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2017.03.12

擬人化された3匹の黒猫

小説でも漫画でも映画でも、そこに登場する動物のキャラクターは、大きく分けて、その動物が動物のままのものと擬人化されたものとがある。たとえば、映画『南極物語』のソリ犬のタロとジロや、映画『ハチ公物語』のハチ公は、動物のまま、犬のままで、擬人化されてはいない。だけど、ディズニーのアニメ映画に登場する動物たちは、ネズミもアヒルも犬も猫も、そのほとんどが擬人化されている。人間の言葉で会話するだけでなく、人間のように二足歩行もするし、洋服も着てるし、場合によっては自動車を運転したりもする。

小説の場合なら、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』に登場する猫のリリーは、タイトルでも一番初めに「猫」と書いてあるように、ほぼ主役のような役割を果たしてるけど、全編を通じて猫のままで、「ニャア」としか鳴かない。一方、夏目漱石の『吾輩は猫である』の主人公の吾輩は、全編を通じて人間の言葉で自分の考えなどを述べていて、最後に死ぬ時には人間でもなかなか辿り着けない悟りの境地にまで達してしまう。

だけど、同じ擬人化でも、この吾輩がディズニーアニメの動物たちと大きく違うのは、見た目は猫のままだし、人間たちと会話などしないから、人間たちからは「単なる猫」として見られてるという点だ。全編が吾輩による独白というスタイルの小説なのに、それは本を読んでるあたしたち読者だけが知ってる秘密で、小説に登場する人間たちは、まさかこの猫が人間の言葉を理解しているとは夢にも思っていない。吾輩は、人間の会話が分かるだけでなく、人間の文字も読めるし、さらには、アンドレア・デル・サルトやレオナルド・ダ・ヴィンチまで知ってるほどの博学だけど、小説の中の人間たちは、そんなことは想像だにしてない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは猫が大好きで、特に黒猫が好きなので、今回は、あたしの大好きな「擬人化された黒猫のキャラクター」を3匹紹介して、それぞれの擬人化レベルの違いを考察したいと思う。あたしの大好きな「擬人化された黒猫のキャラクター」は、横内なおきさんの漫画『サイボーグ クロちゃん』の主人公のクロちゃん、斉藤洋さんの児童文学『ルドルフとイッパイアッテナ』の主人公のルドルフ、そして、角野栄子さんの原作をスタジオジブリがアニメ映画化した『魔女の宅急便』の主人公キキの相棒のジジ、この3匹だ。

まず、『サイボーグ クロちゃん』のクロちゃんだけど、あたしはとにかくメッチャ大好きで、単行本11巻全巻の他に、テレビアニメも全話録画して持ってるし、カセットテープ付きの絵本や各種フィギュアも持ってる。ストーリーは、普通の猫だったクロちゃんが世界征服をたくらむドクター剛という悪い博士に捕まってしまい、サイボーグに改造されてしまい、もの凄く強いサイボーグ猫になっちゃうところから始まる。

「悪者に捕まって改造されちゃう」というシチュエーションは、『サイボーグ009』や『仮面ライダー』のような石ノ森章太郎フレーバーだし、猫をサイボーグにするという無理やり感は、『鉄腕アトム』を手塚治虫自身がパロディーにした『アトムキャット』みたいで、二大巨頭の面影が感じられる。クロちゃんが敵と戦うたびに街中がメチャクチャに破壊されるというスペクタクル具合は永井豪的だし、壊滅的に破壊された街が次の回ではシレッと元通りになってるとこは赤塚不二夫的だし、それでいてタマに号泣させてくれる感動の回は高橋留美子的だし、昭和の少年漫画の面白さが満載の作品だ。

クロちゃんはサイボーグだから、人間の言葉が分かるだけでなく、人間と普通に会話ができるし、二足歩行もできる。だけど、飼主のじいさんとばあさんを驚かせたくないため、じいさんとばあさんの前では「ニャア」と鳴き、四本足で歩き、普通の猫のフリをしてる。つまり、今回のテーマである「擬人化」という点では、ディズニーアニメの動物たちの擬人化レベルを10点満点とするなら、クロちゃんは8~9点くらいの擬人化レベルということになる。

続いては、斉藤洋さんの児童文学『ルドルフとイッパイアッテナ』のルドルフだけど、これは、岐阜県の普通の家庭の飼い猫だった黒猫のルドルフが、地元の商店街の魚屋さんでシシャモを盗み、魚屋さんに追いかけられて飛び乗ったトラックが、東京の江戸川区まで行ってしまう。そして、東京で知り合った体の大きなトラ猫のイッパイアッテナから、人間の文字を教えてもらい、岐阜県の自分の家に帰るためにがんばる物語だ。

だから、ルドルフにしてもイッパイアッテナにしても他の猫にしても、みんな人間の言葉で会話してるけど、人間から見たら普通の猫で、『吾輩は猫である』と同様に、人間たちはまさか猫たちが人間のように会話してるとは思ってない。でも、本の挿絵を見ると、ルドルフやイッパイアッテナたちは人間のように二足歩行をしてる。一方、人間の前では、四本足で歩いたり、普通の猫のように「ニャア」と鳴いて甘えたりもしてる。これは、クロちゃんがじいさんとばあさんの前でワザと「ニャア」と鳴いているのとは違って、もとともと人間とは会話ができないからだ。

猫同士の会話が人間の言葉になってるのは、便宜上、読者に内容を伝えるためで、この点も『吾輩は猫である』と同じだ。でも、歩行に関して言えば、都合によって二足歩行も四足歩行もできるから、馬場のぼるさんの絵本『11ぴきのねこ』のシリーズみたいな感じだ。だから、擬人化レベルとしては、10点満点で5~6点くらいだと思う。

最後に、『魔女の宅急便』のジジだけど、これは今さら説明はいらないだろう。あたしはジジのこともメッチャ大好きで、ぬいぐるみを持ってる。スタジオジブリのアニメキャラでぬいぐるみを持ってるのは、このジジと『となりのトトロ』のネコバスだけだ。どちらも髙かったけど、どうしても欲しくて、どちらも無理して買った。

で、黒猫のジジだけど、アニメではキキと普通に会話をしてるし、意思の疎通も完璧だ。ジジはセリフも多いから、一見、けっこう擬人化されてるみたいに思いがちだけど、実はほとんど擬人化されてない。実際には、ジジは人間の言葉など話すことはできないし、キキ以外の人間からは「ニャア」と鳴く普通の猫にしか見えない。キキとジジが会話できるのは、キキが魔法の力でジジと会話できてるだけで、キキがトンボのパーティーの件で落ち込んで魔法の力が弱まったら、キキにはジジの言葉が「ニャア」としか聞こえなくなった。

さらには、ジジは二足歩行もできないし、体の動きはすべて猫のままだから、本来は「擬人化されてない普通の猫」なのだ。だけど、物理的には「ニャア」としか鳴けないジジの声を、キキが魔法の力で聞いてる「人間の言葉」に置き換えて、本の読者やアニメの視聴者にも理解できるようにしてるワケだから、この部分だけは『ルドルフとイッパイアッテナ』と同じことになる。ジジの場合、物理的な擬人化レベルは低く、10点満点で1点と言ったとこだけど、猫が自分と同じ黒猫の絵の描いてあるマグを欲しがったりはしないから、言葉うんぬんよりも、知能や嗜好が擬人化されてることになり、それも踏まえると擬人化レベルは2点だろう。

でも、これは、ジジに限ったことじゃなくて、これまでに挙げた猫たちはみんな、人間並みの知能や嗜好を持ってるし、だからこそ擬人化されてるのだ。もしも、猫の知能や嗜好が猫のままなら、仮に人間と会話ができるキャラにしたとしても、「お腹が空いた」とか「眠くなった」とかの簡単な言葉しか話さないと思うし、人間みたいにハッキリとした喜怒哀楽は表わさなくなると思う。

犬は喜べはシッポを振るし、飼い主に叱られればシュンとする。猫は気持ち良ければノドをゴロゴロと鳴らすし、怒れば背中やシッポの毛を逆立てて「シャー!」と威嚇する。だから、犬や猫にも喜怒哀楽があると思うし、他の動物にもあると思う。だけど、犬や猫や他の動物たちには、人間のような豊かな表情はない。犬はシュンとすれば悲しそうな目をするし、猫は怒れば耳を平たくして牙を見せるから、ある程度の表情はあるけど、人間のように笑ったり泣いたりはしない。

だけど、擬人化された犬や猫などの動物キャラは、人間のように笑ったり泣いたりと表情が豊かだ‥‥って、ここまで書いてきて「ハッ!」と気づいたけど、『魔女の宅急便』のジジも、喜んだり悲しんだり驚いたり困ったり、鳥籠に入れられてぬいぐるみのフリをさせられた時は犬が近づいてきたら冷や汗を垂らしたり、けっこう表情が豊かだよね。だから、さっきは「擬人化されてない普通の猫」とか「体の動きはすべて猫のまま」とか書いちゃったけど、表情はちゃんと擬人化されてるから、擬人化レベルはさっきの2点から3点に格上げしようと思う。


‥‥そんなワケで、友達同士とかでよく出る話題で、「人間以外の生き物に生まれ変わるとしたら何になりたい?」というのがあるけど、ワリと多いのが猫や鳥や魚だ。あたし自身も、猫か鳥か魚に生まれ変わりたいと思ってた。だけど、ここでひとつ問題なのは、あたしたちがこの話題について考える時って、みんな、擬人化した動物を想像してるんだよね。もちろん、生まれ変わった動物が人間の言葉を話せないことは分かってるけど、今の自分の知能や五感がそのままで、体だけが猫になったり鳥になったり魚になったりした姿を想像してるケースが多い。

でも、これは、『ひみつのアッコちゃん』がスーパーミラーで猫や鳥や魚に「変身」するワケじゃなくて、その動物に「生まれ変わる」ワケだから、知能だって五感だって生まれ変わった動物と同じになる。知能だけでなく、五感、つまり、視覚や聴覚や嗅覚や味覚や触覚も変わるということは、たとえば視覚なら、猫になったら暗闇でも目が見えるようになり、鳥になったら夜は目が見えなくなり、魚になったら魚眼レンズで見た世界になっちゃうワケだ。そう考えると、トンボに生まれ変わったら視覚が大変なことになっちゃいそうだけど、それが、それぞれの動物の「普通」なんだから仕方ないし、逆に、そういう視覚じゃないと、その動物としての生活ができないのだ。

犬の嗅覚は、普通の匂いでも人間の100万倍、刺激臭なら人間の1億倍と言われてるけど、もしも犬に生まれ変わったら、この嗅覚ももれなく付いてくるワケで、刺激臭が1億倍だなんて、考えただけでもゾッとする。でも、世の中の犬たちがみんな普通に暮してるということは、人間にとっては嫌な匂いでも、犬にとってはそうでもないということになる。犬だけでなく猫だって人間よりも遥かに嗅覚が優れてて、犬も猫もオシッコで縄張りを主張するから、他の犬や猫のオシッコの匂いを嗅いで、その匂いで「ここは誰の縄張りか」を判断してる。だから、あたしが猫に生まれ変わったら、他の猫のオシッコの匂いを、今よりも遥かに敏感になった鼻で、クンクンと嗅ぎ回らなきゃならなくなる。

そう考えると、猫に生まれ変わるのがジョジョに奇妙に嫌になってくるし、鳥だって魚だって同じだ。あたしはスズメが大好きなので、鳥ならスズメに生まれ変わりたいと思ってたけど、スズメってミミズを食べるんだよね。だから、あたしが今の知能や五感のまま、体だけがスズメになるのなら、お米とか木の実とかだけを選んで食べるけど、知能も五感もスズメになっちゃったら、普通にミミズを食べることになる。これは、魚だって同じだから、鳥や魚に生まれ変わるのも嫌になってくる。


‥‥そんなワケで、動物のキャラクターの擬人化というのは、結局のところ、中身は人間で、見た目が動物になってるだけなのだ。人間と会話ができない猫のキャラでも、二足歩行ができない猫のキャラでも、知能や五感、喜怒哀楽や嗜好は人間と同じだから、「擬人化された猫」というよりも「猫の形をした人間」なのだ。ま、煎じ詰めれば、それを「擬人化」というワケだけど、読者や視聴者の目線としては、こうした動物のキャラクターたちを、常に「猫」や「犬」として見てしまうきらいがあった。でも、そこに描かれていたものは、「猫の形をした人間」であり「犬の形をした人間」だったのだ。そして、もしも自分が猫や犬に生まれ変わった時には、そんなに都合のいい猫や犬にはなれないということが分かった今日この頃なのだ。


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