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2016.02.29

鳩山由紀夫氏「私は外務省と防衛省の官僚に騙された」

1週間ほど前の2月23日、朝日新聞が「「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠」というスクープを報じた。時間が経過してリンク先の記事が消されてしまうと困るので、全文を引用させていただく。


「「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠」(2016年2月23日)
2010年に鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を断念する判断材料となった政府の内部文書を朝日新聞が入手した。米軍の「基準」としてヘリコプター部隊と訓練場との距離を「65カイリ(約120キロ)」以内と明示しているが、在日米軍司令部は朝日新聞の取材に「そのような基準はない」とした。
文書は「普天間移設問題に関する米側からの説明」。10年4月19日付で「極秘」と押印されている。「65海里(約120キロ)の問題」として「回転翼航空部隊の拠点と同部隊が(陸上部隊と)恒常的に訓練を行うための拠点との間の距離に関する基準であり、米軍のマニュアルに明記されている」と説明している。
普天間飛行場の県外移設を模索した鳩山氏は、この時期、鹿児島県・徳之島への移設を検討。だが、沖縄海兵隊のヘリ部隊の訓練が行われる沖縄本島中北部と徳之島とは約104カイリ(約192キロ)離れ、「65カイリ基準」を満たさない。
http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q5JR3J2QUTFK00M.html


‥‥そんなワケで、記事の内容だけを信用すれば、「最低でも県外」と言い続けて来た鳩山由紀夫首相に県外移設を断念させるために、外務省や防衛相が嘘の文書を捏造し、それをもって鳩山首相を騙したということになる。でも、この記事だけを鵜呑みにして、結論を急ぐことは危険なので、あたしは、鳩山さん本人の口から、何らかのメッセージが出るのを待とうと思っていた。

そしたら、元衆議院議員の三宅雪子さんが毎日配信しているツイキャスで、2月29日に鳩山由紀夫さんがスペシャルゲストとして電話インタビューに出てくださるという。そして、三宅雪子さんは、この「65カイリ」の問題を質問してくださるという。それで、あたしは、録音の準備をして、三宅雪子さんのツイキャスが始まるのを待った。ツイキャスは予定時間の午後9時の1分前に始まり、鳩山さんとの電話は9時9分につながった。そして、三宅雪子さんは、まず初めに、この「65カイリ」の問題を質問してくださった。以下、鳩山さんの回投の主旨だ。


鳩山由紀夫さん 「2010年4月19日に、防衛省と外務省の役人が首相官邸に来て、『(普天間飛行場の移設先の件で)米軍と議論してきた。米軍は、ヘリコプターの訓練には一体性が必要だ、ヘリコプターの基地が訓練場と離れてしまっては訓練ができない、と言っている』と言われました。その時に渡された文書には、訓練場とヘリの基地までの距離が『65カイリまでならいいと』と書かれていました。沖縄の北部訓練場から65カイリを円で描くと、ほとんどが沖縄になってしまいます。私は奄美大島や徳之島を考えていましたが、これではすべてダメになってしまいます。結論として辺野古しかないということになってしまったのです。この文書には『極秘』という判子が押されていて、外務相の極秘文書になっていました。しかし、後に安倍政権になって、普天間飛行場の移設先として佐賀県という話が出たので、これはおかしいと思いました。私は(防衛省と外務省の)役人から『65カイリは米軍のマニュアルに明記してある』と説明を受けましたが、後になって米軍のマニュアルには書かれていないということを知りました。さらには、外務省にもこの文書は残っていないのです。この時、私にこの文書を見せて説明した役人は、全員は覚えていませんが、日米安保条約課長の船越(健裕)さんがいたことは覚えています。結局、米軍のマニュアルに明記してあるということ自体が嘘だったのです。外務省の極秘文書になっていて、米軍のマニュアルにも明記してあると書かれていたので、自分としては最後通知を突きつけられたという思いで、県外移設を断念せざるをえなかったのです。今になって思えば、どうしても辺野古に移設したい勢力が、私を騙したということになります」


‥‥そんなワケで、皆さん、この鳩山さんの話を聴いて、どう思っただろうか。外務省と防衛省の高級官僚たちがジキジキに首相官邸まで「極秘文書」を持参したのだから、その内容に疑問をはさむ余地などなかっただろうし、首相と言えども口外はできなかっただろう。そして、今回の鳩山さんの証言が事実であるのなら、外務省と防衛省の官僚たちによる組織ぐるみの公文書偽造という大罪なのだから、政府は今すぐに調査機関を作り、事実関係を明らかにすべきであり、結果が出るまで辺野古への移設計画は凍結すべきではないのか。今も毎日、かけがえのない辺野古のちゅら海を守ろうとして必死に座り込みを続けている人たちと、防衛利権のために海を埋め立てて人殺しのための新基地を造ろうとしている勢力がぶつかり合っているが、裏でこんなにも悪質な工作が行なわれていたのであれば、民主国家として断じて許すワケには行かない。名護市の市長選でも、沖縄の県知事選でも、辺野古移設反対派の候補が圧倒的な支持を受けて当選したというのに、こんな最低の捏造をしてまで平然と民意を踏みにじる暴力団のような独裁政権など、今すぐに退場してほしい思う今日この頃なのだ。


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2016.02.25

妖怪ももんじいと肉食のタブー

あたしは、俗に言う「グルメ本」の類はいっさい読まないけど、池波正太郎の食べ物に関するエッセイは大好きだ。それは、古き佳き東京の庶民の味や風俗が満載で、東京生まれ東京育ちのあたしにとって、子どものころに食べていたものや体験していたことに符合する点がたくさんあるからだ。あ、一応、現代風に「エッセイ」と書いたけど、池波正太郎の場合は「随筆」と呼んだほうがいいかもね。

 

で、たとえば、あたしが子どものころ、おばあちゃんや母さんは小麦粉にキャベツと紅ショウガだけを混ぜたシンプルなお好み焼きを作ってくれて、これを「どんどん焼き」と呼んでいた。だけど、子どもだったあたしが「何で、どんどん焼きと言うの?」と聞いても、おばあちゃんも母さんも呼び名の由来は知らなかった。何でも知りたがる子ども時代のあたしが、それでも「何で?何で?」と聞くと、母さんは笑いながら「美味しくて、どんどん食べるからでしょ」なんて言っていた。

 

だけど、大人になってから池波正太郎の『食卓の情景』(新潮文庫)を読んでみたら、この中に東京の「どんどん焼き」について詳しく書かれていた。「どんどん焼き」という名前の由来にこそ触れてなかったけど、池波正太郎が子どもの時に、東京の下町のあちこちに出ていた屋台の「どんどん焼き」について、数々の思い出とともに詳しく書かれていた。それで、あたしは、長年の謎が解けたのだ。

 

子どもだったあたしは、おばあちゃんや母さんが作ってくれる「どんどん焼き」が大好きで、いつも大喜びして食べていた。でも、たまに父さんが家にいる時に「どんどん焼き」を作ると、父さんだけはお茶漬けとか別のものを食べていた。あたしはこれが不思議だったんだけど、池波正太郎の『食卓の情景』を読み、「どんどん焼き」が東京の下町の食文化だったことを知り、東京は東京でも下町とは反対の山の手育ちの父さんは、あまり好きではなかったんだと納得した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、こないだ池波正太郎の食べ物エッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)を読んでいたら、とっても興味深い一節に遭遇した。東京の蕎麦について書かれている「藪(やぶ)二店」という項の中で、池波正太郎が子どものころ、曾祖母に連れられて、よく蕎麦屋へ行ったという思い出だ。以下、その部分を引用させていただく。

 

 

(引用ここから)
 私を可愛がってくれた曾祖母も、何かごちそうしてくれるといえば、蕎麦やであった。先ず、天ぷらなどの種物(たねもの)をとってくれ、自分はゆっくりと一合の酒をのみながら、
「おいしいかえ?」
 などと、はなしかけてくる。
「うん、うまいよ」
 仕方なく、こたえる。
 実際のところ、どうせ、ごちそうしてくれるなら、支那飯屋のシューマイ御飯か、洋食屋のカツライスのほうがいいとおもうのだが、曽祖母は、
 「肉(ももんじい)なぞ食べると、ろくなことはないよ」
 と、私をたしなめた。
 維新のころは、大名屋敷に奉公をしていて、殿さまの〔御袴(おはかま)たたみ〕を受け持っていた曾祖母だけに、万事がこれだった。
(引用ここまで)
※池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)より引用

 

 

この一節を読んだあたしが何よりも興味を持ったのが、池波正太郎の曽祖母が「肉」のことを「ももんじい」と言っている点だ。東京の下町には、今も「ももんじ屋」という店名で、イノシシ肉の牡丹鍋や牛肉のすき焼きなどを提供しているお店が残っているけど、池波正太郎が子どものころ、つまり、昭和初期には、一般の庶民の中にも「肉」のことを「ももんじい」と呼んで、忌み嫌っている人が残っていたのだ。

 

池波正太郎は大正12年(1923年)の生まれなので、その曾祖母ともなれば、たとえ時代は明治になっていても、まだまだ江戸時代を引きずっている世の中に生まれたことになる。さっきの引用の最後にも、大名屋敷に奉公していて殿さまの袴をたたむ仕事をしていたと書かれている。だから、池波正太郎の曾祖母は、少女のころから「獣の肉を食べることはNG」という江戸時代の風習が身に染みついていたんだと思う。

 

 

‥‥そんなワケで、縄文時代以前の日本人は狩猟民族だったから、もともと日本では、木の実や魚と同じように動物の肉も食べていた。そして、縄文時代の終わりころに稲作が始まったけど、それでも狩猟は続いていたし、日本人は長い間、動物の肉を食べて来た。500年代の飛鳥時代に、大陸から仏教が伝来して、動物を殺して食べることをタブー視するような風潮が生まれても、600年代の奈良時代に、稲作を促進して税収をアップさせるため、稲作の労働力であるウシやウマなどの肉食を禁止する法令が発布されても、それでも、日本人の多くは動物の肉を食べ続けて来た。

 

野生のイノシシやシカなどは、田畑の作物を食べてしまう害獣でもあったので、大切な作物を守るという意味でも、農民たちは罠を仕掛けたり鉄砲で撃ったりして害獣を駆除していたし、その害獣の肉を食べたり、皮や角や骨などを加工して生活用品を作ったりすることは、それこそ生活の一部だった。だから、いくら肉食をタブー視するような風潮が生まれても、法令で肉食が禁じられても、それをきちんと実践していたのは、仏教のお坊さんのような一部の人たちだけだった。

 

そのため日本では、庶民までが本格的に動物の肉を食べにくくなったのは、江戸時代に入って、5代将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を発布してからだ。その証拠に、「生類憐みの令」が発布される50年ほど前の江戸時代初期、寛永20年(1643年)に編まれた『料理物語』という、当時の料理をまとめた本には、一般的に食べられている動物の肉として、「シカ、タヌキ、イノシシ、ウサギ、カワウソ、クマ、イヌ」の7種があげられていて、その代表的な料理方法まで紹介させている。

 

そして、この「生類憐みの令」にしても、発布しても発布しても隠れて動物の肉を食べる庶民が後を絶たなかったため、ナンダカンダと内容を変えたり追加条項を作ったりして、100回以上も発布されている。だけど、これは綱吉のほうに問題があったと思う。だって、「イヌを殺してはいけない」とかだけなら多くの庶民が従ったと思うし、百歩ゆずっても「四つ足の動物を殺してはいけない」くらいならともかく、綱吉は「魚や貝や虫」まで殺生を禁じたのだ。虫を殺してもいけないなんて、こんなの守れるワケがない。

 

 

‥‥そんなワケで、この「生類憐みの令」は、その内容こそ「おいおい!」と思うほど厳しいものだったけど、実際の取り締まりはそれほど厳しくなかった。だって、腕にとまった蚊を叩いて殺した人まで摘発していたらキリがないからだ。でも、地方はともかく、徳川綱吉のお膝元の江戸では、それなりに取り締まらないとシメシがつかないので、ある意味、見せしめ的な感じで、年に2~3件は処罰されていた。ちなみに、綱吉が「生類憐みの令」を最初に発布してから亡くなるまでの24年間に、処罰されたのは計69件だったと言われている。

 

これでも、どこそこの誰々は「生類憐みの令」を破ったので死罪にするとか島流しにするとか書かれた紙が貼り出されるワケだし、瓦版にも書かれるワケだから、隠れて動物の肉を食べている庶民に対しては、一定の効果はあったのかもしれない。でも、ほとんどの庶民は、それまでずっと続いて来た自分たちの食文化をおいそれと変えられるワケがないから、やっぱり、隠れて食べ続けていた。

 

一方、武家の側を甘くするワケには行かないから、たった1羽の鳥を殺しただけで、死罪や切腹になった旗本や与力もいた。当時、武家の間では、こうした不祥事を出さないように、法令で縛るだけではなく、「生き物を殺生するとバチが当たる」とか「動物の肉を食べると不幸なことが起こる」とか、仏教を利用した洗脳が行なわれていた。そして、ここでようやく話がクルリンパと戻るんだけど、大名屋敷に奉公して殿さまの下で働いていた池波正太郎の曽祖母は、こうした洗脳をタップリと浴びていたということになる。

 

 

‥‥そんなワケで、少女のころに大名屋敷に奉公していた池波正太郎の曽祖母は、時代が明治、大正、昭和と変わっても、シューマイ御飯やカツライスを食べたがる自分の曾孫の池波正太郎に対して、「肉(ももんじい)なぞ食べると、ろくなことはないよ」と言い続けていたのだ‥‥ってなワケで、長い前置きも済んだので、いよいよ本質に迫っちゃうけど、池波正太郎の曾祖母は、どうして「肉」のことを「ももんじい」と言っていたのだろうか?

 

「ももんじい」とは「百々爺」、妖怪の名前だ。あたしの大好きな『ゲゲゲの鬼太郎』では、鬼太郎を無実の罪で告発した悪い妖怪だ。百々爺が捏造したインチキな証拠写真で鬼太郎を告発したため、鬼太郎は、閻魔大王が裁判長をつとめる妖怪裁判で「千年の壺漬けの刑」に処せられてしまいそうになる。でも、ギリギリのとこで、鬼太郎に助けられた妖怪たちが鬼太郎に有利な証言をした上、百々爺の側についていたねずみ男までもが鬼太郎の味方になり、ホントの悪者は百々爺だったということが明らかになる。

 

そんな百々爺だけど、江戸時代中期の浮世絵師の鳥山石燕(とりやま せきえん)が安永8年(1779年)に刊行した妖怪画集『今昔画図続百鬼』では、次のように解説してある。

 

 

「百々爺未詳。愚按ずるに山東に摸捫ぐはと称するもの、一名野襖ともいふとぞ。京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ。もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せてもゝんぢいといふ。原野夜ふけてゆきゝたえ、きりとぢ風すごきとき、老夫と化して出て遊ぶ。行旅の人これに遭へばかならず病むといへり」

 

 

この解説を読んでも、何が何だか分からないと思うので、あたしがザックリと現代文に訳すけど、まず「未詳」というのは「まだハッキリしないこと」という意味だ。つまり、これを書いている鳥山石燕自身が、百々爺という妖怪については、まだハッキリとしたことが分からないので、取りあえず、現時点で分かっていることだけを書いておきますね~って感じの解説ってワケだ。

 

で、カンジンの本文だけど、「山東に摸捫ぐはと称するもの」の「摸捫ぐは」は「ももんぐは」、あの「ももんが」のことだ。そして、別名「野衾(のぶすま)」とも言うと解説している。それから、「京都では子どもを叱る時に『元興寺』と言って脅かす」と書かれている。「元興寺(がんごうじ)」は奈良にあるお寺のことだけど、ここでは「元興寺に鬼が出た」という言い伝えから転じて、その鬼のことを「元興寺(がごし)」と呼ぶようになったという流れを踏まえている。つまり、悪いことをした子どもを叱る時に、大人は「がごしが出るぞ」と言って脅かしていたという意味だ。

 

続く、「もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せてもゝんぢいといふ」というのは、山東の妖怪の「摸捫ぐは(ももんが)」と、元興寺に出た鬼の「元興寺(がごし)」を合体ロボさせて、「百々爺(ももんじい)」というようになった‥‥ってことだ。そして、その後の解説では、「夜が更けても風の強い日には、(百々爺は)老人に化けて外に遊びに出る。旅人などが(この百々爺に)出くわすと、必ず病気になってしまう」と書かれている。

 

で、「ももんがの別名」として登場した新たな妖怪「野衾(のぶすま)」だけど、これも『ゲゲゲの鬼太郎』が大好きなあたしにはオナジミの妖怪だ。そして、さっきの百々爺と同じく、『今昔画図続百鬼』で解説されている。

 

 

「野衾は鼯(むささび)の事なり。形蝙蝠(かたち こうもり)に似て、毛生ひて翅(つばさ)も即肉なり。四の足あれども短く、爪長くして、木の実をも喰ひ、又は火焔をもくへり」

 

 

これは現代語に直さなくてもだいたいの意味は分かると思うけど、「野衾とはムササビのことで、姿はコウモリに似ている。全身が毛に覆われていて、翼までもが鳥とは違って肉質だ。4本の手足を持っているが、その手足自体は短く、しかし爪は鋭く長い。木の実を食べるような大人しい妖怪でありながら、その一方で、口から火を吐くこともある」ってな感じだ。

 

今でこそ、「モモンガやムササビは哺乳類」だと分かっているけど、モモンガやムササビは、山や森を歩く人をめがけて飛んで来て、人の顔に覆いかぶさったり、夜、焚き火や松明(たいまつ)の火に釣られて飛んで来ることがあったようで、こうした習性から、実在の動物でありながら、妖怪の一種とも見られていたようだ。だから、昔の江戸周辺では、実際のモモンガやムササビのことを野衾とか飛倉(とびくら)と呼ぶこともあったし、野衾とか飛倉と呼ばれている「モモンガやムササビに似た妖怪がいる」という認識もあった。

 

だから、野衾は、今のツチノコのような存在だったのかも知れない。事実、地方によっては、ツチノコの別名である「ノヅチ」や「ツチコロビ」を野衾と呼ぶところもある。飛んで来て旅人の顔に覆いかぶさるモモンガやムササビと、足元に飛び出して来て旅人を転ばせるノヅチやツチコロビは、どちらも山越えの旅人の足を止める妖怪として、同じ名前で呼ばれていても不思議じゃない。

 

一方の元興寺(がごし)のほうは、さっきの鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』には「がこし」と書かれていたけど、多くの文献には「がごじ」と書かれている。やっぱり、「寺」なんだから「じ」のほうがシックリ来るよね。で、もともとは奈良の元興寺(がんごうじ)に出た鬼の呼び名だったけど、この鬼が妖怪の代表格だったからなのか、そのうち妖怪全般を「がごじ」と呼ぶようになった。これも江戸周辺に広がったようで、江戸時代の文献には、妖怪のことを「がごじ」「がごぜ」「ぐわごぜ」「がんご」などと呼んでいるものが散見される。

 

 

‥‥そんなワケで、ここまで分かったことをマトメてみると、「もゝんぐは」は別名を「野衾(のぶすま)」と言い、全身が毛に覆われていて翼までもが肉でできている妖怪だということ。そして、その「もゝんぐは」と、妖怪の代名詞でもある「がごじ」を合わせた妖怪が「もゝんぢい」だということ。ここまで分かれば、もうゴールは目の前だ。

 

「生類憐みの令」を発布した5代将軍徳川綱吉が亡くなり、動物の肉を食べることが法に触れなくなってからも、仏教が禁じている殺生には反するということから、庶民はイノシシやシカなどの動物の肉を食べることを「薬喰い(くすりぐい)」と呼んでいた。栄養価の高い動物の肉を食べることは、ある意味、薬と同じ意味合いだったので、「薬なのだから」という観点が、仏教の禁じている殺生に反することへのイイワケにもなっていたのだ。

 

そして、冒頭でも「東京の下町には、今も「ももんじ屋」という店名で、イノシシ肉の牡丹鍋や牛肉のすき焼きなどを提供しているお店が残っている」と書いたけど、当時の江戸では、イノシシやシカなどの動物の肉を売ったり、料理して提供する店のことを「ももんじい屋」とか「ももんじ屋」と言っていた。この呼び名は、禁を破ってまで食べる動物の肉のことを、全身が毛に覆われていて翼までもが肉でできている妖怪の「もゝんぐは」の発展形の「もゝんぢい」になぞらえた、ある意味、自虐的なネーミングがルーツだ。表向きは「忌み嫌われている肉」で商売をしているため、「忌み嫌われている妖怪」の名前をつけたという流れだ。

 

さらには、食べると病気にならないと謳っていた「薬喰い」の店に、出くわすと必ず病気になってしまう妖怪「百々爺」の名前をつけるという、反語的な意味合いもあった。だから、正面切っての自虐的なネーミングというよりも、江戸っ子の洒落が効いたネーミングなのだろう。

 

もちろん、江戸の庶民は店の名前など関係なく、美味しい牡丹鍋や紅葉鍋、桜鍋やすき焼きなどを堪能していたワケだし、これが、明治時代に入ってからの「すき焼きブーム」へと繋がって行くワケだけど、それでも、頑なに肉食を拒んで来たのが、一部の信心深い武家の家系だったのだろう。そして、ようやくゴールにたどり着いた。そう、「肉(ももんじい)なぞ食べると、ろくなことはないよ」という池波正太郎の曾祖母の言葉だ。

 

 

‥‥そんなワケで、今でこそ、動物の肉を食べない日本人の大半は、思想的な理由、つまり、自分の意思で肉を口にしないことを選択したベジタリアンだけど、江戸時代には、法令や宗教的な理由から、動物の肉を食べたくても食べられない時期や、隠れて食べなくてはならなかった時期もあったのだ。そして、江戸から明治、明治から大正、大正から昭和へと時代が流れ、世の中が大きく変化しても、それでも頑なに江戸の武家の戒律を受け継いでいた人がいたのだ。昭和になっても「肉」のことを「ももんじい」と呼び、曾孫に向かって食べると「ろくなことはない」と言い切る。『散歩のとき何か食べたくなって』の、この一節を読んだあたしは、池波正太郎の曾祖母に対して、時代の犠牲者というマイナスの面よりも、日本文化の伝承者というプラスの面こそが際立って感じられた今日この頃なのだ。

 

 

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2016.02.22

非現実的な経産省の廃炉試算

1週間ほど前に、福井県にある高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉にした場合の費用がおよそ3000億円に上るという試算を、日本原子力研究開発機構が福島第1原発事故後の2012年に行なっていたことが分かった‥‥という報道があった。ザックリした内わけは、解体や放射性廃棄物の処理にかかる費用が約1300億円、廃炉作業中の設備の維持管理費が約1500億円、核燃料の取り出しに約200億円、もうこれで3000億円だけど、これはあくまでも現時点で試算可能な部分だけであって、冷却に使われているナトリウムを取り出す技術は「これから開発する」、核燃料の輸送やナトリウムの処理は「未定」なので、実際には、さらに費用が膨らむことは必至だ。

これは、通常の原子炉と同様に、「廃炉まで30年」という予測をベースに試算されているから、まだ世界で確立されていない「冷却用ナトリウムを取り出す技術」を開発するのに時間がかかれば、そのぶん、廃炉までの年月も延長されるワケで、そうなれば当然、年間200億円もの維持管理費も、この試算にどんどん上乗せされていく。ようするに、この試算は、現時点で分からない部分に関しては棚上げした上に、できる限り低く見積もったものということになる。

それにしても、日本の原子力業界って、どうしてこんなにも無責任なんだろう?だって、この「もんじゅ」だけでなく、福島第1原発にしたって、「溶け落ちた核燃料を取り出す技術」をこれから開発すると言っているのに、やっぱり「廃炉まで30年」という予測をベースにしているからだ。この「廃炉まで30年」というのは、何の事故も起こしていない通常の原子炉の場合であって、これから新しい技術を開発しないと廃炉作業が進まない原子炉には、まったく当てはまらないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回の「もんじゅ」に関する報道を目や耳にした人たちの多くは、「ええ~!もんじゅの廃炉って3000億円もかかるの~?」って思ったようだけど、これは、経済産業省が発表している通常の原発の廃炉費用と比較してのことだと思う。経産省によると、原発の廃炉期間は20~30年、廃炉費用は小型炉(50万キロワット級)が360億~490億円、中型炉(80万キロワット級)は440億~620億円、大型炉(110万キロワット級)は570億~770億円ということになっているからだ。

だけど、こんな金額は大嘘だ‥‥って言うか、現時点では「絵に描いた餅」でしかない。だって、まだ日本では、商業用原子炉の廃炉は1基も行なったことがなく、特に将来の廃炉を想定せずに建設された初期の原子炉に関しては、解体作業だって手さぐりで行なわなければならないため、実際に廃炉作業に着手してみなければ、期間も予算もまったく分からないからだ。

日本で実際に廃炉を行なったことがあるのは、日本原子力研究開発機構の動力試験炉(茨城県東海村)だけで、これは試験炉なので1.25万キロワットしかない。そして現在は、日本原子力研究開発機構の新型転換原型炉ふげん(福井県敦賀市)と日本原電の東海発電所(茨城県東海村)の廃炉作業が進められているけど、前者が16.5万キロワット、後者が16.6万キロワットで、現在の全国の商業用原子炉と比べると遥かに小型だ。

ちなみに、新型転換原型炉ふげんの廃炉費用は、解体費用が約300億円、高レベル放射性廃棄物の処分費用が約400億円、低レベル放射性廃棄物の処分費用が約140億円、廃炉期間中の施設維持費が数百億円で、計千数百億円と見積もられている。日本全国の商業用原子炉の多くは軽水炉なので、ふげんとは炉型が違うけど、わずか16.5万キロワットのふげんでさえも、実際に廃炉にするとなると千数百億円もの費用が必要になるということだ。

そして、小型でも50万キロワット級、大型だと110万キロワット級の商業用原子炉の廃炉作業は、日本の電力会社にとっては未知の世界であり、30年という期間と数百億円という予算さえあれば確実に廃炉にできるなどとは簡単に断言できない。さらに言えば、1基の原子炉を廃炉にした時に生じる高濃度放射性廃棄物の処理方法も決まっていないのだから、何の事故も起こしていない通常の原子炉の場合でも、廃炉費用が数百億円で済むワケがないとあたしは考えている。


‥‥そんなワケで、最初に約3000億円だと試算されていた2020年の東京オリンピックの運営費用が、今では6倍の約1兆8000億円に膨らんでしまった事実を見れば分かるように、こうした試算は、ビフォーアフターに大きな差が出ることが多い。ようするに、事前は批判されないようにできるだけ低い金額を出しておき、計画にGOサインが出てからホントの金額を言う‥‥ということなんだと思う。

だから、原発の廃炉費用にしても、経産省が発表している現在の金額は、あくまでも「ビフォーの金額」なのだ。ふげんのように実際に廃炉作業に着手してみれば、いやおうなしに「アフターの金額」を公表せざるを得なくなるだろう。いくら炉型が違うとは言え、16.5万キロワットのふげんの廃炉に千数百億円かかるのだから、110万キロワット級の商業用原子炉が、その半額で廃炉にできるワケがない。

ちなみに、2002年に電事連が発表した「2045年までの長期試算」では、全国の商業用原発52基と再処理工場に関して、廃炉のための解体、撤去、放射性廃棄物の処分の費用として、約26兆6000億円という試算が出ている。原発も再処理工場も稼動期間が40年と定められているので、2002年の時点では全国にある原発52基と再処理工場のすべての廃炉作業を2045年までに開始しなくてはならず、そのための試算を行なったワケだ。

で、この約26兆6000億円のうち、約7兆円を占めているのが再処理工場にかかる費用なので、原発52基の廃炉費用は約20兆円ということになる。この52基の原子炉は、炉型や規模の違いはあるけど、とりあえずザックリと割り算してみると、「20兆円÷52基=3846億円」てワケで、1基あたりの廃炉費用は、経産省の試算とは大きく異なるものとなった。

1基あたりの廃炉費用を360億円~770億円と見積もっている経産省、一方、3846億円と見積もっている電事連、同じ原子力ムラの住人でも、立場が違うとこれほどまでに試算も違ってくるのか。そして、わずか16.5万キロワットのふげんの廃炉に千数百億円かかるという事実から推察すれば、50万キロワットから110万キロワットの商業用原子炉の廃炉に必要な費用はどちらの試算のほうが正しいのか、これは一目瞭然だろう。

そして、通常の原子炉でも1基の廃炉に3846億円もかかるということであれば、今回の「もんじゅ」の廃炉費用が約3000億円というのは、高いどころか安すぎるくらいだろう。もちろん、最初に書いたように、この約3000億円には「冷却用ナトリウムを取り出す技術」を開発する費用などが含まれていないのだから、これより高くなることは分かっているけど、たとえ2倍の6000億円になったとしても、まだまだ安いとあたしは思っている。

これまでに1兆1000億円もの予算を投入しながら、不正に次ぐ不正、贈収賄に次ぐ贈収賄、事故に次ぐ事故で、20年経っても1ワットの電気も発電できないどころか、現状を維持しているだけで25万世帯ぶんもの電力を無駄遣いし続けている「もんじゅ」など、1日も早く廃炉にすべきなのだ。現在、「もんじゅ」の維持費は年間に約500億円と言われているけど、今後12年、このままにしていたら、「500億円×12年=6000億円」をドブに捨てることになる。それなら、その6000億円を使って廃炉にしたほうが遥かに建設的だろう。


‥‥そんなワケで、ここまで廃炉費用のことを中心に書いて来たけど、廃炉には費用だけでなく、長い時間がかかる。まだ日本では商業用原子炉の廃炉作業は行なったことがないので、経産省が発表している「20~30年」というのも、費用と同じく「絵に描いた餅」であり、実際には50年かかるか100年かかるか分からない。実際、2005年に「廃炉庁」を新設し、政府が前面に立って老朽化した原発の廃炉に取り組んでいるイギリスでは、現在、廃炉作業中の24基を完全に解体し終えるまでに「約90年」と試算している。

廃炉専門の省庁を新設して、政府が本気で取り組んでいるイギリスでさえ「廃炉まで約90年」と言っているのに、すべて電力会社に丸投げしている日本が、どうすれば「20~30年」で廃炉作業を終えられると言うのだろうか。それどころか、「溶け落ちた核燃料を取り出す技術」をこれから開発すると言っている上に、事故から5年経っても汚染水を止められない福島第1原発も、「冷却用ナトリウムを取り出す技術」をこれから開発すると言っている「もんじゅ」も、同じく「30年」で廃炉にできると言う。

だけど、あたしは、安倍政権や経産省や電力会社が言い続けてきた「廃炉まで30年」という「絵に描いた餅」はまったく信じていないし、こんな数字は「原発の稼動期間が40年」という決まりから逆算されたものでしかないと思っている。もしも「廃炉まで50年」と言ってしまったら、原子炉を増設しても新設しても廃炉作業中の原子炉のほうが多くなってしまい、「原発を最重要ベースロード電源」と位置づけている安倍政権にとって都合が悪くなるからだ。


‥‥そんなワケで、この「廃炉まで30年」という経産省や電力会社の廃炉計画は、原子力ムラの面々が原発推進のために捏造した「都合のいい数字」だとあたしは思っているけど、それでも、この廃炉計画の中には正しいことも書かれている。それは、廃炉工程の第1段階の「原子炉を停止して核燃料を取り出してから5~10年は放置して放射線量が下がるのを待つ」という部分だ。最低でも5年は待たないと放射線量が高くて解体作業に着手できないということは、すでに実証されている事実だからだ。つまり、福島第1原発の事故から5年を迎える現在、日本の大半の原子炉は5年以上停止しているため、今すぐにでも解体作業に着手できる状態だということになる。これは、日本が本気で脱原発に向けて大きく舵を切る最大のチャンスと言えるだろう。安倍晋三首相がホントに日本を「美しい国」、そして「未来の人たちに誇れる国」にしたいと思っているのなら、「1億総活躍大臣」などという国民をバカにした大臣なんか必要ないから、まずは「廃炉庁」と「廃炉担当大臣」を新設して、口先だけでなく本気で福島第1原発の事故収束と全国の原発の廃炉に取り組んでほしいと思う今日この頃なのだ。


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2016.02.20

ツイッターでの嫌がらせに対するあたしのスタンス

あたしのツイッターのフォロワーって、12万人だと思ってたんだけど、さっき見たら13万1000人になってた。こんなあたしをフォローしてくれた皆さん、ありがとうございます!‥‥とか言いつつ、フォロワーが増えると、それに伴って嫌がらせも増えるワケで、そういうリプライを偶然に目にすると、こんなあたしでもちょっとムカつく。

あたしの場合、嫌がらせのリプライやツイートをブロックしたのが約1万人だから、(13万人+1万人)分の1万人、だいたい7%がアンチだと認識してる。だから、フォロワーが増えてくれることは嬉しいんだけど、フォロワーが100人増えれば、そのうちの7人はアンチであり、あたしに嫌がらせをするためにフォローしたんだと思ってる。

ま、嫌がらせのリプライやツイートの大半は、小学生のイジメみたいなレベルの幼稚なものだから、いちいち相手にしないで即ブロックしてるけど、中にはシャレにならないものもある。たとえば、「殺してやる!」とか、「お前の家に火をつけてやる!」とかだ。つい最近も、どこの誰だか知らない人、性別も年齢も何ひとつ分からない人から、「お前の顔をギタギタに切り刻んでやる!」というツイートが来てた。

あたしは、数多くのリプライや、あたし宛てのツイートにはほとんど目を通してなくて、あたしがツイッターにアクセスした時に、あたし宛てに届いてるメッセージの「画面に表示されたぶん」だけ、ようするに「最新の10件」くらいしか見ないので、それ以外のことは分からない。でも、今回の脅迫メッセージは、あたしのフォロワーの何人かが知らせてれたので、あたしの知るところとなった。

で、通常の嫌がらせメッセージは無視してブロックするあたしだけど、こうした「度を超えたもの」に関しては、一応、ツイッターの運営に報告することにしてる。だから今回も、削除して逃げられないように、この脅迫メッセージの画面をキャプチャして証拠を押さえてから、この脅迫メッセージのURLをツイッターの運営に通報した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、誰かのブログやサイトや掲示板などに、自分に関するデマや脅迫などが書き込まれた場合って、それぞれのポータルサイトの運営姿勢によって多少の違いはあるけど、運営に通報してから該当文章が削除されるまでに長い時間が掛かることが多い。それでも、ちゃんと対応してくれて、削除してくれるのは良心的なほうで、中には、某大型掲示板のように、刑事事件に発展しても削除せずに放置してるケースもある。

でも、ツイッターはチョー良心的で、これまで、あたしが通報した件に関しては、すべて、ソッコーで対応してくれた。最長でも1週間以内、4~5日で相手のアカウントを凍結してくれた。今回の「お前の顔をギタギタに切り刻んでやる!」という見ず知らずの人からの脅迫ツイートに関しても、あたしがそのツイートのURLをツイッターの運営に通報したら、数時間後に次の自動返信が届いた。


@kikko_no_blog
いつもご利用いただきありがとうございます。
報告を受領いたしました。Twitterチームは、報告内容を確認し、ユーザーが嫌がらせ行為に関するポリシー (https://support.twitter.com/articles/20169997) に違反していることが判明した場合は適切な対応を実施します。追加の情報が必要な場合や、ご報告いただいたアカウントがTwitterルール (https://support.twitter.com/articles/18311) に違反していることが判明した場合は、改めてご連絡いたします。
他にも以下の対応をご検討ください。
対象ユーザーに反応しないでください。あなたや他の人に対し意図的に挑発行為を行っている人に反応すると、そのような行為を助長する可能性があります。
問題のユーザーをブロック (https://support.twitter.com/entries/117063) またはミュート (https://support.twitter.com/articles/20171399-muting-users-on-twitter) します。
嫌がらせや脅迫行為をするユーザーへの対処方法については、こちら (https://support.twitter.com/articles/15794) をご覧ください。
不適切な画像/動画を報告する方法 (https://support.twitter.com/articles/20069937) について確認します。
脅威を感じたり、危険な状況に置かれている場合は、地域の捜査機関に相談してください。また、捜査機関には、Twitterの捜査機関向けガイドライン (https://support.twitter.com/articles/41949) を確認していただいてください。Twitterが捜査機関から直接問い合わせを受けた場合、Twitterは捜査機関に協力し、問題の調査に必要な情報を提供することができます。
注記: Twitterが対処できるのは、Twitterに投稿されたコンテンツに関連する問題だけです。攻撃的なコンテンツがTwitter以外のウェブサイトに投稿されている場合は、当該サイトに情報の削除を要請してください。
よろしくお願いいたします。
Twitter


で、そのまま待ってたら、翌日、つまり、あたしが通報してから2日後に、次のメールが届いた。


@kikko_no_blog
いつもご利用いただきありがとうございます。
この問題をお知らせいただき、ありがとうございます。
ご報告いただいたアカウントを調査した結果、Twitterルール (https://support.twitter.com/articles/18311) 違反に該当すると判断しましたので、アカウントをロックいたしました。アカウントの所有者が要請に応じ、所定のポリシーを遵守した場合、アカウントのロックは解除されます。
Twitterに表示されるコンテンツを制限する方法については、該当するヘルプページ (https://support.twitter.com/articles/20170134) をご覧ください。
今後もTwitterルールへの違反を見つけましたら、ご報告をよろしくお願いします。Twitterの改善に役立つご協力を感謝いたします。
ご協力よろしくお願いいたします。
Twitter


なんという速さ!あたしに脅迫メッセージを送りつけて来た相手のアカウントを、ツイッターの運営は通報から2日後に凍結してくれたのだ。そして、こうしたやりとりはすべてデータが残ってるから、この相手が新たなアカウントを取得して、またあたしに脅迫メッセージを送りつけて来た場合、もしもあたしが警察沙汰にして個人情報の開示請求をすれば、この相手は今回の脅迫についてもバレることになり、「粘着質な常習犯」として通常よりも重い罰を受けることになる。


‥‥そんなワケで、包丁は料理を作る時に必要な道具だし、トンカチは釘を打つのに必要な道具だし、バットは野球をするのに必要な道具だけど、どの道具でも人を殺すことができるし、実際に殺人に使われた事例もある。これと同じで、ツイッターを始めとしたネット上の道具でも、使う人や使い方によっては、他人を傷つける凶器にもなりうる。これは現実社会と同じで、どんなに厳しいルールや規制を導入したとしても、絶対にゼロにすることはできないと思う。

あたしは、以前から何度も言ってるように、価値観の違う人や思想の違う人、趣味嗜好の違う人や立ち位置の違う人と議論することは不毛だと思ってる。ラーメンよりも日本そばが好きなあたしに対して、ラーメン好きの人がどんなにラーメンの素晴らしさを熱弁しても、あたしの日本そば好きは変わらない。そして、その逆も同じだと思ってる。

だから、あたしのツイッターやブログでの発言が気に入らない人は、あたしと価値観や思想が違うのだから、あたしと趣味嗜好や立ち位置が違うのだから、あたしにイチャモンをつけるのではなく、自分のツイッターや自分のブログで自分の意見を発信すればいいと思う。いちいち自分と違う考え方の人たちにイチャモンをつけてまわっても、それは単なる「嫌がらせ」であり、小学生のイジメと何も変わらない。

たとえば、あたしに嫌がらせのメッセージを送りつけてくる人たちの8割以上は自民党支持者、安倍晋三支持者だけど、そうした人たちのメッセージのほぼ100%が、あたしのツイートに対する幼稚な揚げ足取りか、あたしに対する誹謗中傷だ。ホントに自民党や安倍晋三を支持してて、自民党や安倍晋三を批判してるあたしにメッセージを送りつけて来るのなら、どれほど自民党の政策が優れているか、どれほど安倍晋三が素晴らしい政治家なのかを説くべきであって、あたしに対する嫌がらせをしても、「ああ、やっぱりクズ政党の支持者はクズばかりなのね」と印象づけることにしかならないだろう。

こんなこと、子どもでも分かる理屈なのだから、当然、あたしに嫌がらせのメッセージを送りつけて来る自民党支持者も分かってるだろう。それでも、未だに一定量の嫌がらせメッセージか届くのだから、自民党支持者や安倍晋三支持者の何割かは、「反自民の人たちに自民党の良さを分かって欲しい」と考えているのではなく、在日コリアンたちに耳が腐るような最低のヘイトスピーチを浴びせてニヤニヤしてる人間のクズと同レベルの「反自民の奴らに嫌がらせをすること」を目的としたクズということになる。


‥‥そんなワケで、あたしは、ツイッター上での幼稚なイチャモンや嫌がらせに関しては、これまで通りにソッコーでブロックするし、度を超えた脅迫メッセージに関しても、これまで通りにソッコーで通報する。そして、あまりにも粘着質な場合には、個人情報の開示請求をして徹底的にケンカを買うことにしてる。本音としてはメンドクサイヤ人なんだけど、そうしないと、こうした病的なバカの嫌がらせは終わらないからだ。わずか7%のバカのために、93%の良識あるフォロワーに迷惑を掛けたくないから、ツイッター上ではやらないけど、水面下では徹底的に戦ってるあたしなのであった‥‥なんて感じでシメてみた今日この頃なのだ♪


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2016.02.18

きっこの晩酌

まだまだ夜は寒いので、自宅での晩酌は焼酎のお湯割りがメインだけど、ようやく普通のお湯割りでも楽しめるようになって来た‥‥と言うのも、こないだ雪が降った日からしばらくは、あまりにも室温が低くて、普通のお湯割り、つまり、グラスにお湯を注いでから焼酎を注ぐ作り方をすると、あっと言う間にぬるくなっちゃってたからだ。

我が家の暖房は電気こたつがメインなので、綿入りの半纏(はんてん)を羽織ってこたつに入っていれば、室温が低くても寒くはないけど、こたつの上に置いたコーヒーやお湯割りは、5分もするとぬるくなっちゃう。そこで、あたしが考えたのが、前もって焼酎と水を1対2で割った「前割り」をペットボトルに作っておき、それを徳利に移して熱燗にして飲むという方式だ。

でも、熱燗はこたつの上の電気ポットで温めるから、普通の徳利だと使い勝手が悪い。そこで登場するのが、キンミヤ焼酎の300mlの小瓶だ。ちなみに、キンミヤ焼酎というのは通称で、正確には亀甲宮焼酎と言う。きっこが飲むのにぴったりのキッコーミヤ焼酎‥‥なんてのも織り込みつつ、これはホントに便利な小瓶だ。

キンミヤ焼酎の300mlの小瓶は1本325円なので、中身を飲むだけなら大きいサイズのほうがお得だけど、これは徳利の代わりに使えるので、あたしは2本持ってる。もちろん、ちゃんとした徳利もいろいろと持ってるけど、それはお鍋でお燗をつける時に使うもので、電気ポットの場合はこの小瓶のほうがダンゼン便利なのだ。

何よりも、1合より多くて2合より少ない300mlという容量がいい。電気ポットに7分目くらいまで水を入れて、お酒を入れた小瓶を入れてスイッチオン!これで自動的に熱燗ができるし、ぐい呑みに注いだら、小瓶を電気ポットに入れておけば、残りも冷めない。徳利だと、中身が半分くらいになるとお湯に入れても浮いちゃってバランスが悪くなるけど、小瓶は細長い上にそこそこ重さがあるので、中身が3分の1くらいなっても電気ポットに入れておける今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、もう普通に焼酎のお湯割りを作っても、それほど冷めなくなったので、この熱燗方式はあんまりやらなくなったけど、それでも、ここ一番でアツアツのお湯割りが飲みたい時とか、赤ワインをホットにして飲みたい時とかに、たまにやってる。赤ワインをホットにした時は、レモンのスライスを1枚入れると、とっても美味しいし身体が温まる。

それから、焼酎の時は、麦焼酎は麦茶割り、そば焼酎はそば湯割りが好きなので、お湯割りにするのは安い甲類焼酎がメインになる。キンミヤ焼酎も美味しいけど、あたしは宝焼酎の25度の1.8リットルのピュアパックっていう紙パックのを格安店で買うことが多い。宝焼酎の1.8リットルのピュアパックには、20度と25度があって、高い店だとどちらも1000円以上するけど、格安店なら25度は900円前後で買える。

で、甲類焼酎をお湯で割っても、香りもしないし味も淡泊なので、梅干しを入れることになる。だけど、大きな梅干し1個で3杯くらいしか飲めないから、梅干しも安くはないので、代わりに一味唐辛子を振ったりする。グラスにお湯を注ぎ、一味唐辛子をパパッと振って、そこに焼酎を注ぐ。これなら安上がりだし、身体も温まる。

だけど、一味唐辛子にも飽きてきたので、最近はいろいろと実験してる。まずは、ゆかり。紫蘇の粉末のアレだ。ゆかりは紫蘇だけじゃなくて塩味も濃いので、あまり入れすぎるとしょっぱくなっちゃうから、300mlのお湯割りに対して、最大でも小さじ半分くらいがいい。紫蘇の香りとわずかな塩気で、なかなか美味しい。飲み進むうちに、ゆかりがグラスの底に沈殿するので、ここにお湯と焼酎を注げば2杯目が飲める。でも、3杯目には紫蘇の味がしなくなるから、出がらしを捨てて、新たにゆかりを入れる。

続いては、梅昆布茶だ。これも、一味唐辛子やゆかりと同様に、お湯を注いだ時に入れるんだけど、梅昆布茶の場合はスプーンでよく混ぜてから焼酎を注ぐ。これもなかなか美味しいんだけど、4杯も5杯も飲むと、ゆかりと同じで塩分の摂り過ぎになっちゃうので、あたしは2杯までと決めてる。

ま、よく考えてみれば、単なる「焼酎の梅昆布茶割り」ってワケだけど、普通に梅昆布茶を作って飲む時よりは薄く作るので、雰囲気としては「梅昆布茶フレーバーの焼酎のお湯割り」ということになる。そして、ここから発展したのが、粉末の緑茶だ。お抹茶は高いので、あたしは40gで350円くらいの有機粉末茶を使ってるけど、40gで80杯も飲めるので、1杯あたり4円ちょい、これならリーズナブルだ。

これも、ようするに「焼酎の緑茶割り」ってことになるけど、一味唐辛子やゆかりのように塩分を気にする必要がない。だから、あたしは、1杯目だけ梅昆布茶を入れて飲んで、2杯目からは粉末緑茶を入れたりしてる。これなら、いつものペースで5~6杯飲んでも、あとから塩分のせいで喉が渇いたりしない。でも、普通に緑茶を飲む時よりは薄めにして、これまた「緑茶フレーバーの焼酎のお湯割り」にしないと、利尿作用で夜中におトイレに行くことになっちゃう。


‥‥そんなワケで、あたしが最近よく飲んでるのが、この粉末緑茶を混ぜた甲類焼酎のお湯割りなんだけど、お茶の香りと味がするためなのか、おつまみもサッパリしたものが多くなった。焼酎、特に泡盛をロックで飲む時には、豆腐ようみたいな塩辛いものや、ゴーヤーチャンプルーみたいな炒めものなど、それなりにパンチのあるおつまみが欲しくなるけど、粉末緑茶を混ぜた甲類焼酎のお湯割りの場合は、ダイコンを千切りにして塩を少し振って手で揉んだだけの「ポリポリ大根」(あたし命名)があれば十分だ。

それから、お茶感覚で飲めるので、お茶受け的な甘いものでも合う。こないだは、仕事で広島に行った時に買って来た紫芋の芋ケンピをおつまみにして飲んだし、それから、熊本の友達が送ってくれた橋本製菓の黒棒という黒砂糖のお菓子をおつまみにして飲んだけど、どっちもバッチリだった。もちろん、塩辛いものや炒めものなど、普通の酒の肴も合うから、ある意味、すごく便利なお湯割りと言える。

ちなみに、最近、知り合いに教えてもらったおつまみが、「サキイカキムチ」だ。普通のサキイカにキムチの素を振りかけて、よく和えたら冷蔵庫で1時間くらい寝かせておくとイイ感じになる。あたしは辛いほうが好きなので、さらに一味唐辛子をプラスして和えたんだけど、なかなか美味しかった。これなら、泡盛のロックでも日本酒の冷やでもウイスキーの水割りでも、何にでも合う。

あと、これにキュウリの千切りを和えても美味しい。ナナメに薄く切ったキュウリを何枚かずつ重ねて細く切って、棒棒鶏(バンバンジー)の鶏肉の下に敷いてあるやつみたいのを作り、サキイカと同量くらい和える。これは後からでもOKなので、まずはサキイカだけ仕込んでおいて、食べる間際にキュウリの千切りを和えても大丈夫だ。他にも、ダイコンの千切りや、サッと茹でたモヤシでも美味しそうなので、次の機会にやってみようと思ってる。


‥‥そんなワケで、粉末緑茶は、茶葉をまるごと飲むことになるワケだから、普通に淹れたお茶の何倍もカテキンを摂取できる。カテキンというのはポリフェノールの一種で、タンニンと呼ばれてる緑茶の渋みの主成分だ。このカテキンには、抗酸化作用,抗がん作用,殺菌作用,血糖値やLDLコレステロール低下作用、脂肪燃焼効果などがある上に、今の時期にはアリガタイザーなインフルエンザへの効能も期待されてる。だから、夜更かしして焼酎のお湯割りを飲むという不健康なことをしてるのに、この粉末緑茶を少し加えただけで、ナニゲに健康的な気分になってくる今日この頃なのだ♪


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2016.02.06

ヴォルフガングと悪魔の話

1987年にアメリカのギタリスト、クリス・インペリテリが結成したヘヴィメタルバンド「インペリテリ」は、レインボーやアルカトラスのヴォーカルをつとめて来たグラハム・ボネットを迎えて発表したファーストアルバム「スタンド・イン・ライン」で注目された。そして、1994年にリリースされたサードアルバム「アンサー・トゥ・ザ・マスター」のジャケットがこれだ。

 

 

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何も知らない人が見ても、これが「聖職者と悪魔」を描いたものであることは分かると思うし、よく見ると悪魔のお尻にも顔があることが分かる。実は、この絵は、このアルバムのために描かれたものじゃなくて、15世紀に活躍したミヒャエル・パッヒャー(Michael Pacher)というオーストリアの祭壇画家で彫刻家の作品だ。

 

この作品には、主に2つのタイトルがある。「St. Augustine and the Devil (聖アウグスチヌスと悪魔)」と「St. Wolfgang and the Devil (聖ヴォルフガングと悪魔)」だ。だから、悪魔は悪魔で間違いないんだけど、聖職者のほうが、聖アウグスチヌスなのか聖ヴォルフガングなのか分からない。で、いろいろと調べてみたら、「The Devil Presenting St. Augustine with the Book of Vices (悪癖の本で聖アウグスチヌスを紹介している悪魔)」という第3のタイトルが見つかった。

 

聖アウグスチヌスは4世紀、聖ヴォルフガングは10世紀の聖人なので、聖アウグスチヌスのことが書かれている本を聖ヴォルフガングに見せるということは可能だけど、その逆は不可能だ。そして、もっと調べてみたら、これは、当時いろいろと創作されていたキリスト教的な都市伝説みたいなものを絵にした作品だということが分かった。

 

実際のヴォルフガングは、920年にドイツ南部のスウェーベンの貴族の家に生まれ、修道院のある学校で学び、神学校へと進み、大司教に任命された友人の招きで神学校の校長になる。そして、972年、皇帝オットー2世からレーゲンスブルクの司教に任命される。自身は質素な生活を続けながら、貧しい人々の支援に尽力した。994年に没した後、1052年に聖人となった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、オーストリアの首都ウィーンから南西へ220キロほどの場所に、かつて「アパー湖」と呼ばれていた湖があった。976年、この湖の湖畔でヴォルフガングが修行をしていると、「ヴォルフガングよ、その手にしている斧を投げよ。そして落ちたところに教会を立てよ」という神のお告げがあった。そして、そのお告げに従って建てられたのが「聖ヴォルフガング巡礼教会」だ。

 

もちろん、これは、あくまでも伝説なので、本当にヴォルフガングが神のお告げを聞いたのか分からないし、斧を投げたのかも分からないけど、この教会は多くの巡礼者を集め、街は発展し、湖の名前は「アパー湖」から「ヴォルフガング湖」に改められた。残念なことに、この教会は1429年に火事で焼けてしまったけど、1477年に後期ゴシック様式の教会が再建され、年間数万人もの巡礼者が訪れるようになった。この教会の主祭壇は、オーストリアに現存するゴシック式祭壇の中の最高傑作と言われている。そして、1471年から1481年まで、10年を費やしてこの祭壇画を制作したのが、そう、ミヒャエル・パッヒャーなのだ。

 

で、話はクルリンパと戻るけど、そのミヒャエル・パッヒャーが描き、500年後にアメリカのヘヴィメタルバンド「インペリテリ」がアルバムのジャケットに使用した作品が、3つのタイトルを総合すると、「聖ヴォルフガングに悪癖の本で聖アウグスチヌスを紹介している悪魔」ということになる。

 

これが、どういうことかというと、1人では教会を建てる力のなかったヴォルフガングに、悪魔が「聖アウグスチヌスは悪魔の力を借りて教会を建てたのだ」という嘘が書いてある本を見せている場面なのだ。ようするに、文字通り「悪魔のささやき」というワケで、ヴォルフガングはこの「悪魔のささやき」に乗っかり、悪魔の力を借りて教会を建てることにしたのだ。

 

悪魔との契約では、教会建設の対価は「完成した教会に最初に足を踏み入れた者の魂」だった。そこで、ヴォルフガングは、教会が完成すると、最初にオオカミを誘導して教会へ入れたのだ。そのため、悪魔はオオカミの魂しか手に入れることができなかった。めでたし、めでたし‥‥って、ちょっと聖職者としては疑問の残る手口だけど、これは皆さんがウスウス気づき始めてるように、ヴォルフガング(Wolfgang)という名前の「ヴォルフ」が、英語では「ウルフ」、つまり「オオカミ」だというところから創作された話なのだ。

 

 

‥‥そんなワケで、火事で焼けてしまった聖ヴォルフガング巡礼教会が、後期ゴシック様式で再建され、ミヒャエル・パッヒャーによる祭壇画が納められてから約300年後の1755年11月2日、オーストリアの首都ウィーンで、1人の女性が誕生した。神聖ローマ皇帝のフランツ1世シュテファンとオーストリア女帝のマリア・テレジアの間に生まれたマリア・アントーニア、フランス語読みならマリー・アントワネットだ。

 

そして、マリー・アントワネットの誕生から3カ月後の1756年1月27日、ザルツブルクでモーツァルトが誕生した。ザルツブルクは、今はオーストリアの都市だけど、当時は神聖ローマ帝国の領土だった。そんなモーツァルトのフルネームは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト‥‥ってなワケで、またまた「ヴォルフガング」が登場した!

 

幼少時に「天才」や「神童」の名を欲しいままにしたモーツァルトは、音楽家の父親に連れられてパリやロンドンなどを演奏してまわった。そして、1762年10月13日、女帝マリア・テレジアに招かれてウィーンのシェーンブルン宮殿で演奏することになった。この時、当時6歳だったモーツァルトはピカピカに磨き抜かれた床で足を滑らせて尻餅をついてしまったが、サッと手を差し伸べたのが、モーツァルトと同年代の皇女マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)だった。

 

助け起こされたモーツァルトは、その少女の美しさにひと目惚れしてしまい、その場で「大きくなったら僕のお嫁さんになってほしい」と言った。だけど、この時、すでにマリア・アントーニアには婚約者がいた。そう、フランス王太子ルイ・オーギュスト、後のルイ16世だ。

 

オーストリア系ハプスブルク家とフランス系ブルボン家は、何世紀にもわたって、ドイツ、イタリア、フランドルを戦場としてヨーロッパの覇権を争って来たけど、長年の戦争でお互いに疲弊して来た。その上、正統カトリックを離脱したイギリスがヨーロッパ支配を目論み始め、プロテスタントのプロイセンも強大な王国へと発展して来て、もはやアッチもコッチも危険な状態になった。そこで、ハプスブルク家とブルボン家は、長年にわたる争いに終止符を打ち、手を結ぶことにしたのだ。この両家が手を結べば、その勢力は強大になり、誰もオイソレとは手が出せなくなるからだ。

 

それが、両家の婚礼、つまり、政略結婚だった。ハプスブルク家の皇女がブルボン家の王太子と結婚すれば、両家、両国は太い絆で結ばれて、周辺の勢力は誰もケンカなど売って来なくなる‥‥ってなワケで、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリア・アントーニアは、最初はフランス王太子ルイ・ジョゼフと政略結婚するハズだった。だけど、王太子ルイ・ジョゼフは1961年に結核で亡くなってしまったため、その弟のルイ・オーギュストが王太子となり、結婚相手になったのだ。

 

こうした大人の事情を後から知らされた6歳のモーツァルトは、生意気にも生まれて初めての失恋に心を痛めてしまい、3年間にも及ぶ傷心ツアーへと旅立った。松本伊代的に言えば「センチメンタル・ジャーニー」ってワケだけど、ミュンヘン、フランクフルト、パリ、ロンドンなどを演奏してまわった。

 

フランクフルトには3週間ほど滞在し、計4回のコンサートを行なった。姉のナンネルがピアノを弾き、弟のモーツァルトがバイオリンを演奏するというのが定番の演奏スタイルだったけど、コンサートの中ではモーツァルトが目隠しをしてピアノを弾くという見世物カラーの強い出し物もあったので、どちらかというと純粋なコンサートではなく、「天才少年」を売り物にしたショーのような感じだったのかもしれない。そして、このフランクフルトでのコンサートの聴衆の中に、当時14歳だったゲーテがいたのだ。この日から60年以上たった晩年、ゲーテは次のように語っている。

 

 

「私は7歳のモーツァルトを見ました。彼は旅の途中で演奏会を開いていたのです。私は当時14歳でしたが、あの小さな人物の調髪と剣を今でもはっきりと覚えています」

 

 

‥‥そんなワケで、ゲーテと言えばモーツァルトと同じく名前くらいは誰でも知っているドイツの文豪だけど、そんなゲーテのフルネームは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ‥‥ってなワケで、またまたまたまた「ヴォルフガング」が登場した!

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、まさか「ヴォルフガングつながり」って理由からじゃないだろうけど、お互いを尊敬し合っていた。直接的な交流はなかったけど、お互いの存在や作品は知っていた。そんな中、ゲーテの詩をモーツァルトが歌曲に仕上げた「すみれ」が生まれたワケだけど、この作品にしても、2人の間で何らかのやり取りがあったワケじゃなくて、このゲーテの詩を偶然に目にしたモーツァルトが、勝手に歌曲にしたものだ。

 

そして、モーツァルトがマリア・アントーニアに失恋してから8年後、14歳になったマリア・アントーニアは、ついにフランス王太子ルイ・オーギュストと結婚することになった。敵対していた国同士の政略結婚なので、一方の顔を潰さないようにと、何から何まで厳格に取り決められた。たとえば、どこで花嫁を引き渡すのか。オーストリアで引き渡せばフランスのメンツが潰れてしまうし、フランスで引き渡せばオーストリアのメンツが潰れてします。そこで、両国の国境を流れるライン川の中州に、花嫁のお引き渡しの儀式を行なう建物を造らせたのだ。

 

急きょ造られた建物は、市民たちの興味の的になったが、もちろん、中を観ることなどできなかった。でも、儀式まではまだ日にちがあったので、護衛の門番に銀貨の2~3枚でも握らせれば、コッソリと中に入ることができた。そして、たまたまこの地を訪れていた20歳のゲーテも、仲間の学生たちと一緒に建物の中に入った。中は素晴らしい装飾品や壁掛けなどで豪華に飾られていたが、感心する友人たちとは裏腹に、ゲーテは激怒した。

 

ゲーテの見つめていた壁掛けは、イアソン、メディア、クレウーサの神話を描いたものだった。魔女メディアはイアソンの妻となるが、イアソンが新しい妻としてクレウーサを迎えようとしたため、激怒したメディアはクレウーサを殺し、自分の子どもまで殺してしまうのだ。ギリシャ神話の中でも、特に残酷な結婚絡みの神話なのに、若き王妃のお輿入れの場にこんな縁起の悪いものを飾っているなんて、いったいぜんたいフランスの建築家や室内装飾家は何を考えているのだ!ゲーテの怒りは収まらなかった。

 

だけど、20歳の学生が王族に進言するワケには行かないし、それ以前に、そんなことをしたら、この建物に入ったことがバレてしまう。それで、ゲーテは、このことを自分の胸の中に仕舞って、口外はしなかった。でも、ゲーテの心配は取り越し苦労で、お引渡しの儀式で建物に入った付添人たちは、オーストリア側もフランス側も、誰1人として壁掛けなどには目もくれず、黙々と自分の仕事をこなし、最後までこの縁起の悪い壁掛けの存在は知られずに済んだのだ。

 

そして、この1年後、ゲーテが21歳の時に書き始めた「ファウスト」が完成したのは、60年後の81歳の時だった。日本では、手塚治虫の漫画や数々の映画、演劇などで観たことがある人も多いと思うけど、意外と原作を最後まで読んだ人は少ないと言われている。日本語訳は、森鴎外を筆頭にたくさんあるけど、あたしは高橋義孝の訳が好きだ。とっても読みやすくて面白いし、文庫本で上下2巻なのでそれほど長くないから、これから読んでみようと思った人には高橋義孝訳をオススメする。

 

「ファウスト」は、ザックリ言えば、ドイツに実在したと言われる錬金術師ゲオルグ・ファウストの伝説を下敷きにした創作で、主人公のファウスト博士は、ゲオルグ・ファウストと同じく、自分の魂を対価として悪魔と契約してしまい、最後には自分の魂を悪魔に持って行かれるって話だ。そして、「錬金術」や「対価」などの単語から「鋼の錬金術師」を想像した皆さんの期待通りに、ちゃんとホムンクルス(人造人間)も登場する。

 

 

‥‥そんなワケで、聖ヴォルフガングに関する都市伝説的な創作では、悪魔との契約をオオカミの魂でゴマカシて悪魔に一杯食わせることに成功したワケだけど、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの「ファウスト」では、ファウストは悪魔との契約が執行される言葉をうっかりと口にしてしまい、ファウストは死んで魂を悪魔に取られてしまう。でも、天上でファウストは、かつて愛した女性の祈りによって救われるから、バッドエンドとも言い切れない。それどころか、世の中に絶望して自殺しようとしていた老博士が、悪魔と契約してまで若返ったのに、現実世界では次々と不幸が起こり、ギリシャ神話の世界に行っても次々と不幸が起こり、結局、死をもってようやく永遠の安息を手に入れたという流れは、ある意味、ハッピーエンドと言ってもいいような気がする今日この頃なのだ。

 

 

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2016.02.03

ありがとう!プリンセスプリキュア!

1年間、楽しませてもらった「Go!プリンセスプリキュア」が、1月31日放送の50話で最終回を迎えた。これまでのプリキュアシリーズは、ほとんどが全47~49話で、全50話に到達したのは2009年から2010年に放送された6作目の「フレッシュプリキュア!」だけなので、一応、歴代タイ記録ということになる。そして、2月1日にスタートして翌年の1月31日に終わるという「ピッタリ365日」というのも、「フレッシュプリキュア!」以来となった。

プリキュアを愛するあたし的には、これまで、それなりに楽しみつつも、最近のプリキュアシリーズの劣化ぶりには、ちょっと残念な思いも感じてた。初代と二代目の「ボーイッシュな子とフェミニンな子」というコンビから、4人以上のグループに変わった時に感じた「百合フレーバーの消失」も残念だったけど、それより何より、ここ数年のかっこ悪いプリキュアたちが残念だった。

だって、プリキュアは女の子たちの憧れの存在だったハズなのに、「史上最弱のプリキュア」だの「成績が学年最下位のプリキュア」だのって、いったいどこを狙ってるのか、あたしには制作サイドの意図がまったく理解できなかった。こういうプリキュアが登場するたびに、あたしは、かつての強くて可愛くてかっこ良かったプリキュアたちを思い出し、溜め息をついてた。

それで、あたしは、何年も前から鷲尾天(たかし)プロデューサーの復活を望んでた。初代の「ふたりはプリキュア」から5作目の「YES!プリキュア 5 GoGo!」までを手掛けた「プリキュアの生みの親」である鷲尾プロデューサーが制作陣に戻って来てくれたら、また、来週の放送が楽しみになるような強くて可愛くてかっこいいプリキュアを制作してくれる、あたしはそう信じてた。

だから、スーパーバイザーという形でも、鷲尾プロデューサーが6年ぶりに戻って来てくれた今回の「Go!プリンセスプリキュア」は、あたしにとって待ちに待った作品だったワケで、期待度もMAX HEARTだった。それに、このタイトル!「YES!プリキュア 5 GoGo!」を最後にプリキュアシリーズを去った鷲尾プロデューサーが、今度は「Go!」から始まるタイトルの新作で戻って来てくれたなんて、ちゃんとつながってて最高じゃん!

そして、去年の2月1日に第1話がスタートして、第2話、第3話と続いて行くうちに、あたしは、あまりの素晴らしさに感動して、久しぶりにプリキュアに夢中になった。毎週の放送が楽しみになり、ワクワクするようになった。プリキュアでこのワクワク感を味わえたのは、ホントに何年ぶりかだった。テレビのないあたしは、友達に録画を頼んでて、それを自分のPCで観てるんだけど、以前は月曜日や火曜日に受け取りに行ってたのを、早く観たくて日曜日の夜に受け取りに行くようになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日は、とっても楽しかった「Go!プリンセスプリキュア」の最終回について、ガンガンにネタバレ満載で感想を書いてくので、まだ録画を観てない人とか、放送が1週間遅れとかの一部地域の皆さんは、ここから先は読まないでほしい。あらすじだけでなく、シーンやセリフまで細かく書いてくので、まだ最終回を観てない人は、「ネタバレ上等」の人以外は、ここから先は読まないでほしい。

で、さっそく始めちゃうけど、ラス前の第49話は、敵のラスボスのディスピアとの戦いで、ディスピアの幹部3人のうち、シャットとロックがプリキュア側につき、ディスピアは残ったクローズを胸のとこに取り込んでパワーアップした。でも、ついにグランプリンセスになることができた4人のプリキュア戦士がディスピアを倒し、学園にも世界にも平和が戻ってくる‥‥というストーリーだった。

そして、今回の第50話、最終回では、ディスピアから絶望の意志を受け継いだクローズが復活した。だから、「プリキュア戦士4人の最後の戦いが始るのか?」と思ったのもトコノマ、戦おうとするトゥインクルをフローラが制止した。「俺たちは戦い続ける運命なんだぜ」と挑発するクローズを見上げながら、「このまま戦っても、きっと、何も変わらない」と言うフローラ。「どうするつもりですの?」と聞くスカーレットに、「分からない、でも、だから、話さなきゃ!クローズと!」と言い、1人でクローズのところへ向かうフローラ。

そう、フローラは、終わりのない戦いの連鎖を断ち切るために、敵との対話を望んだのだ。そして、ここで注目しておいてほしいのが、このフローラのセリフの中の「でも、だから」だ。自分たちが何よりも大切にしてる「夢」を、「絶望」で消し去ろうとしているディスダークとの終わりのない戦い。これを終わらせるために、フローラは、どうすればいいのか分からない。でも、だからこそ、敵であるクローズと対話することが必要なんだ。そう感じたんだろう。

たった1人で自分のところに来たフローラと戦うために、クローズは自分たちのまわりにイバラを使って巨大な球体を生み出し、誰にもジャマされない空間を作った。そして、ディスピアの力を受け継いだクローズは、これまで以上のパワーで攻撃して来た。クローズの攻撃を食らってしまい、意識が薄れて行くフローラ。


クローズ「夢がある限り、絶望は消えない!永遠にな!」

フローラ「絶望は消えない‥‥絶望って何?‥‥絶望‥‥絶望‥‥絶望‥‥」


フローラの頭の中に、小さかったころからの記憶が走馬灯のように流れて行く。大好きな絵本の「花のプリンセス」に憧れて、花のプリンセスになりたくて努力して来た日々、辛かったこと、楽しかったことが、次々と流れて行く。そして、ようやくフローラは気づき、意識を取り戻した。。


フローラ「そう、絶望は消せない‥‥」

クローズ「えっ?」

フローラ「絶望は、どこにでもある。今までずっと、辛いことはたくさんあった。でも、それをなかったことになんかできない。ううん、なくしたくない!」

クローズ「何を言っている!」


ディスピアの意志を受け継いだだけでなく、ストップとフリーズも取り込んだクローズは、次々と強力な攻撃を繰り出して来るが、落ち着いて防御しながら、自分の思いを伝えようとするフローラ。


フローラ「楽しいことと辛いことは背中合わせ、でも、だから、今のわたしがいる!」


はい!ここでも出ました!「でも、だから」が!


クローズ「ふざけるなー!」

フローラ「夢も、絶望も、その両方がわたしを育ててくれた!」

クローズ「黙れー!」

フローラ「嬉しいこと、悲しいこと、全部ひっくるめて夢ってことなのかな」

クローズ「黙れー!」


クローズの強力な攻撃をしのいだフローラは、クローズの胸の鍵穴に両手を当てて、至近距離から「プリキュア・フローラル・トルビヨン」を放った。これは、両手に集めた花びらを放って相手を浄化する技だ。クローズは攻撃を止め、ようやくフローラの話に耳を傾けた。


フローラ「絶望は消えない‥‥」

クローズ「そうだ、これからも現われ続けるぜ」

フローラ「乗り越えて行くよ。時々、負けちゃうことだってあるけど、何度でも前を向ける。だって、わたしたちには‥‥」

クローズ「夢があるから‥‥」

フローラ「えへ、夢だって消せないよ。絶望がある限り、夢だって輝き続ける、いつまでも‥‥」

クローズ「強く優しく美しく、か‥‥」


フローラの笑顔を見て、溜め息をつくクローズ。


クローズ「やめだ、お前の相手は。これ以上、やってらんねえぜ。消えてやるよ、今はな‥‥あばよ‥‥」


クルッと向きを変え、ディスダークへと帰って行くクローズ。


クローズ「またな」

フローラ「ごきげんよう」


‥‥そんなワケで、悲しい戦いの連鎖を終わらせるために、どうすればいいか分からなかったフローラだったけど、クローズの攻撃を受けながら、「夢」と「絶望」とは表裏一体であり、どちらか一方だけを消し去ることなんてできないのだと気づいたのだ。「絶望」があったからこそ、それを乗り越えるために自分は成長することが出来て、自分の「夢」に向かって階段を上って来られたのだと気づいたのだ。そして、その気づきは、敵であるクローズにも届いたのだ。

そして、学園にも世界にも平和が戻り、ホープキングダムも元に戻り、トワはご両親と涙の再開を果たした。学園のみんなも、それぞれの夢に向かって歩き出した。はるかのルームメイトで親友、プリキュアの4人を支えて来た七瀬ゆいは、絵本作家になるという夢のために、寮の部屋で絵を描いてる。左を向いたキュアフローラの絵だ。そして、窓から青い空を見上げる。

浜辺に立つ白衣の女性、海洋学者の北風あすかのところに、海藤みなみがやって来る。海の獣医になりたいという夢のために、北風あすかの元で海洋学を学ぶためだ。笑顔で挨拶する2人と、みなみの夢への第一歩を祝福するかのように、海面から大きくジャンプするイルカのティナ。

天ノ川きららは、トップモデルになるという夢のため、ファッションショーの真っ最中。ランウェイを颯爽と歩き、ポーズを決めるきららを、自分の立ち上げたパリのブランドの専属モデルに招いてるボロロ・ボアンヌと、母親でスーパーモデルのステラが見つめてる。

ホープキングダムへ帰った妖精たちも、それぞれの夢へ向かって歩き出した。クロロはロイヤルティーチャーを目指してミス・シャムールの指導を受けてるし、メイド見習いのパフはメイドを目指してがんばってる。そして、パフの兄であり執事見習いのアロマは、王子であるカナタに付いてがんばってる。

そして、カナタが丘へ行くと、そこには妹のトワが。人間界では紅城 トワと名乗ってキュアスカーレットとして活躍してたけど、ホープキングダムでは王女であり、本名は「プリンセス・ホープ・ディライト・トワ」だ。そう、4人のプリンセスプリキュアの中で、本物のプリンセスだったのはトワだけなのだ‥‥なんてのも織り込みつつ、カナタとトワは久しぶりに2人でバイオリンを奏で始める。

カナタは、最後のお別れを言うために、はるかの元を訪ねる。はるかが小さかったころに、初めて出会った花咲く丘の上だ。丘の上には、手に乗せたドレスアップキーを見つめてるはるか。


はるか「本当に、今まで楽しかったよ。辛いこともあったけど、このキーがあったから、あたし、ここまで来られたよ」

カナタ「キーはきっかけに過ぎない。ほんの少し、君の背中を押しただけだ。すべては君の、はるかの力だよ」

はるか「そうかな?‥‥カナタがそう言ってくれるなら、そうかも‥‥。うん!あたし、がんばった!えへへ、それなら、あたしはもう大丈夫だよ。このキーがなくても歩いて行ける。これからも、あたしの夢、あたしだけのプリンセスを目指して!」

カナタ「ありがとう。はるか、君に出会えて良かった」

はるか「あたしも!ありがとう、カナタ!‥‥また会えるよね?」

カナタ「ああ、会いたいと‥‥」

はるか「心から望めば‥‥」


一瞬、驚き、笑顔になるカナタ。そして、はるかからキーを受け取ったカナタは、ホープキングダムへと帰って行った。はるかは最後まで笑顔だったけど、カナタが消えたあと、泣きじゃくった。最後は笑顔で別れようって、がんばってたんだね。はるかがいじらしくて、あたしも、もらい泣きした。

ひとしきり泣いたはるかは、何かを決心したように笑顔になり、また元気に歩きだした。そして、はるかの声でナレーションが入る。


「これは、遥か彼方へ走り続ける少女たちの物語、夢へ向かって、GO!プリンセスプリキュア!」


いつものOPテーマ曲が流れ始め、大きくジャンプしたはるかから青空へ、そしてED曲へ‥‥って流れで終わったと思ったのもイタノマ、ED曲のあとに、最高のシーンが待ってたのだ。ED曲が終わると、また花咲く丘の場面になり、いつもはるかがいた場所に、小さな女の子が座ってて、絵本を読んでる。


女の子「こうしてプリンセスたちの夢の旅は続くのでした」


絵本の最後の一節を読み上げた女の子を、お母さんが迎えに来る。「あ、ママ!」と言って立ち上がる女の子、閉じた絵本の表紙には、「プリンセスと夢の鍵」というタイトルと左を向いたキュアフローラの絵、そして、「ななせゆい」という作者名。


「プリンセスたちは、もう会えないのかなあ?」という女の子の独り言を受けて、お母さんの元へと駆けて行く女の子の背中を見ながら、丘の上に現われたはるかが言った。


はるか「大丈夫、夢に向かって走り続ければ、その心の中にまた、キーは生まれる」


はるかの手には、カナタに返したハズのキーがある。そして、後ろ姿だけで顔は見えない。でも、肩よりも短かった髪がずっと長くなってて、背も伸びてて、何年後かの成長したはるかだということが分かる。もちろん、ゆいの絵本が発売されてたことからも、それは推測できた。

はるかのこの言葉を受けて、場面は浜辺に立つ白衣の女性の後ろ姿に変わる。長い髪を三つ編みにして1つにまとめてるけど、その髪の色から、成長したみなみであることが分かる。海洋学者の北風あすかが立っていた場所に、今は同じ白衣を着たみなみが立ってるのだ。そして、みなみの手にもキーがある。

場面は夜のパリに変わり、ライトアップされたエッフェル塔を見つめてるのは、もちろん、きららだ。これも顔は見えないけど、背中の真ん中くらいまであった長くてボリュームのある髪は肩より少し長いくらいにスッキリとカットされ、キーを持つ右手には太いゴールドのバングルと長いネイル、そして、ゴールドのピアスと肩に掛けたバッグから、数年が経過して成長したきららであること、ボロロ・ボアンヌの立ち上げた新ブランドの専属モデルとして、パリで活躍してることが分かる。

そして、ホープキングダムで王女として暮してるトワも、キーを手にした後ろ姿が美しい。この3つの場面は静止画で、ほんの数秒ずつしか映らないけど、ホントに素晴らしかった。特に、あたしの大好きなきららの成長した姿のカットは、あまりにも素晴らしすぎて、思わずPCの壁紙にしてしまったほどだ。


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長々と説明しちゃったけど、この3つの場面は、はるかの言葉を受けてのものだから、はるかの元へと場面は戻る。はるかは、今度は正面を向いてるけど、顔は下半分だけしか見えない。でも、シャープになったアゴのラインなどで、やっぱり成長したことが見てとれる。つまり、今回のラストシーンは、ED曲をはさんで、それぞれの夢に向かって歩き出した春野はるか、海藤みなみ、天ノ川きらら、プリンセス・ホープ・ディライト・トワの4人と、その何年後かの成長した姿を見せてくれたのだ。そして、そのベースになってるのが、七瀬ゆいの描いた絵本であり、その絵本を読んでた女の子の座ってた場所は、十数年前に小さかったはるかが夢中で「花のプリンセス」を読んでた場所なのだ。

もしかしたら、この女の子も、ゆいの描いた絵本の中に自分の夢を見つけるかも知れないし、この場所で異世界の王子と出会うかもしれない。そして、もしかしたら、この女の子が、何年後かのプリキュアになるかもしれない。少女たちの夢は続いて行く。少女たちの夢はリレーして行く。そう感じさせてくれる、最高のラストシーンだった。


‥‥そんなワケで、プリキュアを愛するあまりに、時には辛口にもなってしまうあたしだけど、今回の「Go!プリンセスプリキュア」に関しては、最初から最後まで文句のつけようがなかった。細部にわたって丁寧に作られてて、制作陣のプリキュア愛がヒシヒシと感じられて、シリーズ最高と言ってもいいほどのクオリティーだった。

だけど、不思議なことに、視聴率は悪かった。プリキュアシリーズの平均視聴率は、初代と2作目が7~8%、3作目から9作目までが5~7%だったけど、10作目の「ドキドキ!プリキュア」が初めて5%を割って4%台後半となり、11作目の「ハピネスチャージプリキュア!」はさらに下がって4%台半ばになった。そして、今回の「Go!プリンセスプリキュア」は、第1話から第49話までが3%台から4%台前半を行ったり来たりだったので、たぶん平均視聴率は歴代最下位になると思う。

きっと、前々作と前作の不振で進行しちゃった「プリキュア離れ」の影響もあるのかもしれないけど、これはとっても残念な結果だ。プリキュアシリーズを全作すべて1話も欠かさずに観て来たプリキュアマニアのあたし的には、シリーズのトップ3に数えてもいいと思ってるほど素晴らしい今回の作品なのに、まさか、こんなにも低い視聴率だなんて、ちょっと意外だ。

視聴率が高かろうが低かろうが、あたしには直接は関係ないことだけど、視聴率はメインスポンサーが販売してる「関連玩具の売り上げ」に直結してるから、制作サイドにとっては大問題だ。そして、このまま低迷が続けば、そのうち「プリキュアシリーズの打ち切り」ということになり、あたしにとっても悲しいことになっちゃう。


‥‥そんなワケで、低迷する視聴率を回復させるために生み出されたのが、2月7日からスタートする新作、通算13作目にして11代目のプリキュア、「魔法使いプリキュア!」だ。一世を風靡したものの、人気が下降気味のプリキュアシリーズに、いつの時代でも子どもたちに人気のある「魔法使い」の要素を組み合わせるという、ある意味、起死回生の策なんだろう。でも、このタイトルを知った時、あたしは、「あ~あ、とうとうパンドラの箱を開けちゃったよ」と思った。プリキュアにはプリキュアならではの世界観があるのに、ここに魔法を持ち込んだら、それが壊れてしまう。正直、魔法モノをやりたいのなら、プリキュアシリーズはお休みするか、潔く打ち切りにして、「おジャ魔女どれみ」の続編をやればいいじゃないか。最後の「おジャ魔女どれみ ドッカ~ン!」の3年後の高校生になったどれみたちを描いたライトノベル「おジャ魔女どれみ 16」のシリーズをアニメ化すればいいじゃないか。あたしはそう思った‥‥とか言いつつ、今度の「魔法使いプリキュア!」も第1話からシッカリ観て行こうと思った今日この頃なのだ♪


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2016.02.01

ネットのニュースの落とし穴

あたしはテレビを持ってないし新聞も購読してないので、ニュースはもっぱらネットで読んでるんだけど、ネットのニュースには落とし穴がある。その1つが、見出しだけを見て、記事を読まずに「思い込んでしまう」という落とし穴だ。

どこのポータルサイトにアクセスしても、まずは新着の主要ニュースの見出しが並んでて、その後に「社会」「政治」「経済」「海外」「エンタメ」「スポーツ」などのジャンル別の項目が並んでる。これらのニュースの見出しは、ポータルサイトによって多少の違いはあるけど、だいたい13文字から17文字くらいで、平均すると15文字ほどだ。

そして、多くの人は見出しを流して読み、その中で自分の興味のある記事しか読まないから、それ以外のニュースは見出しだけを「思い込んでしまう」ということがある。たとえば、しばらく前に、あるポータルサイトの主要ニュースの見出しの中に、こんなのがあった。


「嫌いな政治家、2位に山本太郎氏」


このニュースに興味がなく、見出しだけ読んだ人の記憶には「山本太郎って嫌われてるんだ」という情報だけが刷り込まれただろう。ちなみに、見出しをクリックして記事を読んでみたら、これは「週刊プレイボーイ」のアンケート結果の記事で、「嫌いな政治家」のダントツの1位は安倍晋三、ずいぶんと差があって2位が山本太郎、3位が麻生太郎だった。

これらの見出しはそれぞれのポータルサイトの担当者が書いてるから、同じ記事の見出しでもポータルサイトによってカラーが違ってくる。このポータルサイトの担当者が、どうして1位ではなく2位を見出しに使ったのか、あたしにはその意図は分からない。でも、見出しだけ読んだ人たちの記憶に「何」が刷り込まれたのかは、あたしでも分かる。

わずか15文字前後のキャパで、記事の内容を的確に伝えなきゃならないのがネットニュースの見出しの役割であり、それぞれのポータルサイトの担当者のセンスが光る場だ。だけど、その一方で、その担当者やポータルサイト運営会社のカラーが意図的に反映されることもあると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、昨日、いつものようにポータルサイト巡りをしてニュースの見出しをチェキしてたら、あるポータルサイトの主要ニュースのとこに驚くべき見出しを見つけた。


「NYタイムズがヒラリー氏支持」


アメリカの新聞で購読者数3位を誇るニューヨークタイムズが、アメリカ大統領選で、この時期に民主党を支持すると表明しちゃったのか?ま、ニューヨークタイムズは昔からヒラリー贔屓(びいき)だけど、ビックリしてすぐに見出しをクリックしたら、時事通信の以下の記事だった。


「クリントン氏支持を表明=米大統領選でNYタイムズ」時事通信
【ニューヨーク時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は30日、大統領選の民主党候補としてヒラリー・クリントン前国務長官(68)を支持する立場を表明した。同紙はクリントン氏について、上院議員や国務長官としての実績や、大統領夫人としての経験を評価。労働者の権利を重視する経済政策に加え、銃規制や女性の地位向上などの取り組みにも期待できるとして「近代史上、最適任の大統領候補の一人」と評した。(2016/01/31-06:45)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016013100025&g=int


この記事を読んで、いくらヒラリー贔屓のニューヨーク・タイムズでも、ホントにこの時期にこんな記事を書いたのかと疑問に思ったあたしは、さっそく実際のニューヨーク・タイムズの元記事を読んでみた。そしたら、ホントに書いてあった。


「Hillary Clinton for the Democratic Nomination」
http://www.nytimes.com/2016/01/31/opinion/sunday/hillary-clinton-endorsement.html?ref=opinion


元記事の全文を読んだけど、時事通信の記事の内容は元記事の内容を的確に短くまとめてあって、何も問題ないことが分かった。だけど、トップページの、このヒラリーの記事の下に、「A Chance to Reset the Republican Race」という共和党に関する記事が並んでて、見出しの下のリード文には次のように書いてあった。


「ジョン・ケーシック知事は、トップを走る過激な候補者たちに疲弊している共和党にとって、唯一の妥当な選択だ」


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それで、この記事を読んでみたら、共和党のドナルド・トランプとテッド・クルースによる大統領候補争いを「汚くて野蛮だ」と一刀両断してた。最初はドナルド・トランプを批判し、続いてテッド・クルースを批判した上で、「オハイオ州のジョン・ケーシック知事は、(現時点では2人に)完全に負けているが、今回の候補選で過激さと経験不足さばかり見せられて飽き飽きしている有権者にとって、唯一の妥当な選択だ」と書いてた。そして、ジョン・ケーシック知事の良くない点もキチンと揚げながら、良い点や実績などを書き綴り、なぜ「唯一の妥当な選択」なのかを説明してた。


「A Chance to Reset the Republican Race」
http://www.nytimes.com/2016/01/31/opinion/sunday/a-chance-to-reset-the-republican-race.html?ref=opinion


‥‥そんなワケで、「ニューヨークタイムズが民主党支持を表明した」というのは、あたしの早トチリで、正しくは「民主党候補の中ではヒラリー・クリントンを支持した&共和党候補の中ではジョン・ケーシックを支持した」ということだった。最初に読んだ時事通信の記事にも、ちゃんと「大統領選の民主党候補としてヒラリー・クリントン前国務長官を支持する立場を表明した」と書かれてるから、この記事に関しては何も問題ない。悪いのはあたしだ。

だけど、時事通信は、後述の共和党のジョン・ケーシック知事の記事は紹介していない。これってどうなんだろう?ニューヨークタイムズは民主党と共和党のそれぞれの候補選について並列した記事を書き、それぞれ支持する候補者の名前を挙げてるのに、その一方の記事だけしか紹介しないのって、どうなんだろう?これだと、あたしみたく早トチリしちゃった人も多いんじゃないだろうか?‥‥なんてことをモヤモヤと思いつつ、いろんなニュースサイトを見て回ってたら、米CNNの日本語サイトに、こんな記事を発見した。


「米NYT紙が民主クリントン氏、共和ケーシック氏の支持表明」
米紙ニューヨーク・タイムズは30日、今年の米大統領選の立候補者では民主党のヒラリー・クリントン前国務長官、共和党ではオハイオ州のジョン・ケーシック知事を支持するとの論説を掲載した。有力紙とされる同紙の支持表明は、来月1日に民主、共和両党の指名候補争いの初戦となるアイオワ州の党員集会に臨む両氏に追い風となる可能性がある。
http://www.cnn.co.jp/usa/35077113.html?tag=top;topStories


全文はリンク先の記事を読んでもらうとして、あたしはこの記事を見つけた時、「これだよ!あたしが言いたかったことは!」と思って、モヤモヤしてた気分が一気に晴れ渡った。


‥‥そんなワケで、海外のニュースの中から何を選んで報じるかは報道媒体それぞれの自由だし、それらの記事の中から何を選んで主要ニュースの見出しに並べるかはポータルサイトそれぞれの自由だ。小沢一郎の陸山会問題の時には、疑惑の段階から連日のように犯人扱いで取り上げて大騒ぎし続けたテレビや新聞が、今回の甘利明の口利き疑惑問題では、まるで大臣の辞任ですべて事件が収束したかのように静かになってしまうのも自由だし、甘利明を「潔い」などと称賛した記事を書くのも自由だ。ま、テレビも新聞も報道関係の偉い人たちは、安倍晋三と会食したりゴルフしたりと忙しいみたいだから、あたしは特に期待はしてないけど、今回のニューヨーク・タイムズの記事の例を見れば分かるように、ネットを活用してる人たちは、見出しだけを見ての「思い込み」だけでなく、記事を読んでも疑って掛かること、どうしてこの記事がピックアップされているのかを考えてみることが大切だと感じた今日この頃なのだ。


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