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2016.08.18

マリー・アントワネット、運命の24時間

あたしがマリー・アントワネットを初めて知ったのは、小学校の低学年の時に放送していたアニメ『ベルサイユのばら』だった。でも、当時のあたしは小さかったので、複雑なストーリーは難しくて、よく分からなかった。ただ、宮殿やお庭の噴水、立派な馬車や仮面舞踏会のシーンを見て楽しんだり、マリー・アントワネットやオスカル、アンドレやフェルゼンを素敵だなと思っていただけだった。そして、これはアニメなんだから、内容も登場人物も、すべては架空のお話だと思っていた。

 

だから、あたしが、ようやくストーリーを理解できたのは、小学校高学年になって、この『ベルサイユのばら』の原作の漫画を読んでからだった。そして、あたしが何よりも驚いたのが、この漫画は架空のお話じゃなくて、実際に起こった史実に基づいて描かれていたってことだった。オスカルとアンドレは架空の人物だったけど、それ以外の登場人物の大半は実在していた人たちだったし、全体的なストーリーから細かい出来事に至るまで、多くの部分が史実に基づいていた。

 

それが分かったのは、中学生になってから、シュテファン・ツワイク(ツヴァイク)の『マリー・アントワネット』(高橋禎二・秋山英夫訳)を読んでからだった。とにかく、この伝記は、あたしにとってものすごい衝撃で、200年以上も前のフランスでこんなことがホントに起こっていたなんて、にわかには信じられなかった。そして、運命という大きな潮流から逃げることもできず、あまりにも悪質なやり方で悪女に仕立て上げられ、最後にはインチキ裁判で死刑を宣告されても、なお、自分のプライドを捨てずに決して下を向かなかったマリー・アントワネットという1人の女性を、あたしは大好きになり、心の底から尊敬するようになった。

 

マリー・アントワネットに関する書籍はたくさんあるけど、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』が優れている点は、表現の巧みさもさることながら、「信頼できない文献は一切使わず、確実に本物と証明された文献しか参考にしなかった」という点だ。マリー・アントワネットの死後、高値で売れるということで、数えきれないほどの贋作の書簡などが出回った。そして、その後に書かれた書籍の多くは、そうした真贋のハッキリしていない書簡などを参考にしているため、事実とかけ離れた内容の物も多い。でも、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』は、参考文献の選定からして、極めて事実に近い内容だと言える。

 

そして、漫画の『ベルサイユのばら』は、池田理代子先生が、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』を読んで感動したことから、この伝記をベースにして描かれた作品だったということも後から知った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、あたしが大人になってずいぶん経ってから、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』の新訳が出た。中野京子さん訳の『マリー・アントワネット』(角川文庫)だ。ちなみに、こちらの新訳では、「シュテファン・ツワイク」ではなく「シュテファン・ツヴァイク」と表記されている。で、この新訳の文庫版を書店で手に取ったあたしは、前書きの1ページ目を読んだだけで、上下2冊を持ってレジに向かった。それほど読みやすい訳だったからだ。

 

以前の「高橋禎二・秋山英夫訳」も素晴らしいけど、時代が時代だから文体が古めかしくて読みずらい部分も多かった。でも、この中野京子さんの訳は、1ページ目を読んだだけで、その読みやすさが理解できたのだ。たとえば、第9章「トリアノン」の冒頭の一節を比較してみると、それがよく分かると思う。

 

 

高橋禎二・秋山英夫訳
「軽いもてあそぶような手で、マリー・アントワネットは、王妃の冠を、思いがけない贈物のように受け取る。彼女はまだあまりにも若く、人生というものはいかなるものもただで与えるものではなく、運命から授かったいっさいのものには、ひそかに一種の代価が書きこまれていることを知らない。」

 

 

中野京子訳
「踊るような軽やかな手つきで、マリー・アントワネットは王冠をつかんだ。予期せぬプレゼントをもらうみたいに。まだ若すぎるせいで、人生はただで何もくれないこと、運命が授けるものには秘密の値札が付いていることを知らなかった。」

 

 

‥‥そんなワケで、あたしは、中野京子さんの訳した『マリー・アントワネット』を夢中になって読んだ。そしたら、「高橋禎二・秋山英夫訳」では分からなかったことが、長い年月を経て、ようやく分かるようになった。たとえば、第2章「ベッドの秘密」では、「高橋禎二・秋山英夫訳」では訳されていなかったスペイン大使の極秘報告書が、ちゃんと訳されていたのだ。

 

これは、結婚して何年経ってもセックスができない王太子の肉体的欠陥についての報告書で、「高橋禎二・秋山英夫訳」には原文しか掲載されていないから、あたしは読むことができなかった。だから、その前の文章、「王太子の不能は別に精神的なものではなくて、ちょっとした器官的欠陥(包皮)によるものであることが判明した。」という一節から想像するしかなかった。でも、中野京子さんの訳では、極秘報告書の内容もちゃんと訳されていた。

 

 

「ある人の説では、そのものをしっかりおさえれば挿入できるが、動いているうち強い痛みを感じるので途中でやめてしまうとのこと。また別の人の考えでは、包皮が厚いのでじゅうぶんな勃起ができず、頭の先端がきちんと剥けないとのことです」(スペイン大使の極秘報告書)

 

 

こうした理由で、王太子は結婚してから7年間もセックスができず、マリー・アントワネットはとても辛い思いをしていた。もちろん、王太子に抱いてもらえないという女性としての不幸もあったけど、それよりも、何年経っても子どもを授からないという王太子妃としての不幸のほうが大きかった。そして、これが原因で、マリー・アントワネットは夜な夜なオペラや仮面舞踏会へ足を運ぶようになり、自分の満たされない心を他のもので埋めようとしたのだ。

 

結局、結婚してから7年目に王太子は手術を受ける決断をして、無事にセックスができるようになり、マリー・アントワネットも母としての喜びを知るワケだけど、この章を読んだだけでも、中野京子さんが「読みやすい訳」だけを目指したのではなく、「より正確に史実を伝えよう」としていた姿勢がよく分かる。だから、これから初めてシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んでみようと思った人には、あたしは迷うことなく「中野京子訳」のほうをオススメする。

 

そして、もう1冊、あたしがオススメしたいのが、中野京子さんが書かれた『ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間』(文春文庫)だ。新書では『マリー・アントワネット 運命の24時間』というタイトルだったけど、文庫版が出る時に『ヴァレンヌ逃亡』という副題がメインのタイトルに昇華された。

 

漫画やアニメの『ベルサイユのばら』でも取り上げられてたように、マリー・アントワネットに関する数々の事件の中でも、「首飾り事件」と「ヴァレンヌ事件」はとても有名で、この事件だけにスポットを当てた短編などの作品もある。でも、「ヴァレンヌ事件」に関して言えば、あたしの知る限り、この作品が現時点での最高傑作だと思う。

 

パリのチュイルリー宮殿で軟禁状態だったルイ16世とマリー・アントワネットと子どもたちを救うため、マリー・アントワネットの事実上の恋人であるフェルゼンが命を懸けて国王一家をパリから逃亡させた一幕だ。しかし、変装して馬車を走らせた国王一家だったが、危機感が皆無で優柔不断なルイ16世の度重なる判断ミスの結果、国境に近いヴァレンヌという田舎の村で正体がバレてしまい、逮捕・拘束され、パリへと連れ戻されてしまう。もしもルイ16世がフェルゼンの計画通りに行動していれば、国王一家は無事に国外へと脱出し、マリー・アントワネットの運命も、フランスの運命も、大きく変わっていただろう。

 

史実を史実として忠実に綴っただけではなく、マリー・アントワネットのことを知り尽くした中野京子さんの筆が生き生きと走っている「めくるめく逃亡劇」は、まるで映画を観ているような臨場感がある。そして、この逃亡劇に底流しているマリー・アントワネットへのフェルゼンの愛、この残酷な運命が事実であるだけに、生々しく胸に迫ってくる。決して大ゲサじゃなく、ここ10年であたしが読んだ本の中で、間違いなくナンバーワンに挙げられる1冊だ。

 

 

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‥‥そんなワケで、あたしの大好きなマリー・アントワネットは、1755年11月2日に生まれて、1793年10月16日にギロチンにかけられて亡くなったので、享年37。あと2週間ほど刑の執行が遅ければ、38歳の誕生日を迎えていたことになる。そして、マリー・アントワネットが生まれた1755年は、日本では宝暦5年、江戸時代の中期で、第9代将軍・徳川家重の時代だった。そんな時代に、海の向こうのフランスでは、日本では想像もできないような大きな運命が動いていたのだ。そして、マリー・アントワネットの没後、約100年に生まれたシュテファン・ツヴァイクは、『マリー・アントワネット』を始めとする名作を数多く残し、亡命の地であるブラジルのリオデジャネイロ近郊のペトロポリスという町で、毒を飲んで自殺した。リオデジャネイロでオリンピックが開催されている今、こうしてマリー・アントワネットのことをブログに書いていると、不思議な運命の連鎖の末端に、あたしもホンの少しだけ触れているような気がしてくる今日この頃なのだ。

 

 

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