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2016.03.23

プリキュアが教えてくれたこと

今年2月に最終話を迎えた「Go!プリンセスプリキュア」は、プリキュアシリーズの生みの親でもある鷲尾天(たかし)プロデューサーがスーパーバイザーという形で戻ってきての作品だったから、ファンの間で通称「無印」と呼ばれている初代「ふたりはプリキュア」からの大ファンのあたしにとっては、作品自体を楽しむことは当然として、その裏に隠された鷲尾プロデューサーの思いをどこまで感じ取ることができるか、それも楽しみの1つだった。

この作品は、基本的には「友情」や「努力」といったプリキュアの原点を踏襲しつつも、女の子なら誰もが憧れたことのある「プリンセス」というベタな世界がテーマだったことと、「女の子が自分の夢の向かって1段ずつ上って行く」という王道ストーリーだったため、一部のファンからは「保守的だ」という指摘もあった。

でも、あたしの感覚は正反対で、とても「革新的」な作品だと感じた。2月3日のブログ、「ありがとう!プリンセスプリキュア!」でも取り上げたけど、フローラは、実質的なラスボスであるクローズとの最終決戦で、次々と繰り出してくるクローズの強力な攻撃を防御するだけで、自分からは決して攻撃をしなかった。そして、自分たちが何よりも大切にしている「夢」に敵対する「絶望」に対して、否定や排除ではなく、肯定と理解で対峙したのだ。

夢と絶望は表裏一体、夢があるから絶望があり、絶望があるから夢がある。どちらか一方だけを排除することなんてできない。だから、わたしは絶望を受け入れる!そして、その絶望に負けず、絶対に自分の夢を叶えてみせる!

倒しても倒しても復活してくるクローズだけでなく、倒すたびにプリキュアたちにも心をひらくようになってきたシャットやロックたちと1年間、戦い続けてきて、フローラがたどり着いた答え。それが、この、「相手との対話」であり、「相手を受け入れること」であり、「相反するものとの共存の道」だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、アニメにしろ実写版にしろ、日本のヒーローものは長年「勧善懲悪」がお約束だった。主人公のヒーローやヒロインたちは絶対的な「正義」であり、そんなヒーローやヒロインたちに逆らう者はすべて「悪」と決まっているから、完膚なきまでに叩きのめしても誰からも文句など出ない。そして、「悪」は存在自体が「悪」だから、敵を倒すのに理由などいらないし、後付けの理由でも嘘の理由でも通用してしまう。

アメリカが「テロリスト認定」をしてしまえば、その瞬間から、相手は「悪」となり、その「悪」を攻撃するアメリカは「正義」となる。ありもしない「大量破壊兵器」を理由に、雨あられのようにミサイルを撃ち込み、何の罪もない市民を15万人以上も殺しても、アメリカの制作した台本の上ではアメリカが「正義」なのだ。自分たちの価値観こそが「正義」なのだから、相手の言いぶんなど聞く必要はない。自分たちの価値観を他国や多民族に押しつけることこそが、「民主化」という名のアメリカの「正義」なのだ。

そして、こんなアメリカン・テイストが満載の勧善懲悪ストーリーは、日本のヒーローものという創作の世界でも、長年、当たり前のように王道を形成してきた。でも、この日本のヒーローものの伝統芸に一石を投じた作品の1つが、10年以上にわたって続いてきたプリキュアのシリーズなのだ。当初こそ、最終話ではラスボスを倒して平和が蘇るという既定路線だったけど、シリーズが進むうちに、敵キャラの中にも憎めない人気者が出てくるようになり、時にはプリキュアの仲間になったり、敵の三幹部が最後には改心して平和に暮したりと、「敵を倒してのハッピーエンド」から、「敵も味方もハッピーエンド」へと、ジョジョに奇妙に変化してきた。

自分たちだけを「正義」だと決めつけず、敵対する相手を「悪」と決めつけず、相手にも心をひらき、相手の言葉や主張にも耳を傾けるように変化してきたのだ。そして、その集大成とも言えるエンディングが、今回の「Go!プリンセスプリキュア」での「対話」によるハッピーエンドだった。この斬新なエンディングについて、鷲尾プロデューサーは、「プリキュア新聞」(2016年春号)の中のインタビューで、次のように述べている。


「プリキュアが(敵を)全部倒して解決したのではなく、自分たちの考え方にのっとって解決し、相手も納得して消えていったこと、話せば通じることが子どもの心には伝わり、残ったと思います。何か夢を持った時は、障害、障壁があるものですけど、乗り越えていくことで次に進む道ができる。見てくれた子どもたちが、もう少し大きくなってから見直してもらうと、もっと意味が分かるかもしれませんね」


自分の考え方に相反する相手を「敵」と決めつけて倒すのではなく、相手の存在も認めた上で、対話による共存の道を見つけたフローラ。あたしは、ホントに感動した。今、この瞬間も、世界のあちこちで、「憎しみの連鎖」という終わりなき悲劇が繰り返されているけど、イラクやシリアで空爆を続けるアメリカが「正義」で、政府軍と対峙している反政府軍は「悪」なのか?シリアのアサド政権に加担したロシアは、この1カ月だけでも600人を超える民間人を空爆で殺害したが、これも「正義」なのか?

アフリカの民族紛争しかり、中東のパレスチナ人問題、クルド人問題、ユダヤ人問題しかり、もともとの発端は、欧米が民族を無視した国境線を引いたからじゃないのか?でも、あたしは、そんな昔のことを引っぱり出して、「誰が悪い」という犯人捜しをするつもりはないし、あたしが語りたいのは、中東情勢じゃなくてプリキュアについてだ。


‥‥そんなワケで、あたしが、初代「ふたりはプリキュア」に夢中になったのは、何と言っても、なぎさとほのかのラブリーな関係だ。ボーイッシュななぎさとフェミニンなほのかが、時には百合フレーバーを全開にする戦闘シーンでは、常に「2人が手と手をぎゅっと握り合うシーン」が散りばめられていた。敵に吹き飛ばされてガレキの中に倒れているホワイトに、ブラックが手を差し伸べて、ぎゅっと握って、そして助け起こす。

だけど、それよりも重要だったのは、2人が手と手を握り合わないと、プリキュアに変身できないという大前提だった。信頼し合っている2人が手と手をぎゅっと握り合い、そして、プリキュアに変身する。友情のバロメーター的には、あの「超人バロム1」をも凌駕しているだろう。だって、プリキュアの2人には、友情だけじゃなくて、百合的な愛情もプラスされてるからだ♪

初代「ふたりはプリキュア」、続編の「ふたりはプリキュア Max Heart」、二代目の「ふたりはプリキュア Splash Star」と、主人公の2人が手と手をぎゅっと握り合っての変身シーンは、あたしにとってのプリキュアの原点でもあり、何度泣いたか分からないほど泣かせてもらった。だけど、シリーズが変わってプリキュアの人数が5人とか4人とかに増えてくると、この2人だけの儀式は観られなくなった。

でも、今年の2月からスタートした現在の「魔法つかいプリキュア!」では、この2人だけの儀式、手と手をぎゅっと握り合っての変身が復活したのだ。それも、オフィシャルサイトに「手と手をつなぐことで、心をつなぎ、希望をつなぎ、世界をつなぎます」と書かれているように、今回のプリキュアは、「手と手をつなぐこと」がキーワードになっているのだ!

そのため、今回の「魔法つかいプリキュア!」は、初回からヤタラと手と手をつなぐシーンが多い。それも、ビルから落ちたリコの手をみらいが掴んで命を助けるとか、けっこう重要なシーンで手と手をぎゅっと握り合うカットが多用されてる。だから、当初こそ、プリキュアの世界に魔法を持ち込んだことを否定的に見てたあたしだったけど、6話まで観てきた今の感覚では、細部に散りばめられている鷲尾マジックにやられ始めてる。そして、この件に関して、鷲尾プロデューサーは、次のように語ってる。


「プリキュアになることは魔法ではなく、プリキュアの力という、ファンタジーの1ジャンルであるというコンセプトでした。その中に魔法を使えるプリキュアがいても矛盾はないでしょうし、子どもたちが心ひかれるものであれば、いろいろなモチーフのブリキュアがいてもいいと思います。魔法つかいについて結構、文献を調べました。魔法つかいは知恵を持つ存在だったからこそ、人々の尊敬を集める一方、時の権力者が都合の悪い人を魔法つかい扱いして隔絶した歴史がある。それは、良くないことなんです。隔絶された世界の賢者たちと人間とが手をつなぐことで、新たな力が生まれる。それが、プリキュアが2人であることの意味、テーマになるかもしれないと思いました。違う世界同士がお互いの違いを理解して手をつなぐことが、どれだけ大切なことか‥‥。それをきちんと描けたら、子どもたちの心に残るかもしれないと考えました」


あたしは、「プリキュア新聞」に掲載されているこのインタビュー記事を読んで、鷲尾プロデューサーのプリキュア愛、そして、子どもたちへの愛の大きさに胸がいっぱいになり、気がついた時には、ティッシュの箱を抱えて号泣していた。あたしは、「2人のプリキュア」に戻って「手と手のぎゅっ!」が復活したことを単純に喜んでただけなのに、鷲尾プロデューサーは「違う世界同士がお互いの違いを理解して手をつなぐことが、どれだけ大切なことか‥‥」と考えていたのだ。

そして、だからこその「人間界と魔法界」だったんだよね。あたしは、当初、プリキュアの世界に魔法を持ち込んだことを少なからず残念に思ってたけど、こんなあたしの何百倍も、鷲尾プロデューサーは大きな世界を見ていたんだね。そして、今回のインタビュー記事を読んだあたしは、前回の「Go!プリンセスプリキュア」の最終回で、フローラが敵と戦わず、対話によって双方が理解して問題を解決したことが、今回の「魔法つかいブリキュア」の「(違う世界の人たちとも)手をつなぐ」という命題へと受け継がれていたことを知った。


‥‥そんなワケで、あたしは、今ほど「プリキュアを好きで良かった!」と思ったことはない。これまで12年間、プリキュア全作の全話をすべて観続けてきたあたしだけど、特に好きな「ふたりはプリキュア」の3作に関しては、何度も何度も数えきれないほど観てきた。そして、2人のプリキュアが手と手をぎゅっと握り合うたびに、純粋に感動したり、時には百合フレーバーに身を包まれて萌えまくってたワケだけど、そんな俗物的なあたしの遥か上空に、異世界や異文化の人たちと手をつなぐことの大切さ、暴力ではなく対話によって問題を解決することの大切さを、小さな子どもたちへ必死に伝えようとしている鷲尾プロデューサーがいたのだ!‥‥ってなワケで、あたしは、今回の「魔法つかいブリキュア!」も、全面的に支持して応援していくことをここに誓った今日この頃なのだ!


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