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2016.04.27

マリー・アントワネットは「お菓子を食べればいいじゃない」と言ったのか?

あたしは、マリー・アントワネットのことが大好きなので、とても残念に思ってることがある。それは、多くの人たちが、マリー・アントワネットと言えば「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」とか「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」というトンデモ発言をしたと思い込んでいることだ。ちょっと調べれば、これは根も葉もないデマだと分かるのに、多くの人たちは、その「ちょっと調べる」ということもせず、マリー・アントワネットと聞けば、条件反射的に、このトンデモ発言を口にする。

 

何しろ、あの世界的なロックバンドのクイーンでさえも、代表曲の1つ、1974年の『キラー・クイーン』の中に、「"Let them eat cake" she said just like Marie Antoinette. (「ケーキを食べさせてあげなさい」とマリー・アントワネットのように彼女は言った)」という歌詞を使ってるくらいだ。ちなみに、この曲は作詞も作曲も故・フレディ・マーキュリーだから、フレディも、このデマを信じ込んでいたんだと思う。そう思うと、この「クイーン」というバンド名が皮肉のように感じられる。

 

この言い回しが最初に登場した文献は、ルソーの自伝的な小説『告白』で、パンがなくて困っていると訴える農民たちに、たいへん身分の高い女性が「それならブリオシュ(パン菓子)を食べるがよい」と言った、というクダリだ。ようするに、たいへん身分の高い女性は、庶民たちの実情がまったく分かっていないという風刺的な小噺のようなものだ。

 

これが書かれたのは1765年、マリー・アントワネットはまだ9歳で、オーストリアにいたのだから、まだ、マリア・アントーニアだった。フランス語の読み方でマリー・アントワネットと呼ばれるようになるのは、後のルイ16世と結婚するためにフランスへ行ってからのことだ。それは、ルソーの『告白』の、この巻が書かれた5年後の14歳の時なのだから、この本に出てくる「たいへん身分の高い女性」をマリー・アントワネットだとする説は、時系列的にアリエナイザーということになる。また、マリー・アントワネットが14歳で後のルイ16世と結婚してから、37歳でギロチンにかけられるまで、このような発言をしたという記録も証拠も何ひとつない。

 

その上、実際のマリー・アントワネットは、とても慈悲深い女性で、貧しい人たちに心を痛めていた。ルイ16世の在位中、フランスで大規模な飢饉が起こったことは一度もなかったけど、小麦粉不足は二度ほど起こっている。その時、マリー・アントワネットがオーストリアの実家に送った手紙には、小麦粉不足に苦しむ人たちへの思いや、その人たちのために自分や王が今まで以上に働かなくてはいけないと綴られている。こういう手紙を書く女性が、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」などと言うワケがない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、実は、この「パンがなければお菓子(ブリオシュ)を食べればいいじゃない」という言葉は、かつてはルイ16世の前のルイ15世の娘たちが言ったと流布されたことがあった。そして、その前のルイ14世の王妃マリー・テレーズが言ったと主張する人もいた。つまりは、「君主制の国で庶民が苦しむのは王族のせいで、中でも王族の女たちの贅沢三昧が庶民を苦しめている元凶だ」という固定観念が常にあり、それを批判する雛形として、この言葉がいろいろな場で使われてきたということになる。そして、その中でも最も有名で、フランス革命という背景からも、マリー・アントワネットの発言として、このデマが定着してしまったのだ。

 

でも、これがマリー・アントワネットの発言だというデマが流布されたのは、マリー・アントワネットがギロチンにかけられたずっと後のことだ。フランス革命前夜、君主制に反対する革新派の人たちは、少しでも王室のイメージを悪くしようと、あることないことを吹聴し、出版し、歌にして歌い、王室を、特にマリー・アントワネットを批判し続けた。それは、マリー・アントワネットが、かつての敵国であるオーストリアから来た王妃だったからだ。君主制には反対しておらず、王であるルイ16世に敬意をはらっている人たちを革新派に取り込むためには、かつての敵国であるオーストリアから来た王妃に対しての敵意を煽るのが、最も簡単な工作だったからだ。

 

そのため、マリー・アントワネットに関するいろいろな誇張やデマが流布された。たとえば、『マリー・アントワネットの愛人一覧』のような本まで作られて、十数人もの貴族の名前が書き連ねられた。さらには、マリー・アントワネットが仲良くしていた夫人たちの名前を「愛人」として挙げ、「マリー・アントワネットはレズビアンだ」というデマまでが、あたかも事実であるかのように広められた。有名な「首飾り事件」の時も、主犯であるラ・モット伯爵夫人と被害者であるマリー・アントワネットが「レズビアンの関係だ」とデマが流されたため、この事件はマリー・アントワネットが企てたものだという事実無根の噂が巷に広まってしまった。

 

マリー・アントワネットに関するすべての文献を検証しても、マリー・アントワネットの恋人は唯一、フェルゼン1人だけなのに、こうしたデマ記事やデマ本には、マリー・アントワネットが声すら掛けたことがない貴族までもが、肉体関係を持つ愛人として列挙してあったのだ。そして、次から次へと出回ってくる数々のデマ記事やデマ本が、庶民の不満や怒りに燃料を注ぐことになり、君主制に反対する革新派のリーダーたちの演説を聴きに集まる人たちが増え続け、そして、フランス革命へと進んでいった。

 

ようするに、共和制の確立を目指す革新派としては、1人でも多くの庶民が王族を憎んで君主制を問題視するように、王室の政策のミスを大ゲサに誇張して吹聴するだけでなく、根も葉もないゴシップまで拡散し続けたのだ。そして、これほど「何でもあり」の状況だったのにも関わらず、この時期には、マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したというデマは流されなかった。もしも実際にマリー・アントワネットがこんな発言をしていたら、革新派にとってこれほど美味しいネタはないのだから、アッと言う間に広められていただろう。この事実ひとつを見ても、マリー・アントワネットがこんな発言などしていないことの証明になる。

 

 

‥‥そんなワケで、マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したというデマを信じ込んでいる人たちの多くは、フランス革命に至る歴史的事実にも疎いから、マリー・アントワネットの湯水のような散財によって庶民の生活が困窮し、怒った庶民たちが革新派の革命に参加したと思っている。でも、さっきも言ったように、ルイ16世の在位中、大規模な飢饉は一度も起こっていない。それに、王妃の贅沢は、マリー・アントワネットだけが特別だったのではなく、その前の王妃も、その前の王妃も、みんな同じように贅沢をしていた。

 

確かに、マリー・アントワネットは歴代の王妃と同じようにお金を使いまくっていたけど、それは、男性器に問題があって結婚してから7年間もセックスができなかった後のルイ16世に対する不満、未来の王子を産むことができない焦燥感からのもので、後のルイ16世が治療を受けて、無事に子どもを産むことができてからは、マリー・アントワネットのお金の使い方はずいぶん変化している。そして、もちろん「上から目線」ではあるけど、庶民に対する慈悲の心も、より深くなった。

 

オーストリアとフランスが手を組めば、その軍事力は強大になり、周辺国は戦争を仕掛けて来られなくなる。そのための人柱として政略結婚させられた少女がマリー・アントワネットなのだから、生まれた時からギロチンにかけられるまで、そのすべてが敷かれたレールの上を走るしかない人生、自分に選択肢のない人生だった。特に、ルイ16世の王妃となってからは、君主制打倒を目論む革新派に利用され、優柔不断で責任感も決断力もない無能な王の犠牲になったのだから、晩年、どんなに屈辱的な状況に置かれても、最期まで気高いプライドを捨てなかったことだけが、マリー・アントワネット自身の選択した生き方だったと言える。

 

 

‥‥そんなワケで、この「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」に似ているのが、1950年の吉田茂内閣の時に大蔵・通産大臣だった池田勇人が言ったとされている「貧乏人は麦を食え」だ。これにしても、実際の答弁は次のものだ。

 

 

「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へ持って行きたい」

 

 

ま、要約すれば「貧乏人は麦を食え」ということにはなるけど、この要約が元の発言のニュアンスを正しく伝えているとは、とうてい思えない。「所得の低い人」を「貧乏人」に言い変え、「麦を多く」を「麦を」に省略し、トドメは「食う」を「食え」という命令形に変えたもの、それが「貧乏人は麦を食え」だ。これは、どう見ても「悪意ある要約」としか言いようがない。

 

でも、多くの国民は国会など見ていないし、現代のようにネットで議事録を確認することもできなかったから、翌朝の新聞の「貧乏人は麦を食え」という言葉だけがひとり歩きしてしまい、65年以上が過ぎた現在でも、池田勇人が言った言葉だと思い込んでいる人がたくさんいる。もちろん、根も葉もないデマを流布されて、死後200年以上が過ぎても濡れ衣を着せられたままのマリー・アントワネットと、自分で種を蒔いてしまった池田勇人ではまったくケースが違うけど、マリー・アントワネットも、根も葉もないデマだけでなく、元ネタを誇張されたり悪意ある改編をされて流布されたりもしたので、喧伝する側の目的意識は、古今東西、同じなんだと思う。

 

 

‥‥そんなワケで、多くの人に誤解されているマリー・アントワネットだけど、観劇や仮面舞踏会や賭博などで遊びまくっていたことや、ファッションや宝石や自分のプチ宮殿などにお金を使いまくっていたことは事実なのだから、悪意ある人たちの手によって、その事実が誇張されたり改編されたりして流布されたことに関しては、池田勇人と同様に、ある意味、自業自得の部分もある。だけど、根も葉もないデマである「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」に関しては、あまりにも悪質すぎるし、マリー・アントワネットが気の毒すぎる。だから、あたしは、尊敬するマリー・アントワネットの濡れ衣を晴らすためにも、大好きなマリー・アントワネットの名誉を守るためにも、これからもずっと「これはデマだ!」と言い続ける。それが、フェルゼンの代わりにあたしができる、唯一の愛情表現だと思った今日この頃なのだ。

 

 

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2016.04.25

オヤジのトリプルプレー!

1週間前の4月18日(月)、18時からの文化放送『岩本勉のまいどスポーツ』は、「野球用語クイズに八木菜緒アナが挑戦!」という企画だった。「ピッチャーが投げてバッターが打つ」というような野球の基本的なルールは知っていても、専門用語や選手の名前などはまったく知らない八木菜緒アナが、今度から『ライオンズナイター』や『岩本勉のまいどスポーツ』を担当することになったため、野球用語をクイズ形式にして教えよう‥‥というのは建前で、たぶん本音は八木菜緒アナの天然ぶりに期待しての企画だったんだと思う。

でも、「ドクターK」のことを、「球団の専属のお医者さんで、名前が孝太郎さん」というように、持ち前の天然ぶりをイマイチ発揮しきれない回答が続き、さすがのガンちゃんも不完全燃焼のまま放送は終了した。で、この番組の番宣で、当日の放送間際まで、ガンちゃんの「6→4→3のダブルプレーって何?」というのが何度も流れてたんだけど、番組の冒頭、八木菜緒アナはこう言った。


「6→4→3のダブルプレーの6→4→3って、背番号じゃなくて守備位置だったんでしゅね」


たぶん、放送前にガンちゃんが正解を教えたんだろうけど、この瞬間、あたしは、「背番号だったらどうなるだろう?」と思い、前日17日(日)の日本ハムのロッテ戦で考えてみた。奇しくも、この日も先発の大谷翔平が勝てなかった試合だったけど、1点勝ち越されてマウンドを降りた大谷翔平に対して、近藤健介が好守備&タイムリーで大谷の負けを消すという大活躍をしてくれたから、勝ち越してマウンドを降りたのに後続の中継ぎがことごとく打たれまくった上に、増井がサヨナラを食らった昨日24日(日)のソフトバンク戦よりはガッカリ度が低かった。

ま、開幕から5回も先発して、未だに勝ち星のない大谷翔平のことを言い出したらキリがなくなっちゃうので、話を本題に戻すけど、17日の日本ハムのスタメンは、ショートが中島卓也、セカンドが田中賢介、ファーストが中田翔だったので、「6→4→3のダブルプレー」を背番号で言うと「9→3→6のダブルプレー」ってことになる。それで、あたしは、すぐに「サブローチューのスジじゃん!」って思った今日この頃、皆さん、いかかせお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは麻雀が好きなので、こういう数字の配列を見ると、すぐに「スジじゃん!」と思ってしまう。麻雀は、同じ牌を4枚集めてカンした場合とか、七対子(チートイツ)とか国士無双とかの特殊な役を除き、すべてが一対の頭と3枚1セットのシュンツかコウツが4組で構成されてる。「1・2・3」とか「3・4・5」みたいなのがシュンツ、「5・5・5」とか「西・西・西」みたいなのがコウツだ。で、手持ちは13牌で、自分でツモって来たり、誰かが捨てた1枚で上がるから、一例として、テンパイはこんな感じになる。

「北・北」「1・2・3」「中・中・中」「5・5・5」「7・8」

これがテンパイで、「6」か「9」で上がることができる。で、この「6」と「9」をスジって言うんだけど、たとえば「5・5・5」の代わりに「4・5・6」を持っていたらどうなるか?その場合は「4・5・6・7・8」になるから、「6」と「9」の他に「3」でも上がれるようになる。これが「3・6・9」のスジで、中国風味で言うと「サブローチュー」になる。

「3・4・5・6・7」と持っていれば「2」と「5」と「8」で上がれるから「リャンウーパー」のスジになるし、「2・3・4・5・6」と持っていれば「1」と「4」と「7」で上がれるから「イースーチー」のスジになる。だから、麻雀が好きな人は、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんの名前を目や耳にするたびに、パブロフの犬のように「イースーチー」を思い浮かべてしまう。

ホントは、ここからが大事で、たとえば、捨て牌の中に「3」がある人は「4・5」で待つ「サブロー待ち」がないから「6」を捨てても当たらない‥‥とか、それを見越して、あえて「3」を捨てておいて「6」の待ちがないように見せかけて「5・7」のカンチャン待ちをする「引っかけ」とか、いろいろあるワケだけど、今回の話は麻雀のルールは関係ないので、麻雀のスジだけ覚えてくれれば大丈夫だ。

そんなこんなで、あまりにもザックリした「麻雀のスジ」の解説をさせていただいたけど、これには深い意味がある。実は、この翌日18日(火)のこと、放送は深夜1時からなので正確には19日ということになるけど、TBS『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いていたら、爆笑問題の2人とゲストのどぶろっくの2人の間で、こんな会話があったのだ!


太田さん 「そう言えば、(プロデューサーの)ザキミヤ、子ども生まれたの知ってた?」

田中さん 「あ、知ってました、知ってました。ザキミヤが第3子、この間ね」

どぶろっく 「へえ~、子だくさんですね」

太田さん 「ぜんぜん知らなくてさ」

どぶろっく 「何歳差なんですかね?その、お子さんは」

田中さん 「(本人に向かって)何歳差ですか?何歳と何歳と何歳?7、4、あっ!イースーチー!」

太田さん 「イースーチー?ゲンがいいね!スジだね!」

田中さん 「スジ!スジだね!」


‥‥そんなワケで、八木菜緒アナの勘違いしていた「6→4→3のダブルプレー」を、あたしが日本ハムの背番号に置き換えてみたら「9→3→6のダブルプレー」、つまり「サブローチュー」のスジになり、その翌日、爆笑問題の深夜放送では、ザキミヤさんのお子さんの年齢が「7歳、4歳、1歳」、つまり「イースーチー」のスジになったと話題になった。こういう偶然は、いつも連鎖して行くがあたしの得意ワザなので、あたしは何かで残りの「リャンウーパー」のスジが出ないか、前を走る車のナンバーなどを気にしていた。

でも、これといって「リャンウーパー」のスジとは巡り合わずに週末を迎えた‥‥って、おおっ!週末!競馬じゃん!‥‥というワケで、あたしは、ナニゲに「リャンウーパー」のスジに絡みそうなレースを探してみたんだけど、特には見当たらなかった。それで、普通にメインレースを見ていたら、24日(日)の福島競馬のメインレース、11R「福島中央テレビ杯」に目が留まった。競馬ではなかなか鉄板はないんだけど、さすがにこれは負けないだろうと思われるダントツ1番人気のスマートカルロスが2枠3番だったのだ。

なるほど!「リャンウーパー」は馬番じゃなくて枠番なのかもしれない!直感でピンと来たあたしは、2枠3番のスマートカルロスを1着に固定して、 5枠から10番のリッパーザウィン、8枠から16番のアペルトゥーラを選び、2着を2頭軸にした。でも、リッパーザウィンは4番人気、アペルトゥーラは3番人気なので、1番人気との組み合わせだと、よほどの下位人気馬が3着に飛び込んでこないと大穴は期待できない。

そこで、あたしは、3着にとんでもない馬が飛び込んで来ることに期待して、この組み合わせから残り全馬に流すことにした。このレースは16頭立てなので、1着と2着を固定しても14種類になる。今回は2着が2頭なんだから、×2で28種類。最低の100円ずつ買っても2800円、究極の節約生活をしてる今のあたしには、ちょっとギャンブルすぎる。でも、この「サブローキュー」と「イースーチー」から「リャンウーパー」への流れを確かめてみたい。

そこで、あたしは、いつも遊んでる競馬サイト『hihin』で、エア馬券を買ってみることにした。勝っても配当はもらえないけど、負けても1円も払う必要がないエア馬券だから、気が大きくなったあたしは、全28種の3連単を200円ずつ、合計5600円で勝負することにした。

そしたら、ナナナナナント!これが大的中!それも、あたしの狙い通りに、3着に飛び込んで来たのは16頭中16番人気の最低人気馬リバティーホールだったから、1着が1番人気、2着が3番人気という妥当な組み合わせだったのにも関わらず、3連単の配当は9万5530円、200円買ってたから、19万1060円の高配当となった!


Hi2


‥‥そんなワケで、「6→4→3のダブルプレー」と言うよりも、「プロ野球→麻雀→競馬」という話題の流れ自体が「オヤジのトリプルプレー」と言ったフレーバーになっちゃったけど、そんなのは、ひと昔前の話。今や、プロ野球には各チームに熱狂的な女性ファンがたくさんいるし、特に12球団の中でもっともイケメン選手が揃ってる日本ハムには、とっても可愛い女性ファン、美人の女性ファンたちが応援席を陣取ってる。競馬も「UMAJO」と呼ばれる若くてきれいな女性ファンが多いし、麻雀も女性プロ雀士には美女が多い。だから、日本ハムのファンで、競馬が好きで、ついでに麻雀まで好きなあたしは、今どきの美女のたしなみを三拍子そろえてるって感じの今日この頃なのだ(笑)


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2016.04.17

不謹慎と自粛

熊本地震によって犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。また、被害に遭われた方々に心よりお見舞申し上げます。


4月14日夜に発生し、17日現在も続いている熊本地震は、九州の広範囲に甚大な被害が出ていて、最大の被害が出ている熊本だけでなく、大分や宮崎でも土砂崩れが発生して民家などが被害を受けている。専門家によると、別々の地震が3カ所同時に発生しているという。14日夜から16日の午後6時までに、震度5弱以上の地震が14回、震度1以上の地震は300回を超えたそうだ。このブログを書いている今も、ネットで聴いているNHKラジオからは、5分おき、10分おきに地震速報が飛び込んで来ている。

16日夜の時点で、熊本県内だけで41人もの人が犠牲になり、1000人以上が負傷し、10万人もの人たちに避難勧告や避難指示が出されている。橋の崩落や道路の分断などで孤立している人たちも数多くいて、被害の全容は把握し切れていない。そして、何とか避難所まで辿り着いた人たちや、車の中に避難している人たちも、水や食料を始めとした物資が不足していたり、まったく届いていなかったりと、とても厳しい状況に置かれている。

あたしにも熊本在住の友人がいて、いつも新鮮で美味しいお野菜などを送ってくれていたんだけど、その友人も被災してしまった。不幸中の幸いで、本人もご家族も全員無事だったんだけど、自宅は半壊していて危険なため近づくことができず、地域の避難所は満員で入ることができず、広くて比較的安全な場所に停めた2台の車の中に寝泊まりしている。

それでも、頻発する地震と不安とで身体の感覚がおかしくなってしまい、地震が起こっていなくても地面が揺れているような錯覚に陥り、足がもつれてしまったり、恐怖でしゃがみ込んでしまうと言う。家族や近所の人たちと励まし合いながらがんばっているけど、頻発する地震と不安とで、くたくたに疲れているのに熟睡することができないそうだ。たぶん、疲労は限界に達していると思う。

そんな友人の大きな心の支えになっているのが、スマホで聴くラジオだと言う。こんな状況で、夜、真っ暗な車の中にいるのは、たとえ家族が一緒でも不安だと思うけど、スマホでラジオを聴いていると、「どこかと繋がっている」という気持ちになって、とっても元気づけられると言う。その友人は、「どの局よりも熊本地震の最新情報を伝えてくれるから」という理由でNHKラジオを聴いていると言うので、あたしも聴いてみた。


‥‥そんなワケで、今回は「いかがお過ごしですか?」は自粛して先へ進むけど、ネットの「らじるらじる」を利用してNHKラジオを聴いてみたら、サスガは国営放送局、通常のプログラムを変更して、熊本地震の特番を放送していた。最初は地震の最新情報を伝えていたんだけど、男性アナが落ち着いた声で「それでは音楽にまいりましょう」と言って、熊本地震で避難所に避難している女子中学生のメールを読み始めた。この女の子は、とても不安な夜を過ごしていると言う。そして、大好きなHey! Say! JUMPの「あすへのエール」という曲を掛けてほしいとリクエストして来た。

あたしは、ジャニーズやAKB界隈は一切聴かないので、この曲も初めて聴いたんだけど、このタイトルからも想像できるように、明日への希望を歌って落ち込んでいる人を元気づけるような内容の曲だった。そして、この曲が終わり、地震の最新情報などを挟んで、今度は家族で車の中に避難しているという別の少女からのメールを読み上げた。「ラジオからHey! Say! JUMPの「あすへのエール」が流れてきたので、とても勇気づけられました。この曲を聴けて涙が出ました」という内容だった。

他にも、Sexy Zoneの曲とか、あたしがふだん聴かない曲がいろいろと掛かったんだけど、その大半が、今、熊本地震で避難している人たちからのリクエストであり、また、東日本大震災や新潟中越沖地震などで被災した経験を持つ人たちから、熊本地震の被災者へ応援のエールを送るためのリクエストだったので、あたしは、すべてちゃんと聴いた。もちろん、ご家族や友人が犠牲になったり、水や食料が届かずに大変な思いをしていたりで、「とても音楽どころじゃない」と言う人もいるだろう。でも、こうした音楽によって、ほんのひと時でも不安から解放されたり、元気づけられたりしている人がいることも事実だ。

今回のように大きな災害が起こると、必ず、テレビ番組から花火大会に至るまで、いろいろな方面に「自粛ムード」が発生する。もちろん、ラジオやテレビなどは重要な情報を発信するメディアなので、通常の番組を中止して災害の特番を放送することは当たり前だと思うし、それが放送媒体の使命だと思う。事実、今回の熊本地震でも、NHKは連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の16日の放送を休止したし、日本テレビも16日の夜9時からスタートする予定だったドラマ「お迎えデス。」を延期して、代わりに熊本地震の特番を放送したそうだ。

他にも、今回の熊本地震を受けて、放送を差し替えた番組は各局いろいろあるみたいだけど、先日の「日清カップヌードル」のCMみたいに、今は何かあるとソッコーでネットで叩かれる時代だから、本当に放送局としての使命に駆られて番組を差し替えたのか、それともネットで叩かれるのが恐くて差し替えたのか、はたまた地震特番のほうが数字を取れると踏んで差し替えたのか、それはあたしには分からない。


‥‥そんなワケで、テレビやラジオの場合は、放送メディアとしての使命もあるから一概には言えないけど、放送メディアではない娯楽の場合はどうだろう。東日本大震災の発生した2011年には、プロ野球はオープン戦が中止になったり、4月からのペナントレースも球場によっては中止された。東京の夏の風物詩である隅田川の花火大会は1カ月延期され、浅草サンバカーニバルは中止になった。他にも、各地で数多くのイベントが自粛された。だけど、いったい、どこまでが「不謹慎」で、どこまでを「自粛」しなくてはいけないのか。

たとえば、今回の熊本地震を受けて、福岡ヤフオクドームで開催される予定だった16日のソフトバンク×楽天の試合が中止になった。ヤフオクドームに被害は出ていないので、これは「自粛」だろう。翌日17日の試合も、16日の時点では「状況を見て判断する」ということになっている。でも、この前日の15日には、最初の地震の翌日だったということもあり、急きょ中止にすることもできず、そのまま開催した。

この試合は、4回にソフトバンクの主砲の内川聖一選手が先制のスリーランを放ち、これが決勝点となって、チームを5連勝へと導いた。福岡はホームなので、多くのホークスファンたちが熱狂した。そして、試合後のヒーローインタビューは、もちろん内川選手だ。お立ち台に立った内川選手は、ものすごい声援を受けながら、笑顔でインタビューに答えていた。だけど、インタビューの最後に、「昨日、九州熊本で大きな地震がありました。まだ大変な状況の方々がたくさんいらっしゃいますが、徐々にホークスの勝利が元気づける状況も出てくるかと思います。ひと言いただけますでしょうか?」と聞かれると、内川選手の笑顔が消え、涙をこらえながら、静かに話し始めた。そして、途中でこらえ切れなくなり、大粒の涙を流しながら、こう話した。


「う~ん、そうですね‥‥。まあ、え~、ああやって地震があってね、あの、避難している皆さんの姿を見ると、やっぱこういうことって、あってほしくないなって‥‥。やっぱり、僕も‥‥ひとりの子を持つ父親として、子どもを抱えながら避難している皆さんの姿であったりだとか‥‥一生懸命に生きようとしている皆さんの姿を見ると、なんか本当に、こういうことって、あってほしくないなっていうのが‥‥本音でしたね。でも、まあ、僕らは野球選手ですので、野球で皆さんに元気を与えることしかできませんから、少しでも、野球を観ていただいている間だけでも笑顔になってもらえるように、全力でプレイしたいなと思います」


こうして文字起こしすると、ぜんぜん伝わって来ないかもしれないけど、実際のヒーローインタビューを観たあたしは、涙が止まらなくなった。内川選手のヒーローインタビューは以下のリンクから観られるので、ぜひ1人でも多くの人に観てほしいと思う。
http://baseball.yahoo.co.jp/npb/video/play/95334/


誤解されると困るので、一応言っておくけど、あたしは、ソフトバンクが16日の試合を中止したことを批判しているワケじゃないし、そんなつもりもない。これは球団が判断したことなんだから、あたしがとやかく言うことでもない。ただ、この内川選手の言葉は、内川選手だけの言葉じゃなくて、日本のプロ野球選手全員を代表した言葉だと思ってほしいのだ。

こんなに大変な災害が起こり、それも現在も地震が続いている状況で、多くの人たちが救出を待っている状況で、こんな時にプロ野球などにウツツを抜かしているなんて「不謹慎だ!」という声があるのなら、自分のモノサシだけで決めつけるのではなく、こうした選手の思いにも耳を傾けてほしいと言っているのだ。頻発する地震と不安とで眠ることができない被災地の真っ暗な車の中にいても、ラジオから聴こえて来た大好きなアイドルグループの音楽に元気づけられる少女もいれば、応援しているプロ野球チームの試合の中継をラジオで聴き、選手たちの活躍に勇気づけられる人もいるのだ。

歌手の山本譲二さんは、東日本大震災が発生してから、大ヒット曲の「みちのく一人旅」を封印していたという。東北を舞台にした歌であり、「ここで一緒に死ねたらいいと」「生きていたならいつかは逢える 夢でも逢えるだろう」などの歌詞が、とても歌えないと感じたからだ。でも、被災地に慰問に行った時、会場に詰めかけた多くの人たちから「みちのくを歌ってくれ!」と言われて、とまどいながらも歌い始めたら、みんな涙を流しながら聴いてくれて、山本さんも歌いながら涙が止まらなくなったという。


‥‥そんなワケで、今回のような大きな震災が発生した時、娯楽は、いったい、どこまでが「不謹慎」で、どこまでを「自粛」しなくてはいけないのか。これはとても難しい問題だけど、これを決めるのは当事者であって、間違っても第三者やネットで騒いでいる人たちではないと思う。歌手だって、スポーツ選手だって、お笑い芸人だって、被災者をさらに苦しめようと思って活動している人なんて1人もいないだろう。みんな、自分たちのやっていることが、少しでも被災地への応援のエールになればと思って自分のステージに立ち続けているのだ。ネットの雑音などに惑わされて変な「自粛ムード」が広がってしまっては、不安や悲しみの中にいる被災者たちから、小さな希望や楽しみまで奪ってしまうことにならないだろうか?‥‥なんてことを感じた今日この頃なのだ。


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2016.04.12

ファンタスティック・プラネット

あたしは子どものころから読書が好きだったので、今でこそ長年の読書歴による経験値によって、作家名やタイトルや書評などで「あたしにとっての当たり外れ」が分かるようになり、自分の好きなタイプの作品を高確率で読めるようになったけど、まだまだ経験値も低く、それに反して好奇心が旺盛だった中学時代には、「恐いもの見たさ」的な意味もあり、あえて自分が苦手とするジャンルの作品も読みまくってた。

そんな中で、あたしが激しく衝撃を受けたのが、夢野久作の『ドグラマグラ』と、沼正三の『家畜人ヤプー』だった。どちらもすごく有名な作品だし、すでに多くの専門家やファンが書評や分析などを書き尽くしてるから、今さらあたしなんかが書いても意味はないと思うけど、便宜上、ザックリと紹介しておく。

まず、『ドグラマグラ』は、精神病院の独居室に閉じ込められている精神病患者の、妄想とも現実とも判別できない独り語りが、時空を超えて広がって行く不思議な作品だ。一度読んだだけじゃ意味の分からない部分も多いけど、長編なのでそうそう読み返すこともできず、中学時代のあたしにとっては、なかなか難易度の高い小説だった。でも、読んでいるうちに、100人のうち1人か2人が精神病だから「精神病患者は異常で、そうでない人たちは正常」という一般的な認識が生まれたのではないか?もしも100人のうち98人が精神病だったとしたら、今の認識で「正常」と判断される2人のほうが「異常」になってしまい、精神病院の独居に閉じ込められてしまうのではいか?‥‥という感覚になった。

そして、『家畜人ヤプー』は、SM小説、スカトロ小説にジャンル分けされる場合が多いけど、ストーリーだけを純粋に見れば、これはSF小説だ。で、今回は、この『家畜人ヤプー』について書きたいと思うんだけど、あたしが中学生の時に初めて読んで衝撃を受けたのは、沼正三の『家畜人ヤプー』じゃなくて、これを原作とした漫画、石ノ森章太郎の『家畜人ヤプー』だった。夏休みに母さんと2人で親戚の叔父さんの家に泊りに行った時に、叔父さんの書斎の本棚にあった漫画の『家畜人ヤプー』をたまたま手に取り、ちょっと読み始めたら、あまりの衝撃で全身に鳥肌が立ち、その日の夜、夢中で読んだことを覚えている。

それで、その後、あたしは図書館に行って、原作の沼正三の『家畜人ヤプー』を借りて来て、その夏休みに読んだんだけど、もう、死にそうなほどの衝撃を受けた。あたしが最初に読んだ石ノ森章太郎の漫画も、ものすごい衝撃だったけど、原作と比べたら、ずいぶん抑えて描かれていたことが分かった。原作には、漫画には登場しない「もっとグロいシーン」も多かったし、何よりも「活字によるリアリティー」と「異様な挿絵の数々」が漫画の比じゃなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、こんな有名な小説の説明をするのも気が引けるけど、これは、もともとは結婚を約束した恋人同士だった2人が、信じられないような事件に巻き込まれてしまい、ご主人様と奴隷という究極の主従関係になってしまうというSF小説でありSM小説だ。主人公の麟一郎には、ドイツ人のクララという婚約者がいる。その麟一郎がクララは、ドイツの山の中で未来から来たUFOと遭遇し、2人はそのUFOに乗せられて未来の地球へと連れて行かれる。ま、ここまではよくある話だけど、未来の地球では、アングロサクソン系の白人だけが「人間」であり、黒人は「奴隷」、そして、黄色人種である日本人(ヤプー)は「家畜」だったのだ。

「家畜」と言っても、現代の牛や豚のような「家畜」ではなく、あくまでも白人のご主人様たちを満足させるためのペットであり、そのためには、気軽に肉体改造手術をされてしまう。たとえば、現代のペットの犬のように、白人が連れて歩くペットにする場合には、日本人は両手両足を肘と膝で切断してしまう。そうすれば、四つ足で歩くしかないからだ。その上、文句を言われたらうるさいので、しゃべれないように舌も根元から切断してしまう。そして、首輪にリードを付けて連れて歩き、疲れたらイスの代わりに背中に座るのだ。

他にも、白人の女性を喜ばせるための性奴隷に改造されてしまった日本人や、ハンモックのようなベッドに改造されてしまった日本人など、いろいろな家畜人が登場する。ここまでの話を聞けば、多くの日本人は「とんでもない!」と思うだろうけど、現実世界では、あたしたち日本人を含んだ人類は、家畜を支配する側に立っている。牛や豚や鶏などを少しでも美味しい肉になるように品種改良したり、種類の違う犬を掛け合せて新種を作ったり、あたしの好きな競馬のサラブレッドだって、少しでも速く走る競走馬を作るために、日夜、いろいろな血統の掛け合せが行なわれている。それと同じことだ。

一度「家畜」の烙印を押されてしまったら、もう自分には何の選択肢もない。ご主人様の空腹や味覚を満たすために皮を剥がれてミンチにされても、四肢を切断されて犬のように連れ歩かれても、「家畜」には拒否権などない。だけど、いくら理屈では分かっていても、何よりもあたしが衝撃を受けたのは、肉便器「せっちん」だ。これは、日本人を改造して白人のための便器にするもので、まず、口の両端を切り開いて拡大して、両肩を癌化させて拡大して座りやすい便座型にして、舌を手術で伸ばす。つまり、日本人の顔の上に白人が座り、日本人の口の中に排便し、日本人はそれを飲み込み、その上、手術で伸ばされた舌で白人の肛門を舐めてキレイにするワケだ。


‥‥そんなワケで、この時点ですでに最悪なんだけど、ここで思い出してほしいのが、主人公は日本人の男性で、その婚約者はドイツ人の女性だということだ。ようするに、未来の地球に連れて行かれた2人は、男性のほうは日本人だったために改造手術をされて「家畜」にされてしまい、一方の女性のほうは白人だったために「その家畜を飼う側」になってしまうのだ。今まで、将来の幸せな結婚生活を夢見ていたカップルが、突然に巻き込まれた信じられない事件によって、人間と飼い犬のような主従関係になってしまうのだ。

大多数の人にとっては「おいおい!」の世界だけど、「女性に支配されて奴隷のように扱われたい」という願望を持っている男性にとっては、これほど興奮するシチュエーションはないだろう。残念ながら、あたしはSM系は苦手なので、こういうシチュエーションは自分がS側でもM側でも絶対に嫌だけど、純粋に「ちょっと風変わりな設定のSF小説」として読めば、残酷なシーン、屈辱的なシーン、グロいシーンなども、恐いもの見たさ的な感じ、両目を覆った手のひらの指と指の隙間から覗き見る的な感じで、それなりに楽しむことができる。


‥‥そんなワケで、SでもMでもないあたしにも、Sの人たちの精神的メカニズムは理解できる。人を虐めたり侮辱したりすることで、自分が優位に立って悦に入る人たちなんて、世の中にもたくさんいるし、ネット上にも溢れてるからだ。だけど、あたしにはまったく理解できないのが、Mの人たちの精神的メカニズムだ。人から虐められたり侮辱されたりすることが歓びだなんて、ぜんぜん理解できない。

でも、理解はできなくても推測することはできる。そして、あたしが推測したのは、「支配される快感」というものだ。あたしたち人類は、地球上の生態系の頂上に君臨している事実上の支配者だから、人類に天敵はいない。あえて言えば、自分たちと対立している民族や国が敵ということになるけど、それにしたって絶対的な主従関係ではないし、とにかく、人類を絶対的に支配している他の生命体は、地球上には存在しない。

そんな状況だからこそ、中には「絶対的な力を持つ者に支配されてみたい」という潜在意識を持った人たちが一定の割合で生まれ、その中でも、その潜在意識が自覚のレベルにまで達するほど強い一部の人たちが、SMプレイとかに性的興奮を感じるようになったんじゃないのか。だから、地球上に現実に人類よりも絶対的に強い力を持った生命体がいて、人類を家畜やペットのように扱っていたとしたら、あたしは、Sの人間は生まれても、Mの人間は生まれないように思う。

ま、これはあくまでもあたしの推測だから、実際はどうなのか分からないけど、人類が地球上の支配者であることに変わりはないから、小説や映画などのSF作品を創作する人たちが、こうしたSM願望を持っていても持っていなくても、「もしも人類よりも力を持った支配者が現われたら」という設定で作られたSF作品はたくさんある。人類より遥かに高い科学力を持った宇宙人が地球に攻めてくるというお馴染みのものを筆頭に、『猿の惑星』みたいに地球の中だけで人類と猿の立場が変わってしまうものもあるし、そのパターンは無限だ。

最近だと、漫画やアニメがヒットした『進撃の巨人』が記憶に新しい。この作品では、巨人たちが人間を支配してるワケじゃないけど、巨人たちは人間の天敵に位置づけられている。巨人たちは人間よりも知能が低いので、街の周囲に高い壁を造るという原始的かつ物理的な方法で、とりあえず人間は巨人たちの攻撃を防いでいる。巨人たちにとって、人間は単なるエサであって、それ以上でも以下でもない。だから、巨人たちは、人間を見つけたら捕まえて食べるだけで、人間を支配しようともペットにしようとも思わないし、それ以前に、そんなことを考えるほどの知能があるとは思えない。

でも、もしも、この『進撃の巨人』の巨人たちが、身体の大きさだけでなく、人間より高い知能や科学力まで手に入れたとしたら、どうなってしまうだろうか。人間が造った高い壁など簡単に攻略してしまうだろうし、捕まえた人間たちを片っ端から食べてしまうのではなく、牧場を造って人間を繁殖させるかもしれない。そして、人間を食料にするだけでなく、一部の人間をペットにするかもしれない。今の人間が、豚を食べるだけでなく、ペットにしているように。


‥‥そんなワケで、今回、あたしが紹介したいのは、GyaOで無料配信しているアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』だ。今から40年以上も前の1973年の作品で、フランスとチェコスロヴァキアの合作なんだけど、奇妙で不気味な植物や動物が織りなす「懐かしくも未知の世界観」は、まるでサルバドール・ダリの絵画のようだ。そして、ここに登場するのが、人間より遥かに大きいだけでなく、人間より高い知能と科学力も持った巨人族なのだ。天敵がいないことをいいことに、地球の支配者を自認して奢り昂ぶり、私利私欲のために地球を汚し続け、この世の春を謳歌している現代の人間たちに、「もしも人間にも天敵がいたら」という世界を見せて、警鐘を鳴らしている一面もある作品だ。その上、「敵対する相手は徹底的に攻撃して排除する」という現代の人間同士の愚かで野蛮な行為についても、本当に高い精神性を持った支配者はこのように解決するのだという見本を見せてくれる素晴らしいエンディングが待っている。このアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』は、4月21日までの無料配信なので、まだ観たことがない人はもちろん、以前に観たことがあっても忘れてしまっている人など、1人でも多くの人に観てほしいと思った今日この頃なのだ。


アニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(4月21日までの無料配信)
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00569/v08578/v0828500000000528050/


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2016.04.10

きっこの納豆物語

あたしは納豆が大好きなんだけど、ずいぶん前から世の中は「小つぶ納豆」が主流になってて、あたしの好きな「古き佳き大つぶ納豆」は選択肢が少ない。あたしがよく行くスーパーの納豆コーナーには、いつも10種類くらいの納豆が並んでるんだけど、そのうち7種類は「小つぶ納豆」、1種類は「ひき割り納豆」で、あたしの好きな「大つぶ納豆」は2種類しかない。

それも、1つは高級品で150円以上もするから、あたしが買うのはもう1つの北海道産大豆の「大つぶ納豆」だ。これにしても、2パックで100円なので、ちょっと高い。だって、「小つぶ納豆」なら通常でも3パック100円だし、タマの安売りの時は68円とかになるけど、「大つぶ納豆」は需要が少ないからなのか、安売りした試しがない。

だけど、あまり売れないことが幸いして、たいていは手前の1個か2個に「3割引き」のシールが貼ってある。これは、賞味期限が翌日とかのやつだ。そして、賞味期限がその日までになると、一気に「5割引き」のシールが貼られる。あたしの狙いはコレで、北海道産の「大つぶ納豆」が半額になってるのを見つけたら、あるだけ買う。とは言っても、多くて4個くらいだけど、2パックで100円のものが50円になってるのだから、1食ぶんは25円、そうとうお得だ。

そして、半額の納豆をあるだけ買ってきたら、そのまま冷凍庫に入れておく。こうすれば、賞味期限なんてほとんど気にする必要がないからだ。もちろん、半額の納豆を買ってきた時に、まだ以前に買った納豆が冷凍庫に残っていれば、今日買ってきたほうを奥に入れて、前に買ったものを手前にして、古いものから食べるようにしてる。

で、翌朝に納豆を食べようと思ったら、食べるぶんだけ冷凍庫から冷蔵庫へ移動しておく。こうすると、翌朝には解凍されてて、そのまま混ぜて食べることができる。だからあたしは、毎日、晩ご飯の時に母さんに「明日の朝、納豆食べる?」と聞き、母さんが「食べる」と言ったら自分のぶんと2パック、「食べない」と言ったら自分のぶんだけ1パック、冷凍庫から冷蔵庫に移動することにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、納豆の利点と言えば、「おいしい」とか「リーズナブル」とか「栄養価が高い」とかいろいろあるけど、賞味期限ギリギリのものでも、こんなふうにパックのまま冷凍しておけるということが挙げられる。そして、もう1つの利点は、火を使わないで、そのまま混ぜるだけで食べられるということだ。

最近は、いろんな納豆レシピがあって、玉子焼きに混ぜてみたり、チャーハンに混ぜてみたり、パスタに使ってみたりと、火を使う料理も多いけど、基本的には、温かいご飯さえあれば、火を使わずに1品のおかずになる。これは、ものすごいエコだと思う。

あたしは、納豆は大好きだけど、納豆に火を通したものは、あまり好きじゃない。玉子焼きやチャーハンに入れるのも、お味噌汁に納豆を入れた納豆汁とかも、あんまり好きじゃない。それよりも、やっぱり普通に炊き立てのご飯に乗せて食べるのが好きだ。だから、ベースは付属のタレとからしと刻んだ長ネギだけど、付属のからしだけだと足りないから、チューブの和がらしを少し足したり、時にはラー油を使ってみたり、長ネギの代わりにザーサイのミジン切りを混ぜてからゴマ油を垂らしてみたりと、いろいろと楽しんでる。

だけど、もともと納豆は、今みたいにご飯に乗せて食べるよりも、納豆汁にして食べる、つまり、お汁の具材として使われるほうがポピュラーだったみたいだ。たとえば、戦国時代から安土桃山時代にかけての1500年代に活躍した千利休は、門弟たちが記録し続けた茶会記を見ると、茶会の料理として「鯛のお刺身、ご飯、納豆汁」とか「鮭の焼きもの、ご飯、納豆汁」とか、何度も「納豆汁」を献立に加えてるけど、納豆そのものをご飯に乗せて食べるような献立は一度も登場しない。

そして、江戸時代の俳諧でも、「納豆汁」はよく登場するけど、ご飯に乗せる納豆はほとんど目にしない。たとえば、こんな句がある。


 朝霜や室の揚屋の納豆汁 与謝蕪村

この句は、蕪村が瀬戸内の室津の遊郭で遊女と一晩遊んだ翌朝、朝霜が降るほど寒い中、供された納豆汁を遊女と飲んで温まってる様子を詠んだものだ。ちなみに、納豆は「室」で寝かせて発酵されるので、この句の「室」は、「室津」という場所と納豆の「室」とにカケてあるワケだ。


 入道のよゝとまいりぬ納豆汁 与謝蕪村

この句は、身分の高い入道様が、身を乗り出して納豆汁を飲みほした様子を、いかにも美味しそうに詠んでいる。


 砧尽きて又の寝覚や納豆汁 榎本其角

砧(きぬた)というのは、今で言うアイロンのようなもの。夜なべしてアイロンがけがようやく終わり、少し寝たら、もう朝ご飯の時間なので、さっそく納豆汁を用意した、という意味。


 膳の時はづす遊女や納豆汁 炭太祇

これも最初の蕪村の句と似ているけど、こちらは遊興の翌朝、納豆汁を供した遊女が気を利かせて席を外した様子を詠んでいる。


 納豆切る音しばし待て鉢叩 松尾芭蕉

 納豆するとぎれやみねの雪起 内藤丈草

この2句は、「納豆汁」とは言っていないけど、芭蕉はまな板で納豆を切っているし、丈草は擂鉢で納豆を擂っているから、「納豆汁」を作っている様子ということになる。そして、芭蕉の句は年末に各家を回ってくる托鉢のお坊さんの「鉢叩(はちたたき)」、丈草の句は大雪が降る前に鳴り響く雷の「雪起(ゆきおこし)」が季語だ。

つまり、これらの句は、「納豆汁を作っている時に外で何かの音がした」ということになる。俳句の場合、「納豆汁」と言えば身体を温める意味から冬の季語とされているけど、「納豆」だけじゃ季語にならない。そのため、芭蕉や丈草の句には「鉢叩」や「雪起」などの季語が必要になったというワケだ。でも、「納豆汁」は通年食べるものだから、季語としては季感が弱い。だから、季語が「納豆汁」だけでも俳句としては成り立つんだけど、蕪村の1句目の「朝霜」、其角の句の「砧」のように、季感の強い季語と重ねるケースも多い。

だから、こうして「納豆汁」の句が多いのは、江戸時代の人たちが「納豆汁」を食べることが多かったというだけでなく、最短詩形である俳句の特性として、「納豆」を詠み込んだ上に別の季語まで取り合わせて音数をたくさん使ってしまうよりも、「納豆汁」の一語で季語としての意味合いも持たせてしまったほうが、音数としての自由度が増す、という事情もあったと思う。

ちなみに、江戸時代には、夜明けとともに納豆売りがやってきたんだけど、当時は、普通の納豆だけじゃなくて、細かく叩いた納豆と豆腐と青菜のセットとかも売り歩いていた。これは、お湯を注ぐだけで「納豆汁」ができる、今で言うインスタント味噌汁のようなものだった。だから、このセットを買えばそのまま「納豆汁」ができるし、普通の納豆を買った場合には、芭蕉や丈草の句のように、自分で包丁で叩いたり擂鉢で擂ったりして、「納豆汁」を作っていた。


‥‥そんなワケで、こんなにも歴史がある、と言うか、まさに納豆の食べ方の王道だったのが「納豆汁」だったワケだけど、それでも、あたしはあんまり好きじゃない。もちろん、出されれば喜んでいただくけど、自分で作ろうとは思わない。やっぱりあたしは、明治時代に入ってから本流になった食べ方、よく混ぜて、長ネギとからしをたっぷり入れて、炊き立てのご飯に乗せて食べるほうが好きだし、お味噌汁はお味噌汁で大根とかワカメとかのほうが好きだからだ。

だけど、そんなあたしでも、ご飯以外のものに納豆を使うことがある。それが、お蕎麦とお素麺だ。お蕎麦は、冷やしきつねや冷やしたぬきみたいに冷たいお蕎麦をお皿に盛って、よく冷やしたお汁を張って、そこにたっぷりの大根おろしを乗せて、その上によく混ぜた納豆を乗せて、大葉の千切りや焼き海苔を散らす「冷やし納豆おろし蕎麦」だ。

お素麺も、お蕎麦と同じように冷たいお汁を張って、こっちはよく混ぜた納豆とオクラの輪切りを散らす。あとは、おろし生姜、ミョウガ、大葉の千切り、白ゴマなど、その時にあった薬味を散らせば出来上がり。どちらも我が家の夏の定番メニューで、山芋や自然薯を使う「とろろ蕎麦」や「とろろ素麺」と同じくらい、よく作って食べてる。


‥‥そんなワケで、納豆と言えば、今から30年くらい前、日本人ドライバーとして初めてF1にフル参戦した中嶋悟さんの粘り強い走りのことを、実況の古舘伊知郎さんが「納豆走法」と呼んでいたことを思い出す。ま、これは有名な話だけど、ここからはちょっとマニアックな話で、そのうち古舘さんは、1台ずつ小刻みにパスして順位を上げて行く中嶋悟さんのことを「刻み納豆走法」と言い出したのだ。つまり、「納豆」の進化系が「刻み納豆」ということになる。だから、あたしも、今はご飯に乗せて食べる普通の納豆が好きだけど、もしかしたら、いつかは納豆を刻んで「納豆汁」にして食べるように進化するかもしれないと思った今日この頃なのだ♪(笑)


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2016.04.08

願わくは花のもとにて春死なむ

先週、朝早く家を出て母さんと病院に行く日があったので、せっかくだから、お弁当を作り、魔法瓶にお茶をいれて持って行き、病院の帰りにお花見をした。病院はお昼すぎに終わったので、美術館が併設された池のある公園に行き、池の近くの四阿(あずまや)でお弁当を広げた。

 

お天気は快晴とは行かず薄曇りだったけど、気温は20度くらいあって暖かかったし、何よりも、公園を囲むように並んでいる満開の染井吉野が美しかった。桜の木の周辺には、シートを広げてお花見をしている家族連れなどがポツポツといたけど、桜の木から離れている池の周辺は空いていて、池のほとりのベンチにスケッチをしているおじさんが1人いるくらいだった。

 

四阿から池を見ると、少し離れたところに1本の枝垂れ桜があった。満開の桜が池の面(も)に触れるほど枝垂れていて、時折、強い風が渡ると、気持ちよさそうに揺れている。この公園は、表通りから少し奥まった場所にあるので、車の音などの騒音もほとんど聞こえてこないし、とっても静かで心が落ち着く。たまに聞こえてくるのは、小さな子どものはしゃぐ声だけだ。

 

お花見をしている人たちの大半は、あたしたちのように「ちょっとお弁当を食べにきた」といった感じで、平日の昼間ということもあって、大勢で酒盛りをしてドンチャン騒ぎをしているようなグループはいなかった。母さんもあたしも、静かにのんびりと桜を愛でることが好きなので、この日は、ほんの2時間ほどだったけど、とってもいい時間を過ごすことができた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、もともとお花見は上流社会だけの文化で、庶民にもお花見が許されるようになったのは江戸時代に入ってからだった。東京の桜の名所のルーツとも言える上野のお山は、徳川家の菩提寺として上野に寛永寺を建立した天台宗の僧、天海が、上野のお山の景観を良くするために、奈良の吉野山から取り寄せた山桜の苗を植えさせたのが始まりだ。

 

そして、この桜は庶民が愛でることも許されたので、これが江戸の庶民のお花見の「はじめて物語」ってワケだけど、モグタンもクルクルバビンチョと驚いちゃうように、それはそれは厳しいルールに縛られていた。何よりも、まずは「飲食厳禁」、さらに「鳴り物厳禁」、そして「暮六つ(夕方)には退場」、つまり、ホントに桜を見ることしか許されなかったのだ。

 

その上、これは山桜なので、今みたいに満開の染井吉野の下でのんびりしたり、満開の染井吉野のトンネルをくぐったりなんてできなかった。山肌のあちこちにぼんやりと浮かぶ白い雲のような山桜を、離れた場所から眺めるだけなのだ。だから、当時の松尾芭蕉も、こんな句を詠んでいる。

 

 

 花の雲鐘は上野か浅草か  芭蕉

 

 

隅田川のほとりにあった芭蕉庵から遠くを眺めると、上野や浅草の一帯に白い山桜の花が雲のように霞んで見える。その時、隅田川を渡って鐘の音が聞こえて来た。これは上野の寛永寺の鐘なのか、それとも浅草の浅草寺(せんそうじ)の鐘なのか。

 

 

‥‥そんなワケで、江戸の最初のお花見は厳しいルールがあったけど、八代将軍徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせて、庶民にもお花見を奨励したことで、一気にお花見文化が広まった。そして、桜の品種改良が盛んに行なわれるようになり、いろいろな川の土手にも桜の木が植えられるようになった。もっとも、これは、お花見のためだけじゃなくて、川の土手の地盤を固めるという公共工事の意味合いが大きかった。桜を植えれば根が張って地盤がしっかりするだけでなく、多くの人々がお花見に来て地面を踏み固めてくれるという発想だ。

 

そして、「飲食禁止」なんていうトンチンカンな規制はなくなったから、春になって桜が咲くと、多くの庶民が食べ物を持ってお花見に繰り出すようになった。庶民が始めた当初のお花見は、主にお団子やお弁当を食べながらお茶を飲むというもので、現代のように、お花見をしながらお酒を飲むようになったのは、江戸時代の中期ころからだと言われている。古典落語の「長屋の花見」には、冒頭に「酒なくてなんの己が桜かな」という川柳が登場するけど、これなんかは、現代のお花見の多くと同様に、桜はあくまでも「昼間からお酒を飲むための口実」といった、酒飲みならではの雰囲気が感じられる。

 

でも、それを言うのなら、「花より団子」というコトワザもある。まだ、お団子を食べてお茶を飲んでいた時代のお花見でも、桜を愛でるよりもお団子のほうが楽しみだった人もいたワケだ。もちろん、これは、江戸の庶民が全員「花より団子」だったワケじゃなくて、風流よりも実益を優先するような野暮な人を小バカにする時に使う言葉だ。

 

だけど、現実問題として、今のように子どものお小遣いでも好きなお菓子が買えるような時代じゃなかったのだから、お母さんに連れられて上野のお山にお花見に行く子どもたちの大半は、桜を見ることよりもお団子が楽しみだったはずだ。それに、大人の中にだって甘い物に目がない人もいるから、いくら人から野暮だと笑われても、そんなことお構いなしにお団子ばかり食べていた人もいただろう。

 

 

‥‥そんなワケで、春にお花見をしながらお酒を飲むことを「花見酒」と言うけど、秋にお月見をしながらお酒を飲むのは「月見酒」、冬に雪を見ながらお酒を飲むのは「雪見酒」、字面こそ似ているけど、この中では「花見酒」だけが特別なイメージを持っている。それは、やっぱり、現代のお花見でのドンチャン騒ぎを連想してしまうからだ。一方、「月見酒」や「雪見酒」には、「花見酒」と正反対の静かで落ち着いた雰囲気が感じられる。

 

それは、「月見酒」の主役が「月」であり、「雪見酒」の主役が「雪」であるのに対して、「花見酒」の主役が「桜」でなく「お酒」だからだと思う。もちろん、「桜」を愛でることを第一にした「花見酒」もあるだろうし、実際、あたしも、1人でお酒を持って静かな場所へ夜桜を愛でに行くことがある。ラジオや音楽などは聴かずに、誰とも話さずに、たった1人だけで、お気に入りの桜を愛でながら、静かにお酒を飲む。月明かりに浮かび上がった夜桜の美しさに目を奪われていると、ふと、西行の歌が聞こえてくる。

 

 

 願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ  西行

 

 

この歌の桜は、もちろん山桜なので、あたしの目の前にある染井吉野とは種類が違うけど、人工的なライトアップやドンチャン騒ぎなどの野暮なものがなく、たった1人で月明かりに浮かび上がる夜桜を愛でながら静かにお酒を飲んでいると、真っ黒な桜の幹のところに1人のおじいさんが現われた。そして、ゆっくりした口調で、あたしに向かって話し出した。

 

 

「お前は花見での大騒ぎを嫌っておるが、桜にはどのような咎(とが)があると言うのだ?桜はただ咲いているだけで、何の咎もない。桜の下で大騒ぎをする人々を煩わしいと思うのも人の心なら、満開の桜の下に集って騒ぎたいと思うのも人の心なのだよ」

 

 

そして、おじいさんは、ふっと消えてしまった。このおじいさんは、能の「西行桜」に登場する「老桜の精」だったのだろう。もちろん、これは、ホントに起こった出来事じゃなくて、夜桜を愛でながら、ほろ酔い気分になったあたしの脳内シアターに上映された短編映画の話だけど、こんなふうに、あたしは「花見酒」を楽しんでいる。

 

 

‥‥そんなワケで、「花見酒」の本意は「散りゆくものへの哀悼」であり、「月見酒」の本意は「手の届かぬものへの憧憬」であり、「雪見酒」の本意は「汚れなき純白の雪による心の浄化」だけど、これらはあくまでも後付けの理由であって、やっぱり、「桜」も「月」も「雪」も「お酒を飲むための大義名分」という一面があることは否定できない。だから、あたしは、「老桜の精」に言われたように、お花見をしながらドンチャン騒ぎをしている人たちのことは批判しないけど、たまにはあたしのように、1人で静かに対象を愛でながら、いろいろなことを空想しつつお酒を飲んでみるのも、なかなかオツで楽しいと思う今日この頃なのだ♪

 

 

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2016.04.01

加納有沙アナ、文化放送を卒業

ラジオを聴かない人でも、あたしのこのブログを読んでる人なら、あたしが文化放送の加納有沙アナの大ファンだということを知ってると思う。あたしは彼女のことが大好きだし、あたしよりひとまわり以上も年下なので、馴れ馴れしく「有沙ちゃん」なんて呼んだり書いたりしちゃってるけど、あたしは、聴くたびに元気になれる有沙ちゃんの声が、トークが、キャラクターが、そして、千差万別のツッコミに対する絶妙な「返し」が大好きで、どんなに悲しいことや辛いことがあった日でも、有沙ちゃんの声を聴けば元気になれる。

有沙ちゃんは、3月現在で、月曜日の朝から昼の「くにまるジャパン」、月曜日の夜の「グッチ裕三 今夜はうまいぞぉ!」、火曜日の夜の「近藤真彦 くるくるマッチ箱」、土曜日の夜の「ビビる大木のBrat!Brat!」、日曜日の朝の「林家たい平 咲いて!まごころ 夢ごころ」、日曜日の夜の「キニナル」、レギュラーだけでもこんなにある。そして、この他にも、ニュースやスポットなどのアナウンサーとしての仕事もありつつ、「咲いて!まごころ 夢ごころ」や「キニナル」の取材であちこちを飛び回ってるんだから、常にフル回転の大活躍だ。

あたしは、有沙ちゃんの番組を1つとして聴き逃したくないから、ラジコ音源を週単位で録音できるソフトを使って、全番組を録音してる。自宅にいる時や、外にいてもラジオが聴ける状況の時には、もちろんリアルタイムでも聴いてるけど、どうしても聴けない時には、ゆっくりできる日の夜に晩酌しながら、溜まってる番組をマトメて聴く、なんてこともある。

ちなみに、あたしは土曜日と日曜日がお仕事で、明けての月曜日がお休みってパターンが多いので、こないだの3月28日の月曜日もお休みで、リアルタイムで朝9時からの「くにまるジャパン」を聴くことができた。でも、いつもならワクワクしながら始まるのを待ってる月曜日の「くにまるジャパン」なのに、この日は、不安を抱えながら9時を待ってた。何でかって言うと、3月いっぱいで有沙ちゃんが文化放送をやめてしまうかもしれないと感じてた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、去年の12月、有沙ちゃんは個人的なブログを開設した。有沙ちゃんのファンとしては、これは嬉しい出来事だ。つまり、文化放送の公式ブログがあるのに、それとは別にプライベートのブログを開設するということは、公式では言えない裏話的なこととかを発信すると思ったからだ。だけど、そのプライベートなブログに書き込まれるエントリーは、文化放送の公式ブログとあまり変わらない内容で、ある意味、本家のブログが削除された時にログを残すためのミラーサイトのような雰囲気だった。それで、あたしは、急に不安になった。「もしかして有沙ちゃん、文化放送をやめる気なのかな?」と、ふと感じてしまったからだ。

でも、毎日のラジオから聴こえてくる有沙ちゃんの声は、いつもと変わらずに元気で明るいし、あたしは、自分の感じた不安のシッポを単なる思い過ごしだと思って、もう気にしないことにした。それなのに、この3月の下旬になると、月曜日の夜の「今夜はうまいぞぉ!」、火曜日の夜の「くるくるマッチ箱」と、連続して番組内で有沙ちゃんの降板が発表された。プロ野球のシーズンオフの番組だった「Brat!Brat!」のように、プロ野球が開幕したので番組自体が終わるというのなら特に心配はしないけど、4月以降も番組が継続するのに有沙ちゃんが降板するなんて、これは異常事態だ。

あたしの不安に、また火がついてしまった。でも、こんなこと有沙ちゃん本人に聞くワケにも行かないし、あたしは、「きっと4月から有沙ちゃんがメインの新番組がスタートするから、そのためにいくつかの番組を降板したんだ」と思うことにした。少々強引でもポジティブに考えて、自分の不安を消し去るという、あたしの得意の作戦だ。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥3月27日の日曜日の「咲いて!まごころ 夢ごころ」では、パーソナリティーの林家たい平さんが、あんなこともあった、こんなこともあったと、有沙ちゃんとの3年間を細かく振り返り、有沙ちゃんのことを何度も絶賛して、まるでこれが今生の別れのように最終回を惜しんでた。そして、それに対する有沙ちゃんも、「私はラジオが大好きなので、これからもラジオを中心にやって行きたいと思います!」って、ええっ!?

ラジオ局のアナウンサーなのに、「これからもラジオを中心にやって行きたい」って、これ、完全に「文化放送やめます宣言」じゃん!「フリー宣言」じゃん!あたしは、ラジコを聴いてた小型スピーカーの前でフリーズしちゃった。だけど、有沙ちゃんの口からハッキリと聞くまでは、こんなこと絶対に信じたくないあたしは、これを「幻聴」だと思い込むことにした。そして、この日の夜の「キニナル」を待った。

そしたら、「キニナル」でも、パーソナリティーの岡田眞善さんが、これまた有沙ちゃんに対して、たい平さんと同じように、これまでの有沙ちゃんとの思い出を語り出して、有沙ちゃんも明るく振る舞いつつも感慨深い感じで話してる。はぁ?何でみんなこんなに、まるで有沙ちゃんが番組だけじゃなくて文化放送までやめちゃうようなフレーバーなワケ?

もう分かったよ‥‥もういいよ‥‥。あたしは、「キニナル」を聴きながら、涙が止まらなくなった‥‥。

文化放送のベビーリスナーたちの間では、すでに「有沙ちゃんは28日の「くにまるジャパン」で発表するだろう」という噂が駆け巡ってたし、あたしもウスウスそう感じてた。だけど、大好きな有沙ちゃんのラジオが聴けなくなるなんて絶対に信じたくないから、あたしは、こんだけ布石を打たれまくっても、頑なに信じないようにしてた。でも、「キニナル」を聴きながら涙が止まらなくなったあたしは、もう自分の感覚に素直になることにして、覚悟を決めて、翌朝の「くにまるジャパン」を待つことにした。不安で胸をいっぱいにしながら‥‥。


‥‥そんなワケで、すでに皆さんご存知のように、有沙ちゃん、いや、加納有沙アナは、3月28日の「くにまるジャパン」で、3年間つとめた文化放送を退社することを発表した。あたしの不安は的中したワケで、この時ほど、「いつもの競馬予想のように外れてほしい!」と思ったことはなかった。でも、2つだけ、あたしの予想が外れたことがあった。

あたしは、有沙ちゃんほど多くの番組で活躍してて、こんなにも多くのリスナーから愛されてるアナウンサーは局の宝だと思ってたから、局側が手放すなんてことなんて考えられなくて、あくまでも有沙ちゃんのほうがフリーになりたいと望んでの卒業だと思ってたのだ。だけど、実際には、有沙ちゃんはまだまだ文化放送で働きたかったのに、契約社員としての期間が3月末で終わり、契約更新されなかったための退社だと言う。

それから、もう1つは嬉しいことだけど、月曜日の「くにまるジャパン」には、とりあえず残れることになったそうだ。月曜日から金曜日までの「くにまるジャパン」の野村邦丸さんのパートナーは、基本的には文化放送の女子アナが曜日別につとめることになってるけど、以前の久保純子さんのように特例もあるから、今回も、文化放送の女子アナじゃなくなった有沙ちゃんを、「天才タレント」(笑)という肩書きで、このまま継続してくれるそうだ。


‥‥そんなワケで、このまま書き続けると、どうしても局に対する愚痴とか批判ぽくなっちゃいそうなので、ここからは、有沙ちゃんへの感謝を込めて、これまで3年間の有沙ちゃんが担当した番組の中で、特にあたしの思い出に残ってるものを書いてみたいと思う。

番組単位で言えば、やっぱり何と言っても日曜日の朝の「林家たい平 咲いて!まごころ 夢ごころ」だろう。朝7時からの30分番組だったけど、あまりにも面白くて、あたしにとっての最高の楽しみだった。あたしは、日曜日は、だいたい5時には起きて、PCを立ち上げてラジコをつけて、お布団の中で「朝の小鳥」を聴き、半分寝ながらキリスト教とか仏教とかの宗教番組を聴き、そのうちに志の輔師匠の「落語でデート」が始まるので、これを聴きながらお布団の上にムックリと起き上がり、「落語でデート」が終わるころに電気ポットでコーヒーを淹れて、次の「咲いて!まごころ 夢ごころ」に備える‥‥というのが日曜日の朝のパターンだった。

そしたら、日曜日の朝7時から、あたしがあんまりゲラゲラと笑ってるもんだから、そのうち母さんも起きてきて一緒に聴くようになり、母さんも有沙ちゃんの大ファンになった。この番組では、有沙ちゃんが1人で伊豆大島へ取材に行ったんだけど、その時、「島島(しましま)弁当」を紹介した。船の形の可愛い箱に入った「べっこう寿司」で、メダイの身を唐辛子醤油にヅケにしたもので握ってある。

これが、めっちゃ美味しかったそうで、スタジオのたい平さんも食べたがってた。そんな「べっこう寿司」が、その後、伊豆大島へ渡る東海汽船の竹芝桟橋のターミナル内でも食べられるようになった。「鼈甲鮨(べっこうずし)」というお店がオープンしたのだ。で、このお店は有沙ちゃんが取材したんだけど、スタジオには東海汽船の人が「べっこう寿司」の入った「島島弁当」をお土産に持ってきてくれて、ようやく、たい平さんも食べることができた。たい平さんは、「べっこう寿司」の美味しさに、悶絶するほど感激してた。

で、こんな壮大な前フリがあったあとの去年12月6日、たい平のさんの51回目のお誕生日に、スタジオで有沙ちゃんがプレゼントしたのが、手作りの「べっこう寿司」だったのだ。有沙ちゃんは、ブリのお刺身の切り身を唐辛子醤油に一晩ヅケにして、酢飯を作り、可愛らしい握り寿司を作ってタッパーに詰めて、それぞれのお寿司の上に、ゴマや柚子や海苔で「祝 51」というデザインまでした手作りの「べっこう寿司」をプレゼントしたのだ。

フタを開けて見ただけで大感激のたい平さん、1つ食べてさらに大感激のたい平さん、そして、そんなたい平さんを見て、もっと喜んでる有沙ちゃん。この時のスタジオの様子は、こちらの「番組ブログ」で見られるので、有沙ちゃんの作った「べっこう寿司」、感激するたい平さん、それを見て「やった~!」って感じの有沙ちゃんの笑顔を、ぜひ見てほしい。

この時の放送を聴きながら、あたしは感動して泣いちゃったんだけど、母さんも一緒に泣いてて、「有沙ちゃんてホントにいい子だねえ‥‥」なんて言ってた。そして、あとからこの番組ブログを一緒に見て、また母さんは泣いてた。他にも、有沙ちゃんは、たい平さんの秩父の実家まで何度も足を運び、たい平さんのお母さまとも仲良くなって、こっちでも笑いと涙をたくさんプレゼントしてくれた。いつもは朝から爆笑させてくれる番組なのに、こうやって随所随所で泣かせてくれるのが、まさに落語みたいな番組だったと思う。

もちろん、たい平さんという素晴らしいパーソナリティーがいてこその番組だったけど、誤解を恐れずに言わせてもらえば、有沙ちゃんを超えられるパートナーは二度と現われないと思う‥‥なんて言ったあとに紹介するのもアレだけど、4月からは「林家たい平 たいあん吉日!おかしら付き♪」というタイトルに変わり、パートナーは文化放送の新人3人娘の中の1人、八木菜緒アナがつとめるそうだ。八木ちゃんには、最大の武器である「天然」と「噛み」を駆使して、新たなワールドを広げてほしいと思う。

ま、先のことはともかくとして、この3年間に有沙ちゃんが担当した番組の中で、特に思い出に残ってるものと言えば、これも最近だから印象に残ってる部分もあるけど、土曜日の夜の「ビビる大木のBrat!Brat!」の、去年12月15日の放送だ。この日は千葉県の「船橋」がテーマで、いつもなら有沙ちゃんは中継隊として現場を自転車で走り回ってるんだけど、いつもとは逆で、スタジオのビビる大木さんのパートナーの足立梨花ちゃんが現場に行ってて、その代わりに有沙ちゃんがスタジオのパートナーをつとめたのだ。

この時、前回の放送で、中継隊のやしろ優ちゃんが取材した「へびや黒田救命堂」で入手した強壮剤の「マカ・コブラ粒」を3つも飲んだ有沙ちゃんは、身体がカッカと熱くなってきて、放送開始から10分で「私のコブラが~!」と言いながら発情開始!ビビる大木さんによる四方八方からのツッコミを、まるでスペインのマタドールのように華麗にかわしながら、発情を加速させていく。わずか2週間前には、たい平さんへの手作りの「べっこう寿司」のプレゼントで、あたしだけじゃなく母さんまで感動で泣かせてくれた有沙ちゃんが、今はスタジオで「股間のコブラ」をいきり立たせて下ネタ解禁モードに突入!あたしは、お腹が痛くなるほど笑わせてもらった(笑)

この日、あたしは、番組が始まる午後6時には帰ってこられなかったから、留守録しておいてあとから聴いたんだけど、てっきり、いつものように有沙ちゃんは中継隊で、2時間のうちホンのわずかな出演時間しかないと思ってた。だから、それほど期待しないで聴き始めたので、有沙ちゃんがスタジオ担当と分かり、すごく嬉しかった。最初から最後まで丸々2時間も有沙ちゃんを堪能することができて、あたしにとっては「コブラ祭り」と言うよりも「有沙祭り」だった。

特に最高だったのが、有沙ちゃんのリクエストで掛けた中島美嘉さんの「雪の華」が、いつの間にか有沙ちゃんのボーカルに変わっているという流れ、これはホントに録音してて良かったと思った。文化放送の番組での有沙ちゃんの歌と言えば、「今夜はうまいぞぉ!」でのグッチ裕三さんとのデュエットも素晴らしかったけど、この時の「雪の華」は、その後のビビる大木さんとのやり取りも含めて、最高だと思った。

こんなふうに、これまで3年間の文化放送での有沙ちゃんの思い出を1つ1つあげていったらキリがない。この3月まで続けてた番組の他にも、「飛べ!サルバドール」の子ザルでは吉田照美さんの無理難題を柔軟にこなし、「ゴールデンラジオ」では大竹まことさんの痒いところに手が届く対応をし、「毎日がパラダイス」では高田純次さんと五分五分に渡り合い、「おしゃべり あいランド」では西田あいちゃんと楽しい女子会ノリを披露し、「就職戦士ブンナビ!」では真面目に就活をサポートし、その上、お正月の「箱根駅伝」のコース紹介までこなし、まさに八面六臂の大活躍だった。そして、これからも月曜日を担当していく「くにまるジャパン」では、邦丸さんから付けられた「尻毛の親分」や「ミス関東平野」を始めとしたアダ名の数々までサラリとネタにして、アッと言う間に「女くにまる」と呼ばれるまでになってしまった。


‥‥そんなワケで、昨日までの3年間に、数々の番組を担当し、様々なパーソナリティーと絶妙のコンビネーションを見せてくれた有沙ちゃん。プロ野球で言えば、どんなタイプのピッチャーがマウンドに立っても、そのピッチャーの力を最大に引き出すための最高のリードができるキャッチャー、それが有沙ちゃんだと思う。だから、あたしは、これからも有沙ちゃんのことを応援していくのは当然として、これからはラジオを聴くだけじゃなくて、4月からも有沙ちゃんが出演する月曜日の「くにまるジャパン」と水曜日の「飛べ!サルバドール」の突撃レディ(仮)のあとには、「今日の加納有沙ちゃんの放送は最高に楽しかったです!これからも加納有沙ちゃんを応援します!」というメールとハガキを文化放送にジャンジャン送り続け、リスナーの思いを局に伝えようと思った今日この頃なのだ!


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