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2016.08.29

心が折れる言葉たち

6年ほど前のブログ、「自分へのベホイミ」に詳しく書いてるので、昔からあたしのブログを読んでくれてる人なら知ってると思うけど、あたしは「自分へのご褒美」という言葉が嫌いなので、その代わりに「自分へのベホイミ」という自作の言い回しを使ってる。「ベホイミ」というのは、もちろん「ドラクエ」の回復系の呪文のことで、複数のメンバーを回復できる「ベホマラー」や「ベホマズン」とは違って、特定の1人だけを回復する呪文だ。

今は、「ホイミ」→「ベホイミ」→「ベホイム」→「ベホイマ」→「ベホマ」と5段階もあるけど、あたしが夢中になって遊んでた初期から中期の「ドラクエ」では、「ホイミ」→「ベホイミ」→「ベホマ」の3段階だった。だから、「今日は暑かったけどお仕事がんばったから」という理由で、自分のためにガリガリ君リッチを1本買ったりするのは、規模としては「自分へのホイミ」になるし、「ものすごく大きなお仕事が契約できたから」という理由で、自分のためにずっと欲しかったパンプスを買ったりするのは、規模としては「自分へのベホマ」になる。

こうして考えると、「自分へのホイミ」は、ワリと日常的なレベルなので、あんまりご褒美感はない。そして、「自分へのベホマ」は、数年に1回あるかないかのことなので、こっちは逆にレアすぎて、メッタに使うことがない。でも、その中間の「自分へのベホイミ」なら、「久しぶりにギャラのいいお仕事がもらえたから」という理由で、お昼におそば屋さんで天丼を注文して、ついでに瓶ビールも1本注文しちゃうようなレベルなので、1年に2~3回くらいある、まさにご褒美ってことになる。

だから、あたしは、「ベホイミ」が「ご褒美」に語呂が似てるというだけじゃなくて、その使用頻度からも、「自分へのベホイミ」という言い回しを使ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、誤解がないように説明しておくけど、あたしが「自分へのご褒美」という言葉が嫌いだというのは、この言葉自体が嫌いというよりも、こんな赤面するような表現を人前で平然と使える人たちの「あたしから見たらマトモじゃない感覚」が苦手なのだ。あたしなら恥ずかしくて絶対に使えない言葉なのに、こういう言葉を平然と使ってる人たちって、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気を発しながら使ってるから、なおさら手におえない。見てるこっちが恥ずかしくなってくるから嫌なのだ。

これと同じジャンルの言葉に、「心が折れる」がある。その昔、格闘技のK-1グランプリが人気絶頂で、大晦日とかには必ず大きな大会がテレビ放送されてた時代があったけど、その時、K-1の大ファンを自称する藤原紀香さんがよくゲストとして出演してた。そして、実況アナや格闘技の専門家からコメントを求められると、藤原紀香さんは「武蔵選手は心が折れないようにがんばって欲しいですね!」とか「ピーター・アーツ選手は心が折れませんから!」とか、この言葉をヤタラと連発してた。

当時、この「心が折れる」がプチ流行してたみたいで、K-1以外のスポーツでも、たとえばサッカーとかでも、実況アナや解説者が、この言葉を使うことが多かった。だから、この言葉が生理的にダメだったあたしは、どれほど鳥肌が立ったか、たぶん100回は超えてると思う。そして、この「心が折れる」も、「自分へのご褒美」と同じで、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気、「俺ってかっこいい表現を使ってるだろ?」的な空気を発しながら使ってるから、なおさらこっちは寒くなっちゃうのだ。


‥‥そんなワケで、この「心が折れる」を未だに使ってる人もいるけど、一時よりもずいぶん少なくなったから、オリンピックとかを観たりしなければ、そうそう耳にすることもなくなった。だけど、これに代わる最近の言葉として、「心に刺さる」がジワジワと勢力を広げて来た。この言葉の始末に負えないとこは、対象のジャンルが大きく広がったことだ。「心が折れる」は、スポーツ以外に使われる場合もあるけど、耳にするのは大半がスポーツ中継だった。でも、最近の「心に刺さる」は、音楽でも映画でも小説でもアニメでも、果ては誰かが言った言葉でも、何でもアリなのだ。

さらには、本来はこういう言い回しが嫌いなハズである「ちょっと斜に構えた若者」だちまでもが、「心に」を省略して「刺さったぜ!」なんてふうに使うようになっちゃった。あたし的には、「心に刺さった」と言われるよりは、若干、ダメージは少ないけど、それでも、耳にすれば十分に寒い。普通に「感動した」って言ってくれれば、あたしはダメージ0で済むのに‥‥。

あとは、これはちょっと前だけど、「コスト・パフォーマンス」を「コスパ」と省略して使うのが流行ったことがあった。この言葉に関しては、あたしは特に嫌だとは思わなかったんだけど、新しい言葉を覚えると多用したくなるタイプのコメンテーターとかが、短いコメントの中で5回も10回も「コスパ」を連呼するもんだから、そのうち嫌いになって、あたしはあえて「コスト・パフォーマンス」と言うようになった。

それから、これは昔からずっと続いて来た伝統芸的な言い回しだけど、あたしがどうしても好きになれないものに、「アルバムをひっさげて」がある。主にロックバンドとかが、何年ぶりかでニューアルバムをリリースして、そのアルバムからの楽曲を中心とした全国ツアーとかを行なう時に、必ずと言っていいほど、「3年ぶりのニューアルバムをひっさげて全国ツアーを回ります」って言うけど、あたしは、この言い回しが好きになれない。

たとえば、ローリング・ストーンズが10年ぶりにニューアルバムをリリースしてワールドツアーを行なう‥‥っていうのなら、「アルバムをひっさげて」と言われても納得できる。でも、ファン以外は誰も知らないようなインディーズバンドや、一応はメジャーでも、やっぱりファン以外にはほとんど知られてないようなバンドから「3年ぶりのニューアルバムをひっさげて全国ツアーを回ります」とか言われても、あたしは「はぁ?」ってなっちゃう。

さらには、昔のLPレコードならともかく、今は小さなCDなんだから、片手に乗るような小さなものを「ひっさげて」という大ゲサ感が、この「はぁ?」って感覚を増幅させるのだ。この表現の場合は、「自分へのご褒美」や「心が折れる」などに共通する「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気そのものはないけど、「私って素敵な表現を使ってるでしょ?」的な空気を発してる人たちに共通する「心の中のドヤ顔」が垣間見られる。だから、あたしは苦手なのだ。


‥‥そんなワケで、「十人十色」という言葉があるように、人の感性や嗜好は人それぞれだから、こうした言葉や言い回しの好き嫌いも人それぞれだ。今回、あたしが挙げた言葉や言い回しを何とも思わない人や、逆に好んで使ってる人もいるだろう。そして、あたしが自分のことを「あたし」と書いてるのがムカつく人もいるだろうし、あたしがよく使う「●●的」という表現が嫌いな人もいるだろう。あたしは「ナニゲ」という言葉もよく使うけど、文化放送「親父熱愛」で伊東四朗さんは「ナニゲ」という使い方が嫌いだと言ってた。だから、こうした言葉や言い回しは、食べ物の好き嫌い、音楽やファションの好みと同じで、結局は、自分の好きなものを使い、嫌いなものを遠ざけるようにするしかないと思う。だって、生理的に受け付けない言葉や表現を無理して聞いてばかりいたら、そのうちに心が折れてしまうかもしれない今日この頃だからだ(笑)


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