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2016.05.17

思い込みとダブルミーニング

5月1日に開催された春の天皇賞は、北島三郎さんの持ち馬のキタサンブラックが優勝した。去年の菊花賞に続いてG1は2勝目で、菊花賞の時と同様に、北島三郎さんは『まつり』を歌って喜びを表わした。今回は武豊ジョッキーが騎乗したので、「祭りだ~祭りだ~祭りだ~祭りだ~キタサン祭りだ~~今日は豊さんと~祭りだよ~~♪」と歌っていた。

北島三郎さんは79歳、今年で80歳になる。あたしが生まれた時には、北島三郎さんはすでに大スターで、特にファンでもないあたしでも、小学生のころには『函館の女』や『与作』のメインの部分ならソラで歌うことができたほどだ。これは、多くの人が同じだと思う。『まつり』を全部歌うことはできなくても、「祭りだ~祭りだ~祭りだ~祭りだ~♪」の部分なら多くの人が知っていると思うし、『与作』を全部歌うことはできなくても、「与作は木を伐る~ヘイヘイホ~ヘイヘイホ~♪」の部分なら多くの人が知っていると思う。

そして、あたしが生まれる前から歌われていた『函館の女』にしても、「女」と書いて「ひと」と読むことも知っているし、「は~るばる来たぜ函館~~さ~かまく波を乗り越えて~~♪」の部分なら多くの人が歌えると思うし、あたしも子どものころから歌うことができた。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥ってなワケで、あたしは子どものころから、ずっと「は~るばる来たぜ函館~~さ~かまく波を乗り越えて~~♪」と歌って来たのに、これは間違いだったのだ!「は~るばる来たぜ函館~~」じゃなくて、正しくは「は~るばる来たぜ函館へ~~」だったのだ!

こないだ、文化放送『くにまるジャパン』の中の「氷川きよし節」で、氷川きよしさんがカバーした『函館の女』を紹介した時に、パートナーの寺島尚正アナが「私はずっと「函館~」だと思っていたのですが、きよし君の歌を聴いて「函館へ~」だったのだと知りました」と言っていた。あたしは「ええっ!」と驚き、すぐにネットで歌詞を調べたら、ホントに「函館へ~」になっていたのだ!あたしは、北島三郎さんの歌を聴いて、「函館へ~~」と歌っているんじゃなくて、「はこだてぇ~~」ってふうに、「て」が伸びているんだと思い込んでいたのだ!40年間も!

だけど、この「函館へ~」を「函館~」だと思い込んでいた人は、あたしの他にもたくさんいるハズだ。何よりも、寺島尚正アナだって50年以上も「函館~」だと思い込んでいたワケだし、その寺島尚正アナの発言をラジオで聴いていなければ、あたしは今でも「函館~」だと思い込んでいたことになる。そして、今、このブログを読んで、初めて「函館へ~だったのか!」と知った人もたくさんいると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、こういう歌詞の思い込みって意外と多い。『ふるさと』の「うさぎ追いし」を「うさぎ美味し」だと思っていたとか、『仰げば尊し』の「わが師の恩」を「和菓子の恩」だと思っていたとか、『赤い靴』の「異人さんに連れられて行っちゃった」を「キリンさん」や「ひいじいさん」だと思い込んでいたとか、これらは、もはや使い古されたネタになっている。

あたしの場合は、これは前にも書いたことがあるかもしれないけど、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』、子どものころからずっと「いいえ~欲しいの~ダイヤも~海に眠る真珠も~」だと思い込んでいたんだけど、30歳を過ぎてから「いいえ~星の~ダイヤも~海に眠る真珠も~」だったということを知って驚いた。あと、松田聖子ちゃんの『瞳はダイアモンド』の「いつ過去形に変わったの」という部分、ここを「い~つかこけいに~変わったの~」と歌っているから、「いつか固形に変わったの」だと思い込んでいた。でも、これは、松田聖子ちゃんが歌う時にテレビに歌詞が流れたので、ワリと早い時期に「いつ過去形に」だということを知った。

それから、これは思い込んでいたワケじゃないけど、イルカさんの『なごり雪』の「なごり~雪も~降るとき~を知り~」の部分、南こうせつさんがラジオで「降るとき~お尻~に聴こえる」と言っていたのを聴いてから、この曲を聴くたびに、どうしても「お尻」を想像しちゃうようになった(笑)


‥‥そんなワケで、こういうのって、あまりにも多くの人が同じように思い込んでいたら、その間違っているほうの歌詞もOKということにならないのだろうか?だって、たとえば「他人事」という言葉、これは本来「ひとごと」と読むのが正しいのに、あまりにも多くの人が「たにんごと」と誤読し続けているうちに、「ひとごと」でも「たにんごと」でもOKになっちゃったからだ。「世論」という言葉にしても、本来は「せいろん」と読むのが正しかった。それがいつの間にか「せろん」と縮めて読むようになり、さらには「よろん」という読み方まで出てきて、今では、どの読み方でもOKになっちゃった。

だから、はるばる来たのは「函館へ~」でも「函館ぇ~」でもOK、赤い靴をはいてた女の子を連れ去ったのは「異人さん」でも「キリンさん」でも「ひいじいさん」でもOK‥‥ってことには、やっぱり、ならないよね。そんなことしたら、天国の川内康範先生に叱られそうだし(笑)

でも、「わが師の恩」を「和菓子の恩」と思い込んでいたり、「いつ過去形に変わったの」を「いつか固形に変わったの」と思い込んでいるのは、文字にすれば勘違いだと分かるけど、歌っているぶんにはまったく同じなんだから何も問題ない。文字にさえしなければ、歌詞の改編には当たらない。

たとえば、桑田佳祐さんの歌詞って、わざと日本語が英語に聴こえるように作られている部分があるし、そう聴こえるように歌っている。『希望の轍』の歌い出しの「夢を~乗せて~走る~車道~」は、「車道」が「シャドウ」に聴こえるけど、これは、単に英語っぽく聴こえるように歌っているだけじゃなくて、ダブルミーニング的な意味もあるんだと思う。頭の中では「車道」だと分かりつつも、耳には「シャドウ」と聴こえるため、まるで走り去る車の残像が「影」のように感じられるからだ。

だから、『仰げば尊し』の歌詞が、ちゃんと「わが師の恩」だと理解していれば、頭の中で、大好きな「和菓子」に対する感謝の気持ちを思い浮かべながら歌ってもいいと思う。『瞳はダイアモンド』の「いつ過去形に変わったの」が、冒頭の「愛してたって言わないで」を受けての言葉だと理解していれば、頭の中で、液体のように掴みどころがなかった別れのイメージが、今やハッキリと形を持った「固形」になってしまったという悲しみを思い浮かべながら歌ってもいいと思う。


‥‥そんなワケで、洋楽の英語の歌詞が変な日本語に聴こえちゃうのは「空耳アワー」だけど、「車道」が「シャドウ」に聴こえたり、「いつ過去形に」が「いつか固形に」に聴こえちゃうのは、ダブルミーニング的にとらえたほうが面白くなる。「函館~」にしても、文字にしたら「へ」が抜けてることがバレちゃうけど、歌うだけなら「はこだてぇ~」の「ぇ~」が「へ」と同じに聴こえるから問題ない。もちろん、勘違いしたままなのは困るけど、せっかく「函館~」だと思っていた歌詞が「函館へ~」だったと分かったのだから、これを「そうだったのか」で終わらせてしまったら、40年間も勘違いしていたあたしの歴史が無駄になってしまう。だから、これからは、ちゃんと「函館へ~」だと理解した上で、持ち馬のキタサンブラックがG1に勝利して歓喜する北島三郎さんの姿、北海道の競走馬の牧場を訪ねる北島三郎さんの姿をイメージして、今まで通りに「は~るばる来たぜ函館ぇ~~♪」と熱唱したいと思う今日この頃なのだ(笑)


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