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2016.08.31

雷鳴と恋愛

あたしは読書が大好きだけど、新刊を次々と買えるような状況でもないし、近くに図書館もないから、ここ数年は、手持ちの愛読書を読み返してる。マイ・フェバリットである角田光代さんの『対岸の彼女』(文春文庫)や、加納朋子さんの『ささら さや』(幻冬舎文庫)は、何度読み返したか分からないほどで、読み返すたびに、何かしらの新しい発見を授けてくれる。

で、今は、これまたマイ・フェバリットである川上弘美さんの『センセイの鞄』を読み返してたんだけど、酔ってセンセイのお家に行ったツキコが、突然の雷に驚いて、センセイのことが好きだと告白して、センセイに抱きしめられる場面で、深夜1時のあたしの部屋の真っ暗だった窓が、ピカッと光って、1秒後にガラガラドッカーン!と雷鳴が轟き、真横からの雨が窓ガラスを叩き始めた。

残念ながら、あたしの周囲に包容力のあるセンセイはいなかったし、母さんは隣りの部屋で熟睡してたから、あたしは、とりあえずカーテンを閉めて、電気ポットでお湯を沸かして、8杯ぶんで190円のコーヒーを淹れて、それを飲みながら、川上弘美さんの『センセイの鞄』の続きを読んだ今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ツキコほどは雷が恐くないけど、それでも、あまりにも激しい雷鳴を聞くと、ちょっとは恐くなる。遠くのほうで鳴ってるぶんには大したことないけど、ピカッ!からガラガラドッカーン!までの間隔が狭くて、目と鼻の先に落ちたような雷鳴を聞くと、さすがに恐くなる。

だけど、そんなに恐ろしい雷鳴でさえも、恋愛のネタにしてしまっていたのが、万葉の時代の貴族たちなのだ。まず、今まで何度も書いて来たけど、恋愛感情のある女性が男性を呼ぶ時は「君(きみ)」、男性が女性を呼ぶ時は「妹(いも)」、この基本を踏まえた上で、あたしの大好きな『万葉集』には、こんな歌が収められている。


「鳴る神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」 詠み人しらず
(雷が少し響き始め、空が曇り始め、雨も降ってくれないかしら。そうなれば、愛しいあなたを引き留められるのに)


これは、自分の部屋を訪ねて来た男性に対して、その部屋の女性が詠んだ歌なんだけど、状況と思いがすごくよく分かるよね。この女性は、午後の比較的早い時間に訪ねて来た男性と早々に一戦まじえちゃったワケで、やることをやったらトットと帰りたい男性に対して、まだまだ余韻を楽しみたい女性が、何とか引き留めようとしてるのだ。

やることをやってトットと帰りたい男性としては、帰るための理由が欲しい。たとえば、もしも遠くでカミナリの音が聞こえたら、今のうちに早く帰らないと雨が降ってくるってワケで、これを理由にオイトマできる。一方、まだまだ余韻を楽しみたいし、できれば「もう一戦」なんて思ってる女性としては、何とか引き留めたい。そこで、「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」なんて歌を詠んだワケだ。

だけど、男性のほうにしても、もともと好きでもないなら、わざわざ会いには来ないワケだし、ましてや外が明るいうちから一戦をまじえたりしないワケだ。この時は、「射精欲さえ満たされればトットと帰りたくなる」という男性特有の自分勝手な動物的本能が首をもたげただけで、愛する彼女から、「お願い、まだ帰らないで」って内容の、こんなにもラブリーな歌を詠まれちゃった日にゃあ、またまた股間の別の首が頭をもたげて来る。それで、彼女にこんな返歌をプレゼントしちゃった。


「雷神(なるかみ)の少し響(とよ)みて降らずとも我(わ)は留らむ妹(いも)し留めば」 詠み人しらず
(もしも本当に雷が少し鳴って、今にも雨が降り出しそうになったとしても、僕はずっとここにいるよ。君が望むのなら)


‥‥そんなワケで、現代人のカップルだったら、セックスが終わったトタンにソソクサとパンツを穿いて服を着て帰ろうとするカレシに対して、まだベッドで余韻を感じてるカノジョが「まだ帰らないで‥‥」と囁き、しばしの沈黙のあと、カレシが「うん、分かったよ‥‥」と答えて、またベッドに戻って来るっていう流れなんだけど、たったそれだけのやり取りを、わざわざ雷に喩えて紙に筆で書きしるして、これはあたしの想像だけど、たぶん30分くらいの時間をかけてやり取りしてたんだよね。

これって、ある意味、この単純なやり取りでさえも、恋愛の一部分としてお互いに楽しんでたって言えるんじゃない?事実、万葉の数々の恋愛の歌を読んでみると、男性がどこかで自分のタイプの女性を見初めて、その思いを歌にしたためて、その歌を送り届けて、最終的に結ばれるまで、ずいぶん大変な手間がかかってることが分かる。インターネットもケータイもなければ、電車もバスも車もないんだから、好きになった相手の家が50キロ離れていたら、自分の詠んだ歌を届けるだけだって、ひと仕事だ。

だけど、思い立った瞬間にLINEでコクれる現代と違って、それだけ手間や苦労のかかる時代だったからこそ、その手間や苦労をも、恋愛の一部分として楽しんでたんじゃないだろうか?自分の気持ちを31音の歌にしたため、その歌を送り、一日が千秋の思いで返事を待ち、何日後かにようやく届いた返歌を読み、次はどんな歌を送ろうかと悩み、考え、これぞと思う歌をしたため、また相手に届ける。こうしたやり取りの果てに、ようやく結ばれる。

これは、相手と結ばれることが恋愛なんじゃなくて、このやり取りの時点から、すべてが恋愛なんだと思う。今どき人たちの多くは、とにかく結果を求めたがるし、結果が得られないと意味がないと思ってる人までいる。最近のスマホのゲームでは、高レベルのデータの入ったアカウントを高額で売買しているという。ここまで来ると、ゲームという遊びの意味が分からなくなってくる。

あたしだけじゃなく、多くの人が、小学生の時、遠足の前の日にワクワクして眠れなかった経験があると思うけど、今になって考えてみれば、眠れなかった前日の夜から遠足は始まっていたのだ。遠足は、遠足に行ったことだけが遠足なんじゃなくて、ワクワクして眠れなかった前日の夜も遠足の一部だし、帰ってきてから感じる楽しかった思い出も遠足の一部なのだ。


‥‥そんなワケで、今回、何でこんな話を書いて来たのかと言うと、川上弘美さんの『センセイの鞄』を読み返していて、雷のシーンでホントに窓の外で雷が鳴った上に、深夜になってGyaOでアニメで観ようと思ってアクセスしてみたら、あたしの大好きなアニメ映画『言の葉の庭』(2013年)が無料配信されてたのだ。たぶん、新海誠監督の新作アニメ『君の名は。』が公開されたから、それとの関係なんだと思うけど、9月11日までの無料配信なので、まだ観たことのない人は、今回のブログであたしが紹介した万葉集の歌と、その意味を読み直してから、ぜひ、楽しんで欲しいと思う今日この頃なのだ♪


■アニメ映画『言の葉の庭』(2013年)■
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00085/v06507/v0649200000000517135/?list_id=2200573


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2016.08.29

心が折れる言葉たち

6年ほど前のブログ、「自分へのベホイミ」に詳しく書いてるので、昔からあたしのブログを読んでくれてる人なら知ってると思うけど、あたしは「自分へのご褒美」という言葉が嫌いなので、その代わりに「自分へのベホイミ」という自作の言い回しを使ってる。「ベホイミ」というのは、もちろん「ドラクエ」の回復系の呪文のことで、複数のメンバーを回復できる「ベホマラー」や「ベホマズン」とは違って、特定の1人だけを回復する呪文だ。

今は、「ホイミ」→「ベホイミ」→「ベホイム」→「ベホイマ」→「ベホマ」と5段階もあるけど、あたしが夢中になって遊んでた初期から中期の「ドラクエ」では、「ホイミ」→「ベホイミ」→「ベホマ」の3段階だった。だから、「今日は暑かったけどお仕事がんばったから」という理由で、自分のためにガリガリ君リッチを1本買ったりするのは、規模としては「自分へのホイミ」になるし、「ものすごく大きなお仕事が契約できたから」という理由で、自分のためにずっと欲しかったパンプスを買ったりするのは、規模としては「自分へのベホマ」になる。

こうして考えると、「自分へのホイミ」は、ワリと日常的なレベルなので、あんまりご褒美感はない。そして、「自分へのベホマ」は、数年に1回あるかないかのことなので、こっちは逆にレアすぎて、メッタに使うことがない。でも、その中間の「自分へのベホイミ」なら、「久しぶりにギャラのいいお仕事がもらえたから」という理由で、お昼におそば屋さんで天丼を注文して、ついでに瓶ビールも1本注文しちゃうようなレベルなので、1年に2~3回くらいある、まさにご褒美ってことになる。

だから、あたしは、「ベホイミ」が「ご褒美」に語呂が似てるというだけじゃなくて、その使用頻度からも、「自分へのベホイミ」という言い回しを使ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、誤解がないように説明しておくけど、あたしが「自分へのご褒美」という言葉が嫌いだというのは、この言葉自体が嫌いというよりも、こんな赤面するような表現を人前で平然と使える人たちの「あたしから見たらマトモじゃない感覚」が苦手なのだ。あたしなら恥ずかしくて絶対に使えない言葉なのに、こういう言葉を平然と使ってる人たちって、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気を発しながら使ってるから、なおさら手におえない。見てるこっちが恥ずかしくなってくるから嫌なのだ。

これと同じジャンルの言葉に、「心が折れる」がある。その昔、格闘技のK-1グランプリが人気絶頂で、大晦日とかには必ず大きな大会がテレビ放送されてた時代があったけど、その時、K-1の大ファンを自称する藤原紀香さんがよくゲストとして出演してた。そして、実況アナや格闘技の専門家からコメントを求められると、藤原紀香さんは「武蔵選手は心が折れないようにがんばって欲しいですね!」とか「ピーター・アーツ選手は心が折れませんから!」とか、この言葉をヤタラと連発してた。

当時、この「心が折れる」がプチ流行してたみたいで、K-1以外のスポーツでも、たとえばサッカーとかでも、実況アナや解説者が、この言葉を使うことが多かった。だから、この言葉が生理的にダメだったあたしは、どれほど鳥肌が立ったか、たぶん100回は超えてると思う。そして、この「心が折れる」も、「自分へのご褒美」と同じで、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気、「俺ってかっこいい表現を使ってるだろ?」的な空気を発しながら使ってるから、なおさらこっちは寒くなっちゃうのだ。


‥‥そんなワケで、この「心が折れる」を未だに使ってる人もいるけど、一時よりもずいぶん少なくなったから、オリンピックとかを観たりしなければ、そうそう耳にすることもなくなった。だけど、これに代わる最近の言葉として、「心に刺さる」がジワジワと勢力を広げて来た。この言葉の始末に負えないとこは、対象のジャンルが大きく広がったことだ。「心が折れる」は、スポーツ以外に使われる場合もあるけど、耳にするのは大半がスポーツ中継だった。でも、最近の「心に刺さる」は、音楽でも映画でも小説でもアニメでも、果ては誰かが言った言葉でも、何でもアリなのだ。

さらには、本来はこういう言い回しが嫌いなハズである「ちょっと斜に構えた若者」だちまでもが、「心に」を省略して「刺さったぜ!」なんてふうに使うようになっちゃった。あたし的には、「心に刺さった」と言われるよりは、若干、ダメージは少ないけど、それでも、耳にすれば十分に寒い。普通に「感動した」って言ってくれれば、あたしはダメージ0で済むのに‥‥。

あとは、これはちょっと前だけど、「コスト・パフォーマンス」を「コスパ」と省略して使うのが流行ったことがあった。この言葉に関しては、あたしは特に嫌だとは思わなかったんだけど、新しい言葉を覚えると多用したくなるタイプのコメンテーターとかが、短いコメントの中で5回も10回も「コスパ」を連呼するもんだから、そのうち嫌いになって、あたしはあえて「コスト・パフォーマンス」と言うようになった。

それから、これは昔からずっと続いて来た伝統芸的な言い回しだけど、あたしがどうしても好きになれないものに、「アルバムをひっさげて」がある。主にロックバンドとかが、何年ぶりかでニューアルバムをリリースして、そのアルバムからの楽曲を中心とした全国ツアーとかを行なう時に、必ずと言っていいほど、「3年ぶりのニューアルバムをひっさげて全国ツアーを回ります」って言うけど、あたしは、この言い回しが好きになれない。

たとえば、ローリング・ストーンズが10年ぶりにニューアルバムをリリースしてワールドツアーを行なう‥‥っていうのなら、「アルバムをひっさげて」と言われても納得できる。でも、ファン以外は誰も知らないようなインディーズバンドや、一応はメジャーでも、やっぱりファン以外にはほとんど知られてないようなバンドから「3年ぶりのニューアルバムをひっさげて全国ツアーを回ります」とか言われても、あたしは「はぁ?」ってなっちゃう。

さらには、昔のLPレコードならともかく、今は小さなCDなんだから、片手に乗るような小さなものを「ひっさげて」という大ゲサ感が、この「はぁ?」って感覚を増幅させるのだ。この表現の場合は、「自分へのご褒美」や「心が折れる」などに共通する「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気そのものはないけど、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気を発してる人たちに共通する「心の中のドヤ顔」が垣間見られる。だから、あたしは苦手なのだ。


‥‥そんなワケで、「十人十色」という言葉があるように、人の感性や嗜好は人それぞれだから、こうした言葉や言い回しの好き嫌いも人それぞれだ。今回、あたしが挙げた言葉や言い回しを何とも思わない人や、逆に好んで使ってる人もいるだろう。そして、あたしが自分のことを「あたし」と書いてるのがムカつく人もいるだろうし、あたしがよく使う「●●的」という表現が嫌いな人もいるだろう。あたしは「ナニゲ」という言葉もよく使うけど、文化放送「親父熱愛」で伊東四朗さんは「ナニゲ」という使い方が嫌いだと言ってた。だから、こうした言葉や言い回しは、食べ物の好き嫌い、音楽やファションの好みと同じで、結局は、自分の好きなものを使い、嫌いなものを遠ざけるようにするしかないと思う。だって、生理的に受け付けない言葉や表現を無理して聞いてばかりいたら、そのうちに心が折れてしまうかもしれない今日この頃だからだ(笑)


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2016.08.18

マリー・アントワネット、運命の24時間

あたしがマリー・アントワネットを初めて知ったのは、小学校の低学年の時に放送していたアニメ『ベルサイユのばら』だった。でも、当時のあたしは小さかったので、複雑なストーリーは難しくて、よく分からなかった。ただ、宮殿やお庭の噴水、立派な馬車や仮面舞踏会のシーンを見て楽しんだり、マリー・アントワネットやオスカル、アンドレやフェルゼンを素敵だなと思っていただけだった。そして、これはアニメなんだから、内容も登場人物も、すべては架空のお話だと思っていた。

 

だから、あたしが、ようやくストーリーを理解できたのは、小学校高学年になって、この『ベルサイユのばら』の原作の漫画を読んでからだった。そして、あたしが何よりも驚いたのが、この漫画は架空のお話じゃなくて、実際に起こった史実に基づいて描かれていたってことだった。オスカルとアンドレは架空の人物だったけど、それ以外の登場人物の大半は実在していた人たちだったし、全体的なストーリーから細かい出来事に至るまで、多くの部分が史実に基づいていた。

 

それが分かったのは、中学生になってから、シュテファン・ツワイク(ツヴァイク)の『マリー・アントワネット』(高橋禎二・秋山英夫訳)を読んでからだった。とにかく、この伝記は、あたしにとってものすごい衝撃で、200年以上も前のフランスでこんなことがホントに起こっていたなんて、にわかには信じられなかった。そして、運命という大きな潮流から逃げることもできず、あまりにも悪質なやり方で悪女に仕立て上げられ、最後にはインチキ裁判で死刑を宣告されても、なお、自分のプライドを捨てずに決して下を向かなかったマリー・アントワネットという1人の女性を、あたしは大好きになり、心の底から尊敬するようになった。

 

マリー・アントワネットに関する書籍はたくさんあるけど、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』が優れている点は、表現の巧みさもさることながら、「信頼できない文献は一切使わず、確実に本物と証明された文献しか参考にしなかった」という点だ。マリー・アントワネットの死後、高値で売れるということで、数えきれないほどの贋作の書簡などが出回った。そして、その後に書かれた書籍の多くは、そうした真贋のハッキリしていない書簡などを参考にしているため、事実とかけ離れた内容の物も多い。でも、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』は、参考文献の選定からして、極めて事実に近い内容だと言える。

 

そして、漫画の『ベルサイユのばら』は、池田理代子先生が、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』を読んで感動したことから、この伝記をベースにして描かれた作品だったということも後から知った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、あたしが大人になってずいぶん経ってから、このシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』の新訳が出た。中野京子さん訳の『マリー・アントワネット』(角川文庫)だ。ちなみに、こちらの新訳では、「シュテファン・ツワイク」ではなく「シュテファン・ツヴァイク」と表記されている。で、この新訳の文庫版を書店で手に取ったあたしは、前書きの1ページ目を読んだだけで、上下2冊を持ってレジに向かった。それほど読みやすい訳だったからだ。

 

以前の「高橋禎二・秋山英夫訳」も素晴らしいけど、時代が時代だから文体が古めかしくて読みずらい部分も多かった。でも、この中野京子さんの訳は、1ページ目を読んだだけで、その読みやすさが理解できたのだ。たとえば、第9章「トリアノン」の冒頭の一節を比較してみると、それがよく分かると思う。

 

 

高橋禎二・秋山英夫訳
「軽いもてあそぶような手で、マリー・アントワネットは、王妃の冠を、思いがけない贈物のように受け取る。彼女はまだあまりにも若く、人生というものはいかなるものもただで与えるものではなく、運命から授かったいっさいのものには、ひそかに一種の代価が書きこまれていることを知らない。」

 

 

中野京子訳
「踊るような軽やかな手つきで、マリー・アントワネットは王冠をつかんだ。予期せぬプレゼントをもらうみたいに。まだ若すぎるせいで、人生はただで何もくれないこと、運命が授けるものには秘密の値札が付いていることを知らなかった。」

 

 

‥‥そんなワケで、あたしは、中野京子さんの訳した『マリー・アントワネット』を夢中になって読んだ。そしたら、「高橋禎二・秋山英夫訳」では分からなかったことが、長い年月を経て、ようやく分かるようになった。たとえば、第2章「ベッドの秘密」では、「高橋禎二・秋山英夫訳」では訳されていなかったスペイン大使の極秘報告書が、ちゃんと訳されていたのだ。

 

これは、結婚して何年経ってもセックスができない王太子の肉体的欠陥についての報告書で、「高橋禎二・秋山英夫訳」には原文しか掲載されていないから、あたしは読むことができなかった。だから、その前の文章、「王太子の不能は別に精神的なものではなくて、ちょっとした器官的欠陥(包皮)によるものであることが判明した。」という一節から想像するしかなかった。でも、中野京子さんの訳では、極秘報告書の内容もちゃんと訳されていた。

 

 

「ある人の説では、そのものをしっかりおさえれば挿入できるが、動いているうち強い痛みを感じるので途中でやめてしまうとのこと。また別の人の考えでは、包皮が厚いのでじゅうぶんな勃起ができず、頭の先端がきちんと剥けないとのことです」(スペイン大使の極秘報告書)

 

 

こうした理由で、王太子は結婚してから7年間もセックスができず、マリー・アントワネットはとても辛い思いをしていた。もちろん、王太子に抱いてもらえないという女性としての不幸もあったけど、それよりも、何年経っても子どもを授からないという王太子妃としての不幸のほうが大きかった。そして、これが原因で、マリー・アントワネットは夜な夜なオペラや仮面舞踏会へ足を運ぶようになり、自分の満たされない心を他のもので埋めようとしたのだ。

 

結局、結婚してから7年目に王太子は手術を受ける決断をして、無事にセックスができるようになり、マリー・アントワネットも母としての喜びを知るワケだけど、この章を読んだだけでも、中野京子さんが「読みやすい訳」だけを目指したのではなく、「より正確に史実を伝えよう」としていた姿勢がよく分かる。だから、これから初めてシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んでみようと思った人には、あたしは迷うことなく「中野京子訳」のほうをオススメする。

 

そして、もう1冊、あたしがオススメしたいのが、中野京子さんが書かれた『ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間』(文春文庫)だ。新書では『マリー・アントワネット 運命の24時間』というタイトルだったけど、文庫版が出る時に『ヴァレンヌ逃亡』という副題がメインのタイトルに昇華された。

 

漫画やアニメの『ベルサイユのばら』でも取り上げられてたように、マリー・アントワネットに関する数々の事件の中でも、「首飾り事件」と「ヴァレンヌ事件」はとても有名で、この事件だけにスポットを当てた短編などの作品もある。でも、「ヴァレンヌ事件」に関して言えば、あたしの知る限り、この作品が現時点での最高傑作だと思う。

 

パリのチュイルリー宮殿で軟禁状態だったルイ16世とマリー・アントワネットと子どもたちを救うため、マリー・アントワネットの事実上の恋人であるフェルゼンが命を懸けて国王一家をパリから逃亡させた一幕だ。しかし、変装して馬車を走らせた国王一家だったが、危機感が皆無で優柔不断なルイ16世の度重なる判断ミスの結果、国境に近いヴァレンヌという田舎の村で正体がバレてしまい、逮捕・拘束され、パリへと連れ戻されてしまう。もしもルイ16世がフェルゼンの計画通りに行動していれば、国王一家は無事に国外へと脱出し、マリー・アントワネットの運命も、フランスの運命も、大きく変わっていただろう。

 

史実を史実として忠実に綴っただけではなく、マリー・アントワネットのことを知り尽くした中野京子さんの筆が生き生きと走っている「めくるめく逃亡劇」は、まるで映画を観ているような臨場感がある。そして、この逃亡劇に底流しているマリー・アントワネットへのフェルゼンの愛、この残酷な運命が事実であるだけに、生々しく胸に迫ってくる。決して大ゲサじゃなく、ここ10年であたしが読んだ本の中で、間違いなくナンバーワンに挙げられる1冊だ。

 

 

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‥‥そんなワケで、あたしの大好きなマリー・アントワネットは、1755年11月2日に生まれて、1793年10月16日にギロチンにかけられて亡くなったので、享年37。あと2週間ほど刑の執行が遅ければ、38歳の誕生日を迎えていたことになる。そして、マリー・アントワネットが生まれた1755年は、日本では宝暦5年、江戸時代の中期で、第9代将軍・徳川家重の時代だった。そんな時代に、海の向こうのフランスでは、日本では想像もできないような大きな運命が動いていたのだ。そして、マリー・アントワネットの没後、約100年に生まれたシュテファン・ツヴァイクは、『マリー・アントワネット』を始めとする名作を数多く残し、亡命の地であるブラジルのリオデジャネイロ近郊のペトロポリスという町で、毒を飲んで自殺した。リオデジャネイロでオリンピックが開催されている今、こうしてマリー・アントワネットのことをブログに書いていると、不思議な運命の連鎖の末端に、あたしもホンの少しだけ触れているような気がしてくる今日この頃なのだ。

 

 

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2016.08.10

プロ野球、感動の瞬間

前回の7日のブログで、あたしは、不思議な予知夢で万馬券が的中した話を書いた。この時のブログは、7日の午後5時すぎに帰宅して、日ハムの試合結果や競馬の結果を確認したりしてから、だいたい1時間くらいで書き上げて、午後6時半ころにアップした。そして、いつものように、ツイッターに「ブログを更新しました」というお知らせをつぶやいたんだけど、そこからの流れを見てみてほしい。


「きっこさんのつぶやき」

ブログを更新しました!「不思議な予知夢で万馬券ゲットだぜ!」→ http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2016/08/post-dd30.html
2016.08.07 18:33

さあ広島、サヨナラだ!
2016.08.07 21:21

1点ビハインドで迎えた9回裏、2アウトから菊池涼介のホームランで同点!いいぞ広島!
2016.08.07 21:30

シャーーー!!新井貴浩のサヨナラタイムリーが炸裂コイコイ!!あたしの予想がピッタンコカンカン!!広島最高!!
2016.08.07 21:32


プロ野球に興味のある人ならご存知のように、現在、セ・リーグは広島が首位で、2位の巨人が4~5ゲーム差で追ってる状態、パ・リーグはソフトバンクが首位で、日本ハムが4~5ゲーム差で追ってる状態だ。で、日ハムのファンでアンチ巨人のあたし的には、セは広島が逃げ切ってリーグ優勝してほしいし、パは日ハムがソフトバンクを追い詰めてリーグ優勝してほしいと願ってる。そして、「広島×日本ハム」という日本シリーズを願ってる。

もちろん、その前に両リーグとも上位3チームによるCS(クライマックス・シリーズ)があるから、リーグ優勝したチームがそのまま日本シリーズに進出できるとは限らないけど、それでも、リーグ3位よりは2位、2位よりはリーグ優勝したチームのほうが有利になる。それに、これはあたしの個人的な感覚なんだけど、リーグ2位や3位のチームがCSを勝ち抜いて日本シリーズに行って日本一になるよりも、長いペナントリーグで優勝したチームのほうが上だと思ってる。

もちろん、何よりも最高なのは、リーグ優勝したチームがCSも勝ち抜き、そして日本シリーズにも勝って日本一になることだ。これなら、どのチームのファンも文句のつけようがない「真の日本一」と言えるだろう。だから、現時点でリーグ2位とは言え、20以上の貯金があり、ほぼ間違いなくCSに行けることが決まってる日ハムでも、監督も選手も全員が一丸となって「絶対にリーグ優勝する!」という熱い気持ちで戦ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、7日の日曜日、前回のブログをアップしたあたしは、お風呂でサッパリして、晩ごはんを食べてから、気になってた「広島×巨人」の試合経過をチェキしたら、9回表の巨人の攻撃が終わったとこで、「巨人 7-6 広島」という1点差で、広島が負けてた。このカード、すでに広島は2戦を落として負け越しが決定してたけど、何しろ首位と2位との直接対決だから、1つ負けると1ゲーム差が縮まってしまう。だから、この日も負けて3タテを食らうのと、この日は勝って「1勝2敗」で終えるのとでは、大きく違う。

そこで、あたしはラジオ中継を聴きながら広島の応援を始めたんだけど、そしたら、不思議な予知夢で万馬券が当たった後だったからなのか、何故だか「広島が9回裏に逆転サヨナラで勝つ!」という結果が見えて来たのだ。これは、感覚的なことだからうまく説明できないんだけど、単なる「希望」とかじゃなくて、広島の選手たちがホームベースの周りに集まって大喜びしてる映像が脳内シアターに流れて、歓喜に沸くカープファンたちの声が聴こえてきたのだ。

それで、あたしは、ツイッターに「さあ広島、サヨナラだ!」とつぶやいた。だけど、先頭バッターの代打・西川龍馬はセンターフライに倒れ、続く田中広輔もセンターフライに倒れ、アッと言う間に2アウト!先頭バッターが塁に出て、それを送って1アウト2塁とかなら逆転サヨナラ、最低でも同点延長とかの目もあるんだけど、これは厳しい!でも、続く菊池涼介が、まさに値千金のホームランで同点に追いつき、次の丸佳浩が冷静にフォアボールを選んで出塁し、4番の新井貴浩がサヨナラのタイムリーツーベースを決めてくれた!ブラボー!


‥‥そんなワケで、この日は、39歳のベテラン、新井貴浩がサヨナラを決めてくれたんだけど、この前日の6日の試合では、広島が2点を先制したものの、巨人に逆転されて負けてしまっていた。そして、その決勝打になった勝ち越しのタイムリーを打ったのが、これまた35歳のベテラン、村田修一だった。

村田修一と言えば、あたしが巨人ファンをやめてから巨人に移籍して来た選手なので、あたし的には横浜ベイスターズのユニフォームを着てる姿のほうが印象に残ってる。そして、横浜時代には、ホームラン王など数々のタイトルを手にしてるけど、あたしが一番記憶に残ってるのが、「捕れるファウルフライをわざと捕らなかった」という感動のシーンだ。

2007年10月4日の「横浜×ヤクルト」戦、この日は、ヤクルトの鈴木健の引退試合だった。鈴木健と言えば、これまたあたし的には西武のユニフォームを着てる姿のほうが印象に残ってるけど、西武で15年、ヤクルトで5年、通算20年の現役生活にピリオドを打つ最後の試合が、この日の横浜戦だった。ヤクルトのホームである神宮球場で行なわれた試合は、「横浜 0-3 ヤクルト」という状況で8回裏を迎え、古田敦也監督は1アウトの場面で宮本慎也の代打に鈴木健を送った。よほどのことがない限り、これが鈴木健の現役最終打席となる。

20年間の現役生活最後の打席に立った鈴木健に、球場中のファンが声援を送り、あちこちに「健さん、ありがとう!」「健さん、お疲れ様!」の横断幕や出された。そんな中、マウンド上の横山道哉の第1投は、まっすぐのボール球だった。鈴木健は、これを見送り、2球目のストレートは豪快に空振り。照れ笑いをする鈴木健。そして、ここからファウルの嵐が始まった。

3球目のストレートをファウル、4球目のストレートもファウル、5球目も6球目もファウルで、7球目のボールを見送り、8球目、9球目、10球目もすべてファウル。これほど続けてファウルが打てるのは、ピッチャーの横山道哉が変化球を1球も投げず、すべてストレートだけで勝負しているからだ。あたしは、ここにも感動した。そして、ファウルを打つたびに照れ笑いする鈴木健は、横浜のキャッチャーの相川亮二に、「粘っちゃって悪いね」とか言ってるように見えた。ちなみに、この時のキャッチャーの相川亮二は、この2年後にヤクルトに移籍し、現在は巨人にいる。

で、打席の鈴木健だけど、11球目もファウル、12球目もファウルと続き、いったいどこまでファウルで粘るのか?‥‥と思った瞬間、13球目をサードのファウルグランドに打ち上げてしまった。横浜のサードを守る村田修一が、反射的にボールの方向へ走った。そして、完全に落下地点に入り、あとはキャッチするだけ‥‥という場面で、村田修一は、スッとグラブを引き、下を向いた。ボールは捕球されずに、そのままファウルグランドに落ちた。

何という粋なハカライなんだろう!ここでファウルフライをキャッチしてしまったら、鈴木健の打席は終わってしまう。そのため、村田修一はあえてキャッチしなかったのだ。その瞬間、球場中から大歓声があがった。横浜の大矢明彦監督も笑顔を見せた。そして、鈴木健は、もう1本ファウルを打ったあと、15球目をミゴトにセンター前に打ち返し、現役最後の打席をヒットで飾ることができたのだ。実際の打席の映像を最後にリンクしておくので、ぜひ観てみてほしい。

こんなこと言っちゃアレだけど、この時点で、ヤクルトは最下位、横浜もBクラスが決まってたから、こうした人情プレーが飛び出したんだと思う。もしも僅差でリーグ優勝を争ってる首位と2位のチームだったら、また状況は違ってたと思う。だけど、この時の村田修一のプレーは、多くのプロ野球ファンに感動を与えたし、何よりも鈴木健の引退に素晴らしい花を添えた出来事だったと思う。当時、TBS「サンデーモーニング」のスポーツコーナーでは、この「捕れるファウルフライをわざと捕らなかった」という村田修一のプレーに対して、大沢親分と張本さんが厳しく批判して「喝!」のシールを貼ってたけど、多くのプロ野球ファンは、この場面を観た自分の記憶に「あっぱれ」のシールを貼ったと思う。

ちなみに、村田修一は、このプレーの次の9回表の攻撃でホームランを打ち、ちゃんとプロとしての意地を見せている。そして、この年、横浜はリーグ4位とBクラスに甘んじたけど、村田修一はシーズン36本でセ・リーグの本塁打王に輝いた。そして、翌2008年は、横浜はリーグ最下位に沈んだけど、村田修一は46本で2年連続の本塁打王に輝いている。


‥‥そんなワケで、世の中的には、今はリオデジャネイロのオリンピックが盛り上がってるみたいだけど、あたしはオリンピックにはまったく興味がない。ふだん観たこともないスポーツや、ルールも分からないスポーツを、ただ単に「日本人だから」という理由で応援する風潮も好きじゃない。しばらく前、ラジオに女子マラソンの増田明美さんがゲスト出演した時、「私はロス五輪のマラソンを途中棄権しましたが、日本に帰って来たら空港で見ず知らずの人から『この非国民!』と罵倒されました」と告白したのを聞いて、あたしは、ますますオリンピックに対する日本の風潮が嫌いになった。今回のオリンピックでも、何かの競技の日本人選手が「メダルが獲れなければ日本に帰れない」と言ってるのをラジオで聴いて、何か、すごい嫌な気分になった。それから、イチローの3000本安打とかはホントに素晴らしいことだと思うけど、これにしても「日本人がメジャーで活躍してるから」という前提での持ち上げ方は好きじゃない。だから、あたしは、これからも、普通に日本のプロ野球を楽しみ、普通に日本のプロ野球で感動して行きたいと思った今日この頃なのだ。


■2007年10月4日「横浜×ヤクルト」8回裏、鈴木健選手の現役最終打席■
https://www.youtube.com/watch?v=82gt8ZkavvI


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2016.08.07

不思議な予知夢で万馬券ゲットだぜ!

ゆうべ、と言うか、今日の早朝なんだけど、あたしは、ものすごく不思議な夢を見た。あたしの夢には、何度も見てる「いつものパターン」があって、その中のひとつ、映画「ブレードランナー」と「スワロウ・テイル」が合わさったみたいな、近未来的でありながら郷愁も感じられる奇妙な都市に迷い込むという「いつものパターン」だった。

雑多なお店がひしめきあう路地には、日本語、英語、中国語など、いろんな文字で書かれた看板が並び、行き交う人々も国籍不明で、いろんな言語が飛び交ってた。そして、その路地を進んで行くと、真空管や配線パネル、旧式のインジケーターやコイルなど、中古の機械部品を山積みにしたガラクタ屋さんのようなお店があった。

あたしは、そのお店が何となく気になり、店頭の大きな木箱の中に無造作に入れられた機械部品を手に取って見ていた。すると、いろんな部品の間から、タバコの箱くらいの大きさの小型ラジオが出て来た。どうやら短波ラジオらしい。スピーカーは付いてなくて、イヤホンで聴くタイプのようだった。ずいぶんと古いみたいで、チューニングの目盛りが消えかかってた。

ちゃんと聴こえるのかな?‥‥そう思ったあたしは、イヤホンを耳に差し、スイッチを入れてみた。そしたら、ザザー、ザザーと音がした。電池も入ってるし、ラジオ自体も壊れてないようだ。そして、あたしが、チューニングのダイヤルを回していると、店の奥から、小柄で痩せた白いヒゲのおじいちゃんが出て来た。のあ~!ミッキー・カーチスさんだ!‥‥って、この辺のキャスティングは、完全に「スワロウ・テイル」の影響なんだと思うけど、ミッキー・カーチスさん扮する店主は、あたしにこう言った。


「その短波ラジオ、俺が修理したんだけど、なんせ半世紀も前の代物だから、もう部品が手に入らなくてね‥‥。それで、今どきの部品を流用してみたら、チューナーが不安定になっちまってさ‥‥。時空の座標軸が不安定なんだよ‥‥」

「え?それって、どういうことですか?」

「う~ん、だいたいは普通に受信するんだけどね、時々、時空の歪みを通過した短波を受信しちゃうんだよ」

「それって?」

「ようするに、現在放送中の番組だけでなく、昨日の放送や明日の放送を受信しちゃうことがあるんだよ」

「ええっ!!」

「大きな歪みを通過した短波は受信できないから、過去も未来も最大で24時間くらいまでだな。たとえば、朝の8時にラジオをつけると、12時間後の夜の8時に放送する予定の番組が聴こえて来たりするんだよ」

「過去なら分かるけど、未来の番組が聴こえるなんて、そんなことホントにあるんですか?」

「うん、だから、売り物にならないんだよね」

「そんなことないですよ!ぜひ、あたしに売ってください!」

「そうかい?それなら1500ルピーでいいよ」


1500ルピー?‥‥って思ったあたしだけど、お財布の中を見たら、100ルピーとか500ルピーとかのお札が何枚か入ってたので、それで支払い、その不思議なラジオを手に入れた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、モノレールに乗っていた。どこへ向かっているのか分からないけど、とりあえず、さっきまでいた街から、自宅へ帰ろうとしているようだ。そして、おもむろにラジオを取り出して、イヤホンを耳に差し、スイッチを入れてみた。ザザー、ザザー、ザザー。チューニングのダイヤルを少しずつ回すと、雑音が大きくなったり小さくなったりして、あるところで、雑音の隙間に人の声が聴こえた。


「ザザー、ザザー、復活です、ザザー、ザザー、7歳で重賞初制覇です、ザザー、ザザー」


どこかで聞いたことのある声だった。そうだ、これは短波ラジオなんだから、これは「ラジオNIKKEI」の競馬中継だ。だけど、聞こえた声はこれだけで、あとはどんなにダイヤルを回しても、ザザー、ザザーという雑音しか聴こえて来なかった。そして、あたしは目が覚めた。

変な夢だったな~と思いつつ、この夢の中の競馬中継の言葉がヤタラと気になったあたしは、今日の競馬をチェキしてみた。ここんとこ、お金もないし、週末はお仕事が立て込んでるから、しばらく競馬はお休みしてたので、どんなレースがあるのかチェキしてなかったのだ。そしたら、今日、7日の日曜日の重賞競走は、新潟の「レパードステークス」と小倉の「小倉記念」の2レースだけだった。でも、「レパードステークス」は3歳馬だけのレースなので、7歳馬が出られるのは「小倉記念」だけだ。

で、「小倉記念」の出走表を見てみると、7歳馬は、エキストラエンド、クランモンタナ、マーティンボロ、14頭のうち3頭だけだった。だけど、エキストラエンドもマーティンボロもすでに重賞を勝ってる馬なので、「7歳で重賞初制覇」となると、該当するのはクランモンタナだけだった。クランモンタナは、ディープインパクト産駒ということで、デビューから1年くらいは注目されてたし、そこそこの成績を上げてた。だけど、ここ2年は1回も勝ててない。

あたしは芦毛マニアなので、あまり好きじゃないディープインパクト産駒の中ではクランモンタナをけっこう応援してたけど、ここ最近は馬券には絡めなかった。でも、ものすごく不思議な夢を見た上に、その夢の内容にピッタシカンカンなシチュエーションの馬がいたのだ。これは「予知夢」だと判断して、馬券を買っておくべきなんじゃないか?

お金がなくて、ギリギリの節約生活を続けてるあたしは、朝から葛藤しまくった。何しろ、クランモンタナは14頭中11番人気で、単勝オッズは37倍だ。オマケに、2年間も勝ってない上に、前走は14頭のレースで13着、こんな馬が、重賞を何度も制してる強力な馬たちに囲まれて、勝てるワケがない。いくら芦毛をヒイキする「芦毛教」の信者でも、これは無謀すぎる。

唯一の「良い材料」は、このレースがハンデ戦という点で、強い馬は背負うハンデが重くなる。1番人気のダコールは58キロ、2番人気のサトノラーゼンは57キロだけど、クランモンタナは54キロだ。だけどクランモンタナは、今年3月のハンデ戦「大阪城ステークス」で、54キロだったけど12着に撃沈してる。


‥‥そんなワケで、あれこれと葛藤してるうちに、お仕事に行く時間が迫って来たから、後悔だけはしたくなかったあたしは、大急ぎで「即PAT」にアクセスして、クランモンタナから人気上位5頭への馬単を100円ずつ、計500円だけ馬券を買った。「500円だけ」と言っても、1食100円の節約生活を続けてるあたしとしては、富士山から飛び降りるほどの大バクチだった。

そして、日曜日の夜、お仕事から帰って来たあたしは、まずは日本ハムの試合結果を確認したんだけど、昨日に続いて今日もソフトバンクに快勝してたから、とりあえず気分が良くなった。だけど、あたしには、「日ハムが勝つと競馬が負ける。競馬が勝つと日ハムが負ける」というジンクスがあるし、そんなジンクス以前に、11番人気の馬が勝つ確率なんて最初からほとんどないので、ぜんぜん期待せずにJRAのレース結果を見てみた。

そしたら、ナナナナナント!ナナナナナント!ナナナナナント!‥‥って、久しぶりだから3連発で叫んじゃうけど、クランモンタナが1着!そして、4番人気のベルーフが2着!当たってんじゃん!それも、馬単の配当は3万5060円!ニワカには信じられなかったあたしは、とりあえず「即PAT」にアクセスしてみたら、ちゃんと3万5060円の配当が支払われてた!


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‥‥そんなワケで、コーフン冷めやらぬまま、JRAのサイトで「小倉記念」のレース映像を観たあたしは、5年前の夏に小倉競馬場へ行った時のことを思い出した。そう言えば、小倉競馬場へは小倉駅からモノレールに乗って行ったんだよな。もしかして、夢の中であたしが乗ってたモノレールって、小倉競馬場へ向かってたのかもしれないな。そんなことを思いつつ、念のために録音しておいた「ラジオNIKKEI」の中継を聴いてみて、あたしは驚いて言葉を失ってしまった。何故かと言うと、「小倉記念」のゴールで、実況アナが次のように叫んでいた今日この頃なのだ。


「クランモンタナです!クランモンタナが復活です!7歳で重賞初制覇です!」


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