ハト時計とデンデン虫
最近はメッタに見なくなったけど、名前を聞けば多くの人が知ってると思うものに、「ハト時計」がある。主に壁掛けタイプの大きな時計だけど、1時とか、2時とか、3時とかになると、時計の文字盤の上にある小窓が開いて、小さな作り物の鳥が出てきて、「ポッポー、ポッポー、ポッポー」って鳴く時計だ。
ちょっと高級なものになると、「ポッポー」って鳴くたびに、鳥のクチバシがパコパコと開閉する。そして、お昼の12時には、他の時間と違って、少しゴージャスな特別の鳴き方をしたりする。あの時計、日本人なら誰もが「ハト時計」だと思ってるから、あの鳴き声も、ハト前提で「ポッポー、ポッポー、ポッポ―」って聞こえてたハズだ。
だけど、あの時計、ホントは「ハト時計」じゃなくて「カッコー時計」だったのだ。あの時計は、今から200年ほど前にドイツ南部の農村で生まれたと言われてる。そして、カッコーの鳴き声を模したことから、ドイツでは「クックークロック(カッコー時計)」と呼ばれてるし、日本以外の国でも「カッコー時計」と呼ばれてる。
でも、昭和になって日本にも輸入されるようになった時、日本では「カッコー」のことを「閑古鳥(かんこどり)」と呼んでたので、商売をしてる人たちにとっては縁起の悪い鳥だ。「閑古鳥が鳴く」というのは、「お客が来なくて閑散としている店」という意味だからだ。
そこで、日本でドイツの「カッコー時計」を売り出す際に、戦後という背景もあって、平和の象徴である「ハト」を使って、「ハト時計」と名づけて売り出したってワケだ。「ハト時計」という名前で売られてるんだから、その時計を買った人たちは、1時になって小窓から鳥が出てきて「カッコー」と鳴いても、その声が「ポッポー」に聞こえてしまう。そして、「ハト時計」という日本独自の名称がひとり歩きを始めた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは自分の感性に素直に生きてるから、世の中の流行とは仕事以外では無縁だし、世の中の多数派とは趣味嗜好が合わないことが多い。まず、テレビは持ってないし、スマホも持ってない。今は「ポケモンGO」が流行してて、賛否両論いろいろあるけど、スマホが大嫌いでガラケーを使い続けてるあたし的には、そんな議論すら他人事だ。
あたしは、ミッキーマウスやドナルドダックなどのディズニーのキャラが大嫌いだから、東京ディズニーランドには20年前に仕事で1回行っただけだし、ディズニーシーなんて行ったこともない。あたしは、東京生まれで東京育ちだけど、秋葉原は大嫌いだから、どうしても必要な電子部品を買うために1回しか行ったことがないし、池袋も大嫌いだから用事がある時しか行ったことがない。
だけど、自分の好きでないジャンル、自分の興味のないジャンルの中にも、思わぬ発見があったりする。あたしは、子どものころからずっと「テレビっ子」で、観たい番組がなくてもテレビを流し続けてるほどのテレビ中毒だったけど、2011年7月にテレビが地デジに変わり、テレビを買い替えるか特別なチューナーを接続しないと映らなくなると言われた時に、「ふ・ざ・け・ん・な!」と思って、テレビを捨てた。そして、それ以来、5年間、テレビのない生活を送ってきた。
だけど、観たい番組はネットの「見逃し配信」で観たり、ネットで配信されないアニメとかは友人に録画してもらって観てるので、特にテレビを持ってなくて困ったことはない。それどころか、自宅にテレビがないことで、基本的にはラジオがメインになり、テレビより何倍もディープでマニアックな情報が得られるようになったし、本を読む時間も増えた。
だから、テレビを捨てたことによって、あたしは「観たい番組を観たい時に観られる」という便利さだけは失ったけど、そもそも「観たい番組」がほとんどなくて、「観たくもない番組」を垂れ流してたあたし的には、情報の「断捨離(だんしゃり)」ができたと感じてる。そして、「観たくもない番組」に耳や目を奪われてた時間が、ラジオやネットや本によって、何倍も有意義なものになったと確信してる。
でも、ここまで言ったあとに言うのも何だけど、テレビだって捨てたもんじゃない‥‥つーか、テレビ自体は捨てるべきもんだけど、テレビ番組に関しては、100のうち1つか2つは「観るべき番組」がある。あたしは、主に「GyaO」の無料コンテンツの「見逃し配信」でテレビ番組を観てるんだけど、昨日、7月30日に放送された「ぶらり途中下車の旅」を、母さんと晩ご飯を食べながら観てたら、とっても興味深いシーンが出てきたのだ。
今回の旅人は俳優の石丸謙二郎さんで、浦和から京浜東北線で南下するんだけど、上野で降りて小伝馬町のほうまで歩いた時に見つけたのが、鳩時計専門店の「森の時計」だった。そして、その店に行ってみると、壁一面に「ハト時計」が並んでた。でも、看板に「鳩時計専門店」と書いてあったのにも関わらず、店長さんの口から出たのは、意外な言葉だった。
「ハト時計と呼んでいるのは日本だけなのです」
そして、店長さんは、今日のマクラに書いた「ハト時計の真実」を説明し始めたのだ。あたしは、久しぶりに目からウロコが落ちた。そう言われてみれば、あたしの知ってる「ハト時計」は、どれも「ポッポー、ポッポー、ポッポー」と鳴いてたけど、本物のハトって、あんなふうには鳴かないよね。あれって、何の先入観もない状態で聴いたら、「カッコー、カッコー、カッコー」って聴こえるよね。
‥‥そんなワケで、テレビ関係者はネットのことを半ば中傷的な意味合いで「玉石混合」って言うけど、あたしから見たら、テレビだって「玉石混合」だ。大半はクソみたいな番組ばかりで、本当に意味のある「観るべき番組」は1割もないと感じてる。だけど、たった1割の「玉」を得るために、不必要な9割もの「石」などに貴重な時間を使ってはいられない。それが、結果的には「テレビを捨てる」という選択だったワケだけど、こうして「GyaO」の「見逃し配信」で目からウロコの情報が得られたのだから、あたしは満足してる。
そして、テレビより遥かに「玉」の割合が多いラジオの場合は、目からウロコの情報も多い。たとえば、誰でも知ってると思うデンデン虫の歌、「でんでんむしむしカタツムリ~お前のアタマはどこにある~ツノ出せヤリ出せアタマ出せ~♪」ってのがあるよね。たいていの人は、子どものころ、幼稚園や小学校で歌ったと思う。そして、特に何も疑問に思わず、教えられた通りに歌ってたと思う。
でも、大人になってから、この歌の歌詞を読み直してみると、「ツノ出せ」は分かる。あの、デンデン虫のアタマについてる2本の触角みたいなアレのことだろう。そして、「アタマ出せ」も分かる。だけど、「ヤリ出せ」が分からない。「ヤリ」って、エヴァンゲリオンの「ロンギヌスの槍」とかの「ヤリ」のことだよね?
だから、あたしは、中学生くらいになってから、この歌の歌詞の「ヤリ出せ」に疑問を持ったんだけど、所詮は子ども向けの童謡だから、「架空の喩え」だと勝手に思い込んでた。どんな苦難にも負けずに成し遂げるという強い意志を表わす時に、「雨が降ろうが槍が降ろうが」っていう慣用句を使うけど、あれと同じで、実際には降ってくるワケがない「槍」を使うことで、自分の意志の強さを表現するって方式だ。
だけど、これはあたしの勝手な解釈で、デンデン虫はホントに「槍」を出してたのだ!デンデン虫は、ナメクジやミミズと同じ「雌雄同体」だから、どんな相手とでも交尾して子どもを作ることができるんだけど、交尾する時に、体内から石灰質の「槍」を出して、相手の体に突き刺して刺激して、それで交尾してたのだ!
その石灰質の「槍」は、日本語で「恋矢(れんし)」、英語で「love dart」と呼ばれてる。「dart」は、あの「ダーツ」の単数形なので、日本語でも英語でも「矢」ということで、「槍」とはちょっと違う。だけど、実際にデンデン虫が出した「恋矢」の画像を検索して見てみると、「矢」というよりは「槍」に近い感じがする。
あたしは、子どものころからデンデン虫を見てきたし、梅雨時にはアジサイの葉っぱにいたデンデン虫を捕まえたこともあるし、手に乗せてみたこともある。大人になってからも、何度もデンデン虫を見てきた。だけど、そのデンデン虫が、交尾の時に「槍」を出して相手の体に突き刺して刺激してたなんて、ぜんぜんむしむしカタツムリ~じゃなくて、ぜんぜん知らなかった!
ちなみに、この「恋矢」という石灰質の「槍」は、長いもので2センチくらいあるんだけど、交尾が終わると捨ててしまうので、アジサイの下とかを探すと見つかるかもしれない。この話を聞いて、もともと「恋矢」のことを知ってた人たちは「何を今さら」って思うだろうけど、特にデンデン虫には興味がなかったあたし的には、40歳を過ぎてから知ったこの事実に、まさしく目からウロコが落ちたってワケだ。
そして、あたしがこの事実を知ったのが、ラジオだった。1カ月か2カ月くらい前、明け方に文化放送を聴きながら原稿打ちの内職をしてた時のこと、「走れ!歌謡曲」だったか、川中美幸さんの「人・うた・心」だったか、今となっては記憶がサダカじゃないけど、どっちかの番組で、この話を紹介してたのだ。それで、「マジかよ?」って思ったあたしは、すぐにネットで調べてみたら、ホントだった上に、「恋矢」の画像もたくさん見られたし、デンデン虫が「恋矢」を出してる動画まで観られたのだ。
‥‥そんなワケで、内職をしながら、たまたま聴いてたラジオからの情報で、デンデン虫の歌の「ヤリ出せ~」が事実だったと知ったあたしは、子どものころにはなかったネットを駆使して、いろいろと検索してみた。そして、デンデン虫の種類によって「恋矢」の形状が違うことや、ナメクジでも種類によっては「恋矢」を出すものがいることも知った。子どものころは知らないことだらけだったので、見るもの聞くものすべてが新鮮な発見ばかりで、自分の周りの世界がキラキラと輝いてたのに、大人になって社会の裏側まで知ってからは、そうしたキラキラが消え失せてた。だけど、テレビやラジオから垂れ流されてる「石」の中から、わずかな「玉」見つけて、それをネットで磨くことによって、40歳をすぎても子どものころのようなキラキラした世界が、また見えてきた今日この頃なのだ♪
★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いします!
↓
| 固定リンク