きっこの反・恵方巻き論
最近は東日本でも、春の節分が近づくと、どこのコンビニでも恵方巻きのポスターが貼られたり、スーパーでお買い物をするとレシートと一緒に恵方巻きの予約シートを渡されたりするようになったけど、ハッキリ言わせてもらうと、あたしは恵方巻きという習慣が大嫌いだ。だから今回は、批判を覚悟で、恵方巻きを徹底的に否定させてもらおうと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今日は言いたいことがマウンテンなので、マクラは最短にしてトットと本題に入っちゃうけど、まず、あたしは東京生まれ東京育ちなので、子どものころから恵方巻きなんて習慣はなかった。春の節分の日は、豆撒きして、自分の年の数だけ豆を食べる。それだけだった。「年の数+1個」という地域もあるけど、あたしの生まれ育った渋谷区は「年の数」だった。
それが、今から19年前の1998年に、セブンイレブンが恵方巻きの全国販売を始めたことによって、ナニゲに関東にも恵方巻きの習慣が広まってきたのだ。だから、あたしにとっては、大人になってから進出してきた「よその地域の習慣」であって、あたしの生まれ故郷である東京にはまったく関係ない文化なのだ。
次に、これは基本的なことだけど、あたしは太巻き寿司が嫌いだ。うどんよりもお蕎麦が好きで、ラーメンも太麺より細麺が好きなあたしは、太いものと細いものがあった場合は細いほうが好きなので、巻き寿司も太巻きより細巻きのほうが好きなのだ。さらに言えば、細巻き寿司は基本的に具が1種類で、鉄火巻きならマグロの赤身、カッパ巻きならキュウリの味をちゃんと楽しめるし、具が2種類の梅キュウリ巻きとかでも、ちゃんと味を考えて作られてる。でも、海鮮やキュウリなどから甘い玉子焼きや桜でんぶに至るまで、節操なく何でも巻き込んである太巻き寿司は、味よりも見た目のカラフルさを優先してあって、ひとくちで食べると、一体、何の味なのか分からない。だから嫌いなのだ。
それから、「その年の恵方に向かって丸かぶりする」という説明の「丸かぶり」という言葉が嫌いだ。東京生まれ東京育ちのあたしにとって、「丸かじり」という言葉は子どものころから使って来たけど、「丸かぶり」なんて聞いたこともなかった。ステージに一番近い席を「かぶりつき」と言うのは知ってたけど、食べ物に対しての「丸かぶり」なんて言葉、恵方巻きが東京に進出してくるまでは聞いたこともなかった。だから違和感を覚えるし、何よりもあたしの大嫌いな虫、「マイマイカブリ」を思い出してしまうのだ。あの先細りのヒョウタンみたいなヘンテコなフォルムの虫が、カタツムリの殻の中に細長い頭を突っ込んでカタツムリの肉を「丸かぶり」してる様子を想像しちゃって、気持悪くなってくる。
その上、あたしが世界で一番嫌いな「ゴキブリ」、あれももともとは「御器かぶり(ごきかぶり)」と言って、人の使った食器を舐めて食べカスをあさるという意味の名前が語源と言われてる。だから、あたしにとって、この「丸かぶり」という表現は、聞いただけで気持ちが悪くなるのだ。
さらには、この「丸かぶり」という言葉だけでなく、太巻き寿司を切らずに丸ごと食べるという行為自体が、あたしは大嫌いなのだ。あたしは太巻き寿司より細巻き寿司のほうが好きだけど、その細巻き寿司でさえ、ちゃんと切って食べないと美味しく感じられないのに、太巻き寿司を切らずに食べるなんて、まるで野蛮人だ。第一、色とりどりの複数の具材を巻き込んだ太巻き寿司は、味よりもカットした断面の美しさこそが持ち味なのに、歯で食いちぎった汚らしい断面なんか見たくもない。
‥‥そんなワケで、以上の理由により、あたしは恵方巻きという習慣が大嫌いなんだけど、やっぱり一番の理由は、最後に挙げた「歯で食いちぎった汚らしい断面」だ。あたしが小学生の時、バス遠足でリンゴ狩りに行ったんだけど、あたしの目の前で引率の男の先生が、もぎたてのリンゴをジャージの袖で磨いてからガブッと丸かじりした。そして、そのリンゴをあたしたちに見せながら「うまいぞ!」と言って笑ったんだけど、そのリンゴには先生の歯の形がハッキリと分かる歯形が付いてた上に、うっすらと血が付いてたのだ。これがトラウマになり、それ以来、あたしは、他人の歯形の付いた食べ物を見ると気持ち悪くなるようになった。
あたしのこの感覚は、リンゴの丸かじりは歯形がハッキリと残るから嫌だけど、バナナなら問題ないし、モモでも柔らかいモモならセーフ‥‥って感じで、けっこう微妙な部分がある。そして、太巻き寿司の場合は、食いちぎってもリンゴのような歯形は残らないけど、包丁で切った美しい断面とは違って、歯で食いちぎった断面ならではの「海苔のちぎれ方」や「酢飯の圧縮具合」や「飛び出した具材」などアレやコレやの汚らしさがあるから、やっぱり気持ち悪くなるのだ。
太巻き寿司と同じく、周りが海苔で中がごはんと言えば、おにぎりがある。だけど、おにぎりは最初からそういうふうに食べるものとして作られてるから、誰かの食べかけのおにぎりを見ても、あたしはぜんぜん汚らしいとは思わない。おにぎりの場合は、太巻き寿司よりもごはんがフワッとしてるし、もともと包丁で切って食べるように作られてないから、何とも思わない。だけど、太巻き寿司の場合は、酢飯をしっかりと巻いてあるから、おにぎりよりもごはんの密度が高く、粘り気もあるため、その断面に「誰かが食いちぎった」という生々しさが残るのだ。
別に、他人の食いちぎった断面を直接は見ないとしても、春の節分の日に、全国で数えきれないほどの人たちが太巻き寿司を「丸かぶり」して、歯で食いちきった汚らしい断面を量産してるのかと思うと、それだけであたしは気持ちが悪くなってくる。だからあたしは恵方巻きという習慣が大嫌いなのだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、歯形が付かない食べ物でも、たとえば、ラーメンとかお蕎麦とかでも、ひとくちで食べ切れないほどの麺をお箸で持ち上げて頬張り、途中で麺を噛み切って丼に戻す人、あれが死ぬほど嫌いだ。麺類はひとくちで啜り切れるだけの量をお箸で持ち、途中で噛み切らずに最後まで啜り切ってほしい。だから、あたしは、「大食い選手権」的なテレビ番組はなるべく観ないようにしてる。
自己分析してみると、結局のところ、あたしは「歯形のあるなし」じゃなくて、汚らしい食べ方が嫌いであり、誰かの食べかけであることがハッキリと分かる形態や状況が嫌いなんだと思う。そして、太巻き寿司を食いちぎるという行為は、頬張った麺を噛み切って丼に戻すことと同じで、一度は歯に触れた食べ物を飲み込まずに、口の外へ戻すという点がガマンできないんだと思う。
たとえば、お寿司を大きな桶で出前してもらい、みんなで食べる場合、普通はそれぞれの取り皿に食べたいお寿司を取って、それから食べるよね。だから、大きな桶のお寿司は減っていくけど、ぜんぜん汚らしくない。それは、桶に残ってるお寿司が、すべて「誰も手をつけてないもの」だからだ。でも、誰か1人が、半分だけ食べたマグロの握りを桶に戻したらどうだろう?一気に桶全体が汚らしく感じてくると思う。あたしは、この「一度、口に入れたものを戻す」という行為がダメなのだ。
‥‥そんなワケで、東京で巻き寿司と言えば細巻きで、それもカンピョウ巻きに限る。さらに言わせてもらえば、カンピョウにワサビを入れた「さびかん」こそが、粋でイナセな東京の巻き寿司の代表格だ。甘いカンピョウ巻きにワサビのツンとした刺激が加わると、子どもに人気のカンピョウ巻きが、とたんに大人の味わいを醸し出す。東京の江戸前のお寿司屋さんで「さびかん」を注文すれば、板前さんから「この客は本物だな」って思われることウケアイだ。
この「さびかん」に、やっぱり細巻きの鉄火巻きとカッパ巻き、そして、まっ黄色の東京タクアンを細く切って巻いたお新香巻きが加わればパーフェクトだ。そして、こうした細巻き寿司でも、当然、ひとくちサイズに切り、切り口を上にして美しく並べ、それから食べる。鉄火巻きの赤、お新香巻きの黄色、カッパ巻きの緑でラスタカラーになり、そこに「さびかん」の茶色が加わると、脇に添えたガリの薄い桃色と相まって、とても美しくなる。それに、すべてひとくちで食べ進められるから、自分1人で食べても、何人かで仲良く食べても、お皿の上に食べかけのものは1つもなく、最後まで美しく食べられる。
あたしは太巻き寿司が嫌いだけど、東京にも太巻き寿司はあるし、太巻き寿司と細巻き寿司と稲荷寿司がセットになった「助六寿司」は有名だ。だけど、こうした太巻き寿司は、すべて薄めのひとくちサイズに切られていて、断面の美しさを楽しむことが前提だ。「助六寿司」の折詰をひらくと、まず初めに目に飛び込んでくるのが、太巻き寿司の断面の美しさだ。でも、実際に食べ始めると、やっぱり美味しいのは細巻き寿司や稲荷寿司で、太巻き寿司は具材が多くて何の味なのか分かりにくい。
‥‥そんなワケで、今回は批判を覚悟で書かせてもらったけど、あたしは何も恵方巻き自体を否定してるワケじゃなくて、あくまでも「太巻き寿司を切らずに丸かぶりする」という行為が汚らしく感じられるから嫌いだと言ってるのだ。だから、あたしは、節分の日に恵方巻きなんか買わないけど、もしも誰かがくれたとしても、きちんと包丁でひとくちサイズに切ってから、恵方に向かってそれを食べる。だって、どうせ同じものを食べるのなら、少しでも美しく、少しでも美味しく食べるのが、その食べ物に対する礼儀だと思う今日この頃だからだ。
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