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2018.03.31

歳時記と注解の世界

あたしは俳句が趣味なので、いつでもバッグに俳句の歳時記を入れて持ち歩いている。歳時記を選ぶのって難しくて、たくさんの季語が掲載されていて解説も詳しいものは、大きくて分厚くて重たいから持ち運びには向いていないし、小型のハンディータイプのものは、季語の掲載数も少なく、解説も雑だったりする。だから、たいていの俳人は、大きな本格的な歳時記は自宅用、小型のハンディータイプは吟行用にしているけど、欲張りなあたしは、小型でも内容の濃い歳時記じゃないと困るので、山本健吉編集の『季寄せ』(文芸春秋社)を愛用している。

これは、あたしが国語の先生の影響で俳句を始めた中学生の時に買ったもので、今年でちょうど30年目になる。ずっと大切に使ってきたけど、どこへ行く時も常にバッグに入れて持ち歩いているので、表紙の布地は色褪せているし、ページは黄ばんでいるところもあるし、栞の紐はちぎれているし、ずいぶんと劣化している。だけど、今でも大切に愛用している。それは、これがあたしにとって理想的な歳時記だからだ。

この『季寄せ』は、春と夏の上巻と、秋と冬の下巻とに分かれているので、ふだんは「その時の季節の一冊」だけを持ち歩けばいい。一冊は、文庫本をひとまわり大きくした程度の大きさなので、荷物にならないし、電車の中でも気軽にひらくことができる。そんなサイズなのに、内容が素晴らしいのだ。歳時記は、俳句を詠む時に季語を調べたり確認したりするための辞書のような役割もあるけど、その前に読み物として優れているから、あたしは、電車の中やお仕事の待ち時間などにパラリとひらき、ひらいたページを読むことが多い今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、こんなにもあたしが惚れ込むほど素晴らしい歳時記、山本健吉編集の『季寄せ』は、春と夏の上巻が緑色、秋と冬の下巻がえんじ色の布の装丁で、見た目も素敵だ。だけど、やっぱり、その中身が素晴らしい。たとえば、新年のページをめくると、こんな季語が掲載されている。


【絵踏(ゑぶみ)】旧幕時代に、正月四日ごろ、肥前長崎・五島・大村・平戸で、切支丹(きりしたん)信者でない証拠に、奉行所などで耶蘇(やそ)や聖母の絵像を踏ませた。丸山の遊女たちは盛装して出かけ、衣装競(くら)べの観があった。踏絵。
海の日の欄干として絵踏かな 青邨
小さなる小さなる主を踏まさるる 汀女


かつて、隠れキリシタンを摘発するために「踏み絵」が行なわれていたことは多くの人が学校で習って知っていると思うけど、それが旧暦の正月4日(現在の2月)に行なわれていて、初春の季語になっていたことまで知っている人は、ほとんどいないだろう。あたしだって、この歳時記を読んで、初めて知ったくらいだ。そして、その「踏み絵」の場が、まさか着飾った遊女たちの衣装くらべに使われていただなんて、この歳時記を読むまで、あたしはまったく知らなかった。

歳時記には、自然や動植物、気象や天文、人々の生活から地方の風習に至るまで、季節ごとにこうした記述が満載なので、まるで玉手箱のように楽しむことができる。他にも、あたしが歳時記で知って一番驚いたのは、「大原雑魚寝(おおはらざこね)」という冬の季語だ。


【大原雑魚寝】節分の夜、京都府大原村の江文神社の拝殿に、灯を滅して参籠し、男女入り交って寝、一夜は体を許したと、今は語り草になった風習。
文机や見ぬ世の人と雑魚寝せむ 也有


今はなくなったとは言え、かつては神社の拝殿で乱交パーティーみたいなイベントが行なわれていただなんて、あたしは、さすがにこれには驚いた。それも、中学生の時にこの歳時記を読んで知ったワケだから、あたし的には、ものすごい衝撃だった。だけど、あたしは、衝撃を受けるとともに、昔のすでに消えてしまった風習が、こうして歳時記の中に生き残っていたことに面白さを感じたのだ。だから、あたしにとっての歳時記は、「俳句のための季語の辞典」というよりも「楽しい読み物」になった。

子どものころ、男の子だったら昆虫図鑑や恐竜図鑑、働く自動車の図鑑などに興味を持ったと思うけど、あたしは、お魚の図鑑とお花の図鑑が大好きだった。特にお魚の図鑑が大好きで、最初は小学生用のもの、前半3分の2が海のお魚、後半3分の1が川や湖の淡水のお魚が並んでいる図鑑を飽きずに眺めていたけど、そのうち、もっとたくさんのお魚を知りたくなって、読めない漢字がたくさん出てくる大人用の図鑑で、海水魚専門とか淡水魚専門とかも図書館で見るようになった。

本来、図鑑というものは、辞書と同じで、何かを調べる時に使うものだ。お魚の図鑑なら、自分が実際に見たお魚の名前や習性を知りたくて調べるものだけど、子どものころって、まったく逆で、好きなものの図鑑を見て、いろんな名前を覚えたり、お絵描きする時にマネして描いたりしたよね。あたしの場合は、この感覚が人一倍に強かったみたいで、川のお魚のイラストを見ながら自分も川の中を泳いでいる気持ちになったり、深海魚のイラストを見ながら自分も深海を漂っている気持ちになったり、いろんな空想を膨らませて楽しんでいた。

こんなあたしだから、国語や英語の辞書を手にしても、ページをめくって面白い説明文や例文を探して楽しんだり、電話帳やイエローページを手にしても、ページをめくって面白い名前や広告を見つけて楽しんでしまう。そして、そんなあたしが何よりも夢中になっているのが、名づけて「注解読み」だ。現代小説にはメッタに登場しないけど、ひと昔前の小説の改定版を読むと、現代では分かりにくい言葉に小さな米印が振ってあって、後ろのページに解説が書かれている。これが「注解」なんだけど、とにかく面白いのだ。

たとえば、谷崎潤一郎の小説の中で、あたしが一番好きな『猫と庄造と二人の女』、この平成15年の改定版を見ると、わずか120ページほどの短い小説なのに、日本近代文学研究者で甲南女子大学名誉教授である細江光氏による注解が、巻末に合計127も書かれている。これは、神戸を舞台にした小説で、リリーという名前の猫を溺愛した男、庄造が、今の妻と前の妻との間に挟まれて、愛するリリーを手放さなきゃならなくなって困ってしまう物語なんだけど、過去には映画化もされた面白い作品だ。

で、注解だけど、冒頭で庄造がお酒を飲みながら、晩酌のおつまみの小アジをリリーにあげる場面で、小アジが欲しくて立ち上がったリリーのことを「ノートルダムの怪獣のよう」と表現していて、ここに米印がついている。そして、文末の注解を見てみると、次のように解説されている。


※ノートルダムの怪獣 パリにあるノートルダム〔Notre-Dame(仏)〕大聖堂の外壁上層部を飾る奇怪な鳥や獣の像。中でも、一八五〇年頃の改修に際して鐘楼の欄干に設置された、頬杖を突いて町を見下ろす翼と角のある怪獣(通称「思索者」)が有名。


ね、これ、いいでしょ?さらには「この前の出水で泥だらけになった」というクダリの「出水」にも米印がついているんだけど、「出水」くらい説明されなくても「洪水」のことだって分かるのに‥‥なんて思いつつ、念のために文末の注解を見てみると、次のように解説されていたのだ。


※この間の出水 この小説は、昭和十一年一月と七月に雑誌「改造」に分載された。従って、ここで言う出水は、昭和十年六月二十九日に京阪神各地に発生した豪雨による大水害を指すと思われる。各地に床上浸水などの被害が出たため、後に登場する畳屋の塚本が、大量の仕事に追われる事になる。


なるほど!あたしは「出水」に米印がついていると思ったんだけど、「この前の出水」が注解の対象だったのね。この小説は、もちろん谷崎潤一郎の創作だけど、こうした天災などには実際の体験が使われていたのだ。谷崎潤一郎と言えば、明治19年(1986年)、東京は日本橋に生まれ、ずっと東京で執筆活動をしていたけど、大正12年(1923年)、37歳の時に関東大震災で自宅が焼失してしまい、これを機に、現在の兵庫県神戸市に移住したことが知られている。だけど、神戸でも水害を体験していたなんて、この小説の注解を読まなければ、あたしはまったく分からなかった。

この『猫と庄造と二人の女』には、他にも興味深い注解や面白い注解が目白押しだ。たとえば、「蚊遣(かやり)線香」に振られた米印の注解を見てみよう。


※蚊遣線香 除虫菊を利用したものは、明治二十三年に作られた棒状の蚊取り線香が最初。渦巻き状のものが売り出されたのは、明治二十八年から。


これだけ読むと、ただ単に「蚊取り線香の歴史」を簡単に紹介しているだけにしか見えないだろうけど、あたしが今書いた谷崎潤一郎の略歴と併せて読むと、谷崎潤一郎が生まれた時には蚊取り線香はなかったのか~、とか、谷崎潤一郎が4歳の時に初めて売り出された蚊取り線香は棒状だったのか~、とか、9歳の時に初めて渦巻き状の蚊取り線香を見た谷崎少年はどれほど驚いたのだろうか~、とか、いろんな想像が膨らんで、とっても楽しくなってくる。

また、こうした注解によって、当時の貨幣価値も見えてくる。まず、次の一節を読んでから、米印のついた部分の注解を読んでみてほしい。


「阪神電車の沿線にある町々、西宮、蘆屋、魚崎、住吉あたりでは、地元の浜で獲れる鯵(あじ)や鰯(いわし)を「鯵の取れ取れ」「鰯の取れ取れ」と呼びながら大概毎日売りに来る。「取れ取れ」とは「取れたて」と云う義で、値段は一杯十銭(※)から十五銭ぐらい、それで三四人の家族のお数(かず)になるところから、よく売れると見えて一日に何人も来ることがある。」


※十銭 一円の十分の一。当時の一円を現在の二千円ぐらいとすると、十銭は二百円に当たる。


それから、別のページの「月十五銭の地代が二年近くも滞って」というクダリの注解には、次のように書かれている。


※坪十五銭 石井家の借地が仮に三十六坪とすると、地代は月五円四十銭、二年で百二十九円六十銭になる。当時の一円を現在の二千円程度とすると、百二三十円は二十四~六万円程度に過ぎないが、それすら払えない程度の暮らしなのである。


これらの本文を読んだだけだと、文中に出てくる十銭とか十五銭とかの金額は、落語に出てくる十銭とか十五銭とかのお金と同じで、ぼんやりしたイメージしか持てない。だけど、こうして注解にも目を通してキチンと把握すると、現代の貨幣価値に置き換えて考えることができるから、あたしが生まれる何十年の前の遠い過去の人々の生活が、急に身近に感じられてくる。だから楽しいのだ。

さらには、最初に紹介した『季寄せ』の「絵踏」や「大原雑魚寝」の解説を超えるような注解もある。


※カフェエ 〔cafe(仏)〕大正から昭和の戦前にかけて、女給と呼ばれる若い女性が接待を行う酒場風洋食店の呼び名。女給は店から給与を貰わず、チップだけを収入源としたため、客に濃厚なサービスを行い、店の方でも薄暗いボックス席や個室などを設け、エロチックなサービスを売り物にした。客も女給が目当てだった。


これも、あたしはこの注解を読むまで知らなかった。この時代に、美人の女給さんを目当てに男性たちが通う「カフェ」があったということは知っていたけど、その女給さんたちはお給料がゼロで、チップだけが収入だったなんて、ぜんぜん知らなかった。その上、少しでもチップを多く貰うために、まるで現代の風俗店みたいなサービスをしていただなんて、あたしの想像していた「カフェ」とは大違いだった。さらには、「カフェ」じゃなくて「カフェエ」だっただなんて、当時の「貨幣価値」だけじゃなくて「カフェエ価値」まで知ることができた(笑)

こんなふうに、ひと昔前の小説の改定版には、小説そのものを楽しむだけでなく、注解を読んで楽しむというプラスアルファの面白さがある。そして、こんなふうに注解をじっくりと読み込むと、その小説の世界が一気に現実味をおびてくる。小説だけを読んだ時には、70年前の昭和初期の神戸での物語は、ぼんやりとした輪郭しかないモノクロ映画のような世界だったのに、こうして注解を読み込んでその時代の様々なことが分かってくると、風景に色がつき始め、登場人物たちがリアルに動き出し、猫の鳴き声までもが行間から聞こえてくるようになる。だから、あたしは、「出水」などの知っている言葉に米印がついていても、必ず注解を見て確認するようになった。

あたしは、「BOOK OFF」の100円コーナーに行くと、すでに読んだことがある有名な純文学でも、とりあえず文末の注解のページをひらいてみて、そこが面白かったら買ってみて、注解を楽しむことをメインにして作品を読み返すようにしている。また、文庫本と全集とでは同じ作品でも注解の担当者が違うことが多いので、何度も読んだことがある作品でも、図書館に行くと全集の注解をチェックする。たとえば、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』や『こころ』などでも、図書館に並んでいる岩波の全集を見てみると、文庫本とはまったく違うディープな注解がびっしりと書き込まれていて、思わず夢中になってしまう。そして、何度も読んだはずの作品なのに、以前に読んだ時よりも何倍も鮮明な世界が広がってくるのだ。


‥‥そんなワケで、同じ小説でも、中学校で初めて読んだ時と、社会人になってから読み返した時と、結婚して子どもを持ってから読み返した時では、それぞれ印象が違ってくると思う。これは、最初に読んでから二度目に読み返すまで、二度目に読んでから三度目に読み返すまでに、いろんな人生経験をして、いろんな知識を得て、自分が成長したからだ。一方、文末の注解をじっくりと読み込んだ上でその小説を読み返すということは、この10年も20年も掛けて得る「いろんな知識」を、簡単に得られるお手軽な方法なのだ。だから皆さんも、ひと昔前の小説を読む時には、なるべく注解がびっしりと書き込まれた改定版を選び、じっくりと読み込んでみてほしい。そうすれば、たとえ何度も読んだことがある作品でも、必ず新しい世界が見えてくると思う今日この頃なのだ。


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2018.03.29

星の王子さまとキツネの言葉

あたしは『星の王子さま』が大好きで、「無人島に持って行く一冊」としても「人生の最後に読む一冊」としても『星の王子さま』を選ぶほど大好きだ。東京ディズニーランドにもUSJにも一度も行ったことがないあたしだけど、箱根にある「星の王子さまミュージアム」には何度も行ったことがある。それほど大好きな『星の王子さま』だけど、読んだことがない人でも、有名だから題名だけは知ってるだろう。それもそのはず、『星の王子さま』は、1943年に出版されて以来、現在までに200カ国以上で翻訳されて発売され、世界で1億5000万冊を超えるスーパーロングベストセラーだからだ。

 

原作者はフランス人のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリで、フランス語の原題は『Le Petit Prince』、「Petit」は日本でも日常会話で使われる「プチ」のことで「小さい」という意味だ。つまり、原題は『小さい王子さま』ということになる。フランス語だけでなく、英語でも『The Little Prince』、中国語でも『小王子』、世界200カ国の大半が原題に忠実に『小さい王子さま』というタイトルで発売しているのに、日本では『星の王子さま』となってる。これは、日本で1953年に初めて岩波書店から出版された日本語版の翻訳を担当した内藤濯(ないとう あろう)さんの手柄で、もしも内藤さんが『小さい王子さま』と直訳していたら、日本ではこれほどまでに愛されていなかったかもしれないと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、『星の王子さま』の原作者のサン=テグジュペリは、1900年に生まれた。兵役で陸軍飛行連隊のパイロットになり、退役後は民間の航空会社に入り、長距離の郵便パイロットとしてヨーロッパと南米を飛んだりした。でも、当時の飛行機は、よく飛行中にエンジンが止まるので、パイロットたちは飛行ルートの下の地面の状況を「ここは草原」とか「ここには小さい川がある」など詳しく地図に記していて、どのあたりでエンジンが止まったらどこに不時着するかを決めた上で飛行していた。今の在日米軍よりも、遥かに責任感があったというワケだ。

 

冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、サン=テグジュペリが自分の郵便飛行のことを綴った『人間の土地』の中には、飛行中に実際に自分の飛行機のエンジンが止まってしまい、不時着するまでのスリリングな様子が詳細に記されている。『星の王子さま』でも、砂漠に不時着したパイロットが重要な役として登場するけど、これは自分の体験から生まれたキャラクターであり、自分自身を投影した分身なのだ。そんなサン=テグジュペリも、1939年に第二次世界大戦で召集され、1944年、出撃後に地中海上空で行方不明となり、後に海底から墜落した機体の残骸が発見された。飛行機を愛し、とりわけ夜間飛行を愛し、星空を愛し、人間を愛したサン=テグジュペリは、『星の王子さま』が発売された翌年に、44歳という若さで戦死してしまったのだ。

 

 

‥‥そんなワケで、あたしが『星の王子さま』と出会ったのは、前にも書いたことがあるけど、小学1年生の時だった。あたしは小学校に上がる前、病気で半年以上も入退院を繰り返していたため、1年遅れで小学校に上がった。初めての小学校、初めてのランドセル、初めての広い校庭、初めての大きな上級生たち、本当なら嬉しいことだらけのはずなのに、あたしはなかなかクラスに馴染めず、お友達もできなかった。あたしがみんなよりも1歳年上ということは、担任の先生くらいしか知らなくて、クラスのみんなは知らないことなのに、あたしは自分だけがみんなと違うということを気にしすぎてしまい、自分から積極的にみんなの輪に入っていくことができなかった。

 

そんなある日のこと、あたしたちのクラスは、初めての秋の学芸会でのお芝居が『星の王子さま』に決まり、配役を選ぶことになった。いろいろな役は、やりたい人が手を挙げたり、お友達が推薦したりしてクラスで決めたんだけど、主人公の王子さまと、それに次ぐ重要な役のキツネは、先生があらかじめ決めていた2人を最初に発表した。王子さまは、驚いたことに男の子じゃなくて、クラスで一番元気が良くて人気者だったショートカットの女の子だった。そして、キツネはあたしだった。この時は分からなかったけど、先生はきっと、なかなかクラスに馴染めなかったあたしのために、みんなの輪に入るチャンスを作ってくれたんだと思う。

 

お芝居は大成功で、あたしたちのクラスは校長先生から金賞をいただいた。あたしはたくさんのお友達ができて、朝はみんなが「おはよう」と言ってくれて、あたしもみんなに「おはよう」と言えるようになれた。体育のドッジボールでも、無視されずにちゃんとボールをぶつけてもらえるようになれた。それまでは、自分の席以外は自分の居場所とは思えなかった教室が、廊下が、校庭が、ぜんぶ自分の居場所になった。あたしは、とっても元気になって、そして、『星の王子さま』が大好きになった。

 

地球にやってきて、キツネと仲良しになった星の王子さまに、別れの時が訪れる。キツネとの別れを悲しむ王子さまは「こんなに悲しくなるのなら、仲良くなんかならなければ良かった」って言う。キツネは「黄色く色づく麦畑を見て、王子の美しい金髪を思い出せるのなら、仲良くなったことは決して無駄なことじゃなかったって思うよ」って答える。そして、別れ際にキツネは「大切なものはね、目には見えないんだよ」って王子さまに教える。

 

 

‥‥そんなワケで、小学1年生だったあたしは、この物語の深い意味など分からずに、先生が作ってくださった台本のセリフをそのまま暗記して、練習した通りの大きな身振り手振りで「大切なものはね、目には見えないんだよ」と言っただけなのに、右端の父兄席の一番前で観ていてくれた母さんは、ハンカチで涙を拭いていた。サン=テグジュペリは、この『星の王子さま』について、「子どものためだけじゃなく、大人にも向けて書いたんだ」と語っているけど、あたしがこの言葉の意味を理解できたのは、自分が大人になってからのことだった。そして、今では、もっともっと深く読めるようになった今日この頃なのだ。

 

 

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2018.03.28

回転ベッドで愛を叫んだ昭和のラブホ事情

1年ほど前から、メルマガ『ゆっこ&きっこの言いたい放題 MAX!』の原稿のほうが大変になり、このブログの更新が月に1回か2回くらいになってしまっていて、こんなことじゃいけないと思ったのもトコノマ、なかなかブログを更新できない日々が続いている。そこで、こういうのって反則かもしれないけど、メルマガの中のあたしのエッセイのコーナー『きっこ温泉(源泉かけ流し)』に書いた原稿の中から、ブログでも紹介できそうなエントリーを加筆、修正して、このブログに、順次、アップしていくことにした。

原稿自体は1年以上も前のものだし、メルマガの購読者の皆さんはすでに読んでいるものだけど、加筆、修正することで、新たに楽しんでいただけるように工夫してアップして行くので、どうぞよろしく!‥‥というワケで、まずは、こんなエントリーから行ってみよう!


昭和40年くらいから50年ごろまで、全国のラブホ(ラブホテル)には、たいてい回転ベッドがあったそうだ。回転ベッドというのは、今さら説明の必要もないと思うけど、鏡張りの部屋の真ん中に丸いベッドがあり、スイッチをオンにすると、ゆっくりと回転を始めるものだ。ようするに、自分たちがセックスしている様子を、鏡を通して見ることができるワケで、それが回転しているワケだから、いろんな意味で遊園地気分を味わえたんだと思う。

もちろん、激安のラブホや和風の連れ込み旅館には設置されていなかったけど、一定のレベル以上のラブホには、ほとんど回転ベッドのある部屋があったそうだ。すべての部屋には設置されていなくても、たとえば、20室あるラブホなら、そのうちの5室が回転ベッド付きで、他の部屋よりも料金が少し高く設定されていたようだ。

何で、あたしが「あったそうだ」とか「されていたようだ」とか書いてるのかというと、あたしがラブホを利用する年齢になった時には、すでに東京や東京近郊には回転ベッドのあるラブホは数えるほどしか残っていなくて、リアルタイムでは体験していないからだ。どうして、あたしの時代には回転ベッドがほとんどなくなってしまったのかというと、1984年の風営法改正で、回転ベッドや1平方メートル四方を超える鏡などを設置しているホテルを「ラブホテル」と定義して、学校、病院、公園などの周辺での営業が禁止されてしまったからだ。

そのため、それまで鏡張りの部屋に回転ベッドを設置していたラブホの中で、周辺に学校や病院や公園がある場合は、そのままの形態では営業ができなくなり、仕方なく鏡張りと回転ベッドを撤去して、「ラブホテル」ではなく「旅館」として申請し直すしかなかった。そのため、実際にはラブホなんだけど、旅館として申請・登録している「偽装ラブホ」がはびこるようになった。だから、あたしがラブホを利用するお年頃になって、その時のカレシだったり、酔ったイキオイで男友達とだったり、たまには女友達とだったりと、東京や東京近郊のラブホを利用してたけど、その大半は「偽装ラブホ」だったんだと思う。

当時のあたしは、とにかくラブホが大好きで、女友達と遊ぶ時も、よくラブホを利用していた。トートバッグタイプのクーラーバッグを持って行き、ラブホの近くのコンビニで缶ビールやウイスキーや炭酸や氷やおつまみ類を買い込み、親友と仲良くラブホへ向かう。たいていのラブホは、電気ポットが常備されていて、日本茶や紅茶のティーバッグくらいはサービスで置いていたけど、冷蔵庫の中のジュースやビールはすべて有料だし、電話でフロントに注文すると持って来てくれる食べ物も有料だから、あたしはいつも持ち込みをしていた。

あたしがよく利用していた川崎のラブホは、朝10時から夜6時までのサービスタイムが4000円だったから、1人2000円だ。部屋に入ったら、大画面のモニターで無料の映画や好きなバンドのライブ映像を観ながら、とりあえず缶ビールで乾杯!そして、部屋に常備してあるコップを借りて、トリスとかの安物のウイスキーと炭酸と氷でハイボールを作り、おつまみ類を広げたら、あとはカラオケ大会だ。スプリングの効いた大きなベッドの上で、ピョンピョンとジャンプしながらブルーハーツの「リンダリンダ」を歌ったりして、2人でゲラゲラと笑い転げたりもした。そうそう、今、これを書いていて思い出したけど、家からエレキギターを担いでいって、カラオケマイクのジャックに繋いで弾きまくったこともあった(笑)

さんざん歌って踊って酔いもまわったら、今度はバスタブにお湯を溜め、狭いバスタブに向かい合って浸かり、バスルームに常備されている「泡風呂の素」をたっぷり入れて、ジャグジーのスイッチをオン!大量の泡がモコモコと盛り上がってきて、2人で泡まみれになって大ハシャギ!そして、クタクタになるまで遊んだら、今度は大きなダブルベッドに2人で横になり、ベッドに設置されている何百チャンネルもある有線放送の中から「ルーツレゲエ」のチャンネルをセレクトして、ボリュームを最大にして仰向けに寝転がる。そうすると、ベッドに内蔵されているスーパーウーハーがベースの音やバスドラの音で振動するから、まるでマッサージチェアみたいに気持ちがいい。

これだけ遊んで、これだけ楽しんで、それでも1人2000円。もちろん、買い込んで行ったお酒やおつまみは別料金だけど、それでも、どこかの娯楽施設に行くよりは遥かに安上がりだった。今でこそカラオケボックスには格安のサービスタイムとかがあるけど、当時、カラオケボックスはそこそこ高かったし、フリードリンクなんかなかったから、飲み物や食べ物をいろいろ注文すると、けっこうな金額だった。もちろん、飲み物や食べ物の持ち込みなんてできなかったから、こうしてラブホで遊んだほうが、ずっとお得だったのだ。その上、裸になって大騒ぎできたから、どこに行くよりも楽しかった。

でも、そんな便利なラブホも、その何割かは「偽装ラブホ」だったワケで、民主党政権下の2011年1月、またまた風営法改正で、さらに厳しい状況になってしまった。この時の風営法改正は、主に「偽装ラブホ」を取り締まることが目的だったから、ラブホの定義が大きく変更されたのだ。たとえば、どこのラブホにもある「入口の外にある料金表」、普通はみんな、この料金表を見て、どのラブホに入ろうか決めるよね。だけど、この料金表を掲げてるホテルは「ラブホテル」に定義されてしまうことになったので、これまでの「旅館」の登録じゃ営業できなくなったのだ。

あと、ラブホの中に入ると、フロントにはパネルに各部屋の写真が並んでて、それぞれに料金が表示されてて、空いてる部屋の中から気に入った部屋を選んでボタンを押すと、キーが出てきてそのままエレベーターで部屋に直行するワケだけど、これもダメになった。「旅館」として登録している場合は、ちゃんとフロントで係の人と対面してやりとりをしないとダメになり、これまでの非対面の方式は「ラブホテル」に定義されることになった。だから、周辺に学校や病院や公園などがないラブホなら、それまでの「旅館」の登録を「ラブホテル」に変更すれば、これまで通りに営業できるんだけど、周辺に学校などがあるために「旅館」の登録に変更して営業してきた「偽装ラブホ」は、それまでのような営業ができなくなってしまったのだ。

ちなみに、「旅館」の登録で実態がラブホの「偽装ラブホ」は、全国に約3万5000軒もあると言われている。そして、この2011年の風営法改正で、警察も積極的に摘発を始めたそうだ。だから、摘発される前に、ビジネスホテルに鞍替えした「偽装ラブホ」も多い。もちろん、表向きはちゃんとしたビジネスホテルだから、1人で宿泊もできるんだけど、それだけじゃ商売が成り立たないから、これまでのラブホ時代の客を繋いでおくために、昼間だけのショートタイムなどを取り入れてるビジホも多いそうだ。ビジホなのにショートタイムって、何だか本末転倒みたいな感じもするけど、アレだけが目的のカップルには、それなりに利用されているみたいだ。


‥‥そんなワケで、立地条件の厳しい東京周辺だと、あたしみたいにお金のない人のための安価で設備の整った「偽装ラブホ」は減り続けている。でも、せっかくラブホに行くんだから、ビジホに鞍替えしちゃったカラオケもない殺風景な部屋じゃなくて、できれば昭和のラブホ全盛期をホーフツとさせるような、鏡張りの部屋に回転ベッドがドーン!みたいなゴージャスな部屋に行きたいよね。今でも、地方都市に行けば回転ベッドのあるラブホはたくさんあるし、東京でも赤坂の「ホテル・シャンティ」のように、豪華絢爛な部屋に回転ベッドが設置されてるラブホもある。場所が場所だし設備も設備だから、お得なプランを使っても1万2800円くらいしちゃうけど、一度は回転ベッドを体験してみたいという人は、恋人と2人でグルグル回りながら、東京の真ん中で愛を叫んでみるのもいいかもしれないと思う今日この頃なのだ♪(笑)


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2018.03.12

トンデモおじさんの土下座騒動顛末記

あたしは、基本的にコンビニでは買い物をしないので、コンビニに行くのはATMを利用する時と光熱費やケータイ料金などを支払う時くらいで、月に2~3回ほどだ。だけど、コンビニで第3のビールや缶チューハイなどがいくらで売られているかを知っておかないと、スーパーや格安店などで買う時の値段の目安が立たないので、たまにコンビニに行った時には、一応、いろいろな飲み物や食べ物の値段だけはザッと確認するようにしている。

で、先週のこと、またまた「芦毛教」の信仰心によって万馬券が的中したので、ATMで競馬用の銀行口座から配当金を引き出して、それで公共料金を支払おうと思ったあたしは、コンビニ用の支払い用紙を持って仕事へ行った。そしたら、30分ほど早めに現場に着いたので、その日の仕事場を素通りして、ちょっと先にあったコンビニに向かった。そして、ATMで必要なぶんのお金を引き出し、レジへ向かう前に、飲み物の棚を見て第3のビールや缶チューハイなどの値段をチェックした。それから、右手の壁沿いにあるお弁当やお惣菜のコーナーと、その向かいのパンの棚もチェックしてみようと思って、そちら側の通路へまわった。

すると、朝の通勤時とお昼のランチタイムの間の午前10時ごろだったからなのか、その通路はガラガラで、パンの棚の前にサラリーマン風のスーツを着た50代後半か60代前半くらいのおじさんが1人いただけだった。おじさんはあたしに気づかず、何やらいろいろなパンを手に取ってはいじくりまわし、それを棚に戻し、また別のパンを手に取っていじくりまわし、明らかに様子が怪しかった。あたしは、もしかしたらパンの中に針などの異物を入れているのかもしれないと思い、そのおじさんをまったく意識していないふうに、そのパンの棚の並びの他の商品を手に取ってみたりしつつ、少しずつ近づいていった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、さすがに2メートルほどの距離まで近づくと、そのおじさんはあたしに気づき、何かハッとしたような顔で手にしていたパンを棚に戻した。あたしは、ますます怪しいと思ったけど、仕事の前にトラブルに巻き込まれるのはシャレにならないから、一度、その場を離れて、道路に面した反対側の雑誌コーナーのほうへ行くふりをしてから、すぐにソッとパンの棚がある通路を覗いてみた。そしたら、おじさんはまだパンをいじくりまわしていて、パンを棚に戻すと左手の腕時計を右手で触りながら時間を確認し、また別のパンを手に取っていじくりまわしていた。

パンの棚はレジの近くなんだけど、そのレジは奥側のレジで店員さんがいなくて、入口に近いほうのレジにしか店員さんがいなかった。だから、パンの棚は店員さんの死角になっていたのだ。もちろん、コンビニの壁の上のほうには万引き防止のためのミラーが貼ってあるし、防犯カメラも設置されているけど、店員さんが1人しかいないので、そこまでは監視できなかったんだと思う。

そこで、あたしは、何も見なかったような顔をしておじさんの後ろを通り、入口のほうのレジに行って公共料金の支払いを済ませた。そして、店員さんに、小声で「パンの棚のところで、いろいろなパンをいじくりまわしている怪しいおじさんがいますよ」と教えた。女性の店員さんだったら言わなかったかもしれないけど、その店員さんは身長が高くて若い男性だったから、この人なら何かあっても大丈夫かな?と思ったからだ。

その店員さんは「お知らせ、ありがとうございます」とあたしに小声で言い、すぐにレジの裏側の部屋で休憩していた別の男性の店員さんを呼び、ミラーと監視カメラでおじさんを確認してから、おじさんのところへ向かった。あたしはそろそろ仕事の時間が近づいていたんだけど、まだ10分くらいあったし、好奇心のほうが上回っていたので、少し離れた場所から音だけを聞いていた。


店員さん「何をやっているんですか?」

おじさん「べ、別に、パンを選んでるだけだよ!」

店員さん「ちょっとそれを見せてください」

おじさん「やめろよ!おい!」

バサバサバサ!


突然の音に、あたしが反射的に見に行くと、そのおじさんが暴れたのか、故意に手で払ったのか、いくつものパンが通路の床に飛び散っていた。そして、店員さんがおじさんの手首をつかんでひねり上げていた。


おじさん「いててててて!離せよ、この野郎!ここの店員は客に暴力を振るうのか!」

店員さん「ちょっとこっちへ来てください」


おじさんは店員さんに腕を取られたまま、すぐ先の使っていなかったほうのレジへ連れて行かれた。店員さんは、レジ台の上におじさんの左手を押さえつけると、おじさんの上着の袖をまくった。


店員さん「何ですか、これは?」

おじさん「‥‥‥‥」


店員さんの背中越しに覗き込んだあたしは、思わず「ププッ!」と噴き出してしまった。上着の袖をまくられたおじさんのワイシャツの袖口には、ナナナナナント!「ヤマザキ春のパンまつり」のピンクの点数シールが10枚以上、ビッシリと貼ってあったのだ!そう、このおじさんは、いろいろなヤマザキのパンから点数シールを剥がし、自分のワイシャツの袖に貼って盗もうとしていたのだ!あたしが見た時、おじさんはパンを棚に戻した後に左手の腕時計を右手で触りながら時間を確認しているように見えたけど、あれは腕時計を見るふりをして、左手のワイシャツの袖口にシールを貼っていたのだ!

もしかしたら針などの異物を混入しているのかもしれない、下手したら農薬などの毒を入れているのかもしれない、誰かが被害に遭ったら大変だ、そう思ったからこそあたしは店員さんに伝えたのに、まさか「ヤマザキ春のパンまつり」の点数シールを盗んでいただなんて、なんてセコい、なんてみっともない、なんて恥ずかしい人なんだろう?どう見てもあたしよりひと周り以上は年上で、シチサンに分けた髪には白髪も混じっているほどの年齢なのに、この人の思考回路には「恥」という概念がないのだろうか?そして、威勢の良かったおじさんは、とうとう観念したようで、さっきまでとは別人のような口調で謝り出した。


おじさん「すみません!すみません!パンは全部買いますから!」

店員さん「そういう訳には行きませんから、警察を呼びますよ」

おじさん「すみません!それだけは勘弁してください!全部弁償しますから!」

店員さん「取りあえず店長に連絡しますから」


店員さんは、もう1人の店員さんに店長に連絡するように言ってから、おじさんに向かって、「もちろん売り物にならなくなった商品はすべて弁償していただきますが、それだけで済む話ではありませんから、店長に来てもらって警察を呼ぶかどうか判断してもらいます」と言った。すると、おじさんは、店員さんに押さえつけられていた左手を振りほどきながら、右手で店員さんのことを突き飛ばし、外に向かってダッシュした!店員さんは、後ろによろけてあたしにぶつかったけど、その時には後から入って来た2~3人の客が何の騒ぎかと遠巻きにして見ていたので、店員さんの「待て~!」という怒鳴り声と同時に、入口のほうから騒ぎを見ていた体格のいい大学生くらいの男性がおじさんにタックルして、おじさんはその場で取り押さえられた。

店員さんは、その男性客にお礼をいい、おじさんを怒鳴りつけた。この店員さんも背が高くて体格がいいから、これまでの丁寧な口調にも迫力があったけど、怒るとけっこう恐かった。おじさんは今度こそ完全に観念したようだったけど、それでも警察だけは呼ばれたくないようで、「すみません!すみません!全部弁償しますから警察だけは勘弁してください!」と、さっきと同じセリフを繰り返しながら、その場で土下座を始めた。あたしは、写真とかでなら見たことあるけど、本物の土下座を目の前で見たのは初めてだったので、現実の出来事ではなく、まるでドラマか演劇を観ているような気分がした。

さっき、あたしは「なんてセコい、なんてみっともない、なんて恥ずかしい人なんだろう?」と書いたけど、その上、自分の罪がバレたら逃げようとするなんて、もうひとつ「なんて往生際の悪い人なんだろう?」というのもプラスしたくなった。そして、さらにあたしが呆れたのは、この様子をずっと見ていた若い女性客が、すぐにバッグからスマホを取り出して、土下座するおじさんを撮影し始めたことだ。今どきっちゃ今どきだけど、自分が何か被害を受けたわけでもないのに、一体どういう神経なんだろう?たぶん「土下座を目撃なうw」とかコメントを添えてSNSにアップするのが目的なんだろうけど、あたしから見たら、このおじさんのやったことと同じくらい恥ずかしい行為だと思った。

結局、あたしは、仕事に行くためにここでコンビニを出た。だから、この後、店長さんが来てどうなったのか、警察を呼んだのかどうか、おじさんがどうなったのか、騒動の顛末は分からない。ただ、あたしよりひと周り以上も年上のいい歳をしたおじさんが、こんなことをするなんて、ホントに驚いた。百歩ゆずって、自分には手の届かない高価な品物を万引きしたとか、上りのエスカレーターで前に立つ女性のスカートの中をスマホで盗撮したとかなら、そこにはその人の理性で抑えられなかった欲望があったのだから、犯罪としては絶対に許せないけど、人間の行動原理としては理解ができる。でも、まさか「ヤマザキ春のパンまつり」のお皿が欲しくて、そのためにこんなにもセコい犯罪を犯すだなんて、あたしには理解不能だった。

だって、このおじさん、「パンは全部買いますから!」「全部弁償しますから!」と言っていたんだから、お金は持っていたはずだ。それに、ヤマザキの菓子パンや惣菜パンなんて1個100円から150円程度なんだから、毎日1個ずつ買って食べていればシールなんてすぐに溜まる。さらに言えば、本気で点数を溜めようと思ったら、2.5点とか3点とかの高得点のシールが付いているヤマザキの食パンをスーパーで買って、自宅でトーストにでもして食べればいい。それなのに、もしも見つかって警察を呼ばれたら、場合によったら会社に知られて仕事を失うかもしれないのに、こんなことのために危険を冒すなんて、あたしには信じられなかった。そして、それ以上に、こうしたリスクとリターンのバランスの問題、損得勘定の問題だけでなく、1人の人間として、1人の大人として、1人の社会人として、こういうことが平然とできてしまう神経が信じられなかった。


‥‥そんなワケで、今回、こんな事件を目撃してしまったあたしは、こんなにもセコくて、こんなにもみっともなくて、こんなにも恥ずかしくて、こんなにも往生際の悪い大人がいただなんて、ニワカには信じられなかった。だけど、今の世の中、よくよく周りを見回してみれば、たくさんお金を持っているのにオヤツのガリガリ君まで政治資金で買うほどセコくて、国会の閣僚席から野党議員に対して口汚いヤジを飛ばしまくるほどみっともなくて、トンデモ法を可決させるためなら調査データまで捏造させるほど恥ずかしくて、その上、これほど証拠が山積みなのに、それでも自分の罪を認めずにトカゲのしっぽ切りで自分だけ逃げ切ろうとするほど往生際の悪い大人がこの国の総理大臣なのだから、こういう恥知らずのおじさんが出てくるのも「美しい国」としての自然の流れなのかもしれないと思った今日この頃なのだ。


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2018.03.11

東日本大震災から7年を迎えて

今日、2018年3月11日で、東日本大震災の発生と、これに伴う福島第1原発事故から7年を迎えました。この大震災では、1万8446人が死亡、行方不明になりましたが、このうち2539人は未だに行方不明のままで、今も捜索が続けられているのです。また、福島第1原発事故による放射能汚染のために強制的に避難されられた住民を含む避難者は、現在も7万3000人以上います。

 

犠牲になった方々のご冥福を改めてお祈りするとともに、大切なご家族やご友人を失った方々、今も辛い避難生活を続けている方々に、改めてお見舞い申し上げます。

 

そして、もうひとつ、忘れてはならないのが、大震災では一命を取りとめたのに、その後の長く続く避難生活の中で、持病を悪化させて亡くなってしまった人たちや、将来に何の希望も持てなくなって自らの命を絶ってしまった人たちです。こうした死亡者の中で、震災が原因として「震災関連死」に認定されたのは、昨年2017年9月30日までに、1都9県で3647人と報告されています。そして、この内わけを見てみると、とても悲しい現実が見えてくるのです。

 

被害の大きかった東北3県の震災による死者と行方不明者は、岩手県が5795人、宮城県が1万770人、福島県が1810人です。しかし、震災では一命を取りとめたのに、その後、亡くなってしまった「震災関連死」は、岩手県が464人、宮城県が926人なのに対して、福島県は2202人と飛び抜けて多いばかりか、震災での犠牲者数を上回ってしまっているのです。また、この「震災関連死」の中の自殺者の人数も、岩手県が48人、宮城県が53人、福島県が99人と、やはり福島県が突出しているのです。

 

これは、言うまでもなく、福島第1原発事故による放射能汚染が最大の原因なので、「震災関連死」というよりも「原発事故関連死」と呼ぶべきものだと思います。国が「安全だ」と繰り返して推進してきた原発が大事故を起こし、生まれ育った美しい村や町や畑や野山が放射能汚染され、強制的に避難させられた多くの人たち。そして、自宅周辺の除染が済んだからと、広大な野山は汚染されたままなのに避難解除され、戻ってみると村や町のあちこちに高濃度放射性廃棄物が詰められたフレコンバッグの山‥‥。

 

いくら政府が避難解除をしたからといって、放射性廃棄物が詰められたフレコンバッグの山の前で小さな子どもたちを遊ばせられる親はいないと思います。一昨年、制限地域の中を取材したフリーランスの記者によると、山積みのまま放置されているフレコンバッグの中には、破れて中身が流れ出ていたものも複数確認できたそうです。これらのフレコンバックに詰められた膨大な量の放射性廃棄物は、双葉町と大熊町に建設中の東京ドーム18個ぶんもある「中間貯蔵施設」に搬入され、30年以内に県外の最終処分場へ移す計画ですが、その目途は立っていません。

 

これまで、東日本大震災の被災地の復興のために計上されてきた毎年の予算は、ほぼ半分に当たる約45%が、この「中間貯蔵施設」の建設費や放射性廃棄物の処理など、原発事故の後始末のために使われています。たとえば、今年2018年度の復興予算は前年度比10%減の1兆6357億円ですが、この内わけは、「被災者支援」が863億円、「住宅再建・復興まちづくり」が7064億円、「産業・なりわいの再生」が1015億円、「原子力災害からの復興・再生」が7258億円なのです。そして、この「原子力災害からの復興・再生」の内わけを見てみると、「中間貯蔵施設の整備」が3210億円、「放射性廃棄物処理」が1445億円、「除去土壌の管理・搬出」が1243億円で、この3点だけで大半を占めているのです。

 

もちろん、中間貯蔵施設が完成しなければ、各地に山積みされている放射性廃棄物の詰まったフレコンバッグが片付かないのですから、施設の建設は少しでも早く進めなければなりません。しかし、その一方で、原発事故の後始末に予算の約半分が使われているため、「被災者支援」はその10分の1、「産業・なりわいの再生」もその7分の1の予算しかなく、被災した自治体の大半は復興予算が不足しているのです。

 

一例として、宮城県の仙台市では、今年2月、2017年度以降の東日本大震災からの復興事業費の一部が復興関連基金で賄えず、事業がほぼ完了する2020年度までに一般財源から約70億円を負担する見通しだと発表しました。仙台市によると、不足するのは主に「津波による被災者への再建支援金」などだそうです。これはほんの氷山の一角で、多くの自治体が予算不足と人手不足を復興が遅れている原因にあげているのです。

 

2020年の東京五輪は、被災地の復興を加速させるための「復興五輪」というキャッチフレーズが掲げられていますが、先日、毎日新聞が東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県、宮城県、福島県の42市町村に「復興五輪」についてのアンケートを行なったところ、事前キャンプの誘致やホストタウンの登録などに意欲を示した自治体は10市町村にとどまり、すでに誘致や登録を済ませた4市町と合わせても全体の約3割だったそうです。残りの7割の市町村は、「復興の途中で五輪に取り組む余力はない」「人手不足で全国から職員派遣を受けている状況なので対応できる余力がない」など、態勢の不備、財源不足、人手不足などを理由にあげたそうです。

 

また、これは3月9日付で東北の地方紙だけで報じられたニュースですが、「岩手県は東日本大震災で被災した沿岸市町村で復興関連業務に携わる応援職員が2018年度に65人不足する見通しだと発表した」という記事がありました。このような状況の自治体では、震災から7年が過ぎた今でも、とても五輪どころではないのだと思います。

 

しかし、現場では予算が足りずに復興が進まない自治体、とても五輪どころではないという自治体が7割もあるのに、復興予算は余っているのです。たとえば、復興庁の発表によると、2016年度には総額4兆6345億円の復興予算のうち、約36%に当たる1兆6735億円が使われずに余り、翌年度に繰り越されました。また、全国民の所得税や住民税に上乗せされている「復興増税」は10兆円以上もあるのです。

 

こんなに予算が余っているのに、どうして必要としている自治体に届いていないのでしょうか。そして、それだけでなく、被災地とまったく関係のない地域に、この復興予算がバラ撒かれているのです。たとえば、被災地のガレキの処理を行なった時など、東京都ふじみ衛生組合や大阪府堺市を始め全国の10の自治体が、ガレキを1トンも受け入れていないのに数億円から数十億円もの補助金を受け取っているのです。大阪府堺市は約86億円もの補助金を受け取っていますが、これをそのまま被災地である仙台市へ回せば、仙台市は不足している「津波による被災者への再建支援金」をまかなえたのです。

 

順調に復興が進んでいる地域も多いですが、未だにガレキが山積みになっている手つかずの地域もあります。被災地では「復興格差」が起こっているのです。そして、これはすべて、予算不足と人手不足が原因なのです。予算は余っているのに、それが必要としている人たちの元に届いていない。それなのに、東京では五輪に浮かれていて、「復興五輪」などというキャッチフレーズで体裁をつくろっている。あたしは東京都民の1人として、本当に恥ずかしいです。どうか、大切な復興予算が、必要としている人たちの元へ正しく届けられ、少しでも被災者ひとりひとりに寄り添った形で復興が進みますように、あたしは願ってやみません。

 

 

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