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2016.01.16

きっこの2015年スポーツ感動大賞

1月も半ばを過ぎたのに、今ごろ去年のことを話題にするのもアレだけど、スカパーが全国の15歳から69歳の男女を対象に行なった調査によると、去年1年間のスポーツで感動した出来事のトップ5は、以下の結果になったそうだ。


1位「ラグビー、日本代表がワールドカップで南アフリカに大金星」

2位「フィギュア、羽生結弦がGPシリーズ最終戦で史上初300点超の世界最高得点で優勝」

3位「プロ野球、ヤクルトの山田哲人とソフトバンクの柳田悠岐がトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)達成」

4位「フィギュア、浅田真央が休養から復帰してGPシリーズ復帰戦で優勝」

5位「プロ野球、イチローが日米通算の安打記録で歴代2位を達成」


う~ん、なんか違う‥‥ってのが、あたしの率直な感想だ。どの出来事も知ってるけど、あたしはラグビーやフィギュアは観てなくて、ネットのスポーツニュースやラジオなどで結果を知っただけなので、特に感動はない。プロ野球は好きだから、ペナントレースもCSも日本シリーズもプレミア12もぜんぶ追ってたけど、その中で1番感動したことが「山田哲人と柳田悠岐のトリプルスリー達成」というのは納得できない。

たしかにセ・パ両リーグから1人ずつ、トリプルスリーを達成した選手が出たことは素晴らしい記録だけど、「感動」とはちょっと違う。山田哲人なら、ヤクルトが2連敗で迎えた日本シリーズ第3戦での「3打席連続ホームラン」のほうが遥かに感動したし、それ以前にヤクルトがリーグ優勝した時にも感動したし、CSファイナルで巨人を下した時にも感動した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは日ハムのファンなので、ペナントレース中の日ハムの試合でも感動する場面はたくさんあった。だけど、あんなに勝ち越していながら、去年はソフトバンクの強さが尋常じゃなかったので、CSでガックリ来たぶん、その後のプレミア12での大谷翔平と中田翔の活躍に、より感動することができた。

でも、去年1年間、パリーグ中心に観て来たあたしにとって、何よりも最高に感動したのは、9月27日の西武ドームでの「西武×楽天」戦、そう、森本稀哲(ひちょり)選手の引退試合だった。森本稀哲は、西武に2年いて、その前は横浜に3年いたけど、その前に12年も日ハムにいたし、やっぱり大活躍した日ハム時代の印象が強いから、日ハムのファンのあたしにとっては、特別に好きな選手のひちょりだった‥‥じゃなくて、ひとりだった(笑)

そんな森本稀哲だけど、去年は結果を出せずに2軍落ちとなり、まだ34歳という若さなのに、潔く引退を決意した。そして、現役最後の引退試合では、西武は先発の十亀剣のピンチを守備が救い、 3回裏には炭谷銀仁朗のソロホームラン、渡辺直人のタイムリーで2点先制。5回表に伊東亮大のソロホームランで1点返されるも、その裏には「おかわり君2号」こと山川穂高のタイムリーで、また2点差に引き離した。

「1-3」の2点リードで迎えた8回表、森本稀哲が登場、7番ライトで守備につき、西武はこの回を0点に抑えた。8回裏、西武の攻撃は1番の秋山翔吾からなので、7番の森本稀哲まで打席を回すことは難しかった。でも、ベンチでは「ひちょりさんまで回せ!」を合言葉に、チーム全員が一丸となって打席をつないだ。

1番の秋山翔吾がツーベースヒット、2番の渡辺直人がデッドボールでノーアウト1、2塁。3番の浅村栄斗が送りバント、楽天のキャッチャー伊志嶺忠の悪送球で1塁セーフで1点追加。4番の中村剛也が犠牲フライで1点追加、「1-5」と点差は広がったけどワンアウト。そして、5番のメヒアはサードゴロ、2塁はアウトになるもメヒアが必死に走って1塁はセーフ。いつものメヒアなら、ダブルプレーでスリーアウト、森本稀哲まで回らずに終わっていたところだ。

4点も勝っているから、9回表で同点に追いつかれるか逆転されない限り、9回裏はない。つまり、森本稀哲の打席はない。だけど、メヒアが必死に走って、次の6番、栗山巧につないだのだ!栗山巧が塁に出れば、次は森本稀哲だ!栗山巧は、粘りに粘ってフォアボールを選んで1塁へ向かった。ネクストバッターズサークルにいた森本稀哲は、目頭を押さえて号泣している。泣きながらバッターボックスへ向かう森本稀哲。

目を真っ赤にして打席に入った森本稀哲は、涙でボールが見えなかったのか、1球目は大きく空振り。ベンチでは渡辺直人も泣いている。そして、2球目のボールを見送り、3球目を打ってサードゴロ。1塁まで全力疾走する森本稀哲に、球場中からの大歓声。ベンチに戻る森本稀哲を選手全員がハイタッチで迎えた。西武のファンだけでなく、他チームのファンからも愛された森本稀哲らしい感動の最終打席だった。


‥‥そんなワケで、去年のスポーツであたしが1番感動したのは、この試合で17年間の現役生活に終止符を打って引退する森本稀哲のために、西武のチームメイトたちが一丸となって打席をつないだ8回裏だった。そして、この奇跡のリレーの先頭を切ってくれたのが、1番の秋山翔吾だったワケだけど、この秋山翔吾も去年はたくさんの感動をくれた。連続試合安打31試合は、1979年当時、広島の高橋慶彦が打ち立てた日本最長記録33試合に届かなかったけど、歴代3位タイとなり、左打者としては歴代1位になった。

開幕から63試合目に100安打を達成したのは、オリックス時代のイチローの60試合目、南海ホークス時代の広瀬叔功の61試合目に次ぐ歴代3位。2カ月連続での40安打達成は、イチロー以来の史上2人目。そして、史上6人目(7度目)となるシーズン200安打を達成し、最終的には、イチローの210安打を破り、阪神のマートンが持っていた日本記録の214安打を破り、216安打という日本新記録を打ち立てた。

秋山翔吾のお父さんは、息子をプロ野球選手にするために、小さいころから陸上部に入れて足腰を鍛えさせたり、右利きの秋山翔吾に左でのバッティングを教えたりと、とても厳しく育てたという。秋山翔吾本人も、小学校の時の作文に「将来はプロ野球選手になりたい。イチロー選手のようにたくさん打ちたい」と書いていたほど、プロ野球選手、イチロー選手に憧れていたのだ。

でも、秋山翔吾が小学6年生の時に、お父さんが癌で他界してしまった。すると、今度はお母さんがその意志を継ぎ、秋山翔吾のキャッチボールの相手をしたという。それも、硬球でのキャッチボールだ。お父さんが亡くなって母子家庭になっただけでも大変なのに、息子の夢を叶えるために硬球でのキャッチボールを続けただなんて、この話を聞いただけでも、あたしは目頭が熱くなってしまう。だから、2010年のドラフト会議で西武から3位指名を受けた時、秋山翔吾のお母さんが大喜びしている映像を見て、あたしは涙が止まらなくなった。

そんな秋山翔吾だけど、夢だったプロ野球選手になれた2011年からは、打撃不振や故障などで1軍と2軍を行ったり来たり、全試合に先発出場できたのは3年目の2013年になってからだった。だけど、翌2014年には、また打撃不振に陥り、打率は前年の2.70を下回る2.59に落ち込んだ。

こんな流れからの去年2015年、秋山翔吾は今までの高く構えるバッティングフォームをやめ、低く構えるようにした。今までは美しいフォームで美しいヒットを打って塁に出ることを理想としていたが、キレイゴトは捨て、ポテンヒットだろうがゴロだろうが必死に走って塁に出る、泥だらけになっても塁に出る、という考え方にシフトした。そして、去年の大活躍と大記録を達成したのだ。

チーム自体は2年連続でBクラスという残念な結果になったけど、秋山翔吾がイチローを超える素晴らしい記録を打ち立てただけでなく、「おかわり君」こと中村剛也も満塁本塁打を16本打ち、王貞治の持っていた満塁本塁打15本という日本記録を塗り替えた。それどころか中村剛也は、本塁打王と打点王も獲得している。


‥‥そんなワケで、秋山翔吾は、9月13日のロッテ戦の第3打席で涌井秀章からタイムリーを打って史上6人目(7度目)の200安打を達成したワケだけど、日ハムのファンのあたし的には、この前日の「西武×日ハム」戦のほうが印象に残ってる。秋山翔吾が第1打席で先頭打者ホームラン、すぐに日ハムは猛攻で6点も獲ったのに、その裏に3点返されて、日ハムも追加点をあげたんだけど、6回裏に秋山翔吾の3安打目となるタイムリースリーベースと脇谷亮太のタイムリーツーベスの連打で「7-7」の同点にされた。

このタイムリースリーベースが秋山翔吾の199安打目で、延長10回裏に200安打目の打席が回って来たんだけど、ここは日ハムの7人目、増井浩俊が三振に打ち取った。そして11回の表、日ハムは中田翔のタイムリーで「8-7」と勝ち越した。それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥、11回裏、マウンドに上がった日ハム8人目の宮西尚生は、3番の浅村栄斗をフォアボールで出塁させ、続く4番の中村剛也に逆転サヨナラツーランを食らってしまった‥‥。文化放送「ライオンズナイター」を聴いていたあたしの心に、実況の高橋将市アナの歓喜の大絶叫が虚しく響き続けた‥‥。

あ、ついつい脱線しちゃったけど、この時も、もしもあたしが西武のファンだったとしたら、きっと感動してたと思う。そして、翌日のロッテ戦で200安打を達成した秋山翔吾は、試合のあとにこんなコメントをしたのだ。


「これまでいろいろな場面でつないでもらい、自分が多く打席に立つチャンスをくれたチームメイトたちに感謝しています」


‥‥そんなワケで、小学生の時からイチローに憧れていた野球少年が、亡くなったお父さんの夢を叶えるために、お母さんと二人三脚でプロ野球選手を目指し、ついにイチローの記録と並んだ時に言ったのが、チームメイトたちへの感謝の言葉であり、みんなで「つなぐ」ということの大切さだったのだ。そして、この200安打達成から2週間後の9月27日、秋山翔吾は、自分が先頭を切って森本稀哲へとバトンをつないだのだ。これほど感動することがあるだろうか。あたしにとっての「2015年スポーツ感動大賞」は、やっぱり「森本稀哲の引退試合」に決定した今日この頃なのだ!


【8回裏、ツーアウトから栗山巧がフォアボールを選んで森本稀哲に打席を回した感動のシーン】
https://www.youtube.com/watch?v=aFeZJNTEChY


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