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2018.04.21

海猫(ごめ)渡る

俳句の歳時記をパラパラとめくっていると、まだ実際には実物を見たことのない季語や、まだ体験したことのない季語、ほとんど体験したことがない珍しい季語がたくさんある。たとえば、春である今の時季なら、「えり挿す」という季語がある。「えり」は魚扁に「入」と書くんだけど、湖沼などの浅瀬の底に細い竹などを狭い間隔で挿して簾(すだれ)のような壁を作り、2つの簾の幅がだんだん狭くなるような罠(わな)にして、魚がそのまま進むと最後に待ち構えている網の中に入ってしまうという定置網漁のことだ。

あたしは、これは子どものころに一度だけ、茨木県の霞ヶ浦でやったことがある。もちろん、罠は漁師さんたちが仕掛けてくれて、子どもたちは最後の場所に追い込まれた魚を網で掬うだけだったけど、霞ヶ浦には海の魚も混じっているから、コイやフナ、ウナギやナマズと一緒に、大きなスズキなども獲れたので、楽しくて興奮して、夏休みの絵日記に2ページも使って描いたことを覚えている。でも、「えり」を挿したのは漁師さんだから、正確に言えば、あたしは「えり挿す」という季語は体験していない。

他には、まだ寒い初春の時期に、伊勢志摩の海女さんたちが浜辺で囲いをして火を起こして暖を取ることを「磯竃(いそかまど)」と呼んだり、ニシンの漁期が近づくと東北などの漁師や農夫が網元に雇われて北海道へ渡る「渡り漁夫(わたりぎょふ)」なども、初春の季語だ。現在ではニシンの水揚げは大幅に減ったけど、それでも、ホッケ漁やイカ漁の人手不足を補うために、今でも東北などから北海道へ渡る季節労働の人たちがいる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「渡り漁夫」とセットになっているような季語で、あたしが、いつか一度は見てみたいと思っているのが、「海猫(ごめ)渡る」だ。あたしが30年ほど愛用している歳時記、山本健吉編集の『季寄せ』(文藝春秋)を見てみると、次のように解説してある。


【海猫(ごめ)渡る】
鴎(かもめ)の一種で、鳴声が猫に似ている。繁殖地としては東北の蕪(かぶ)島、椿島、江ノ島、飛島、島根県の経(ふみ)島があり、一月から三月へかけて、これらの島に大挙渡って来る。
渡り来て遠突堤のこぼれ海猫 村上しゆら


ちなみに、この解説に挙げられている「江ノ島」は、東京から小田急江ノ島線で行ける神奈川県の「江ノ島」のことじゃなくて、東北の牡鹿半島にある陸前の「江ノ島列島」のことだ。神奈川県の「江ノ島」は、映画『海街diary』の舞台になったし、劇中で吹雪ジュンさんが経営する食堂の名前が「海猫食堂」だったこともあって、「海猫」に関係が深そうに感じるけど、神奈川県の「江ノ島」には、海猫よりも本物の猫のほうが遥かに多い。東京近郊でも「猫がたくさんいる猫パラダイス」として、猫好きの間では有名だし、あたしも何度も遊びに行っている。

ま、それは置いといて、この「海猫渡る」という初春の季語だけど、そもそも「海猫」のことを「ごめ」と呼ぶようになったのは、北海道の漁師たちだという。まだ、魚群探知機などがなかった昔の漁業では、海上にカモメやウミネコが乱舞している場所を「鳥山(とりやま)」と呼び、それを「魚の群れのいる場所」として漁の目印にしていた。大きな回遊魚たちはエサのイワシなどの群れを海面まで追い詰めて捕食するため、その「おこぼれ」を頂戴するためにカモメやウミネコが集まってくる。だから、こうした「鳥山」の下には、大きな回遊魚がたくさんいるというワケだ。

そのため、当時の漁師にとってカモメやウミネコは、とても大切な海鳥だった。そして、「ごめ」という呼び名の語源には諸説あるけど、その中のひとつに、漁師たちに加護を与えてくれるありがたい鳥なので「加護女(かごめ)」と呼ばれるようになり、それが「カモメ」に変化したり「ゴメ」に変化したという説もある。この説が正しいとすると、漁師たちはウミネコだけを特別視してたワケじゃなくて、カモメもウミネコも一緒に大切にしてた可能性が高い。

事実、夏場の北海道の海鳥はウミネコとオオセグロカモメがほとんどになるけど、冬から春にかけての時季は、他にもワシカモメ、シロカモメ、ミツユビカモメなどが見られるようになる。そして、どのカモメも大きさや色がウミネコに似ているため、遠くから見ただけだと判別が難しい。それでも、ウミネコの鳴声には特徴があるから、ウミネコの群れが海上で鳴いていれば遠くからでも分かるのだ。


「海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ」


これは、なかにし礼さん作詞、浜圭介さん作曲、北原ミレイさんのヒット曲『石狩挽歌』の出だしの部分だけど、この楽曲は、発表された1975年に「日本作詞大賞」の作品賞を受賞して以来、八代亜紀さん、森昌子さん、石川さゆりさん、坂本冬美さんなどを始め、多くの歌手が歌い続けてきたので、聴いたことがある人も多いと思う。なかにし礼さんと言えば、作詞家としても数多くの大ヒット曲を生み出した大御所だけど、小説家としても超一流で、2000年に第122回直木賞を受賞した『長崎ぶらぶら節』(文春文庫)は、何度読んでも涙が止まらなくなる素晴らしい作品だ。

そして、そんな、なかにし礼さんの書いた『石狩挽歌』の歌詞は、何の体験もなく想像で書いたものではないのだ。幼少時、北海道小樽市で家族と暮らしていたなかにし礼さんには、15歳年上の戦争帰りの兄がいたんだけど、この兄が一家にとって疫病神のような存在だったそうだ。兄は、ギャンブル性の高いニシン漁で一発当てようと思い、何とか大漁に恵まれたものの、それだけでは飽き足らず、本州まで運んで高く売ろうとしたために、すべてのニシンを腐らせてしまって膨大な借金を作ってしまう。そして、この事業の失敗が原因で、なかにし家は一家離散を余儀なくされたのだ。『石狩挽歌』は、ニシン漁に人生をかけた男女の悲しい物語だけど、この歌詞の背景には、なかにし礼さん自身が幼いころに経験した原体験が底流していたのだ。


‥‥そんなワケで、なかにし礼さんが、この兄についての思い出などをベースにして書いた1998年の小説『兄弟』(文春文庫)は、第119回直木賞の候補作となり、その後、なかにし礼さんは『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞するワケだけど、この『兄弟』の中に、幼かった頃の記憶を呼び起こしたのであろう、次の一節がある。


「鴎(かもめ)が凄いね」と私が言うと、
「鴎じゃないわ。海猫よ。猫みたいな鳴き声じゃないの」姉は高飛車に言う。
「あれはゴメって言うんだ」
網元の息子が振り返って言った。
「ゴメ?海猫じゃないの」と不服そうな姉。
「増毛(ましけ)では、海猫のことをゴメって言うんだ」
「ほら、やっぱり海猫じゃないの」
姉は低い鼻を反り返らせて威張る。
網元の息子は続ける。
「増毛という町の名前の由来は、アイヌ語のマシュケという言葉からきてるんだ。鴎の多いところ、という意味なんだと」
「ほら、鴎じゃないか」と私は姉を肘でつつく。姉の鼻がまた低くなる。
「ゴメも鴎の一種だから、二人とも間違ってないよ」と息子が笑う。
※なかにし礼『兄弟』(文春文庫)より引用


この一節から推測すると、北海道の漁師さんたちは、基本的にはウミネコのことを「ごめ」と呼んでいるんだけど、普段は他のカモメたちのことも区別したりせずに、イッショクタに「ごめ」と呼んでいるようなイメージを感じた。それに、なかにし礼さんの『石狩挽歌』では「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると~」と歌ってるけど、北海道の『ソーラン節』では「ニシン来たかとカモメに問えば~」と歌っている。つまり、ウミネコもカモメもニシンの到来を知らせてくれる海鳥なのだ。ちなみに、何年も前に青森の八戸の漁師さんに聞いてみた時には、「ウミネコもカモメもみんなゴメだよ」と教えてくれた。八戸ではウミネコを「市の鳥」に定めて大切にしてるけど、カモメも一緒に大切にしてたのだ。だから、海を渡った北海道でも同じなんだと思う。

だけど、北海道でのニシンの漁期が、3~5月と10~12月、一年に2回訪れることを踏まえると、東北の蕪島や椿島、江ノ島などに、多くのウミネコが繁殖のために渡ってくる初春の時季は、どうしても『ソーラン節』より『石狩挽歌』の世界を思い浮かべてしまい、発情期の猫のような激しい声で鳴きながら乱舞するウミネコを想像してしまう。そして、あたしは、一度でいいから、そんなウミネコたちを観に行きたいのだ。


‥‥そんなワケで、東北や北海道の漁師さんたちに「神の使い姫」として、とても大切にされてきたウミネコやカモメたち。そして、東北の蕪島が「ウミネコの繁殖地」として国の天然記念物に指定されたのは大正11年3月8日なので、西暦にすると1922年、あと数年で100年を迎えるのだ。そして、さらに遡った明治37年(1904年)、当時、貧しかった島崎藤村は、小説『破戒』を自費出版する資金を調達するために、妻・冬子の函館に住む実父を訪ねて、奇しくも日露戦争の開戦によってロシアの戦艦が出没して騒然とする津軽海峡を渡ったのだ。島崎藤村は、この時の出来事を『津軽海峡』と『突貫』という2編の短編小説に仕上げているけど、どちらにも「ごめ」が登場する。『津軽海峡』には「暗碧の海の色、群れて飛ぶ「ごめ」」と表現されており、『突貫』には次のように書かれている。


青森へ着いた。信州の方へ度々手紙を寄よこした未知の若い友は、その人の友達と二人で旅舎やどやに私を待つて居て呉れた。青い深い海が斯の旅舎やどやの二階から見える。「ごめ」が窓の外に飛んで居る。港内に碇泊する帆船の帆柱が見える。時刻さへ来れば、私は函館行の定期船に乗込むことが出来る。
※島崎藤村『突貫』より引用


これらの表現を見ると、島崎藤村はきちんと「ウミネコであること」を確認した上で「ごめ」と呼んでいるのではなく、ウミネコもカモメもまとめて「ごめ」とい呼んでいるのではないかと思えて来くる。もちろん、地元の漁師さんもそう言ってるのだから、それでもまったく問題はないし、何よりもロシアと戦争が始まったという状況で、妻の実家までお金を借りに行くところなのだから、海鳥の種類にまで着目している余裕などなかっただろう。


‥‥そんなワケで、ただ単にウミネコを見るだけなら、東京湾でも横浜港でも見られるし、たくさんのウミネコの群れを見たいのなら、千葉県の銚子にもたくさんいるし、宮城県の気仙沼にもたくさんいるし、ようするに、漁業が盛んで漁港のある場所なら、たいてい見られる。だけど、あたしは、繁殖のためにウミネコの群れが押し寄せてくるところが見たいのだ。今まで俳句の歳時記の中でしか見たことがなかった「海猫渡る」という季語を、実際に体験してみたいのだ。そして、そのためには、初春の時季を狙って青森県の蕪島へ行かないとダメってワケだ。でも、蕪島は埋め立て工事によって地続きになっているそうなので、船に乗らなくても行けるから、いつかは行ってみたいと思っている。

ちなみに、蕪島に渡って長い石段を上ったテッペンには「蕪島神社」があって、天照大神の3人の美しい女神の中の1人、市杵嶋姫命(イチキシマヒメミコト)が祀られている。そして、この「蕪島神社」には、こんな貼り紙が貼ってあるのだ。


「神様のお使いウミネコより運(糞)を身体または衣類に授かった方には記念として金運証明書を差し上げております。運(糞)を拭き取る前にお越しください。蕪島神社 社務所」


この金運証明書を貰うためにも、ウミネコが何万羽も乱舞している繁殖期に行かなきゃならない‥‥なんて思っていたら、2011年の東日本大震災の大津波にも倒壊しなかった神社なのに、2015年11月に、漏電が原因で火災が発生し、焼失してしまったのだ。でも、多くの人たちから愛されている神社なので、すぐに再建が計画された。ただ、ウミネコの繁殖期を避けて工事を進めているため、火災から2年後の2017年に、ようやくコンクリートの土台が完成し、社殿などがすべて再建されるのは、2019年12月の予定だという。


‥‥そんなワケで、あたしは、2020年の東京オリンピックには最初から大反対しているし、そもそもスポーツを政治利用しているオリンピックは大嫌いだから、東京オリンピックが開催されても一切観ないけど、その代わりに、2020年の春になったら、母さんと一緒に東北新幹線に乗って青森県へ行き、八戸市の種差海岸の北端にある蕪島へ渡り、ヨットパーカーを着てフードをかぶって完成したばかりの「蕪島神社」の周りをウロウロと歩き回り、ウミネコの運を授かったら、社務所へ行って金運証明書を貰おうと思っている。そうすれば、俳句の歳時記の中でしか見たことがなかった季語を実際に体験できる上に、金運まで良くなるので、まさに「一石二鳥」だと思う今日この頃なのだ♪


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