年の大活躍と大記録を達成したのだ。

チーム自体は2年連続でBクラスという残念な結果になったけど、秋山翔吾がイチローを超える素晴らしい記録を打ち立てただけでなく、「おかわり君」こと中村剛也も満塁本塁打を16本打ち、王貞治の持っていた満塁本塁打15本という日本記録を塗り替えた。それどころか中村剛也は、本塁打王と打点王も獲得している。


‥‥そんなワケで、秋山翔吾は、9月13日のロッテ戦の第3打席で涌井秀章からタイムリーを打って史上6人目(7度目)の200安打を達成したワケだけど、日ハムのファンのあたし的には、この前日の「西武×日ハム」戦のほうが印象に残ってる。秋山翔吾が第1打席で先頭打者ホームラン、すぐに日ハムは猛攻で6点も獲ったのに、その裏に3点返されて、日ハムも追加点をあげたんだけど、6回裏に秋山翔吾の3安打目となるタイムリースリーベースと脇谷亮太のタイムリーツーベスの連打で「7-7」の同点にされた。

このタイムリースリーベースが秋山翔吾の199安打目で、延長10回裏に200安打目の打席が回って来たんだけど、ここは日ハムの7人目、増井浩俊が三振に打ち取った。そして11回の表、日ハムは中田翔のタイムリーで「8-7」と勝ち越した。それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥、11回裏、マウンドに上がった日ハム8人目の宮西尚生は、3番の浅村栄斗をフォアボールで出塁させ、続く4番の中村剛也に逆転サヨナラツーランを食らってしまった‥‥。文化放送「ライオンズナイター」を聴いていたあたしの心に、実況の高橋将市アナの歓喜の大絶叫が虚しく響き続けた‥‥。

あ、ついつい脱線しちゃったけど、この時も、もしもあたしが西武のファンだったとしたら、きっと感動してたと思う。そして、翌日のロッテ戦で200安打を達成した秋山翔吾は、試合のあとにこんなコメントをしたのだ。


「これまでいろいろな場面でつないでもらい、自分が多く打席に立つチャンスをくれたチームメイトたちに感謝しています」


‥‥そんなワケで、小学生の時からイチローに憧れていた野球少年が、亡くなったお父さんの夢を叶えるために、お母さんと二人三脚でプロ野球選手を目指し、ついにイチローの記録と並んだ時に言ったのが、チームメイトたちへの感謝の言葉であり、みんなで「つなぐ」ということの大切さだったのだ。そして、この200安打達成から2週間後の9月27日、秋山翔吾は、自分が先頭を切って森本稀哲へとバトンをつないだのだ。これほど感動することがあるだろうか。あたしにとっての「2015年スポーツ感動大賞」は、やっぱり「森本稀哲の引退試合」に決定した今日この頃なのだ!


【8回裏、ツーアウトから栗山巧がフォアボールを選んで森本稀哲に打席を回した感動のシーン】
https://www.youtube.com/watch?v=aFeZJNTEChY


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2016.01.11

新成人の意識調査

新成人の皆さん、おめでとうございます♪

今年の新成人は、男性が約62万人、女性が約59万人で、計約121万人、これは昨年よりも約5万人の減少だそうだ。第二次ベビーブームで生まれた子どもたちが成人になった1995年以降は減少が続いており、昨年の約5万人の増加は一時的なもので、今年はまた、過去最少だった2014年と同じ人数に戻ってしまった。

少子高齢社会に入っている日本では、新成人の人数は少しずつ減少し続けていて、10年後の2026年までには100~110万人にまで落ち込むという試算も出ている。あたしが成人になった23年前には、新成人の人数は約200万人だったので、現時点でもそうとう減少してしまっているけど、今から10年後には、あたしの時の半分になってしまうワケだ。

だけど、何よりの問題は、新成人の人数ではなく割合なのだ。たとえ新成人の人数が減ったとしても、若者も中年も高齢者も、すべての年齢層の人たちが同じ比率で減って人口が減少しているのなら、若者の負担はそれほど増えない。でも、今の日本は、若者が減りながら高齢者がどんどん増えているのだ。つまり、今の税制のままじゃ、若者の負担もどんどん増えてしまう。

今年、新成人になった人たちの割合は、全人口の1%以下で、これはもう6年も続いている。一方、65歳以上の高齢者はどんどん増えていて、現在、約3384万人、全人口の約26.7%が高齢者で、このうち80歳以上は1002万人、全人口の約7.9%にあたる。このまま行くと、そのうち電車のイスの半分くらいをシルバーシートにしないと間に合わなくなりそうな気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「マクロミル」が行なった「2016年の新成人に関する調査」によると、新成人たちの関心のあるニュース(複数回答あり)は、1位が「テロ」、2位が「少子高齢化」、3位が「増税」、4位が「中国・韓国との関係」、5位が「若者の就職率」、6位が「東京五輪」と続き、「選挙年齢の引き下げ」は「東京五輪」よりも下の8位だった。ま、新成人なんだから今年から選挙には投票できるワケで、18歳に引き下げるというニュースは自分たちには直接は関係ないと思うけど、それでも、自分たちの時は投票できなかった年齢の若者たちが投票できるようになる、自分たちと近い年齢の高校3年生が投票できるようになる、ということについて、もう少しは関心があると思っていた。

でも、次の調査結果を見ると、新成人たちが「選挙年齢の引き下げ」うんぬんではなく、「選挙そのもの」「政治そのもの」に冷めてしまっているような雰囲気が感じられた。それは、「今後の日本の政治への期待」という設問だ。この設問に対して、「期待できる」と「どちらかといえば期待できる」と回答した合計が22.8%と3年連続で30%を下回り、「期待できない」は77.2%にも上ったのだ。「期待できない」と回答した新成人たちの理由としては、「戦争に対する不安」「税金の無駄遣い」「今後を担う若手議員がいない。(いても)当選しない」などの意見が目立った。

この調査結果を見ると、「今の安倍政権には期待できないが、それに代わる政党や政治家がいない」という、あたしたちの多くが感じている脱力感や虚無感のようなものが、若い世代にまで蔓延しているような気がした。そして、「日本の未来についてどう考えるか」という設問に対しては、「明るいと思う」と「どちらかといえば明るいと思う」と回答した合計が33%だったのに対して、「暗いと思う」と「やや暗いと思う」と回答した合計が67%だった。

ちなみに、同社の同じ調査では、「明るいと思う」と「どちらかといえば明るいと思う」の合計が、2年前の2014年には44.4%、2015年には34.4%だったので、安倍政権下の3年間で、新成人たちの未来への希望は11.4ポイントも減少したことになる。

だけど、「日本の政治に期待できない」が77.2%に上り、「未来は暗いと思う」が67%に上ったのにも関わらず、「自分たちの世代が日本の将来を変えていきたいか」という設問には、「そう思う」と「ややそう思う」の合計が64.6%、「そう思わない」と「あまりそう思わない」の合計35.4%を大きく上回った。

一方で、「政治に関心がある」は53.4%と約半数で、2年前より6.2ポイントも下がっている。また、「選挙に関心がある」は44.6%と半数以下で、これも2年前より6ポイントも下がっている。つまり、新成人たちは、「自分たちの世代が日本の将来を変えていきたい」と思っている人たちが多いけど、その中には「政治や選挙じゃ何も変わらない」と思っている人たちも一定の割合で含まれてるということになる。

「原発の再稼動」や「安保関連法」や「辺野古の新基地」など、民意を無視して暴走し続ける安倍政権と、ここまで好き勝手にやられても何もできない情けない野党を見ていれば、政治への期待など持てなくなってしまうのも無理はないだろう。事実、「自分たちの世代が日本の将来を変えていきたい」と回答した新成人の中には、「社会保障を充実させたい」や「経済格差を無くしたい」という政治的な意見もあったが、「世界と戦えている日本の技術力をさらに発展させたい」という、政治に頼らず自分で何とかしたいという意見もあった。


「マクロミル」の「2016年の新成人に関する調査」(PDF資料)
http://monitor.macromill.com/researchdata/20160107shinseijin/20160107shinseijin.pdf


‥‥そんなワケで、ここ数年は、成人式のたびにマスコミはこぞって「どこそこの成人式で新成人が酔って大暴れ」とかのニュースを流すけど、そんなのはホンの一部の人たちだけで、大多数の新成人は普通のマジメな若者たちだ。あたしは毎年、新成人の写真撮影のお仕事をしているので、たくさんの新成人とお話しをするけど、みんないい子たちばかりだ。みんな自分の将来のことだけでなく、日本の将来のことも考えている。それなのに「選挙に関心がある」が44.6%と低いのは、安倍政権にウンザリしている人たちの受け皿になる政党がないからだ。「安倍政権の暴走を止める」という一点だけに焦点を絞り、本当の意味で野党がひとつになれば、若者たちの投票率は一気に上がると思う今日この頃なのだ。


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2016.01.03

きっこのオススメ無料映画

ゆうべ、GyaOで無料配信してたB級映画『バッドガール』(2012年 アメリカ)を観て、ちょっと感じることがあったので、今、急いでこのブログを書いてる。何でかって言うと、この映画のGyaOでの無料配信は1月7日までなので、もしもこのブログを読んで「観てみたい」と思った人がいたら、ギリギリで間に合うようにと思ったからだ。

この映画の原題は『Girls Against Boys』、直訳すれば「男の子に対する女の子」って意味だけど、ザックリ言っちゃえば、男たちに酷い仕打ちを受けた女子大生が、バイト先で知り合った女性と2人で、その男たちに復讐をして行くという内容で、エグい殺人シーンや女性の裸も出てくるので「R-15指定」になってる。

とは言え、刃物や電動ノコギリが肉に食い込む様子は直接的には見せず、事前と事後の映像をつないで表現しているので、スプラッターマニアには物足りないと思う。また、冷静にストーリーを追うと、主人公の女子大生、ダニエル・パナベイカー演じるシェイが男たちから受けた仕打ちに対して、ここまでの復讐はどう見ても「やり過ぎ」だし、これほど殺人を犯しておいて、騒ぎにもならず警察に捕まらないのも理解できない。

だから、表面的に観ただけなら、これは完全に時間つぶしのためのB級映画と言われてしまうだろう。だけど、あたしは、この作品の中に、とても惹かれる「純粋な狂気」を感じたのだ。それは、主人公のシェイと知り合って男たちへの復讐を淡々と続けていく女友達、ニコル・ラリベルテ演じるルーに、こないだブログに書いた角田光代さんの『対岸の彼女』に出てくるナナコの影を感じたからだ。

角田光代さんの『対岸の彼女』が好きな人なら、この映画の主人公シェイを「葵」、ルーを「ナナコ」に置き換えて鑑賞すると、単なるB級映画ではなく、俗な表現で言えば「ノンケを愛してしまった同性愛者」の切なくて悲しい内面性を感じられると思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、少しだけネタバレ的な解説をすると、主人公の女子大生シェイは、30代の既婚男性と不倫の関係なんだけど、その男性テリーから別れを告げられる。家族を大切にしたいから、これ以上は君と会えないと言う。そして、ショックを受けつつもバイト先の飲み屋に行ったシェイは、先週からバイトに来ているというルーと知り合う。

冒頭から登場するルーは、決して「飛び抜けた美女」とは言えないけど、少し目が離れた猫顔の女性で、独特の魅力を醸し出してる。そんなルーは、シェイを元気づけようとクラブに誘うんだけど、そこで知り合った男性からも、シェイは酷い仕打ちを受けてしまう。そして、ルーはシェイの復讐を始める‥‥と言う流れだ。

これだけなら、よくある復讐のストーリーなんだけど、あたしの琴線に触れたのは、いろんな場所に散りばめられてる細かい演出だ。まず、冒頭の大学の講義のシーンでは、女性教授が、日本の芸術家、会田誠さんの作品を取り上げて、「女子高生を男のおもちゃとして描いている」「未成年の少女らを男の食べ物として描いている」と言って厳しく批判してる。ようするに、ここで、「男におもちゃにされた女性は復讐してもいいのだ」という前フリをしてるワケだ。

そして、シェイの不倫相手だったテリーへの復讐へ向かう2人。テリーが出勤するために乗り込んだ車を襲い、テリーを拘束して後部座席の下に転がし、シェイが運転して、助手席にはルーが座り、2人は市街へ向かう。この時、カーラジオなのかCDなのか分からないけど、ドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」が流れ始めて、助手席のルーはテリーを脅したピストルをマイク代わりにして陽気に歌う。シェイも一緒に笑顔で歌ってる。


「Sunshine came softly through my window today
I could have tripped out easy but I’ve changed my ways.
It’ll take time I know it, but in a while...
You’re gonna be mine and I know it, we’ll do it in style.

Cause I’ve made my mind up you’re going to be mine
I’ll tell you right now...
Any trick in the book, oh baby, that I can find.」


「やわらかい日の光が窓から入ってきて~」と陽気に歌い出した2人だけど、「you’re going to be mine」(あなたは私のもの)という部分で、後部座席で拘束されてるテリーの顔がカットインする。巧い演出だ。

そして、テリーへの復讐を終え、ドライブインで食事を済ませると、今度はルーが運転をして、シェイが助手席に乗って、次の復讐へと走り出す。ここでは、同じくドノヴァンの「ハーディーガーディーマン」が流れ、ハンドルを握るルーは、さっきと同じように一緒に歌い始める。でも、助手席のシェイは、暗い顔で沈黙している。


「Thrown like a star in my vast sleep
I opened my eyes to take a peek
To find that I was by the sea
Gazing with tranquility

'Twas then when the Hurdy Gurdy Man
Came singing songs of love
Then when the Hurdy Gurdy Man
Came singing songs of love

"Hurdy gurdy, hurdy gurdy, hurdy gurdy gurdy" he sang
"Hurdy gurdy, hurdy gurdy, hurdy gurdy gurdy" he sang
"Hurdy gurdy, hurdy gurdy, hurdy gurdy gurdy" he sang」


「ハーディーガーディー」と言うのは、バイオリンのような形状のボディーを持ち、お尻のところにハンドルが付いていて、それを回すことによって弦が擦られて音が出る楽器で、これを持って旅をしながら歌っているのが「ハーディーガーディーマン」、大道芸人や吟遊詩人のことだ。そんなハーディーガーディ―マンが「私のもとへ愛の歌を歌いにきた」と歌ってる。

シェイの元恋人に復讐をして、こんな歌を陽気に歌うルーと、自分たちのやってしまったことに「恐れ」や「とまどい」や「後悔」が交差して沈黙するシェイ。結局、ルーは、「友達の復讐」を手伝ったのではなく、自分が好きになってしまったシェイを自分だけのものにするために、こんな凶行を行なっていたのだ。ドノヴァンの「ハーディーガーディーマン」を陽気に歌うルーは、自分のことを「悲しみの中にいる少女に愛の歌を届けにきた吟遊詩人」と重ね合せたのだろう。


‥‥そんなワケで、ドノヴァンと言えば、ライブでドノヴァンの楽曲をよくカヴァーしていた故・加藤和彦さんが、ドノヴァンにちなんで「トノバン」という愛称で呼ばれてたことが有名だ。他にも、RCサクセションの「チャボ」こと仲井戸麗市さんの「麗市」は、ドノヴァンの本名、ドノヴァン・フィリップス・レイチの「レイチ」から付けられたものだ。

有名なことなので、あたしなんかが今さら書くのもアレだけど、さっきのドノヴァンの「ハーディーガーディーマン」、これは1968年にリリースされた作品で、クレジットを見ると、エレキギターにジミー・ペイジ、ベースとアレンジにジョン・ポール・ジョーンズ、ドラムにジョン・ボーナムが参加してる。つまり、「後のレッド・ツェッペリン」というワケだ。

44年も前に作られた楽曲が車のスピーカーから流れてきて、それに合わせて陽気に歌う20代(という設定)の女性、何だか不思議な感じもするけど、アメリカやイギリスで大ヒットした楽曲だから、そう考えれば納得できる。北島三郎さんが「は~るばる~来たぜ函館~♪」と歌う「函館の女(ひと)」、加山雄三さんが「ぼかぁ幸せだなあ‥‥」とセリフを言う「君といつまでも」、どちらも1965年、半世紀も前の楽曲だけど、日本で暮らしてる人なら、若くても知ってる人のほうが多いだろう。


‥‥そんなワケで、このブログを読んだ上で映画『バッドガール』を観てもらえれば、単なる「B級スプラッター映画」ではなく、同性である女性を好きになってしまった女性の切なさと狂気を感じることができて、別の角度からも楽しめると思う。それから、もう1本、こちらも無料配信してる『ティム・バートンのコープスブライド』(2005年 アメリカ/イギリス)、これはアニメ映画なんだけど、死体の花嫁エイミーが、最初は不気味で、そのうち可愛く見えてきて、最後には切なくて泣いちゃった。とっても素晴らしい作品なので、まだ観たことがない人は、この機会に、ぜひ楽しんでほしいと思う今日この頃なのだ♪


『バッドガール』(1月7日まで無料配信中)
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00938/v00372/v0000000000000000432/

『ティム・バートンのコープスブライド』(1月8日まで無料配信中)
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00597/v12467/v1000000000000001622/?list_id=2031943


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2016.01.01

明けましておめでとうございます♪

皆さま、明けましておめでとうございます♪

今年も「歳旦三つ物」を詠みました。


歳旦三つ物
曳猿のひときは高く跳びにけり
三重四重五重春小袖の輪
名木の芽ひとつひとつの輝きて
きっこ


俳句では本来、自分の句を自分で解説することは野暮なのでNGなのですが、俳句を勉強していないと意味の分からない言葉や言い回しもありますので、今年も簡単に説明させていただきます。

まず、最初の五七五の発句の「曳猿(ひきざる)」は、猿回しの猿のことです。昔は新年を迎えると、猿回しが各家をまわって玄関先で芸をしたので、「猿廻し」は新年の季語になっています。猿回しのことを昔は「猿曳(さるひき)」とも呼んでいて、芸をする猿のことを「曳猿(ひきざる)」と呼んでいました。

直接「高く」と言ってしまうのは、あまりにも陳腐なので、最初は「曳猿の紐いつぱいに跳びにけり」と詠みました。これは自分でも満足の行く出来だったのですが、猿回しの句で「紐」を詠んだものは多いだろうと思い、念のために調べてみたところ、星野立子さんに「曳猿の紐いつぱいに踊りをり」という句がありました。あたしの句は完全に類句になってしまうので、詠み直しました。見どころは「ひときは」だけの月並みな句ですが、歳旦三つ物の発句としてはギリギリセーフのレベルだと思います。

二番目の七七の「脇」の句は、あたしが見たお正月の猿回しの景です。今は各家をまわる猿回しは見られなくなりましたが、以前、神奈川の神社に初詣をした時に、そこで猿回しをやっていました。ちゃんちゃんこを着た可愛いお猿さんが、飛んだり跳ねたり竹馬に乗ったり、いろいろな芸を披露していました。いくつも並べた木のハードルに向かって勢いよく走って行き、ピョンと飛び越すと思いきや、直前で地面に伏せて匍匐前進で下をくぐって行く‥‥というネタで、幾重にも取り囲んだ人たちを笑わせてくれました。

幾重にも取り囲んだ様子を、一般的には「七重八重(ななえ・やえ)」や「十重二十重(とえ・はたえ)」などと表現しますが、それほどには人の輪はできていなかったのと、7音に収めるため、ここでは「三重四重五重(みえ・よえ・いつえ)」と表現しました。また、季語を「春着」にしてしまうと巧く収まらなかったので、「春衣」か「春小袖」にしようと思い、お正月のイメージが強い「春小袖」を選びました。「小袖」は男性も着用するため、問題ないと判断しました。

最後の五七五の「第三」は、発句と脇から大きく飛躍した春の句です。発句と脇が「新年の賑やかでおめでたい景」を詠っているのに対して、第三は「春の希望」を歌っています。

昨年は、いろいろな国でテロが起こり、そのテロを鎮圧するために軍隊による空爆も繰り返され、そのどちらでも、何の罪もない多くの子どもたちが犠牲になりました。そして、戦渦や貧困から逃れるために、命懸けで自分の国を脱出した人たちの中にも、船が沈没して犠牲になった多くの人たち、多くの子どもたちがいます。戦争や貧困から逃れるために自国を脱出した難民は、世界で約6000万人に到達しようとしていますが、このうちの半数以上が子どもたちなのです。

積極的に難民を受け入れているドイツでは、紛争や貧困を逃れてきた子どもたち約32万人のうち、約19万6000人を昨年末までに国内16州の学校に就学させました。自国で勉強できずに学力が遅れている子どもたちのためには計8264の特別学級を新設し、難民の子どもたち専門の教員を全国で約8500人新規採用しました。

日本も、複数の国に対して難民支援の名目で支援金を送り続けて来ましたが、それがすべて本当に難民のために使われているのかは分かりません。また日本は、こうした支援を続けている一方で、難民を生み出している原因のひとつでもある米国主導の有志国連合に名を連ねています。東京大空襲を始め、全国各地を空爆された経験を持つ日本が、本当にこれで良いのでしょうか。日本は敗戦国として、世界唯一の被爆国として、独自の平和外交の道へ足を踏み出すべきなのではないでしょうか。

こうした背景を踏まえて詠んだのが、最後の五七五の「第三」の句です。「名木(なのき)の芽」という春の季語は、特定の木の芽のことではなく、さまざまな種類の木の芽の総称です。これは、人種や肌の色、国や宗教の違いなどにとらわれない、世界中のすべての子どもたちのことを表現しています。世界中のすべての子どもたち1人1人に光があたり、1人1人が自分の未来に希望の持てる世の中になってほしい。今年は、そのための第一歩となるような年になってほしい。こんな願いと希望を、この「第三」の句に込めました。


‥‥そんなワケで、あたしは、今年も今まで通りに、社会的弱者、社会的マイノリティーの立場と視点を大切にして、あたしなりに「ハチドリの一雫」を垂らし続けて行く所存です。皆さん、今年も一年、「きっこのブログ」をよろしくお願いいたします♪


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