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2016.10.15

ボブ・ディランがノーベル文学賞授賞、その波紋と雑感

今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに決まったというニュースが、いろいろな意味で各方面に波紋を広げている。これまで100年を超えるノーベル文学賞の歴史で、ミュージシャンへの授賞は初めてだからだ。ノーベル文学賞と言えば、日本人での受賞者は1968年の川端康成と1994年の大江健三郎の2人だけど、ともに「小説家」として受賞しているし、過去の受賞者の大半が、「小説」「詩」「戯曲」というジャンルから選出されているからだ。

そんなノーベル文学賞の色合いが微妙に変わったのが、昨年、2015年だ。昨年の受賞者、 ベラルーシ人のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、小説家でも詩人でも戯曲作家でもなく、ジャーナリストだった。そして、これまでに書き続けて来た「ノンフィクション」が受賞の対象になったのだ。ノーベル文学賞の大半は「創作」であり、過去には一度だけ「伝記」が対象になったこともあったけど、このようなジャーナリストによるノンフィクションが対象になったのは初めてのことだった。

そして、今回のボブ・ディランにしても、突然、決まったことではなく、何年も前から名前が挙がっていたそうだ。詩人のアーサー・ビナードさんは、ボブ・ディランの歌詞を和訳したことがあるため、数年前からノーベル文学賞の時期が近づくたびにコメントを求められていたという。

ちなみに、よく「今年も村上春樹が候補に挙がっている」とか言う人がいるけど、ノーベル文学賞に「ノミネート」というものはなくて、「今年は誰々が受賞するんじゃないか」というのは、海外のブックメーカーなどが独自に予想して名前を挙げているだけだ。村上春樹もボブ・ディランも海外のブックメーカーで毎年の常連で、今年は村上春樹が2位、ボブ・ディランが7位だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今年のノーベル文学賞の有力候補と見られていたのは、シリアの詩人アドニスと、ケニアの小説家グギ・ワ・ジオンゴの2人だったそうだ。あたしは勉強不足で、どちらもまったく知らないけど、ノーベル文学賞は、芥川賞や直木賞のように「作品」が対象ではなく、その人の長年の活動が対象なので、きっとどちらも多くの素晴らしい作品を生み出してきた作家なのだろう。そして、そんな中でのボブ・ディランの受賞に対して、批判的な人たちもいる。フランスの小説家ピエール・アスリーヌは、次のように批判した。


「ここ数年、候補としてボブ・ディランの名前が挙がっていたが、私は冗談だと思っていた。今回の決定は、われわれ作家を侮辱するようなものだ。私もディランの歌は好きだが、彼の歌のどこに文学があるというのか?スウェーデン・アカデミーは自分たちに恥をかかせたと思う」


日本では村上春樹の受賞を待っている多くのファンがいるように、アメリカでもフィリップ・ロス、ジョイス・キャロル・オーツ、ドン・デリーロという3人の文豪とそのファンが、何年間も受賞を待っている。また、長い年月、最有力候補と言われ続けたのに、結局、受賞できないまま1988年に亡くなってしまったアルゼンチン出身の小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスもいる。こうした背景から、今回のボブ・ディランの受賞には、文学界からの批判が多い。スコットランドの小説家アービン・ウェルシュに至っては、ツイッターに汚い言葉を羅列して怒りを爆発させた。


‏@IrvineWelsh 10月13日
I'm a Dylan fan, but this is an ill conceived nostalgia award wrenched from the rancid prostates of senile, gibbering hippies.
「私はディランのファンだ。しかし(今回のノーベル文学賞は)、もうろくしてわめき立てているヒッピーどもの悪臭がする前立腺からひねり出されたノスタルジックな賞でしかない」


そして、アービン・ウェルシュは、「文学は文学、音楽は音楽、別のジャンルだ。音楽もノーベル文学賞の対象になるのなら、映画だって対象にしなくてはならない。そうなると収拾がつかなくなっていまう」とも指摘している。しかし、その一方で、イギリスの作家サルマン・ラシュディは、同じツイッター上で、今回のスウェーデン・アカデミーの選択を賞賛している。


@SalmanRushdie 10月13日
From Orpheus to Faiz,song & poetry have been closely linked. Dylan is the brilliant inheritor of the bardic tradition.Great choice.
「(ギリシア神話の吟遊詩人)オルフェウスから、(パキスタンの詩人)ファイズに至るまで、歌と詩とは密接なつながりを持って来ました。ボブ・ディランは吟遊詩人の伝統を受け継いだ才能ある後継者です。(今回の授賞は)素晴らしい選択です」


‥‥そんなワケで、勘違いしないでほしいのは、今回の問題で批判的な意見を言っている人たちの大半が、ボブ・ディランを批判しているのではなく、ノーベル文学賞の対象を音楽というジャンルにまで拡大したスウェーデン・アカデミーの判断を批判しているということだ。ピエール・アスリーヌは「彼の歌のどこに文学があるというのか?」と疑問を呈したけど、これはボブ・ディランの書いた歌詞が「文学的ではない」と批判しているのではなく、あくまでも「文学賞なら文学のみを対象にすべきだ」という主張から発展した表現と理解したい。

事実、今回の授賞を「とてもユニークな選択だ」と肯定的に評価しているアメリカの文豪ジョイス・キャロル・オーツは、「常に心に残る彼の音楽と歌詞は、とても深い部分で文学的に感じられる」とコメントしている。つまり、今回の授賞を批判している人たちも祝福している人たちも、総じて「ボブ・ディランの音楽は認めている」ということになる。


‥‥そんなワケで、ボブ・ディランと言えば、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリングストーン」が代表曲に挙げられるけど、どちらも「ベトナム戦争」という背景から生まれた歌なので、反戦や格差がテーマのプロテストソングだ。せっかくノーベル文学賞を授賞したのだから、あたしの好きな「マスターズ・オブ・ウォー」も含めて、この3曲の冒頭の部分だけをザックリと「きっこ訳」で紹介しようと思う。


「風に吹かれて」

人はどれくらい歩き続ければ、人として認められるのだろうか
白い鳩はどれくらい海の上を飛び続ければ、砂浜で休むことができるのだろうか
そして、どれくらい多くの砲弾が飛び交えば、永久に禁止されるのだろうか
友よ、その答えは、風に吹かれている
その答えは、風に吹かれている


「ライク・ア・ローリングストーン」

昔は派手に着飾って、浮浪者に10セント硬貨をめぐんでやってた時もあったよな
みんなは言ってたぜ、「お嬢さん、そんなことしてると、あんたも堕ちてしまうぜ」って
でも、あんたは高笑いして、周りの忠告を相手にしなかった
だけど、今は違う
プライドも何も失ったあんたは、あちこちで食べ物をあさって暮してる
どんな気分だい?
どんな気分だい?
帰る家も失い、誰からも相手にされず、まるで転がる石のようになっちまってさ


「マスターズ・オブ・ウォー」

戦争ビジネスの親玉さんたち
すべての銃器を生産し続ける皆さん
人殺しのための飛行機を作り続ける皆さん
ありとあらゆる爆弾を作り続ける皆さん
そして、自分たちだけは安全な壁の後ろに隠れ、机の下に身を潜めている皆さん
そんな皆さんに言いたいことがある
それは、「あなたたちの正体は丸見え」だってことさ

決して自分の手は汚さずに、破壊しかしない皆さん
俺の大切な世界を、まるでオモチャのようにもてあそぶ皆さん
そして、俺の手に銃を握らせたくせに、
弾丸が飛び始めたら、自分たちだけ一目散に逃げ出した皆さん

ユダのように嘘をつき、人々を欺き、戦争に勝てると信じ込ませる皆さん
でも、あなたたちの目に映っているもの、脳裏に描かれているものは、すべてお見通しだよ
まるで、排水管を流れる水のように、透けて見えてるよ

他人に銃を持たせ、引き金に指をかけさせ、そして、撃たせ続けている皆さん
ずっと下がった安全な場所から、それを眺めている皆さん
そして、戦死者の遺体が山のように積み上がると、急いで逃げ帰ってご自慢の官邸の中に隠れる皆さん
多くの若者たちが血を流し、泥の中に埋められているというのに


‥‥そんなワケで、「ライク・ア・ローリングストーン」は、1番だけだとイマイチ分かりにくいと思うけど、これは、ブルジョアのお嬢さんが、大きく動く時代の中で、たぶん実家が破産したか何かで、転がる石のように堕ちて行った様子を描いてる。だけど、単に「ざまあみろ」と歌っているのではなく、社会の底辺にまで堕ちて、初めて見えて来たものがあるだろうということを歌ってる。ま、典型的なプロテスタントソングと言えるだろう。

一方、あたしの好きな「マスターズ・オブ・ウォー」では、ド直球の反戦ソングなので、ちょっと長めに紹介した。もっと詩的に、もっと文学的に訳せれば良かったんだけど、けっこう過激な歌詞なので、意味を正確に伝えることに重点を置いてみた。ま、あたしの訳じゃお話にならないとは思うけど、ボブ・ディランにはこうしたプロテストソングだけでなく、いろいろな作品がある。たとえば、殺人の冤罪で投獄されたボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの無実を訴えた「ハリケーン」とか、ニューヨークで殺害されたマフィアのジョーイ・ギャロへの追悼歌「ジョーイー」とかは、そのストーリー性から「吟遊詩人」をイメージさせる。

あたしは、もともと、それほど好んでボブ・ディランの歌を聴いてたワケじゃないけど、ボブ・ディランがDJを担当して、2006年から2009年にかけてアメリカの衛星ラジオで計100回ほど放送した「Bob Dylan's Theme Time Radio Hour」という番組があって、それをinterfmで放送してるのを聴いてるうちに、トークが面白すぎて、すごく興味を持つようになった。interfmの放送では、最初に本編をそのまま流し、そのあとにピーター・バラカンさんが解説してくれてたので、分かりにくい英語の言い回しとかギャグとかも良く理解できたし、すごく楽しめた。


‥‥そんなワケで、今回のノーベル文学賞は、13日の午後1時(日本時間の13日午後8時)に発表されたけど、発表から4時間が経ってもスウェーデン・アカデミーはボブ・ディランと連絡が取れていないという。ボブ・ディランは、現在、ツアー中で、ツアーマネージャーとは連絡が取れたそうだけど、「寝ている」と言われて本人は電話に出なかったそうだ。でも、仮にもノーベル賞の授賞の電話なのだから、普通なら寝てても揺り起こすよね?だから、これはあたしの想像だけど、ボブ・ディランは「そんなものいらないから『寝ている』とでも言って電話を切ってくれ」って言ったんじゃないのかなあ?その後に行なわれたラスベガスのライブでも、ノーベル文学賞に関することはひと言も話さなかったそうだし、もしかすると、本人は授賞を迷惑がってるような予感もする。正式に授賞したんだから、批判なんか気にしないで堂々と受け取ってもぜんぜん問題はないんだけど、ボブ・ディランのスタンスから考えると、あたし的には、ここで辞退したら最高にカッコイイのになあ‥‥なんて思ってみた今日この頃なのだ。


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