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2017.01.09

小説の映画化という功罪

あたしは、自分の好きな小説がドラマ化や映画化されることがあまり好きじゃない。あたしのイメージとかけ離れたキャスティングや、適当に端折ったような脚本は仕方ないとしても、原作には登場しない人物が重要な役回りとして現われたり、原作にはなかったシーンが盛り込まれたりと、あまりにも原作を軽視してるように感じるからだ。こういうドラマや映画って、原作の小説を読んでない人なら普通に楽しめるかもしれないけど、原作のファンとしては、これほど腹の立つことはない。あまりにも酷いものは、原作に対する冒涜のようにも感じられてしまう。

中でも最悪なのは、映画の動員数を稼ぐために、最初から人気アイドルの出演が決まってて、そのアイドルのために原作にはない登場人物を作るというパターンだ。百歩ゆずって、複雑なストーリーを分かりやすくするために、原作にはない登場人物を補足的に導入するとかなら分かるけど、ロクな演技もできないアイドルを動員数稼ぎのためにムリクリにキャスティングするなんて、原作のファンをバカにするのも保土ヶ谷バイパスだ。だから、あたしは、好きな小説をドラマ化や映画化したものは、なるべく観ないようにしてるし、観る時は「原作とは別物」と割り切って観るようにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは角田光代さんの小説が大好きで、ほとんどの作品を愛読してきたけど、角田光代さんは人気作家なので、その作品がドラマ化や映画化されることも多い。誘拐をテーマにした『八日目の蝉』は、永作博美さん主演で映画化されたし、横領をテーマにした『紙の月』は、原田知世さん主演でNHKでドラマ化され、その後、宮沢りえさん主演で映画化もされた。あたしは、どれも観たけど、どれもそこそこだった。キャスティングもそこそこだし、脚本もそこそこだったので、原作を読んだ上で観た人でも、それほどガッカリすることもなく最後まで観られるように作られてると思った。でも、これは、この2作品をそれほど好きじゃないあたしの感想だ。

あたしは、角田光代さんの小説は全体的に好きで、特に嫌いな作品はない。そんな中で、この『八日目の蝉』と『紙の月』は、まあまあ好きな作品ではあるけど、あたしのベスト10には入ってない。だから、たとえドラマや映画が原作のファンを裏切るような酷い内容だったとしても、あたしはそれほどガッカリすることもなく、「所詮は別物」と割り切ってたと思う。だけど、もしもこれが、あたしの「マイ・フェバリット小説」である『対岸の彼女』だったりしたら、ガッカリした気分を何年間も引きずることになり、とても割り切ることなんてできやしない。だから、あたしは、2006年にWOWOWでドラマ化された『対岸の彼女』を、今までずっと観ることができなかった。

このドラマは、レンタルショップにDVDがあるし、あたしの友人もDVDを持ってるから、いつでも観ることはできた。だけど、これまでに数えきれないほど読み返してるのに、それでも読むたびに号泣するほど大好きな小説だから、あたしの頭の中にできあがってるイメージを壊されるのが恐くて、ドラマを観ることができなかったのだ。

この小説は、楢橋葵という女性のことを2つの視点から描いている作品で、1つは30代半ばの現在の葵を同世代の小夜子の目から見たもの、もう1つは高校時代の葵自身が親友であるナナコを通して自分を見つめたもの。この2つの世界が章ごとに交互に進んで行き、最後に融合するんだけど、あたしはとにかくナナコのことが大好きで、葵とナナコがやり取りするセリフはすべて暗記してしまったほど、何度も何度も読み返してきた。

そして、去年の暮れから今年のお正月にかけて、この『対岸の彼女』の葵とナナコの章だけを読み進めるという「ナナコ読み」をして楽しんでたら、ふと、「そろそろドラマを観てみようかな?」という気分になったのだ。WOWOWでドラマ化されたのが2006年で、去年で10年も経ったので、たとえガッカリする内容だったとしても、もう、割り切れそうな気がしてきたからだ。


‥‥そんなワケで、今年のお正月にあたしは、10年という時を経て、ついにドラマ『対岸の彼女』を観たワケだけど、これが予想外に、とても素晴らしい作品だった。何と言ってもあたしの「マイ・フェバリット小説」だから、最初からあたしのハードルはめっちゃ高くて、そうとうのレベルじゃないと納得できない状況だったけど、そんなあたしが、このドラマの大部分を納得することができたのだ。

このドラマの主要キャストは、現在の30代半ばの楢橋葵が財前直見さん、小夜子が夏川結衣さん、そして、高校時代の楢橋葵が石田未来さん(現・未来さん)、ナナコが多部未華子さんで、この4人の演技はすべて素晴らしかった。他にも、高校時代の葵のお父さん役の香川照之さんや、小夜子のダンナ役の堺雅人さんを始め、脇を固める俳優陣も素晴らしかった。監督は平山秀幸さん、脚本は神山由美子さんと藤本匡介さん、音楽は長谷部徹さんで、とにかく脚本がよく練られていた。

いろいろと変更されてる部分もあったけど、キチンと考えられた上で変更されてるから、原作の大ファンのあたしでも「意味のある変更」として納得することができた。たとえば、あたしの最大の号泣ポイントであるラストシーンの「ナナコからの手紙」の中に、「あした(中略)オリーブの新しいやつと北斗の拳持ってくね。」というクダリがあるんだけど、このドラマでは、長すぎるナナコからの手紙をコンパクトにまとめるため、この部分が省略されていた。でも、その代わりに、2人が仲良くなって手紙のやり取りを始めたドラマの前半で、葵からナナコへの手紙の中に「オリーブの新しいやつと北斗の拳持ってくね。」という言葉が出てくるのだ。

ようするに、ナナコの手紙の内容が葵の手紙の内容に変わったワケだけど、この手紙のやり取りは、赤毛のアンが夜の窓辺でランプの灯を使って離れた家の友達とやり取りしたように、お互いの存在を確かめ合うためだけの「儀式的な行為」だったのだから、2人の手紙の内容が部分的に逆になっていても、あたしは特に違和感を覚えなかった。

2人の出会いにしても、原作では高校の入学式で出会うのに、ドラマではナナコのいる高校に葵が転校してくる設定に変更されていた。でも、最初から葵のことを「アオちん」と馴れ馴れしく呼んでくるナナコの人懐っこさや無邪気さは原作のイメージそのもので、細かい変更点など気にならなかった。ただ、全体的に素晴らしかったからこそ、たった一点だけ、とっても残念な部分があった。それは、2人の身長差とナナコのヘアスタイルだ。

原作では、葵のほうが背が高くて、ナナコは葵の肩くらいまでしか背がない。そして、ナナコはショートヘアで、痩せてて、小学生の男の子のような顔立ちをしてる。だから、あたしの脳内では、10年以上も、葵は163センチくらい、ナナコは150センチくらいと思い続けてきた。それなのに、このドラマでは、ナナコのほうが背が高く、おまけにナナコは髪が長くてツインテールにしてる。これは、単に「イメージが違う」というだけじゃなくて、とても重要なことなのだ。

2人のプロフィールを見てみると、葵役の石田未来さんは153センチ、ナナコ役の多部未華子さんは158センチで、ナナコのほうが5センチほど背が高い。2人とも演技は素晴らしいし、顔立ちや話し方も原作のイメージにすごく近くて、原作の大ファンのあたしでも納得できるレベルだったけど、だからこそ、この身長が逆という点が残念だった。

原作では、家出中の2人がラブホで髪を脱色するんだけど、ナナコは失敗してショートヘアの金髪になってしまい、葵はナナコの失敗から学んでロングの茶髪になる。そして、数カ月後に再会した時、ナナコは黒髪が生え始めてて頭が「プリン」になってるんだけど、2人の身長差を知っているからこそ、ナナコのプリンを斜め上から見てる葵の姿が想像できて、このシーンに胸を打たれるのだ。だけど、身長が逆だと、このシーンは成り立たないし、ナナコの髪がロングだと、イメージも違ってくる。結局、ドラマでは、ナナコは金髪にはならず、再会した時には黒髪に戻っていて、あたしの大好きな「プリン」のクダリは味わえなかった。

他にも、細かい変更点はたくさんあった。たとえば、2人が夏休みに住み込みでバイトする伊豆半島の今井浜のペンション「ミッキー&ミニー」は、ドラマでは民宿「西島荘」に変わっていた。ま、これは、ディズニー的な大人の事情なのかもしれないし、大掛かりなセットを作るよりも実際の民宿を使ったほうが安上がりだったからかもしれないけど、土屋久美子さん演じる民宿のおばさんが原作通りのイメージだったので、これまた自然に受け入れることができた。

また、ドラマでは、民宿の浴場を掃除しながら、2人は佐野元春の『ガラスのジェネレーション』を歌ってるんだけど、これは原作にはないシーンだ。でも、最初のほうの、2人が河原で自分の好きなものを言い合うシーンで、ナナコが「デヴィット・ボウイ」と言い、葵が「佐野元春」と言い、ナナコが「げえ~、佐野元春?アオちんは困った人だねえ」というクダリがあって、これは原作通りにドラマでも描かれてる。つまり、このクダリを踏まえた上で、新しく付け足されたシーンなのだ。

知り合ったころには、佐野元春が好きだという葵の趣味を「げえ~」と言っていたナナコが、今では一緒に笑い合いながら『ガラスのジェネレーション』を歌っている。このシーンが付け足されたことで、原作を読んでいない人でも、2人の関係性が、知り合ったころよりも深くなったことを感じられるのだ。

こうした変更点の大半をあたしが受け入れることができたのは、多くのセリフが原作に忠実だったことと、それぞれの俳優さんが原作をしっかりと読み込み、原作の登場人物のイメージ通りに演じてくれたからだと思う。特に、葵役の石田未来さんとナナコ役の多部未華子さんの演技は最高で、身長が逆転していても、ナナコがショートヘアじゃなくても、ナナコが学校指定じゃない大きな黄色い肩掛けバッグを使ってなくても、ドラマ自体は受け入れることができた。

ただ、これも残念な点なんだけど、夏休みのバイトが終わって帰ろうとした時、駅のホームのベンチで、ナナコが「帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない‥‥」と言うシーン、原作ではナナコの目から大粒の涙がポタポタと落ちて、膝丈のパンツに次々とシミを作っていく。あたしは、ここで必ず号泣するんだけど、ドラマでは、セリフこそ原作に忠実だったけど、涙がパンツにシミを作るカットが見られなかった。ドラマのラストでは、床の拭き掃除をする小夜子の顔から汗が滴るカットが丁寧に描かれていただけに、ナナコの涙のシミが描かれなかったのはホントに残念だ。

それでも、初めて葵の家に来た時のナナコの「わーいカルピス」とか、2人が河原でお互いの好きなものを言い合うシーンとか、他にも多くの部分のセリフが原作に忠実で、原作のファンとしては嬉しかった。たとえば、家出中の2人がラブホにいて、葵が所持金を数えるシーンでは、葵「あーやばい。まじでお金なくなる」ナナコ「今いくら?」葵「十九万二千八百七十五円」というやり取りも、ドラマでは原作通りに「19万2875円」と言っている。ただし、原作では2人はラブホのダブルベッドに横になってるんだけど、ドラマでは回転ベッドに寝転がって、ゆっくりと回転しながらやり取りしてるのだ。これは、変更は変更でも「嬉しい変更点」と言えるだろう(笑)


‥‥そんなワケで、この作品は劇場で公開された映画じゃなくて、WOWOWが企画したテレビドラマだけど、ハッキリ言って、映画として製作された『八日目の蝉』や『紙の月』よりも、遥かに素晴らしかった。これは、単純に映像作品としてのクオリティーの比較だけでなく、「原作のファンの満足度」という視点も踏まえた上での感想だけど、原作を読んでいない人が観たとしても、やっぱり、この3作の中ではダントツの1位だと思う。だから、このドラマをまだ観たことがない人は、機会があれば、ぜひ観てほしい。あたしが、この小説を読んで何度も何度も号泣する理由が、きっと断片的にでも伝わると思う今日この頃なのだ。


 


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