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2016.10.30

日本ハムファイターズおめでとう!広島カープありがとう!

日本ハムファイターズ、日本一おめでとう!広島カープ、最高のゲームをありがとう!‥‥というワケで、今年の日本シリーズは、どちらのチームのファンじゃなくても、プロ野球ファンなら誰でも楽しめたと思うけど、日ハムファンのあたしにとっては、もう何度泣いたか分からないほどの大興奮&大感動の素晴らしいシリーズとなった。

特に第5試合、先発の加藤貴之が2回に作ったワンアウト満塁の場面でマウンドに上がり、この大ピンチを抑えた上に7回までを無失点と好投したメンドーサの活躍が、9回裏の西川遥輝の劇的なサヨナラ満塁ホームランにつながったんだと思う。メンドーサは、シーズン終盤には打たれまくりで、CSでも日本シリーズでも先発ローテーションから外されてた。そして、西川遥輝も、打率こそ3割台でリーグ2位だけど、シーズン終盤には打てない時期が続いてた。

そんな2人の大活躍で、第5戦を勝って「3勝2敗」と日本一に大手をかけて臨んだ敵地での第6戦、ここでも先頭打者の西川遥輝がいきなりのスリーベースを打ち、岡のタイムリーで先制点をあげたと思ったのもトコノマ、2回裏には、先発増井浩俊のワイルドピッチで同点に追いつかれ、三塁手レアードのエラーで勝ち越されてしまった。

今回の日本シリーズ、第1戦では広島のダブルスチールで日ハムがサインミスをして大谷翔平が返球をよけちゃって先制されたし、第2戦では増井浩俊が突然のバスターにオロオロしてミスを連発してKOされちゃうし、第3戦では有原航平が1塁のベースカバーに入るのが遅れて追加点を取られそうになったし、第4戦ではエルドレッドのフライを近藤健介がまさかの落球で先制されちゃったし、レギュラーシーズンじゃ考えられないようなイージーミスが連発した。

広島のほうも、誰もが日本一の二塁手と認めている菊池涼介が、変則バウンドだったとは言え、打球をエラーして日ハムに同点に追いつかれたりと、普段じゃ考えられないようなミスが双方のチームに見られた。これも、日本シリーズという特別な緊張感に包まれた試合だったからだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、昨日の第6戦では、2回裏に増井浩俊のワイルドピッチとレアードのエラーで勝ち越されちゃったワケだけど、3月から日ハムの全試合を観て応援して来たあたしは、ここで「よっしゃ!」と思った。それは、レアードは守備でミスをすると、必ずその後に汚名返上のホームランを打つからだ。それも、勝敗を決めるような貴重な一発を決めてくれる。それで、あたしは、こんなツイートをした。


Tw4

きっこ @kikko_no_blog
レアードって守備でミスすると、必ずそのあとにホームランを打つんだよね♪
2016.10.29 19:27


そしたら、皆さんご存知のように、「4-4」の同点で迎えた8回表、レアードがやってくれました!細かいことを言うと、2アウト満塁の場面で、打席には主砲の中田翔、ここで栗山監督はネクストバッターサークルに大谷翔平を置くという小技でピッチャーのジャクソンの精神面に揺さぶりをかけた。ジャクソンはストライクが入らなくなり、中田翔に押し出し勝ち越しのフォアボールを与えてしまう。

あたしは、ここで緒方監督がピッチャーを代えると思ったんだけど、緒方監督はジャクソンを代えなかった。それは、栗山監督がネクストバッターサークルの大谷翔平を引っ込め、次のバッターは打順通りにピッチャーのバースに代えたからだろう。だけど、このバースがまさかのタイムリーで2点勝ち越し、そしてレアードが登場した。

簡単にツーアウトを取ってから、フォアボールを連発して満塁にしてしまい、押し出しを与えた上に相手のピッチャーにまでタイムリーを打たれてしまったジャクソンは、そうとうイライラしている様子で、レアードに対しても1球目、2球目とボールが続いた。そして、真ん中の高めに浮いた3球目の甘い球を、レアードは見逃さなかった。


Tw5

きっこ @kikko_no_blog
シャーーーーー!!レアードの満塁寿司ホームランが炸裂ハムハムーーーー!!これが日本ハムファイターズじゃーーーー!! 
2016.10.29 22:07


これで「10-4」、前半ならともかく、もう8回だから、広島の攻撃は8回裏と9回裏しかない。もちろん、勝負は最後まで何があるか分からないから、これで勝利が決まったワケじゃないけど、あたしの目からは涙があふれ続けた。西川遥輝だけでなく、シーズン終盤に調子の悪かった田中賢介が打って走って大活躍してくれたし、リリーフ陣もみんながんばってくれたし、それだけでも泣けてくるのに、ここで飛び出したレアードの満塁ホームラン!王者ソフトバンクとの11.5ゲーム差を追いついた時の「絶対に諦めない全員野球」が、ついにここで開花したのだ!

大ピンチを抑えてくれたリリーフ、ファインプレーで救ってくれた野手、ここ一番で打ってくれたバッターなど、選手たちの活躍のひとつひとつに興奮し、感動したけど、あたしが何よりも感動したのは、広島カープのファンの人たちの暖かさだった。日ハムのリードで迎えた9回裏のツーアウトで、菊池涼介のセカンドフライが田中賢介のグラブに収まりゲームセット、日ハムの選手たちが歓喜の声をあげながらマウンドへと集まると、数少ない日ハムのファンだけでなく、会場中を埋め尽くした広島のファンたちからも暖かい拍手が巻き起こったのだ!

栗山監督の胴上げの時も、優勝監督インタビューの時も、MVPに輝いたレアードのインタビューの時も、日ハムのファンだけでなく広島のファンからも暖かい声援と拍手が続いた。あたしは、ホントに感動した。広島カープがリーグ優勝を果たせたのも、CSを勝ち抜くことができたのも、こんなにも素晴らしいファンたちが応援しているからだと確信した。

そして、ここで思い出したのが、今季で引退する広島の黒田博樹投手が先発した第3戦だ。広島にとっては敵地となる札幌ドームでの第3戦なので、真っ赤に埋め尽くされたマツダスタジアムとは正反対で、日ハムのファンのほうが遥かに多かった。そして、5回まで完璧なピッチングを続けていた黒田博樹は、6回裏、先頭の近藤健介と続く大谷翔平を簡単にフライアウトに打ち取ったところで、足に異常が発生し、残念ながら降板となった。

「3勝3敗」までもつれ込めば、第7戦で黒田博樹が二度目の先発をつとめることも考えられたけど、そうならなければ、この日本シリーズ第3戦が黒田博樹の現役最後のマウンドになる。そのため、黒田博樹が自分で判断して降板を決めると、球場を埋め尽くしたファンたちから感謝とねぎらいの拍手が巻き起こったのだ。広島ファンはもちろんのこと、多くの日ハムファンも暖かい拍手を送る中、拍手と歓声に包まれてマウンドを降りた黒田博樹は、ベンチの選手やコーチたちとハイタッチをして消えて行った。


‥‥そんなワケで、日本シリーズはパリーグTVでの中継がないから、あたしはラジオ中継で応援してて、映像は試合後にYOU TUBEにアップされたものを後から観てた。だから、映像でしか確認できないことについては時間差だったんだけど、後から日本一が決まった瞬間の映像を観たら、マウンドに集まって抱き合う選手たちの中に、陽岱鋼(ヨウ・ダイカン)の後ろ姿があり、涙を拭っているのが分かった。シーズン序盤は調子が良かったのに、ケガで離脱を余儀なくされ、ようやく復帰して調子が戻って来たと思ったら、こんどはスランプ。それでも守備ではファインプレーを見せ、チームの連勝に大きく貢献してくれた陽岱鋼。CSと日本シリーズではあまり活躍できなかったけど、リーグ優勝の大きな要だったことは事実だ。あたしは、今シーズン、陽岱鋼がどんなに苦しみ、どんなに努力して来たかをずっと観て来たから、この陽岱鋼の男泣きを観て、思わず涙腺が決壊してしまった。

そんな陽岱鋼は、日本シリーズが終了したら、今季で獲得した国内FA権を行使して他球団へ移籍する意向だと言われてた。これほどの選手だから、複数の球団の争奪戦になることは間違いないし、金銭的なことだけを考えれば、移籍したほうがお金になる。でも、試合後、陽岱鋼は、「優勝できたし、日本ハムに残りたい。まだ球団とは話していないけど、このチームで来年もプレーしたいという思いが強い」とコメントした。

ちなみに、日ハムの助っ人陣は、全員が残留することになった。レアードは今シーズン中に2年契約を結んでいるし、メンドーサとマーティンは来季が2年契約の2年目だし、バースは素晴らしい結果を出したので球団側が契約更新の方針を打ち出したからだ。


‥‥そんなワケで、日本ハムは、正直、巨人やソフトバンクのような裕福なチームじゃないし、若い選手を育てて一流選手にするというチームの方針もあるし、他にもいろんな大人の事情もあるとは思うけど、陽岱鋼は実力だけでなく、チームのムードメーカーとしても絶対に必要な選手なので、日ハムの偉い人たちは、どうか残留の方向で話を進めてほしい。そして、今年と同じ顔ぶれで、来年もリーグ優勝を果たし、広島カープと日本シリーズで戦いたいと思った今日この頃なのだ!


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2016.10.29

飛べ!アマツバメ!

28日付のAFPに、驚くべきニュースを発見した!


【10か月飛び続けるアマツバメ、鳥類の連続飛行記録を更新】

「こげ茶色の羽毛をした小型の鳥「ヨーロッパアマツバメ」が、10か月間にわたり一度も着地することなく連続飛行することが分かったとの研究結果が27日、発表された。空中で過ごす時間としては、知られている鳥類の中で最長だという。」
http://www.afpbb.com/articles/-/3105964


マジですか~?‥‥ってなワケで、ヨーロッパアマツバメは体長15~18センチほどの小型の鳥なんだけど、エサは空中を飛んでる虫をパクリと食べるからいいとしても、フンは飛びながらすればいいとしても、寝るのはどうすんだよ?飛びながら寝るのかよ?それとも、10カ月間も一睡もしないで飛び続けるのかよ?‥‥なんて思いつつ、記事の続きを読んだら、後半にこんなことが書いてあった。


「研究チームによると、移動中の睡眠の有無やその方法については、まだ解明されていないが、毎日の明け方と夕暮れに高い位置まで上昇し、そこからゆっくりと降下する間に一眠りしている可能性があるという。グンカンドリなどの鳥も、滑空しながら眠ることが知られている。」


な~るほど!でも、ちょっと目が覚めるのが遅れたら、地面に激突して死んじゃうよね?つーか、ハッと気づいた時に、地面まであと2メートルくらいで、大慌てで羽ばたいたヨーロッパアマツバメもいるんじゃないかと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、渡り鳥の中には、とんでもない距離を休まずに飛んじゃう鳥が何種類かいるけど、地球上で最も長距離を飛ぶ鳥が、アジサシの仲間のキョクアジサシだと言われてる。アジサシは「鯵刺」、海に飛び込んでクチバシでアジを刺して捕まえるからで、そのアジサシの中でも、1年のうちに北極圏と南極圏を行き来するのがキョクアジサシ、漢字で「極鯵刺」だ。体長35センチほど、ハトくらいの大きさの鳥で、体が白くて、翼が薄い灰色で、頭が黒くて、クチバシと足が赤くて、よく見るアジサシと似たようなカラーリングだ。

このキョクアジサシは、北半球が夏のうちに北極圏で繁殖して、子育てをして、それから4カ月も飛び続けて地球の反対側の南極圏まで渡る。その距離、約2万キロだ。そうすると、今度は南半球が夏になってるから、夏の南極圏でしばらく過ごす。そして、十分に疲れが取れたら、また4カ月も飛び続けて地球の反対側の北極圏へ渡り、また繁殖をする。つまり、1年間に北極圏と南極圏を往復するワケだ。

もちろん、群のすべてが目的地まで辿り着けることはなく、途中で力尽きて着地する個体もいれば、風で飛ばされて群からはぐれてぜんぜん違う場所に到着してしまう「迷い鳥」もいる。この「キョクアジサシ」は、タマに日本でも観られるけど、これは群からはぐれた「迷い鳥」だと言われてる。

でも、キョクアジサシの場合は、大きさがハトくらいあるし、一応は「カモメ科」だし、海に飛び込んで魚を捕まえるのが得意だし、いくら何カ月も休まずに飛び続けると言っても、大陸の沿岸に沿って南下したり北上したりしてれば、「ちょっとヤバイ!」って時でも、取りあえず着地すれば何とかなりそうだ。実際、群からはぐれて「迷い鳥」になった個体の中には、もう無理して長距離を飛ぶのは諦めて、その場所で魚を獲ってのんびり暮らしてるのもいる。

だけど、今回のニュースで取り上げられたヨーロッパアマツバメは、体長15~18センチほどしかないし、海に落ちたら死んじゃうし、空中を飛んでる虫をパクリと食べるしかないから、なかなか長距離飛行は難しいと思う。記事には、「毎日の明け方と夕暮れに高い位置まで上昇し、そこからゆっくりと降下する間に一眠りしている可能性があるという」と書いてあったけど、エサになる虫は低い場所にしかいないだろうから、食事の時間には低空飛行で、虫を探しながらウロウロしにきゃならない。

つまり、ひと眠りするために1日に2回は高い位置まで上昇しなきゃならない上に、エサを捕るために低空をウロウロしなきゃならないから、1日の移動距離がA地点からB地点まで100キロだとしたら、実際には上下左右の移動も加わって120キロくらいは飛ばなきゃならないかもしれない。そしたら、こんな調子で10カ月間も休まずに飛び続ける意味が分からない。だって、着地してエサを捕ったり眠ったりしたほうが遥かにラクだからだ。ネコ科の野生動物などの天敵が恐いなら、高い木の上のほうの枝にとまればいいだけだ。


‥‥そんなワケで、ヨーロッパアマツバメが10カ月も休まずに飛び続ける理由が、イマイチ分からないあたしだけど、この「休まずに飛び続ける」という記事を読んで、ふと連想したのが、海のマグロだった。マグロは、生まれた時から死ぬまで、一生を泳ぎ続けると言われてる。泳ぎながら口を開けてエサとなる小魚などを食べ、泳ぎながらフンをして、泳ぎながら眠る。そして、泳ぐのをやめた時は死んだ時だと言われてる。

で、海のマグロを連想したら、このヨーロッパアマツバメにも、ナニゲに共通点があることに気づいた。それは、どちらも「そんなに苦労しなくても前に進む」という点だ。マグロは魚の中でも完璧に近い流線型で、尾びれの力だけでグングン進むから、凄く少ないエネルギーで長距離を移動できる。

そして、ヨーロッパアマツバメも、ほとんど翼を羽ばたかせずに、まるでグライダーのように空を飛ぶ。もちろん、他の鳥たちも風に乗ってグライダーのように飛ぶけど、中でもツバメの仲間たちは、地面スレスレでもグライダーのように滑空するから、ヨーロッパアマツバメは他の鳥よりも少ないエネルギーで飛行できるんだと思う。


‥‥そんなワケで、地球上の生き物は、動物も植物も昆虫も、すべてが種族保存の本能によって進化して来た。天敵である鳥に食べられないように、枯葉に擬態したチョウや枝に擬態したナナフシにしたって、最初から今の外観だったとは思えない。長い年月をかけて、今の姿に変化して来たんだと思う。そんな中で、あたしが何よりも感心するのが、植物だ。

たとえば、ミツバチやハナムグリなどの昆虫に美味しい蜜を吸わせてあげる代わりに、花粉を運んでもらう花たち。もともとは風で花粉が飛ぶのを待ってただけだけと思う。でも、それじゃあまりにも効率が悪いから、種族保存の本能で、美味しい蜜を生産できるように変化して、虫たちを利用するように進化したんだと思う。

河川敷や野原に行くと、トゲやツメのあるいろんな草花のタネがスカートにくっつくけど、あれはみんな動物の体にくっついて、遠くまでタネを運ばせるために進化したものだ。そして、リンゴやカキなどの木になる果物は、鳥たちが食べて飛んで行き、遠くでフンをすると、そのフンの中の消化されなかったタネが芽を出す。そのために、わざわざ甘くて美味しい果物に進化したのだ。

自分は生まれた場所から動くことができないから、昆虫や動物や鳥などの自由に動ける生き物を利用して、自分の子孫を増やしている植物たち。脳みそがないのに、どうしてこんなに賢いんだろう?そして、昆虫や動物や鳥たちにしても、知能という面では人類よりも遥かに劣っているのに、それぞれが地球上で生きて行くために進化をして来た。さらに言えば、微生物だって素晴らしい進化を続けてる。そして、これらの生き物すべてに共通することは、「自分の命よりも子孫を残すことを優先してる」という点、つまり、「今よりも未来を優先してる」という点だ。

交尾を終えたらメスがオスを食べて栄養にしてしまう昆虫しかり、翌年のタネを飛ばしたら枯れてしまう一年草しかり、すべての生き物は、自分の命よりも子孫を残すこと、子孫を絶やさないことを優先してる。それは、種族保存の本能によって生きているからだ。だけど、地球上で最も知能の高い人類だけは、子孫を残すことよりも自分のことを優先してる。未来のことよりも、今の自分のことを優先してる。

そして、カネのために愚かな戦争を繰り返し、カネのために核兵器や原発を造り続け、カネのために10万年も先の未来まで汚染し続ける放射性廃棄物という負の遺産を生産し続けてる。これは、他の生き物たちのように「本能」に主導された生き方ではなく、地球上で人類だけが「脳みそ」に主導された生き方をしている結果だろう。


‥‥そんなワケで、あたしも「脳みそ」に主導された生き方をしてる人類の1人なので、地球上の人類以外のすべての生き物から見れば、大切な故郷である地球を汚染し続けてる加害者の1人ということになってしまう。それでも、あたしは、こうしてブログで自分の考えを発信したり、できる限り電気を使わない節電生活をしたり、できる限り動物の命を奪わないような食生活をしたり、選挙のたびに必ず投票に行って原発に反対する政党や候補者に一票を投じたりと、自分にできることをできる範囲でやって来た。いつか必ず、今の自分たちのことよりも未来の子どもたちのことを考えてくれる「本物のリーダー」が、日本に、アメリカに、ヨーロッパに現われてくれる日を信じて、ヨーロッパアマツバメのように休まずに飛び続けようと思った今日この頃なのだ。


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2016.10.24

前前前世から探していた少女と出会う方法

日本のどこかの田舎町に、彗星のカケラの隕石が落ちて、その町の人たちが一瞬にして何百人も死んでしまう‥‥ってことは、確率的には極めて低いとしても、現実的にありえることだ。だけど、そうした「すでに起こってしまった出来事」を踏まえた上で、その結果を知っている現代人の1人が、その隕石が落ちる前の世界に行って、隕石が落ちる前に町の人たちを全員避難させて、1人の死者も出さないようにするなんて、どう考えても不可能だ。

たとえば、子どものころに、自分の妹が河川敷で自転車に乗る練習をしてて、転んでオデコを切って、病院に運ばれて3針縫ったとする。これがかわいそうだったからと、自分が大人になってから、タイムマシンで当時へ戻り、倒れそうになった自転車を支えてあげて、妹はケガを回避できたとする。これくらいなら、世の中的には何も変わらないだろうから、特に問題はないと思う。

だけど、隕石が落ちて、1つの町が消滅してしまい、何百人もの人々がすべて死んでしまった‥‥という大きな出来事に関しては、もしもこれを未来から来た人が回避してしまったら、後の世の中が大きく変わってしまう。まず、日本の人口も違って来るし、死んだはずの何百人もの人たちが、死なずに続きの人生を歩き始めるのだから、他の人たちとの関わり合いもあって、数えきれないほどの枝葉が生じてしまう。つまり、まったく違う未来になってしまうのだ。

極端な可能性を言えば、その死んでしまった数百人が死なずに済んだことで、その中から日本の総理大臣が生まれるかも知れないし、画期的な大発明をする科学者が生まれるかも知れないし、ベストセラーを連発する作家が生まれるかも知れない。そうなれば、少なくとも日本の歴史は変わってしまうし、世界の歴史にだって一定の変化をもたらしてしまうと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは妄想が大好きなので、どんなことでもどんどん妄想の連鎖が広がっちゃうワケだけど、たとえば、隕石が落ちて死んだ数百人が、もしも「未来からの指示」によって死なずに済んだとして、その数百人の中の1人が何年後かに日本の総理大臣になって、その人が安倍晋三を超える戦争マニアで、日本の自衛隊をアメリカ軍の子分として世界各地の戦場へと引っ張り出すだけでなく、こちらからジャンジャンと他国を侵略しちゃうようなクレージーだったとする。そして、日本の本土も戦争に巻き込まれ、多くの日本国民が殺されてしまったとする。そしたら、数百人の人たちを助けた行動が、結果的に、数万人、数十万人を殺すことになってしまう。

科学的&物理的に作り上げたタイムマシンにしろ、時空の谷間のナンタラカンタラに接触して発生した偶発的なタイムスリップにしろ、現代の人間が何十年か前の過去へ飛ぶなんていう「タイムワープ」は絶対にありえない。ようするに、タイムマシンなんてものは絶対に作ることはできないし、タイムスリップなんてものもありえない‥‥っていうことを証明するための代表的な理論の1つに、「親殺しのパラドックス」と呼ばれるものがある。

たとえば、あたしが、タイムマシンでもタイムスリップでもいいから、自分が生まれる前の何十年か前の世界へ行き、自分のお母さんかお父さんのどちらかを殺す。そうすると、あたしのお母さんとお父さんが結婚して、あたしを産むということができなくなるから、「あたし」は生まれない。そうなると、「あたし」は存在しなくなるのだから、それから何十年かして、あたしがタイムマシンに乗って過去へ行き、あたしの親を殺すこともできなくなる。そうすると、あたしのお母さんとお父さんは結婚して、「あたし」が生まれることになる。

でも、その「あたし」は、何十年かして大人になったら、タイムマシンに乗って過去へ飛び、自分の親を殺すワケだ。すると、「あたし」は生まれなくなる。でも、「あたし」が生まれなくなったのなら、大人になってからタイムマシンで過去へ飛んで親を殺す「あたし」もいなくなったのだから、あたしのお母さんとお父さんは結婚して、やっぱり「あたし」が生まれる‥‥という無限のパラドックスだ。

もっと単純なパターンで言えば、「自分殺しのパラドックス」というのもある。あたしがタイムマシンに乗って過去へ飛び、まだ赤ちゃんの自分自身を殺す。そうすると、あたしは赤ちゃんの時に死んだのだから、大人になることはできず、タイムマシンで過去へ飛ぶこともできない。そうなると、赤ちゃんのあたしを殺す「未来のあたし」はいなくなるから、赤ちゃんのあたしはスクスクと成長して大人になる。すると、大人になったあたしは、タイムマシンに乗って過去へ飛び、赤ちゃんの自分を殺してしまう‥‥という無限のパラドックスだ。

こうした理論は、タイムマシンやタイムスリップを否定する人たちによって、まことしやかに提唱されて来た。だけど、一見、完璧に思えるようなこの理論にも、抜け道はいろいろとある。その代表的なものが、「時間軸は無数に存在する」というものだ。あたしがタイムマシンで過去へ飛んで、自分のお父さんを殺したとしても、それは、あたしの両親が結婚してあたしが生まれたという「今、あたしが生きている時間軸」とは別で、あたしの母さんは別の男性と結婚して、あたしじゃない別の子どもを産み、ぜんぜん違う人生を送る。ただ、それは別の時間軸の話だから、あたしの生きてる世の中には何の影響もないし、こちらの世界もあちらの世界に何の影響も及ぼさない、という説だ。

この説であれば、タイムマシンもタイムスリップも理論上は可能になるし、タイムマシンで過去へ飛んだ人が、どんなに過去を変えてしまっても、元の時間に戻って来れば、自分のいた世の中には何の影響も及ぼしていないことになる。大幅に変わってしまった「別の時間軸」が生まれただけで、自分のいる時間軸とは無関係だ。


‥‥そんなワケで、ある田舎町に、彗星のカケラの隕石が落ちて、その町の人たちが一瞬にして何百人も死んでしまった‥‥という過去の出来事があって、どうしてもそれを回避したいと思ったのなら、タイムマシンやタイムスリップで隕石が落ちる前の世界に飛ぶか、隕石が落ちる前のその町の人とテレパシーで交信するか、もしくは、隕石が落ちる前のその町の人と肉体と魂が入れ替わったりする漫画的にベタな展開とかで、これから起こる「隕石が落ちて来る」という事実を知らせなきゃならない。

そして、その事実を知らせることができれば、あとは、隕石が落ちる前にその町の人たちを避難させるだけだから、何とでもなるだろう。もちろん、何百人も死んでしまった人たちが、この「未来からのおせっかい」によって1人も死なずに済むのだから、この町の未来は大きく変わってしまうし、日本の未来にもそれなりの影響を及ぼすだろうし、場合によっては世界の未来にも若干の変化が起こるかも知れない。

だけど、そんなこたー気にすることはない。だって、時間軸が違うのだから。自分が元の世界に戻って来たら、やっぱりその町は何年か前の隕石によって何百人もの人たちが死んでいて、何も変わってないのだ。そして、町の人たちが避難して助かったほうの世界は、今、自分がいる時間軸とは別の、新たな時間軸を形成して行くワケだ。つまり、「隕石が落ちて何百人も亡くなった」という世界はそのままで、それとは別に「隕石が落ちる前に町の人たちが避難して誰も死なずに済んだ」という世界が新設されただけなのだ。そして、この2つの世界は、決して交わることはない。

だから、この「未来からのおせっかい」によって、隕石の直撃から避難することができて死なずに済んだ少女は、そのまま成長することができる。でも、それはあくまでも新設された「第二の世界」でのことなのだから、「未来からのおせっかい」をしてくれた男の子とは、永遠に出会うことはできない。もちろん、その「第二の世界」にもともと存在していた「第二のおせっかい君」と出会う可能性はあるけど、その男の子の生きている世界にあるのは、「隕石が落下して何百人も死んでしまった田舎町」ではなく、「隕石は落下したが全員が避難していて誰1人として犠牲にならなかった田舎町」しか存在しないのだから、過去へ行って町民を避難させようなどとは考えない。つまり、少女との接点が消滅してしまうのだ。


‥‥そんなワケで、世界的に有名なイギリスの理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士は、物理的に過去へのタイムトラベルを否定している。ホーキング博士の提唱する「時間順序保護仮説」は、時間軸に沿って起こるすべての出来事は順序が保護されていて、決して順序を入れ替えることはできない、というものだ。そりゃそうだよね。時間軸に沿って起こる出来事の順序を入れ替えられるなら、あたしは競馬の結果を見てから馬券を買いに行くし(笑)

ま、冗談はさておき、ホーキング博士は、哲学的に「過去へのタイムトラベルは不可能」と言ったんじゃなくて、ちゃんと量子力学を用いて計算して、過去へのタイムトラベルをするためには場の力が無限大にならなければならないという結論を導き出して、その上で「理論的に不可能」だと言ったのだ。だから、逆に言えば、「未来へのタイムトラベル」なら、いつかは可能になるかもしれないのだ。もちろん、行った先の未来から元の世界に戻って来ることはできないけど。

それから、ホーキング博士は、「過去へのタイムトラベルが不可能」だとする理由として、「われわれの世界に未来からの観光客が押し寄せたことがない」とも言っている。ナニゲに屁理屈っぽいフレーバーも感じるけど、今からわずか100年前には、海外旅行なんて一般人には難しかったのに、今じゃ誰でもチョチョイと世界中へ行けるようになった。これと同じで、過去へのタイムマシンが開発された当初は、選ばれた数人しか現代へやって来ることができなかったとしても、それから何十年という月日が流れるうちに、日本からハワイやグアムへ行くようなノリで、過去へのタイムトラベルができるようになっているハズだ。そして、そうなれば、現代に未来からの観光客が押し寄せるようになるだろう。

そうじゃなくても、ホントに未来の世界でタイムマシンが開発されるという筋書きがあるのなら、どこかの田舎町に隕石が落ちることを知らせに来てくれるように、大震災の前とか、原発事故の前とか、さらには、戦争の前とかに、未来の日本の総理大臣の書簡を携えた未来からの遣隋使が来てくれても良さそうに思う。よく、「タイムマシンで過去へ行くことはできるが、過去の世界に干渉して歴史を変えてはいけない」的な但し書きが出て来るSF小説があるけど、あれは、タイムトラベルの理論破綻を回避するための「お約束」であって、どんなに過去に干渉したって「第二の時間軸」や「第三の時間軸」ができるだけだと考えれば、ぜんぜん問題はない。

でも、ここで問題なのが、この「第二の時間軸」や「第三の時間軸」なのだ。せっかく未来から来た人が「近い将来に起こる大災害」を知らせてくれて、犠牲になるハズの多くの人たちが避難して助かったとしても、それは「多くの人たちが助かった第二の時間軸」が誕生するだけで、未来からわざわざ知らせに来てくれた人が自分の時間軸に戻れば、そこでは以前からのように「大災害で多くの人たちが亡くなった」ままの歴史が続いているのだ。

過去へ行っておせっかいを焼いても、自分の世界は何も変わらないのだから、一見、無駄なように感じるけど、大災害で犠牲になった人たちは、新たな時間軸で生きて行くことができる。そう考えると、自分のおせっかいによって新たな時間軸に新たな世界を創造するワケで、人道的にどうのこうの言う前に、なんか神様になったような気分がして来る。ただ、残念なのは、その世界の今後を見ることができないという点だ。タイムマシンで元の世界に戻って来るということは、元の時間軸に戻るということで、その新たな時間軸の未来とは異なるからだ。


‥‥そんなワケで、どうしても自分がおせっかいを焼いて創造した新たな世界の未来を見たいのなら、自分が助けた少女ともう一度、出会いたいのなら、元の世界に戻って来ないで、その世界に留まるしかない。でも、その世界には、元からその世界にいた「第二の自分」が存在しているのだから、絶対に顔を合わせないように注意して生活しなきゃならないし、「第二の自分」を知っている人たちとも接触しないように注意しないと、いろいろとメンドクサイヤ人なことに巻き込まれてしまうだろう。でも、そのくらいの努力をしないと、物理的にも理論的にも、前前前世から探していた少女とは出会えないと思う今日この頃なのだ。


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2016.10.19

稲葉ジャンプから中田ジャンプへ!

「イナバ物置」のテレビCM、あの「100人乗っても大丈夫!」というやつ、あれって、あたしが子どものころからずっとやってるから、観たことがない人はマレだと思う。ちなみに、ずいぶん前に「トリビアの泉」で取り上げてたけど、大きな物置の一番前の角のとこに乗ってるのが社長で、あとは営業成績の順だそうだ。社長の向かって右隣りが営業成績1位、左隣りが2位、社長の後ろの右側が3位、その隣りが4位‥‥というように、営業成績の順に座る位置が決められてて、毎年、その年の成績でメンバーが選ばれて、新しいCMが制作されてるそうだ。

そんな「イナバ物置」だけど、ナニゲに注目されたのが、今から10年前の2006年、フィギュアスケートの荒川静香さんが、トリノオリンピックで金メダルに輝いた時、そう、「イナバウアー」だ。つま先を左右にひらいて大きな弧を描きながら、上半身を弓なりに後ろへそらす「イナバウアー」が話題になり、その流れから、「イナバ物置」にカケたギャグやコラージュ画像などが一部で流行ったりもした。

そして、日本ハムファイターズのファンのあたし的には、2014年も「イナバ物置」に注目した。そう、稲葉篤紀選手の引退だ。2014年9月、稲葉選手が引退を発表すると、それ以降は、どの球場で、どのチームと試合をしても、稲葉選手が代打で登場すると、日ハムのファンだけでなく、相手チームのファンも全員が立ち上がり、球場の観客全員が「稲葉ジャンプ」をして応援してくれたのだ。あたしは、感動で涙が止まらなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、当時はパリーグTVと契約してなくて、ラジコを使ってラジオ中継を聴いてたから、実況アナの「代打稲葉の登場に、ファイターズファンだけでなく、ライオンズファンも稲葉ジャンプをしています!」という言葉と、割れんばかりの歓声を聴き、その光景を脳内で想像して感動してた。そして、試合後に、YOU TUBEにアップされた実際の動画を観て、改めて感動して泣いたりしてた。

だから、「感動で涙が止まらなくなった」と言いつつも、リアルタイムでは音声だけのラジオ中継だったので、あたしの脳内シアターに映し出される映像は、実際の光景よりも誇張されてて、ジョジョに奇妙にギャグ方面へとハンドルを切り始めちゃったのだ。日ハムのファンも相手チームのファンも、球場の観客席を埋め尽くした何万という人たちの「稲葉ジャンプ」による振動がグラウンドにまで伝わり、バッターボックスでバットを構えてる稲葉選手までもが、ピョコン、ピョコン、ピョコン‥‥と跳ねてしまっているのだ!

そして、誇張されたあたしの妄想は、さらに広がって行った。ホントはあるワケないのに、球場の隅にグラウンドの整備道具をしまっておく大きな「イナバ物置」が見えて来て、その屋根の上で、イナバの社長を始め営業社員たち100人が「稲葉ジャンプ」をしていたのだ!イナバの社員たちは、いつものCMのカラフルなハッピじゃなくて、ちゃんと日ハムのレプリカユニフォームを着てる!そして、もちろん「100人跳んでも大丈夫!」という期待通りのセリフ!(笑)


‥‥そんなワケで、ここまではラジオ中継を聴きながらの妄想だけど、これだけで終わらないのが、あたしの特徴だ。あたしは、せっかくだから、実際に「イナバ物置」のCMに稲葉選手を起用した場合の絵コンテを脳内に描いてみた。まず、大きな「イナバ物置」の上に、いつものCMと同じに社長を始め社員100人が座ってる。でも、その物置の前がホームベースになってて、キャッチャーと主審がスタンバイしてる。

そして、ウグイス嬢の「代打~~~背番号58~~~稲葉篤紀~~~」というアナウンスとともに、クイーンの「I Was Born To Love You」が流れ初めて、バットを手にした稲葉選手が登場する。ちなみに、この曲は、得点圏内にランナーがいる時にだけ使われた稲葉選手の登場曲だ。そして、稲葉選手が登場するのと同時に、後ろの物置の上の社員たち全員が立ち上がり、屋根の上で「稲葉ジャンプ」を始める。もちろん、球場の観客たちも全員が「稲葉ジャンプ」をして声援を送っている。


カキーン!


鋭いスイングが快音を放つと、ライナー性の打球はグングンと伸びて行き、ファンたちの待つスタンドへと吸い込まれて行く。ガッツポーズをしながらダイヤモンドをまわる稲葉選手から、物置の上で歓喜のジャンプを繰り返す社員たちへと画面が切り替わり、アップになった社長が「100人跳んでも大丈夫!」と言って、稲葉選手と同じようにガッツポーズ!


‥‥そんなワケで、稲葉選手が現役を引退して2年が過ぎたワケだけど、引退して日ハムのSCO(スポーツ・コミュニティ・オフィサー)に就任した稲葉篤紀さんは、今年の5月22日の札幌ドームでの楽天戦で、試合前にサンドウィッチマンの伊達みきおさんと「ガチンコ1打席対決」をした。札幌ドームにクイーンの「I Was Born To Love You」が流れ始めると、観客席を埋め尽くしたファンたちは総立ちになり、久しぶりの「稲葉ジャンプ」で、カメラの映像が揺れ始めた。

結果は、稲葉篤紀さんが粘った末にフライを打たされてしまって、伊達みきおさんが勝負に勝ったけど、この日、札幌ドームに観戦に行った日ハムのファンたちは、十分に楽しめたと思う。試合のほうも、日ハムは8対0の大勝で、大谷翔平が2勝目をあげ、レアードがホームランを打ったので、最高の1日だったはずだ。

ま、試合前の「ガチンコ1打席対決」はファンサービスのイベントだったけど、本物の「稲葉ジャンプ」が復活したのが、先月9月17日の札幌ドームでのロッテ戦だった。この日は「北海道レジェンドマッチ」と銘打って、日ハムが北海道に移転してから7年間にわたって使用した初代ユニフォームを着用しての試合だったこともあって、7回裏、2アウト1、2塁というチャンスで主砲の中田翔選手が登場すると、突然、「稲葉ジャンプ」が始まり、カメラの映像が揺れ始めたのだ!


実況アナ「満塁となって大谷の犠牲フライで1点を追加して9対2、なおもランナー2塁、1塁で中田です!そして起きました!稲葉ジャンプ!いや今日は中田ジャンプ!稲葉さんが引退して、この稲葉ジャンプをなかなか復活させるチャンスがなかったので、この初代ユニフォームの一夜限りの復活で、ファンの皆さんが稲葉ジャンプを復活させました!」


解説の森本ひちょりさん「久々にね、この稲葉ジャンプが来た時はね、スタンドが揺れますからね。カメラマンが焦って違うカメラに回す、これ久々に見ましたね(笑)」


カキーン!


実況アナ「中田の打球はどうか!伸びて、伸びて、どうだ!フェンスに当たる!ランナーはスタートを切っている!次々ホームに帰って来ます!中田の2点ツーベースタイムリーヒット!11点目が入りました!11対2!」


‥‥そんなワケで、この日は、ロッテも最後まで諦めずに9回裏にタイムリーを連発して6点まで追い上げたけど、日ハムにも追加点があり、日ハムは14対6で大勝した。試合前のイベントで「稲葉ジャンプ」が巻き起こった5月22日の楽天戦も、中田翔選手の打席で「稲葉ジャンプ」が復活した9月17日のロッテ戦も、どちらも日ハムは大量得点で勝ったのだ。そして、中田翔選手と言えば、CSファイナルでホームランを含む3安打の大活躍でチームを逆転勝利へと牽引し、みごとにMVPに輝いた。だから、10月22日から始まる「日本シリーズ」でも、中田翔選手の「ここ一番」という打席を「稲葉ジャンプ」で応援すれば、「100点取られても大丈夫!」ってワケで、100点取られても主砲のバットが101点を取り、必ず日ハムを日本一へと導いてくれると信じている今日この頃なのだ!


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2016.10.15

ボブ・ディランがノーベル文学賞授賞、その波紋と雑感

今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに決まったというニュースが、いろいろな意味で各方面に波紋を広げている。これまで100年を超えるノーベル文学賞の歴史で、ミュージシャンへの授賞は初めてだからだ。ノーベル文学賞と言えば、日本人での受賞者は1968年の川端康成と1994年の大江健三郎の2人だけど、ともに「小説家」として受賞しているし、過去の受賞者の大半が、「小説」「詩」「戯曲」というジャンルから選出されているからだ。

そんなノーベル文学賞の色合いが微妙に変わったのが、昨年、2015年だ。昨年の受賞者、 ベラルーシ人のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、小説家でも詩人でも戯曲作家でもなく、ジャーナリストだった。そして、これまでに書き続けて来た「ノンフィクション」が受賞の対象になったのだ。ノーベル文学賞の大半は「創作」であり、過去には一度だけ「伝記」が対象になったこともあったけど、このようなジャーナリストによるノンフィクションが対象になったのは初めてのことだった。

そして、今回のボブ・ディランにしても、突然、決まったことではなく、何年も前から名前が挙がっていたそうだ。詩人のアーサー・ビナードさんは、ボブ・ディランの歌詞を和訳したことがあるため、数年前からノーベル文学賞の時期が近づくたびにコメントを求められていたという。

ちなみに、よく「今年も村上春樹が候補に挙がっている」とか言う人がいるけど、ノーベル文学賞に「ノミネート」というものはなくて、「今年は誰々が受賞するんじゃないか」というのは、海外のブックメーカーなどが独自に予想して名前を挙げているだけだ。村上春樹もボブ・ディランも海外のブックメーカーで毎年の常連で、今年は村上春樹が2位、ボブ・ディランが7位だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今年のノーベル文学賞の有力候補と見られていたのは、シリアの詩人アドニスと、ケニアの小説家グギ・ワ・ジオンゴの2人だったそうだ。あたしは勉強不足で、どちらもまったく知らないけど、ノーベル文学賞は、芥川賞や直木賞のように「作品」が対象ではなく、その人の長年の活動が対象なので、きっとどちらも多くの素晴らしい作品を生み出してきた作家なのだろう。そして、そんな中でのボブ・ディランの受賞に対して、批判的な人たちもいる。フランスの小説家ピエール・アスリーヌは、次のように批判した。


「ここ数年、候補としてボブ・ディランの名前が挙がっていたが、私は冗談だと思っていた。今回の決定は、われわれ作家を侮辱するようなものだ。私もディランの歌は好きだが、彼の歌のどこに文学があるというのか?スウェーデン・アカデミーは自分たちに恥をかかせたと思う」


日本では村上春樹の受賞を待っている多くのファンがいるように、アメリカでもフィリップ・ロス、ジョイス・キャロル・オーツ、ドン・デリーロという3人の文豪とそのファンが、何年間も受賞を待っている。また、長い年月、最有力候補と言われ続けたのに、結局、受賞できないまま1988年に亡くなってしまったアルゼンチン出身の小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスもいる。こうした背景から、今回のボブ・ディランの受賞には、文学界からの批判が多い。スコットランドの小説家アービン・ウェルシュに至っては、ツイッターに汚い言葉を羅列して怒りを爆発させた。


‏@IrvineWelsh 10月13日
I'm a Dylan fan, but this is an ill conceived nostalgia award wrenched from the rancid prostates of senile, gibbering hippies.
「私はディランのファンだ。しかし(今回のノーベル文学賞は)、もうろくしてわめき立てているヒッピーどもの悪臭がする前立腺からひねり出されたノスタルジックな賞でしかない」


そして、アービン・ウェルシュは、「文学は文学、音楽は音楽、別のジャンルだ。音楽もノーベル文学賞の対象になるのなら、映画だって対象にしなくてはならない。そうなると収拾がつかなくなっていまう」とも指摘している。しかし、その一方で、イギリスの作家サルマン・ラシュディは、同じツイッター上で、今回のスウェーデン・アカデミーの選択を賞賛している。


@SalmanRushdie 10月13日
From Orpheus to Faiz,song & poetry have been closely linked. Dylan is the brilliant inheritor of the bardic tradition.Great choice.
「(ギリシア神話の吟遊詩人)オルフェウスから、(パキスタンの詩人)ファイズに至るまで、歌と詩とは密接なつながりを持って来ました。ボブ・ディランは吟遊詩人の伝統を受け継いだ才能ある後継者です。(今回の授賞は)素晴らしい選択です」


‥‥そんなワケで、勘違いしないでほしいのは、今回の問題で批判的な意見を言っている人たちの大半が、ボブ・ディランを批判しているのではなく、ノーベル文学賞の対象を音楽というジャンルにまで拡大したスウェーデン・アカデミーの判断を批判しているということだ。ピエール・アスリーヌは「彼の歌のどこに文学があるというのか?」と疑問を呈したけど、これはボブ・ディランの書いた歌詞が「文学的ではない」と批判しているのではなく、あくまでも「文学賞なら文学のみを対象にすべきだ」という主張から発展した表現と理解したい。

事実、今回の授賞を「とてもユニークな選択だ」と肯定的に評価しているアメリカの文豪ジョイス・キャロル・オーツは、「常に心に残る彼の音楽と歌詞は、とても深い部分で文学的に感じられる」とコメントしている。つまり、今回の授賞を批判している人たちも祝福している人たちも、総じて「ボブ・ディランの音楽は認めている」ということになる。


‥‥そんなワケで、ボブ・ディランと言えば、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリングストーン」が代表曲に挙げられるけど、どちらも「ベトナム戦争」という背景から生まれた歌なので、反戦や格差がテーマのプロテストソングだ。せっかくノーベル文学賞を授賞したのだから、あたしの好きな「マスターズ・オブ・ウォー」も含めて、この3曲の冒頭の部分だけをザックリと「きっこ訳」で紹介しようと思う。


「風に吹かれて」

人はどれくらい歩き続ければ、人として認められるのだろうか
白い鳩はどれくらい海の上を飛び続ければ、砂浜で休むことができるのだろうか
そして、どれくらい多くの砲弾が飛び交えば、永久に禁止されるのだろうか
友よ、その答えは、風に吹かれている
その答えは、風に吹かれている


「ライク・ア・ローリングストーン」

昔は派手に着飾って、浮浪者に10セント硬貨をめぐんでやってた時もあったよな
みんなは言ってたぜ、「お嬢さん、そんなことしてると、あんたも堕ちてしまうぜ」って
でも、あんたは高笑いして、周りの忠告を相手にしなかった
だけど、今は違う
プライドも何も失ったあんたは、あちこちで食べ物をあさって暮してる
どんな気分だい?
どんな気分だい?
帰る家も失い、誰からも相手にされず、まるで転がる石のようになっちまってさ


「マスターズ・オブ・ウォー」

戦争ビジネスの親玉さんたち
すべての銃器を生産し続ける皆さん
人殺しのための飛行機を作り続ける皆さん
ありとあらゆる爆弾を作り続ける皆さん
そして、自分たちだけは安全な壁の後ろに隠れ、机の下に身を潜めている皆さん
そんな皆さんに言いたいことがある
それは、「あなたたちの正体は丸見え」だってことさ

決して自分の手は汚さずに、破壊しかしない皆さん
俺の大切な世界を、まるでオモチャのようにもてあそぶ皆さん
そして、俺の手に銃を握らせたくせに、
弾丸が飛び始めたら、自分たちだけ一目散に逃げ出した皆さん

ユダのように嘘をつき、人々を欺き、戦争に勝てると信じ込ませる皆さん
でも、あなたたちの目に映っているもの、脳裏に描かれているものは、すべてお見通しだよ
まるで、排水管を流れる水のように、透けて見えてるよ

他人に銃を持たせ、引き金に指をかけさせ、そして、撃たせ続けている皆さん
ずっと下がった安全な場所から、それを眺めている皆さん
そして、戦死者の遺体が山のように積み上がると、急いで逃げ帰ってご自慢の官邸の中に隠れる皆さん
多くの若者たちが血を流し、泥の中に埋められているというのに


‥‥そんなワケで、「ライク・ア・ローリングストーン」は、1番だけだとイマイチ分かりにくいと思うけど、これは、ブルジョアのお嬢さんが、大きく動く時代の中で、たぶん実家が破産したか何かで、転がる石のように堕ちて行った様子を描いてる。だけど、単に「ざまあみろ」と歌っているのではなく、社会の底辺にまで堕ちて、初めて見えて来たものがあるだろうということを歌ってる。ま、典型的なプロテスタントソングと言えるだろう。

一方、あたしの好きな「マスターズ・オブ・ウォー」では、ド直球の反戦ソングなので、ちょっと長めに紹介した。もっと詩的に、もっと文学的に訳せれば良かったんだけど、けっこう過激な歌詞なので、意味を正確に伝えることに重点を置いてみた。ま、あたしの訳じゃお話にならないとは思うけど、ボブ・ディランにはこうしたプロテストソングだけでなく、いろいろな作品がある。たとえば、殺人の冤罪で投獄されたボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの無実を訴えた「ハリケーン」とか、ニューヨークで殺害されたマフィアのジョーイ・ギャロへの追悼歌「ジョーイー」とかは、そのストーリー性から「吟遊詩人」をイメージさせる。

あたしは、もともと、それほど好んでボブ・ディランの歌を聴いてたワケじゃないけど、ボブ・ディランがDJを担当して、2006年から2009年にかけてアメリカの衛星ラジオで計100回ほど放送した「Bob Dylan's Theme Time Radio Hour」という番組があって、それをinterfmで放送してるのを聴いてるうちに、トークが面白すぎて、すごく興味を持つようになった。interfmの放送では、最初に本編をそのまま流し、そのあとにピーター・バラカンさんが解説してくれてたので、分かりにくい英語の言い回しとかギャグとかも良く理解できたし、すごく楽しめた。


‥‥そんなワケで、今回のノーベル文学賞は、13日の午後1時(日本時間の13日午後8時)に発表されたけど、発表から4時間が経ってもスウェーデン・アカデミーはボブ・ディランと連絡が取れていないという。ボブ・ディランは、現在、ツアー中で、ツアーマネージャーとは連絡が取れたそうだけど、「寝ている」と言われて本人は電話に出なかったそうだ。でも、仮にもノーベル賞の授賞の電話なのだから、普通なら寝てても揺り起こすよね?だから、これはあたしの想像だけど、ボブ・ディランは「そんなものいらないから『寝ている』とでも言って電話を切ってくれ」って言ったんじゃないのかなあ?その後に行なわれたラスベガスのライブでも、ノーベル文学賞に関することはひと言も話さなかったそうだし、もしかすると、本人は授賞を迷惑がってるような予感もする。正式に授賞したんだから、批判なんか気にしないで堂々と受け取ってもぜんぜん問題はないんだけど、ボブ・ディランのスタンスから考えると、あたし的には、ここで辞退したら最高にカッコイイのになあ‥‥なんて思ってみた今日この頃なのだ。


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2016.10.11

ブリジット・バルドーとジーナ・ロロブリジーダ

オードリー・ヘプバーンと言えば『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』や『マイ・フェア・レディ』、カトリーヌ・ドヌーヴと言えば『シェルブールの雨傘』や『昼顔』や『ロバと王女』、というように、すぐに代表作の名前が出てくる。ま、人によっては、オードリー・ヘプバーンなら『麗しのサブリナ』や『戦争と平和』や『昼下がりの情事』を挙げる人もいるだろうし、カトリーヌ・ドヌーヴなら『反撥』や『ルシュフォールの恋人たち』や『終電車』を挙げる人もいるだろうけど、こうしてすぐに何作ものタイトルが出てくるのも、大女優たるユエンだろう。

 

他にも、イングリッド・バーグマンと言えば『カサブランカ』や『誰が為に鐘は鳴る』や『ガス燈』、ヴィヴィアン・リーと言えば『風とともに去りぬ』や『アンナ・カレニナ』や『欲望という名の電車』、ソフィア・ローレンと言えば『ひまわり』や『昨日・今日・明日』や『ラ・マンチャの男』、エリザベス・テイラーと言えば『陽のあたる場所』や『熱いトタン屋根の猫』や『バージニア・ウルフなんかこわくない』‥‥というふうに、その映画を観たことがない人でも、タイトルだけは聞いたことがあるような有名な作品が、何本も出てくる。

 

だけど、あたしの大好きなブリジット・バルドーやジーナ・ロロブリジーダになると、これと言った代表作がないし、けっこうな映画マニアじゃないと、主演作を1本も知らない人も多い。もちろん、あたしはファンだから、どちらの作品もたくさん観てるし、あたし的に特に好きで代表作だと思ってる作品が数本ずつある。でも、そのタイトルを言ったところで、知らない人たちはぜんぜんピンと来ないワケで、オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』やカトリーヌ・ドヌーヴの『シェルブールの雨傘』のような、今どきで言えばジュリア・ロバーツの『プリティ・ウーマン』のような、「観ていない人でもタイトルは知っている」という作品は、ブリジット・バルドーやジーナ・ロロブリジーダにはない。

 

ブリジット・バルドーの場合は、ニックネームがイニシャルの「BB(ベベ)」だったこともあり、イニシャルが「MM」だったマリリン・モンローと比較されることが多く、それは、女優というよりもセックス・シンボルとしての意味合いが大きかった。でも、マリリン・モンローの主演作品、『ノックは無用』や『七年目の浮気』や『お熱いのがお好き』などが、「観ていない人でもタイトルは知っている」という有名な作品なのに対して、ブリジット・バルドーの主演作品、『裸で御免なさい』や『殿方ご免遊ばせ』や『何がなんでも首ったけ』は、あたしみたいなブリジット・バルドーのファンや、熱心な映画マニアじゃないと、タイトルを聞いてもピンと来ないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですかププッピドゥ~?(笑)

 

 

‥‥そんなワケで、これはあくまでもあたしの感覚だけど、ブリジット・バルドーよりも多くの作品に主演してるジーナ・ロロブリジーダなのに、その作品は、日本ではブリジット・バルドーよりも、さらに知られていないように感じる。たとえば、オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』を知っている人たちの何割が、ジーナ・ロロブリジーダの『ローマの女』を知っているだろうか。マリリン・モンローの『お熱いのがお好き』を知っている人たちの何割が、ジーナ・ロロブリジーダの『お熱い出来事』を知っているだろうか。さらに言えば、ブリジット・バルドーの『夜の騎士道』を知っている人たちの何割が、ジーナ・ロロブリジーダの『花咲ける騎士道』を知っているだろうか。

 

ブリジット・バルドーは、今は「過激な動物保護のおばちゃん」て感じになっちゃったけど、「屠殺の残酷な実態を知ってベジタリアンになった」という点はあたしも同じだし、生き方としてもカッコイイと思う。もともとは「ブロンドのセクシー姉さん」という路線だったけど、あのブロンドは染めてるだけで、ホントの髪の色はブルネット(黒っぽい茶褐色)だ。本人はそれが嫌でブロンドに染めるようになったけど、デビュー当時は「ブルネットの髪のチャーミングな女性」というイメージだった。

 

ちなみに、英国の大手ビューティー関連企業「スーパードラッグ」が2014年に行なった「過去50年で最も美しい女性」というアンケート調査では、1位の故・オードリー・ヘプバーン、2位の故・ダイアナ妃、3位の故・グレース・ケリーに続いて、ブリジット・バルドーは4位に選ばれている。故人を除けば1位というワケだ。つまり、ブリジット・バルドーが「ヨーロッパのマリリン・モンロー」と呼ばれていた若いころのイメージが、英国では今も生き続けているということになる。

 

で、そんなブリジット・バルドーの初主演作品は、1952年の『ビキニの裸女』だけど、ビキニを着てるのに裸女って何だよ?‥‥というツッコミも入れつつ、この映画の最大のポイントは、仮にも主演であるブリジット・バルドーが、いつまで経っても登場しないというツンデレな展開にある。ブリジット・バルドーは、ある小島の灯台守の娘の役で、最初は子役が13歳の娘を演じてる。そして、5年後にその島を訪れた男が、18歳になった娘と再会するんだけど、これがブリジット・バルドーで、映画が後半になっての、ようやくの登場だ。

 

ブリジット・バルドー自身も、役と同じ18歳で、一応、ビキニは着てるんだけど、セクシーさはミジンもない。髪もブルネットで、初々しくてチャーミングな少女といった印象だ。そして、この3年後の1955年、21歳から本格的に女優としての活動を始めるんだけど、『恋するレオタード』、『わたしのお医者さま』、『夜の騎士道』、『わたしは夜を憎む』と、どんどんエロ可愛くなって行ったブリジット・バルドーは、22歳でセックス・シンボルとしての頭角を現わし始める。1956年、22歳の時の作品、『この神聖なるお転婆娘』の日本でのポスターには、「ブリジット・バルドオ主演」の文字の横に、次のような宣伝コピーが書かれていた。

 

 

「ハイティーンからロマ・グレ(ロマンス・グレー)まで首ったけ!世界を征服したエロ・ベビィ B・Bの粋でお洒落な最高傑作!」

 

 

‥‥そんなワケで、この時点では、まだブルネットだったブリジット・バルドーは、髪をブロンドに染め、トレードマークのセクシーな唇と甘ったるいしゃべり方でエロ可愛い路線を邁進して行くワケだ。男に甘えたり、ワガママを言って男を振り回したり、小悪魔的な魅力が全開のブリジット・バルドーに対して、正反対なのがジーナ・ロロブリジーダだった。美しく整った顔立ちの美女で、男には媚びず、何なら男もぶっ飛ばす。でも、好きな男の前では顔を真っ赤にしてしまうツンデレぶり。もちろん、これも演出だけど、そんなジーナ・ロロブリジーダが、あたしはブリジット・バルドーと同じくらい大好きだ。

 

あたしが特に好きなジーナ・ロロブリジーダの作品は、1958年の『恋はすばやく』、1961年の『九月になれば』、1965年の『バンボーレ』、1966年の『ホテル・パラディソ』など、他にもたくさんあるけど、ハリウッドデビューする前のイタリア映画、1954年の『パンと恋と夢』も大好きだ。イタリアの田舎の山の村が舞台で、その村に新しい警察署長が赴任してくるところから物語が始まる。エッジの丸っこいボンネットバスは、一番後ろにドアが付いてて、そこから新しい警察署長が降りてくるんだけど、クラシックカーが大好きなあたし的には、それだけでも萌えちゃうし、警察署長の愛車の「ザ・原動機付き自転車」も最高だ(笑)

 

で、ジーナ・ロロブリジータが演じてるマリアは、この村一番の貧乏で、この村一番の美女という設定だ。だから、めっちゃ美しいのに、着の身着のままのピラピラのワンピで、足はほぼ裸足で、吉田照美さんに乗っている‥‥じゃなくて、ロバに乗っている。そして、よその家の畑から盗んだものを売ったりして暮している。そんなマリアと若い警察官の恋、そして、新任の警察署長と産婆の女性との恋、この2つの恋が付かず離れず進んで行くイタリア式コメディーだ。

 

 

‥‥そんなワケで、あたしは、『シン・ゴジラ』も『君の名は。』も観てないけど、こうした昔の映画は、けっこう観てる。そんな中でも、このジーナ・ロロブリジーダの昔の作品の数々は、とっても楽しめるし大好きだ。以前、古本屋さんで、昔の『スクリーン』という映画雑誌を見つけて立ち読みしたら、ある映画評論家が「ジーナ・ロロブリジーダは顔が美人というだけで演技力はゼロだ」というような酷評をしていたけど、あたしは「はぁ?」って思った‥‥ってなワケで、ジーナ・ロロブリジーダの『パンと恋と夢』は、今、GyaOで無料配信しているので、この映画評論家とあたしのどちらが正しいか、ぜひ、実際の作品を鑑賞してみてほしいと思った今日この頃なのだ♪

 

 

『パンと恋と夢』(10月18日までの無料配信)
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00274/v09905/v0937700000000538213/

 

 

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2016.10.09

きっこの節電生活

世の中は、定期的に家電を買い替えるのがスタンダードっぽいけど、あたしは、メッタに家電を買わない。ノートPCを家電と呼んでいいのかは微妙だけど、あたしが新品で買った電化製品は、今、このブログを書いてるNECのノートPCが一番新しい。前のPCのハードディスクが電気ドリルで小渕優子して‥‥じゃなくて、クラッシュして、保証期間を過ぎてたので、思い切って買い替えた。

同じシリーズの新モデルが出たばかりだったので、前のモデルの在庫が半額になってて、定価10万円以上のものが5~6万円くらいになってたと思う。だけど、お金がなかったから、カードで10回払いにしてもらった。ちなみに、買ったのは5年前で、それ以降、新品の電化製品は何も買ってない。

そして、それ以前も、あたしは新品の電化製品をほとんど買ってない。1年くらい前に、ずっと使って来た電子レンジが壊れたので、処分費用を払って引き取ってもらったけど、この電子レンジは、15年以上も前に、新しい電子レンジを買うという友人から譲ってもらったものだった。何年か前に洗濯機が壊れた時も、リサイクルショップで一番安かった5000円の洗濯機を買って来て、これは今も使ってる。

あ、そうそう!そう言えば冷蔵庫は新品を買ったんだ!確か、7~8年くらい前の真夏に冷蔵庫が壊れて、すぐに何とかしないと中の食べ物がダメになっちゃう状況だったので、急いで近所のコジマ電気に行って、一番安かった4万円台の冷蔵庫を買ったんだ。もちろん今も使ってるけど、これがノートPC以外で、あたしが新品で買った「最後の家電」ということになる。ちなみに、これの前の壊れた冷蔵庫は、引っ越しする友人から譲り受けたものだったし、壊れた洗濯機も、やっぱり友人から貰ったものだった。

あとは、リサイクルショップで500円のトースターを買ったり、1500円のラジカセを買ったりはしてるけど、新品で買った電化製品と言えば、ここ20年、4万円の冷蔵庫と6万円のノートPCだけだ。あ、あと、8000円くらいで炊飯ジャーも買ってるか。他には、ヘアアイロンは新品を何度か買ってるけど、これは仕事用なので、自民党議員のように白紙の領収書ではなく、ちゃんと金額が明記されてる領収書をもらって、必要経費として計上してる。だから、あたしがプライベートで買った新品の電化製品は、ものすごく少ないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、家電に関して、あたしが若いころと今とで大きく変化したことは、「壊れても新しいものは買わない」という点だ。若いころは、テレビが壊れたら新しいテレビを買ってたし、何なら、今のテレビが壊れてないのに、大きくて性能がいいテレビが安くなってると、それに飛びついて買ったりもしてた。CDラジカセしかり、お部屋の間接照明しかり、別に困っていないのに、前のものがちゃんと機能してるのに、ちょっといいものを見つけると、それに飛びついて買ったりしてた。

でも今は、冷蔵庫や洗濯機のように「どうしても必要なもの」以外は、壊れたらそこで終わり、もう買わない、という生活形態に変わった。そのキッカケになったのが、2011年7月のテレビの「地デジ化」だった。それまで、あたしはテレビっ子だったから、ひとり暮らしなのに、リビングに31インチ、ベッドルームに21インチ、バスルームに14インチのテレビを置いてて、ビデオデッキ2台とレーザーディスクを積み重ねて、オーディオに接続してた。

だけど、2011年7月末にテレビが「地デジ」になり、画面には「砂嵐」しか映らなくなった。それでも、しばらくはビデオを観たりしてたんだけど、あたしは、テレビは時計代わり、新聞代わりに使ってたので、自然とラジオを聴くようになり、テレビは無用の長物になった。そして、引っ越しする時に、3台のテレビとビデオデッキやレーザーディスク、ついでにオーディオもすべて捨てた。そしたら、ものすごく気分がラクになった。

この時、掃除機も捨てたんだけど、母さんと2人で暮らす引っ越し先は小さな家で、ホウキとハタキと雑巾だけで簡単にお掃除ができるので、掃除機は不要になった。電子レンジも、もともとほとんど使ってなかったので、壊れたから捨てたけど、新しい電子レンジは必要なくなった。炊飯ジャーだけは、ご飯を炊く以外にも、いろいろな調理に使えるから、一応は持ってるけど、基本的には食べるぶんだけ土鍋で炊いてるので、使うのは月に数回だけだ。

もちろん、エアコンなんかは使わないし、夏の扇風機はもらいもの、冬のコタツは20年以上も使ってるものだ。他の冷暖房と言えば、うちわ、ゆたんぽ、もらいものの石油ストーブくらいだけど、ぜんぜん不便はしていない。どうしても暑くてたまらない時は、お風呂に半分くらい水を溜めて足を浸けたり、どうしても寒くてガマンできない時は、何枚も着込めば済む。

他にも、家の照明は少しずつ省エネ電球に交換して来たし、携帯電話の充電は小型のソーラー充電器を使ってるし、まつげくるんやPCのコードレスマウスの単4電池はエネループを使ってる。ただ、自宅にいる時は、PCだけはずっと付けっぱなしでラジコを流してるし、日ハムの試合がある時はパリーグTVを観てるから、それなりに電気は使ってる。こんな感じの生活で、我が家の1カ月の電気料金は、高い時で1500円超、安い時で1000円ちょいだ。目標は「1000円以下」なんだけど、未だに達成できてない。

それでも、マンションでひとり暮らしをしてた時には、観てなくてもテレビは付けっぱなしだったし、掃除機や電子レンジも使いまくりだったので、1カ月の電気料金は3000円前後だった。だから、そのころと比べたら、2人暮らしになったのに電気料金が半額以下になったワケで、ずいぶん無駄な電気を使わなくなったもんだと思ってる。


‥‥そんなワケで、ずいぶん前に、ご夫婦と子ども2人の4人家族で1軒屋で暮らしてて、1カ月の電気料金が500円というご家族が紹介されてた。奥さんがラジオに出演して、節電生活のコツを話してたけど、「常にすべての電源コードを抜いておいて待機電力を節約する」とかの、あまりの徹底ぶりに、正直、「あたしには無理だ」と思った。だけど、何もそこまで徹底しなくても、テレビを捨ててラジオを聴き、掃除機を捨ててホウキを使い、電子レンジを捨てて土鍋で調理するだけで、簡単に1000円単位の節電ができることが分かった。年間にすれば1万円以上の節電になるし、それ以前に、「新しい家電が発売されるたびに欲しくなる」という「エンドレスの無駄遣い」から解放されたことが、あたしにとって最大のメリットになったと思う今日この頃なのだ。


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