ジョジョと犬夜叉の共通点
こないだラジオを聴いてたら、若い女子アナが「私はアニメが大好きで、今放送してるアニメはぜんぶ観てます!」とか言ってて、あたしは驚いた。だって、ここ数年で大人を対象にした深夜枠のアニメが一気に増えてきて、今じゃ週に50本近くのアニメが放送されてるのに、それをぜんぶ観てるなんて、ちょっと考えられない。中には1本10分以下の短いアニメもあるけど、たいていは25分だから、50本ぜんぶ観たら約20時間、毎日3時間もアニメを観続けなきゃならない。
もちろん、すべてをリアルタイムで観てるんじゃなくて、たぶん大半は録画して観てると思うから、OPやEDやコマーシャルは早送りしてるだろうけど、それでも毎日3時間弱はアニメを観続けてるワケで、よほどのアニメ好きじゃないと厳しいと思う。ま、今はスマホやタブレットでも観ることができるから、食事をしながら観たり、お風呂に入りながら観たりしてるのかもしれないけど、それでも毎日3時間もアニメを観続けるなんて、あたしには絶対に無理だ。
それから、通称「ネトゲ」と呼ばれてるネットゲームが大好きで、複数のネットゲームを並行して楽しんでる人もたくさんいるみたいだけど、これも、あたしには理解できない。理解できないというよりも、あたしには時間的に無理だから、どうして複数のネトゲを並行してできる人がたくさんいるのか、それが不思議で仕方ない。
あたしは、アニメは大好きだし、ネトゲも好きでやってるけど、今、観てるアニメは、「ジョジョの奇妙な冒険」の第4期と「魔法つかいプリキュア」と「夏目友人帳 伍」の3本だけで、これ以外のアニメはいっさい観てない。今、遊んでるネトゲは、「式姫の庭」の1本だけで、これ以外のネトゲはいっさいプレイしてない。つーか、これがあたしの限界で、これ以上のアニメを観る時間も、ネトゲをプレイする時間もない。
あたしは、アニメもネトゲも好きだけど、それよりも読書が好きだし、母さんと2人で食事をしながらおしゃべりをするのが好きなので、自分の優先順位に従って生活してると、当然、優先順位の低いアニメやネトゲに使える時間は限られてくる。そして、その限られた時間の中で楽しもうと思ったら、多くの選択肢の中で「一番気に入ったもの」だけをセレクトして、それをトコトン楽しむしかないと思ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、今放送してるアニメの中では、「ジョジョの奇妙な冒険」の第4期と「魔法つかいプリキュア」と「夏目友人帳 伍」の3本だけしか観てないけど、ここんとこ、「ジョジョの奇妙な冒険」が最高にシビレる展開になってきた。あたしは、「ジョジョ」と呼ばれる主人公の中では空条承太郎が一番好きで、スタンド使いの中ではイギーが一番好きだから、当然、第3部が一番好きなんだけど、今回のテレビ版の第4部は、制作サイドの「ジョジョ愛」がビンビンに伝わってくる素晴らしい作品になってる。
第4部の山場は、もちろん、吉良吉影のキラークイーンとジョジョたちとの戦いだけど、今回のテレビ版アニメでは、先週から「OP曲とOP動画を巻き戻し的なアレンジ」にして、吉良吉影の能力と恐さを演出してる。これは、第3部のテレビアニメのEDで「オインゴ&ボインゴ」の特別バージョンを使った時を超える最高のファンサービスだ。あたしは、あまりの意外性にシビレまくった。
キュルキュルというカセットテープを巻き戻す時のような効果音とともに、場面が反転して進むというOP動画の演出は、新しい動画を制作せずに、編集だけで制作できるワケだけど、あたしみたいな昔からのジョジョオタクとしては、マジで心臓をワシ掴みにされるほど最高のプレゼントだった。あまりにも感動して、あたしは3回も繰り返して観ちゃったほどだ。
この演出は、かつて「サムライ・チャンプルー」でも多用されてて、「サムライ・チャンプルー」のパチンコ台でも、一度大当たりを外したあとに、一瞬の間があって、盤面のカセットテープの役物がキュルキュルと巻き戻しされて、同じシーンが繰り返されて、今度は大当たりするというドキドキワクワクの演出があったけど、あれをホーフツとさせる。
‥‥そんなワケで、原作の漫画のファンとしては、その作品がアニメになった時にガッカリすることがよくあるけど、この「ジョジョの奇妙な冒険』に関しては、原作の漫画と同じくらいにテレビアニメも素晴らしい。あたしの一番好きな第3部は、それ以前のシリーズと同じように、テレビアニメになる前にOVA版のアニメになってるけど、これも、原作とは違う部分が数々あるのにも関わらず、これはこれで素晴らしかった。
たとえば、あたしの一番好きなイギー、原作でもテレビ版アニメでも、エジプトに着いたあとに鳥公と戦って、前足を1本失う。そして、前足を1本失った状態でジョジョたちと一緒にDIOの屋敷に乗り込み、バニラアイスの攻撃を受けて絶体絶命のポルナレフを助けるために、命を落とす。あたしは、今でもタマに漫画を読んで、このシーンで号泣するほどイギーのことが大好きだ。
でも、テレビ版アニメの前にリリースされたOVA版アニメだと、この部分がぜんぜん違う。まず、鳥公が登場せず、イギーは無傷のままDIOの屋敷に入る。そして、バニラアイスとポルナレフの戦いでも、あの渦巻き状に襲ってくるバニラアイスのスタンド攻撃は現れず、部屋の床が崩れて地下へと落ちたポルナレフをイギーが追っていく。
そして、バニラアイスとのタイマンでポルナレフがヤバイ状況になった瞬間、イギーのザ・フールが強力な砂の塊となってバニラアイスに一撃を食らわせ、ポルナレフを救うのだ。そんな流れで助かったポルナレフが、イギーに礼を言った瞬間、バニラアイスの攻撃でイギーは体を切断され、息絶える。完全に怒ったポルナレフは、シルバーチャリオッツの連続攻撃でバニラアイスにトドメを刺し、そして、切断されたイギーの上半身を抱きしめる。原作とはまったく違うけど、このOVA版アニメの展開でも、イギーとポルナレフとの関係性はきちんと保たれてて、これはこれで思いっきり泣ける。
‥‥そんなワケで、あたしは、「ジョジョの奇妙な冒険」では、やっぱり第3部が一番好きなんだけど、今、GyaOで「犬夜叉」の完結編を無料配信してて、それもチョコチョコと観てるあたしは、あたしの大好きな「ジョジョの奇妙な冒険」と、これまた、あたしの大好きな「犬夜叉」とに、あまりにも多くの共通点があることに気づいてしまった。あたしは、どちらの作品もメッチャ大好きだから、どちらが先だとか、どちらがどちらをパクッただとかを検証したいワケじゃなくて、ただ単に、あまりにも共通してる部分が多いと気づいたから、「あたしの好きなストーリーの傾向」を考えるために、気づいたことを書き出してみようと思ったのだ。
高橋留美子先生の「犬夜叉」、荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」、どちらも日本の漫画史上に残る「大河ドラマ」ならぬ「大河漫画」だけど、どちらにも共通する最大のテーマは、因縁ある最強の敵を倒すために何世代にもわたる戦いを続けるという本流だ。「犬夜叉」では奈落、「ジョジョの奇妙な冒険」ではDIOがそれにあたるワケだけど、「犬夜叉」がタイムリープと「妖怪だから人間の寿命を超えて長生きして戦える」という設定なのに対して、「ジョジョの奇妙な冒険」では、ジョースター家の血を引く「ジョジョ」たちが戦い続けるという違いがある。
でも、もっともっと細部にわたって比較してみると、あまりにも似過ぎてる部分が「これでもか!」というほど見つかる。たとえば、「犬夜叉」の殺生丸の天生牙による「冥道斬月破」、これは時空を切り裂いて敵の体を「あの世」へ送ってしまう恐ろしい技だけど、殺生丸が使ってる時には、あたしは気づかなかった。だけど、後に殺生丸がもともとの「冥道斬月破」の使い手である死神鬼と対峙して、サイズは小さくても完全な円を描く本物の「冥道斬月破」の連打を浴びた時、あたしは「これってジョジョのバニラアイスの攻撃と同じじゃん!」と気づいたのだ。
もっと遡ると、「ジョジョの奇妙な冒険」の第2部で、ワムウはジョセフ・ジョースターの心臓の動脈に毒を仕込んだリングをはめて1カ月後の戦いから逃げないようにしたけど、「犬夜叉」では、奈落が神楽の心臓を掴んで、神楽が逃げないようにした。ま、こういうシチュエーションは、漫画やアニメに限らず定番だから、別に「偶然の類似」とは言えないけど、どちらの作品も大好きなあたしから見ると、やっぱり「似てるな~」って思ってしまう。
細かい技で言えば、ジョセフ・ジョースターがハーミット・パープルを腕から伸ばして相手を攻撃したり巻きついたりするのは、奈落が腕からイバラのような触手を伸ばして攻撃する技に似てる。花京院のハイエロファントグリーンのエメラルド・スプラッシュは、犬夜叉の鉄砕牙から繰り出される金剛槍破に似てる。エメラルド・スプラッシュはエメラルド、金剛槍破は金剛石(ダイヤモンド)、どちらも硬度の高い宝石を無数に発射する点がソックリだ。
ま、こうして様々な能力を持つメンバーでパーティーを組んで敵を追っているのだから、その中に「火」を得意技にしたメンバーがいるのは定番だし、飛んで来る銃弾をも空中で溶かしてしまうモハメド・アヴドゥルのマジシャンズレッドと、相手を驚かせるだけで、ほとんど攻撃力のない七宝ちゃんの狐火とを「似てる」とは、あたしは言わない。だけど、「ジョジョの奇妙な冒険」の第3部で、空条承太郎のスタープラチナが、空を覆い尽くしたエンヤ婆の霧のスタンド、ジャスティスを、まるでダイソンの掃除機のように口で吸い込んで消滅させちゃった時には、「これって完全に弥勒さまの風穴じゃん!」って思った。
他にも、「ジョジョの奇妙な冒険」の第2部に登場した、「ナチスの化学は世界一イイイイイ~!」でお馴染みのドイツ軍人シュトロンハイムは、自分の体を兵器に改造して戦ったけど、「犬夜叉」でも七人隊の銀骨は、自分の体を戦車のように改造して犬夜叉たちと戦った。ま、こういうのにしても、古くは「サイボーグ009」の004みたいな例もあるから、ある意味、定番ちゃ定番なんだけど、どちらも大好きな作品だからこそ、気にし始めると気になっちゃう。
‥‥そんなワケで、あたしが「ジョジョの奇妙な冒険」と「犬夜叉」が似てると思ったキッカケは、どちらが先だったかは忘れちゃったけど、やつぱり、宿敵であるDIOと奈落の類似点だ。DIOは首だけになっても生きていて、首から何本もの触手を出してジョナサン・ジョースターの肉体を奪い取ったワケだけど、奈落も首だけで生きていて、その首から何本もの触手を出して相手を攻撃したり、他の妖怪を殺して自分の体にしたりした。ま、これにしても、「ジョジョの奇妙な冒険」や「犬夜叉」が最初というワケじゃなくて、昔からよくあるパターンの1つなんだけど、DIOと奈落ってキャラが似てるから、あたしはすごく気になった。
それから、「犬夜叉」のラストのちょっと手前で、奈落をやっつけたと思った瞬間、かごめが四魂の玉の中の宇宙空間みたいな異世界へ連れ去られてしまい、そこでは奈落の首だけが蜘蛛の巣の中で再生の時を待ってたけど、これって、「ジョジョの奇妙な冒険」の第2部のラストで、火山の噴火を利用して宇宙空間まで飛ばされたカーズが、もう地球には戻れないことを悟り、自らの肉体を鉱物化させて、「そのうち考えるのをやめた」というシーンと同じフレーバーを感じた。
他にも、挙げ出すとキリがないくらい、「ジョジョの奇妙な冒険」と「犬夜叉」には似てる点があるんだけど、その1つ1つを見てみると、どれもが「こういうタイプのストーリーにはありがちな点」であって、この2作品に限ったことじゃないと分かった。ようするに、RPGの「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」に数多くある類似点は、この2作に限ったことじゃなくて、他のRPGにも共通してる「お約束」というワケだ。
‥‥そんなワケで、「ジョジョの奇妙な冒険」の他に、あたしが観てるアニメ「魔法つかいプリキュア」にも、他の作品との類似点はたくさんある。プリキュアシリーズとの類似点は「伝統芸能」だからOKだけど、別のシリーズである「美少女戦士セーラームーン」や「おジャ魔女どれみ」との類似点もたくさんあるし、もっと昔の作品との類似点も多い。でも、それがまったく気にならないのは、決して「パクリ」ではなく、「定番」や「お約束」だからだ。そして、あたしが観てる、もう1つのアニメ、「夏目友人帳 伍」も、他の作品との類似点がいろいろとあるけど、やっぱり気にならない。それは、それらの類似点が「定番」や「お約束」だというだけでなく、ストーリーの大前提が「妖怪を倒す」じゃなくて「妖怪に名前を返して助けてあげる」という設定だからだ。勧善懲悪を王道としてきた日本のアニメにおいて、この設定はホントに心が安らぐ。だから、あたしは、敵を徹底的に倒す「ジョジョの奇妙な冒険」と、敵と戦いながらも敵に愛を送り続ける「プリキュア」と、異世界の者を敵ではなく友人と見て手を差し伸べる「夏目友人帳」という3作のアニメを観て、心のバランスを保ってるんだと思った今日この頃なのだ。
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