願わくは花のもとにて春死なむ
先週、朝早く家を出て母さんと病院に行く日があったので、せっかくだから、お弁当を作り、魔法瓶にお茶をいれて持って行き、病院の帰りにお花見をした。病院はお昼すぎに終わったので、美術館が併設された池のある公園に行き、池の近くの四阿(あずまや)でお弁当を広げた。
お天気は快晴とは行かず薄曇りだったけど、気温は20度くらいあって暖かかったし、何よりも、公園を囲むように並んでいる満開の染井吉野が美しかった。桜の木の周辺には、シートを広げてお花見をしている家族連れなどがポツポツといたけど、桜の木から離れている池の周辺は空いていて、池のほとりのベンチにスケッチをしているおじさんが1人いるくらいだった。
四阿から池を見ると、少し離れたところに1本の枝垂れ桜があった。満開の桜が池の面(も)に触れるほど枝垂れていて、時折、強い風が渡ると、気持ちよさそうに揺れている。この公園は、表通りから少し奥まった場所にあるので、車の音などの騒音もほとんど聞こえてこないし、とっても静かで心が落ち着く。たまに聞こえてくるのは、小さな子どものはしゃぐ声だけだ。
お花見をしている人たちの大半は、あたしたちのように「ちょっとお弁当を食べにきた」といった感じで、平日の昼間ということもあって、大勢で酒盛りをしてドンチャン騒ぎをしているようなグループはいなかった。母さんもあたしも、静かにのんびりと桜を愛でることが好きなので、この日は、ほんの2時間ほどだったけど、とってもいい時間を過ごすことができた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、もともとお花見は上流社会だけの文化で、庶民にもお花見が許されるようになったのは江戸時代に入ってからだった。東京の桜の名所のルーツとも言える上野のお山は、徳川家の菩提寺として上野に寛永寺を建立した天台宗の僧、天海が、上野のお山の景観を良くするために、奈良の吉野山から取り寄せた山桜の苗を植えさせたのが始まりだ。
そして、この桜は庶民が愛でることも許されたので、これが江戸の庶民のお花見の「はじめて物語」ってワケだけど、モグタンもクルクルバビンチョと驚いちゃうように、それはそれは厳しいルールに縛られていた。何よりも、まずは「飲食厳禁」、さらに「鳴り物厳禁」、そして「暮六つ(夕方)には退場」、つまり、ホントに桜を見ることしか許されなかったのだ。
その上、これは山桜なので、今みたいに満開の染井吉野の下でのんびりしたり、満開の染井吉野のトンネルをくぐったりなんてできなかった。山肌のあちこちにぼんやりと浮かぶ白い雲のような山桜を、離れた場所から眺めるだけなのだ。だから、当時の松尾芭蕉も、こんな句を詠んでいる。
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
隅田川のほとりにあった芭蕉庵から遠くを眺めると、上野や浅草の一帯に白い山桜の花が雲のように霞んで見える。その時、隅田川を渡って鐘の音が聞こえて来た。これは上野の寛永寺の鐘なのか、それとも浅草の浅草寺(せんそうじ)の鐘なのか。
‥‥そんなワケで、江戸の最初のお花見は厳しいルールがあったけど、八代将軍徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせて、庶民にもお花見を奨励したことで、一気にお花見文化が広まった。そして、桜の品種改良が盛んに行なわれるようになり、いろいろな川の土手にも桜の木が植えられるようになった。もっとも、これは、お花見のためだけじゃなくて、川の土手の地盤を固めるという公共工事の意味合いが大きかった。桜を植えれば根が張って地盤がしっかりするだけでなく、多くの人々がお花見に来て地面を踏み固めてくれるという発想だ。
そして、「飲食禁止」なんていうトンチンカンな規制はなくなったから、春になって桜が咲くと、多くの庶民が食べ物を持ってお花見に繰り出すようになった。庶民が始めた当初のお花見は、主にお団子やお弁当を食べながらお茶を飲むというもので、現代のように、お花見をしながらお酒を飲むようになったのは、江戸時代の中期ころからだと言われている。古典落語の「長屋の花見」には、冒頭に「酒なくてなんの己が桜かな」という川柳が登場するけど、これなんかは、現代のお花見の多くと同様に、桜はあくまでも「昼間からお酒を飲むための口実」といった、酒飲みならではの雰囲気が感じられる。
でも、それを言うのなら、「花より団子」というコトワザもある。まだ、お団子を食べてお茶を飲んでいた時代のお花見でも、桜を愛でるよりもお団子のほうが楽しみだった人もいたワケだ。もちろん、これは、江戸の庶民が全員「花より団子」だったワケじゃなくて、風流よりも実益を優先するような野暮な人を小バカにする時に使う言葉だ。
だけど、現実問題として、今のように子どものお小遣いでも好きなお菓子が買えるような時代じゃなかったのだから、お母さんに連れられて上野のお山にお花見に行く子どもたちの大半は、桜を見ることよりもお団子が楽しみだったはずだ。それに、大人の中にだって甘い物に目がない人もいるから、いくら人から野暮だと笑われても、そんなことお構いなしにお団子ばかり食べていた人もいただろう。
‥‥そんなワケで、春にお花見をしながらお酒を飲むことを「花見酒」と言うけど、秋にお月見をしながらお酒を飲むのは「月見酒」、冬に雪を見ながらお酒を飲むのは「雪見酒」、字面こそ似ているけど、この中では「花見酒」だけが特別なイメージを持っている。それは、やっぱり、現代のお花見でのドンチャン騒ぎを連想してしまうからだ。一方、「月見酒」や「雪見酒」には、「花見酒」と正反対の静かで落ち着いた雰囲気が感じられる。
それは、「月見酒」の主役が「月」であり、「雪見酒」の主役が「雪」であるのに対して、「花見酒」の主役が「桜」でなく「お酒」だからだと思う。もちろん、「桜」を愛でることを第一にした「花見酒」もあるだろうし、実際、あたしも、1人でお酒を持って静かな場所へ夜桜を愛でに行くことがある。ラジオや音楽などは聴かずに、誰とも話さずに、たった1人だけで、お気に入りの桜を愛でながら、静かにお酒を飲む。月明かりに浮かび上がった夜桜の美しさに目を奪われていると、ふと、西行の歌が聞こえてくる。
願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行
この歌の桜は、もちろん山桜なので、あたしの目の前にある染井吉野とは種類が違うけど、人工的なライトアップやドンチャン騒ぎなどの野暮なものがなく、たった1人で月明かりに浮かび上がる夜桜を愛でながら静かにお酒を飲んでいると、真っ黒な桜の幹のところに1人のおじいさんが現われた。そして、ゆっくりした口調で、あたしに向かって話し出した。
「お前は花見での大騒ぎを嫌っておるが、桜にはどのような咎(とが)があると言うのだ?桜はただ咲いているだけで、何の咎もない。桜の下で大騒ぎをする人々を煩わしいと思うのも人の心なら、満開の桜の下に集って騒ぎたいと思うのも人の心なのだよ」
そして、おじいさんは、ふっと消えてしまった。このおじいさんは、能の「西行桜」に登場する「老桜の精」だったのだろう。もちろん、これは、ホントに起こった出来事じゃなくて、夜桜を愛でながら、ほろ酔い気分になったあたしの脳内シアターに上映された短編映画の話だけど、こんなふうに、あたしは「花見酒」を楽しんでいる。
‥‥そんなワケで、「花見酒」の本意は「散りゆくものへの哀悼」であり、「月見酒」の本意は「手の届かぬものへの憧憬」であり、「雪見酒」の本意は「汚れなき純白の雪による心の浄化」だけど、これらはあくまでも後付けの理由であって、やっぱり、「桜」も「月」も「雪」も「お酒を飲むための大義名分」という一面があることは否定できない。だから、あたしは、「老桜の精」に言われたように、お花見をしながらドンチャン騒ぎをしている人たちのことは批判しないけど、たまにはあたしのように、1人で静かに対象を愛でながら、いろいろなことを空想しつつお酒を飲んでみるのも、なかなかオツで楽しいと思う今日この頃なのだ♪
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