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2016.07.31

ハト時計とデンデン虫

最近はメッタに見なくなったけど、名前を聞けば多くの人が知ってると思うものに、「ハト時計」がある。主に壁掛けタイプの大きな時計だけど、1時とか、2時とか、3時とかになると、時計の文字盤の上にある小窓が開いて、小さな作り物の鳥が出てきて、「ポッポー、ポッポー、ポッポー」って鳴く時計だ。

ちょっと高級なものになると、「ポッポー」って鳴くたびに、鳥のクチバシがパコパコと開閉する。そして、お昼の12時には、他の時間と違って、少しゴージャスな特別の鳴き方をしたりする。あの時計、日本人なら誰もが「ハト時計」だと思ってるから、あの鳴き声も、ハト前提で「ポッポー、ポッポー、ポッポ―」って聞こえてたハズだ。

だけど、あの時計、ホントは「ハト時計」じゃなくて「カッコー時計」だったのだ。あの時計は、今から200年ほど前にドイツ南部の農村で生まれたと言われてる。そして、カッコーの鳴き声を模したことから、ドイツでは「クックークロック(カッコー時計)」と呼ばれてるし、日本以外の国でも「カッコー時計」と呼ばれてる。

でも、昭和になって日本にも輸入されるようになった時、日本では「カッコー」のことを「閑古鳥(かんこどり)」と呼んでたので、商売をしてる人たちにとっては縁起の悪い鳥だ。「閑古鳥が鳴く」というのは、「お客が来なくて閑散としている店」という意味だからだ。

そこで、日本でドイツの「カッコー時計」を売り出す際に、戦後という背景もあって、平和の象徴である「ハト」を使って、「ハト時計」と名づけて売り出したってワケだ。「ハト時計」という名前で売られてるんだから、その時計を買った人たちは、1時になって小窓から鳥が出てきて「カッコー」と鳴いても、その声が「ポッポー」に聞こえてしまう。そして、「ハト時計」という日本独自の名称がひとり歩きを始めた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは自分の感性に素直に生きてるから、世の中の流行とは仕事以外では無縁だし、世の中の多数派とは趣味嗜好が合わないことが多い。まず、テレビは持ってないし、スマホも持ってない。今は「ポケモンGO」が流行してて、賛否両論いろいろあるけど、スマホが大嫌いでガラケーを使い続けてるあたし的には、そんな議論すら他人事だ。

あたしは、ミッキーマウスやドナルドダックなどのディズニーのキャラが大嫌いだから、東京ディズニーランドには20年前に仕事で1回行っただけだし、ディズニーシーなんて行ったこともない。あたしは、東京生まれで東京育ちだけど、秋葉原は大嫌いだから、どうしても必要な電子部品を買うために1回しか行ったことがないし、池袋も大嫌いだから用事がある時しか行ったことがない。

だけど、自分の好きでないジャンル、自分の興味のないジャンルの中にも、思わぬ発見があったりする。あたしは、子どものころからずっと「テレビっ子」で、観たい番組がなくてもテレビを流し続けてるほどのテレビ中毒だったけど、2011年7月にテレビが地デジに変わり、テレビを買い替えるか特別なチューナーを接続しないと映らなくなると言われた時に、「ふ・ざ・け・ん・な!」と思って、テレビを捨てた。そして、それ以来、5年間、テレビのない生活を送ってきた。

だけど、観たい番組はネットの「見逃し配信」で観たり、ネットで配信されないアニメとかは友人に録画してもらって観てるので、特にテレビを持ってなくて困ったことはない。それどころか、自宅にテレビがないことで、基本的にはラジオがメインになり、テレビより何倍もディープでマニアックな情報が得られるようになったし、本を読む時間も増えた。

だから、テレビを捨てたことによって、あたしは「観たい番組を観たい時に観られる」という便利さだけは失ったけど、そもそも「観たい番組」がほとんどなくて、「観たくもない番組」を垂れ流してたあたし的には、情報の「断捨離(だんしゃり)」ができたと感じてる。そして、「観たくもない番組」に耳や目を奪われてた時間が、ラジオやネットや本によって、何倍も有意義なものになったと確信してる。

でも、ここまで言ったあとに言うのも何だけど、テレビだって捨てたもんじゃない‥‥つーか、テレビ自体は捨てるべきもんだけど、テレビ番組に関しては、100のうち1つか2つは「観るべき番組」がある。あたしは、主に「GyaO」の無料コンテンツの「見逃し配信」でテレビ番組を観てるんだけど、昨日、7月30日に放送された「ぶらり途中下車の旅」を、母さんと晩ご飯を食べながら観てたら、とっても興味深いシーンが出てきたのだ。

今回の旅人は俳優の石丸謙二郎さんで、浦和から京浜東北線で南下するんだけど、上野で降りて小伝馬町のほうまで歩いた時に見つけたのが、鳩時計専門店の「森の時計」だった。そして、その店に行ってみると、壁一面に「ハト時計」が並んでた。でも、看板に「鳩時計専門店」と書いてあったのにも関わらず、店長さんの口から出たのは、意外な言葉だった。


「ハト時計と呼んでいるのは日本だけなのです」


そして、店長さんは、今日のマクラに書いた「ハト時計の真実」を説明し始めたのだ。あたしは、久しぶりに目からウロコが落ちた。そう言われてみれば、あたしの知ってる「ハト時計」は、どれも「ポッポー、ポッポー、ポッポー」と鳴いてたけど、本物のハトって、あんなふうには鳴かないよね。あれって、何の先入観もない状態で聴いたら、「カッコー、カッコー、カッコー」って聴こえるよね。


‥‥そんなワケで、テレビ関係者はネットのことを半ば中傷的な意味合いで「玉石混合」って言うけど、あたしから見たら、テレビだって「玉石混合」だ。大半はクソみたいな番組ばかりで、本当に意味のある「観るべき番組」は1割もないと感じてる。だけど、たった1割の「玉」を得るために、不必要な9割もの「石」などに貴重な時間を使ってはいられない。それが、結果的には「テレビを捨てる」という選択だったワケだけど、こうして「GyaO」の「見逃し配信」で目からウロコの情報が得られたのだから、あたしは満足してる。

そして、テレビより遥かに「玉」の割合が多いラジオの場合は、目からウロコの情報も多い。たとえば、誰でも知ってると思うデンデン虫の歌、「でんでんむしむしカタツムリ~お前のアタマはどこにある~ツノ出せヤリ出せアタマ出せ~♪」ってのがあるよね。たいていの人は、子どものころ、幼稚園や小学校で歌ったと思う。そして、特に何も疑問に思わず、教えられた通りに歌ってたと思う。

でも、大人になってから、この歌の歌詞を読み直してみると、「ツノ出せ」は分かる。あの、デンデン虫のアタマについてる2本の触角みたいなアレのことだろう。そして、「アタマ出せ」も分かる。だけど、「ヤリ出せ」が分からない。「ヤリ」って、エヴァンゲリオンの「ロンギヌスの槍」とかの「ヤリ」のことだよね?

だから、あたしは、中学生くらいになってから、この歌の歌詞の「ヤリ出せ」に疑問を持ったんだけど、所詮は子ども向けの童謡だから、「架空の喩え」だと勝手に思い込んでた。どんな苦難にも負けずに成し遂げるという強い意志を表わす時に、「雨が降ろうが槍が降ろうが」っていう慣用句を使うけど、あれと同じで、実際には降ってくるワケがない「槍」を使うことで、自分の意志の強さを表現するって方式だ。

だけど、これはあたしの勝手な解釈で、デンデン虫はホントに「槍」を出してたのだ!デンデン虫は、ナメクジやミミズと同じ「雌雄同体」だから、どんな相手とでも交尾して子どもを作ることができるんだけど、交尾する時に、体内から石灰質の「槍」を出して、相手の体に突き刺して刺激して、それで交尾してたのだ!

その石灰質の「槍」は、日本語で「恋矢(れんし)」、英語で「love dart」と呼ばれてる。「dart」は、あの「ダーツ」の単数形なので、日本語でも英語でも「矢」ということで、「槍」とはちょっと違う。だけど、実際にデンデン虫が出した「恋矢」の画像を検索して見てみると、「矢」というよりは「槍」に近い感じがする。

あたしは、子どものころからデンデン虫を見てきたし、梅雨時にはアジサイの葉っぱにいたデンデン虫を捕まえたこともあるし、手に乗せてみたこともある。大人になってからも、何度もデンデン虫を見てきた。だけど、そのデンデン虫が、交尾の時に「槍」を出して相手の体に突き刺して刺激してたなんて、ぜんぜんむしむしカタツムリ~じゃなくて、ぜんぜん知らなかった!

ちなみに、この「恋矢」という石灰質の「槍」は、長いもので2センチくらいあるんだけど、交尾が終わると捨ててしまうので、アジサイの下とかを探すと見つかるかもしれない。この話を聞いて、もともと「恋矢」のことを知ってた人たちは「何を今さら」って思うだろうけど、特にデンデン虫には興味がなかったあたし的には、40歳を過ぎてから知ったこの事実に、まさしく目からウロコが落ちたってワケだ。

そして、あたしがこの事実を知ったのが、ラジオだった。1カ月か2カ月くらい前、明け方に文化放送を聴きながら原稿打ちの内職をしてた時のこと、「走れ!歌謡曲」だったか、川中美幸さんの「人・うた・心」だったか、今となっては記憶がサダカじゃないけど、どっちかの番組で、この話を紹介してたのだ。それで、「マジかよ?」って思ったあたしは、すぐにネットで調べてみたら、ホントだった上に、「恋矢」の画像もたくさん見られたし、デンデン虫が「恋矢」を出してる動画まで観られたのだ。


‥‥そんなワケで、内職をしながら、たまたま聴いてたラジオからの情報で、デンデン虫の歌の「ヤリ出せ~」が事実だったと知ったあたしは、子どものころにはなかったネットを駆使して、いろいろと検索してみた。そして、デンデン虫の種類によって「恋矢」の形状が違うことや、ナメクジでも種類によっては「恋矢」を出すものがいることも知った。子どものころは知らないことだらけだったので、見るもの聞くものすべてが新鮮な発見ばかりで、自分の周りの世界がキラキラと輝いてたのに、大人になって社会の裏側まで知ってからは、そうしたキラキラが消え失せてた。だけど、テレビやラジオから垂れ流されてる「石」の中から、わずかな「玉」見つけて、それをネットで磨くことによって、40歳をすぎても子どものころのようなキラキラした世界が、また見えてきた今日この頃なのだ♪


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2016.07.21

ラムネ瓶のロケットとビー玉の地球

1カ月くらい前の文化放送「飛べ!サルバドール」で、「子どものころにどんな遊びをしたか」という話題から、吉田照美さんが「俺はベーゴマが得意だった」と言い出し、実際にスタジオでベーゴマをやってみることになった。で、何とか回すことができて面目を保つことができた照美さんだったけど、後から来たアーサー・ビナードさんから「何でベーゴマと言うか知ってる?」と聞かれると、照美さんを始め、誰も答えられなかった。

そして、アーサーさんが、「もともとはバイ貝をコマにして遊んでたから『バイゴマ』、それが訛って『ベーゴマ』になった」と正解を教えると、照美さんは「本当?バイ貝なんて回るの?」と、最初は疑ってたけど、「でも日本語に詳しいアーサーさんが言うんだから、きっと正しいんだろうな」と、しぶしぶ納得した様子だった。

ちなみに、あたしは、ベーゴマで遊んだことはないし、オモチャの博物館の「昔のオモチャのコーナー」みたいなとこで見たことしかないけど、ベーゴマの語源がバイ貝で作った「バイゴマ」だということは知ってた。何でかって言うと、「ベーゴマ」は俳句の季語になってて、あたしが30年も愛用してる俳句の歳時記には、次のように解説されているからだ。


「海蠃廻し(ばいまはし)」
昔は重陽の日の子供の遊びであった。海蠃の殻に蝋や鉛をつめ、それを海蠃独楽(ばいごま)、訛ってべい独楽とも言う。独楽を回しあい、相手の独楽をはじき出した方を勝とする。今は重陽の日に限らず、独楽も海蠃に似せて鉛だけで作る。海蠃打ち。
海蠃打ちや灯ともり給ふ観世音 秋桜子
負け海蠃やたましひ抜けの遠ころげ 誓子


「重陽(ちょうよう)」というのは陰暦9月9日のことで、昔は、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日と同じように、お祝いをした。3月3日は「桃の節句」だけど、9月9日の「重陽」は「菊の節句」なので、菊をお供えしたり、菊の花びらを入れたお酒を飲んだりした。九州では、今も長崎の諏訪神社を始めとした各地で「くんち」「おくんち」が行なわれてるけど、これは「9日(くにち)」が語源だ。もともとは9月9日に行なわれてたものが、新暦に変わったため、今は10月に行なわれてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今から半世紀以上も前、東京の下町の小学校に通っていた吉田照美少年は、9月9日だけじゃなく、一年中、ベーゴマで遊んでたワケだけど、何でベーゴマと呼ばれてるのかは知らなかったようだ。だけど、ベーゴマの由来がバイゴマだと知ってたあたしも、実のところ、あんまり納得してない。だって、バイ貝とベーゴマはぜんぜん似てないからだ。

バイ貝は、よく居酒屋さんのお通しとかで出てくるけど、小さな巻貝だ。あたしの歳時記の解説に書かれてるように、食べ終わったバイ貝の殻の中に、ローソクの蝋や鉛を溶かして流し込めば、たぶん回ると思う。バイ貝は縦長の貝なので、口までいっぱいに鉛を流し込むんじゃなくて、3分の1とか半分とかだけ流し込めば、尖った先っちょのほうが重くなるから、きっと安定性がよくなってクルクルと回ると思う。

だけど、こうして作ったバイゴマと、吉田照美少年が夢中で遊んでたベーゴマは、やっぱり似てない。どっちかって言うと、マツバガイのほうが似てる。海に行くと、防波堤の波の当たる部分とか、テトラポッドの下のほうの波が当たる部分とかに張りついてるアレだ。真ん中が少し尖った、傘のような形の平べったい貝なので、身を食べたあとに鉛を流し込んで固めれば、それこそベーゴマになると思う。

だから、これはあくまでもあたしの想像だけど、もしかしたら、バイゴマが生まれた時代くらいまでは、バイ貝のことをマツバ貝、マツバ貝のことをバイ貝と、今とは逆に呼んでたのかもしれない。もしもそうだったとしたら、バイ貝の殻に蝋や鉛を流し込んだバイゴマは、見た目としてもベーゴマのルーツになりえる。

「そんなことあるワケないじゃん!」て思うかもしれないけど、たとえば昔は、コオロギのことをキリギリス、キリギリスのことをコオロギと、今とは逆に呼んでいた。アサガオにしても、昔はキキョウのことをアサガオと呼んでいた。昔はサメのことをワニと呼んでたし、今でもサメのことをワニと呼んでる地域もある。こうした例があるんだから、どっちも小さな食用の貝であるバイ貝とマツバ貝が、今とは逆に呼ばれてたことだって十分にありえると思う。


‥‥そんなワケで、こうした語源には怪しげなものも多いんだけど、怪しげなものに限って、いかにも真実のように広められてるケースがある。たとえば、ベーゴマと並ぶ昭和の子どもたちの遊び、ビー玉だ。これはもちろん、ビードロ(ガラス)の玉だからビー玉なんだけど、このビー玉に、怪しげな語源の説があるのだ。

ビー玉はもともと、ラムネの瓶に入ってるガラスの玉を取り出して遊んでたことから、ラムネ玉と呼ばれてた。ここまではホントだ。で、ラムネの瓶に入ってるのは栓の役目なので、少しでも歪んでたり欠けてたりすると役に立たない。それで、ラムネの栓に使える精度の高いガラス玉を「A玉」と呼んだの対して、栓に使えない失敗作のガラス玉を「B玉」と呼び、子どもの遊び道具として安価で売り出した、という説だ。

初めてこの説を聞かされると、多くの人は「へえ~」ってなっちゃうけど、普通に考えてみれば、これが誰かの考えた「いかにもありそうな作り話」だということが分かる。だって、ラムネの瓶の口には、内側に薄いリング状のゴムがあって、そこにガラスの玉が炭酸の圧力で押しつけられて栓になってるんだから、よほど歪んでたり欠けてたりしてない限り、ちゃんと栓の役目を果たす。

つまり、この怪しげな説が事実だったとしたら、子ども用に売られてた「B玉」は、普通に転がして遊ぶことも難しいほどの欠陥品だったことになる。だけど、あたしが子どもころ、まだギリギリで売られてたガラス瓶のラムネに入ってたビー玉も、駄菓子屋さんでおはじきと並んで売られてたビー玉も、どっちもちゃんとした球形で、歪んだものや欠けたものなんか1つもなかった。

だから、これまたあたしの想像だけど、どこかの誰かがビー玉という名前から「B玉」というアテ字を思いつき、そこから「A玉」へと発想が進み、こんな「いかにも」な語源を創作したんじゃないかと思う。そして、学校や職場で話すネタとしてはなかなか面白いから、ナニゲに広まっちゃったんじゃないかと思う。


‥‥そんなワケで、ベーゴマは秋の季語だけど、ベーゴマじゃない普通のコマはと言うと、「も~いくつ寝ると~お正月~~お正月には凧揚げて~独楽を回して遊びましょ~~♪」って歌われてるように、お正月の季語、新年の季語になってる。だけど、コマと一緒に歌に登場してるタコはと言えば、これが、新年の季語じゃなくて、春の季語なのだ。

お正月の遊びの中で、ちゃんと新年の季語として分類されてるのは、羽根つきの「羽子板(はごいた)」、「独楽(こま)」、「歌留多(かるた)」、「雙六(すごろく)」、「福笑い」、「手毬(てまり)」などで、他にも、「毬打(ぎちょう)」、「ぶりぶり」、「ぽつぺん」、「穴一(あないち)」、「十六むさし」など、今ではほとんどの人が知らない遊びや玩具が、歳時記の中だけで生き続けてる。それなのに、「凧揚げ」だけは春の季語なのだ。

ちなみに、この中の「ぽつぺん」というのは、現代仮名遣いで書くと「ぽっぺん」、ガラスでできた玩具で、細い口から息を吹き込むと、先端の平らなガラス面が「ポッペン、ポッペン」と音を出す。喜多川歌麿の美人画「ビードロを吹く娘」は、切手になったことでもお馴染みだけど、アレが「ぽっぺん」だ。


Bo1


この歌麿の美人画は、もともとは「玩具を口にする娘」、「ビードロを吹く女」、「ポッピンを吹く女」など、複数のタイトルで呼ばれてたけど、昭和30年(1955年)に切手になった時に「ビードロを吹く娘」と解説されたため、その後は「ビードロを吹く娘」というタイトルが定着した。歌麿の時代にも「ぽっぺん」や「ぽっぴん」という呼び名もあったけど、まだまだガラス製品を「びいどろ」と総称していたことから、当時の日本郵便は、この「ビードロを吹く娘」というタイトルに決めたんだと思う。

それから、これまた新年の季語になってる遊びの「穴一(あないち)」、これはビー玉を使った遊びで、江戸時代に始まったものだ。もともとは大人たちが賭博として行なってた平安時代の「銭打ち」がルーツで、相手の銭を自分の銭ではじき出すと貰うことができる。だから、ビー玉遊びだけでなく、女の子の遊びだった「おはじき」も、同じルーツなんだと思う。

もちろん、江戸時代にはガラスは高価だったから、子どもたちはガラスのビー玉で遊ぶことなんてできない。だから、堅いムクロジの実を使ったり、泥ダンゴを使ったりしてて、ガラスのビー玉が登場するのは、ずっと後の明治30年ごろだったと言われてる。

一方、日本に最初にラムネの元祖である炭酸飲料が登場したのは、江戸時代の末期、嘉永6年(1853年)、浦賀に来航したペリーが持ち込み、武士たちに振る舞ったのがルーツだと言われてる。その後、日本でも作られるようになり、「レモネード」が訛って「ラムネ」と呼ばれるようになった。だけど、ペリーが持ち込んだラムネの元祖は、今のシャンパンやスパークリングワインのように、コルクの栓で、それが飛ばないように針金がグルグル巻きにされているものだった。つまり、ガラスの玉で内側から炭酸の圧力を利用して栓をして、それを中に落として飲むという方式は、日本発の画期的なアイデアだったのだ。


‥‥そんなワケで、ラムネの瓶に入っていたのは「A玉」で、「A玉」になれなかった欠陥品が「B玉」だという説には懐疑的なあたしだけど、ガラスの玉を使ったラムネの栓に関しては、「下町ロケット」で佃製作所が開発したバルブシステムのような、「下町ロケット2」で開発した人工心臓弁ガウディのような、日本の「物づくり」の熱い魂を感じた。そして、ひさびさに登場した「小さいきっこたち」が、それぞれラムネ瓶のロケットに乗り込み、炭酸の圧力で大気圏外まで飛んで行き、緑のビー玉のような美しい地球を見おろしてる気分になった今日この頃なのだ♪


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2016.07.11

参院選の総括と今後の方向性

10日投開票の参院選は、このブログを書いてる11日の早朝の時点で、ようやく結果が出そろった。ご存知のように、参議員の任期は6年で、ぜんぶで242議席、3年ごとに半数ずつ選挙を行なう。だから、今回の参院選でも、任期が切れる121議席の議員だけが選挙を行なったワケだ。

で、今回の参院選では、与党の自民党が55議席、公明党が14議席、合わせて69議席を獲得した。一方、野党は、民進党が32議席、日本共産党が6議席、おおさか維新の会が7議席、社民党が1議席、生活の党が1議席、日本のこころを大切にする党、新党改革が0議席、無所属・その他が5議席、合わせて52議席だ。

そして、これに、今回は選挙がなかった非改選の与野党の議席を足すと、与党の非改選は76議席だから145議席、野党の非改選は45議席だから97議席になる。ちなみに、改選前の議席数は、与党が135議席、野党が107議席だったので、与党は10議席増やし、野党は10議席減らしたことになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この獲得議席数だけを見れば、「与党が大勝」とか「野党が惨敗」とかってレベルまでは行かないけど、「与党が勝って野党が負けた」ってことにはなる。だけど、もっと細かく分析してみると、そうとも言い切れない事実が見えてくる。

たとえば、今回、1つ増えて全国32になった1人区だ。1人区では、共産党が候補者を立てないようにして、野党共闘が行なわれたけど、その結果、与党が21議席を獲得、野党が11議席を獲得した。ようするに、与党側から見ると「21勝11敗」という結果だけど、はたしてこれが「与党の完全勝利」と言えるのだろうか?

だって、前回の2013年の参院選では、全国31の1人区で、自民党と公明党の与党は「29勝2敗」だったんだよ。それが、今回は「21勝11敗」になったんだから、与党が8議席も減らした一方で、野党は9議席も増やしたことになる。その上、野党が勝った9議席の中には、安倍政権の現職の大臣を落選させた選挙区が2つもある。それは、沖縄県と福島県だ。

沖縄県では、安倍政権の現職の島尻安伊子沖縄北方担当相に10万票以上の大差をつけて、辺野古への基地移設に反対する伊波洋一氏が初当選した。これで、沖縄には選挙区選出の自民党議員は1人もいなくなり、衆参6人の議員が全員、辺野古への基地移設反対派となった。

また、福島県では、これまた安倍政権の現職の岩城光英法務相を破り、民進現職の増子輝彦氏が勝利した。福島県いわき市に生まれ、いわき市議会議員、福島県議会議員、いわき市長、参議院議員と進み、ついに大臣にまで上り詰めた「おらが町の大臣さま」に、福島県民が「NO!」を突きつけたのだ。

福島県だけでなく、青森、秋田、岩手、宮城、福島、山形の東北6県では、福島と宮城で改選数が2から1に減った中、統一候補を擁立した民進、共産、社民、生活の野党4党が5議席を獲得、自民は改選前の5議席から大幅に減らし秋田の1議席しか獲得できなかった。被災3県を取材したTBSラジオの記者によると、多くの有権者が安倍政権の復興政策の酷さに怒っていて、投票先を与党候補から野党候補に変えたという。


もちろん、トータルで見れば、与党は議席を増やし、野党は議席を減らしたんだから、「与党が勝って野党が負けた」ということになる。だけど、野党共闘をせずに、これまでと同じように候補者を乱立させて足の引っ張り合いをしてたとしたら、1人区で11もの議席を獲得することは難しかっただろう。

選挙の直前まで、グダグダと党内調整をしていた民進党と違って、いち早く野党共闘の重要性をアピールして積極的に動いた共産党の志位和夫委員長は、今回の参院選の結果について、「最初のチャレンジで32の1人区すべてで野党統一候補を実現し、11で勝利を勝ち取った。これは大きな成功と言っていい。野党がバラバラで戦った場合、かなり厳しい結果が出たことは間違いない」とコメントした。

あたしも、ホントにその通りだと思う。そして、民進党がもっとテキパキと動いてくれていたら、それぞれの1人区での準備に時間を割くことができたワケで、もっと多くの議席を獲得していたんじゃないかと思う。「共産党なんかと手を組むとスポンサーの労組に見放される」とか、この期に及んで最後までグズグズしてた一部の民進党幹部たちは、少しは自分たちの置かれた立場を客観的に見てほしい。

志位委員長は、「今後も野党共闘を続けていきたい。衆院選小選挙区での協力の話し合いをぜひ進めていきたい」ともコメントした。頑固一徹で絶対に主義主張を変えなかった共産党が、安倍政権の暴走を止めるために、ここまで柔軟な姿勢に出てるんだから、とりあえず民進党は積極的に協力してほしい。


‥‥そんなワケで、参院選にばかり目が行っちゃうけど、同日の10日に投開票が行なわれた鹿児島県知事選でも、民進・社民両党の支援を受け、共産との候補1本化で出馬した無所属の新人・三反園訓(みたぞの さとし)氏が、自民・公明の推薦で4選を目指した現職・伊藤祐一郎氏を破り、初当選した。三反園氏は終始一貫して「川内原発の停止」を訴えたけど、この主張に、多くの無党派層と自民党支持層が流れたと報じられた。

参院選や衆院選などの国政選挙だけでなく、このように、地方選挙でも野党共闘は力を発揮する。鹿児島県知事選で初当選を果たした三反園氏の得票は42万6471票、敗れた伊藤氏の得票は34万2239票、その差は約8万4000票だ。もしも共産党が独自の候補者を擁立していたら、その候補者が8万4000票以上を獲得していたら、現職の伊藤氏が4選を果たし、川内原発は今後も危険なまま推進されていただろう。

前回2013年の参院選で安倍政権が大勝し、衆参の「ねじれ」という良識の歯止めが消滅してしまった時、マトモな有権者の多くが絶望的な気持ちになった。これでは、政権与党のやりたい放題になってしまうし、何よりも二院制の意味がなくなってしまう。だけど、そんな時、文化放送「飛べ!サルバドール」にゲスト出演した落合恵子さんは、次のように言った。


「3年後まで国政選挙がないからといってガッカリしていてはダメ。それまでにも地方選挙があるのだから、安倍政権が真っ黒にしてしまったオセロを1枚ずつでも白にして行きましょう!」


そう!その通りだ!だけど、この時点では、まだ野党はバラバラだった。地方選挙でも野党がそれぞれの候補者を乱立させるから、「反与党票の分散」という足の引っ張り合いになってしまい、結局、与党候補が「漁夫の利」を得ることになるケースが多かった。でも、今は違う。今回の参院選の1人区を見ても、鹿児島県知事選を見ても、野党共闘が一定の効果をあげている。


‥‥そんなワケで、今回の参院選での野党共闘は、志位委員長の言う通り、「最初のチャレンジとしては大きな成功」だったと思う。そして、これは、次の衆院選に向けての第一歩だと思う。総理大臣には「解散」という必殺技があるワケだし、事実、前回の衆院選も「消費税増税の延期の信を問う」とかいうバカ丸出しの理由のために、突然、解散総選挙が行なわれた。そして、今回も、参院選が終わった直後に「次の臨時国会から憲法改正をきちんとやっていく」などと言い出した安倍晋三首相のことだから、衆参両院で3分の2の賛成を得られたとたん、国民投票をすっ飛ばして解散総選挙に打って出る可能性だってある。だから、安倍政権の暴走を止めようと思ってるマトモな野党の皆さんは、直前になってから慌てないように、今から野党共闘のための綿密な打ち合わせをしておいてほしいと思う今日この頃なのだ。


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