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2017.04.02

集中力と妄想力

しばらく前のこと、TBSラジオ「session-22」を聴きながらメールチェックをしてたら、自衛隊の南スーダン派遣の問題を特集してて、スタジオゲストに自衛隊問題に詳しい大学教授が来てて、すごく解かりやすく説明をし始めた。それで、あたしは、それまでは「メールチェック7、ラジオ3」くらいの割合の集中力でラジオを聴いてたんだけど、「メールチェック4、ラジオ6」くらいに集中力の脳内バランスを変更した。

その大学教授は、安倍政権が南スーダンに派遣されている自衛隊に「駆け付け警護」を付帯したことについて、「必要だからではなく新任務の実績づくりのために自衛隊を利用しただけ」ということをとても解かりやすく解説してくれた。そして、「かわいそうなのは政治に利用されている自衛隊員たちですよ。派遣されている自衛隊員たちがどれほどの不安感に包まれているか」と言ったところで、あたしの耳は、この「不安感」という言葉に引っかかってしまった。

こうして文章で「不安感」という文字を見れば、誰も特に引っかからないと思うけど、耳で聴いてるラジオの場合は、単に音だけで「ふあんかん」と聴こえてくるから、あたしは反射的に「不安感って保安官に似てるな」と思ってしまった。「ふあんかん」と「ほあんかん」、「あんかん」の部分が同じというだけじゃなくて、「ふ」と「ほ」も同じ「は行」の言葉だったのだ。

それで、あたしは、「は行の他の言葉でも類似語があるかな?」と思い、脳内で、「はあんかん、ひあんかん、ふあんかん、へあんかん、ほあんかん」と確認してみたんだけど、残念なことに、「ふあんかん」と「ほあんかん」の他には類似語はなかった。だけど、「あ行」から順番に探してみれば、1つくらいは見つかるかもしれないと思い、今度は、「ああんかん、いあんかん、うあんかん‥‥」と、50音を順番に、最後の「わあんかん」まで確認してみた。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、またお約束の五七五で嘆いちゃうけど、けっこうな時間をかけて「あ」から「わ」まで「あんかん」にくっつけてみたのに、最初の「ふあんかん」と「ほあんかん」の他には、1つも見つからなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、思ったよりも長いマクラになっちゃったけど、あたしが言いたかったことは、「不安感と保安官の他には見つからなかった」ということじゃない。あたしが脳内で長々とこんなことを考えてるうちに、ラジオのトークはどんどん先へ進み、あたしが「ハッ!」と気づいた時には、もうぜんぜん別のことを話してて、それまでの部分がポッカリと空白になっちゃったということなのだ。

今はラジコの「タイムフリー」という便利な機能があるので、あたしは聴き逃した部分を翌日に聴き直すことができたので、それはそれで良かったんだけど、放送中のトークがすごく重要だと思ったから、あたしはラジオへの集中力のレベルを上げたのに、これじゃあ本末転倒だ。そこで、あたしは、自分の集中力について考えてみた。

ラジオは音声だけのメディアだから、今どきは戦時中の「玉音放送」みたくラジオの前に正座してラジオだけを真剣に聴くなんてことはほとんどなくて、たいていは、家事をしながらとか仕事をしながらとかの「ながら聴き」の場合が多い。あたしの場合は、パソコンでラジコを起動させてラジオを聴くことが多いので、必ず何らかのパソコンの作業と同時進行になる。今回の場合は、メールチェックしながらラジオを聴いてたワケで、本来の目的はメールチェックだった。でも、途中からラジオの内容が気になったので、集中力のバランスをラジオのほうに寄せたワケだ。

何か聴きたい番組があってパソコンを起動させてラジコをつけた時は、特にパソコンでやることはない。でも、せっかくパソコンを立ち上げたのだから、とりあえずツイッターのTLを見てみたり、ニュースサイトを流して見てみたり、ネットゲームの続きをやったりしつつ、お目当てのラジオ番組を聴く。でも、お仕事に必要なファイルを作成するとか、メルマガの原稿を書くとか、そういった脳みそをたくさん使うことを始めちゃうと、肝心のラジオ番組に集中できなくなるから、なるべく脳みそを使わないような作業しか行なわない。

一方、お仕事に必要なファイルを作成するとか、メルマガの原稿を書くとか、そういった作業をするためにパソコンを立ち上げた時は、ラジコも機動させてラジオをつけるけど、作業のジャマにならないように、音楽がメインの番組を聴いたり、部分的に聴き逃しても気にならないような軽い番組しか選ばない。だけど、今回のように、メールチェックのためにパソコンを立ち上げたのに、それがたまたま平日の夜10時を過ぎたとこだったため、「session-22」の時間だと思って選局したら、あたし的にとても興味のあるテーマだった‥‥っていうパターンも時々ある。

そんな時、あたしは、優先すべきパソコンの作業の手を止めてまでラジオに集中することはできないから、最初にマクラに書いたように、作業とラジオとに振り分けてた集中力の脳内バランスを変更するワケだけど、今回はラジオのほうの集中力を上げてしまったばかりに、普段なら聞き流すような何でもない単語に引っかかってしまい、その単語があたしの脳内の「妄想の連鎖のスイッチ」を押してしまい、聴きたかったラジオを聴き逃しただけでなく、優先すべきメールチェックの手まで止めてしまったのだ。

それなら、集中力の脳内バランスを変更しなければ良かったのか?‥‥と言うと、そうじゃない。あたしは、最初は「メールチェック7、ラジオ3」くらいのバランスで聴いてたんだけど、これはテレビに置き換えると、朝、起きて、仕事に行くまで時計代わりにつけたテレビのワイドショーを、耳で音声だけを聴きながら出かける支度をしてる時と同じレベルなのだ。テレビから流れてくる音声は、9割以上が右の耳から左の耳へと通過してるだけで、ほとんどマトモには聴いてない。だけど、興味のある単語などが聴こえた時だけ、パッと画面に目をやり、その部分だけ集中して観る。

テレビの場合は、音声だけでなく映像もあるから、たとえば「加計学園」という単語が聴こえてきて、自分の興味のある話題だからと画面に目をやれば、目と耳の両方から情報が入ってくるので、他のことをやりながらでもワリと低い集中力で内容を把握することができる。でも、ラジオの場合は音声だけだから、テレビよりも集中力を高めないと正確に把握することは難しい。もちろん、他に何もせずにラジオだけを聴いているのなら問題ないけど、何か他の作業をしながらだと、少なくともその作業への集中力よりもラジオへの集中力を高くしないと把握できなくなる。それが、あたしの選択した「メールチェック4、ラジオ6」という脳内バランスだったのだ。

つまり、ここまでの自己分析を総括すると、聴いてたラジオの内容が重要だと判断したあたしが、それまでの「作業7、ラジオ3」のバランスの集中力を「作業4、ラジオ6」に変更したことは適切であり、問題なのは、中途半端にラジオへの集中力を高めたことによって、普段なら聞き流していたであろう何でもない単語に引っかかってしまい、それが脳内の「妄想の連鎖のスイッチ」を押してしまったことなのだ。でも、何かをキッカケにして妄想や空想がスタートしちゃうのは、子どものころからのあたしの特性で、今さらどうしようもない。

たとえば、小学校の授業中なら、先生の話すことを聞き、先生が黒板に書くことを見ながら、自分の教科書も見て、自分のノートに大切なことを書くのが普通だ。だけど、あたしの場合、先生の話すことを聞きながら教科書を見てるうちに、教科書の中の1つの絵とか図とかが気になると、そのことで頭がいっぱいになり、いろんなことを想像し始めちゃって、先生の声がぜんぜん聞こえなくなる。そして、先生から名前を呼ばれてることにも気づかなくて、隣りの子から「きっこちゃん、呼ばれてるよ」と言われて、ようやく「ハッ!」と気づく‥‥なんてことがよくあった。

この特性は、中学生になっても、高校生になっても直らなかったから、そのうちあたしは、自分のこの特性を利用するようになった。たとえば、高校生の時、あたしは学業よりもバイトやバンド活動を優先してたので、生活指導の先生に呼び出されて叱られることがタマにあった。もともと好きじゃなかった体育の先生なんだけど、とにかく話が長いのと、時代錯誤の精神論的なことをネチネチネチネチ言い続けるから、マジでウザかったし、とてもマトモに聞いてられなかった。

そこで、あたしは、立ったまま少し頭をうなだれて反省してるフリをしつつ、先生の足元、先生の便所サンダルを直視して、自分に念を入れ始めた。あたしの脳内パワーがMAXになると、あたしの目からビームが発射されて、先生の便所サンダルを燃やすことができて、その火が先生の全身を焼きつくす‥‥という妄想だ。もちろん、そんなこと科学的に無理に決まってるけど、あたしの妄想力を持ってすれば、「もしかしたらできるかも?」って思えてきて、あたしは真剣に念を入れ続けた。この行為に集中すると、耳がキーンとしてきて、先生の声は聞こえなくなるのだ。

そして、10分、15分、20分と念を入れ続けてるうちに、あたしの脳内には、ホントに目からビームが出て、目の前の先生が燃え上がる映像が見えてくる。そうなると、あたしはますます力が入り、グーにした両手がプルプルと震え出す。でも、頭をうなだれて両手をプルプルと震わせてるあたしは、先生のほうから見ると、叱られすぎて今にも泣き出しそうに見えたらしくて、しばらくすると肩をポンポンと叩かれて、「もう行っていいぞ」と帰してくれたのだ。

つまり、あたしは、聞きたくない話をシャットアウトするために、自分の集中力と妄想力を利用してたワケで、こういうことは他にもたくさんある。たとえば、あたしは俳句が趣味の1つだけど、どんなに騒がしい場所でも、俳句を詠むモードに突入すると、脳内の俳句工場がフル稼働を始めて、そのトタンに耳がキーンとして周囲の雑音が何も聞こえなくなる。俳句は、自分が、今、見たり聞いたり感じたりしたコトやモノを、どんなふうに五七五の17音にまとめたら、より正確に伝えることができるか、なので、たくさんの言葉、たくさんの表現、たくさんの季語などを、脳内でパズルのように組み合わせていく作業が必要になる。その組み合わせは無限なので、脳内の俳句工場がフル稼働を始めると、外部の雑音など聞こえなくなるのだ。


‥‥そんなワケで、今回のラジオのケースは、この特性が悪い方向に働いちゃったパターンだと思う。ラジオを聴くために集中力を高めたのに、それが「作業4、ラジオ6」という中途半端なレベルだったから、ラジオから流れるトーク全般に集中しきれず、何でもない単語だけにピンポイントで集中してしまい、そこから妄想モードに突入しちゃったのだ。だから、本来なら、メールチェックという作業の手を止めて、「作業0、ラジオ10」にすべきだったのだ。そうすれば、何でもない単語に引っかかることなどなく、トーク全般を平均的に集中して聴くことができたハズだ。ただし、これは、「不安感」と「保安官」の他に1つも言葉が見つからなかったからこそ言える結果論であって、もしも「非安感」とか「屁安感」とかいう言葉が実在してたら、これは「思わぬ大発見」になってたワケだ。もしも「作業0、ラジオ10」だったら、これは未発見に終わってたのだから、これだけ自己分析しても、未だに何が正解かは分からなかった今日この頃なのだ。


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